10/04/12 22:02:51 t5yK0A/6
問題は、謙抑性を理由に考えるのが死刑に対してのみであることや、
死刑でさえなければ、あとはどうであれ何があってもマシであるという、信仰とすら言える思い込みがあること。
存置に合理的な理由が無ければ廃止すべしという結論も、そこから導かれており、
そのため、はじめから死刑廃止の信仰を持っている人にしか通用しない理屈に成っている。
廃止論は、死刑存置下の最悪の事態は想像を豊かにするのに、
死刑廃止下の最悪の事態には多大な希望的観測を用いているため、
死刑が廃止された場合に、死刑が存置状態にある場合よりも被害が拡大する理屈にはまず触れない。
のみならず、他人にはその可能性に触れられただけで罵声や嘲笑を浴びせたりする傾向が強くある。
これらは、死刑存廃論以前に論理性の問題であるし、
議論という場のルールから見ても非難されても仕方ない行為といえる。
どちらにせよ、絶対的終身刑道入派と非導入派のように、
矛盾する複数の廃止論が平然と並立している状態を放置したままでは、死刑を廃止しても、
必ずいずれかの廃止論において理論的に被害が拡大するという事態になるので、
そんな状態で理論的に死刑廃止などできるわけがない。