07/12/29 11:45:05 B0hgJaTq
為秀
あはれしる友こそかたき世なりけりひとり雨きく秋のよすがら
此歌をききて、了俊は、為秀の弟子になられたるなり。「ひとり雨きく秋のよすがら」は上句にてあるなり。
秋の夜ひとり雨をききて、「あはれしる友こそかたき世なりけれ」とおもひたるなり。あはれ知る友あらば、さそはれて、いづちへもゆくべきか、語りもあかさば、かく雨はきくべからず。
いかむともせぬ所が、殊勝におぼえ侍る也。「ひとり雨きく秋のよはかな」ともあらば、はつべきが、「あきの夜すがら」といひすてて、はてざる所が肝要なり。
「ひとり雨きくあきの夜すがらおもひゐたるは」といふ心をのこして、「夜すがら」とはいへるなり。されば「ひとり雨きく秋の夜すがら」は、上句にてあるなり。
ひとり雨きくが下句にて侍らば、させるふしもなき歌にてあるべきなり。杜子美詩に、聞雨寒更尽、開門落葉深云々、この詩をわれらが、法眷の老僧ありしに、点じなほしたる也。昔より雨と聞くと点じたるを、此点わろしとて、雨を聞きてと、ただ一字初てなほしてけり。
初より落葉と知りたるにては、その心せばし。雨をとよみつれば、夜はただ誠の雨とききたれば、五更既に尽きて、朝に門を開てみれば、雨にはあらず、落葉ふかく砌に散りしきたり。此時初ておどろくこそおもしろけれ。されば歌も一ものにてあらぬものにきこゆる也。
という正徹物語の文なのですが、何故「ひとり雨きく秋のよすがら」は上句にてあるなり。と分かるのですか?
また、「此点わろしとて」とありますが、何故悪いのですか?