08/10/10 15:16:05
おれの考えでは、日本人というのは東南アジア(江南)O系統とD系統のコラボで生まれた。
その準備段階のようなのが、縄文時代。
じゃあ、弥生になってどういう変化がおこったのか?
>さらに近年の炭素14年代測定法により弥生時代の始まりが少なくとも紀元前10世紀まで遡る
>可能性が出てきた。弥生時代前期初頭の水田遺構は、福岡平野の板付遺跡や野多目遺跡、
>早良平野の橋本一丁田遺跡等で発見されている。
>「最初から稲作の方法は変わっていない」池橋 宏によれば、最古の水田である弥生時代の
>初めの岡山県津島江道遺跡はいわゆる小区画水田で、それには水口もついている・・・。
>同じ初期の福岡市の野多目遺跡では、大区画水田・・・。というように現代と同じ水田システムが
>あったとしている。すなわち水田技術は最初から完成されていた。
つまり技術革新。特に灌漑方法での飛躍的な技術革新が見られた時代があったようだ。
しかも、これはかなり日本に特化した技術のようだ。
で、それは稲作をもちこんだO系統と灌漑技術にすぐれたD系統のコラボじゃないか?ってはなし。