ユダヤ=秦氏は鬼・悪魔at MIN
ユダヤ=秦氏は鬼・悪魔 - 暇つぶし2ch450:天之御名無主
08/06/20 18:36:34
ミロクはミトラ教であるのでしょう
むしろ救世観音のほうが正真正銘救世主イエスだと思う

451:天之御名無主
08/06/22 01:26:01
あげ

452:天之御名無主
08/06/24 00:47:05
ナショナル ジオグラフィック協会って、今やハザールの支配下じゃなかったか?
優秀な民族だな。

453:天之御名無主
08/08/07 06:44:15
大久保長安が猿楽衆出身というのも秦系っぽい。

454:天之御名無主
08/08/13 00:43:21
スレリンク(gogaku板)

>>1 おまえいい加減にしろよ。

何をふざけたこと言ってんだ。おまえが「なんちゃってヘブライスト」じゃないのなら、
然るべきヘブライ語-英語辞書を持っているだろう。以下の単語は日本語由来の外来語なのか。
文句があるなら下記のサイトを見ればいい。どこに日本語由来の外来語があるんだ。

URLリンク(www.pus.co.il)
URLリンク(movies.domina.co.il)

そもそも、おまえはイスラエルの日本文化愛好者に対して失礼だと思わなかったのか。
ヘブライ語が神と語るに相応しい言語か否かはネイティヴ・スピーカーが判断することであって、
おまえのように単語の意味を解説するしかできない外国語話者が口出しするものではない。
おまえの発言は現代イスラエル人が築いた国家、並びに文化を屈辱しているに他ならない。
しかもおまえ、明らかに半島クオリティだな。反日思想を叫びたいんだったらよそでやれよ。

455:天之御名無主
08/08/14 22:37:09
2ちゃんねるでは一番老舗のユダヤ&フリーメーソンスレだけど
運営サイドによる「処理」で、検索にかからないように
【石工組合】湯駄屋の陰謀【啓蒙協会】のスレタイでしか
立たないという世にも稀なスレ

スレリンク(kokusai板)

でもこういう際どいスレのご多分に漏れず
ずっと運営がスレ埋めして人を散らそうとしてる。
たしかに2ちゃん運営のバックに関するスレなんだけど露骨すぎだろ。
今朝四時にだしぬけに立った今スレなんか、さっそくまた同じ文体、
同じ改行作法でわざと毒にも薬にもならない自演会話を続けてる・・・(一応別ID)



456:天之御名無主
08/08/16 05:57:27
摩咤羅神はどこから来たのか

URLリンク(hwbb.gyao.ne.jp)

サイト移転してますね

457:天之御名無主
08/08/17 20:08:03
フェニキア人は猫を神聖視してたんだろ?
バール神の顔がカエル・猫・ヘビだったはず。

458:天之御名無主
08/08/19 00:04:51
国会議員でユダヤの手先=外資族

459:天之御名無主
08/09/04 07:49:28
>>445
原の前に一字つくのはどう?
一族に同じ名字の神社の神主がいるんだが。
平安時代から続いてるらしいが。

460:天之御名無主
08/09/04 07:53:14
>>444-445
何やら日本の名字全て網羅しそうな勢いではあるね。

461:天之御名無主
08/09/04 10:48:53
イスラエルがあなたに見てほしくない映像です。
URLリンク(www.youtube.com)

462:天之御名無主
08/09/04 14:42:27
>>459
可能性はあります>原に一字

その家は平安時代から・・ということで関係ありませんが
たとえば養子とか、明治の氏姓法の改正時にかなり適当につけた
秦氏っぽい苗字が色々あります。そういうのは当然関係ありません。
家系をたどれるのが一番なのですが。


>460
そのくせどこにでもある、田中とか中村とか鈴木とか・・
ああいうのは違うんですよ。ああやって列記すると「全部じゃね?」と
言う感じですが、全体から見ると僅かです。


463:天之御名無主
08/09/04 18:07:05
>>462
こんなところでは話しづらいんですが、真面目に質問させて下さい。
周りにも「秦」氏そのものの名前もあるし、隣には神代から続いているらしい
波多の郷もあります。その地域では、昔、といっても戦前を含めて
養蚕も盛んだったようです。

うちの場合は明治までは庄屋をしておりその地域のとりまとめ役的だった
フシはあるんですが、神社の神主をしているメンバーがおり、現在の名字に
原がつくと言っても、かなり稀な姓です。ちなみに、
スサノオノミコトの子供の一人が生活したと思われる神社伝承のある、
中国山地の山村です。(僻地の部類かも?)また神代(古代)から人々の
移動はどれ位あったんでしょうか?



464:天之御名無主
08/09/04 18:26:53
>>462
前のレスで、
///また神代(古代)から人々の移動はどれ位あったんでしょうか?///
すみません。最後の質問の意味は、

古代以降、一般的な話として、明治期までは、そのような山間部では
人間の移動は頻繁だったのか、外部からの血は入ることは少なく、

従って古代からの血は、ある程度は保たれているのか・・・ ということなんですが。
少しスレ違いですが。渡来の出雲族(スサノオ系)は新羅経由の秦氏系と
繋がりはあるとお考えでしょうか?


465:天之御名無主
08/09/04 18:30:11
訂正します
渡来の出雲族(スサノオ系)は新羅経由の秦氏系と
繋がりはあるとお考えでしょうか?


渡来の出雲族(新羅経由のスサノオ系)は秦氏系と
繋がりはあるとお考えでしょうか?


466:天之御名無主
08/09/04 19:43:39
秦氏と中国地方の出雲族はこのスレ的には関連あり、と思います。
しかし血縁とか一族とか・・はないでしょう。

出雲系の渡来人は、かなり古い段階の渡来ユダヤ人。
(大きく見て3派、出雲(国津神)は第一波。二派は天津神、最後が秦氏)

秦氏は渡来ユダヤ人としては一番新参者であり
自分たちの匂いのする出雲族たちを気にいり
同化して住み込んだ者達も居たのじゃないでしょうか。

ですが、出雲族と秦氏には同じユダヤ人という繋がり以外には
ないと思います。


467:天之御名無主
08/09/04 21:24:15
>>466


ユダヤ人の波・・・
第一波、第二波、第三派ということで納得しました。嬉しいことに
そう検討はつけていたんですが、自信がなくて。
で、何回にも分かれて渡来したということは、そのルートが
出来ていたということなのですか?よもや連絡を取り合いながら、呼び寄せた
とか?これは妄想過ぎますね。笑

出雲弥生族はスメール、トルコなどを経て、
秦氏の場合はしかし、中央アジア→中国(秦)→朝鮮→ルート
でよろしいでしょうか?

あるサイトでは、スサノオ系出雲族はヤマトにてかなり後の代まで、
モンゴル系の名前を名乗っていたと、ありました(名前を挙げています)が、
当時の遊牧民族・モンゴル族には、スキタイやユダヤが混じっていたということ
なのでしょうか?

スキタイ人なら、2年位前にモンゴルの西の果ての山中で、ドイツ人研究者を
中心としたチームによる大規模な発掘調査があり、彼らが遺物を持ち帰り、
アチラでは、大ニュースになっているようですね。

スサノオ系弥生出雲族(天津神ですね)がユダヤ系であるという確証は
どこから得られたのでしょうか?私も今その方向で(たぶん確証に近く)
考えていますが、学問的な発言をするには力が足りませんので、
ご教示いただければ、ありがたいです・・・ 

2ちゃんねるの場ではないかもしれないので、ご迷惑でしたら放って
おいて下さってかまいません。


468:天之御名無主
08/09/04 21:28:55
>>466
追加です

自分たちの匂いのする出雲族たちを気にいり
同化して

そうですね。これに近いことはたぶん行われたのではないかと、
私の感じですが、思いました。
何しろ穏やかな土地柄ですし。

しかし、秦氏の日本における本拠地は近畿になるのですか?
発祥というか、上陸の地が出雲ということなのですか?
で、一部が東に移動し、一部が残ったと?

469:天之御名無主
08/09/04 21:36:00
>>467
二段落目の小さな訂正です

出雲弥生族はスメール、トルコなどを経て、
秦氏の場合はしかし、「中央アジア→中国(秦)→朝鮮」ルート
でよろしいでしょうか?

470:天之御名無主
08/09/05 05:03:02
三国志で出てくる、司馬一族って、ユダヤ系ですか?
確か、孫一族や華陀(名医)はペルシャの血が流れてるって聞きました。

獣=JEW=馬・・・司馬?

471:天之御名無主
08/09/05 14:00:14
出雲は大国主系の国津神の領地です。スサノオは、天津系で客神旅神でしょう。
もちろんその末裔も同地に住んでいるでしょうが。
天照の兄弟と言う限りは、スサノオは天津であると私は思っています。
スサノオはたぶんに異質であり天津と別物と匂いはしますが、
出自まで別な物を、同族親族・・とは記紀は書かないと思います。


「連絡」ですが、逆に何故ユダヤ人は移動しなくてはならなかったかを
詰めていかれると、見えてくる物はあるでしょう。
また第一派は、偶然の辿り着きであったとしても以降は
先人の道を歩んだとして問題ないでしよう。

また、第2.3派は同じ道を通ったと考えるべきだと思います。
つまり九州に上陸し神武東漸のルートで近畿まできたのでしょう。
そしてユーラシア大陸の部分は弓月の国経由で仰るとおりの
ルートだと思っています。
第一派のルートをシュメールに考えられる根拠は私が知りたい。ww


秦氏の本拠地は赤穂-河内-太秦と変遷したと考えています。
しかし移動ではなくある程度の機能勢力を維持しつつの物であったと。



472:天之御名無主
08/09/12 23:18:27
>>471
お返事が遅くなりすみません。
テーマがあり過ぎで、どれから話題にしていいものやら。笑

シュメールとの関係ですが、今のところ、色々なサイトや本を
読んでの感想です。で、最近のものですが、
このサイト(ページ)はいかがでしょうか?わたし自身まだ完全に消化
していなくて申し訳ないですが。


URLリンク(www.geocities.jp) (後半部分)
URLリンク(www.geocities.jp)





473:天之御名無主
08/09/13 14:30:20
卑弥呼の邪馬台国(ヤマト国)を巧妙に簒奪したのが流浪のユダヤ商人=天皇を
中心とするいわゆる天孫族(自称)に違いない。
彼らは秦で似たようなことをやっている。卑弥呼は結局死後に天照大神として祭
りあげられ、地上ではユダヤが王権を乗っ取った。
ユダヤの痕跡が少なくとも歴史の表面に現れないのは、ヤマトの伝統をけがすこ
とで本家ヤマトの残党と事情を知る諸侯の反乱をおそれたから。

神道とユダヤ教に共通点が確かにあるが、なぜ、「ユダヤ教」でなく「シントウ」と
名乗るのか。なぜ、神道にユダヤ教の教義が含まれていないのか。それは、ごく一部
の支配層が日本土着のアニミズムに、隠れキリシタンのごとくシンボルを紛れ込ませ
ることで密かに信仰したからだ。

日本におけるユダヤは、当時からあくまで少数派の、少数派のための(しかし新
興支配階級)おおっぴらに出来ないタブーだったのだ。
この世俗的なやり方を嫌った原理主義者が山にこもって天狗とよばれるようにな
ったのだろう。原理主義者は山にこもりたがる。

いずれも現代にユダヤの明瞭な痕跡を残していないのであって、世界の中のへた
れユダヤ教徒には違いない。

こんなユダヤ文化を喜んで受け入れられますか?
(決して皇室に反感をもつものではありません。むしろ敬愛しています)


474:天之御名無主
08/09/13 14:56:30
>472
面白そうなぺーじですね。じっくり読ませてもらいます。

>473
卑弥呼とユダヤ人と天照の関連は全くのグレーゾーンと思います。
記紀はそれなりに匂わせていますが、あまりにも薄すぎると思います。
少なくとも自分たちの歴史に大いに関わる”ツイ最近”(1-1.5世紀前)の
大国の事を自分たちの神話に殆ど表していないというか無視に等しいというのは
どう考えても変。あるいは卑弥呼、邪馬台国と呼ばれていない、名指しされていないと
考えられないことも無いが、それに相当する部分も見当たらないように見える。

古史古伝には逆にそれに異様に詳しい物もあるがそれも話半分に
見ないといけない・・とおもうし。






475:天之御名無主
08/09/13 14:57:48
>>473

つづき


神道というのは仏教が入ってきたときに作られた新語で、それまでは
指す言葉無かった。それは言う必要が無かったから(他の物と区別する必要が無かった)
自分たちの神はただ神だけだった。**の神++の神と機能や由来に応じて
呼び分けることはあっても、神道そのものを区別する必要は無かったから。
初期ユダヤ教も同じ。


また当時のユダヤ教に「教義」はない。現在ある旧約聖書やタルムードなどは
全て後世に作られた物で、それは対外的民族のアイデンティティーに必要となったため。
当時は簡単な戒律や祭儀があったに過ぎない。
やがて散り散りになった民族のアイデンティティーを確立するために
発達して複雑化する必要があったから。

日本は約束の土地であり、それら戒律が殆ど必要とされなくなった。
(戒律は全て約束の土地のため神との契約を表す物)
よってヘタレになった、・・といわれれば、それはそうなのかもしれないがww

476:天之御名無主
08/09/14 04:24:24
天狗が持っている虎の巻というのは、トーラーのことらしいですね。

477:天之御名無主
08/09/14 06:33:47
うむ

478:天之御名無主
08/09/16 06:58:29
出雲の島根半島にも確か天狗山というのがあります。

479:天之御名無主
08/09/16 07:08:37
弓月国には、ヤマトゥという地や、テングリ山という山があった
(「テングリ」はキルギス等の中央アジアの言葉で「神」という
グーグル検索より
URLリンク(love55555.at.webry.info)



480:天之御名無主
08/09/16 11:20:44
>>475
トーラーも伝えられていないし、彼らにはアイデンティティーを維持す
る意思すら無かったと思わざるをえない。
こんな宗教のにおいのしない渡来人をユダヤ人と呼べるだろうか。

あるいは、ユダヤ人は明治期におけるお雇い外国人的な存在で、秦氏は
ユダヤ人を仲介をする存在だったのかもしれない。
ハタ氏を含めたヤマトの指導者たちが民衆を統治する手段として、宗教
色を抜いたユダヤ文化を導入したのかもしれない。

現代のハタさんをみて、ユダヤ的な風貌をしている人を見たことがない。


481:天之御名無主
08/09/16 12:56:12
虎の巻の中身を見たいんだが、どこかにうpされてない?

482:天之御名無主
08/09/16 13:04:10
>>480
現在はかなり薄められてしまっているけど
日本の古来風習、習慣が、ほとんど
そのまま古代ユダヤのそれだったんだよ。

アイデンティティーな戒律は、
別物に統合されそうになったりするのを防いだり
神への契約の忠誠を心に常に励起させるもの。
他の人とは違う事をしたり意識して自分に縛りを掛けるのは
その理由に「神との契約」を思いたすため。

約束の地(日本)に辿り着き、
自分の宗教(神道)だけを存在させた後には
今までの戒律は殆ど用なしになる。意思がある無しでは無い
あとは神への信仰や祈りの儀式だけが生き残る。

正月儀式、鏡餅、七草粥、神殿様式・・いろいろな。


483:天之御名無主
08/09/16 13:25:43
>>481
URLリンク(kanbun.info)
『六韜(りくとう)』について
中国古代の兵法の書。『武経七書』の一つ。六巻。
「文韜」「武韜」「竜韜」「虎韜」「豹韜」「犬韜」の六章より成る。
太公望呂尚の撰といわれてきたが、『三略』とともに後人の偽託。
成立年代は魏晋時代とみられてきたが、1973年、山東省の銀雀山漢墓
出土竹簡の中から残簡が発見され、戦国時代末期の成立であることが
ほぼ確定された。『三略』と併称される。
なお、「虎の巻」という言葉はこの書の「虎韜」の巻からきている。

484:天之御名無主
08/09/16 18:17:47
>>482
神道には「神との契約」に類する教義、習慣など、一切無いと思われる。
信仰のきもともいえる、死後の観念についても、まったく異質だ。
類似性があるのは、神輿、神社、風習のうち、きわめて形式的な部分だ
けに見える。
このことは、近現代の日本がキリスト教及びキリスト教徒を受け入れず
に、西洋文明だけを取り入れたのと相似形だ。つまり、ユダヤの文化、
風習の外形だけを取り込んだということだ。

ユダヤ教は神道や仏教に比べて野蛮に見える。したがってユダヤ人の
経済社会におけるあり方が野蛮であってもしょうがない。

ユダヤ人は大きな力を持っているが、ユダヤ人は現代の「知的恐竜」
かもしれないのだ。
日本人は、同祖論を政治的に利用するのはよいが、距離をおいたほう
が利口だと思う。先方もそう思っているかもしれないし。










485:天之御名無主
08/09/16 20:47:20
>>484
まず現代のユダヤ教と源神道の古代ユダヤ教を
同一視してはいけない。
古代ユダヤ教はシュメールの神々を受け継いだ
多神教だ。現在に残る聖書も北ユダヤは
単一神を崇めなくなったから滅んだと明記している。
失われた十支族の北ユダヤは「多神教のユダヤ教」だった。

そこには、現代のキリスト教やユダヤ教にみえる
「神との契約」の姿は全く違う物となっている。


現在のユダヤ教が恐竜なのか、野蛮なのかはしらないが、
源神道たる古代ユダヤ教とは区別して論じてもらいたい。



486:天之御名無主
08/09/17 02:16:47
古代ユダヤ教がどういうものなのか説明してくれないとわからない。
その中でどこが似てるのか似てないのか。

487:天之御名無主
08/09/17 05:23:00
>>486

488:天之御名無主
08/09/17 12:07:00
現代では身近なところでも、クリスマス、教会での結婚式、バレンタイ
ンデー、その他、自動車、飛行機、コンクリート製建築物、など、あり
とあらゆることろに西洋発のものがあふれているが、西洋人はほとんど
住んでいない。
これと同じことが、古代の日本とユダヤ文化の間で起こったと思われる。

よって、日本の中にユダヤ文化はあっても、ユダヤの末裔が日本に住ん
でいるのか否かは疑問だ。否定する根拠もないが、否定されるのが自然
だろう。





489:天之御名無主
08/09/17 13:41:31
>>486
マジな話、レス投稿制限一杯まで書いたのが
10個くらい必要。そのくらい書かないと(しっかり読まないと)誤解してしまう。
イエスの説いた源キリスト教も厳密には古代ユダヤ教。
カトリック等はもちろんあのネストリウスとかとも違う物。

俺も完全把握しているかといわれると疑問。


>>488
>これと同じことが、古代の日本とユダヤ文化の間で起こったと思われる。 

その通り。
だが当時の伝播メディアは主に「人」。

そして少なくとも現在に繋がるほど密着浸透させられるだけの
力と頻度と普及力をもつほどの、量と質の「人」。



490:天之御名無主
08/09/18 04:32:15
日本の神道は堕落したユダヤ教だろ。もとのユダヤ教ではない。

491:天之御名無主
08/09/18 05:31:47
日本神話には重要な「洪水神話」がない。
これだけで神道はユダヤ教ではないと言い切れる。

天皇は「人間宣言」するまで現人神であったが、ユダヤには人間として神が存在していたわけではない。
モーセだって、「預言者」であって神ではない。

492:天之御名無主
08/09/18 06:11:59
山田が世界を制す。藤原1000年、山田2000年の歴史がある。
日本の大和魂の大和とはあて字であって、本来は山田魂である。
ヤマダの音がなまって、のちにヤマトと呼ばれるようになった。
中国の魏志倭人伝にはヤマダイ国が記されている。言うまでもなく、
ヤマダの国家である。

493:天之御名無主
08/09/18 07:05:42
山田スゲーw

494:天之御名無主
08/09/18 07:47:03
今夜が山田

495:天之御名無主
08/09/18 11:37:52
山田の時代が来たな

496:天之御名無主
08/09/18 12:26:14
日本最古の寺は飛鳥の山田寺だっけ

497:天之御名無主
08/09/18 13:55:37
やー真鯛国

498:天之御名無主
08/09/18 14:51:19
>>490
それは唯一絶対神の信奉者から見た評価。

さらにそのとおりだとしても、いまの論題とは何の関係も無い。

>>491
いいきれない。
それ以外の成分が殆どある。

天皇は救世主のレプリカ。
大嘗祭の時、死装束で天皇は何をしている?


499:天之御名無主
08/09/18 15:08:52
>>498
ユダヤ教では女は男性であるアダムの骨から作られたことになっているが?
日本神道でも同じく女は男性から作られた、と記されているのか?

500:天之御名無主
08/09/18 19:51:51
>>499
記されているとする説もある。

アメノミナカヌシが世に現われたときから
イザナギ、イザナミが数々の神産みをするときまでが
7段階に分けられることと、その内容のシンクロから

絶対神が7日かけてこの世を作ったとする聖書の話を
符合させている説があってその中で述べられている。
もちろん肋骨とか、りんごとかヘビとかは、でてこないがな。ww




501:天之御名無主
08/09/20 00:19:51
籠神社の先代か先々代の宮司さんが
神道の究極の神はYAWHだったが、
仏教が覆った為云々と。

百済王族の藤原氏クーデターと王朝交替は、
ユダヤ=出雲系統による
それまでの神道祭祀のあり方、民族の神話を駆逐したということだろう。
漢字によるそれ迄の文字抹殺と共に。


502:天之御名無主
08/09/20 00:38:48
>>501
訂正:
YHWH

503:天之御名無主
08/09/20 07:40:17
藤原氏の起源は唐の王朝貴族らしいですね。
まず百済を乗っ取ってそれから新羅との連合軍で
出雲王朝を滅ぼして日本を支配したのでしょう。

504:丹波三郎
08/09/20 12:07:15
 藤原氏は中臣氏-忌部氏に繋がる祭祀系氏族ですよ。
天智天皇が藤原鎌足に下賜した女性がすでに妊娠していて、生まれたのが不比
等だった。つまり不比等は天智天皇の隠し子だった、と言う説もありますが。
一方、籠神社は海部氏-物部(連合)系になる。

 天武天皇の死後、藤原不比等が実権を握るとそれまで伊勢神宮の禰宜だった
海部氏系の渡会氏から藤原系の荒木田氏に交代させられてしまう。伊勢神宮の
歴史は海部系神道対忌部系神道との主導権争いだった。
そして同時に、ニギハヤヒ(「天神系」=北部九州-出雲-越の日本海部族連
合)とイワレヒコ(「天孫系」=南部九州-四国-近畿南部の太平洋部族連合)
との対立でもあった。

 

505:丹波三郎
08/09/20 12:10:14
>>504続き

 でも、どちらも中国や朝鮮の古代祭祀とは関係が無い。ユダヤ人ラビのトケ
イヤー氏が指摘しているように、むしろ古代ユダヤ教の祭祀手順に近い、と言
うか、縄文時代から続く倭人文化である精霊信仰をユダヤ文化の根本としての
聖書を設計図に使って再編成したかたちになっている。
その点から、皇室と古代ユダヤ文化との関係が議論されている訳です。
 中国の秦漢~三国時代に旧約聖書の文化を持った人達が朝鮮半島や中国南
部から日本にやって来たのは間違い無いでしょう。私は、ニギハヤヒ(天神)系
はアレクサンダー大王の東方遠征当時にペルシャ帝国に居て帝国崩壊と共に東
へ逃げた人達、イワレヒコ(天孫)系は大王のパレスチナ占領後に東方遠征に
参加して、アレクサンダー帝国崩壊後に前者を追って日本へやって来た人達だ
と考えています(あくまで、個人的な見解です)。

 さて、>>1の秦氏が渡来したのはもっと後の時代ですから天神系や天孫系とも
違う「第三勢力」になります。おそらく佐伯好郎博士が主張していた原始キリ
スト教徒、別名「ユダヤ教イエス派」だったと思います。
6世紀以降に仏教文化が導入された事で、朝廷は日本古来の宗教である神道の
再編成が必要になりました。長い年月を経て本来の意味を見失ってしまった古
神道について、藤原氏政権はそのころ各地で神社建築を引き受け当時最新の教
義を保持し財力もあった秦氏に、知識と技術・財源を提供させました。その結
果、秦氏は没落した物部氏に代わり藤原氏の後ろ盾として、中央政権内部に食
い込む事に成功します。

 ただ、「伊勢内宮の天照大神はキリスト」と言う説も有りますが、私は関係
無いと思います。秦氏本来の氏神は稲荷神(=「ウカノミタマ」)で、古来か
らアジア全域に存在する穀霊信仰とキリスト(=「日々の糧を与える神」)が
習合したものだと考えています。一方、伊勢外宮の豊受大神は「トヨノウケノ
カミ」=「穀霊信仰」とヤハウエ=「マナを降らせ、ユダヤの民に食料を与え
る神」が習合したものでしょう。

506:丹波三郎
08/09/20 13:17:58
 従って、秦氏も「聖書の民」ではありますがキリスト教系になります。
「メシアニック・ジュー」と言うべきでしょうか。それ故、ユダヤ教ファンダ
メンタリスト(原理主義者)にとっては忌むべき存在かも知れません。

 盂蘭盆会が古代ペルシャのゾロアスター教の影響だと言う指摘もありますし
仏教と共にヒンズー教の神々(帝釈天や弁財天)も日本に渡来しています。
更に中国からは哲学としての儒教や、道教の神々も来ています。
聖武天皇が仏教を国の中央に定めるようになった後、仏教以外の外来の宗教は
解体され、神道と仏教に吸収され現在に至っています。
私達が今ここでやっているのは、例えばカレーを食べて、その味から材料を調
べているようなものでしょう。
「この味は・・・キャベツだな」
「ターメリックもたっぷり」
「醤油も入ってる」
「隠し味はチョコレートだな♪」

しかし材料が何であれ、カレーはカレーとして、美味しく食べるのが一番良い
んじゃないでしょうかネ。それを言ってはミもフタも無い話ですが・・・。


507:天之御名無主
08/09/20 19:50:29
カレーの例え話。

でも明らかにこのカレーにはコリアンダや
サフランが入っていると解るのに
そんな物入れてないと、言い張るコックが
世の偉い人達・・というわけで。



508:天之御名無主
08/09/20 22:57:10
藤原氏は謎が多い。
鎌足の名は関東の鹿島にいたとき狐が夢にでてきて
鎌で政権を取れと言われたらしい。
また伊勢は当時の東方面への軍事拠点(軍港)であり
現茨城県の鹿島と深い関係があって、それは中央政権に於ける
武器の調達(鉄)に関与していてかなりの発言力をもってみたいだ。

509:天之御名無主
08/09/21 06:54:24
>>505
誰にレスしようかと迷ったのですが、とりあえず
ヘブライ語と日本語を扱ったサイトがあったので、紹介します。
検討ください。

* 日本民謡とヘブライ語
URLリンク(www.sun-inet.or.jp)
URLリンク(www.sun-inet.or.jp)


それから、伊勢神宮の天照大神は、スサノオの子である
天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命だと考えています。イザワの宮、
籠神社の祭神にも注目しています。

スサノオノミコトの父君であった、フツの御魂が祀られている
島根県平田市(平成の大合併で現在は出雲市に改)にある
宇美神社の神紋は桐紋で、これは七枝樹のシンボル化ではないかと
思えるのですが・・・

510:丹波三郎
08/09/21 11:57:48
 上記のサイトについては知りませんでした。ROMっておきます。

基本的に日本は皇室も含めて多民族による部族連合国家であり、シルクロード
の北方(草原・ステップ)、中央(オアシス)、南方(インド洋)、及び南太
平洋の4つのルートからやって来た様々な人々と文化の集合体だと考えていま
す。
天照大神にしても、各地の各部族がそれぞれに信仰していた太陽神、又は「グ
レートスピリッツ」を統合したものでしょう。
(同時に、皇室が独占的に祭祀を行う事によって、国民に対する支配権を正当
化する役割もあったと思います。)

ですから、卑弥呼の様な巫女王の要素も有り、此花咲耶姫もあり、火山神も有
り、そして持統天皇やニギハヤヒの存在も投影されている。ただし祟神天皇が
天照大神を大和に祀ろうとしたところが住民から大反対された為(当時は大物
主の信仰が盛んでした)、豊鍬入姫命を御杖代(後の斎宮)として伊勢に移転
させていますから、何らかの影響はあるにしても、
「天照大神」=「饒速日命」は無理があると思います。

ただ祟神天皇が神武系では無く饒速日命の直系だとしたら、その可能性は高い
でしょう。


511:丹波三郎
08/09/21 13:58:41
 伊雑宮はマンガ「ヤマタイカ」や飛鳥昭雄説で有名になりましね。
伊勢(志摩)地方は神宮が移転してくる以前から独自の太陽信仰が盛ん
だったところですから(天照では無く海照。両方共「アマ」と発音)、
持統天皇の時代に組み込まれたとしても天照との直接の関係は無いと思
います。
対して、私が注目しているのは京都の太秦にある木嶋坐天照御魂神社
(蚕の社)です。天孫系では無く天神系太陽神としてのニギハヤヒを祀
っているとしたら、此処でしょう。
 さて。スサノオ命の父親がフツの御魂、とするのは原田常治著「古代
日本正史」からの情報ですね。
歴史書としての古事記・日本書紀にはおかしな部分が多いのも事実です。
しかし同時代に書かれ記紀と異なる為に偽書扱いされた他の古文書にし
ても信憑性の点では記紀と同程度であって、それを基に執筆された「古
代日本正史」が記紀と内容が異なるから真実と言う訳には行きません。

512:丹波三郎
08/09/21 14:08:41
 私がこのスレで記入して来た説もあくまで仮説であって、「古代日本
正史」と変わりません。つまり”言った者勝ち”の話なのです。

513:天之御名無主
08/09/21 16:45:31
秦氏は全国的に広がってて各地で商業・工業を支配し、
その経済力は大きなものになってたが、
以外にも中央政府にその痕跡がみえず、
大きな勢力のわりにあまり政治には関与しなかったのが不思議な感じです。
「秦氏とその民」より~高価な割りにイマイチだから図書館で。

514:天之御名無主
08/09/21 18:12:17
今の経団連みたいな物でしょう。>秦氏

政治には参加しなくて影響力・・というか
そのほうが結局安泰だからでしょう。
クーデターに怯えるより時の政権に・・・


515:天之御名無主
08/09/21 19:46:15
それが実態ならハザール系なら肯定できるが、
本ユではないと思えるけど?
元々のユダヤは経済中心主義の民族ではなく宗教が主で、
神官とか祭儀をつかさどる集団なら納得できるから
秦氏≠ユダヤと思う。

516:天之御名無主
08/09/21 21:06:15
>>515
だから、紀元前の北ユダヤが
なんで「経済中心主義の民族ではなく宗教が主で、 
神官とか祭儀をつかさどる集団」なのよ。

神職はレビ族の専売特許。
他の部族はフツーの人。
流浪の間に様様な専門職や技術を
吸収したとしてもおかしくない。


517:天之御名無主
08/09/21 21:10:52
しかし、ユダヤ教徒か原始キリスト教徒だから
レビに司祭を執り行ってもらって、祭儀もするわな??

何の不思議も無い。


518:天之御名無主
08/09/21 22:54:08
>紀元前の北ユダヤ
アッシリアに亡ぼされた後にヒッタイトに奴隷として売り渡され、
一部がペルシャに行き混血後に中国に渡って秦と呼ばれ5世紀頃に日本に渡来した。
この時点でかなり純血度は薄れ信仰もなくなって世俗的になってただろうから、
もはやユダヤ人とは程遠い民族になってただろう。
しかし問題は南ユダヤ民族が渡来したかが重大であって本筋であろうと思うけどね。

519:天之御名無主
08/09/21 23:24:20
>>510
最初のお説も全体的お考えにも説得力がありますね。感心させられました。
というよりご研鑽の発表をこんなところで。感謝します。

ところで、静岡の子之神社をご存知ですか?
ネットに公開されているご祭神、由緒のコーナーが、
何かのヒントにならないでしょうか?
この神社のご祭神について:
「・・・天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日尊(アマテラスヒコアメノホアカリクシミカタマ
ニギハヤヒノミコト) 本来の天照大御神(太陽神・男神)にして、・・・」



いざわの宮 イェサヤ イザヤ?妄想かもしれないですが。妄想の
可能性も?この音、何か臭いませんか?漢字は只の当て字のようですし。


日向系の祭祀と出雲系の祭祀は違いますね。また神紋も、
現皇室のものは、菊紋ではなく、菊紋は後ほど取り入れられたので、
日月紋が正式ですね。(鏡、太陽神と関係あるか?)
出雲大社に菊紋がある・・・ どなたかの旅行記で見た覚えがあります。




520:天之御名無主
08/09/21 23:30:28
>>510

現在のところでは私は、大王?ニギハヤヒ・ヤマト王朝の男系「皇統」は
日向(神武)王朝との交代により断絶。その後、大化の改新以降、
百済系藤原氏の朝廷への侵入と共に「別民族系」に交代したと考えています。
この段階で親新羅の出雲の男系皇統は完全に滅亡している?

「三種神器」はいわゆる「神代」ではなく、後の世に制定されたものということです。
そうすると、より古いのは、または、神武側が出雲に要求、強奪したのは
(古事記、イズモフルネの話、出雲の滅亡・・・と続く)、より古い「十種神宝」のことでしょうか、
それとも、神宝は別にあったのか。

こんがらがってきました。笑

勉強がまだまだ不足で申し訳ないです。


521:天之御名無主
08/09/21 23:57:15
>>510

さて。スサノオ命の父親がフツの御魂、とするのは原田常治著「古代
日本正史」からの情報ですね。

ということですが、

私の場合は原田氏のお説は孫引きになるのか、どなたかがお話になっている
ということで初めて知った次第で申し訳ないです。でも、氏のおっしゃる通り、
「神社伝承学」や、実地に足ばなくては分からないこともあり、
そのようなご研究はとても重要な意義があると思います。
今ではたくさんの人が、その説を素通り出来なくていらっしゃるようですね。

神奈備にも情報があります。

●宇美神社[ウミ]
宇美神社「布都御魂神」もと沼田郷(元平田市、現在出雲市)の奥に鎮座。
URLリンク(kamnavi.jp)

●宇美神社
URLリンク(websakigake.sakura.ne.jp)

●宇美神社(神紋)
(島根県平田市平田) 布都御魂 =素佐之男の父 布都御魂は
素佐之男の父として祀る。
URLリンク(homepage3.nifty.com)


522:天之御名無主
08/09/22 00:12:34
>>510
こちらが神紋でした。

●宇美神社
URLリンク(websakigake.sakura.ne.jp)



ところで、出雲大社創建よりさらに古い時代の、
現在雲南市三刀屋に鎮座する
「三屋神社」がとても気にかかります。
以下ページの最下部の方にあります。

「延喜式神名帳」 以下サイト引用:URLリンク(kamnavi.jp)

出雲国内に於て大神の神地と神戸が風土記撰上当時に置かれた場所は
此の地のみで他に一ヶ所も無いのみならず神の御門と神戸とを社号とした神社が
全国に他に一社もないことは特筆に値することである。
即ち風土記には「三屋郷 郡家の北東二十四里 所造天下大神の御門即ち
此処に在り 故三刀矢と言ふ神亀三年字を三屋と改む 即ち正倉有り」と記されており
大神の御門と謂ふのが神社の所在を示したことであってこの神社が存在して居るので
御門郷と号くべきであるけれども此地には神社のみでなく神の御料に充てる為の
田畑や山林などが定められそれに付属した民戸があったのでその・・・ 風土記には
「三屋郷 郡家の北東二十四里 所造天下大神の御門即ち此処に在り 故三刀矢
と言ふ神亀三年字を三屋と改む 即ち正倉有り」と記されており大神の御門と謂ふ
のが神社の所在を示したことであって・・・ 三屋神社とこの古墳とは相互に裏付けられ
三刀屋の地が出雲文化の発祥の地である事をいよいよ明らかにされることになった。


523:丹波三郎
08/09/22 00:42:20
>>519

 子之神社の存在は初めて知りました。まだまだ無名の神社が存在するもので
すね。由緒等が紹介された書籍・HPをご存知でしたら、また教えて下さい。

・・・ハテ? 皇室の正式な紋章は日月紋だったでしょうか・・・?
確かに錦の御旗の飾りなどに使われていますが、正式な紋章(エンブレム)と
まではいかなかったように思います。
↓神紋の分類については下記のサイトで検索すると便利ですよ。
URLリンク(www.genbu.net)
京都にある皇室ゆかりのお寺には、菊の御紋章を幕や幡に使っている処が沢山
あり、明治以降や第二次大戦後に神社庁の関係で神社仏閣の行事に菊紋を付け
た備品が使われました。その神社の主祭神と菊紋とは関係の無い場合が多いの
で、あまり拘らない方が良いですよ。


524:天之御名無主
08/09/22 01:11:52
玄武さんのページのご紹介、ありがとうございます。既に
お世話になっておりました。まだまだ消化していないですが。笑


正式に返事する前に、
しばらく前に気にかかったことがあります。
1ヶ月位前に、鳥取県青谷上寺地遺跡に
宮内庁の調査官の人がお見えになっていたんですが。
素人には少し奇異に感じられました。宮内庁は
古代遺跡発掘現場にはいつもお見えになる?



弥生後期の盾に緑色顔料 東アジア最古の使用例 鳥取・青谷上寺地遺跡
URLリンク(sankei.jp.msn.com)



525:天之御名無主
08/09/22 01:18:44
正式にお返事する前に、
と訂正させていただきます。

産経記事の説明より

 【青谷上寺地遺跡】鳥取市青谷町にある弥生時代中期-後期の集落跡。
脳組織が残った頭蓋(ずがい)骨や、殺傷痕のある大量の人骨が見つかった。
祭祀(さいし)に使ったとみられるクジラの骨で作った剣や木製琴、農具、
食器など多種多様な遺物が出土、「地下の弥生博物館」とも呼ばれる。
建築関係では、ほぼ完全な形の大小2枚の格子窓などが残っていた。




丁度、時代的には魏志倭人伝が記す「内乱」の時期と符合しますね。
畿内と出雲の衝突の後でしょうか?


526:天之御名無主
08/09/22 01:20:12
訂正:

衝突の跡

527:天之御名無主
08/09/22 01:24:37
>>523
遅くなりました。
子之神社そのものでよろしいでしょうか?それでしたら
URLリンク(www.neno.net)

528:丹波三郎
08/09/22 01:37:34
>>522
「フツの御魂=スサノヲ命の父親」、面白い説です。
実は奈良県天理市の近くに祟神天皇の頃に創建されたとする石上神宮と言う神
社が有り、主祭神は「布都(フツ)御魂」、御神体は古代の霊剣です。
 そして「布都御魂」とは神武東征の際に苦戦するイワレヒコを助ける為、天
から地上へ投げ落とされた霊剣です。
 何故そんな霊剣がスサノヲの父になるのでしょうか。
結論から言いますと、スサノヲと「フツの御魂」とは最初から関係が無いので
はありませんか?
URLリンク(websakigake.sakura.ne.jp)の最尾部に書かれている社伝
が正しいなら、九百年前から祀られている「石神」が「石上」に変わり、発音
が似ていることからその神の名前も奈良の石上神宮の主祭神である「フツの御
魂」とされた。つまり「フツの御魂」が出雲に定着するするのは平安時代以降
で、スサノヲの父では無いでしょう。

529:天之御名無主
08/09/22 01:57:49
>>523

現天皇家の系統の日月紋について
ウィキペディアなども参考にしましたが、
専門に扱っているサイトはまだ知りません。
私が注意を引かれたのは、主にこのサイトによります。後半部分以下の方に
その記述があります。
URLリンク(www.furutasigaku.jp)


「・・・天皇家の本紋が日月紋で、菊紋は仮紋であるということにもよる。」

URLリンク(www.furutasigaku.jp)

530:天之御名無主
08/09/22 02:04:24
>>528
石上神宮はニギハヤヒノミコトの一族4代をお祀りする社との
認識があります。フツというのは、スサノオの父の霊魂である神剣の
ご神威を神としたものと考えるのですが。うーん
眠くて混乱してきたようなので、日を改めてまた・・・
今日はありがとうございました。

531:丹波三郎
08/09/22 02:12:31
>>528続き
さてちょっと面白いデータを。
 イザナギ神社(兵庫県淡路島) 北緯34度27分36秒(1秒=30,8m)
 葛城山(奈良県御所市)      34度27分22秒
 高松塚古墳(奈良県高市郡明日香村)34度27分44秒
 伊勢内宮             34度27分17秒

 玉造稲荷神社(大阪市)      34度40分29.11秒
 生駒山(大阪府)         34度40分42秒
 西大寺(奈良市)         34度41分36.99秒

 籠神社(京都府)      東経135度11分51秒(1秒=25m)
 生田神社(兵庫県神戸市)    135度11分26秒

 下鴨神社(京都市)       135度46分21秒
 八坂神社( 同 )       135度46分43秒
 伏見稲荷大社(京都市伏見区)  135度46分23秒
 西大寺(奈良市)        135度46分46秒
 那智本宮(和歌山県)      135度46分(秒以下は不明)

 偶然でしょうか?
それとも原始的な道具しかなかった1300~500年前に、このよう
な正確な測量技術を持っていたのでしょうか?
役の小角の本拠地にしていた葛城山や生駒山は、古代のランドマークだ
ったのでしょうか。

古代の興味は尽きませんね。では、オヤスミナサイ。

532:丹波三郎
08/09/22 08:44:10
>>520 >>530
 おはようございます。これまでの自己レスの総括をしておきます。文字通り
「言った者勝ち」の話ですから、参考程度に御読み下さい。
天神系(北九州-日本海側部族連合)と天孫系(南九州-太平洋側部族連合)
の対立は桓武天皇の時代まで続きました。先に大和盆地に進出したニギハヤヒ
(ヤマトと命名=天神系、物部氏)からイワレヒコ(天孫系。大伴氏、日向族)
が覇権を奪いますが、4世紀後半に近江・丹後系部族(神宮皇后の実家)の
支援を受けた物部氏が応神天皇を擁立したクーデターに成功。以後、継体天皇
の中継ぎを経て天武朝まで続きます。
 飛鳥時代に天神系政権内部の主導権争いでトップだった蘇我氏に対し、天孫
系の中兄皇子が蘇我入鹿を暗殺し天智天皇として即位します。しかし壬申の乱
で物部・蘇我系の大海皇子(天智天皇とは兄弟では無い)が再び奪取。天智の
娘である後の持統天皇を皇后に立てて天神系・天孫系の統合を画り、持統天皇
がその事業を引継ぎます。


533:丹波三郎
08/09/22 09:13:46
 形式上は天武系(=天神系)政権でしたが、実権は忌部-中臣氏(天
孫系)の藤原氏が握っていました。藤原鎌足が百済の王子豊璋とする関
谷説もありますが、中国で死んだとする記録も有りますので「藤原鎌足
=豊璋」は確定出来ません。
その藤原氏を財政面でバックアップしていたのが秦氏でした。奈良時代
末期に藤原氏宗家を伝染病で失うと、姻戚関係を結んでいた秦氏系の北
家が藤原氏の中核になります。つまり秦氏に乗っ取られたのです。以後、
秦氏は中央では藤原氏、地方には名を変えて移住し歴史の中に消えてゆ
きます。
 こんなところでしょうか。では、仕事に戻ります。
またいずれ、何処かで。


534:天之御名無主
08/09/22 13:04:28
>>531
正確な測量技術

持っていたようです。
いぜんのNHKの番組で
そう言うものの内容に触れていて
当時の手に入る簡単な道具
竹の棒とか何かだけで
ものすごく正確な「一直線」が
作れるそうです。

山越えとかの見通しの利かないところは
星の観測で出来るとか言ってました。


535:天之御名無主
08/09/22 21:13:28
ま~古代には航海してくるぐらいだから
かなり正確な測量技術があったのでしょう。

ユダヤ人もそうだが藤原氏のルーツも謎で、
中臣氏系列である鎌足の先祖の系図がまったくない。
たとい中臣氏が地味な存在であったとしても
3~4代前ぐらいまではわかってたはずだと思うけど。
急にパッと現れた感じがなんとも不可解である。
また成り上がりで学がない感じもしないのがまた不思議です。

536:天之御名無主
08/09/23 00:13:10
>>535
藤原氏についての考察は色々ありますが、
これはどうでしょう?
私はかなり参考になると見ています。


※藤原氏は今は藤原を名乗っていない。戦前の
近衛首相とか、一条、三条 等々 いわゆるお貴族のお公家さんの家系ですね。
(藤原氏に連なる姓氏を挙げてあるサイトで調べられます。)

日本は大化の改新以降は、近現代に至るまで
完全に裏で実権を握る藤原氏の天下になっているんでしょうね。

URLリンク(www2.plala.or.jp)




537:天之御名無主
08/09/23 00:53:37
藤原氏の起源は唐の王朝貴族らしいです。
だから藤原というのです。唐を源とする。
桃太郎の桃も唐ですね。鬼退治と称して
出雲系の人間を殺したのでしょう。

538:天之御名無主
08/09/23 01:22:52
日本の戦争体制を敷いたのは、藤原氏です。=近衛文麿
だから百済系の日本のメディアは、近衛の戦争責任を
論じられないのでしょう。これは穿ち過ぎかな。

539:天之御名無主
08/09/23 09:15:42
藤原=フジワラ=フシハラ=節のある腹(蛇腹)=蛇をシンボルとした一族

と言う説もある。藤原氏の氏神である春日大社のシンボルは鹿なのに、その辺はどーなのよとツッコミたくなるが、
(「元々物部氏のものだった春日大社を藤原氏が奪ったんだ!」と言い返して来たので、
「物部氏って大物主とか、三輪神社だろ?シンボルはやっぱり蛇じゃん」ともう一度ツッコんでみた。)
先祖がどこから来たかより本人が何をやったかが大事なんだよな。

540:天之御名無主
08/09/23 11:10:06
>>536
やはり百済の王族の可能性は高そうだ。

別の独自の仮説で髄の煬帝の氏族ってのはどうだろうか?
煬帝には息子がいたらしいが隋が滅亡してから後はよくわからない。
遣隋使の件で日本ルートもあっただろうし、
またあの有名な「日出る~」で煬帝はかなり根にもってて
息子が日本に来て藤原氏として入り込み
当時の曽我氏や太子の氏族の暗殺につながったと考えれば
なんとなくありえそうな話と思うけど。

541:丹波三郎
08/09/23 23:04:04
>>530

 補足。
スサノヲ、と言うと私にとっては出雲神話よりも九神文書の方が印象が強いで
すね。大国主だと実在の人物をモデルにしているとも思うのですが、スサノヲ
の場合は文字通りの「神」。
故郷を離れ世界を放浪し、最後に辿り着いた安住の地が日本だった。ただ、そ
の神話を伝えた人々がやって来たのは、出雲族の国土開拓や邪馬台国の成立よ
りも前。国東半島で鉄鉱山の開発が行われたとされる、紀元前10世紀頃では
ないかと思います。
(「高天原を追われたスサノヲが新羅のソシモリに降臨したと」するのは、蘇
民将来で有名な牛頭天王の伝説が混入していると考えています。)
本来は中東地域での、牛の角を持つ暴風神・金属(鍛冶)神だった。鉱山開発
・金属精錬の技術が広まるに従い、中東からインド洋経由の海上ルートで縄文
時代の日本へ伝わった。
 暴風雨(=自然の驚異)を象徴する存在だった為に大物主信仰と習合し、牛
頭神から蛇神へと変化する。出雲の神楽で、ヤマタノオロチと戦ったスサノヲ
が天叢雲剣を持ってオロチの体内から出て来るのはこの為。また「大物主+ス
サノヲ」=「蛇身の金属神、漂白の神」のイメージはヤマト政権に追われた蝦
夷と共に東国へ伝わり、「アラハバキ神」に発展して行く。

 出雲族や天神・天孫族にとっては縄文時代からの先住の神だった。彼等はス
サノヲを熊野大神として祭り上げる一方、「高天原から追われた漂白神、彷徨
う神」とする事で、スサノヲが先住民の神である痕跡を消そうとした。
記紀の神話ではスーパースターでありながら、同時に中央から遠ざけられ辺境
に祀られたのはそんな事情があるのだ、と思います。

542:天之御名無主
08/09/25 22:35:11
藤原氏について言及したものですが、
ところでこの前奈良に行きまして、香具山付近の国道を車で走ってました。
標識で談山神社の表示をみかけ「あ~ここの右手の向こうにあるのか~」
っと思った時に右腕上腕に急に刺す様な痛みが走りました(今まではなかったです)
ちょっと不安に感じましたが、その後たまに又同じような痛みが上腕にあります。
あまり探らない方がいいかもしれません。
なにか霊的にもよくわからないことがあると思われます。

543:天之御名無主
08/09/26 19:43:17
 あぁ、その関係なら面白い本があるよ。
心霊コミックで有名な現役霊能者の寺尾玲子氏が、古代の人物を霊視するルポ
ルタージュがある。

1.霊能者・寺尾玲子も新都市伝説_闇の検証(1~7集)

2.ほんとにあった怖い話コミックス
  魔百合の恐怖報告(ショックレポート)_第18集
   闇に笑う女帝
                         1、2共に朝日ソノラマ刊

興味があったら読んでみたら?

544:天之御名無主
08/09/26 21:15:50
アドルフ・ヒトラー閣下を降霊し、呪われしユダヤ人及びその信奉者どもを殲滅せよ!!

545:天之御名無主
08/09/28 13:24:29
>>543
サンクス。
一度読んでみます。


546:P波
08/10/01 23:38:14
古代は日月紋だったようですが、菊紋に変わっています。日月紋は葛野氏に関係するのでしょうか?

547:御神名はやめよう
08/10/27 00:10:34
一家団欒、夕食時に見知らぬ連中がなだれ込んできた
「今からここはオレたちのもの!」
これユダヤ式といいます
また流浪の民に戻るさ

548:天之御名無主
08/11/03 11:58:53
大文字焼きの「大」=六ボウ星の変形
京都市のシンボルも六角形
共産党が強い

549:天之御名無主
08/11/03 12:01:14
>>544
そのちょび髭が崇拝した民族がイラン人だから
論外です

550:天之御名無主
08/11/03 13:15:12
>>548

大文字は五芒星の変形。

本とうは「大」に読めないくらいな形(車のスポークのように
交点から平均な長さに線が出いた形)だったのを
足利何とか言う人が「こんな変な「大」の字ないだろ」と
無理やり現在の形に変えた。

無知ゆえの勘違いが本道になってしまった例。



551:天之御名無主
08/11/11 01:12:03
質問です
大阪の服部駅に服部天神宮と言う神社があるのですが
URLリンク(www.apsara.ne.jp)

この解説を読むと…
ここ生まれの服部さんって秦氏ですか??

552:天之御名無主
08/11/11 01:14:29
神社はかつて
武士(武家)の守護神になっていた。

553:天之御名無主
08/11/11 02:42:47
まともな事書くと顰蹙買いそうだけど平安時代も北部九州は秦氏が押さえてるし

554:天之御名無主
08/11/11 04:38:55
>>553
何が問題かというと、それは秦氏が仮冒して源氏を名乗ったりしているところ。
江戸時代から疑問視されていたし、エタ頭の弾左衛門だって秦氏なんだろ?
世の中には正当な平氏の公家、源氏武士の子孫だっているんだぞ?

555:天之御名無主
08/11/11 14:09:12
>>551

>当地「服部」の地名も、このあたりに秦氏の人々が住んでいたことから成りたったものと思われます。

関西のあのあたりは、秦氏の縄張りだよ。
赤穂、河内、京都の太秦と、移動しながら
複合的に発展して言ったからね。

十分に可能性ある。


556:天之御名無主
08/11/11 22:10:39
>>555

レスありがとうございます!
同級生でこの名前の人がいたのですが性格変わっていたので納得です
同じ日本人と言っても顔つきから手の形までバラバラだし

近畿にはこの氏に関係している名字の方が
とりわけて密集している地が多々ありますからね

557:天之御名無主
08/11/11 22:41:16
131位 服部氏 約147,000名 古代の服部伴造の後裔が主流。ほかに源、平、藤、橘などの諸流多し。

服部ハンゾウは秦氏なの?

558:天之御名無主
08/11/12 08:09:36
服部姓は機織(ハタオリ)に由来し、絹織物業の本貫はまさに秦氏

559:天之御名無主
08/11/12 14:02:57
>>556
ぜんぜん秦氏じゃない・・とおもっても、
>>444-445
に当てはめると、ほとんど秦氏ばっかり・・と
言うこところがたくさんあります。

それをとある神社の周りで
「発見」したときは、おもわず・・・でした。ww


560:天之御名無主
08/11/17 01:41:47
八田って苗字は、ユダヤ?(部●?)つまり秦氏の子孫?

561:天之御名無主
08/11/17 02:16:52
秦氏自体 名族 名家による構成


>>560 それはない。

562:天之御名無主
08/11/17 02:24:41
>>559
秦氏流れ
惟宗氏→島津氏 武家の名門名家ばかり
島津は朝廷による守護神に命じられ九州宮崎に行き
島津と名のった。福井か石川にも島津家の流れがある。

563:天之御名無主
08/11/17 02:28:40
>>559
桓武天皇時代かな天皇護衛していた武家ながれ

564:天之御名無主
08/11/17 11:49:02
弾左衛門と同祖なんだろ?

565:天之御名無主
08/11/17 13:13:41
>>564
それは別人
上は宮家から公卿に社家至るまで下は武家までいる。

566:天之御名無主
08/11/24 12:42:28

ここはとんでも秦氏論しかないのか?
古代の倭は半島も無論だが楽浪郡、帯方郡、中国本土とも接触し知識がある。
秦氏が始皇帝の後であるかは疑問だが、中国系と自ら述べているし、
当時の倭人も駄法螺を真に受けるほど無知ではなかった思われる。
中国語が読み書きでき話せ、もちろん中国の諸事情に通じていたのだろう。
この秦氏を新羅系朝鮮人とみなす説が多い。

では質問する。白村江の戦いで倭は唐・新羅連合軍と戦ったが、
秦氏が新羅系朝鮮人であれば唐・新羅連合軍に内通して利敵行為をする可能性もある。
それを防ぐには秦氏を弾圧するか、隔離するなどのなんらかの対応が必要となるが、
それらしい形跡はどこにもなく、白村江の戦いの後も秦氏は大切に扱われている。
唐・新羅連合軍の国内の前線に近い九州には豊前という秦氏王国もあるにもかかわらずにである。
なぜなのか反論して欲しい。

もちろん私は秦氏中国人説を支持するし、吉士(祝)も同じく中国人であると思う。










567:天之御名無主
08/11/24 14:39:37
>>566

秦氏は当時一般には百済だといわれてたんだろ。
だから一般には新羅と言うことは知られてないから大事にされる。

あとは、真実を知る一部為政者が、なぜそうまでして
秦氏を必要としたかと言う事だけだ。



568:天之御名無主
08/11/24 14:58:04


「秦氏は当時一般には百済だといわれてたんだろ」?
「一般には新羅と言うことは知られてないから」?


569:丹波三郎
08/11/25 21:36:21
>>566

 秦氏は「朝鮮半島を通って日本に来た」のであって朝鮮民族では無い。
もちろん漢民族でもない。
「秦」の名が付く通り、中国の西方である中近東~シルクロード地域をルーツ
とする一族だ。
つまり、中国にも朝鮮に対しても何の義理も無い第三者勢力だったから。
むしろ朝鮮・漢族系が権力争いで弱体化してくれた方が彼等の利益だっただろう。

「日本人=朝鮮人」
「日本の文化は朝鮮民族が創った」
と言う程度の狭い視野では何も理解出来ないよ。


570:天之御名無主
08/11/25 22:01:24
>>569

>>566を読んで書いてるか?
どこに「日本人=朝鮮人」
「日本の文化は朝鮮民族が創った」
と書いている?

秦氏は始皇帝の後と自称している、それはともかく素直に解釈すれば漢民族だろう。
なにしろ漢字が読み書きでき、話すこともでき、伏見稲荷のように、
社稷を祀っている。シルクロードとやらでは社稷を祀るのかい?




571:天之御名無主
08/11/25 22:02:57
>>569

馬鹿な野郎だww

572:天之御名無主
08/11/25 22:26:37

後漢末期(190年頃)の風俗通義では、秦氏なる氏族が現実に存在している。
国名から姓をとっている。また後漢は楽浪郡を復活させている。
それで少なくとも後漢末期に、秦を出自とする氏族がいたことはわかる。
この秦氏が倭に渡来してきた秦氏かどうかわからぬが、
帯方郡・楽浪郡にいれば倭とも接触がある。
楽浪郡と山陰(出雲)と交流していることを示す遺物もある。
帯方郡・楽浪郡滅亡後に、大挙して倭を頼ってきた可能性もある。



573:天之御名無主
08/11/25 22:29:10

漢民族というより中原にいた民族だな、秦は漢より古いからな、
単純に秦人と思っていたのかもしれない。

574:丹波三郎
08/11/25 22:43:49
あの~、>>1 は読んだ?

それと、「社稷」って天地の神を祀る神殿だよね。
シュメール文明の神殿も、アテネ市の守り神パラス・アテネを祀ったパルテノ
ン神殿もエルサレム神殿も、現地の人達にとっては古代中国人が呼ぶ「社稷」
なんだ。

日本では岩や大樹、山そのものを「神が降りてくる場所」として崇拝し、祭り
の度に祭壇を築く事はあっても常設の神殿は作らなかった。

しかし仏教が日本に伝来した時期と前後して神道式の神社も建設されるように
なったが、中でも主導的な役割を果たしたのが秦氏だった。

 その建物の構造や配置がユダヤ教の幕屋と似ている事や、秦氏の伝説が聖書
の内容と似ていることから、

「秦氏はユダヤ教徒または原始キリスト教徒だったのではないか?」

とする仮説が戦前から出されていた。

結論から言うと、秦氏は神でも悪魔でも無い、ただ中近東発祥の科学技術と聖
書の知識を持っており、聖武天皇の時代に仏教が国教化された後はその信仰や
大陸での記憶が失われて日本社会の中に埋没して行った人達だったと考えてい
る。



575:天之御名無主
08/11/25 22:56:37

「社稷」って天地の神を祀る神殿ではないんだよww
土地神と穀物神のことをいう。
殷の時代は汎神論の世界で神は随所にいるんだよ、
たとえばいそうなところに1本の小柴の木を立てれば神は降りる。
これが周になると廟を設けてそこにいけば神に会えるようになる。



576:天之御名無主
08/11/25 23:02:18

秦氏がユダヤ人ならヘブライ語を話しただろうが、どうやら中国語に強かったようだよww
日本人が漢字を読み書きできるようになったのは奈良時代ぐらいじゃないのかな。
それまでは中国系渡来人が専門家として担っていた。もちろん秦氏も含まれる。
祭祀と記録の専門家。



577:天之御名無主
08/11/25 23:12:12
>>574

>>1 はムー信者なんじゃないの? ほらあの空想雑誌ww



578:天之御名無主
08/11/26 03:18:37
盆踊りの舞台、アレはまさにソロモン神殿かジッグラトかという

579:天之御名無主
08/11/26 07:23:52
>>578

じゃあソロモン神殿で盆踊りが行なわれたとでもwww
病院へいったほうがいいよ、まじでw

580:天之御名無主
08/11/26 09:24:21

とんでもじゃない話をしようw
殷の時代に西方にいた羌族は殷を倒した周に加勢した功績で、
太公望が山東省に封土され斉を建国した。太公望の姓は姜。
これはもともと殷人が山東省を出自とするので残党の制圧の意味もある。
この当時の斉人は大柄なことで有名であり、斉人の特徴でもあった。
wikipediaによると、
URLリンク(ja.wikipedia.org)
「2000年に東京大学の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、
中国科学院遺伝研究所の王瀝らは、約2500年前、2000年前の臨淄遺跡から出土した人骨、
及び現代の臨淄住民から得た遺伝子(ミトコンドリアDNA)の比較研究の結果を発表した。
それによると、約2500年前の春秋戦国時代の臨淄住民の遺伝子は現代ヨーロッパ人の遺伝子と、
約2000年前の前漢末の臨淄住民の遺伝子は現代の中央アジアの人々の遺伝子と非常に近く、
現代の臨淄住民の遺伝子は、現代東アジア人の遺伝子と変わらないものであった。」とある。
臨淄(りんし)は斉の首都だった。

どうだとんでも君には興味深いだろうw
ところで、弁辰人が大柄だったと中国古代の歴史書は記録している。
これが斉人であれば列島に渡来している可能性もあるw


581:天之御名無主
08/11/26 14:40:55
>>579
ダビデ王が契約の箱の周囲で舞い踊った記述がある
その踊りがどうやら
盆踊りの舞台を契約の箱を置いた台座に見立て
周囲で踊る
そのような文化はユーラシアでも日本だけである

582:天之御名無主
08/11/26 15:00:49
>>581

病院へいったほうがいいよ、まじでw




583:天之御名無主
08/11/27 14:35:02
>ダビデ王が契約の箱の周囲で舞い踊った記述がある

>そのような文化はユーラシアでも日本だけである

この2つは正しいんだから
まん中部分をなんとか
もうちょっと信しられる話にしてくれ。

584:581
08/11/27 23:26:53
京都の五山送り火、大文字焼きの大の字は、
元はペンタグラム、正五芒星である。
これは即ちイスラエルの象徴として使われてきたものが大文字焼きに残る。
京都北部に現存する盆踊りとしては最古の記録を持つ、さし踊りがある。
さし踊りのある場所は五山送り火の妙と法の文字のある場所である。
794坊さん平安京の、エルサレム、エル:都・シャローム:平和。

盆踊りの形態は中央のジッグラト舞台を中心に周囲を回りながら踊る。
この舞台はヘブライ文化のターベルナクル内の祭壇の形。で
やはりジッグラトはソロモン神殿と同じターベルナクルの祭壇である。
ユダヤ教のシナゴーグ内部に祭壇を持つ形式があり。
旧約聖書でダビデが神の箱の周囲を舞い踊ったことを後世に伝えるのが
盆踊りである。
いつしかペルシアの盂蘭盆会が伝わり、盆の時期の盆踊りとなる。
本来の契約の箱とダビデの記憶は薄れ、村の楽しいお祭りの踊り
でしかなくなった。
さし踊りのサシは幸しで、さいわいであると解釈すれば、
それはヘブライ語でshalvaシャワ=しあわせ、である。

585:天之御名無主
08/11/28 01:43:02
なのだ

586:天之御名無主
08/11/28 13:31:50
>>585

バカボンのパパなのだ

587:天之御名無主
08/11/28 13:38:09
ナルホド、さし踊りは、そっくりだ。ww
ただし時代的に合わない点。

ダビデと日本に来たかもとされる
失われた十支族との関係。
十支族が放浪したときにダビデは?

あと・・・

shalvaシャワ=しあわせ

だとしたら、「シャワ」の訛化になるはず。
ワ音がシには訛化しない。



588:天之御名無主
08/11/28 14:06:31
シュメールから時差4000年あるんだから、シルクロードを経て日本に
さまざまな文化が到来した。
その中のひとつがさし踊り。それだけだと思う。中国的文化も数多い日本だから。

589:天之御名無主
08/11/28 14:12:30
時代は前後しないだろう。

590:天之御名無主
08/11/28 17:11:36
秦氏はユーラシア全域を移動した交易・遊牧民族であり、時代的に中近東に進出するのは前二千年紀
全般、この頃秦氏と最も緊密な関係のあったのはミタンニ・メディア、ヒッタイト、カッシート、ヒクソスであ
るが、ユダヤ教、キリスト教が本格的に盛んになるのはローマ時代であり、秦氏はどちらかといえば、
ミトラス教、その原型のオークネフ文化地母神信仰との繋がりが深い。満州方面から南下する三韓諸族
の神話に卵生神話が付加されるのは、イワレビコ、鳳、鳥居、七福神等も同様に秦氏がミタンニ・メディアと
共生していたからであろう。秦氏は多くの宗教と関係するが、ミトラス、イェズィード(ヤズダン)等にも、
オークネフ神像にも教理があまりにも天文学的で悪魔的な形の神像や儀式が多い。また、秦悪来などは
殷末期の革命的時代には反動のレッテルも貼られやすかった。いずれにせよ、Judeo-Christianity一本
に結びつけると全くおかしなことになる。

591:天之御名無主
08/11/28 17:14:17
全般というのはミスタイプで前半、トゥルクメニスタンに絹が入荷を始めるころであろう。

592:天之御名無主
08/11/28 17:25:51
ユダヤ・キリスト教は教典以外の考古学的物証とか、遺伝子的には、レバント、パレスチナとはっきり
結びつけられるものはない。遺伝子的、考古学的に非常に得意なセム系の集中はコーカサス西部・
北麓方面であり、ハザールであるとか、東欧のアシュケナジムの分布中心、青銅の牛等はこの辺に
集中している。アブラハム宗教のネタはこの辺にあるのであろう。

593:天之御名無主
08/11/28 17:29:53
旧約聖書は新約聖書の後で作られたという説があるが、記紀においては旧約の雄略等の前に
応神・神功の三位一体が出現しており、案外、秦氏のほうが古いのかも。

594:天之御名無主
08/11/28 17:42:41
コーカサス北部の唯一のセム系遺跡はドルメンが特徴的。これは遼東のテーブル、楽浪の碁盤
(こういうのは欧州に多い)と違って穴あきボックス型である。遼東は共工が流刑乃至は処刑された
幽州(燕)にあり、碁盤は山東省の蚩尤(三苗)が処刑されたあたりに多い。蚩尤は纒向で箸墓
古墳の守り神的位置に祭られている。青銅器文化と関係するものであろう。

595:天之御名無主
08/11/29 04:15:14
URLリンク(www.youtube.com)
洛北松ヶ崎涌泉寺さし踊り

596:天之御名無主
08/11/29 04:42:24
箱の周囲を踊る。まさに聖書通り

597:天之御名無主
08/11/30 11:29:25
「慶長18年9月15日(1613年10月28日)にガレオン船サン・フアン・バウティスタ号で牡鹿半島の月ノ浦
(現在の宮城県石巻市)を出帆し、ヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)太平洋岸のアカプルコへ向か
った。アカプルコから陸路大西洋岸のベラクルスに、ベラクルスから大西洋を渡りエスパーニャ経由で
ローマに至った。」
「支倉常長がスペイン、ローマから帰国したとき、日本は幕府の方針によって、キリスト教禁止の時代
になっていた。そのため、伊達政宗は支倉常長の身を案じ、幕府への建前上、支倉常長を死んだこと
にしたのである。実際には、支倉常長は政宗の意向によって、宮城県大郷町に隠れ住み、天寿を全うし
て84歳で死んだ。また、のちの時代に、支倉常長の息子の家来がキリシタンであることが発覚し、それ
が原因となって支倉家は一時「お家断絶」の憂き目を見ている。この事実から、ローマで洗礼をうけキリ
シタンになった支倉常長は、生涯キリスト教の教えを守り通した、と言われている。」
URLリンク(ja.wikipedia.org)



598:天之御名無主
08/11/30 14:17:26
空き巣:8都県で 42歳男を追送検--県警 /埼玉
毎日新聞 - 2008年11月27日
出所後間もなく、埼玉など8都県で空き巣を繰り返したとして、県警捜査3課と川越、所沢署の合同捜査班は27日、
東京都武蔵村山市大南1、無職、国吉順作被告(42)=窃盗罪などで公判中=を逮捕し計80件、被害総額約460万円分の空き巣被害を確認し、さいたま地検 ...
「下着の下には金がある」 空き巣80件男を追送検 MSN産経ニュース


1563 国吉 約10,400 土佐国国吉邑発祥、秦氏。ほか桓武平氏時忠裔など。また沖縄にも多し。

↑これは秦氏ですか

599:天之御名無主
08/11/30 14:38:18
ダビデは南ユダ国のヒーローだろう
それが十支族の秦氏がなんでありがたがって
延々と伝えるのよ?

他にも良く六芒星だユダヤだとかいろいろ出るが
もし秦氏が伝播役なら敵対・・とまでは行かないが
袂をわかった相手国のヒーローの刻印を
大事に伝えるかな?

ドーマン、セーマンなら、シュメールの流れで
わからんことも無いが。

600:天之御名無主
08/11/30 19:23:08
日本の、死ねば全て神格化する文化は
そのものが秦氏のものであろう。
よって2000年以上前の先祖が敵だったかなどと
考えるまでも無い。
天皇家でも南北朝の争いがあった中でも全ての先祖を
称え敬っているしな。

601:天之御名無主
08/12/01 15:05:14
平家の落人伝説のあるところにはペルシャ人かトルコ系かという感じの
見たこともないような色白の美人さんがいますね。
妙見信仰してた砂漠地方の出なんでしょう。

602:天之御名無主
08/12/01 17:39:15
で、結局現代日本人って何人が混ざって出来たの?
代表的なのは?

603:天之御名無主
08/12/02 14:33:32
URLリンク(img438.imageshack.us)

604:長州人
08/12/02 15:43:03
>>602東南アジア系と朝鮮系が主だと思う
朝鮮系は弥生時代に技術者として渡来してきてるけど
技術者なんてそんなに入らないので
そこまで入って来てないけど
そのあと日本vs百済(残党)VS新羅&唐で負けた時に
かなりの数の百済人(朝鮮系)が入って来たと思われる

旅行好きな人は分かるだろうが
山口西部から福岡、佐賀あたりまで顔が朝鮮っぽい
鹿児島まで行くと今度は東南アジアっぽいです
また山口東部から岡山の沿岸沿いも東南あじっぽいです
近畿滋賀はなぜか朝鮮っぽいです

ユダヤ、秦の血は大和民族全体からみておそらく小数派思いますよ


605:天之御名無主
08/12/02 16:46:11
皆が皆、神主、住職では百姓がいなくなるので、ほどほどの数だろう。

606:天之御名無主
08/12/02 17:42:49
>>603
これはアジアだけの比較
肝心の中東地域が含まれていないから参考にならない

607:天之御名無主
08/12/02 21:37:14
Y-DNA haplogroup(s) mtDNA haplogroup(s).......................................................... ..Geographical area and/or peoples
O, N, C3.................................. CZ/C/Z, D, G (M types); A (N type); B, F (R types).. East Asia, Siberia
R, I, E3b, J............................ HV/H/V, JT/J/T, U/K (R types).................................. Europe, West Asia
URLリンク(en.wikipedia.org)


608:天之御名無主
08/12/03 09:01:22
>>603 >>607 YDNA haplogroup I(P19)は現在の欧州にはいない古い欧州人、これが日本には0.4%
もあり、この手の欧州人のミイラはシルクロード敦煌近辺の小河墓遺跡で発見されている。
その木棺の覆いはアファナシエヴォ文化と同じ。ちなみに秦氏の原郷である、甘粛省礼県はここに
近い。

609:天之御名無主
08/12/05 20:46:36
>>604

そりゃ「日本人=朝鮮人」と言う先入観で見てればドイツもコイツも朝鮮人に
しか見えないさ。

「朝鮮人に見える」じゃなく、
「朝鮮人であるべきだ!それを認めないのは差別だ!」だろ。

ここは日本だ。
同胞に会いたいなら祖国に帰りな。日本人以上に歓迎してくれるなら、な。

そうじゃないから日本にしがみつき、日本人に成り済まし、
「朝鮮民族こそが本当の日本人だ。ウリ以外は全部ケセッキ(犬の子。人間
じゃない)」

と思い込もうとしている。

言っとくが、日本が朝鮮民族の国になったらあんたらは日本から逃げ出すだろ
う。
あんたらが半島から逃げてきたようにな。

日本人は朝鮮人では無い。
朝鮮人は日本から文化や幸福を奪う事は出来ても、日本人の様な文化を生み出
す事は出来ないからだ。


あんた等は、日本を食い潰すことは出来ても日本を作る事は出来ない。

610:天之御名無主
08/12/05 23:19:56


朝鮮人はすね毛がないんだよww すぐわかる

611:天之御名無主
08/12/06 11:10:32
朝鮮半島・日本列島に突帯文・無文・弥生土器の始まる頃に奥地から農耕民が入る。朝鮮半島では
畑作を主に、日本列島では稲作を主に農業が盛んになると共に、この移住農耕民の子孫は増加する。
日本にはモンゴリア・ヒマラヤ山岳に多いYAP+遺伝子を持った民族も入る。これは朝鮮半島では少数。
しかし、いずれにせよ、日本と朝鮮は多くの遺伝子を共有している。高句麗、高麗、夫与といった言葉には
「鹿」の意味が含まれる。日本のカスガというのも太陽の鹿といった意味だ。これらの起源は内モンゴル
遼河地域の縄文時代早期と同時期の興隆窪文化の流れを引く趙宝溝文化が鹿をトーテムとする文化で
あり、文化的にはその辺が起源のようだ;。高句麗、夫与の神話には河伯の娘、水界の女王と言う意味で
乙姫にも通じる話があり、民族が河川から河川に移動する神話となっているが、これは河川漁労と関係が
深いものを意味しているのであろう。

612:天之御名無主
08/12/06 12:53:16
>1
「中央アジアの芸術」
この時代の特徴的なのは鍔広帽。若干の研究者は、こうした帽子を5 - 6世紀に中央アジア農耕民を
征圧した遊牧民エフタルに関係するものとしている。  
M. Dyyakonov
「エフタル(Ephthal) 
URLリンク(karamatsu.cocolog-nifty.com)
は、古代中央アジアで活動した遊牧民の国家。民族系統はイラン系とする説が有力
であるが、テュルク系とする説もある。インドやヨーロッパでは「白いフン」と呼ばれ、中国名は厭達
(えん
たつ、えんは口偏に厭、たつは口偏に達)であるが、「白いフン」に対応する白匈奴の名でも記録され
た。」
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(www.gunmaibun.org)
器台・足を別個体とする大形の全身像である。「鷹匠(たかしょう)埴輪」と呼ばれているが、すでにこの
時代、「鷹匠」として専業職化していたかどうかは明らかではない。手首に手甲(てっこう)をはめ、腰に
大刀と鞆(とも)をつり下げ、頭に鍔広帽(つばひろぼう)を被っている姿は、狩猟装備をした貴人を思わ
せる。「鷹を使う盛装の男子」とする方が妥当かもしれない。涼しげな目、小さく締まった口元、鼻筋が
通り、端正で気品に満ちた顔立ちをもつ。
 髪は左・右に分けて「下げ美豆良(みずら)」に結い、三重に巻いた飾りひもでとめ胸元にたらす。装飾
品は、美豆良の下に耳環がのぞき、胸元には大玉の首飾りが見られる。腕は両方とも前方にのばし、左
上腕には内側を向いた鷹を止めている。尾羽の付け根には儀礼を目的とした鈴を付けており、これも一
つの権威の象徴と考えられる。鞆の後ろに下げられた半楕(だ)円球の袋は、鷹の餌袋かと思われる。


613:天之御名無主
08/12/06 12:53:54
鷹を使う男子の埴輪は数例知られるに過ぎず、しかも群馬県に多い。中でもこれは最も全高が高い。
URLリンク(www12.wind.ne.jp)
鷹匠埴輪 (太田市指定重要文化財/太田市教育委員会/太田市・個人蔵)
このエフタルは現在の日本人にの中には全く残らないソグド系イラン人と思われる。確かに秦氏とは
関係があったかもしれない。しかし、エフタルを差別するような風習は世界中にどこにもない。
名前に品の悪い漢字をあてがうのは卑弥呼も同様であり、中華思想によるのだと思うんだが。

614:天之御名無主
08/12/06 12:57:40
群馬といえば羊太夫
羊のいない群馬が君羊馬
まさにユーラシア遊牧民族の開拓地

615:天之御名無主
08/12/06 13:07:05
卑弥呼政権が帯方郡・魏王朝に狗奴国との内戦の軍事援助を要請し、当時楽浪の統治下に入った
シ歳人をPKOとして派遣、これを狗奴国を抑える要の地の毛野、上総に布陣したと考えられる。その中に
エフタル人がいたのであろう。PKOの性格上大和朝廷の政情安定後は帰国した可能性もあろうが、
近江毛野、とか、筑紫の磐井は後に鉢合わすことになる。「同じ飯を食った仲間」とは殷、周の時代の
傭兵集団の隠語であろう。

616:天之御名無主
08/12/06 18:23:18
エ(フ)タ(ル)芸。

617:天之御名無主
08/12/06 22:17:19
>>611

>日本にはモンゴリア・ヒマラヤ山岳に多いYAP+遺伝子を持った民族も入る。
>これは朝鮮半島では少数。
>しかし、いずれにせよ、日本と朝鮮は多くの遺伝子を共有している。

 日本人男性のYAP+遺伝子保有率は40%以上。論理破綻してるじゃん。

なんでそんなに嘘ばっかりつくの?
なんですぐバレる嘘しかつけないの?

どうしてそんなに、朝鮮人なの?

「朝鮮人」と呼ぶのは差別なの?
「朝鮮人」と呼ばないのは差別なの?

何をしたいの?
なんで何も出来ないの?
どうして自分では何もしないで「他人にしてもらう」事ばかり一生懸命なの?
それが一番日本人に嫌われる理由だと分かっていて、なんでやるの?!


 答えなくても良いよ。
「全部日本が悪いんだ!!」
それしか言えないのは分かってるから。

618:天之御名無主
08/12/07 02:15:53
体毛、髭、眉毛が薄い人々は朝鮮系の血ですので

619:天之御名無主
08/12/07 09:23:59
(チベットでシャンシュンと称するのは)北西蛮族、山岳戎を古代中国語でシャンシュン(山戎)国というこ
とからも、チベット人が古代に「北から南に」移住した経路をさす。チベットの別称は"Tibod"であるが、こ
れは事実上"Toba", "Tuva", "Tuba"に等しく、おそらくはスキタイ竈・地母Tabitiに由来し、"Khor-Tumat"
として頻繁に出現する、古代チュルクモンゴル民族名"Tumat"もこれに由来する。神名Tabitiと民族名"Tumat"は匈奴頭曼単于、地母神の門の川、図門江となっているとみられる。
トゥーヴァ国立大学アバーエフ教授
高野新笠 桓武天皇の母 天応元年四月十五日)。延暦九年には遡って「皇太后」の尊号を追称され
た。百済の遠祖の「都慕(つも)王(百済王の始祖で、夫余を開国したと伝える伝説上の人物)」は河伯
(かわのかみ)の娘が太陽の精に感応して生まれた。皇太后はその末裔である。それで「天高知日之子
姫尊(あめたかしるひのひめのみこと)」の諡を奉ったのである。
URLリンク(homepage3.nifty.com)


620:天之御名無主
08/12/07 09:30:00
日本では椿神社(土公氏・猿田彦)がこれに相当する。各地に椿神社の猿田彦神社を祀るのは
満蒙において鹿石を建立することと同一の行為と見られる。

621:天之御名無主
08/12/07 10:50:21
トゥーヴァ国立大学アバーエフ教授とは裏腹に「中国YDNAより推理する中国諸民族成長移住の歴史」
URLリンク(library.ibp.ac.cn)
によればYAP+については、「特定遺伝子遠距離移動」が[中国西部、中国南部、漢族、北東アジア、
南アジアD*→中国北部、チベットD3*]で見られ、「近隣拡大」は[チベットD3*→中国北部D3a]で見られる
ということ。しかし、これは三苗の甘粛への追放といった神話歴史時代の政治的、人為的な政策の結果
であり、それより以前にアバーエフ教授の言う北南方向の移動があったことはモンゴル高原の「オボー」
を初めとする石積文化がチベット、雲南に移動することから見てもいえるのではなかろうか。又、日本の
YAP+の原郷は、鹿トーテム、朝鮮半島琵琶型銅剣、オルドス→遼東への青銅器文化の伝播からしても
モンゴリア高原周辺を起源と考えるべきではないかと思う。

622:天之御名無主
08/12/07 12:43:32
 はいはい、石積文化は朝鮮民族が世界に広めてイギリスにも存在するから、
イギリス王室の先祖も朝鮮民族なんだよね。

日本では縄文時代から鹿も蛇も神聖視されていたし琵琶型銅剣が朝鮮半島に
出現する前から人が住んでるぜ。
それにサルタヒコは鹿トーテムとは全く関係無い。いつもながら捏造が好きだ
ね。

「縄文人は”チョッパリ”で”犬の子”だから人間じゃない」

つーんなら話は別だけど。

それに三苗は揚子江以南の中国南部が本拠地で、モンゴル高原から朝鮮半島を
経由しなくても揚子江河口から直接日本に来ている。人間も米作文化もな。

もっとも、現在の朝鮮民族にはD型遺伝子を持っている男性はいない。
先住民を皆殺しにして半島を乗っ取ったのが現在の朝鮮人なのさ。それと同じ
事を今の朝鮮人が日本でやっている。何千年経とうと、朝鮮人の犯罪性は変わ
らない。


 どうして、「日本人は朝鮮半島から渡来しなければならなかった」としか
考えられないのかな。

それとも、朝鮮半島から渡ってきたのが日本人であって、朝鮮系でなければ日
本人では無いと言いたいの?
いつものコトだけど。

朝鮮人はどんなに自分を誤魔化しても朝鮮人だよ。
生きている間も、死んだ後も、永遠にな。

623:天之御名無主
08/12/08 03:16:20
`・д・;)なに

624:天之御名無主
08/12/08 09:11:50
このスレの趣旨は現代社会問題を論じることではなく、民俗・神話といった歴史的な事柄であり、
朝鮮半島、日本列島の現代の社会問題は論外。民俗・神話の発生する時代に国境はあいまい。
人種もあいまい。その辺は朝鮮族、日本民族などと言う概念とか、愛国主義とかとは全く次元が違う。
各自この趣旨で自由闊達に意見を述べて欲しい。

625:天之御名無主
08/12/08 11:34:28
ユーラシア中央のトゥーラン遊牧文明を作ったサヤン・アルタイ地方及び中央アジアのチュルク・モン
ル民族の民族宗教において"khor"(参考→布留社URLリンク(www.city.tenri.nara.jp))
と言う言葉の持つ概念は重要であり、
その言葉は民族最高神の形容語(トゥーヴァ語神名. Kurbustu, 参考→トゥーヴァ語.

"khulbus" - "鹿'", 参考 まで、 "kur" - "帯", "khooray" - "城市", "khuree"- "寺院"; アルタイ語

神名Korbustan; ブリャートモンゴル語神名 Khormusta; イラン語神名Khormazd),であることのみな

らず、諸民族の多くの民族名 "uygur" (khoy - khor), "khooray", "khongoray" (V.Ya.

Butanayevによれば古代ハカス地方の国名), ブリャート部族名 "khongodor", "ekhirit", "khori-

buryat", "khoro-yakuty", "kurrykan", "guran", "uryankhay",チベット氏族名Gar, トゥーヴァ氏

族名Oorzhak ( "oykhor" + "chik"の合成),Kol, Kyrgyz王族("uker" + "oguz"合成) 他に入っ

ている。古代朝鮮国家Koguryo(高句麗)及びKoryo(高霊)と言う名称にも早く言えば匈奴経由で

中央ユーラシアの"khor"という一般的概念が借用されたと考える。"khor" もkhunnuも直訳すると"太

陽"の意味であり、"Uryankhay" (烏梁海)というのは"Khoray" - "Khongoray" - "Kurrykan"の短

縮されたものに過ぎない。これらは全て"太陽鹿"という古い概念と関係している。サヤン・アルタイ語で
鹿を意味する語根は"chaa"であり、"神の鹿より生じた太陽の民族"を意味する言葉である"chaa-zon"
という2つの語根からなるサヤン・アルタイ語起源の言葉が古代朝鮮を意味する"Choson"と言う言葉に
なった。・・・ 前述トゥーヴァ国立大学アバーエフ教授による >>621

626:天之御名無主
08/12/08 11:45:34
他にも、同教授は鹿を意味するヤクート語TOPA、土方、兜跋、拓跋が同根であることを論じている。
日本語の筑波、椿神社もこれに関連するのではなかろうか。

627:天之御名無主
08/12/08 14:03:48
>>625
やっぱ発音・語感が似てるから祖語は外国語だとか
大学教授でもそういう研究してんだな
なんでヘブライ語に似てる古代日本語となるとトンデモになるのか?
影響はあったと考えるのが当然。
世界はシルクロードで繋がっていたのだから。

628:天之御名無主
08/12/08 15:48:24
ヘブライなんてものはなく、事実はハザールの先祖であり、モンゴロイドの羌(秦)と共生していた可能
性はあると思うね。話は変わるが東北学院大の発掘した興隆窪だが、ロシアの学者は南洋系と見ている。


629:天之御名無主
08/12/08 22:59:24
日本の童謡が好きなユダヤの女の子
URLリンク(jp.youtube.com)

「失われたアーク」の謎を追え!①
URLリンク(jp.youtube.com)

不思議の国イスラエル(1)~Israel is Wonder Land(1)
URLリンク(jp.youtube.com)

不思議の国イスラエル(2)~Israel is Wonder Land(2)
URLリンク(jp.youtube.com)

イスラエルに来てます
URLリンク(jp.youtube.com)

組曲『ニコニコ動画』 イスラエル人 Maya対Ikis
URLリンク(jp.youtube.com)

ヘブライ語版組曲「ニコニコ動画」
URLリンク(jp.youtube.com)

630:天之御名無主
08/12/10 09:47:16
>>628
参照 原シナイ文字から派生した文字体系
URLリンク(ja.wikipedia.org)
アブラハム宗教の伝播とは別に原シナイ文字が広がる過程において随伴的に情報が伝播したと考えた
方がすっきりする。日本ではアヒル文字というのがこの系統と9去れるが阿比留氏に含まれる語根は
ハビル、ヘブライと同じであるのが注目に値する。

631:天之御名無主
08/12/10 09:58:25
シルクロード経由↓で
URLリンク(upload.wikimedia.org)
流れた多くの情報の一部としてヘブライ関連のものがあったと考えられる。

632:天之御名無主
08/12/10 12:28:50
イランで見つかった仏教遺跡は、仏教がアララト山のふもとまで到達
したことを証明した。アララト山といえばもうほとんど古代ヘブライ人、
ユダヤ人の活動範囲だ。バビロニアに大量に捕囚抑留されたユダヤ人が
いたのはアララトのはるか東、仏教発祥地に近接するアフガニスタンだった
仏教はユーラシアを横断したことは認めるが、何故ユダヤ教がユーラシアを
横断したことは認められないか?これを認めないことが日本の歴史学、
考古学の伸展を阻害している

633:天之御名無主
08/12/10 13:01:55
「6・7世紀における皇族および諸氏族の伝承に、新約・旧約聖書の思想が影響を与えてきたことが明ら
かになってきました。具体的には、景行・成務・雄略やヤマトタケル伝承などは、旧約聖書の伝承が影響
を与えていました。一方で、仲哀・神功・応神・聖徳太子伝承などには新約聖書の影響が強く見られま
した。そして、そこには皇族の他、主に尾張氏・物部氏・秦氏等の関わりも明らかになってきました。それ
ら諸氏族がもたらした諸伝承では、ただ単に聖書等の外来伝承が挿入されたわけではなく、諸集団独自
の習俗・観念や全国展開の歴史を反映していることがあります。そこには、5,6世紀代の屯倉進出や、
東西南北ラインや道で支配領域を区切る観念、そのために必要な測量技術や地図作成の知識などを記
紀に見出すことができました。これらの聖書思想や高度な軍事・測量技術の背景には、それぞれの時期
に流入した渡来人の影響なしには考えられないことがあります。特に新羅系の天日矛にまつわる信仰を
もたらした集団や秦氏集団の流れについて、彼らが新羅で強く影響を受けていたと思われるローマ文化
との兼ね合いを考慮しながら、前掲の記紀伝承について考えていく必要があるでしょう。そして、7世紀後
半にいたっては、積極的な遣隋使や遣唐使派遣によって中国からもたらされた外来伝承や高度な石造
技術の影響を見てきました。そこにも、景教やゾロアスター教など、東アジア以外の文化の流れを見出す
ことができ、東洋だけの視点でもはや日本古代史研究を進めていくことはできないでしょう」
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)

634:天之御名無主
08/12/11 14:28:19
既出だろうけど>>1の言い方はおかしい。
バビロン捕囚されたのは南ユダヤのユダ族とベンジャミン族。
彼らは新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアに解放され、
一部はエルサレムなど旧ユダ王国に帰還し、一部はバビロニアに残留したが、
「失われた12支族」はアッシリアによって下層民以外は根こそぎ強制退去させられ、各地に分散、流配されて行方不明になった。
北イスラエルに残留した12支族下層民も一部がエルサレムなどユダ王国領に移住した他は、
アッシリアが入植させたセム系多民族と混血・融合し、後にサマリア人になったわけ。
仮に失われた12支族のうちマナセ族やダン族がペルシアに渡ったとしても、
バビロニアだのバビロン捕囚だのとは何の関係もない。
ネタももうちょい歴史を勉強して出さないと。

635:天之御名無主
08/12/13 15:18:00
URLリンク(ja.wikipedia.org)
参考 留意点(秦氏) 秦悪来の殷王室への入り込みなどは、時代的に言ってレバントが青銅器末期の
動乱時代に入る頃、すなわち、エジプトからアジア系が完全に出てしまう頃に当たる。ヒクソス時代馬、
二輪車、精巧な青銅器鋳物部品、武器で中近東に名をとどろかせたアジア系は、混乱で終止が付かない
中近東を見限り、東方のビルマ、タイ、黄河下流方面に向かったのであろう。殷王室への青銅二輪車、
周への軍事戦略技術提供は羌系秦氏によるものであろう。殷の頃はカラスク文化人がアンドローノヴォ
文化圏にあって交易路を抑えていたようであるが、西周になると次第に月氏/パジリク、タガール等がこれに
取って代わる。秦氏も春秋戦国時代は決して安閑としたものではなく、いろいろ苦労をしている。しかし、
甘粛の四川・黄河両方向への分岐点と言う重要な位置にいたために最終的にはソグド人などとの接触が
出来、これが後々までに続いたようである。


636:天之御名無主
08/12/13 15:24:56
ユダヤ人の聖典の内容はシュメール、中央アジア、エジプト等の原典の寄せ集めであり、日本の記紀
と非常によく似た編集方法、また、時代背景もよく似ていたのであろう。ヒクソス初期からアジア系の
中近東撤退を最初に持ってきているようであり、基本的にはエジプトの一神教を目指したのであろう。

637:天之御名無主
08/12/13 15:42:53
しかし、秦氏はエリートである。腐っても鯛であり、日本に来ても神主や僧侶、商人、医師、商人、の
ようなことをしているのが多い。が、殷周、戦国時代の大きな社会変化は、青銅器→鉄器の武器、
農具が拡散し、縄文時代の日本にまで及んでいることであり、中央政権の統治を離れた武装集団
戎が成立したことである。その残影は日本における物部氏に見ることが出来る。満州・朝鮮の牧畜民
の動物陪葬が、青銅武具埋葬に変わり、それが青銅埋葬具、やがては銅鐸などに変化してゆく。
このうちの武具埋葬時代が戎の時代の思想を最もよく留めている。

638:天之御名無主
08/12/14 04:04:44
ユダヤというよりハッティー、ヒッタイトの流かなあやっぱ?

639:天之御名無主
08/12/14 07:36:25
最近凄いですね。。

640:天之御名無主
08/12/14 09:47:34
ウェブ契丹 - Wikipedia
契丹人の一部は女真に取り込まれ、また一部は中央アジアに逃れて西遼(カラ=キタイ)を建てた。 『魏書』によると契丹、高句麗、室韋、庫莫奚、豆莫婁(扶余の後継国家)の言語が同じとされる。 種族としては諸説がある。 定説ではモンゴル系とされる。 ...
URLリンク(ja.wikipedia.org)
[編集] 各言語での「契丹」
なお、英語で中国の旧名であるCathay、ロシア語で中国を意味するКитай(Kitay)[1]、モンゴル語で中国あるいは漢民族を示すХятад(Hyatad)などは契丹に由来する。[2]
アラビア語・ペルシア語文献では13世紀以前には、契丹や広く北中国全域を指す場合「ハター(ウ)」ないし「ヒター(ウ)」 ?????? al-Kha??'/al-Khi??' と呼ばれていた。
「ハター(ウ)」ないし「ヒター(ウ)」

契丹の元の言葉キタン(Qitan)とは鋼鉄の事である。契丹は民族の神話によると、白馬に乗ってきた神人と青い牛の牛車に乗ってきた天女が結婚して8人の子供をもうけた。これが後の契丹八部の祖先になったといわれる。この伝説は中国の歴史教科書にも紹介されている。


641:天之御名無主
08/12/14 11:44:12
ヒッタイトと秦氏以前にヒッタイトがモンゴロイドであったかどうかと言う問題がある。ユダヤ・基督教
聖典情報だとヒッタイト・アッカド・カッシート等が同族でモンゴロイドとしている。しかし、現在のこの地方
にはモンゴロイドの色影は濃くない。聖典は宗教用のプロパガンダで事実ではないと考えることもできる。
しかし、ある異常な事態、つまり、タタールモンゴルのユーラシア大帝国に匹敵するようなモンゴロイド族
の世界的拡大が起こった頃にユダヤ人という集団が結成されたという歴史的真実を述べているとも取れる。
現在明らかになっているシベリアのセイマトゥルビノ青銅器文化集団の急速な西進、モンゴロイドである
オークネフ文化の南シベリアからカスピ海東南部、インドへの移動の考古学的発見は聖典がプロパガン
ダではなく史書であることを裏付けるようである。

642:SEO
08/12/18 13:06:01
歴史ミステリーで沖縄の海底ピラミッドがエジプトの階段ピラミッドと構造、規模がそっくりだと結論ずけた。
海底にあったということは、氷河期に作られて、温暖化で海底に沈だと考えられる。
フェニキア人が太古に船でやってきたと言う事だろう。
扶桑国という名が中国の史書に書かれている。
フェニキア人とユダヤ人につて、他のHPに在ったが、関連があるらしい。


643:天之御名無主
08/12/18 14:47:17
おそらくそれはこんなもので↓
URLリンク(www.bioon.com)
伝説的説法是,高句麗民族出自我国東北的ワイ貊族,ワイ貊人很早就生活在松花江流域。
《詩経・大雅・韓奕》有“王錫韓侯,其追其貊,奄受北国,因以其伯”。Zhe是周宣王将韓侯封到来
北松花江流域的最好証明。
  有人認為,西周初年,周成王営建洛邑之后召開諸侯大会,参加会議的東北高夷是高句麗族之源。
也有学者根据高句麗族出自北扶余,而将夫余説成是高句麗的族源。Hai有学者根据先商出自幽燕
之地,当大部分商人入主中原之后,余部留在東北,成為東北少数民族的祖先,也就是成了高句麗人
之源。無論高句麗出自ワイ貊、高夷、扶余,Hai是商人,都是古代東北民族,因此,認為高句麗是東北
的古代民族是没有什マ問題的。
URLリンク(www.bioon.com)
高夷とされるが、実はヒッタイトのものであろう。

644:天之御名無主
08/12/18 15:57:43
隋書琉求(琉球)國伝
「人は深目長鼻で胡(中国北方種族)によく似ている。」
「凡そ宴会があると酒を摂るものが、名を呼ぶのを待ってから飲む。
 王に酒を奉る者も亦王の名を杯で一緒に飲むこと。突厥(西方の種族)
と全く同様である。」
URLリンク(w1.nirai.ne.jp)
「煬帝は兵を義安郡(広東省潮安県)から派遣し、これを攻撃させた。高華嶼に至り、また東行二日で
クヘキ嶼に至り、更に一日で流求に至る。南方諸国の人を従軍させていたが、その中で崑崙人が流求
の言葉を非常に良く理解した。」
URLリンク(boat.zero.ad.jp)
隋が流求国から持参した戦利品を見た倭国人は此夷邪久(琉球)
國人所用也る物だと言ったのを記録しているのである。
このあと倭国は隋国との国交が絶えてしまう。
URLリンク(w1.nirai.ne.jp)

645:天之御名無主
08/12/18 16:29:21
無論高句麗出自ワイ貊、高夷、扶余,Hai是商人,都是古代東北民族,因此,認為高句麗是東北
的古代民族是没有什マ問題的。
高句麗の出自がワイ貊であるかどうかはともかく、高夷、扶余はやはり殷人だ。lこれらは皆古代東北
民族である。だから、高句麗を古代東北民族として何らおかしくはないのである。
・・・つまり、東夷とはおしなべて殷の末裔なのだ。しかし、その中にあって沖縄にいた東夷というのは
白人であり、おそらく、タガールの末裔であろう。しかし、九州の地下横穴墳とか、岩戸山の装飾古墳
等には新たな突厥系白人文化も考えられる。九州・沖縄・台湾の東シナ海沿岸部には亀甲墓、派風墓
があるが、ヒッタイト帝国周辺のトラキアなどの葬制を髣髴さす。

646:SEO
08/12/19 00:16:37
縄文式土器は、土器の中では、日本が一番古く、彩色土器は、西に行くほど年代が新しい。
すべて、オリエントから広がったとも言えない。
縄文人が、船を使ってアメリカ大陸に広がったともいわれている。
沖縄の階段ピラミッドといっしょに、アルファベットの原型も出ている。
Nは、蛇をあらわしているらしい。
アルファベットを発明したのは、フェニキア人と言うのは、広く知られている。
そのアルファベットが沖縄の、海岸の岩に刻まれていたし、遺跡の遺物で出ている。
日本の、海人と言われている人の事であろうか?
あるトンデモ本で、中国の歴史書は、かなりオリエントの借用であり、孔子をはじめ、偉人も
バクトリア朝の借用とも書いてあった。
仏教の元祖もミトラ教(密教)が大本らしい。僧侶の儀式とかが、キリスト教に似ているのは、
キリスト教もミトラ教を引き継いでいる為らしい。




647:天之御名無主
08/12/19 16:47:33
安陽、殷文明は竜山文化の基盤を基に北方遼河文明、西方アンドローノボ文化の影響を受けていた。
この頃西洋文明は馬、車輪の実用化、鉄の発見の時代にありながらも、晩期青銅器文明の崩壊、青銅
器の添加合金である錫の不足、失蝋法精密青銅器鋳造技術に欠けていた。そこで安陽と黒海沿岸を
結ぶカラスク・ホライゾンがアンドローノボ文化圏を横断して成立し、馬、車輪を実用化したインドイラン、
アナトリア印欧語コーカソイドはモンゴリア高原の諸民族を中心とし、巴蜀方面の部族と共に安陽周辺
に集結した。カザフスタン出自のカラスク人は遼河方面の高句麗の先祖と連携し黄河から淮河方面に
進出した。これは高句麗の先祖である興隆窪・趙宝溝文化人の出自が中国南部であり、里帰りのような
もの。やがて殷は崩壊、東北出身の部族は朝鮮半島、日本列島に流入し、無文・弥生時代が始まる。
隋の煬帝は高句麗、林邑、琉球といった言葉と共に「島夷」という言葉も使用している。沖縄の海底に
眠るピラミッドはユーラシア文化の大きな謎を秘めているのだ。

648:天之御名無主
08/12/19 17:24:27
大塚初重先生により発見されている長野県大室、合掌式石室墳はヒッタイトがアナトリアに侵入する前に
北コーカサスでドルメンと共に採用していたクルガン下の切妻屋根石室であり、遼東・山東へのドルメン
信仰、つまり、石棺墓の到来はヒッタイト文化がアルタイ・バイカル石積墳文化圏を経て高句麗の墓制
となったものと考えられる。時期的にはアルタイ・カラスク=殷文化期に並行する。

649:SEO
08/12/21 20:13:40
>しかし、九州の地下横穴墳とか、岩戸山の装飾古墳
等には新たな突厥系白人文化も考えられる。
九州のトンカラリンと言う遺跡を、エジプト考古学の権威の吉村先生が、エジプトの
ピラミッドと石の組み方、入り口の寸法、通路の長さが同じであるとTV番組で述べていた。
どうも、通路の構造は、歴史を現していると言う話を、どこかのHPで見た。


650:天之御名無主
08/12/22 11:16:42
スキタイ、これがアッシリア他中東と接触し、後にはトラキアの技術を含む黒海沿岸ギリシャ文化と
接触する。これが突厥に入る。高句麗が隋と戦うために突厥と組む。琉球への隋の侵攻を巡って
高句麗・突厥連合軍が動く。こうした背景がったのかもしれない。つまりこの際にタタール馬踊りが
ジュリ馬となり、従軍したブリャート人の遺伝子が沖縄に残り、豚食嗜好も残った。墓制、城郭には
トラキアの様式が残されこれがグスクとして残る。が、エジプトの太陽神ラーの信仰は既に、ヒクソス
以前にバイカル・グラスコフ文化に到達している。これが突厥にまで引き継がれたと言うことも考えら
れる。


651:天之御名無主
08/12/31 02:26:30
秦氏の苗字ってどれくらいあるの?

652:天之御名無主
08/12/31 14:11:00
少量多品種>651

人数は多くないけど
種類はそこそこあるね。

653:天之御名無主
08/12/31 14:38:48
「欽明天皇がまだご幼少の頃のある日のこと「秦(はた)の大津父(おおつち)という者を登用すれば、大
人になられた時にかならずや、天下をうまく治めることができるでしょう」という夢をみました。天皇は目覚
めてから早速方々へ使者を遣わされて探し求められたところ、山背国紀伊郡深草里に秦の大津父がい
たのです。
天皇はこれを大いに喜ばれて早速彼を宮廷に呼び寄せられ、「今までに何事かなかったか」と問われ
たところ、彼は「別段何もありませんでしたが、伊勢のほうへ商いに行っての帰り道、山(稲荷山南麓の
大亀谷)にさしかかったところ、二匹の“おおかみ”が血を出しながら争うのを見つけましたので、馬より
降り、口をすすぎ、手を洗って『汝は貴い神であるため荒い事などを好まれるが、もし狩人が来たならば
たやすくとらわれてしまうから争うのはおやめなさい』と血をぬぐって山へはなしてやったので、その“おお
かみ”は二匹とも命を全うできました」と答えました。そこで天皇は、「夢で見たとおりの人に会えたのは、
おそらく神のおかげであろう」と仰せられて、彼を厚く遇せられ、やがてにぎわいを呈するようになり、即位
されると共に、彼を今でいう大蔵省の重席に任じたとあります。」
URLリンク(inari.jp)
犬戎を操る秦、犬戎はエジプトのジャッカルの神、シリウスの神、アヌビス、忌部、これはギリシャ、ローマ
でも信仰の対象となるが、日本では稲荷となり、ジャッカルの御真影を正しく留めるのは東京は赤坂、
豊川稲荷の狛犬、これこそ、ユダヤの秘密の神黒い犬、死んでも負けない神である。中央アジアの犬神
がナイルの農耕に律動を与え始めたのは非常に古い時代であった。エジプトに馬、二輪車を持ち込み、
ヒッタイト、ミタンニ、アッカド、エラムを支配した秦はカラスク・ホライゾンを通り、新疆に入り、ヒッタイト
文化圏を帰還したものはドルメンを山東省、遼東に持ち帰った。稲荷とはナイルの豊穣を淀川、木曽川
水系にもたらす神であった。


654:天之御名無主
08/12/31 14:56:17
「「大并(高良大菩薩)、クタラヲ、メシクスルカウ人トウ クタラ氏ニ、犬ノ面ヲキセ、犬ノ スカタヲツク
ツテ、三ノカラクニノ皇ハ、日本ノ犬トナツテ、本朝ノ御門ヲ マフリタテマツルヨシ、毎年正月十五日ニ是ヲ
ツトム、犬ノマイ 今ニタエス、年中行事六十余ケトノ其一ナリ」<()内は古賀注>
 ここで記されていることは、百済からの降人の頭、百済氏が犬の面をつけて正月十五日に犬の舞を
日本国の朝廷の守りとなって舞う行事が今も高良大社で続いているということだが、初代高良玉 垂命が
この地に都をおいた時期、四世紀末から五世紀初頭にかけて百済王族が捕虜となっていることを示して
いる。これに対応する記事が朝鮮半島側の史書『三国史記』百済本紀に見える。」
URLリンク(www.furutasigaku.jp)


655:天之御名無主
08/12/31 17:12:49
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(americaninlima.com)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(www.ten-f.com)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)
これは南米で無毛犬と呼ばれるらしいが、ちょうど殷周革命、弥生初期にエジプト→中国→日本→
メキシコ→ペルーに入る。これはその後にもアマゾン・モホスにおいて隼人紋入りの棺に埋葬される
弥生時代の日本東北・中国山東・遼東出身モンゴロイド巨人王の文化の足跡、日本のダイダラボッチ
伝承と符合している。

656:天之御名無主
08/12/31 17:17:33
ちなみにこの殷・周革命の頃、バクトリア(後の大夏)地方では山の神、田の神の元となる季節的
山里回遊遊牧経済が始まり、中国と中近東を結んでいたハイブリッド集団、カラスク文化人はそうした
経済の遺跡を残している。これも稲荷・犬神信仰と結びつく。


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