07/04/12 19:11:13
>極端な肉食の禁忌が展開されるわけですが、
どうも仏教に禁止されて食べなかった、という気はあまりしないのですね。
家畜の屠殺自体、猪飼部などがあったものの定着せず、元々あった狩猟獣や
魚介を食することがその後も残ったように思います。
家畜を食べなくても生きられる文化圏だったのが大きいのでは。
(日本より寒冷で麦の生産性が悪かった欧州では、冬期の塩漬け肉は欠かせ
ませんでしたし、中国でも牧畜なしではやっていけない土地が多い)。
漁や猟自体を否定する仏教の説はあったものの、だからといって生業自体を
否定する訳にもいかず、中世には『沙石集』や『発心集』や『神道集』などに
見られるような、殺生祭神思想が定着している。
この説は、神に生贄として鹿や猪を始めとした鳥獣が捧げられていたことに対
して、「本地は仏なのに何故殺生を容認されるのか」という疑問が仏家に生じ
たことに由来するもので、本地垂迹説の成立期には、生贄自体を止めさせよう
という動きもありましたが、後に「結縁」と考えられるようになりました。
生贄を捧げた人も、捧げられた動物も結縁往生出来るというもの。
少なくとも、中世には殺生自体は問題となっていません。
支配階級で牛馬というか獣肉料理が発展しなかったことには、死穢思想の影
響が強かったと思います。ケガレではなく、死穢。
『延喜式』以下で対処が細かく定められたものです。
恵比寿云々は、水死体をえべっさんと呼んだことでしょうか。
この習俗自体が確認出来るのは、そう古くはないと思います。
元々は西宮の戎という神で、鎌倉時代には同社の三郎神と習合して戎三郎と
呼ばれ、阿弥陀ないしは不動が本地とされた神ですが、水死体云々が見えて
くるのは近世だと思います。