07/09/26 02:29:24
伊勢新道ではヤハウェは伊勢外宮に眠るらしい…
そこに祭ったのAc500年・その前もあのあたりに鎮座していたとか。
本当か。
天孫族が舞い降りた情報入手して真っ先に飛んできて行くてを塞いだのが猿田彦命。
猿田彦は天孫の神格が本物である事を見極め天孫といちゃつきその後に嫁として伊勢の地を提供した。
こうすると
ヤハリ旧約に登場するヤハウェと似ている。
ヤコブとの相撲(いちゃつき)
土地の提供。
顔面が光っていた等々。
猿田彦命は石版を守る秘民でわないかな?その後、石版を本格的に隠すに当たり
アークと石版が分けられた、アークは八幡神が御霊として預かり
豊前の国を転々とした(AC500年頃矢幡神社や薦神社・八面山・香春や博多の住吉なども経緯の中にある)
その他移転先は玄松子サイトなど参照。
そして
九州北部でレイラインと結界を完成させたのちに四国八幡浜へ霊線を伸ばし
そのラインに四国八面山を置き、そこからは何故か四国に伊勢とつく神社や地名で
色々な示唆と隠蔽が交錯していて難しいところだ。。
しかし宇佐神宮と国東の各輪塔は伊勢へエネルギー流しているレイラインを構成している
また逆も考えられる。宇佐国東が紀伊半島及び伊勢
福岡京都郡や豊津などが京都、大阪が博多。九州からの民族の大移住もあったのでわないか。
アークを預かった経緯のある神社本殿の社は二重本殿となっていく。
そして、、後ろの正面だぁれ~と、流布した徳川家康は徳川家末代までの将軍任命を朝廷に対する圧力とした。
後ろの正面とは八幡神の奥本殿や外宮の事と朝廷の多神教を指す。