09/02/22 16:55:31 7en4im6K
>>301>>302
朧月夜が朱雀帝に入内したのは朱雀帝が27歳ぐらいのとき。
このときまでに女宮2人が誕生していても別におかしくないが。
10代のころから妃を侍らせる当時の天皇や東宮が
このときまで一人も子がいないほうが何か書かれるだろう。
冷泉帝は11歳で即位、28歳で退位したが、
28歳になってもなお1人の子もなかったことが書かれてある。
なお、冷泉帝に一人息子の今上帝が誕生したのは30歳の時。
朱雀院が朧月夜のために女断ちをしていて
誰一人女御・更衣を侍らせなかったという事実もない。
桐壺を、その次には藤壺を寵愛した桐壷帝だって、
その合間に実に男子だけで10人もの子をもうけているのだから、
帝たるもの他の女御・更衣ともやるものであって。
ちなみに弘き殿女御との間には源氏が生まれた後も女宮2人を産ませている。
ちなみに源氏の場合、
18歳で不義の子冷泉帝、22歳で長男夕霧、
28歳で長女明石姫君が誕生していて、30代以降には子は儲けていない。
40過ぎてから妊娠させたとされた女三宮の胤は別人だったし。