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今から約2千4百年前、ギリシアではプラトンが活躍していた頃、
中国に、墨子という思想家がいました。
墨子は、孔子の愛の思想である「仁」に反対したので有名です。
「仁」は、親や兄弟などの自分に近い人をより大切にし、自分にはあまり
関係のない人のことは、それほど大切にしないというように、区別を持った
「別愛」(partial love)であるが、そもそも、そのように自分と他人を
区別する考え方こそが、あらゆる憎しみや戦争などの根源ではないか。
自分も他人も、すべての人を、別け隔てなく大切にする「兼愛」(universal
love)こそが、本当の愛であると墨子は考えました。
さらに、愛とは、単なる理想にすぎないものではなく、愛することによって
のみ、人は現実的に(経済的にも)幸せになれるのであるという信念(兼愛
交利の思想)を墨子は持っていました。なぜなら、「やさしい人は、他人を
幸せにしてあげることができるし、その人自身は、他人によって、もっと幸
せにされる。(愛すれば、愛される。)」と考えたからです。
そして、人類の一体性を強調した墨子は、単にお題目を唱えるだけではなく、
理想を実現させるため、なりふりかまわず、東奔西走しました。
(「席の暖まるいとまもない」という表現は、もともと、墨子につけられた
形容です。単なる思想家ではなく、「行動的である」ということが、墨子の
大きな特徴になっています。)
墨子のことを思うとき、私は、いつも、「驚き」を感ぜずにはいられません。
戦乱と陰謀の渦巻く、まさに弱肉強食の戦国時代に、「人間にとって一番
大切なのは愛することである。人を愛し、人に利益を与えよ。」と断固とし
て主張し、実践を続けた墨子。
墨子の信念は、多くの人の賛同を集め、強固な集団(墨家)が形成され、
当時は孔子の儒家を圧倒するほどの一大勢力となったのでした。
イエス・キリストなどとは異なり、墨子は、神秘的な奇蹟など、何ひとつ
起こしませんでした。
しかし、墨子の人生そのものが、単に予言が当たったとか、水の上を歩いた
などという事とは比べものにならないほどの奇蹟であると私には思われ
るのです。
墨子のことを思うたびに、私は、墨子の持っていた信念や、決意、情熱、
使命感に体がふるえてくるような気がします。
墨子は、ガンジーやマザーテレサと同様、愛と正義の実現に、人生のすべてを
賭けた人だったのでした。