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>>327
>北京の新聞で見る歴史のページ
「黄河のほとり。中国のユダヤ人の末裔」
北宋の始め、100人のユダヤ人コミューンが開封郊外に住み着いた。
今はまったく同化してしまった彼らの歴史を紹介する。
北宋の始め、当時の世界最大100万人都市・開封に西方から
ユダヤ人の集団 100余り人がやってきた。
当時の開封にはすでに商売のため住み着いているアラビア人や
ペルシャ人も多くいたので、開封の人々にとっては物珍しいこともなかった。
当時の北宋政府は西のモンゴルと北の金と敵対していたため、
同じ西からやってきた彼らにも 警戒を怠らなかった。
そこでまとめて開封の郊外に住まわせる。遠すぎても目が届かなくて 不安だし、
近すぎても危険、というわけである。
彼らはなぜ中国にやってきたのか?その歴史は6世紀の中央アジア、
ブハラにさかのぼる。 ここには東方ユダヤ人コミューンがあった。
土地が肥沃で豊かなこの地方に 人々は静かに暮らしていたが、
やがて8世紀、中央アジアにイスラム化の波が押し寄せる。
アラビア人と突厥人の圧迫の下にユダヤ集団ははさらに東を目指した。
そして北宋の首都 開封に現れたのが、10世紀の末である。 抜粋