00/11/01 00:01
先日、生徒に聞かれました。「どうして、古文を学ぶのですか?役に立つのですか?」と。
そこで、みなさんに教えていただきたいのです。
確かに、教科の学習は実生活の中で具体的に役立つものもあれば、そうでないものもあるのは事実です。
ですから、「実生活に有益であるか否か」という論点では何も言えません。
まず、私は、古文に限らず義務教育の中で行われる教科の学習を、「学問の基礎のキソ」と位置づけています。
文学でも経済学でもそうですが、学問に全てを解決する一つの答などありません。
その道を追究する学者でさえ、一代で結論を完結せず次世代の学者へとその研究を繋いでいます。
学問とは、それほど奥深く、また次々に課題も生み出されるものです。
とすると、教科の学習は「教養」として捉えるのが自然なのでしょうか。
現在、中学生である生徒たちがこの先何十年後かに、趣味として漢詩を楽しんだり、株式投資に
熱中したりするときが来るかもしれません。それは生徒の自己決定によるのですが。
その時、「教養」としての「学問の基礎のキソ」が、その子の人生に彩りを与えるかもしれません。
嫌々習っていたピアノだったのに、大人になってからなぜだか無性に弾きたくなったとか、
読書感想文の宿題のために嫌々読んだはずの小説を、読み返してみたくなったり、自分の子供に読み
聞かせたくなったり、競馬に興味を持ち、数字とにらめっこしてオッズ状況から掛け金を調整したり。
生活を楽しむ素養を、教科の学習で伝えているつもりですが、違うのかなぁ。
私はまだ2年目の教員です。どうか、みなさんの暖かい助言をいただけますように。