07/04/07 16:03:23
>徳川慶喜
儒教文化を崇敬して故意に肉食を行っていた徳川光圀の後裔(直接の子孫で
はありませんが)という点も無視できないのでは。
父の斉昭の思想も、今から見るとかなりいっていた。
それに、いくら好きだといってもわざわざ食品の名を綽名にすること自体が
豚食いが珍しがられていたことを示しているように思えます。
彦根には牛肉の味噌漬けがありましたが、例外的なものでしたし。
猪食いは書紀や続日本紀には出て来るのに、10世紀以降は出てこない。
貴族たちの狩猟も(鷹狩りを除いて)それ以降は軍事貴族以外だと「その家
(兵の家)出身でもないのに」と言われた一部の例外を除いて消えます。
『明月記』に貴族の獣肉食いが記されて「かつてはなかったことだ」と慨嘆
されているように、その後も獣肉から離れたりついたりしていたようです。
「かつての日本」と一括りには出来ないでしょうね。
時代や地域、水戸のような土地だと土地というか藩の志向もある。
近世になると、排仏家の発言が大きくなったことも重要。
幕末には病で死んだ牛の肉を食わせるような店も大坂などに出来ており、家
の庭先(ケガレを持ち込めないので)で鍋にする人もいましたが、明治にな
るまではやはり少数派だったと見ていいでしょう。
それに、比較的よく見られた軍鶏鍋屋同様、まともな人が出入りするような
店ではなかったそうです。