08/09/20 12:10:14
>>504続き
でも、どちらも中国や朝鮮の古代祭祀とは関係が無い。ユダヤ人ラビのトケ
イヤー氏が指摘しているように、むしろ古代ユダヤ教の祭祀手順に近い、と言
うか、縄文時代から続く倭人文化である精霊信仰をユダヤ文化の根本としての
聖書を設計図に使って再編成したかたちになっている。
その点から、皇室と古代ユダヤ文化との関係が議論されている訳です。
中国の秦漢~三国時代に旧約聖書の文化を持った人達が朝鮮半島や中国南
部から日本にやって来たのは間違い無いでしょう。私は、ニギハヤヒ(天神)系
はアレクサンダー大王の東方遠征当時にペルシャ帝国に居て帝国崩壊と共に東
へ逃げた人達、イワレヒコ(天孫)系は大王のパレスチナ占領後に東方遠征に
参加して、アレクサンダー帝国崩壊後に前者を追って日本へやって来た人達だ
と考えています(あくまで、個人的な見解です)。
さて、>>1の秦氏が渡来したのはもっと後の時代ですから天神系や天孫系とも
違う「第三勢力」になります。おそらく佐伯好郎博士が主張していた原始キリ
スト教徒、別名「ユダヤ教イエス派」だったと思います。
6世紀以降に仏教文化が導入された事で、朝廷は日本古来の宗教である神道の
再編成が必要になりました。長い年月を経て本来の意味を見失ってしまった古
神道について、藤原氏政権はそのころ各地で神社建築を引き受け当時最新の教
義を保持し財力もあった秦氏に、知識と技術・財源を提供させました。その結
果、秦氏は没落した物部氏に代わり藤原氏の後ろ盾として、中央政権内部に食
い込む事に成功します。
ただ、「伊勢内宮の天照大神はキリスト」と言う説も有りますが、私は関係
無いと思います。秦氏本来の氏神は稲荷神(=「ウカノミタマ」)で、古来か
らアジア全域に存在する穀霊信仰とキリスト(=「日々の糧を与える神」)が
習合したものだと考えています。一方、伊勢外宮の豊受大神は「トヨノウケノ
カミ」=「穀霊信仰」とヤハウエ=「マナを降らせ、ユダヤの民に食料を与え
る神」が習合したものでしょう。