日本における肉食文化at MIN
日本における肉食文化 - 暇つぶし2ch204:天之御名無主
04/01/25 18:29
>203
「その辺の草」というが、ある肉牛農家では成牛7頭子牛7頭飼うのに飼料畑90アールも使っているという。
この規模でも1年1産は望めないそうだ。とすれば、毎年1頭を食肉用に出荷する為にはこの倍ぐらいの規模が必要になるだろう。
180アールの飼料畑で成牛14頭、子牛14頭だ。

飼料畑を確保できない場合は当然どこかから刈って来るか、草の多い場所に放してやるしかない。
お前さん、90~180アール分の草を確保するのがどれだけ大変か分かってるのか?
特に冬場に供えての飼料の確保は大変な労働になる。

羊や山羊の飼育はもちろん可能だったと思うが、もともと野生種として日本に生息していたものではないので
国外から持ち込まなければならない。また、それと同時に牧畜という技術も同時に渡来しなければならない。
この技術と飼育種の同時渡来が実現しなかった為に日本では「食肉用に家畜を飼育する」という概念が定着しなかったと思われる。

205:天之御名無主
04/01/25 20:14
>>204
そのとうりだろうね。

馬なんて、江戸時代は、蹄に草鞋を履かせて使ってたぐらいで(笑)
武士なんて天下太平の世の中で騎乗技術すら衰退したという(笑)

まぁ、牧畜文化が栄えなかったお陰で、今の日本があり、
戦争もなく平和で、食をめぐって争いもなく、
米と魚と発酵食品が発展した。

あぁ醤油様々

ゆえに、日本が、あの中国という大国より発展したんだろうね
未だに、日本の江戸時代以下の生活している部族もいるぐらいで・・・


206:天之御名無主
04/01/25 20:22
畜産家として生活を成り立たせるのは難しいと思う。
食用肉を市場に広く流通させるのもきついものがある。
でもね、何も牛しか飼わずに生きていかねばならない事もない。
飼料供給の問題だが大型機器の使用に適した牧草地をまとめて確保するのは確かに難しい。
だが放牧地としてなら雑木林でだって用を足せる。
羊に関してだが渡来の盛んだった日本で国外からの持ちこみがなかったとはまず考えにくい。
姓に羊がつく渡来人もいるが、この人たちが主に何をやってたかは言うまでもないでしょ。
日本で畜産が不可能ではなかったと言いたいだけ。


207:山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM
04/01/25 22:09
>>206
馬の草鞋は蹄鉄の代用であり、山中を行くことの多かった日本ではぬ
かるんだ際の滑り止めの役目も果たした合理的なもの。
羊自体は奈良時代に上野で毛氈用に飼われていたそうですが衰退し、
平安時代から何度か輸入されましたが定着しませんでしたね。

208:天之御名無主
04/01/25 22:55
>>206
単純に気候の違いでしょ。

湿気が多い日本では、酪農食品の保存が難しかった。

209:山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM
04/01/25 23:01
一応チーズ類らしきものでしたら律令制下において中央に送られてい
たようですが、そこまでして口にする必要もありませんでしたからね。
モンゴルみたいに乳製品(とたまに肉)中心でないと生きていけない
土地ではありませんから。

210:天之御名無主
04/01/25 23:52
>206
>飼料供給の問題だが大型機器の使用に適した牧草地をまとめて確保するのは確かに難しい。
>だが放牧地としてなら雑木林でだって用を足せる。
なおさら大変だろうが!
「草のいっぱいあるところに繋いで置けばいいや」ぐらいに考えてるんだろうが水はどうする?
水場と餌場が確保できる場所なんぞそうそう無い。では刈ってくるのか?
牛1頭が1日に食べる量は15kgだ。「1日」で「1頭分」で、だ。
そもそも刈る作業からして手作業だ。重労働になるのは目に見えている。

なるほど牛でなくてもいいわけだが羊の場合ではそもそも視界の悪い雑木林でどうやって絶えず数を確認するのか?
熊はもちろん当時の日本には狼という捕食獣もいた。子羊なら狐の餌にもなりうるだろう。数の確認は欠かせない。
それと、雑木林でどうやって群れをコントロールするのか?という問題もある。
こうしてみれば雑木林での放牧は無理とは言わないが困難なのは明らかだろう。

仮に放牧に適した平野があったとしてもそこは既に稲作などに使われているはず。
日本で食肉用の畜産が定着しなかったのはこの辺りに理由があるのでは?

211:山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM
04/01/26 00:15
甲斐・信濃一帯での馬の放牧は古代から盛んであったようですよ。
西日本では川辺を利用して飼育していたようです。
まあ運搬に便利な牛馬の代りはなくても羊代りの食料源ならなんとか
なりましたからね。

212:天之御名無主
04/01/26 01:36
やっぱり一部では飼育されてたんだね。
でも大量生産は難しいみたいだから一般的にならなかったっていうのもうなずける。

聞いた話だと、肉牛一頭を一年飼うためのの飼料(とうもろこし)用の農地などからすると、
牛一頭につき実は6人の人間を養うことができるそうだよ。
食肉用の畜産なんて、ほんと贅沢なはなしだよね。

世界にはいまだに飢えに苦しむ人々がいます。
世界全人口で食料を平等に分け合うと、腹七分目か、六分目くらいしか食べられないそうです。
飽食の時代だなんて、人類の歴史の一瞬に咲いた徒花だと思ってないと
いつか痛い目みそうな悪寒。

213:天之御名無主
04/01/26 11:05
>>212
アメリカって国が出現した理由は、ソコにあると思う。

地理的・気候的に貧しかった西洋人から科学がうまれ、市民革命があり、今のアメリカがある。

で、黒船で今のイラクのような理論で日本を開国させたが、
実は当時の日本人は、支配者よりも国民の方が豊かだったし、
何よりも市民平等だった。
自然や地に足を付け生きていた。

富士山に参るのも、伊勢に参るのも、基本的に全国民、徒歩だった。

今の車の元祖である、馬車が無かったのは、
飛脚や馬子の仕事が無くなるし、日本全土の道を石畳にすると、
夏の照り返しで気温が上がるし、雨季のある日本には適さない、
何より、交通事故という新たな人為的問題が発生してくる、
と幕府が分かっていたから。

>>211
「牧」という場所で古来から放牧は行ってたらしい。

214:天之御名無主
04/01/26 18:19
>213
最後の1行以外ほとんど意味不明(特に前半)

日本で馬車が発達しなかったのは馬の体格が小さく非力だったから。
後はみんなで適当に突っ込んでやってくれや。

215:天之御名無主
04/01/26 19:07
↓任せた。

216:天之御名無主
04/01/26 21:54
>>214
そう?

217:天之御名無主
04/01/26 22:00
>>212
なにか熱いものに燃えてるのはいいことだからいいじゃないか。
たぶんまだ高校生か大学生くらいなんでしょ?

しっかり勉強して歴史事実を学べば、有為の士はいつか花開くさ。
まあ、修行中の身の上であんまり解ったような口を利くと叩かれるから
それだけは気をつけることだね。

218:山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM
04/01/26 22:35
>>213
荘園で「牧」といえばそのまま牧場。肥後や信濃に多く、両地で馬刺し
がよく食されるのは当時の影響かもしれないという意見もあります。
(私はどうかと思いますが。ちなみに網野先生の御説)

219:例の170 ◆vBOFA0jTOg
04/02/03 23:15
諸事情によりてお蔵入りになった文をもったいないのでここに投下してみる。

鎌倉時代
『庭君往来』に記述がある初献の料・削物・生物・塩肴 全44種のうち、獣肉が塩肴として7種、
具体的には、干鹿・干海豚・豚焼皮・熊掌・狸澤渡(狸の脚)・猿木取(サルの腕)・海豚が
挙がっている。
『捨芥抄』の食べ合わせのタブー六十種中の獣肉として、大豆+猪・麻子+六畜肉・熊+塩・芹+生猪肝
・鮎+野猪肉・鮒+猪肉・李(スモモ)+牛肝・蝦+鹿肉・猿+鰤・蕎麦+猪羊肉
がある。
同じく『捨芥抄』の「十二月食物禁」に、正月に宍(しし(獣の類))、九月に猪肉が挙げられ、
『簾芥抄』の「月々くわぬもの」に「二月 い(狗)をくわず」とあり。

室町時代
もてはやされた肉魚類65種のうち、魚介が41、鳥類が17、獣肉が7種。
魚甫(一文字「いるか」)、海鹿(これも「いるか」)、鹿、猪、狢(まみ)、狸、熊
『尺素往来』に臚腸羮(皮と腸の羮?モツ煮込みか?)・笋羊羮(筍と羊の羮?)などが挙げられており、
「此の間霧雨に依りて美物得難き候といえども、四足者、猪、鹿、羚(カモシカ)、熊、兎、狸、
猯(アナグマ)、獺等(以下鳥禽類が並ぶ)済々尋ね出て候也。」という文がある。
『大草家料理書』にもむじな汁、獺の毛肉煎料理などの記述あり。
江戸前期に成立した『料理物語』では、羚・羊・牛・獺・鼠肉を上食と、鹿・猿・狗を中食、猪・狸・狼
・猫・熊肉を下食としている。

以下 桜井秀・足立勇著『日本食物史』雄山閣出版、山内昶著『「食」の歴史人類学』人文書院 より。

220:天之御名無主
04/02/10 10:09
吉野屋問題

221:天之御名無主
04/02/19 21:46
>>193
>殺生戒にふれるとし禁令がで...日本人の食生活も体格も貧弱になる..
肉食禁忌のなかった同時代の琉球人の体格が長躯豊満だったという説はきかないがね。

222:天之御名無主
04/02/20 03:05
スレリンク(occult板)

>>1が祖母の家の蔵で「鬼を封じ込めた塚がある」との記述のある巻物をハケーン

巻物名 「三代木塚縁起」
大正13年、往古よりの鬼あらわれこの鬼、夜毎墓あばき死肉を喰らい暴れ、村荒廃し古の面影を存せず荒蕪地となる。
村民、村の再興を発願するも巡錫の稀代の僧あらわる。
この僧、霊刹の高僧なりて自ら刀をふるい火を焚き宝珠により鬼を封ずるも自らも示寂す。
村民高僧をうやまいて鬼を恐れ宝珠とともに納経塚石塔を築きここに念込めを行い謹んで縁起の一端をしるす。
ただし高僧をうやまいて火をとれ。
大正13年2月

昭和に書かれた物らしい
実はA3ほどの掛け軸らしい


秩父のばあちゃんちの裏山にあるらしい
この左側の塔に似ているものが建っているらしい
URLリンク(www.avis.ne.jp)
五輪の塔タイプ?

週末に>>1は宝珠&鬼の骨を捜しに行く。(決定)

223:天之御名無主
04/03/23 00:26
>>219
>塩肴として7種
熊とかマンガン全席みたいだな。

224:天之御名無主
04/04/18 20:50
>>193
>幕府は日本人の体躯を抑えることにより、権威の安定をはかる
庶民の肉食を禁じたことに加えて、支配階級の武士は肉食を続けて体格の維持を図らないと意味ないね。


マグロは江戸前寿司ではヅケが主だったんだろ確か。

225:天之御名無主
04/07/30 14:04
URLリンク(www.geocities.co.jp)

涙が出ました
ここのサイトで豚の殺される動画も見ました
これが現実なんだと思いました

226:山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM
04/07/31 14:57
満漢全席では、満州風に炙るか焼くかした獣肉を出すのが決まりであ
ったとか。これが無いのはツアー客向けの詐欺料理だそうです。
支那の獣国食いについて、16世紀半ばに書かれた『塵塚物語』の作者
は「我が国は豊かな国である。しかし唐土の人は穢れた獣国を喰らい
、またなんでも食べるので食中毒で死ぬ者が多い」と記しています。
書き手が中流貴族であったという事を考慮に入れても、肉があまり求
められていなかった事は想像出来るかと。同時代の『言継卿記』には時
々獣肉入り鍋というのが出て来ますが、わざわざ求めていたものでも
無さそうです。

227:天之御名無主
04/08/01 03:04
今夜はトンカツ?それともチキンカツにする?
URLリンク(www.petatv.com)

228:天之御名無主
04/08/01 03:45
a

229:天之御名無主
04/09/03 01:54

ご協力お願いします。

動物実験反対の署名送り先
〒162-0823 東京都新宿区神楽河岸1-1
東京ボランティア・市民活動センター メールボックスNo.65
STOP ANIMAL TEST CAMPAIGN 実行委員会
署名用紙↓
URLリンク(stopanimaltests.net)

今は動物実験に変わる、安全で最も確実なパッチ法があります



230:天之御名無主
04/09/05 14:43
>>193
蝦夷のハーフである空海も肉は食わなかったという事か。
肉をうどんに変えた空海

231:天之御名無主
04/10/11 15:39:42
URLリンク(matsuya.dyndns.tv)




232:天之御名無主
05/01/03 16:18:53
>>193
>殺生戒にふれるとし禁令...
犬公方徳川綱吉以前にも、個人の信心上の都合で殺生禁令を出した権力者が
いたと聞いたことがあるが、誰だったかな。

233:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/01/03 16:32:15
白河院でしょう。『古事談』や『古今著聞集』に、それに関係して逮捕者が出た
逸話を記しています。『今鏡』は賞賛していますが、庶民には迷惑な話。
『古事談』
「公の罰なら流罪で済みますが、武士が重科と言えば、斬首しかありません」と
言い、捕まる方がましだと、命令通り鳥を捕らえた武士を流罪に処す。
『古今著聞集』
母親のために、魚を捕らえていた僧侶を放免。

234:天之御名無主
05/01/04 16:27:06
>>233
12世紀のことでしたか。魚も禁令対象とすると、何から蛋白質を摂取して
いたんだろうか。

235:天之御名無主
05/01/05 01:15:08
大豆

236:天之御名無主
05/01/05 01:16:07
要は牛や豚はそれらが役に立つ家畜だから、食べてしまうのはタブー視されてたが、
イノシシ等の野獣は家畜にはならないので、食べてもよかったって事でしょ?

237:天之御名無主
05/01/06 23:39:48
>>236
>牛や豚はそれらが役に立つ家畜だから..
牛馬は農耕や運送の労役にと解るんだが、豚って何の役に?

238:天之御名無主
05/01/11 13:12:20
猪は部落民の食べ物だろ

239:天之御名無主
05/01/22 19:58:20
>>238
僧も賎民なのかね。坊主の隠語の山鯨を想起してみよ。

240:天之御名無主
05/01/23 16:28:29
「明治まで肉をたべなかった」というのは表向きなのでは?
たぶん、食べるものが無かった人たちとかは動物の死骸、
最悪の場合、死体の肉をむさぼっていたんじゃないかと
昔から考えているんだが…。


241:天之御名無主
05/01/25 10:36:55
>>237 漏れも一瞬考えたが、やめた。
絵はどれもガイシュツだし、何よりそれだけで定価980円は高すぎる。

242:天之御名無主
05/01/30 12:17:48
>213
・それは都の防衛上の理由
幕府が都を機動部隊で攻めさせない為に、車の製造を制限したり、車道を整備しなかった。
関所を作って通行税をとったり通行を許可制にして制限した。

関所の標語は、「出女に入鉄砲」(でおんなにいりでっぽう)。
人質として江戸に住まわせている大名の奥さんや娘が逃げるのを防止し、
暗殺用の鉄砲が江戸に入ってくるのを監視する。

・蓄財させない為の工夫
町人に「宵越しの金を持たせない」という浪費をさせて蓄財させないことを美徳としたり、
(生活を楽しむ浪費が世界最大の市民文化を生むことにもなったが。)
大名は参勤交代で浪費させ、蓄財により軍備を増強できないようにした。
車を禁止したので移動が遅く、大人数を数多くの宿場に泊め大金を使わなければならない。
謀反を起こしそうな大名は外様大名として遠隔地に領地を定め、参勤交代に莫大な費用がかかるようにした。
外様の近所には、幕府直属の天領という領地を設けて直接監視した。

>214
鍬を引かせる大きな農耕馬や大きな牛がいた。


243:天之御名無主
05/01/30 12:59:59
人間の中では黒人がおいしいと本に書いてあった・・・

244:天之御名無主
05/01/30 13:10:19
ほんなら日本人は水っぽそうだね

245:天之御名無主
05/01/31 00:30:53
>>214
中国西南部も木曽馬より小さくトカラ馬と同じぐらいの小型馬だが、
馬に車をひかせている。訓練すれば能力があるのだろう。
馬車は中国漢人的でモンゴルや古代高句麗、西日本に牛車はあっても、
馬車文化は無いと思うのだが。
東日本は牛車もなく、牛に犂をつけて引かせる習俗も西日本で発達し、
東日本では少ないといえる。
>>240
上田秋成の「胆大小心録」(文化五年、1808年)に京都の祇園で
「大牢滋味は知らねど、芋やら、ふぐやら、牛肉やらで」と京都では
牛肉は惣菜として食べられた。
伊勢桑名の下級武士渡辺平太夫の天保十年十二月(1839年)の
日記に、孫の誕生祝いに牛肉二百文買い、牛肉がなくなるまで毎日
孫は、牛肉をねだったとある。
「徳川禁令考」にも美濃、近江、備前、備中、備後、石見等は自粛しろ
布令が元文三年にでた。近江では牛肉味噌漬を将軍家へ献上品と
なっていたし、広島東部の備後では牛肉をヘカ(鋤)食いともいう。
現在でも西日本は、東日本より牛肉消費が多いのだろうが。

246:天之御名無主
05/01/31 00:52:33
北陽の伊藤ちゃんは喰ったらうまそうだ。

247:天之御名無主
05/05/07 10:26:56
いろいろ面白い話がありますねぇ。
日本人の肉食に関して私が面白かったもの。

松井章『環境考古学への招待』-発掘からわかる食・トイレ・戦争-(岩波新書 2005年1月)
のびしょうじ『食肉の部落史』(明石書店 1998年11月)
佐々木道雄『焼肉の文化史』(明石書店 2004年7月)

皆様も肉食に関して面白い書籍があったら教えてください。

248:天之御名無主
05/05/18 00:21:53
>>247
私が、最近読んだもので面白かったものは、

市川健夫著『日本の風土食探訪』白水社。

164ページ以降に、日本人の歴史風土、地域による
食肉文化について、牛肉や馬肉から野獣肉まで書かれてます。

西日本の牛肉食習慣と牛車、犂文化の関連や牛の品種、
あるいは、大型馬より中型馬の方がおいしい等、
味についての評価もあり、とても面白い本でした。

249:天之御名無主
05/05/30 23:04:36
日本に脳みそを食べる習慣がある所があると
聞いたんだが本当にあるんだろか。
脳みそ・・・クリーミーな感じかな。

250:天之御名無主
05/06/19 02:00:49
いわゆる「朝鮮焼き肉」

これも日本の肉食文化ですかねぇ?

251:天之御名無主
05/07/17 00:06:28
>>250 「朝鮮焼き肉」
まあ今の日本にある焼肉屋さんのスタイルは、
日本に来た朝鮮の人たちが日本で商売を始めて
だんだんと一般に定着したというところが真相でしょう。
「日本で普及した朝鮮風の肉食スタイル」と言う点で
日本の肉食文化といえるのではないでしょうか。


252:天之御名無主
05/07/27 20:00:14
亀ですまんのだが・・・。
>251
>まあ今の日本にある焼肉屋さんのスタイルは、
 日本に来た朝鮮の人たちが日本で商売を始めて
 だんだんと一般に定着したというところが真相でしょう。

「在日」が嘘を付いているのを、鵜呑みにしてはいけません!!
コピペで悪いのだが・・・・・

「今のスタイルの焼肉は、七輪を使って焼いたのが起源である。そしてその七輪は、大陸や半島に
一切ない。七輪のベースとなる珪藻土は、極東で石川県でしか取れない。
焼肉は、韓国起源などと言うバカな在日がごまんと居るが、道具の歴史から見ても明らかに
日本料理であることは明白な事実である。なお、焼肉自体もスライスされた新鮮な肉を流通させる
為の社会システムは、当然中国、半島にはなく、日本で焼肉が爆発的に普及した1950~1960年は、
朝鮮戦争で朝鮮人が料理文化を育む余地は一切ない。また、今でも海外でスライスされた肉を
簡単に入手できる地域は、半島と台湾ぐらいなものである。焼肉の本場は韓国であると言うのは
明らかな妄言で、文化乗っ取りの呈のいい例である。」

253:天之御名無主
05/08/01 12:45:39
死んだばあちゃんは、肉は食わなかったな…

254:天之御名無主
05/08/01 13:44:20
>>250-252
つーか、「肉を適度な厚さに切って焼いて食う」なんて
世界中どこででもやってるだろ。起源もへったくれもねーだろ。


255:よふぁほ
05/08/01 16:50:14
又邪魔しただろ、中沢先生!

256:ひで
05/08/01 17:43:13
・・・・・・??


257:天之御名無主
05/08/01 19:53:07
仁丹、、、、、、人胆? ひぇ~~食人の痕跡が現代に、、、

258:天之御名無主
05/08/06 20:51:39
てか、豚の家畜化の議論についてだれもふれていないのは何ゆえ?

259:天之御名無主
05/08/11 04:25:09
肉食忌避は仏教伝来以来の観念なのかな? 『古語拾遺』いわく、
「御年神(田の神と考えられる)が、農民が牛肉を食したことに怒り、
イナゴをその田に放った。困り果てた農民がその理由を占うと、これは
御年神の祟りであるから、白猪、白馬、白雉を供えるべきと出た。その後怒りを
鎮めた御年神がいうには、「イナゴの害がおさまらないなら、田の水口に牛の
肉を置け」と。農民らはその教えのまにまに実行したところ、見事豊かな田が復活した」

これは単なる一挿話のあつかいではなく『延喜式』祈年祭でも、御年神だけは
その供物が馬、猪、雉と規定されている。

田の神たる御年神と、ケモノの肉との関係。よくわからないけれど
狩猟採集民が農耕民化する過渡期の、観念的混乱期というのがあったのでは
ないかとも思う

260:天之御名無主
05/09/14 01:31:19
>焼肉自体もスライスされた新鮮な肉を流通させる為の社会システムは、当然中国、半島にはなく
>略
>今でも海外でスライスされた肉を簡単に入手できる地域は、半島と台湾ぐらいなものである
>略
>焼肉の本場は韓国であると言うのは明らかな妄言

???

261:天之御名無主
05/09/14 22:23:43
焼肉のタレは醤油ベースなんだが。
どちらにしろ現代風の焼肉は戦後うまれたものなんだから起源を議論するのはナンセンスだな。

262:天之御名無主
05/09/17 04:21:04
昭和まで続いてたこと、何県までは限定しないけど。無論食うものも無くて仕方なかったらしいけど。

263:天之御名無主
05/09/19 23:44:43
元禄時代の日本人と縄文時代の日本人(庶民)を比較したところ、以外なことに縄文時代の方がいいものを食っていたそうだ
縄文時代は狩猟採集生活で肉食が多かったが、元禄時代は肉食が極めて制限されたことが理由だろうな

264:天之御名無主
05/09/25 12:37:29
一体何事? この支那&コリアンだらけスレは?

265:天之御名無主
05/09/25 13:12:01
狸汁は面白い。最初は狸の肉を入れて食されていたようだが、獣臭さで敬遠され、肉の代わりにこんにゃくを使用されるようになった。

 でもそれでもそれを狸汁と言っている。肉を肉でないように表現(山鯨や牡丹等)して食べるのはるけど、わざわざ肉でもないものを肉の名前をつけて食べるのは珍しいのでは。

266:天之御名無主
05/09/28 23:16:33
ここであがる

犬をよく食べていた地域

は、今とても在日朝鮮人が多い件について

267:天之御名無主
05/10/01 18:41:01
ムジナ汁と言っても実際に使われる肉はタヌキよりもアナグマの方が多いのだよ
アナグマは狢と呼ばれてタヌキは混同されることが多いけど、まったく別の生物だしな

268:天之御名無主
05/10/01 23:28:38
>>266日本人も昔は青森とか犬を食べていたのだよ。在日とは関係ない。

269:天之御名無主
05/10/01 23:41:08
天保の頃は、関東でも人肉まで食ったらしいが・・・

270:天之御名無主
05/10/02 03:46:27
國ゆずり最後の抵抗者タケミナカタ→諏訪が
肉食許容の土地であったことは
文才ある人ならいろんな妄想をつづってくれるはず

271:天之御名無主
05/10/04 07:32:49
>>268

昔ってどんくらい?

272:天之御名無主
05/10/04 10:31:27
>>268
昔ってどのくらい遥か昔のお話よ?

273:天之御名無主
05/10/04 10:33:39
>>268
青森の豪族が食べてたとか? にんにく卵黄やずややずやみたいな?


274:天之御名無主
05/10/04 11:42:10
>>1
むしろ、昭和でも食べてない。 下手すると、平成でも食べてない
人もいるくらい。肉食における日本文化というのは根が深い。

275:天之御名無主
05/10/05 14:17:32
あなた方のおばあさん達は肉を食べますか? 食べないでしょう?
食べないよね?

276:天之御名無主
05/10/06 00:30:19
年取ると消化が悪くなるから・・・だったりしてw

277:天之御名無主
05/10/06 02:47:06
年寄りが好むのは、肝や腹、猪の頬あたりか?

278:天之御名無主
05/10/06 21:01:48
日本人は貝食文化でしょう。あれだけの貝塚を気付いたのです。
手先が器用なのも、出っ歯なのも、脚が短いのも、すべて貝食
行動に特殊進化したため。
日本人がぺこぺこおじぎするのも、太古の長かった縄文時代の
なごりで常に足元に貝がないか探している擬態行動なのである。

279:天之御名無主
05/10/09 16:38:18
>>278
貝がらより獣骨の多い貝塚もけっこうあるそうだ。
「歴史のなかの米と肉 原田信男 平凡社 2005」

280:天之御名無主
05/10/09 16:50:32
江戸時代の飢饉のとき、
じーちゃんやばーちゃんを、むしゃむしゃしてたって
ほんとでつか?

281:天之御名無主
05/10/09 17:01:46
日本人は犬は食わない

282:天之御名無主
05/10/09 17:03:38
>>279
それは大陸からやってきたツノガアラヒト等の渡来系のゴミ処理場
に違いない。

283:268
05/10/09 23:57:24
>>271


女優の奈良岡朋子さんがラジオで言っていたよ。子供の頃の話しだから昭和初期だな。

284:天之御名無主
05/10/10 01:02:40
心理学から言って、物凄い好きな人と物凄い嫌いな人、いざ食べるとしたらどっち食べるかと
尋ねるかと問われると圧倒的に前者が多いそうだ。
まあ、気持ちとしては何となくわかるわな
どっちを殺すかと問われると多分、後者を答えるだろうが

285:天之御名無主
05/10/10 08:12:33
>>283
昭和初期には朝鮮人がいたでしょう。

286:天之御名無主
05/10/10 08:21:17
食糧難の時代には肉の種類を選んでいる余裕もなく食べることがあったのは当然のことだ
戦後間もない時代には私の家で飼っていた犬が盗まれてしまったこともあったらしい
盗んだ奴を探して捕まえてみると、バラしてウドン屋に売る前だったらしい
肉と骨になった犬を引き取って埋葬したそうだがな

287:天之御名無主
05/10/10 11:31:48
>>285


青森の普通の農家での話しだ。朝鮮人とは関係ない。

日本人は狸とか食べるんで犬も食べてもおかしくないと思うけどな。

もちろん七曲署の捜査一課の課長も在日じゃないよ。

288:天之御名無主
05/10/10 13:43:19
ニポーン人はイナゴ食ってろ

289:天之御名無主
05/10/10 13:45:05
『料理物語』(寛永20年、1643年)にも犬の吸い物と貝焼が
載ってます。
日本人が歴史的に家畜の肉で一番多く食べたのが犬肉でしょう。

290:天之御名無主
05/10/10 14:54:48
家畜の肉ばかりか日本人は人肉まで食う。

291:天之御名無主
05/10/10 17:04:33
実際日本の総理大臣にも人を食って生きていると公言した人もいる。

292:天之御名無主
05/10/11 20:21:09
人肉・犬を食った話は隣の家のじいさんが言ってた。
戦争当時、どうしても困って食べたんたそうだ。

ただし、生きてたのを殺して食べたんじゃなくて
死んでたのを食べたそうだ。

どちらの肉も臭くて食べれたもんじゃなかった。
もちろん人間や犬を食うという罪の意識で
一口食べてその後はきちんと墓に埋めた

だそうだ。近所の墓地にその墓があるよ。

293:天之御名無主
05/10/12 12:11:50
確か古い本に猟師が赤剥けた肌になる病気になってしまった記載がある。
書物には彼らが殺して食べたウサギのたたりだと解釈されているな
しかしこれは明らかに野兎病だろう。
人畜共通感染症の一つで、ウサギについた病原体が感染したものだ。
まあ、確かに祟りと言えば祟りと言えるかも知れないが、ともかくこのような逸話が残ることは動物を捕食して食べることは
当時は特異なことだと考えられていた根拠でもあるな

294:天之御名無主
05/10/12 14:26:09
すっぽんの幽霊の話しはどうなるんだよ。

295:天之御名無主
05/10/13 15:56:05
>>293
>当時は特異なことだと考えられていた根拠

単なる仏教説話の類とも考えられる。

296:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/14 19:29:22
『日本霊異記』に似た話がありますが、猟師と離れた環境から、唱導用に
広められたものかもしれませんよ。
猟師絡みの因果応報譚が、唱導者から当の猟師に伝えられていた例は、
千葉徳爾先生が紹介してらっしゃいました。

297:天之御名無主
05/11/07 22:28:11
>>265
それって精進料理なんかの影響もあるのかな。
ほれ、僧侶は肉を食えないから代用に、って奴。

298:天之御名無主
05/11/08 01:26:04
268じゃないけど
>>271-273
会津藩が下北に押し込められた後
藩士が「犬を食うまで落ちぶれた」と日記に書いたとか。
常食してたのは青森より薩摩の「ゑのころめし」じゃない?

299:うろん
05/11/15 17:57:22
このスレをROMりながら、
近代以前の日本(中~近世) は

四 足 獣 厳 禁 ! !

だったという自分の常識が瓦解していくのを感じた。
何のための「がんもどき」だ。
いや、あれは違う理由で開発されたんだったか。
とにかく、じゃあ、いったいどこの日本人が(僧侶以外)
獣肉を食うのをタブーにしてたんだ?

300:天之御名無主
05/11/16 08:23:10

京の差別階級の人間たち

301:天之御名無主
05/11/16 11:53:30
>>291
誰?

302:天之御名無主
05/11/16 12:59:00
>>301
吉田茂

もちろん言葉通りの意味ではない。

303:天之御名無主
05/11/16 19:58:16
>>302
サンクス。
なんだ、やっぱりそういう意味だったのか。

304:天之御名無主
05/11/17 15:07:15
なぜ、明治まで獣肉食文化がなかった説が出てきたの?

305:天之御名無主
05/11/17 16:37:55
明治以前に生まれた人がみんな死んじゃったから

306:天之御名無主
05/11/17 16:42:52
>>265
がんもどきを思い出した。
あれは>>297>>299であるように、肉を食べられないお坊さんによって開発されたのだっけ?
>>265の「獣臭くて」というのは文字通り匂いがきつくてという意味かな。
それだと、がんもどきとは経緯が違ってくるのだろうか。

307:天之御名無主
05/11/17 23:54:06
猿酒の話が載ってるHPがありました。猿が作った酒じゃなくて、猿を漬けた酒ね。
URLリンク(akita.cool.ne.jp)


308:天之御名無主
06/01/05 12:42:20
日本人の肉食史について興味が湧いて、2ちゃんなら該当スレがあるだろうと探して
みて、ここに辿りつきました。
期待はドンピシャ。博識な人が多いなあと感心しながらざっと過去ログを読み終えた
ところです。

感想として、「近代以前の日本でもけっこう肉食はしていたのだが、食肉用の家畜を
飼育→加工→流通するシステムは、社会一般に根付いていなかった」というあたりが
正解ではないかと。
西欧のように、食肉が産業として社会システムに定位置を残す(中世西欧の自治都市
社会では、肉屋のギルドが最強の勢力だったそうな)ことができず、乱暴な喩えかも
しれないがいわばオタクのコミケのように、組織化が未発達な、個人的なレベルで
の流通・消費が主力だったため、食肉の普及ぶりが、歴史的記録に反映しない結果に
なった(建前の禁忌を)のではないかと思う。

コミケ本は、一般に禁忌となっている性的嗜好がしばしば過激かつ露骨に描写された
ものが多いにも関わらず、あれが「一種の性産業である」という認識が、少なくとも
お堅い経済雑誌を読むかぎりでは、伝わってこない。オタク文化がある種の性産業の
隆盛としては、カウントされづらい…それと同じかと。

猟師という生業が、日本史全般を通じて存在していたこと。また源頼朝のそれが有名
なように、武士団がしばしば演習や閲兵を兼ねて、大規模な巻き狩りに親しんでいる
ことなどから考えても、獲物を食材にしていたのは疑う余地がない。とはいえ。一定
規模をこえる食肉流通とそれを支える家畜業が、システムとしては未発達だった…

加えて屋台であれ小料理屋であれ高級な割烹であれ、現在の日本料理店では魚料理が
主役で、肉類を伝統料理として主張することが少ないという事情もあるのかもしれま
せん。西洋料理にくらべて、伝統を感じさせる肉料理のバラエティが少ない…あるの
かもしれないが、ポピュラーではないのも確かです。

309:天之御名無主
06/01/05 12:43:23
なお司馬遼太郎の書籍を読んでいたら、「徳川家康の正妻・築山殿は鳥肉が大好物で、
毎日、鳥肉を食べていた」とか、西郷隆盛に「薩摩では、鶏は野菜ごわす」と言わせ
ていたりします。坂本竜馬も軍鶏が大好物だったそうで、暗殺直前にも使用人の若者
に軍鶏を買いに行かせていたため、その若者は難を逃れたそうです。

ちなみに鶏はときをつくる鳥であることから神聖視されやすく、江戸時代前期までは
食べることが禁忌。食肉として扱われた鳥類は、野生の水鳥や山鳥だったようです。
カモネギという言葉が残っているとおりカモはもちろんだが、鶴や白鳥も食べていた
と、記録がある。大型鳥だけに食いではあったと思われます。

海音寺潮五郎の「武将列伝」前田利家の項目によれば、「信長が鶴の吸い物をメイ
ン・ディッシュにした供応を催したさい、臨席していた利家の過去の功績を褒めた。
嬉しくなった利家は周囲に勧められるまま鶴の吸い物を過食してしまい、いらい鶴
の吸い物を食べるたびに腹をこわすようになった」という逸話が紹介されていた。
吸い物、というから羹にでもしたのか? とにかく鶴だけをとっても、戦国大名は
しばしば食べる機会があったことが窺えます。

蛇足。日本人の体格が戦国の動乱時代と文明開化以後に大型化し、江戸時代が最小
だった点については、食肉(を含む栄養バランス)よりもむしろ、「定住農村社会
の枠を越えて人間が盛んに移動するようになり、地域間の『混血』が進んだ時代だ
ったため」とする見解があるようです。

雑種優位といって、生物は遺伝子が平均化した純血種より、雑種のほうが大型化す
る傾向があるのだそうです。


以上、長文失礼いたしました。

310:天之御名無主
06/01/05 14:40:06
関係ないが、徳川家の雑煮の出し汁は兎だそうだ。

311:天之御名無主
06/01/05 15:02:18
兎も ○羽 って数えるのは
鳥だから4本足だけど喰って良いぜっていうごまかし?

312:天之御名無主
06/01/05 15:04:35
>>310
兎は四足獣扱いでなく、>>10の言うように「一羽、二羽」と数えるように、
鳥禽に分類されていたってことか。

313:天之御名無主
06/01/05 15:06:12
平安以来、日本では仏教の影響から四つ足の動物の食肉は禁止されていたが
イノシシは山鯨と呼ばれ鯨の仲間とされウサギは「一羽、二羽」と数える様に
鳥の仲間とされていた。
また、モモンジ屋と言う獣肉専門店があり鹿、狐、猫、山犬、等の肉を薬と称して提供していた。
15代将軍、徳川慶喜は豚肉が好物であることは将軍になる前から幕閣で広く知られていたが
出世の妨げには全くならなかった。

314:天之御名無主
06/01/05 15:21:40
>>309
>戦国の動乱時代...定住農村社会の枠を越えて
>人間が盛んに移動するようになり...
戦国大名の家臣は、他国の大名家臣と何語で会話交渉していたのかな。
幕末期でさえ、京都守護職会津藩士は京の公家や役人との会話が通じ
なかったというのを読んだ覚えがあるが。

315:ぴる来る ◆cRinn.D6KE
06/01/06 13:36:30
何年か前、恐らく10年以上前と思うが、科学朝日に本州の内陸部の縄文人はほぼ菜食に近かったみたいな内容の特集があったような希ガス( ̄ー ̄)

316:天之御名無主
06/01/06 13:41:23
兔は跳ぶから「一羽、二羽」と数えたんじゃない。
鳥は四本足じゃないから食べてもOKかな。

317:天之御名無主
06/01/06 13:51:39
イルカや鯨も食ってたんだな。サメは魚か。

318:天之御名無主
06/01/07 11:02:01
腹が減ったらなんでも食べる。 人類は雑食、タヌキと同じ。
戦後、食糧難でおやつなんかなかった時、叔父は
「パチンコ作ってスズメ捕って食べてた。食べるところは少ないが旨かった。今は禁止になったけど」
と言っておりました。
ちなみに、今でも伏見稲荷の門前ではスズメが名物なんじゃないの?

319:天之御名無主
06/01/08 08:47:22
あのさあ、関係ないけど、
スーパーや飲食業界で捨てられる食べ物に税金かけたいと思うんだけど。どう?
重さにおおじて。

320:天之御名無主
06/01/12 19:09:10
>>318
1本の串に2匹ささってるのと
ウズラが真ん中でヒラキになってて
串にささってるのが普通に売ってるな。

毎年、初詣であれみるけど
だいたいぐろくてくえねーって騒いでるカップルがいるな。

もちろん俺はバリバリ喰うけど。
家族には嫌がられるけど

321:天之御名無主
06/01/13 21:51:45
>>320
>1本の串に2匹ささってるのと...
雀のまるごと2つが串刺しにされた焼き鳥を売る店が、伏見稲荷の門前に
あるってこと?伏見稲荷信仰と何かの関連があるのですか。

322:天之御名無主
06/01/13 21:57:11
スズメ焼きは場末の居酒屋なんかでも出してるところ少なくないだろう。
メニューには載っていないことも多いけど。

323:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
06/01/13 23:15:27
普段から売られていますね。>伏見稲荷門前の雀
狐が食べるとか、稲の天敵(実は害虫を食べる事が多い)からだとも言います。
なお、狐が稲荷の眷属としてはっきり見えて来るのは14世紀から。

324:天之御名無主
06/01/19 11:39:29
何かの本で読んだのだけど、平安時代だったかな、寺に篭って精進したあと、
下山して「精進落とし」とかいって肉を食べる習慣があった、というのを
読んだことがあるのだけど、何の肉を食べていたんだろう?
いろいろ調べてみたんだけど全然わからなくて。

325:天之御名無主
06/01/19 13:36:24
平安時代だと食肉用としてポピュラーなのは鹿、兎、猪あたりでしょうか。
天武天皇の肉食禁止令があったから牛、馬、鶏、猿、犬などの可能性は低いでしょう。

326:天之御名無主
06/01/19 20:17:33
>>325さん
ありがとうございます。これで疑問が晴れました。感謝しております!

327:天之御名無主
06/01/20 00:24:43
>>325
肉食禁止令があったから、牛、馬、鶏、猿、犬などの可能性は低いとも
言えないでしょう。肉食禁止令等、法は建前に過ぎぬ訳で。
特に犬は、弥生から近世まで食べておりました。

328:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
06/01/20 20:29:12
禁止されていたという事は、食べる文化的土壌があったという事ですからね。
寧ろ、禁止されたものが食べられていた可能性が高い。
とはいえ、死穢を嫌うという意味では、10世紀頃から貴族階層に限らず、
これらの肉が忌まれる様になっていた様ですが。
餌取(えとり。エタの語源ともいう)は牛馬に肉を口にしていたとは前にも
申し上げた事ですが、それで却って嫌われる様になった。
しかし、平安期に326の様な習慣があったでしょうか。

329:天之御名無主
06/01/20 21:48:03
広島県福山市の草戸千軒遺跡からも犬食(犬、牛、馬、鹿、猪等の骨の
なかでも犬が多い)されており、強いタブーがあったかどうか
疑わしいのですが。

330:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
06/01/21 02:27:25
京都の例を、それも貴族の日記と説話集を中心に考えていたので、こう書きました。
牛馬はどうかと思いますが(それでも地域によっては馬の食べられた痕がある)、
犬食は割と見られた様ですね。
案外見つからないものですが、近世の『鸚鵡籠中記』に、鷹の餌として犬を飼育して、
自らも口にしていた男の孫に因果者が生まれたという話があり、鷹の餌に犬を与え
る事自体は以前からありましたから、食べる機会もあったでしょう。
ただ、因果者の話でも分かる通り、おおむね否定的に捉えられている。
風俗に関心の示された『看聞御記』に犬食の例があったと思いますが、記録を遺した
側には、あまり受容されていなかったのでしょう。
それで、骨は出ているが、なかなか実態を読み取り難い。
鹿・猪の肉を食する事をケガレとする事は十世紀には確認出来ますが、こち
らは元々歯固に食べられていた様なもので、あまり拒否されていません。

331:天之御名無主
06/01/21 10:45:55
急に明治になってから肉を食いだしたイメージが強すぎるのかもしれない。
表向き食べないが、実態は頻繁にどんな肉でも食べていたはずである。
おおっぴらに食べたら恥ずかしいので、言わなかっただけである。
例えは悪いが女性の自慰みたいなものだろうw。
曰く「食べたらおいしいが、ばれたら恥ずかしい。」である。

東日本では特に豚(亥ではない)は主に犬や鷹の餌なので、食べたら恥ずかしいものだったろうし、
江戸ではむしろ犬は喜んでしもじもの食うものだったのだろうし、
西日本では牛馬が死ねば穢多が回収する前に、あっというまに解体され肉は持ち帰られ骨のみが残り、
マタギの村では飢饉の時でもカラスを食べる行為が恥ずかしく、
高知の山奥では裏戸を両天秤棒を担いだ牛肉売りが「お薬喰いはいかがですか」と声かける。

上記すべて孫引きなのは恥ずかしい話だが、
実際はいつの時代もどんな肉でも食われていたような気が今ではしている。
本は読むもんだね。


332:326
06/01/24 17:44:31
蜻蛉日記の第65段に、「落忌の設け」と言う言葉で精進落としの事が出てくる
のですが、解説には「精進落とし。精進の期間が終わったので肉食をとる」と
書いてあったのです。なので平安時代にも肉食の習慣があったのか、とちょっと
びっくりしまして。皆様どうもありがとうございます。

333:天之御名無主
06/01/26 17:09:08
age

334:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
06/01/26 19:38:28
ああ、「落忌の設け」の事ですか、失礼。魚肉かもしれません。
獣肉とすれば、鹿か猪。或いは雉か山鳥の可能性もあります。

335:ぴる来る ◆cRinn.D6KE
06/01/29 12:40:32
まず、牧畜にしても狩猟にしても農業よりもコスト面での効率は悪そうだと言えまいか。
猟師にしても冬とか耕作の出来ない時期にやってたのでは?と思うのだが。

・・・資料なしでイメージだけなのだが(; ̄ー ̄)

たぶん少なくとも中世頃まで二食が普通だったと思うし、一般人は都市部以外、食べていくのが近代までやっとだったんじゃないだろうか。
現代のように食べようと思えば毎日肉が食べられる時代の方が歴史的に見て異常な希ガス。
ヨーロッパとかにしても恐らくそうだろう(ローマ時代とかは別にして)

336:天之御名無主
06/02/10 23:18:19
ハゲ板で、日本の肉食文化が話題になってますw

【ピロエース】改行ハゲ太郎隔離スレ【暖め厳禁】
スレリンク(hage板)l50


337:天之御名無主
06/03/31 12:27:17
>>335
>資料なしでイメージだけなのだが・・・
歴史の授業のない学校にでも通っていたのか?至極当たり前の事を、
自分の着想みたく何長々と語ってるんだよ。
日本の場合、江戸期まで一日二食で、農村部特に東日本では不作飢饉も
常態だったのは、高校教科書レベルだぞ。

338:天之御名無主
06/04/11 00:41:10
古代に存在した乳製品文化は坂東武者が荘園を押領したので消滅?
理由が分からん。

339:天之御名無主
06/04/16 22:25:36
>>338
古代に存在した乳製品文化って、そんなものがあったのか?
何へのレスか、アンカーか引用文献名くらい示せよ。
一般にはあまり浸透していなかった>>87、薬扱いで。

340:天之御名無主
06/04/16 22:38:03
タヌキを煮たり焼いたりして食った話が、「古今著聞集」巻17に
あるらしい。それも辺鄙でなく、畿内で。
馬琴の食卓 日本食べ物史譚 鈴木晋一 平凡社新書102 2001.8
URLリンク(www.junkudo.co.jp)

341:天之御名無主
06/04/23 02:55:46
>>259
>御年神がいうには、「イナゴの害がおさまらないなら、田の水口に牛の
>肉を置け」と・・・
豊稔祈願である殺牛御歳神祭祀は、稲作の伝播元を暗示しているのかな。

342:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
06/04/23 07:48:25
>>340
料理する様に支持したのは「田舎だちのもの」だったとありますが。

343:天之御名無主
06/04/23 08:03:15
>>271
うちの親父も子供の頃 犬食ってたって言ってました
赤色が美味いらしい
戦後すぐの頃だと思います

344:天之御名無主
06/04/29 00:53:32
>>339
少なくとも飛鳥時代から、チーズなどの乳製品を作っていたのは間違いないだろ。
酪、生酥、、熟酥、醍醐などなど、名称がいろいろあることから、細々とではあるが
乳製品文化が生まれていたのは間違いないだろ。

345:天之御名無主
06/04/29 09:33:34
>>344
>酪、生酥、、熟酥、醍醐などなど

懐かしいな。中学・高校の歴史の時間に出てきたよ。涅槃経に似たフレーズがあるらしいね。

346:天之御名無主
06/05/06 15:31:56
干し牛肉なんて、生産流通していたのか、江戸時代に。
817 :世界@名無史さん :2006/05/03(水) 00:16:43 0
江戸時代、精力剤として干し牛肉が隠れて食べられていた。
中世ヨーロッパの暮らし(3)
スレリンク(whis板:817番)

347:天之御名無主
06/05/06 16:27:29
>>346
彦根藩では「薬喰」のための味噌漬けや干し肉は作られていたらしいよ。

348:天之御名無主
06/05/06 20:58:40
>>347
URLリンク(www.1129.co.jp)

冬の時期にしかつくらなかったらしいな。
傷むから当然か。


349:天之御名無主
06/05/06 21:48:05
将軍家では四足は穢れだから幕末までは鶏肉しか食べなかったと
司馬遼太郎の竜馬がゆくに書いてあったよ

350:天之御名無主
06/05/17 00:23:36
>>349
小説がソースかよw

351:天之御名無主
06/06/14 00:13:55
>>328
> 禁止されていたという事は、食べる文化的土壌があったという事ですからね。

何で?一般論としては文化的土壌に反する例外的行為を取り締まるために
禁止されるということだってあるでしょ?

352:天之御名無主
06/06/14 04:11:43
ヤキトリって江戸時代からありそうだけどどうなんだろ

353:天之御名無主
06/07/05 13:06:22
人肉は鯨に似ている
スレリンク(news板)

354:天之御名無主
06/08/16 14:09:47
>>344
>酪、生酥、、熟酥、醍醐など・・・・
157 :日本@名無しさん :2005/09/15(木) 18:33:33
>>154
ほれっ、そのことについていろいろ書いてあるぞ。
-----------
酪・酥・醍醐ってなに・・・?
URLリンク(milk.asm.ne.jp)
【政治】平安貴族総合スレッド・1【生活】
スレリンク(history板:157番)

355:天之御名無主
06/09/23 03:05:12
明治以降になって日本料理に使われるようになった食材

肉 - 明治以前は、被差別民やアイヌなどを除いて、
一般に哺乳動物の肉を食べる習慣はなかったとされるが、
鶏肉などを薬として食べたり、
山間部に住む人々が狩猟によって捕まえた動物を食べたりした。
(編注:江戸時代の前は未確認です)
URLリンク(ja.wikipedia.org)

いつも愛用してるフリー百科事典にこういう記述発見したのですが、牛肉はそう思ってましたが
鶏肉も同じように被差別民が一般的に食べてたのでしょうか?
というのも関西では鶏肉はカシワと呼ばれてて物凄く高級品だったととあるサイトで見たのですが
明治以前の鶏肉の歴史について教えて下さい。

356:天之御名無主
06/10/02 09:40:40
日本の肉食のスレがこんなところに!!

テレビとかの紀行ものとか見るといろんな民族で肉はめったに食えないハレの日の
食べ物とゆう事になってる。
すごいご馳走で庶民は年に一度とか。
豚や鶏を飼育してるような地域でさえ、そうなんだから、日本みたいに肉を手に入れ
る手段が狩猟ぐらいしかなかった地域では肉なんて一生食えなかった人も大勢い
たんだろうなあ。
しかし、イスラムの豚とか特定の家畜を禁忌にしてるのはともかく、肉食全般自体が
タブー扱いなのは日本くらいじゃないのか。
鶏の肉や卵さえ、江戸時代後期まで、たべなかったなんて。
いったい、なに食ってたんだよ、米と雑穀だけかよ。
たとえ上流階級に生まれたとしても肉好きにはかなりつらい食卓を想像してしまうな
あ。
カツ丼も焼肉も焼き鳥もない食卓なんて、なに食えばいいんだよ。
日本で乳製品や鶏卵や食用家畜の飼育が文化として発展しなかったのは、やはり、
魚が食えたのが大きいのかなあ。
狩猟じゃあ、とてもじゃないけど、必要量はまかなえないだろうし。
どっちにしろ、たんぱく質は何かでとらないといけないわけだし。
昔の日本食って相当貧相なもんだったんだろうなあ。
他の国と比較しても。
やっぱ、魚、魚なのか。
でも、おれ、魚ってなんとなく苦手なんだよなあ。



357:天之御名無主
06/10/02 10:24:22
結局禁止されていたのは、四足の獣肉ということだったようだ。
魚は対象外、二つ足の鳥も許されていた。

URLリンク(www.asahi-net.or.jp)

隠語で呼ばれていたり数えられていた動物は、食されていた可能性 大!
牡丹とか紅葉・桜、ウサギなどは一羽二羽と数える鳥扱い。

もちろん、地方とか家族によってもバラツキはあったのでしょう。



358:天之御名無主
06/10/02 12:19:18
>>357
しかし、鳥でも一番手に入りやすいはずの鶏は卵も肉もだめなんじゃなあ。
ほとんどの人間は菜食主義で魚をごくまれに食べるだけだな。
肉食文化なんてないも同然だな。



359:天之御名無主
06/10/02 13:32:51
すくなくとも、常食とは呼べませんね。

ハレの日の飲酒ぐらい?  頻度は、もっと少ないか?

明治維新後、肉食をするようになって日本人の身長は何cm ?
伸びたのだろう。
勿論、正座などの影響もあるのだろうけれど。


360:天之御名無主
06/10/02 18:01:14
内府の雑煮は兎だろ。

361:天之御名無主
06/10/03 20:37:08
薬食いと称して、肉食はしてたみたい。
現代の肉食と言えば、牛・豚・鶏が普通だが、江戸期には猪・犬・兎・熊・狸・
猿・雉等の野鳥類なんかを食っていたそうだ。
又、牛肉の味噌漬けは彦根藩の特産で、将軍家や諸侯への献上品と(一般人は食
することが出来ず、成型時に切り落とされた端肉を丸めたものを薬として、伊勢
参りの土産としたしたそうな)していたのを、井伊直弼がこの風習を廃止した為、
牛肉が大好物で、毎年楽しみにしていた水戸藩主 徳川斉昭が激怒し、桜田門外の
変の遠因となったと云うトンデモ説まであるそうな。

362:天之御名無主
06/10/04 00:13:12
食い物の恨み(´・ω・`)テラコワス

363:天之御名無主
06/10/04 17:29:09
原田信男の 「歴史のなかの米と肉」 をざっと読んだ。
このスレッドで話されてるような疑問がテーマの本だけど。
米作りと肉が対立概念とゆう事になってた。
まあ、農耕と狩猟が究極的には対立するのはわかるけど。
ただ、他の稲作地域と比べても食用家畜の文化が発達せず、極端に肉食忌避文化
になった原因はやはりわかりにくいと思ったなあ。
結局、なんで、豚や鶏はだめだったんだろう。
漁労も肉食と同じで忌避されつつ、でも、肉食できない分、極端に発達したんだね。
他の稲作地域と比べても米が作りにくい、北限の日本でここまで稲作が発展したの
は何でだろうなあ。
日本人の米へのこだわりは異常なんだなあ。




364:天之御名無主
06/10/13 00:46:10
2年越しの亀レス
>>224のヅケは>>199宛て。

365:天之御名無主
06/11/09 23:42:08
税制が米に依存した体制だったからだろう
肉は保存がきかないから年貢の代わりにならないし、流通させるのも難しい
農民の食になるだけだから米作に影響でないように抑えたんだろう

366:天之御名無主
07/01/06 18:27:39
>>323
>普段から売られていますね。>伏見稲荷門前の雀
一昨日初詣でに出かけた近所の猿投神社の参道沿いにも焼きとりと
スズメ焼きを並べた店が、たこ焼きや鯛焼きに混じって出ていたな。

367:天之御名無主
07/01/09 00:38:32
スズメ焼きもウズラも好物だ。
あまり食べる機会はないけど小鳥は旨いね。

368:天之御名無主
07/03/30 18:14:47
親鸞が肉食してもかまわないと肉食文化肯定してる
妻帯もしてるし…
そんなに深く考えなくてもいいのでは?
いつの時代も卵は貴重品だったし…

369:天之御名無主
07/03/30 23:17:54
近世の南西諸島では、豚肉が、ハレの日のご馳走として食べられている。
中国貿易が盛んになって以降、明・清の文化の影響を受けた結果か、
それとも南方系の影響で古代から続く食生活なのかは不明。

日本の周りって、朝鮮半島も中国も台湾・東南アジア・ミクロネシアの島々も
ほとんど、豚をご馳走と位置づけているのに、なぜ、日本だけ忌避したのだ。

日本には豚が家畜として飼われていた歴史はあるか。


370:天之御名無主
07/03/31 12:05:50
>>369
>日本には豚が家畜として飼われていた歴史はあるか。

このスレの >>126-127 >>147 あたりかな。

371:天之御名無主
07/03/31 13:54:54
>>369
かつて平泉澄は民衆史を志した中村吉治に言った。
「民衆だって。君、ブタに歴史がありますか。」

塚本学『江戸時代人と動物』(日本エディタースクール出版部 1995年10月)
「ブタにも歴史があります」P131~
12年前の本なので最近の研究動向はわかりませんが、
おもしろいので参考までに。

372:天之御名無主
07/03/31 14:08:13
>>370
サンキュー(^-^)/
前レス読まずに失礼。全部読むと30分以上かかるから勘弁ね。

あつかましいついでに、もう一つ。
>日本の周りって、ほとんど豚をご馳走と位置づけているのに、なぜ、日本だけ忌避したのだ。

これも既出ですか?



373:天之御名無主
07/04/07 14:48:39
これ読め URLリンク(drhnakai.hp.infoseek.co.jp)

374:天之御名無主
07/04/07 15:09:45
>>372
避けてるかねえ
徳川慶喜は豚一様と呼ばれたぐらい豚肉が好きだった
庶民も食ってると思うんだが

375:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/04/07 16:03:23
>徳川慶喜

儒教文化を崇敬して故意に肉食を行っていた徳川光圀の後裔(直接の子孫で
はありませんが)という点も無視できないのでは。
父の斉昭の思想も、今から見るとかなりいっていた。
それに、いくら好きだといってもわざわざ食品の名を綽名にすること自体が
豚食いが珍しがられていたことを示しているように思えます。
彦根には牛肉の味噌漬けがありましたが、例外的なものでしたし。

猪食いは書紀や続日本紀には出て来るのに、10世紀以降は出てこない。
貴族たちの狩猟も(鷹狩りを除いて)それ以降は軍事貴族以外だと「その家
(兵の家)出身でもないのに」と言われた一部の例外を除いて消えます。
『明月記』に貴族の獣肉食いが記されて「かつてはなかったことだ」と慨嘆
されているように、その後も獣肉から離れたりついたりしていたようです。
「かつての日本」と一括りには出来ないでしょうね。
時代や地域、水戸のような土地だと土地というか藩の志向もある。
近世になると、排仏家の発言が大きくなったことも重要。

幕末には病で死んだ牛の肉を食わせるような店も大坂などに出来ており、家
の庭先(ケガレを持ち込めないので)で鍋にする人もいましたが、明治にな
るまではやはり少数派だったと見ていいでしょう。
それに、比較的よく見られた軍鶏鍋屋同様、まともな人が出入りするような
店ではなかったそうです。

376:天之御名無主
07/04/07 16:27:06
>>375
平安時代の貴族は食ってないけど
仏教の影響かな政変で負けた貴族も流罪で済んでたし。
死を忌み嫌う風潮だったわけだけど。
でも武士達は狩りしてるし。

庶民はどうだろう?親鸞は肉食妻帯公言実行したし。
それが日本の宗教革命だとする説もある。

戦国時代は喰えるものは何でも喰ってたしなあ…
篭城戦の時には馬でさえ喰っちゃうし。

幕末の肉食事情までは分からんが鶏肉は割と食べられていた。町人でも。
部落民を4つと関西で呼んだりするのは、4つ足の獣扱うからしいが。
田舎と都市部で文化もちがうからなあフラットな考え方には賛同できかねる。
母方の家の蔵から火縄銃でてきたし。食肉してたとおもうけどなあ。



377:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/04/07 18:30:04
>平安時代の貴族は食ってないけど
仏教もさることながら、直接的には大江匡房も指摘した死穢観念の影響でしょう。

>でも武士達は狩りしてるし。
だから、武士=軍事貴族ですよ。

>田舎と都市部で文化もちがうからなあフラットな考え方には賛同できかねる。
>「かつての日本」と一括りには出来ないでしょうね。
>時代や地域、水戸のような土地だと土地というか藩の志向もある。
そのつもりで書いておきましたが。しかし、「平面的」で済むでしょうに。

>母方の家の蔵から火縄銃でてきたし。食肉してたとおもうけどなあ。
何に使われたのか分かりませんし、その点は貴方の推測されたことでしょう。
鹿や兎を仕留めていた可能性もありますが、近世には狩猟も許可が必要でし
たからね(やはり地域により差異がありましたが)。
専門の狩猟から、害獣(狼から鹿まで)対策、接待用の鹿狩り対応などそれ
ぞれに事情があったでしょうね。

食べてはいたでしょうが、獣肉は食べていない人の方が多かったろうとか、
食べたとしても普段口に入らなかったろう、ぐらいの認識でいいでしょう。

378:天之御名無主
07/04/07 19:48:17
日本人は獣肉を食用にしていたかという問題は、
非常に興味深い話であります。

中世の肉食例として考古学からの事例を見つけたので以下に。

松井章『環境考古学への招待-発掘からわかる食・トイレ・戦争-』(岩波新書 2005年1月)
・奈良県御所市 巨勢山三二三号墳の調査で推測されるのは、
 中世に開口していた横穴式石室に潜り込み、こっそりタヌキや牛を食べていた。(P131・141)
・草戸千軒遺跡にて発掘されたおびただしい動物の骨、2/3は解体された刃物傷のある犬の骨。(P114)
など。

前者は隠れて食していた一例、後者の場合は派手に食べていたかもしれない一例。
当時の人々は貴賎問わず肉の味はよ~く知っていたんじゃなかろかというのが、私の思うところ。
そうであると信じたい(中村直勝)。
確かに時代・地域・階級などでさまざまな違いはあるんでしょうが。


379:天之御名無主
07/04/07 23:54:23
猪と豚の違いは、野生か家畜かってことだろう。
日本人が古代から、猪を食べていたというのは、狩猟の獲物としての猪肉ではないのか。

漏れが教えてほしいのは、日本に家畜としての豚がいたのかどうか、ということ。
野生の猪でもいいが、一定の施設の中で、餌を与えて飼い、成長させ、屠殺し、肉を得る。
また、繁殖させて、子豚を増やし、一部の雄を残して去勢する。

そのような豚の家畜技術が日本にあったかどうか、今までのレスではっきりと答えられていないようだが、
この点はどうなのでしょうか?


380:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/04/08 09:24:06
>>378
中世の肉食については分布図も作られていますが、解体痕のある犬の骨(自体
は近世の遺構からも出土している)や馬の骨の割合が地域により異なって面白
いものです。海豚が多数を占めていた地域もある。
平均して多かったのは、やはり猪・鹿ですね。

>379
去勢技術は別として、上で言う六国史に出て来る「猪」とは豚のことですよ。
豚の化け物の猪八戒の猪は豚のこと。称徳朝で放生が行われた時代に畿内で
飼われていた猪を放たせたとか、猪飼部とかいうのは豚飼育を指す。
飼育技術については、詳しいことは伝わっていませんが。

それと、徳川慶喜の豚食いですが、父斉昭が島津から豚肉を贈られていたそ
うですから、その影響かもしれません。島津は琉球の影響でしょうね。

381:天之御名無主
07/04/08 16:57:09
>>380
武家は非常時の為にゲテモノ食いはやってたんじゃないかと思うけどなあ
肉じゃないけどフグはまだ知識の無い頃当たるの覚悟で喰ってるしw
地域差もあるしな。
関東で豚が多く食べられ関西で牛がよく食べられるのは何でだろう。
当方関西なのでカレーは普通牛肉だと思ってた
ココ一にいってビーフカレーなるものがあるの知った。

382:河豚比礼
07/04/08 21:34:19
鳥獣葬の頃は、その動物の肉は食べたくないと言う
風潮があったんじゃないかな?今だってイソメで釣った魚
のはらわたなんて食べたくないし。
ましてや、死体を処理(!)した動物肉なんだから、宗教云々
でなく忌避した気がする。
恵比寿様が神なのは、遺体がある程度無事だったから、魚
を食べて良いと言う根拠にしたかったのかも。

感覚で書きました申し訳ない。

383:天之御名無主
07/04/09 00:50:24
>>380
中世の肉食についての分布図、
もしよろしければ出版等の詳細をご教示いただけないでしょうか。
ご面倒でなければよろしくお願いいたします。

日本におけるブタの歴史に関しては前掲書>>371に詳しいです。
山野氏も書いておられるとおり飼育方法はよくわからない、
家畜としての利用方法もはっきりしない。
そのはっきりしない理由のひとつとして、
「江戸時代文献ではブタを「鄙猥」のものとみた」とあります。
江戸時代初期のブタの新しい利用方法が都市のゴミ処理と犬(猟犬)の餌であり、
綱吉の「生類憐みの令」で猟師以外のイノシシの肉利用を禁じたりで、
卑賤視が時代を追って段階的に強まったのだろうとしております。
故にブタに関する文献も異常に少ない。

ただ江戸時代初期以来多く刊行されたという食物本草本という一群の出版書には
比較的早くからブタ・イノシシを食品として扱っているそうで、
ある程度江戸時代日本人の食用に供されたことは間違いないとしています。
しかし食料利用は上記理由も鑑みておのずと隠れて食すものだったかもしれません。

384:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/04/09 21:26:10
>>381
当時はゲテモノでもなかったかと。ただ、17世紀までは武家で普通に行わ
れていた犬肉食いが規制されたりと、太平の世に意図的に野性味を減少させ
ようとしていたことはあると思います。

>>382
>その動物の肉は食べたくないと言う
ただ、食べるのは犬・鳶・烏ぐらいですからね。

>>383
>もしよろしければ出版等の詳細
『図解・日本の中世遺跡』という本です。
青森県で馬、熊本県で海豚といった地域差が見られる。
犬については、鷹の餌用ということも考えられます。

>比較的早くからブタ・イノシシを食品として扱っているそうで
『本朝食鑑』には、金瘡の薬とすることが書かれています。
『和漢三才図絵』には、豚は江戸や長崎で飼育されているが、我が国では食
す人が少ないので、その数は多くは無いとあります。
長崎の豚は、当然オランダ人の口に上がりました。江戸もそうか。

出典が知れませんが、「楊貴妃は綺麗な顔で豚を食い」という川柳もあった
そうで。豚食いを揶揄するぐらいの距離は当時(江戸後期の作でしょうか)
あったということでしょう。

385:383
07/04/10 00:01:25
ご教示ありがとうございます。
探して読んでみます。

「美しい かおでようきひ ぶたをくひ」
明和六年(1769)の川柳子の作とのことです。
塚本氏前掲書に出ています。



386:河豚比礼
07/04/10 07:52:47
>>384
『かちかち山』で、狸を食べようとしたお爺がお婆に化けた狸
にお婆の肉を食わされるのが、屍処理動物肉食わん、
と言う観念からきたのではと考えたもんで。
お爺に助勢したのは、屍肉漁りしない(多分)兎なので、
対立する狸は曝された遺体に集るのでは?と思ってしまった…

387:天之御名無主
07/04/10 21:44:21
>>384 山野野衾様

綱吉の生類憐れみの令が、犬肉食いの防止目的ということはありえますか?

388:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/04/11 00:28:57
>385
ありがとうございました。明和6年というと、蜀山人が狂歌の会をもよおし
た年ですが、さてどの本にあるのやら。

>386
一寸証明は難しいと思います。

>387
口実説は言い過ぎでしょうが、太平の世の方針には沿っていたと思います。
享保を過ぎた頃には昔語りになっていたようですし。

389:河豚非礼
07/04/11 19:49:38
>>388
>一寸証明は難しいと思います。
かも知らん。(苦笑)

魚は問題無いのが解らない。
釈迦は魚も肉もいけない、と一応戒律で決めてるのに。
382で少し触れたけど、恵比寿と関係あるんじゃないかな?
江戸時代に鮪も捕ってたし、かなりおおっぴらに食べてるのは、
穢れや仏教を寄せ付けない附会があったんではと想像。

スレ違いごめんだけど、仏教で斎(とき。時食とも)と言う食事のルール?
があって、その場合午後には食事しないのだけど、それを非時
(ひじ)と言うそうで、『非時香菓』との関連が気になる。
現代でも、法要や墓参のあとの食事を『お斎』と言うみたいだし。
垂仁の死後に持って来た事と何か関係が?
本当に関係無いなこれ…すみません。

390:河豚比礼
07/04/11 21:21:01
↑389
訂正 苦笑→自嘲

失礼致しましたm(_ _)m

391:天之御名無主
07/04/12 14:24:37
>>389 
飛躍しすぎかと・・・

原始仏教をはじめ小乗仏教圏は、
僧侶の肉食は禁じていないのは常識かと。
不殺生は「殺してはいけない」のであって、
「肉を食べてはいけない」ではない。
僧侶の場合も自分の手で屠った肉はもちろん、
自分のために殺された、それを見た聞いた、
その疑いがある肉を禁じているのであって、
食べてはいけないのではない。
また僧侶は托鉢にて喜捨されたものは拒否できないので、
肉を食べるところではあたりまえにあるのだろうから、
肉食への抵抗感はないでしょう。
タイをはじめとする仏教国では今でもそうですし、
生卵なども僧侶は自分で割れないので、
事故で不幸にも割れてしまった(という方便で)ものが
販売されている。

392:391
07/04/12 14:25:15
大乗仏教圏の中国・朝鮮・日本の僧侶は肉食が
いつの頃からか禁止にされたらしいが、
中国では仏教がメインストリームにならなかったし、
朝鮮ではかつては有数の仏教国だった(大蔵経の輸出国だった)が、
李朝の儒教導入以降、仏教が大弾圧を受けたのはご存知のことかと。
肉食の禁忌は社会的な潮流とはその後なり得なかった。

しかし日本では僧侶の世界のみならず世俗にまで、
極端な肉食の禁忌が展開されるわけですが、
特に大型獣の肉食が広まらなかったのは、
魚介類による動物性たんぱく質の摂取があったからだ、
という見解があるとのこと。
肉食の禁忌の一因に日本の仏教はなったのだろうが、
鳥やら魚やらエクスキューズがあるのは、
そういった実情があったからでしょう。

確かに肉食と生物的な死は分かちがたいが、
食べる対象の食べたもの(例えば死体)まで考えるのはどうかと思いますがね。

393:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/04/12 19:02:29
魚食も駄目ですよ、僧侶は。『日本霊異記』や『袋草紙』に、僧侶の魚食禁
止に絡んだ説話・逸話が載せられています。
『弥勒菩薩所問本願経』などに、病時はいいと書かれており、これは僧尼令
にも反映されていますが。
五辛は病時でも駄目でしたが、これも服用する僧侶はいたようです。
また、院政期以降は、建前はともかく僧侶もかなり魚鳥を食べていますね。
殺生に生きていた庶民もその方が安心出来たようです。

大乗仏教で禁止した経典は『楞伽経』が早く、『法華経』と並んで珍重され
た『涅槃経』も同様の思想を示したことで決定的になりました。
玄奘三蔵は西域で、肉食するのは小乗の僧だけだと言っています。

394:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/04/12 19:11:13
>極端な肉食の禁忌が展開されるわけですが、
どうも仏教に禁止されて食べなかった、という気はあまりしないのですね。
家畜の屠殺自体、猪飼部などがあったものの定着せず、元々あった狩猟獣や
魚介を食することがその後も残ったように思います。
家畜を食べなくても生きられる文化圏だったのが大きいのでは。
(日本より寒冷で麦の生産性が悪かった欧州では、冬期の塩漬け肉は欠かせ
ませんでしたし、中国でも牧畜なしではやっていけない土地が多い)。
漁や猟自体を否定する仏教の説はあったものの、だからといって生業自体を
否定する訳にもいかず、中世には『沙石集』や『発心集』や『神道集』などに
見られるような、殺生祭神思想が定着している。

この説は、神に生贄として鹿や猪を始めとした鳥獣が捧げられていたことに対
して、「本地は仏なのに何故殺生を容認されるのか」という疑問が仏家に生じ
たことに由来するもので、本地垂迹説の成立期には、生贄自体を止めさせよう
という動きもありましたが、後に「結縁」と考えられるようになりました。
生贄を捧げた人も、捧げられた動物も結縁往生出来るというもの。
少なくとも、中世には殺生自体は問題となっていません。
支配階級で牛馬というか獣肉料理が発展しなかったことには、死穢思想の影
響が強かったと思います。ケガレではなく、死穢。
『延喜式』以下で対処が細かく定められたものです。

恵比寿云々は、水死体をえべっさんと呼んだことでしょうか。
この習俗自体が確認出来るのは、そう古くはないと思います。
元々は西宮の戎という神で、鎌倉時代には同社の三郎神と習合して戎三郎と
呼ばれ、阿弥陀ないしは不動が本地とされた神ですが、水死体云々が見えて
くるのは近世だと思います。

395:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/04/12 19:19:02
>支配階級で牛馬というか獣肉料理が発展しなかったことには、死穢思想の影

同じ死肉を扱うという行為でも、死体になっていたものと殺して死体にするも
の(狩猟の一環)とでは、全く違うものと観念されていました。
前者のような牛馬の死体を処理するのが餌取(後のエタ。人なら非人が処理)。
彼らは牛馬の死肉をゆでて食べており、嫌悪感をもたれました。

死体をつくるのが武士(軍事貴族)。鹿や猪に対する山神信仰などの独自の
観念を持っており、狩猟への参加は主に対する義務でした。
牛追物という競技もありましたが、それはあくまでも狩猟獣の代用。
貴族からは死穢が嫌われ、武士からは山神にもたらされる狩猟獣ではないの
で眼中に置かれず、屠殺して食べる家畜は意識されなかったのでは。

羊や豚も古代には移入されて飼養されていますが、廃絶しています。
支配階級に必要性を認められなかった。農耕用の牛馬は残りましたが、食べ
物とは別物であり、その皮や剥ぎ、肉を食べる人々は賤視された。
肉食自体はさておき、目に見える形の肉食「文化」は成立しにくかった。

396:天之御名無主
07/04/12 19:24:32
>>395
鳥は食ってるけど…
卵はいつの時代も貴重品だった
今は安いけど

古代にチーズやバターなんかも入ってるけど醍醐味って言葉だけ残してなくなってるのは不思議だけど
乳製品が普及しなかった辺りも詳しく知りたいねえ

397:河豚比礼
07/04/12 20:35:02
皆さん、俺の拙い疑問に答えて頂き、本当に
ありがとうございます。
>>394
恵比寿云々は、民に対して現実に恩恵を授けてくれる、都合の良い
神様だと思ったんで…

398:天之御名無主
07/04/12 22:21:23
廣野卓『古代日本のミルクロード-聖徳太子はチーズを食べたか』(中公新書 1995年4月)
「ミルク文化の崩壊」P197~より

古代に存在した乳製品が廃れた理由として、
幾つかあげられているものを以下に。

・そもそも流通など論外の牛の絶対量不足からくる搾乳量の少なさ。
 (乳製品自体が特権階級のものである。)
・醍醐や蘇、酥(ソ)の製造の複雑さと、
 原料である生乳の腐敗しやすい物性。
 (生乳は現在でも低温輸送される。)
・大仏開眼供養前後に出されている殺生禁止令に伴う、
 動物の体液への忌避感があったかもしれない。
・官牧が私領化していき崩壊していく中で、
 武士の馬育成に傾注した結果の牛の飼育放棄。

朝鮮半島でも元の侵略を機に乳製品が消えるようで、
宮中料理としてにわずかに残る。
原因は元軍が牛馬を食料として徴発し、
激減したからだという。

399:河豚比礼
07/04/14 13:37:05
民に選ばれ、こじつけられ、利用された神・えびす

海の来訪神=渡来人?→肉食=羨ましい(動機)
寄り神→石等拾って豊漁祈願
1)応神海豚貰ってるやん=魚死穢への正当化
2)石の変化しない性質=魚の餌(死体?)に見立て、魚に死穢が
感染していない附会後に市神=海、船、交流→繁盛=福神

『口実』って必要だと思うんだよね。上記したのは妄想にしても。

400:天之御名無主
07/04/22 13:03:06
>>396
>乳製品が普及しなかった辺りも詳しく知りたい・・・
月並みだが、平坦地の乏しい地形が酪農に適さなかったからだろう。
現代の珈琲豆のように嗜好が合えば、交易で普及もしたんだろうが、
所謂和食とは合わなかったんだろう、緑茶と違って。

401:天之御名無主
07/04/22 13:36:31
>>400
>月並みだが、平坦地の乏しい地形が酪農に適さなかったからだろう。
>現代の珈琲豆のように嗜好が合えば、交易で普及もしたんだろうが、
>所謂和食とは合わなかったんだろう、緑茶と違って。

固定観念だと思います。
巷に出回るほど乳製品流通の下地が過去になかったんだよ。
平坦地での酪農と言うの日本でいえば北海道、
現代の乳製品の大量飼育と流通を念頭においた話だと思う。
現代のスイスやピレネー、アルプスの山岳地帯の酪農はどうだろうか。
また和食と乳製品が合わないとの記述も、
少々認識がずれていると思う。
和食かどうかは置いといて
以下和の食材と乳製品の調理例をあげておく。

バターと醤油でほかほかご飯
牛乳と抹茶で抹茶オレ
小豆と練乳でカキ氷
餅とチーズでピザ餅

乳製品が流通している現代と、
過去を同一視してはいけないと考える。

402:天之御名無主
07/04/23 20:50:56
>>401
古代は牛は労働力として重要で
ミルクといえばヤギか羊のような気がするなあ
西洋の歴史でも…
やっぱ仏教の性だけとはいえないような

403:天之御名無主
07/04/24 19:05:53
>>402
>古代は牛は労働力として重要で・・・
肉といえばヤギか羊ではないのか。


404:天之御名無主
07/04/28 15:43:06
>>403
ヤギは不味いらしいが
羊じゃないの毛糸も取れるし

405:河豚比礼
07/05/10 20:35:17
獣肉の調理・保存の方法は過去、どのくらい確立されていたのでしょうか?
肉食を嫌う理由に腐るから、と言う事もあったと思う。 保存法があるなら
食べ易くなるし、肉食文化がタブーの中でも育っていたとも言えそう。

406:天之御名無主
07/05/11 02:45:17
マタギには、干し肉の作り方や、囲炉裏の煙でいぶして薫製にする方法、
塩蔵の方法などがあったとおもうが。
あと、肉の漬け物もあったなぁ。
なれスシの魚の代わりに、肉を米と塩で漬け込んで、乳酸発酵させるやつ。

407:河豚比礼
07/05/11 08:42:00
>マタギには、干肉~~燻製~~塩蔵の方法があった
狩猟を生業とする人達には、獣肉食文化が発展してたんだね。
>肉の漬物も
肉の漬物? 塩辛みたいな物だったのかな。 肉醤(ししびしお)と言う
物があって、それも漬物・塩辛の様なものだった様だから、その名残かも。

408:天之御名無主
07/05/11 10:47:01
>>407
>肉の漬物?

琵琶湖周辺のフナ鮨をご存じありませんか。
あれは、大量に取れたフナを乳酸発酵させて長期保存するものです。

肉の漬け物とは、フナ鮨のフナのかわりに、獣肉を用いた物です。
たしか、山形か秋田では今でも作っているはずです。名称は失念しましたが。

↓に載っているかも。
. すしの事典 / 日比野光敏∥著 / 東京堂出版 , 2001.5
. すしの歴史を訪ねる / 日比野光敏∥著 / 岩波書店 , 1999.10 ( 岩波新書 新赤版 ; 641 )

409:河豚比礼
07/05/11 12:17:26
>>406、408
知らなかった……有難うございます。
「いずし」みたいな物なのかな。 あれは、混ぜた御飯と野菜も一緒に
食べるから、漬物というイメージが湧かなかったけど。

410:天之御名無主
07/05/11 12:46:50
発酵保存法には、主に乳酸菌に頼る方法と、酵母菌に頼る方法があります。
普通の漬け物や、なれ鮨、チーズや発酵乳(ヨーグルト)は、乳酸発酵。
肉や魚や野菜の、みそ漬けや粕漬けは、酵母菌による腐敗防止法。
ぬか漬けは、乳酸菌プラス酵母菌。

秋田などの肉の漬け物は、見た目には、みそ漬けや粕漬けに近いが、
酵母菌より乳酸発酵によるところが大きいのではないだろうか。

411:天之御名無主
07/05/11 13:00:15
>>410追加
伊豆諸島でつくられる独特な臭いの「くさやの干物」は、ラク酸発酵で、
あれは日本では珍しい。

スウェーデンの世界一臭いニシンの缶詰シュールストレミングと同じ系統です。

412:天之御名無主
07/05/11 13:12:47
>>410-411
かなり錯誤しているようですね。
このサイト↓のほうが正しいと思いますよ。
URLリンク(www2.health.ne.jp)

413:天之御名無主
07/05/11 19:36:28
 鹿やイノシシだって昔から食ってたぞ。
ただ地方によっては「神様の使い」として特定の動物を食べない村や町がある。
それは鯉だったり鹿だったり、マチマチだけど。
ウチの田舎は「神様からの贈り物」としてどんどん食ってたが、今は逆に嫌がるようになっている。
産業廃棄物を山に不法投棄するバカが増えたせいで、
「山でどんな餌を食ってたか分からないから怖くて食べられない。むしろ牧場で育てたイノシシの方が安全だ」
だとさ。

414:天之御名無主
07/05/11 20:25:34
明治時代には猫鍋というのがあったらしいな
「吾輩は猫である」に書いてあった
バンカラ学生なんかが喰ったそうだが
一般的なものであったのかどうかは知らない

415:河豚比礼
07/05/11 21:26:15
>>413
そういうのは現代的感覚なのか……稲を食べたイナゴ=稲子を食べて、
米を食べた気になった、とかね。

色々の食肉保存技術が(一般的でなくても)あるのは、旨味 にも貪欲
だったって事か。 逆に生食はどうなってたのでしょう? 『四条流包丁書』
1498?年には、クラゲの切身や鳥肉の薄切りも、刺身と言ったと
あるそうだが、獣肉も生で食べていたのだろうか。 具合が悪くなる
事でも、肉を避ける理由になりそうだけど。

416:天之御名無主
07/05/12 20:46:48
「粉河寺縁起」に描かれている大伴孔子古は鹿の肉を解体し、鹿皮を干している。
まな箸と小刀で肉に直接触れぬように切り分け、鍋で煮てたり串刺しにして乾かして干肉にしたりしている。
孔子古は指貫に(直垂に見える)侍烏帽子を被り、屋敷内では家人と思われるなえ烏帽子を被った人が矢を持って走っている。
鹿を殺し皮を剥ぎ、肉を食っている大伴孔子古は基本的に常人として描かれている。

417:天之御名無主
07/05/14 00:53:43
熊食ってたんじゃ

418:河豚比礼
07/05/15 16:58:53
>>416
『粉河寺縁起絵巻』をまだ観れてないけど……鹿の様な、獣(大型)
の解体方法が気になる。 特に血抜き。

鶏の場合、首を切り落として逆さに吊るし、血を抜きながら羽を
むしったりするやり方がある。獣だと、かなりの重労働と思うが……。
肉への欲求の強さ? 血の処理法はどうなるだろ? 血は嫌うよね、普通。
漫画では、猟犬に血を飲ますシーンもあったが。 埋めるか流すか……。

419:天之御名無主
07/05/15 19:15:02
>>418
火災のために破損が甚だしく不明の部分もあるが、放血の場面はないみたいだ。
第一の場面は大伴孔子古が木の枝に乗って弓を引いて鹿を射殺する場面。次が孔子古の屋敷から猟犬が走りだす場面。
屋敷内で俎板の上で小刀と箸で骨と肉が切り分けている場面。
庭には鹿皮が干してあり、鍋で肉を炊き、その傍らには串刺しにした肉を地面立て遠火であぶっているように見える。その近くには肉を天日乾しにして鳥獣避けの矢も立てられている。
次の場面では乾し肉が軒下に吊り下がり、俎板には完全に肉を取りのぞかれた骨が二本残っている。
庭には弓と矢をもった家人らしき人物が走っているが、その矢は鏑矢である。

420:河豚比礼
07/05/16 17:46:42
当時の干肉作りが、蒸して塩水に漬け置いてから天日で乾燥させる
ものだったら、骨と肉を分ける場面と、肉を天日干しにする場面の
間に、一晩位経ってたかも。
鹿皮って、衣料品や武具にも使うなぁ、とフと思った。 そっちがメイン?

421:河豚比礼
07/05/16 18:08:55
>420
書いてなかった……
>>419
ありがとうございます、お手数をかけました。

ちなみにチーズだけど、六世紀頃の中国の農書『斉民要術』に、チーズ
の作り方があるらしい。
乳を弱火で煮て、表面に張った膜を取り除く。 残った乳に発酵した
飯を入れ、体温より稍高めの温度を保って一晩待つ。
みたいな。 そう難しくないし、生乳の入手が容易なら、定着してたかも
……美味しければ。 それとも匂いに敏感だったのかな?

422:天之御名無主
07/05/23 14:42:20
>>421
単純に牧畜に日本が向いていなかったとおもう

423:河豚比礼
07/05/23 16:58:30
>>422
うん。 だから「生乳の入手が容易なら」と書いたんだけど、ただ、
岡山辺りで昔(どの位前か知らない)、牛をたじし(田宍?)と
呼んでて、そう言う地域では借牛でなく所有牛だったと考えられる。
とすると、畜産は自分達でやる事になって、その時期には生乳を
得やすいんでないかな。 酪農が難しい以上、役畜から取るのが自然と
思う。 流通は無茶なんだろうけど。

424:天之御名無主
07/05/23 19:34:37
>>423
岡山あたりじゃ米作った方がいいんじゃないの?
2ちゃんで人気の無い司馬遼太郎がそういや街道を行くで東北地方で牧畜で
喰っていくと宣言した藩が出てもよさそうなのにといっていたw
今にして思えばの話だがなあ…

425:天之御名無主
07/05/31 04:50:35
良スレ保守。

426:天之御名無主
07/05/31 12:20:16
宮本常一の本に『江談抄』によれば鹿肉をたべたら当日は参内しない。正月の三が日は逆に鹿肉をたべたと書いてあったと思う。

427:河豚比礼
07/05/31 17:46:15
自分を晒し上げ。 >>421 で挙げたのは、酪の凄く端折った作り方だった
m(_ _)m 改めて書きます。
作乾酪(クリームチーズ?)法…酪を天日にさらし、取り除いた乳皮を加熱し、
盤にあけて天日にさらす。 ドロドロになったら団子にして天日乾し。

作漉酪(チーズの原型)法…上等の酪を生布の袋に入れ、吊るして水分
を切り、加熱してドロドロになったら団子にする。

田中静一・小島麗逸・太田泰弘他『現存する最古の料理書 斉民要術』
雄山閣出版(平成9年10月)を参考にしました。

428:天之御名無主
07/06/05 19:46:49
>> 309
すまぬ。「薩摩では鶏は野菜でごわす」は、なんという本だったっけ。
「翔ぶが如くを」ぱらぱらめくってみたが、十巻もあるのでわからんかった。


429:天之御名無主
07/06/06 17:19:24
魚は肉食になるのか
僧侶はダメだった見たいだが

430:河豚比礼
07/06/06 19:11:19
中華の『斉民要術』には、(現代中華語訳だが、ある程度載ってる)
鯉の肉とか魚~~肉とか書いてあるから、肉でいいんでないかな。
ちなみに、六世紀当時既に牛や蝉やたまごの料理もある。グルメだなぁ。

431:天之御名無主
07/06/07 19:14:24
NHK 知るを楽しむ 『歴史に好奇心』 教育テレビ 6月7日 午後10:25~10:50

「藤原道長の食卓・衝撃の偏食」

平安時代、宮廷や貴族の祝宴で出された「大饗料理」は、第一に見せる料理である。
塩辛い「乾きもの」が多く、味付けはいたってシンプルだったが、素材の切り方、盛り付け方には異様なほど
神経を使った。
「この世をば我が世とぞおもう」の藤原道長は毎日のように大饗料理を食べ、糖度35パーセントという猛烈に
甘い日本酒を愛飲して中年期から糖尿病に苦しんだ。
しかも牛乳を濃厚なチーズ状にしたものにたっぷりと蜜をかけた「道長スペシャル」ともいうべきデザートを
手放せず病気を悪化させていく。見栄えは良いが多すぎる塩分と糖分で生活習慣病を頻発させた平安貴族の
食生活を描く。

432:天之御名無主
07/06/07 20:43:00
>>430
スレチだけど人の肉の塩づけが司馬遷の史記読んでたらやたら出てくるな…
謀反人や敵将たべるとはねえ

433:河豚比礼
07/06/08 03:50:57
『史記』読んでないけど、食材でも信仰上の理由でもないんでないかな?
刑罰(信長の朝倉・浅井への仕打ちみたいな)的なもの?
多分ガイシュツだろうけど。

434:天之御名無主
07/06/08 18:37:15
>>433
司馬遼太郎の項羽と劉邦でも出てくるな
司馬は信仰的な意味合いがあるようだと解説していたような

435:天之御名無主
07/06/08 18:43:30
しかも牛乳を濃厚なチーズ状にしたものにたっぷりと蜜をかけた「道長スペシャル」ともいうべきデザート


喰いたいぞw

436:河豚比礼
07/06/08 20:27:59
俺も食べたい……甘党だし(笑)。しかしタイムリーな話だったなぁ。
箸と包丁についてなんて特に。( >>416 >>419 参照)高貴な人の口に
入る物に触るのを遠慮して、みたいな。 貴族の包丁技披露がもてなし
とか。貴族は野菜をほとんど摂らないと言ってたけど……陸で壊血病に
なるよ!?w
>>431さんが教えてくれなければ見逃してた。ありがとうございます。

NHKの宣伝かもしれんが(楠)

437:天之御名無主
07/06/09 08:02:30
       ★★小泉純一郎と安部は朝鮮人★★
コピペして各板に貼り付けよう 知人にも話そう 政治板もたまには覗こう
小泉純一郎 
・戦前大臣を務めた祖父小泉又次郎は純粋な日本人とされる。だが、純一郎の帰化朝鮮人である父が鮫島姓を買い取り
 又次郎の娘をたぶらかして婿として小泉家に入る そこで小泉家は帰化朝鮮人である純一郎の父に乗っ取られた
 参照URLリンク(ja.wikipedia.org)
・父親の純也は、鹿児島加世田の朝鮮部落の出身者といわれる 日大卒業名簿には、純也の日本名はなく、
 見知らぬ朝鮮名が書かれているという  
 純也は朝鮮人の帰国事業、地上の楽園計画の初代会長であった
・結婚後、子供をもうけ即離婚した宮本佳代子は在日企業エスエス製薬創業者の孫
・小泉の元秘書官の名前は飯島勲←注目 帰化朝鮮人
・派閥のドン森喜朗も生粋の朝鮮人 ←森も帰化人がよく使う通名
・小泉は、横須賀のヤクザ、稲川会と関係が深い
安倍晋三
・岸家 毛利元就が陶晴賢と厳島沖で戦い大勝を収めた際、寝返って毛利方についた船の
 調達人が「ガン」と称する帰化人であったという 毛利はその功績によって「ガン」を
 田布施周辺の代官に召したてた このガンを岸家の先祖とする説がある
・祖父岸信介が文鮮明と共に 反共団体 国際勝共連合(統一教会)を設立
・官房長官時代統一教会「合同結婚式」に祝電を送り、話題に
・安倍のスポンサーは、下関の朝鮮人パチンコ業者である
・グリコ森永事件時、明らかになった帰化朝鮮人企業森永のご令嬢と結婚
・そのわが国のファーストレディーは電通(会長成田豊、半島生まれの帰化人)勤務という分かりやすい
 経歴の持ち主の朝鮮の血筋
・韓国、中国の留学生に日本の企業に入ってもらうために住居費分、学費免除分、生活費など月計20万~30万円相当の支給
 日本人のワーキングプア層を全く省みない また帰化系在日系朝鮮人が日本の企業で技術を盗み、半島の現代などの企業に
 伝授していることが深刻な問題になっている 
・多くの朝鮮人が差別を主張し、警察、原発、自衛隊で職を得ている

438:天之御名無主
07/06/09 20:43:26
>>436
藤原道長の牛乳使ったデザートは贅の極みを味わうために敢えてタブー破ってる
節があるなあ…
まあ当時天皇より力のある権門の主だったからなあ

439:河豚比礼
07/06/10 13:43:52
蘇蜜の「蘇」って、どこで開発されたんだろう? 日本ならば、乳製品
の技術革新があったという事かな。道長が編み出した気はしないけど。

味覚の追求と言うか、食欲を仏教の影響で、性欲同様低俗なものと
みなしていた(平安文学にも食事や味を楽しむ記述はほとんどない)と
言ってたけど、逆に言えば、ワイ談のように味の品評をしていたとも
言えそう。タブーというか、はしたない・はんかくさい位な気も。

440:河豚比礼
07/06/10 13:53:35
贅沢品(庶民には手に入らないもの)を好むのは、洋の東西問わずで、
その為に、あえて醜聞を晒す事もいとわないのは、流石「この世をば わが世とぞ思ふ~~」ってあたりだけど(楠)

441:天之御名無主
07/06/11 14:15:38
>しかも近世幕藩体制下においては、「穢多・非人」が、
>食肉のために、牛馬を「屠殺」することもほとんど考えることができません。
>なぜなら、長州藩では、「穢多」が牛馬を屠殺したことが発覚すると、
>長州藩は容赦なく「穢多」の首をはねているのです。
>百姓が「屠殺」しても、その首が飛んだでありましょう。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
筆者は、二十数年、同和問題を調べているようです。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)

>>395にもある。
>牛馬の死体を処理するのが餌取(後のエタ。
>彼らは牛馬の死肉をゆでて食べており、嫌悪感をもたれました。
>肉を食べる人々は賤視された。

エタ・ヒニンという士農工商という厳格な身分制度の中で、
下位の身分の習慣を真似ることには強い抵抗感があったことも考えられるのではないでしょうか?

442:天之御名無主
07/06/11 17:59:01
>>441
藩によるんじゃないの
外様大名は統制が厳しい
肉食とは関係ないが薩摩じゃ一向宗は禁教されてたり
地方によっておおきく違うからなあ

443:天之御名無主
07/06/11 18:23:38
ももんじ屋で猿肉も取り扱ってたというけど、
どんな料理に使ってたんですか?

444:河豚比礼
07/06/12 03:54:28
>>441
大政官布告の明治五年四月二十五日の令で出た、「自今僧侶の肉食
妻帯蓄髪は勝手たるべき事」が何の肉を指したかによる気が……。
僧侶以外は肉を食べてもルール破りでなかったようにも思えるし。

445:河豚比礼
07/06/22 21:03:37
箸と包丁の話だけど、『今昔物語』にある猿神の話に、生け贄である僧を
箸と包丁で斬ろうとする場面があるみたいだね。これは触れる事を
畏れたというより、作法的なものだったのかな。それとも、仮にとはいえ
神だから?
でも、猿の異類婚姻で英雄が産まれる話なんて知らないなぁ。やはり
神より化け物(害獣)として見られていたかのかな? 蛇や狐は、
恐れられながらも神信仰してる。猿もそうだけど、他よりは現実視
されてる気がする。実害の多少に由るんだろうか。
スレ違い暴走すみません。

446:河豚比礼
07/06/24 18:37:52
多田鉄之助『食通の日本史』新人物往来社・1978年11月.によると、
江戸中期、麹町に屋号を「山奥屋」という、猪・鹿・猿などの肉を
専門に扱う獣肉屋があったらしい。食べ物屋さんでなくてお肉屋さん。
「五段目を 蛇の目で包む 麹町」
という川柳があって(五段目=猪。歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』五段目
による)、これは、(山奥屋など)麹町で肉を買うと、古い番傘や
蛇の目傘を包み紙にしていた事から。天保年間にも、
「麹町 芝の屋敷に 丸で売れ」
というのがある。( >>22 を参照)丸は丸ごとの事かな?

447:続比礼
07/06/24 18:58:16
鶏卵は、江戸の精進料理で「かいこ」と呼ばれて使われていたそうだ。

>>?
>薩摩藩の屋敷の近くで、犬がいなくたった
どこかにこんな話があったと思うけど、札幌にも同じ話が……。多分、明治のあたま頃……。

448:天之御名無主
07/06/24 19:00:02
>>431
NHK教育毎週木曜放送の『歴史に好奇心』あの人は何を食べてきたか<4回連続>の
第1回 藤原道長の「とっておき」 6月7日 だね。この「知るを楽しむ」って、
往年のNHK市民大学講座の再編番組なのかな?
URLリンク(www.nhk.or.jp)

449:天之御名無主
07/07/04 19:38:23
今日初めて宮崎の牧場が作ってる『蘇』を食べてみた
ちょっとボソボソした凄い濃厚なチーズって感じ
(カロリーメイトみたいな食感?)
うまいわけじゃないが、体には良さそう(まずくはない)
ちなみにインポに効くらしいから、滋養強壮にはもってこいだろうなw

450:天之御名無主
07/07/04 22:18:39
なんか日本はずっと牛、食べてなかったから大腸ガンになりやすかったり
牛乳受け付けない人多かったりするらしいよ

451:天之御名無主
07/07/05 23:24:54
マジレスすると
「肉を食べなかったせいで大腸ガンになりやすい」
のではなく、
「肉食文化が戦後輸入されて、食の欧米化が進んだために大腸ガンの率が上がった」
のであり、日本人だから特別なりやすいというわけでもない。ただ戦前と比べ、急激に増加してる。
ちなみに牛乳受け付けないのは日本人の遺伝子のせいで、これまた牛を食べてなかったせいでもない。
日本人の体質が元々胃の中で牛乳を分解する機能が低い人が多いってことだけ。
青い目の白人の角膜が日光によわいとかと同じような、遺伝子レベルのはなし

452:天之御名無主
07/07/12 21:15:49
鹿肉を箸と小刀でさばく話で思い出したが、極道の襲名披露とかで鯛を長い箸でつついて生臭さを酒にうつすのも何らかの関わりありかな。

453:天之御名無主
07/07/12 21:57:56
>>451
>日本人の体質が元々胃の中で牛乳を分解する機能が低い人が多いってこと・・・
蒙古人種には、牛乳を分解する機能が低い人が多いってこと?
とすると、蒙古人種には、エチルアルコールの分解酵素不足
者=下戸が多いのと関連ありですか?

454:天之御名無主
07/07/15 12:35:54
>>453
モンゴル人はミルク分解できる酵素大量に持ってる人が多い
馬乳酒飲んでるしアルコールも強いよ
日本人はその辺は中国人に近い
中国人もミルク苦手の人が多い

455:天之御名無主
07/07/19 00:52:37
環境問題の最大の原因は食用牛
ソース
URLリンク(www.juno.dti.ne.jp)

456:天之御名無主
07/07/20 16:44:04
肉食は地球環境を破壊してるらしい。
わかりやすい動画があったので、もしよかったら見てください。

■地球を貪り食う【約22分 日本語字幕】
URLリンク(www.youtube.com)

■ソース
URLリンク(www.anti-rothschild.net)


457:天之御名無主
07/07/22 19:09:54
>>455
>>456
牛の代わりに鯨食おうといったら反対するんだろw
環境団体


458:天之御名無主
07/07/23 11:56:38
肉食ってばっかいるとキレやすい性格になるよ、みんな野菜も食べようね。

459:天之御名無主
07/07/30 16:30:12
        / ̄ ̄ ̄\
        /        \
     /   ─   ─  ヽ
      |   (●)  (●)  |
     \   (__人__) __,/
     /   ` ⌒´   \
   _/((┃))______i | キュッキュッ
.. / /ヽ,,⌒)  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(,,ノ \
/  /_________ヽ..  \
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    . /  (●)  (●) ヽ
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.   .   \   ` ⌒´  __,/
    .   /            \     +
     .|. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄.|  トン
    _(,,)/      Y     ヽ (,,)_
 .. /. | l   o   l   o   l. |  \
 /    | ヽ、__ ,人_ __ ,ノ |   \


460:天之御名無主
07/08/03 19:53:50
狼も食ってたんかね

461:天之御名無主
07/08/03 21:16:33
このあいだ狸肉をもらった。くさかった

462:天之御名無主
07/08/07 13:27:42
>>441
エタ・ヒニンはともかく
士農工商という身分制度は否定されてるよ。

463:天之御名無主
07/08/08 14:54:23
>士農工商という身分制度は否定されてるよ。
これ良く聞くんだが、どんな本に書いてある?

464:天之御名無主
07/08/10 03:12:59
良スレッド、保守

465:天之御名無主
07/08/18 05:16:23
食肉の犠牲者と温暖化
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.flurl.com)
生きたままやります、肉を食べるのはやめましょう。

466:天之御名無主
07/09/13 03:44:36
良スレ上げさせていただきます。

467:天之御名無主
07/09/14 00:49:44
伊達家の家来で書くとすぐわかっちゃう苗字で、
まあ、領主だったので家の地所に
神社とお寺をもっている旧家なんだが
先祖代々狩猟をしていて獣肉は食っていた。
鹿や猪、たまに熊です。
鹿のステーキは牛よりうまいですよ。
ずいぶん昔に牛も飼育やめる時につぶして食ったけど。
犬も狩りのために何匹も飼っていたが、
覚えの悪い犬は、つぶして食っていました。
このへんでは狸汁は犬の鍋の事です
いまでも親戚のおじさん達何人かは鉄砲打ちしています。
何年かに一度は"狸汁"食べますよ。


468:天之御名無主
07/09/16 00:55:21
江戸とかの都市部や、上にあるみたいに武家は狩猟とかで食べてたみたいだけど
農民はどうだったんだろ。前に祖母に聞いてみたんだけど、戦後でも
農村の年よりは牛・馬肉は食べなかったらしいし

469:天之御名無主
07/09/21 14:33:29
これ見てどう思う
URLリンク(www.all-creatures.org)
URLリンク(www.fur-free.com)
URLリンク(www.no-fur.org)
URLリンク(gyakusatu.angelfire.com)


470:天之御名無主
07/09/30 21:12:50
>>469
毛皮産業の話なんで食文化としてどう語ればいいかわからんが・・
とりあえず中国人は滅んだらいいと思うよ

471:天之御名無主
07/10/01 03:33:19
>>468
ばあちゃんたちは、カエルは食べたって言ってたな。牛、馬は農耕用だから大事にしたんだろ。あと、鶏鴨熊狐狸雉兎鹿猪…。
まぁ、山村だったからだと思うけど、牛馬を食べなかっただけじゃないか?しょっちゅう食べてたわけじゃ無いと思うが。

472:天之御名無主
07/10/03 17:13:56
>>445
猿は害獣だけど猟師は人間に似てるから銃で撃ちたがらない
よって被害が拡大してるって話だが
単純に駆除しろともいえないしな
動物保護団体もあるし

473:天之御名無主
07/10/03 18:37:33
一つ訊いていいか ブタの本当の寿命ってどん位だ?

474:天之御名無主
07/10/06 07:39:33
>>471
そのばあちゃんたちは、当時何県の山村で暮らしていたのですか?牛、馬は大事にと
一括りにしているが、農耕労役に使役したのは概ね西日本が牛、東日本が馬。牛馬
共用地域はない。投稿文面からして若年者と察するが、戦後の高度成長期以前は
総じて牛馬の肉を買えるほど裕福でなかった面も大きいだろう。TVの「菊次郎と
サキ」は当時の都市庶民を描いたものだが、田舎はもっと貧乏だった。

475:天之御名無主
07/10/11 02:48:54
良スレ上げ保守

476:天之御名無主
07/10/11 07:42:31
>>473
寿命を全うする前に食われるが、一説によると2年~3年。

477:天之御名無主
07/10/11 18:12:42
豚のもとであるところの野生のイノシシは10年未満といったとこらしい。

478:天之御名無主
07/10/12 16:26:02
宮崎の山奥出身だけど、猟友会の人達が狩った猪肉をもらうことがあって、猪鍋で食べてた。
肉に毛が付いてるのもあったので、皮も一緒に煮込んでたみたいね。骨なんかも大きいのが入ってた
少し臭みがあるけど、味が濃厚ですごく美味しかったよ。

ちなみに一緒に入れた具材は牛蒡、大根、人参とかだった。
熊本の馬刺しなんかもすごく美味しいよね。高級だけど。


479:天之御名無主
07/10/14 17:46:02
既出にないようなので紹介。
1733年とされる仙台藩料理品、橘川房常:料理集に。
うし 本汁に仕候 せんに引あらひ候て 水のすみ候節能く候 とり合いてうごぼうよく候
また粕漬に仕置 本汁に仕候ても能く候 給候ものは百五十日の穢と申候

480:天之御名無主
07/10/14 17:56:22
↑仙台藩料理人の書き間違いでした。
また、寛永十三年版「料理物語」の、獣の上中下は、江戸初期「宜禁本草」の引用だそうです。
ただし、未確認です。

481:天之御名無主
07/10/16 14:56:10
>>479
>給候ものは百五十日の穢

穢れた者は、当然、神社参拝や祭礼・慶事には参加できないよね。
場合によっては、主君拝謁や出仕も不可ってことになれば、
食べたければ食べても良いけど、社会生活ができなくなるということじゃないの。

482:天之御名無主
07/10/24 15:19:34
肉食反対!!

483:天之御名無主
07/10/24 19:13:32
うちの祖母(大正10年生)は肉類全く食べない。
昔理由を聞いたら、肉を食べたら村八分にされる決まりだったそうな。
ただ、鶏と卵はOKだったらしい。
ちなみに祖母は会津磐梯山の麓の村の生まれ。

484:天之御名無主
07/10/25 08:48:37
日本は四足の動物の肉食を禁止されていたということは、
山間部に住む人間の蛋白源として、カエルやヘビなどの爬虫類の肉がもっと食文化として発展してもよかったはず。





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