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大分の古代美術>仏教美術の華>第三章(2)神像の遺例
…元来、神道には偶像崇拝の習慣はない。神を象徴する神聖な鏡、剣その他の神器を「御魂代<みたましろ>」としてあがめ、
あるいは社の背後の山や湧水などを御神体としていた。所が仏教がわが国に伝来し、…仏像が礼拝されるようになると、
人々の間にも偶像を崇拝する思想が行き渡り、…特に7世紀末頃からは、仏教普及のため日本古来の神と、
仏とを融合させようとする動きが芽生え始め、8世紀に入るとそれは益々具体化する。
例えば天平勝宝元年(749)奈良、東大寺大仏の鋳造を行うに当たって、宇佐八幡神を…奈良の京へ迎え、
梨原に新殿を設けたこと(『続日本紀』)…。
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【ワープ日記インデックス】>[98年3月2週]>980313a[ daily life / 日常生活(金)]
…神道も…拝んだ先には、鏡とか岩とか、神様が宿る「依代(よりしろ)・霊代(みたましろ)」が
置いてあるわけで「神様そのものズバリの像」は置いてないわけだ
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