■■■■三島由紀夫の「檄」■■■■at JURISP
■■■■三島由紀夫の「檄」■■■■ - 暇つぶし2ch350:法の下の名無し
09/02/07 16:54:10 OA6+bL1+
神風連について学ぶためには、古神道を知らねばならぬといつて、わざわざ古神道をつたへる大和の大三輪神社に行き、数日間滝にうたれたり、そこの宮司から古神道の話をきいてゐた、といふやうな真剣さを知つたからである。
さらに私の心をうつたのは、熊本にきて私と対話中、神風連にとつてもつとも重要な遺跡であり、
その思想信条の発源体であつた新開皇大神宮に行くのに、私の案内を辞退して、道順だけをきいてそこまで十キロの径を一人出かけて行つたといふ態度であつた。

荒木精之
「初霜の記・三島由紀夫と神風連」より

351:法の下の名無し
09/02/10 22:45:58 3FiMvtof
拝啓 永らく御無沙汰しておりますが、その後お変りもいらつしやいませぬか。
…お国は今までとは異なつた種類の、想像も及ばなかつた危難に直面し、我々の戦ひは今すぐ始められねばなりませぬ。
日本人がわれとわが手で、その高貴と美とを、かくまで無惨に踏みにじつて了つたことは、我々共々、実に遺憾に存じますが、
文学とは北極星の如く、秩序と道義をその本質とし前提とする神のみ業であります故に、この神に、わき目もふらず仕へることにより、我々の戦ひは必ずや勝利を得ることと確信いたします。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年9月3日付の葉書から

352:法の下の名無し
09/02/21 12:15:12 wCu+q88W
私は別にかつての軍隊の讚美者でもなく、軍隊生活の経験も持たない身は、それについて論じる資格もないが、
大分前に、「きけ、わだつみの声」であつたか、その種の反戦映画を見て、いはん方ない反感を感じたおぼえがある。
たしかその映画では、フランス文学研究をたよりに、反戦傾向を示す学生や教師が、戦場へ狩り出され、
戦死した彼らのかたはらには、ボオドレエルだかヴェルレエヌだかの詩集の頁が、風にちぎれてゐるといふシーンがあつた。
甚だしくバカバカしい印象が私に残つてゐる。ボオドレエルが墓の下で泣くであらう。
日本人がボオドレエルのために死ぬことはないので、どうせ兵隊が戦死するなら、祖国のために死んだはうが論理的であり、人間は結局個人として死ぬ以上、おのれの死をジャスティファイする権利をもつてゐる。

三島由紀夫
「『青春監獄』の序」より

353:法の下の名無し
09/02/21 12:15:50 wCu+q88W
絶対的に受身の抵抗のうちに、戦死しても犬のやうに殺されたといふ実感を自ら抱いて、死んでゆける人間は、稀に見る聖人にちがひない。
私はすべてこの種の特殊すぎる物語に疑ひの目を向ける。兵隊であつて文学者あつた人の書くものも、一般人を納得させるかもしれないが、私のやうな疑ぐり深い文士を納得させない。
私の読みたいのは、動物学者の書いた狼の物語ではなく、狼自身の書いた狼の物語なのである。
狼がどんなに嘘を並べても、狼の目に映つた事実であり嘘であれば、私は信じる。
私は何も礼を失して、宮崎氏を狼呼ばはりするのではない。しかし氏の著書は、或る見地から見て、実に貴重なのである。

三島由紀夫
「『青春監獄』の序」より

354:法の下の名無し
09/02/28 12:32:11 PcQluyBp
戦後二十二年間、私は原爆について発言しなかつた。…
第一に、原爆に関しては、体験した者と体験しない者、被曝者と被曝しなかつた者といふ二つの立場以外、絶対ありえないからだ。
これがベトナム論などと根本的に違ふ点であり、そのことを忘れた発言はすべてウソである。
被曝しなかつた者が、いくら「おかはいさうに」と同情してみせても、そんなことで心慰められる被曝者は一人もゐない。
…広島に“新型爆弾”が投下されたとき、私は東大法学部の学生であつた。
…それが原爆だと知つたのは数日後のこと、たしか教授の口を通じてだつた。
世界の終りだ、と思つた。この世界終末観は、その後の私の文学の唯一の母体をなすものでもある。

三島由紀夫
「私の中のヒロシマ―原爆の日によせて」より

355:法の下の名無し
09/02/28 12:33:11 PcQluyBp
ヒロシマ。ナチのユダヤ人虐殺。まぎれもなくそれは史上、二大虐殺行為である。だが、日本人は「過ちは二度とくりかへしません」といつた。
原爆に対する日本人の民族的憤激を正当に表現した文学は、終戦の詔勅の「五内為ニ裂ク」といふ一節以外に、私は知らない。
そのかはり日本人は、八月十五日を転機に最大の屈辱を最大の誇りに切りかへるといふ奇妙な転換をやつてのけた。
一つはおのれの傷口を誇りにする“ヒロシマ平和運動”であり、もう一つは東京オリンピックに象徴される工業力誇示である。
だが、そのことで民族的憤激は解決したことになるだらうか。

三島由紀夫
「私の中のヒロシマ―原爆の日によせて」より

356:法の下の名無し
09/02/28 12:33:36 PcQluyBp
いま、日本は工業化、都市化の道を進んでゐる。明らかに“核”をつくる文化を受入れて生きてゐる。
日本は核時代に向ふほかない。単なる被曝国として、手を汚さずに生きて行けるものではない。
核大国は、多かれ少なかれ、良心の痛みをおさへながら核を作つてゐる。彼らは言ひわけなしに、それを作ることができない。
良心の呵責なしに作りうるのは、唯一の被曝国・日本以外にない。われわれは新しい核時代に、輝かしい特権をもつて対処すべきではないのか。
そのための新しい政治的論理を確立すべきではないのか。日本人は、ここで民族的憤激を思ひ起すべきではないのか。

三島由紀夫
「私の中のヒロシマ―原爆の日によせて」より

357:法の下の名無し
09/02/28 12:34:19 PcQluyBp
戦後二十二年間、平和はまさに米ソの核均衛の上に保たれてゐた。
だか、お互ひの核ドウカツだけで均衛が保たれたかといふと、さうは思へない。
第二次大戦中、広島で原爆が使はれたといふ事実、たくさんの人が死に、今も肉体的、精神的に苦しんでゐる人がゐるといふ事実がなかつたとしたら、観念的にいくら原爆の悲惨さがわかつてゐても、必ず使はれたらう。
人間とは本来、さういふものである。
…将来、小型爆弾が使はれる可能性は、皆無ではないだらう。
…だが、いちばん危険なのは、防衛力としてのABM(弾道弾迎撃ミサイル)が開発されて、攻撃力としてのICBM(大陸間弾道弾)との均衛が成立したとき、
つまり大国がICBMに対して自国の安全を守れるといふ考へに達した時であらう。

三島由紀夫
「私の中のヒロシマ―原爆の日によせて」より

358:法の下の名無し
09/03/01 13:11:20 AduH+P7g
実は私は「愛国心」といふ言葉があまり好きではない。何となく「愛妻家」といふ言葉に似た、背中のゾッとするやうな感じをおぼえる。
この、好かない、といふ意味は、一部の神経質な人たちが愛国心といふ言葉から感じる政治的アレルギーの症状とは、また少しちがつてゐる。
ただ何となく虫が好かず、さういふ言葉には、できることならソッポを向いてゐたいのである。
この言葉には官製のにほひがする。また、言葉としての由緒ややさしさがない。
どことなく押しつけがましい。反感を買ふのももつともだと思はれるものが、その底に揺曳してゐる。
では、どういふ言葉が好きなのかときかれると、去就に迷ふのである。愛国心の「愛」の字が私はきらひである。
自分がのがれやうもなく国の内部にゐて、国の一員であるにもかかはらず、その国といふものを向う側に対象に置いて、わざわざそれを愛するといふのが、わざとらしくてきらひである。
もしわれわれが国家を超越してゐて、国といふものをあたかも愛玩物のやうに、狆か、それともセーブル焼の花瓶のやうに、愛するといふのなら、筋が通る。それなら本筋の「愛国心」といふものである。

三島由紀夫
「愛国心」より

359:法の下の名無し
09/03/01 13:13:08 AduH+P7g
また、愛といふ言葉は、日本語ではなくて、多分キリスト教から来たものであらう。日本語としては「恋」で十分であり、日本人の情緒的表現の最高のものは「恋」であつて、「愛」ではない。
もしキリスト教的な愛であるなら、その愛は無限低無条件でなければならない。
従つて、「人類愛」といふのなら多少筋が通るが、「愛国心」といふのは筋が通らない。なぜなら愛国心とは、国境を以て閉ざされた愛だからである。
だから恋のはうが愛よりせまい、といふのはキリスト教徒の言ひ草で、恋のはうは限定性個別性具体性の裡にしか、理想と普遍を発見しない特殊な感情であるが、「愛」とはそれが逆様になつた形をしてゐるだけである。

三島由紀夫
「愛国心」より

360:法の下の名無し
09/03/01 13:14:57 AduH+P7g
ふたたび愛国心の問題にかへると、愛国心は国境を以て閉ざされた愛が、「愛」といふ言葉で普遍的な擬装をしてゐて、それがただちに人類愛につながつたり、アメリカ人もフランス人も日本人も愛国心においては変りがない、といふ風に大ざつぱに普遍化されたりする。
これはどうもをかしい。もし愛国心が国境のところで終るものならば、それぞれの国の愛国心は、人類普遍の感情に基づくものではなくて、辛うじて類推で結びつくものだと言はなくてはならぬ。
アメリカ人の愛国心と日本人の愛国心が全く同種のものならば、何だつて日米戦争が起つたのであらう。「愛国心」といふ言葉は、この種の陥穽を含んでゐる。

三島由紀夫
「愛国心」より

361:法の下の名無し
09/03/01 13:15:24 AduH+P7g
日本のやうな国には、愛国心などといふ言葉はそぐはないのではないか。すつかり藤猛にお株をとられてしまつたが、「大和魂」で十分ではないか。
アメリカの愛国心といふのなら多少想像がつく。ユナイテッド・ステーツといふのは、巨大な観念体系であり、
移民の寄せ集めの国民は、開拓の冒険、獲得した土地への愛着から生じた風土愛、かういふものを基礎にして、合衆国といふ観念体系をワシントンにあづけて、それを愛し、それに忠誠を誓ふことができるのであらう。
国はまづ心の外側にあり、それから教育によつて内側へはひつてくるのであらう。
アメリカと日本では、国の観念が、かういふ風にまるでちがふ。日本は日本人にとつてはじめから内在的即自的であり、かつ限定的個別的具体的である。
観念の上ではいくらでもそれを否定できるが、最終的に心情が容認しない。

三島由紀夫
「愛国心」より

362:法の下の名無し
09/03/01 13:16:05 AduH+P7g
そこで日本人にとつての日本とは、恋の対象にはなりえても、愛の対象にはなりえない。われわれはとにかく日本に恋してゐる。
これは日本人が日本に対する基本的な心情の在り方である。(本当は「対する」といふ言葉さへ、使はないはうがより正確なのだが)
しかし恋は全く情緒と心情の領域であつて、観念性を含まない。
われわれが日本を、国家として、観念的にプロブレマティッシュ(問題的)に扱はうとすると、しらぬ間にこの心情の助けを借りて、あるひは恋心をあるひは憎悪愛(ハースリーベ)を足がかりにして物を言ふ結果になる。
かくて世上の愛国心談義は、必ず感情的な議論に終つてしまふのである。

三島由紀夫
「愛国心」より

363:法の下の名無し
09/03/01 13:17:45 AduH+P7g
恋が盲目であるやうに、国を恋ふる心は盲目であるにちがひない。
しかし、さめた冷静な目のはうが日本をより的確に見てゐるかといふと、さうも言へないところに問題がある。
さめた目が逸したところのものを、恋に盲ひた目がはつきりつかんでゐることがしばしばあるのは、男女の仲と同じである。
一つだけたしかなことは、今の日本では、冷静に日本を見つめてゐるつもりで日本の本質を逸した考へ方が、あまりにも支配的なことである。
さういふ人たちも日本人である以上、日本を内在的即自的に持つてゐるのであれば、彼らの考へは、いくらか自分をいつはつた考へだと言へるであらう。

三島由紀夫
「愛国心」より

364:法の下の名無し
09/03/06 16:38:50 JVD0GIqA
三島由紀夫さんの《詩の朗読レコード》「天と海」が発売されたことについて、今では知っている方も少ない。
…このレコードの制作当時、私は大手のPR会社に勤務しており、このレコードに関する企画、制作、PRなどに深く関与していた。
…三島さんは「キミが勤めている会社のためだったら断るが、キミの個人的な頼みでやるのなら引き受けてもいいよ」と快く返事をしてくれた。
私が三島さんに知己を得たのは、学生時代にさかのぼる。当時流行していたボディビルジムでの出会いが契機となり、氏との数奇な縁が始まった。
…詩は朗読する本人にお任せすることになり、三島さんは浅野晃氏の「天と海」という長編を選んだ。
この詩の内容は、詩人で大学教授でもあった浅野氏が、学徒動員で出征し、南方の地に散っていった教え子たちの英霊に捧げる鎮魂歌であった。

川瀬賢三
「『天と海』レコード化のころ」より

365:法の下の名無し
09/03/06 16:40:50 JVD0GIqA
この仕事を始めるに当たって三島さんは、「今回の制作は、私は単なる朗読の演技者であるから、全てキミの指示に従うので注文があれば遠慮なく言って欲しい」と念を押された。
…このLP盤の制作には半年ほどを要し、サラリーマン時代の私には苛酷な毎日だった。
…深夜のスタジオで、山本(直純)氏が作曲した音楽テープをバックに、独りアナブースの中で、緊張の面持ちでマイクに向かう三島さんは、まるで尊い命を南方に散らしていった若き英霊の魂が乗り移ったかの如く、鬼気迫る迫真の演技であった。
三島さんが、精魂込めて朗読したこのレコードは、現在では“幻の名盤”となり、再発売されていない。誠に残念としか言い様がない。
今は三島さんの全ての好意に感謝し、ひたすらご冥福を祈るのみである。

川瀬賢三
「『天と海』レコード化のころ」より

366:法の下の名無し
09/03/12 23:50:15 zXDKWA+y
…世俗的君主とは祭祀の一点においてことなる天皇は、正にその時間的連続性の象徴、祖先崇拝の象徴たることにおいて、「象徴」たる特色を担つてゐるのである。
天皇が「神聖」と最終的につながつてゐることは、同時に、その政治的無答責性において、現実所与の変換する政治的責任を免かれてゐればこそ、保障されるのである。
これを逆に言へば、天皇の政治的無答責は、それ自体がすでに「神聖」を内包してゐると考へなければ論理的でない。

三島由紀夫
「問題提起」より

367:法の下の名無し
09/03/12 23:52:10 zXDKWA+y
「神聖不可侵」の規定の復活は、おのづから第二十条「信仰の自由」の規定から、神道の除外例を要求するだらう。
キリスト教文化をしか知らぬ西欧人は、この唯一神教の宗教的非寛容の先入主を以てしか、他の宗教を見ることができず、
英国国教のイングランド教会の例を以て日本の国家神道を類推し、のみならずあらゆる侵略主義の宗教的根拠を国家神道に妄想し、
神道の非宗教的な特色性、その習俗純化の機能等を無視し、はなはだ非宗教的な神道を中心にした日本のシンクレティスム(諸神混淆)を理解しなかつた。
敗戦国の宗教問題にまで、無智な大斧を揮つて、その文化的伝統の根本を絶たうとした占領軍の政治的意図は、今や明らかであるのに、日本人はこの重要な魂の問題を放置して来たのである。

三島由紀夫
「問題提起」より

368:法の下の名無し
09/03/17 15:43:55 4DFwkwve
国体は日本民族日本文化のアイデンティティーを意味し、政権交替に左右されない恒久性をその本質とする。
政体は、この国体維持といふ国家目的民族目的に最適の手段として、国民によつて選ばれるが、政体自体は国家目的追求の手段であつて、それ自体、自己目的的なものではない。
民主主義とは、継受された外国の政治制度であり、あくまで政体以上のものを意味しない。これがわれわれの思考の基本的な立場である。
旧憲法は国体と法体系の間の相互の投影を完璧にしたが、現憲法は、これを明らかにしてゐないことは前述の通りである。

三島由紀夫
「問題提起」より

369:法の下の名無し
09/03/17 15:45:07 4DFwkwve
けだし、国体の語を広義に解釈すれば、現憲法は二種の国体、二つの忠誠対象を、分裂させて持つてをり、且つ国民の忠誠対象をこの二種の国体へ分裂させるやうに仕組まれてゐるからである。
国体は本来、歴史・伝統・文化の時間的連続性に準拠し、国民の永い生活経験と文化経験の集積の上に成立するものであるが、革命政権における国体とは、いふまでもなく、このやうなものではない。
革命政権における国体は、未来理想社会に対する一致した願望努力、国家超越の契機を内に秘めた世界革命の理想主義をその本質とするであらう。
ところが、奇妙なことに現行憲法は、この相反する二種の国体概念を、(おそらく国論分裂による日本弱体化といふ政治的企図を含みつつ)、並記してゐるのである。
これが憲法第一章と第二章との、戦後の思想的対立の根本要因をなす異常なコントラストである。

三島由紀夫
「問題提起」より

370:法の下の名無し
09/03/17 15:45:39 4DFwkwve
…国体と政体の別を明らかにし、本と末の別を立て、国にとつて犯すべからざる恒久不変の本質と、盛衰を常とする政体との癒着を剥離することこそ、国の最大の要請でなければならない。
そのためには、憲法上、第一章と第二章とが到底民族的自立の見地から融和すべからざるものであり、この民族性の理念と似而非国際主義の理念との対立矛盾が、エモーショナルな国民の目前に、はつきり露呈されることが何よりも緊要である。

三島由紀夫
「問題提起」より

371:法の下の名無し
09/03/17 15:46:32 4DFwkwve
このことは、グロテスクな誇張を敢てすれば、侵略戦争の宣戦布告をする天皇と、絶対非武装平和の国際協調主義との、対立矛盾を明示せよ、といふのではない。むしろその反対である。
もし現憲法の部分的改正によつて、第九条だけが改正されるならば、日本は楽々と米軍事体制の好餌になり、自立はさらに失はれ、日本の歴史・伝統・文化は、さらに危殆に瀕するであらう。
われわれは、第一章、第二章の対立矛盾に目を向け、この対立矛盾を解消することによつて、日本の国防上の権利(第二章)を、民族目的(第一章)に限局させようと努め、その上で真の自立の平和主義を、はじめて追求しうるのである。
従つて、第一章の国体明示の改正なしに、第二章のみの改正に手をつけることは、国家百年の大計を誤るものであり、第一章改正と第二章改正は、あくまで相互のバランスの上にあることを忘れてはならない。

三島由紀夫
「問題提起」より

372:法の下の名無し
09/03/18 13:06:12 xjrrcvOP
―さて、逐条的に現憲法の批判に入ると、
第一条(天皇の地位・国民主権)天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条(皇位の継承)皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
とあるが、第一条と第二条の間には明らかな論理的矛盾がある。
すなはち第一条には、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあるが、第二条には、「皇位は、世襲のものであつて」とあり、もし「地位」と「皇位」を同じものとすれば、「主権の存する日本国民の総意に基く」筈のものが、「世襲される」といふのは可笑しい。
世襲は生物学的条件以外の条件なき継承であり、「国民の総意に基く」も「基かぬ」もないのである。

三島由紀夫
「問題提起」より

373:法の下の名無し
09/03/18 13:07:23 xjrrcvOP
又、もしかりに一歩ゆづつて、「主権の存する日本国民の総意」なるものを、一代限りでなく、各人累代世襲の総意とみとめるときは、「世襲」の語との矛盾は大部分除かれるけれども、
個人の自由意志を超越したそのやうな意志に主権が存するならば、それはそもそも近代個人主義の上に成立つ民主主義と矛盾するであらう。
又、もし、「地位」と「皇位」を同じものとせず、「地位」は国民の総意に基づくが、「皇位」は世襲だとするならば、「象徴としての地位」と「皇位」とを別の概念とせねばならぬ。
それならば、世襲の「皇位」についた新らしい天皇は、即位のたびに、主権者たる「国民の総意」の査察を受けて、その都度、「象徴としての地位」を認められるか否か、再検討されなければならぬ。
しかもその再検討は、そもそも天皇制自体の再検討と等しいから、ここで新天皇が「象徴としての地位」を否定されれば、必然的に第二条の「世襲」は無意味になる。いはば天皇家は、お花の師匠や能役者の家と同格になる危険に、たえずさらされてゐることになる。

三島由紀夫
「問題提起」より

374:法の下の名無し
09/03/18 13:08:25 xjrrcvOP
私は非常識を承知しつつ、この矛盾の招来する論理的結果を描いてみせたのであるが、このやうな矛盾は明らかに、第一条に於て、
天皇といふ、超個人的、伝統的、歴史的存在の、時間的連続性(永遠)の保証者たる機能を、「国民主権」といふ、個人的、非伝統的、非歴史的、空間的概念を以て裁いたといふ無理から生じたものである。
これは、「一君万民」といふごとき古い伝承観念を破壊して、むりやりに、西欧的民主主義理念と天皇制を接着させ、移入の、はるか後世の制度によつて、根生の、昔からの制度を正当化しようとした、方法的誤謬から生れたものである。
それは、キリスト教に基づいた西欧の自然法理念を以て、日本の伝来の自然法を裁いたものであり、もつと端的に言へば、西欧の神を以て日本の神を裁き、まつろはせた条項であつた。

三島由紀夫
「問題提起」より

375:法の下の名無し
09/03/18 13:09:31 xjrrcvOP
われわれは、日本的自然法を以て日本の憲法を創造する権利を有する。
天皇制を単なる慣習法と見るか、そこに日本的自然法を見るかについては、議論の分れるところであらう。
英国のやうに慣習法の強い国が、自然法理念の圧力に抗して、憲法を不文のままに置き、慣習法の運用によつて、同等の法的効果と法的救済を実現してゆくが如き手続は、日本では望みがたいが、
すべてをフランス革命の理念とピューリタニズムの使命感で割り切つて、巨大な抽象的な国家体制を作り上げたアメリカの法秩序が、日本の風土にもつとも不適合であることは言ふ俟たない。
現代はふしぎな時代で、信教の自由が先進諸国の共通の表看板になりながら、十八世紀以来の西欧人文主義の諸理念は、各国の基本法にのしかかり、これを制圧して、これに対する自由を許してゐないのである。

三島由紀夫
「問題提起」より

376:法の下の名無し
09/03/18 13:10:49 xjrrcvOP
われわれがもしあらゆる宗教を信ずることに自由であるなら、どうして近代的法理念のコンフォーミティーからだけは自由でありえない、といふことがあらうか?
又逆に、もしわれわれが近代的法理念のコンフォーミティーからは自由でありえないとするならば、習俗、伝習、文化、歴史、宗教などの民族的固有性から、それほど自由でありうるのだらうか?
それは又、明治憲法の発祥に戻つて、東洋と西洋との対立融合の最大の難問に、ふたたび真剣にぶつかることであるが、
敗戦の衝撃は、一国の基本法を定めるのに、この最大の難問をやすやすと乗り超えさせ、しらぬ間に、日本を、そのもつとも本質的なアイデンティティーを喪はせる方向へ、追ひやつて来たのではなかつたか?
天皇の問題は、かくて憲法改正のもつとも重要な論点であつて、何人もこれを看過して、改憲を語ることはできない。

三島由紀夫
「問題提起」より

377:法の下の名無し
09/03/18 13:16:15 xjrrcvOP
…世俗的君主とは祭祀の一点においてことなる天皇は、正にその時間的連続性の象徴、祖先崇拝の象徴たることにおいて、「象徴」たる特色を担つてゐるのである。
天皇が「神聖」と最終的につながつてゐることは、同時に、その政治的無答責性において、現実所与の変転する政治的責任を免かれてゐればこそ、保障されるのである。
これを逆に言へば、天皇の政治的無答責は、それ自体がすでに「神聖」を内包してゐると考へなければ論理的でない。
なぜなら、人間であることのもつとも明確な責任体系こそ、政治的責任の体系だからである。そのやうな天皇が、一般人同様の名誉毀損の法的保護しか受けられないのは、一種の論理的詐術であつて、「栄典授与」(第七条第七項)の源泉に対する国自体の自己冒涜である。

三島由紀夫
「問題提起」より

378:法の下の名無し
09/03/18 13:17:14 xjrrcvOP
「神聖不可侵」の規定の復活は、おのづから第二十条「信仰の自由」の規定から、神道の除外例を要求するだらう。
キリスト教文化をしか知らぬ西欧人は、この唯一神教の宗教的非寛容の先入主を以てしか、他の宗教を見ることができず、
英国国教のイングランド教会の例を以て日本の国家神道を類推し、のみならずあらゆる侵略主義の宗教的根拠を国家神道に妄想し、
神道の非宗教的な特色性、その習俗純化の機能等を無視し、はなはだ非宗教的な神道を中心にした日本のシンクレティスム(諸神混淆)を理解しなかつた。
敗戦国の宗教問題にまで、無智な大斧を揮つて、その文化的伝統の根本を絶たうとした占領軍の政治的意図は、今や明らかであるのに、日本人はこの重要な魂の問題を放置して来たのである。

三島由紀夫
「問題提起」より

379:法の下の名無し
09/03/25 11:38:53 +mmKJqs6
ありていに言つて、第九条は敗戦国日本の戦勝国に対する詫証文であり、この詫証文の成立が、日本側の自発的意志であるか米国側の強制によるかは、もはや大した問題ではない。
ただこの条文が、二重三重の念押しをからめた誓約の性質を帯びるものであり、国家としての存立を危ふくする立場に自らを置くものであることは明らかである。
論理的に解すれば、第九条に於ては、自衛権も明白に放棄されてをり、いかなる形においての戦力の保有もゆるされず、自衛の戦ひにも交戦権を有しないのである。
全く物理的に日本は丸腰でなければならぬのである。
…第九条のそのままの字句通りの遵奉は、「国家として死ぬ」以外にはない。しかし死ぬわけには行かないから、しやにむに、緊急避難の理論によつて正当化を企て、御用学者を動員して、牽強附会の説を立てたのである。

三島由紀夫
「問題提起」より

380:法の下の名無し
09/03/25 11:43:42 +mmKJqs6
自衛隊は明らかに違憲である。しかもその創設は、新憲法を与へたアメリカ自身の、その後の国際政治状況の変化による要請に基づくものである。
…護憲のナショナリスティックな正当化は、あくまで第九条の固執により、片やアメリカのアジア軍事戦略体制に乗りすぎないやうに身をつつしみ、片や諸外国の猜疑と非難を外らさうといふ、消極弥縫策にすぎず、
国内的には、片や「何もかもアメリカの言ひなりにはならぬぞ」といふナショナリスティックな抵抗を装ひ、片や「平和愛好」の国民の偸安におもねり、大衆社会状況に迎合することなのである。
しかもアメリカの絶えざる要請にしぶしぶ押されて、自衛隊をただ「量的に」拡大し、兵器体系を改良し、もつとも厄介な核兵器問題への逢着を無限に延させるために、平和憲法下の安全保障の路線を、無目的無理想に進んでゆくことである。
…核と自主防衛、国軍の設立と兵役義務、その他の政策上の各種の難問題は、九条の裏面に錯綜してゐる。しかしここでは、私は徴兵制度復活には反対であることだけを言明しておかう。

三島由紀夫
「問題提起」より

381:法の下の名無し
09/03/25 11:47:30 +mmKJqs6
私は九条の改憲を決して独立にそれ自体として考へてはならぬ、第一章「天皇」の問題と、第二十条「信教の自由」に関する神道の問題と関連させて考へなくては、
折角「憲法改正」を推進しても、却つてアメリカの思ふ壷におちいり、日本が独立国家として、日本の本然の姿を開顕する結果にならぬ、と再々力説した。
たとへ憲法九条を改正して、安保条約を双務条約に書き変へても、それで日本が独立国としての体面を回復したことにはならぬ。
韓国その他アジア反共国家と同列に並んだだけの結果に終ることは明らかであり、これらの国家は、アメリカと軍事的双務条約を締結してゐるのである。

三島由紀夫
「問題提起」より

382:法の下の名無し
09/03/31 16:39:51 xUe8toCc
第九条の改廃については、改憲論者にもいくつかの意見がある。
「第九条第一項の字句は、そもそも不戦条約以来の理想条項であり、これを残しても自衛のための戦力の保持は十分可能である。しかし第二項は、明らかに、自衛隊の放棄を意味するから削除すべきである」
といふ意見に、私はやや賛成であるが、そのためには、第九条第一項の規定は、世界各国の憲法に必要条項として挿入されるべきであり、日本国憲法のみが、国際社会への誓約を、国家自身の基本法に包含してゐるといふのは、不公平不調和を免かれぬ。
その結果、わが憲法は、国際社会への対他的ジェスチュアを本質とし、国の歴史・伝統・文化の自主性の表明を二次的副次的なものとするといふ、敗戦憲法の特質を永久に免かれぬことにならう。むしろ第九条全部を削除するに如くはない。

三島由紀夫
「問題提起」より

383:法の下の名無し
09/03/31 16:42:20 xUe8toCc
その代りに、日本国軍の創立を謳ひ、健軍の本義を憲法に明記して、次の如く規定するべきである。
「日本国軍隊は、天皇を中心とするわが国体、その歴史、伝統、文化を護持することを本義とし、国際社会の信倚と日本国民の信頼の上に健軍される」
防衛は国の基本的な最重要問題であり、これを抜きにして国家を語ることはできぬ。
物理的に言つても、一定の領土内に一定の国民を包括する現実の態様を抜きにして、国家といふことを語ることができないならば、その一定空間の物理的保障としては軍事力しかなく、
よしんば、空間的国家の保障として、外国の軍事力(核兵器その他)を借りるとしても、決して外国の軍事力は、他国の時間的国家の態様を守るものではないことは、
赤化したカンボジア摂政政治をくつがへして、共和制を目ざす軍事政権を打ち樹てるといふことも敢てするのを見ても自明である。

三島由紀夫
「問題提起」より

384:法の下の名無し
09/03/31 16:43:23 xUe8toCc
自国の正しい健軍の本義を持つ軍隊のみが、空間的時間的に国家を保持し、これを主体的に防衛しうるのである。
現自衛隊が、第九条の制約の下に、このやうな軍隊に成育しえないことには、日本のもつとも危険な状況が孕まれてゐることが銘記されねばならない。
憲法改正は喫緊の問題であり、決して将来の僥倖を待つて解決をはかるべき問題ではない。
なぜならそれまでは、自衛隊は、「国を守る」といふことの本義に決して到達せず、この混迷を残したまま、徒らに物理的軍事力のみを増強して、つひにもつとも大切なその魂を失ふことになりかねないからである。
自衛隊は、警察予備隊から発足して、未だその警察的側面を色濃く残してをり、警察との次元の差を、装備の物理的な次元の差にしか見出すことができない。国家の矜りを持つことなくして、いかにして軍隊が軍隊たりえようか。
この悲しむべき混迷を残したものが、すべて第九条、特にその第二項にあることは明らかであるから、われわれはここに論議の凡てを集中しなければならない。

三島由紀夫
「問題提起」より

385:法の下の名無し
09/03/31 17:24:29 I1bkuhtC
374 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/08/30(土) 21:38:01
>「葉隠」の説く武士道を考える
> -「葉隠」武士道の犬死理論の陥穽-
>著作と責任/佐藤弘弥
URLリンク(www.st.rim.or.jp)

佐藤弘弥なる視野狭窄な御仁による珍葉隠論。
珍文章のしょっぱなから、ヒステリックなオナニー全開である。
「ヤンキースのマツイ」のたとえだとか、
そこらの中学2年生も感涙にむせびそうな、すばらしい思考のお綴りである。

この特大場外ホームラン級の知性が書いた小児的ファンタジーが
ネットで上位にひっかかり、目に★な方も多いだろうから、
とりあえずこのスレで駆除しておく。


377 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/08/30(土) 22:47:23
>>.374
佐藤弘弥(笑)
空き樽は音が高いっていうか、キジも鳴かずば打たれまいに・・・
閑古鳥が鳴くサヨ系じゃんじゃんで市民記者を
しょぼしょぼやってればええのに(笑)


【検索ワード】
葉隠、佐藤弘弥、馬鹿、思い込みの禿しい爺さん、三島由紀夫
武士道、山本常朝、田代陣基、新渡戸稲造

386:法の下の名無し
09/05/03 22:51:06 55CvKd+K
保守

387:法の下の名無し
09/05/15 00:07:09 xv8EQ+81
神風・特攻隊は、なぜ体当り攻撃をしたのか
それは、大空襲の犠牲を少しでも少なくするため
米軍がカラー撮影した本物の映像
URLリンク(www.nicovideo.jp)
URLリンク(www.nicovideo.jp)


388:法の下の名無し
09/05/21 16:22:05 Z53VUuZ/
Q―つぎに東南アジアについてちよつと聞きます。
インドも中共との交戦の経験を持つ国ですが、東南アジアと日本との最大の相違点は、中共の脅威を感じてゐるのと感じてゐない点にあると思ひますが。

三島由紀夫:中共と国境を接してゐるといふ感じは、とても日本ではわからない。
もし日本と中共とのあひだに国境があつて向かう側に大砲が並んでたら、いまのんびりしてゐる連中でもすこしはきりつとするでせう。
まあ海でへだてられてゐますからね。もつともいまぢや、海なんてものはたいして役に立たないんだけれど。ただ「見ぬもの清し」でせうな。

三島由紀夫
「インドの印象」より

389:法の下の名無し
09/05/21 16:22:45 Z53VUuZ/
Q―日本人が中共をこはがらないのは一種の幻想的な“大平感”なんだらうけれど、日本にさういつた幻想があることも、また一つの現実ぢやないでせうか。

三島由紀夫:たしかにさうですね。幻想(イリュージョン)といへどもなにかの現実的条件によつて保たれてゐる。
ぼく自身は、日本にも中共の脅威はある、と感じてゐます。これは絶対に「事実(ファクト)」です。
しかし、日本人が中共に脅威を感じないといふことは「現実」です。「現実」とはぼくに言はせれば、事実とイリュージョンとの合金です。
「現実」をささへてゐる条件は、いはくいひがたしで、恐らく何万といふ条件があるでせう。海もあるし、長い中国との交流の歴史もあるし……。
ものを考へようとするとき、片方の「現実」を「事実」だけでぶちこはさうとしてもダメです。幻想をくだくには幻想をもつてしなくつちや。ですからもし、ぼくが政治家だつたら……。

Q―「中共はこはくない」といふ幻想は、どうやつてくだきますか?

三島由紀夫:「中共はこはい」といふファクトではなく幻想をもつてですよ。

三島由紀夫
「インドの印象」より

390:法の下の名無し
09/05/31 12:53:41 ajdHPqhM
さて、いくら早く焼きたいからと云つて、餅を炭火につつこんだのでは、
たちまち黒焦げになつて、喰べられたものではない。
餅網が適度に火との距離を保ち、しかも火熱を等分に伝達してくれるからこそ、
餅は具合よく焼けるのである。
さて、法律とはこの餅網なのだらうと思ふ。
餅は、人間、人間の生活、人間の文化等を象徴し、炭火は、人間のエネルギー源としての、
超人間的なデモーニッシュな衝動のプールである潜在意識の世界を象徴してゐる。
人間といふものは、おだやかな理性だけで成立つてゐる存在ではないし、
それだけではすぐ枯渇してしまふ、ふしぎな、落着かない、活力と不安に充ちた存在である。

三島由紀夫
「法律と餅焼き」より

391:法の下の名無し
09/05/31 12:55:07 ajdHPqhM
人間の活動は、すばらしい進歩と向上をもたらすと同時に、一歩あやまれば
破滅をもたらす危険を内包してゐる。
ではその危険を排除して、安全で有益な活動だけを発展させようといふ試みは、
むかしからさかんに行はれたが、一度も成功しなかつた。
どんなに安全無害に見える人間活動も、たとへば慈善事業のやうなものでも、
その事業を推進するエネルギーは、あの怖ろしい炭火から得るほかはない。
…人間の餅は、この危険な炭火の力によつて、喰へるもの、すなはち社会的に有益なものになる。
しかし、もし火に直接に触れれば、喰へないもの、すなはち社会的に無益有害なものになる。
だから、餅と火のあひだにあつて、その相干渉する力を適当に規制し、
餅をほどよい焼き加減にするために、餅網が必要になるのである。

三島由紀夫
「法律と餅焼き」より

392:法の下の名無し
09/05/31 12:57:47 ajdHPqhM
たとへば殺人を犯す人間は、黒焦げになつた餅である。
そもそもさういふ人間を出さないやうに餅網が存在してゐるのだが、
網のやぶれから、時として、餅が火に落ちるのはやむをえない。
さういふときは、餅網は餅が黒焦げになるに委せる他はない。すなはち彼を死刑に処する。
餅網の論理にとつては、罪と罰は一体をなしてゐるのであつて、殺人の罪と死刑の罰とは、
いづれも餅網をとほさなかつたことの必然的結果であつて、
彼は人を殺した瞬間に、すでに地獄の火に焼かれてゐるのだ。
そして責任論はどこまで行つてもきりがなく、個人的責任と社会的責任との継目は永遠に
はつきりしないが、少くとも、殺人といふ罪が、人間性にとつて起るべからざることではなく、
人間の文化が、あの怖ろしい炭火に恩恵を蒙つてゐるかぎり、火は同時に
殺人をそそのかす力にさへなりうるのである。

三島由紀夫
「法律と餅焼き」より

393:法の下の名無し
09/05/31 12:59:50 ajdHPqhM
かくて、終局的に、責任は人間のものではないとする仏教的罪の思想も、
人間には原罪があるとするキリスト教的罪の思想も生れてくるわけであるが、
餅網の論理は、そこまで面倒を見るわけには行かない。
ただ、餅網にとつていかにも厄介なのは、芸術といふ、妙な餅である。
この餅だけは全く始末がわるい。
この餅はたしかに網の上にゐるのであるが、どうも、網目をぬすんで、
あの怖ろしい火と火遊びをしたがる。
そして、けしからんことには、餅網の上で焼かれて、ふつくらした適度のおいしい焼き方に
なつてゐながら、同時に、ちらと、黒焦げの餅の、妙な、忘れられない味はひを人に教へる。

三島由紀夫
「法律と餅焼き」より

394:法の下の名無し
09/05/31 13:05:19 ajdHPqhM
殺人は法律上の罪であるのに、殺人を扱つた芸術作品は、出来がよければ、
立派な古典となり文化財となる。
それはともかくふつくらしてゐて、黒焦げではないのである。
古典的名作はそのやうな意味での完全犯罪であつて、不完全犯罪のはうはまだしもつかまへやすい。
黒焦げのあとがあちこちにちらと残つてゐて、さういふところを
公然猥褻物陳列罪だの何だのでつかまへればいいからである。
それにしても芸術といふ餅のますます厄介なところは、火がおそろしくて、
白くふつくら焼けることだけを目的として、おつかなびつくりで、ろくな焦げ目もつけずに
引上げてしまつた餅は、なまぬるい世間の良識派の偽善的な喝采は博しても、
つひに戦慄的な傑作になる機会を逸してしまふといふことである。

三島由紀夫
「法律と餅焼き」より

395:法の下の名無し
09/05/31 18:17:44 fWTxkwbe
ツンデレ処女と理論派童貞の人権バトル
URLリンク(mixi.jp)

396:法の下の名無し
09/05/31 18:42:20 3lgjiiRp
探偵・ヤクザ・その他不審人物から、不可解な依頼、理不尽な命令、
その他イジメや嫌がらせの強要などをされたことはありませんか?
それは某反日宗教団体による集団ストーカーです。あなたはそれに加担させられたのです。

信者による集団ストーカーやほのめかし(本人の前で個人情報を含む会話をする、
行く先々でわざとらしい咳払いを浴びせる、等)には限界があります。
いくら教団の信者が多いといっても日本全体から見れば圧倒的に少数派。
仮に職場や近所に信者が一人か二人位いたとしてもあまり効果はありません。
ですから一般人にも異常行動やほのめかしをさせるのです。

でも実はそういった行為は敵の正体さえ見抜き、ある程度慣れれば耐えられるものなのです。
実際には単純なイジメや嫌がらせ行為などが効いているイジメ殺人なのです。
ですが信者達は輪廻転生を信じているので、たいしたことはさせられません。
ですから悪質なイジメ行為は一般日本人を買収脅迫してやらせるのです。
(彼らは直接やらなければ(宗教的に)罪にならないと真剣に考えています)

彼らの目的は「民族の恨みを晴らす=日本人を(法的、宗教的に)犯罪者にする」ことです。
『自殺=自分を殺す=殺人=地獄に落ちる』
『精神崩壊=前世の報い=前世で悪いことをした罪深い人間であることの証明』
『脅迫されて仕方なく嫌がらせをした日本人を憎み、危害を加えてしまう』

標的の周囲の人間を片っ端から脅迫・買収して集団でイジメ殺させる。
日本人に日本人をイジメ殺させて犯罪者にする。それが集団ストーカーの実情なのです。
こんな事をするのは教団の指導者がイジメやイタズラ好きで反日で金が有り余っているから。

ちなみに集団ストーカーは標的に24時間プレッシャーを与えるため、
救急車、消防車、犬、廃品回収車、その他様々な騒音が異常な頻度で発生します。
もしもそういう現象があったら、近くに集団ストーカーの被害者がいるということです。

※集団ストーカーのサイトには「思考盗聴」「電磁波攻撃」等の被害が紹介されていますが、
これは集団ストーカーの被害を訴える被害者を統合失調症に思わせる為の悪質な宣伝工作。
加害者が被害者のふりをして作っているのです。

397:法の下の名無し
09/06/09 12:53:32 ONljCNug
左翼はいつも、より良き未来世界といふものを模索してゐる。
いつもより良き未来社会へ向かつて我々は進歩してゆくと考へてゐるのです。
…ところがソビエトはご承知のやうな状態になつた。これは完全な官僚社会のみならず、その常套語を使へば、帝国主義なのです。
そして、かつて日本人が未来社会と思つたのが帝国主義になつてしまつた。もうスターリン批判以来、日本人のソビエトに対する夢も崩れた。
では、中共はどうか。中共はどうも日本人の西洋崇拝から言ふと少し外れる処があつたんだけど、文化大革命といふことがあつたので、
ますます日本人の理想から遠くなつてしまつた。
…そこで未来社会の展望を失つたところに彼らの焦燥と彼らの一種の絶望感があることは確かなのです。

三島由紀夫
「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

398:法の下の名無し
09/06/09 12:57:17 ONljCNug
それで、より良き彼らの本当の未来社会とは何であるか。
皆さんは、「自由からの逃走」といふエーリッヒ・フロムの本などをお読みになつたことがあるだらうと思ひますが、
…いはゆる、ヒューマニテリアン・ソシャリズムですが、完全な言論自由化の社会主義といふやうな、誰が考へても実現不可能のやうな、
より良き未来に向かつて進んで行かうと、それがまあ大体の左翼型のラディカルな革命の行動の先にある未来国であると考へて良いと思ひます。
…何も私は共産主義に対抗して生きてゐるわけではありません。
…ですけれども彼らの考へにうつかり動かされ、蝕まれていつたならば、どういふ結果になるか目に見えてゐる。

三島由紀夫
「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

399:法の下の名無し
09/06/09 12:59:00 ONljCNug
私は未来といふものはないといふ考へなのです。未来などといふことを考へるからいけない。
…我々はアメーバが触手を伸ばすやうに、闇の中を手探りで少し先の未来までは予測ができる。
或ひは来年くらゐまでは予測できるかもしれない。
しかし、人間が予測されない闇の中を進んでゆくためには、その闇の彼方にあるものを信ずるか、或ひはその闇といふものに対決して
本当に自分の現在に生きるかといふことの二つの選択を迫られてゐるといふのが私の考へ方の基本であります。
“未来に夢を賭ける”といふことは弱者のすることである。そして、自分をプロセスとしか感じられない人間のすることであります。
…このやうな思考の中からは人間の円熟といふことも出て来なければ、人間の成熟といふ思考も絶対に出て来ない。
実は、人間は未来に向かつて成熟してゆくものではないんです。それが人間といふ生き物の矛盾に充ちた不思議なところです。
人間といふものは“日々に生き、日々に死ぬ”以外に成熟の方法を知らないんです。

三島由紀夫
「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

400:法の下の名無し
09/06/09 13:00:09 ONljCNug
そこで、何も未来を信じない時、人間の根拠は何かといふことを考へますと、次のやうになります。
未来を信じないといふことは今日に生きることですが、刹那主義の今日に生きるのではないのであつて、
今日の私、現在の私、今日の貴方、現在の貴方といふものには、背後に過去の無限の蓄積がある。
そして、長い文化と歴史と伝統が自分のところで止まつてゐるのであるから、自分が滅びる時は全て滅びる。
つまり、自分が支へてきた文化も伝統も歴史もみんな滅びるけれども、しかし老いてゆくのではないのです。
今、私が四十歳であつても、二十歳の人間も同じ様に考へてくれば、その人間が生きてゐる限り、その人間のところで文化は完結してゐる。
その様にして終りと終りを繋げれば、そこに初めて未来が始まるのであります。

三島由紀夫
「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

401:法の下の名無し
09/06/09 13:01:16 ONljCNug
われわれは自分が遠い遠い祖先から受け継いできた文化の集積の最後の成果であり、
これこそ自分であるといふ気持で以つて、全身に自分の歴史と伝統が籠つてゐるといふ気持を持たなければ、
今日の仕事に完全な成熟といふものを信じられないのではなからうか。
或ひは、自分一個の現実性も信じられないのではなからうか。自分は過程ではないのだ。道具ではないのだ。
自分の背中に日本を背負ひ、日本の歴史と伝統と文化の全てを背負つてゐるのだといふ気持に一人一人がなることが、
それが即ち今日の行動の本になる。
…「俺一人を見ろ!」とこれがニーチェの「この人を見よ」といふ思想の一つの核心でもありませう。
けれども、私は中学時代に「この人を見よ」といふのは「誰を見よ」といふのかと思つて先輩に聞きましたところ、
「ニーチェを見よ」といふことだと教へて貰ひ、私は世の中にこんなに自惚れの強い人間がゐるのかと驚いたことがあるのです。
しかし、今になつて考へてみると、それは自惚れではないのであります。

三島由紀夫
「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

402:法の下の名無し
09/06/09 13:04:04 ONljCNug
自分の中にすべての集積があり、それを大切にし、その魂の成熟を自分の大事な仕事にしてゆく。
しかし、そのかはり何時でも身を投げ出す覚悟で、それを毀さうとするものに対して戦ふ。
…ここにこそ現在があり、歴史があり、伝統がある。彼らの貧相な、観念的な、非現実的な未来ではないものがある。
そこに自分の行動と日々のクリエーションの根拠を持つといふことが必要です。
これは又、人間の行動の強さの源泉にもなると思ふ。といふのは人間といふものは、それは果無い生命であります。
しかし、明日死ぬと思へば今日何かできる。そして、明日がないのだと思ふからこそ、今日何かができるといふのは、
人間の全力的表現であり、さうしなければ、私は人間として生きる価値がないのだと思ひます。

三島由紀夫
「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

403:法の下の名無し
09/06/09 13:04:56 ONljCNug
本日ただ今の、これは禅にも通じますが、現在の一瞬間に全力表現を尽すことのできる民族が、その国民精神が
結果的には、本当に立派な未来を築いてゆくのだと思ひます。
しかし、その未来は何も自分の一瞬には関係ないのである。
これは、日本国民全体がそれぞれの自分の文化と伝統と歴史の自信を持つて今日を築きゆくところに、
生命を賭けてゆくところにあるのです。
特攻隊の遺書にありますやうに、私が“後世を信ずる”といふのは“未来を信ずる”といふことではないと思ふのです。
ですから、“未来を信じない”といふことは、“後世を信じない”といふこととは違ふのであります。
私は未来は信じないけれども後世は信ずる。
特攻隊の立派な気持には万分の一にも及びませんが、私ばかりでなく、若い皆さんの一人一人がさういふ気持で後輩を、
又、自分の仕事ないし日々の行動の本を律してゆかれたならば、その力たるや恐るべきものがあると思ひます。

三島由紀夫
「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

404:法の下の名無し
09/06/15 12:51:18 YtR5rsw5
人は、天皇と言ふと、たちまち戦前、明治憲法下における天皇制の弊害を思ひ出し、
戦争からにがい経験を得た人ほど、天皇制に対する疑惑を表明してきたのが常ですが、
私は、天皇制とは、その歴史は、あくまでもその時代時代の国民が、日本人の総力をあげて
創造し復活させてきたものだと思ふのです。
いつも新しい天皇制があり、いつも現在の天皇制があり、その現在の天皇制の連続の上に
永遠の天皇制があるといふところに、天皇の本質がひそむのです。
これは一つの例をとつても、天皇ご自身にわれわれのやうな姓名ファミリーネームがなく、
一つの非人称的な方として伝承されてきたことをみてもわかります。
新しい天皇制は、われわれがつくつていくものであり、そしてこれを抜きにしては日本の今後の
自立の精神の中心は見あたらず、また天皇をいたづらに政治権力に接着おさせすることなく、
あくまで無限受容の無我の本主体として、その日本独自の歴史・文化・伝統のみに
かかはる君主制を確立しなければなりません。

三島由紀夫
「70年代新春の呼びかけ」より

405:法の下の名無し
09/06/15 12:55:26 YtR5rsw5
…一説によるとある創価学会の自衛隊員は、「私はいざといふときには上官の命令で弾は撃たない、
池田さんのおつしやつた方に向けて撃つ」といつたといふ。
こんな軍隊は珍らしい軍隊で、このやうに、いざといふときにどつちへ弾が行くのかわからないといふのでは全く困る。
再び魂の問題に戻るが、自衛隊に対しては決して偽善やきれい事であつてはならない。
自衛隊は、平和主義の軍隊であり、平和を守るための軍隊であることに違ひはないが、もつと現実に目覚めて、
一人一人高度の思想教育を行なはなければならない。
さうでなければ毛沢東の行なつてゐるあの思想教育に勝てないと思ふ。
さうでなければ、日本の隣にある、このぎりぎりの思想教育を受けた軍隊に勝つことの不可能なことを、私は痛感するのである。

三島由紀夫
「栄誉の絆でつなげ菊と刀」より

406:法の下の名無し
09/06/24 10:03:15 NwQGCsFW
僕は今この時代に大見得切つて、「共産党に兜を脱がせるだけのものを持て」などゝ無理な注文は出しません。
時勢の流れの一面は明らかに彼らに利があり、彼等はそのドグマを改める由もないからです。
しかし我々の任務は共産党を「怖がらせる」に足るものを持つことです。
彼等に地団太ふませ、口角泡を飛ばさせ、「反動的だ!貴族的だ!」と怒号させ、
しかもその興奮によつて彼等自らの低さを露呈させることです。
正面切つて彼等の敵たる強さと矜持を持つことです。
ひるまないことです。逃げないことです。怖れないことです。
そして彼等に心底から「怖い」と思はせることです。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日付、神崎陽への書簡から

407:法の下の名無し
09/06/24 10:03:58 NwQGCsFW
―それでは文化的貴族主義とは何でせうか。それは歴史的意味と精神的意味と二つをもつてゐます。
…後者はあらゆる時代に超然とし、凡俗の政治に関らず、醇乎たる美を守るといふエリートの意識です。
(これは芸術からいふので、倫理的には道徳を守るエリートたりともある人はいふでせう)
…しかもその効果は美的標準に於て最高のものであらねばならぬ点で明らかに貴族主義的です。
向上の意識、「上部構造」の意識、フリードリヒ・ニイチェが貴族主義とよばれる所以です。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日付、神崎陽への書簡から

408:法の下の名無し
09/06/24 10:04:39 NwQGCsFW
われらの外部を規制する凡ゆる社会的政治的経済的条件がたとへ最高最善理想的なものに達したとしても、
絶対的なる「美」からみればあくまでも相対的なものであり、相対的なものが絶対的なものを規制しようとする時、
それは必ず悪い効果を生じます。
いかによき政治が美を擁護するにしろ、必ずその政治の中の他の因子が美を傷つけることは、当然のことで仕方ないことです。
したがってあらゆる時代に於て美を守る意識は反時代性をもち、極派からはいつでも反動的と思はれます。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日付、神崎陽への書簡から

409:法の下の名無し
09/06/24 10:05:23 NwQGCsFW
―「中庸」といふ志那クラシックのいかにも睡つたやうなこの言葉がやうやう僕には激しい激越な意味を以て思ひかへされて来ました。
中庸を守るとは洞ヶ峠のことではありません。いはゆる微温的態度のことではありません。元気のない聖人気取ではありません。
「中庸」の思想こそ真に青年の血を湧かせる思想なのです。それは荊棘の道です。苦難と迫害の道です。
漢籍に長ずるときく山梨院長が、戦時中の輔仁会で翻訳劇を上演しようとした僕の意図を抹殺し、戦争終るや
「モンテ・カルロの乾盃」を手もなく容認するやうな態度を、人々はいはゆる「中庸」の道だと思つてゐます。
これは思はざるの甚だしきものです。これこそいはゆる論語よみの論語知らずです。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日付、神崎陽への書簡から

410:法の下の名無し
09/06/24 10:08:40 NwQGCsFW
右顧左顧して世間の機嫌をうかゞひもつとも「穏当な」道を選ぶといふ思想こそ、孔子が中庸といふ言葉で
あらはしたものと全く反対の思想です。
中庸といふこと、守るといふこと、これこそ真の長い苦しい勇気の要る道です。
このやうな時代に、美を守ることの勇気、過去の日本精神の枠、東洋文化の本質を保守するに要する勇気、
これこそ真の男らしい勇気といはねばなりません。
学習院は反動的といふ攻撃の矢面に立ち、真の美、真の文化を叫びつゞけねばなりません。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日付、神崎陽への書簡から

411:法の下の名無し
09/07/04 13:58:06 sPk3XUsM
東京空港で、米国務長官を襲つて未遂に終つた一青年のことが報道された。
日本のあらゆる新聞がこの青年について罵詈ざんばうを浴せ、袋叩きにし、足蹴にせんばかりの勢ひであつた。
…私はテロリズムやこの青年の表白に無条件に賛成するのではない。
ただあらゆる新聞が無名の一青年をこれほど口をそろへて罵倒し、判で捺したやうな全く同じヒステリカルな
反応を示したといふことに興味を持つたのである。
左派系の新聞も中立系の新聞も右派系の新聞も同時に全く同じヒステリー症状を呈した。
かういふヒステリー症状は、ふつう何かを大いそぎで隠すときの症候行為である。
この怒り、この罵倒の下に、かれらは何を隠さうとしたのであらうか。
日本は西欧的文明国と西欧から思はれたい一心でこの百年をすごしてきたが、この無理なポーズからは何度もボロが出た。
最大のボロは第二次世界対戦で出し切つたと考へられたが、戦後の日本は工業的先進国の列に入つて、もうボロを出す
心配はなく、外国人には外務官僚を通じて茶道や華道の平和愛好文化こそ日本文化であると宣伝してゐればよかつた。

三島由紀夫
「日本文化の深淵について」より

412:法の下の名無し
09/07/04 13:59:15 sPk3XUsM
昭和三十六年、私がパリにゐたとき、たまたま日本で浅沼稲次郎の暗殺事件が起つた。
浅沼氏は右翼の十七歳の少年山口二矢によつて短剣で刺殺され、少年は直後獄中で自殺した。
このとき丁度パリのムーラン・ルージュではRevue Japonais といふ日本人のレビューが上演されてをり、
その一景に、日本の短剣の乱闘場面があつた。
在仏日本大使館は誤解をおそれて、大あわてで、その景のカットをレビュー団に勧告したのである。
誤解をおそれる、とは、ある場合は、正解をおそれるといふことの隠蔽である。
私がいつも思ひ出すのは、今から九十年前、明治九年に起つた神風連の事件で、これは今にいたるも
ファナティックな非合理な事件としてインテリの間に評判がわるく、外国人に知られなくない一種の恥と考へられてゐる。

三島由紀夫
「日本文化の深淵について」より

413:法の下の名無し
09/07/04 14:00:40 sPk3XUsM
約百名の元サムラヒの頑固な保守派のショービニストが起した叛乱であるが、彼らはあらゆる西洋的なものを憎み、
明治の新政府を西欧化の見本として敵視した。
…あらゆる西欧化に反抗した末、新政府が廃刀令を施行して、武士の魂である刀をとりあげるに及び、
すでにその地方に配置された西欧化された近代的日本軍隊の兵営を、百名が日本刀と槍のみで襲ひ、
結果は西洋製の小銃で撃ち倒され、敗残の同志は悉く切腹して果てたのである。
トインビーの「西欧とアジア」に、十九世紀のアジアにとつては、西欧化に屈服してこれを受け入れることによつて
西欧に対抗するか、これに反抗して亡びるか、二つの道しかなかつたと記されてゐる。
正にその通りで、一つの例外もない。
日本は西欧化近代化を自ら受け入れることによつて、近代的統一国家を作つたが、その際起つた
もつとも目ざましい純粋な反抗はこの神風連の乱のみであつた。
他の叛乱は、もつと政治的色彩が濃厚であり、このやうに純思想的文化的叛乱ではない。

三島由紀夫
「日本文化の深淵について」より

414:法の下の名無し
09/07/04 14:02:40 sPk3XUsM
日本の近代化が大いに讃えられ、狡猾なほどに日本の自己革新の能力が、他の怠惰なアジア民族に比して
賞讃されるかげに、いかなる犠牲が払はれたかについて、西欧人はおそらく知ることが少ない。
それについて探究することよりも、西欧人はアジア人の魂の奥底に、何か暗い不吉なものを直感して、
黄禍論を固執するはうを選ぶだらう。
しかし一民族の文化のもつとも精妙なものは、おそらくもつともおぞましいものと固く結びついてゐるのである。
エリザベス朝時代の幾多の悲劇がさうであるやうに。
……日本はその足早な、無理な近代化の歩みと共に、いつも月のやうに、その片面だけを西欧に対して
示さうと努力して来たのであつた。
そして日本の近代ほど、光りと影を等分に包含した文化の全体性をいつも犠牲に供してきた時代はなかつた。

三島由紀夫
「日本文化の深淵について」より

415:法の下の名無し
09/07/04 14:04:00 sPk3XUsM
私の四十年の歴史の中でも、前半の二十年は、軍国主義の下で、不自然なピューリタニズムが文化を統制し、
戦後の二十年は、平和主義の下で、あらゆる武士的なもの、激し易い日本のスペイン風な魂が抑圧されて来たのである。
そこではいつも支配者側の偽善が大衆一般にしみ込み、抑圧されたものは何ら突破口を見出さなかつた。
そして、失はれた文化の全体性が、均衛をとりもどさうとするときには、必ず非合理な、
ほとんど狂的な事件が起るのであつた。
これを人々は、火山のマグマが、割れ目から噴火するやうに、日本のナショナリズムの底流が、
関歇的に奔出するのだと見てゐる。
ところが、東京空港の一青年のやうに見易い過激行動は、この言葉で片附けられるとしても、あらゆる
国際主義的仮面の下に、ナショナリズムが左右両翼から利用され、引張り凧になつてゐることは、気づかれない。
反ヴィエトナム戦争の運動は、左翼側がこのナショナリズムに最大限に訴へ、そして成功した事例であつた。

三島由紀夫
「日本文化の深淵について」より

416:法の下の名無し
09/07/04 14:05:26 sPk3XUsM
ナショナリズムがかくも盛大に政治的に利用されてゐる結果、人々は、それが根本的には
文化の問題であることに気づかない。
九十年前、近代的武器を装備した近代的兵営へ、日本刀だけで斬り込んだ百人のサムラヒたちは、
そのやうな無謀な行動と、当然の敗北とが、或る固有の精神の存在証明として必要だ、といふことを知つてゐたのである。
これはきはめて難解な思想であるが、文化の全体性が犯されるといふ日本の近代化の中にひそむ危険の、
最初の過激な予言になつた。
われわれが現在感じてゐる日本文化の危機的状況は、当時の日本人の漠とした予感の中にあつたものの、
みごとな開花であり結実なのであつた。

三島由紀夫
「日本文化の深淵について」より


417:法の下の名無し
09/07/20 13:43:35 EL8OW5SD
…非武装抵抗の利点は、一つは血を流さないですんだ、といふことと、
一つは国家の主権が曲りなりにも保たれたといふことでなければならない。
しかし、それはあくまで「非武装抵抗」の利点であつて、「非武装」の利点ではない。
非武装(チェコは事実上非武装国家ではなかつたが)それ自体は、強大な武力に対して
何らの利点を持ちえないことは明らかである。
武力抵抗の反対概念は、非武装そのものではなく、非武装抵抗といふことであらう。
そして非武装抵抗の存立条件は、国民の結集した否(ノン)にしかなく、又、
陰に陽にサボタージュその他で抵抗する他はないが、次に来る段階は、非武装抵抗ですら
血を流さずには有効性わ発揮しえぬ、といふ段階であり、又、国家の主権が曲りなりにも保たれても、
その国家権力の実質的な主導権を奪はれるといふ状況をすでに容認するならば、そのあとで、
実質的な主導権を奪ひ返さうといふ抵抗は、抵抗の最初の論理的根拠を欠くことになる。

三島由紀夫
「自由と権力の状況」より

418:法の下の名無し
09/07/20 13:45:12 EL8OW5SD
なぜなら、われわれが抵抗の手段の選択を迫られたとき、その一方(すなわち非武装)によつて、
論理的に一貫するならば、敵をすでに受け入れた己れの状況に対する抵抗とは、われわれ自身に対する
抵抗に他ならなくなつてしまひ、抵抗の論理は自らの身を喰ふものになるからであり、
つひには抵抗それ自体が成立たなくなるからである。
そのとき、われわれは、非武装抵抗の利点が一つもない地点に立つてをり、
「非武装抵抗」と「非武装」とは同義語になり、つひには敗北主義の同義語になるのである。

三島由紀夫
「自由と権力の状況」より

419:法の下の名無し
09/08/17 12:09:13 3d0gWM1q
日本の周囲の情勢を見渡すのに、直接侵略事態はむしろ可能性が薄く、間接侵略事態がある程度進行した場合に
はじめて直接侵略事態が起こるであらうといふことが常識として考へられる。
一例がソビエトはいはゆる熟柿作戦といはれてゐるやうに、昔からいつたん相手を安心させてから、例へば
一国が両面作戦を恐れてソビエトと手を握つた時に、ソビエトは一旦これと手を握つて相手を安心させた後に、
相手がソビエトに背をむけて敵と戦つてゐる留守を狙つて背後から、その条約を破つてこれを打ちのめし、
占拠し、あるひは自分の手に収めるといふ時機を狙ふ戦略に甚だ老練であり、甚だ狡猾である。

三島由紀夫
「自衛隊二分論」より

420:法の下の名無し
09/08/17 12:10:09 3d0gWM1q
ソビエトが現下のやうな政治情勢で、日本に直接侵攻してくることは、すぐには考へられないけれども、
ソビエトなり北鮮なり中共なりのそれぞれ色彩も形態も異なつた共産主義諸国が、もし日本に政治的影響を及ぼして、
間接侵略事態を醸成するのに成功した場合、そしてそれが日本全国の治安状態を攪乱せしめ、国内の経済も崩壊し、
革命の成功が目の前に迫つた場合、このやうな場合にはソビエトが、あるひは新潟方面に陽動作戦を伴ひつつ
北海道に直接侵攻してくる危険がないとは決していへない。
決していへないけれども、このやうな直接侵略事態を考へる前に、最も我々が問題にすべきものは、
これを最終目的として狙つてくる、間接侵略事態の進行である。

三島由紀夫
「自衛隊二分論」より

421:法の下の名無し
09/08/24 12:06:17 n3LYiSS0
GHQと戦争裁判という問題はね、単なる思想問題として考えますと(いまや僕は、政治問題としての意味よりも
思想問題として影を落としていると思うのですが)GHQの理念、あるいは戦争裁判の理念というのは、
近代的普遍的諸価値のヒューマニズムがおもてだっているわけです。
そうすると、戦後にそういう諸観念がもう一度復活して、天下をまかり通って、同時にその欺瞞をあらわしたということで、
僕はアメリカの影響というのは、日本の戦後思想史には非常に強いというふうに考える。みんなが思っているよりも。
…彼ら(アメリカ人)は、自由といい、平和といい、人類というときに、それは信じていると思う。
それは彼らの生活の根本にあって、そういうものでもって国家を運用し、戦争を運用し、経済を運用してやっている。
それが日本にきてみた場合に、日本人がそういうような、ある意味で粗雑な、大ざっぱな観念で生きられるかどうかという、
いい実験になったと思う。

三島由紀夫
林房雄との対談「日本人論」より

422:法の下の名無し
09/08/24 12:10:53 n3LYiSS0
…アメリカ人の考えている自由、アメリカ人の考えている人類、アメリカ人の考えている平和というものは、
ベトナム戦争もやれるものであるということがわかってきたということだ。
これは大きな問題だと思う。
そうすると、アメリカ人はベトナム戦争をやっても、やはり自由を信じ、平和を信じていると思う。
これは嘘ではないと思う。彼らはけっしてそんな欺瞞的国民ではありませんし、彼らは戦争をやって自由のために
戦っているというのは、嘘ではないですよ。彼らは心からそう信じている。
ただ日本人は、そんな粗雑な観念を信じられないだけなんです。
というのは、日本で自由だの平和だのといっても、そんな粗雑な観念でわれわれ生きているわけではありませんからね。
そこに非常に微妙な文化的なニュアンスがあって、そこのうえで近代的な観念が生きている。
それが徐々にわかってきたというのが、いまの思想家全体の破綻の原因で、それは結局アメリカのおかげだと思うのです。
それを与えたのもアメリカなら、反省を促したのもアメリカですね。

三島由紀夫
林房雄との対談「日本人論」より

423:法の下の名無し
09/08/24 12:15:40 n3LYiSS0
林房雄:…日本弱化と精神的武装解除の軍人政治にすぎないものを、アメリカニゼーションと思いこんだのが三等学者です。
新憲法とともに登場して来た三等学者がたくさんいる。彼らが新憲法を守れというのは当然です。…

三島由紀夫:…丸山(真男)さんなどでも、ファシズムという概念規定を疑わないのは不思議ですね。
ファシズムというのは、ぜんぜん日本にありませんよ。

林:絶対ありません。どう考えてもね。

三島:そういう概念規定を日本にそのまま当てはめて、恬然と恥じない。
今度彼らを分析していくと、別なものにぶつかるのですよ。
丸山学派の日本ファシズムの三規定というのがありますね。
一つが天皇崇拝、一つが農本主義、もう一つは反資本主義か、たしかこの三つだったと思う。
そうすると、それはファシズムというヨーロッパ概念から、どれ一つ妥当しはしませんよ。

林:一つも妥当しない。

三島由紀夫
林房雄との対談「日本人論」より

424:法の下の名無し
09/08/24 12:26:06 n3LYiSS0
三島:はじめナチスは資本家と結んだのですからね。
日本の愛国運動というのは、もちろん資本家といろいろ関係も生じたけれども、二・二六事件の根本は反資本主義で、
当時二・二六事件もそうだが、二・二六事件のあとで陸軍の統制派が、二・二六事件があまり評判が悪かったので、
今度、やはり反資本主義的なポーズにおける声明書を発表したら、麻生久がとても感激したのですね。
やはりわれわれの徒だということになって、それで賛成演説などをやったりしたことがあるけれども、
そういうファシズム一つとってもそうだし……。

林:…それから二・二六事件にしても、進歩学派諸君は支配階級内部の対立だというふうにかたづけているが……。

三島:事実はぜんぜん違っている。

林:これは一つの革命勢力と支配勢力との闘いだということを認めないわけですね。

三島由紀夫
林房雄との対談「日本人論」より

425:法の下の名無し
09/08/24 12:46:00 n3LYiSS0
僕はたとえばね、どんな思想が起ころうが、彼ら(日本の近代主義者、知識人)は
もう弁ばくできないと思うのです。
だって自分たちがやるべきときやらなかったのだから、あとに何が出てももうしょうがないですよ。

…とにかく僕が「喜びの琴」という芝居を書いたとき、共産主義は暴力革命は絶対やらないのだと、
もうそんなのは昔の古いテーゼで、いま絶対にそういうことはやらないのだと……
あんな芝居を書く男は、頭が三十年古いとみんな笑ったものです。
そうしたらね、インドネシアの武力革命が起こりかけた。まあ、失敗しましたが。
ちょっと、五、六年さきのこともわからないのですね。

三島由紀夫
林房雄との対談「日本人論」より

426:法の下の名無し
09/08/28 10:57:12 gl6+qqr3
神風連のことを研究していて、おもしろく思ったのは、かれらは孝明天皇の攘夷の御志を、明治政府が完全に転倒させ、
廃刀令を出したことに対して怒り、…万世一系ということと、「先帝への忠義」ということが、一つの矛盾のない
精神的な中核として総合されていた天皇観が、僕には興味が深いのです。
歴史学者の通説では、大体憲法発布の明治二十二年前後に、いわゆる天皇制国家機構が成立したと見られているが、
それは伊藤博文が、「昔の勤皇は宗教的の観念を以てしたが、今日の勤皇は政治的でなければならぬ」と考えた思想の実現です。
僕は、伊藤博文が、ヨーロッパのキリスト教の神の観念を欽定憲法の天皇の神聖不可侵のもとにしたという考えはむしろ逆で、
それ以前の宗教的精神的中心としての天皇を、近代政治理念へ導入して政治化したという考えが正しいと思います。

三島由紀夫
林房雄との対談「日本人論」より

427:法の下の名無し
09/08/28 10:57:55 gl6+qqr3
明治憲法の発布によって、近代国家としての天皇制国家機構が発足したわけですが、「天皇神聖不可侵」は、
天皇の無謬性の宣言でもあり、国学的な信仰的天皇の温存でもあって、僕はここに、九十九パーセントの西欧化に対する、
一パーセントの非西欧化のトリデが、「神聖」の名において宣言されていた、と見るわけです。
神風連の電線に対してかざした白扇が、この「天皇不可侵」の裏には生きていると思う。
殊に、統師大権的天皇のイメージのうちに、攘夷の志が、国務大権的天皇のイメージのうちに開国の志が、
それぞれ活かされたと見るのです。
これがさっきの神風連の話ともつながるわけですが、天皇は一方で、西欧化を代表し、一方で純粋な日本の
最後の拠点となられるむずかしい使命を帯びられた。
天皇は二つの相反する形の誠忠を、受け入れられることを使命とされた。
二・二六事件において、まことに残念なのは、あの事件が、西欧派の政治理念によって裁かれて、神風連の
二の舞になったということです。

三島由紀夫
林房雄との対談「日本人論」より

428:法の下の名無し
09/08/28 10:58:48 gl6+qqr3
ところで僕は、日本の改革の原動力は、必ず、極端な保守の形でしか現われず、時にはそれによってしか、
西欧文明摂取の結果現われた積弊を除去できず、それによってしか、いわゆる「近代化」も可能ではない、
というアイロニカルな歴史意志を考えるのです。
…幻滅と敗北は、攘夷の志と、国粋主義の永遠の宿命なのであって、西欧の歴史法則によって、その幻滅と敗北は
いつも予定されている。日本の革新は、いつでもそういう道を辿ってきた。
…僕の天皇に対するイメージは、西欧化への最後のトリデとしての悲劇意志であり、純粋日本の敗北の宿命への洞察力と、
そこから何ものかを汲みとろうとする意志の象徴です。
…「何ものかを汲みとろう」なんて言うとアイマイに思われるでしょうが、僕は維新ということを言っているのです。
天皇が最終的に、維新を「承引き」給うということを言っているのです。
そのためには、天皇のもっとも重大なお仕事は祭祀であり、非西欧化の最後のトリデとなりつづけることによって、
西欧化の腐敗と堕落に対する最大の批評的拠点になり、革新の原理になり給うことです。
イギリスのまねなんかなさっては困るのです。

三島由紀夫
林房雄との対談「日本人論」より

429:法の下の名無し
09/08/28 10:59:33 gl6+qqr3
…僕は大嘗祭というお祭りが、いちばん大事だと思うのですがね。あれはやはり、農本主義文化の一つの精華ですね。
あそこでもって、つまり昔の穀物神と同じことで、天皇が生まれ変わられるのですね。
そうして天皇というのは、いま見る天皇が、また大嘗祭のときに生まれ変わられて、そうして永久に、最初の
天照大神にかえられるのですね。そこからまた再生する。
…僕は、経済の発展的な段階というものを、ぜんぜん信じてないのですね。
農耕文化なり、なに文化なり、資本主義から社会主義になるというのは、まったく信じてない。
だけれどもインダストリアゼーションは、土から、みんな全部人間を引き離すでしょう。
そしてわれわれのもっているものは、すべて土とか、植物とか、木の葉とか、そういうものとはどんどん離れていく。
それで土を代表するものはなにかとか、稲の葉っぱを代表するものはなにかとか、自然というものと、
われわれの生活とを最後に結ぶものはなにか。

三島由紀夫
林房雄との対談「日本人論」より

430:法の下の名無し
09/08/28 11:00:26 gl6+qqr3
…天皇制というのは、少しバタ臭い解釈になるが、あらゆる人間の愛を引き受け、あらゆる人間の愛による不可知論を
一身に引き受けるものが天皇だと考えます。普通の人間のあいだの恋でしょう……。
恋(れん)ですね。それは普通の人間とのあいだの愛情は、みなそれで足りるのですよ、全部。
それがぼくは日本の風土だというふうに思うのです。
(中略)
…僕にとっては、芸術作品と、あるいは天皇と言ってもいい、神風連と言ってもいいが、いろいろなもののね、
その純粋性の象徴は、宿命離脱の自由の象徴なんですよ。
つまりね、一つ自分が作品をつくると、その作品は独得の秩序をもっていて、この宿命の輪やね、それから
人間の歴史の必然性の輪からポンとはみ出す、ポンと。
これはだれがなんと言おうと、それ自体の秩序をもって、それ自体において自由なんですね。
その自由を生産するのが芸術家であって、芸術家というものは、一つの自由を生産する人間だけれども、
自分が自由である必要はない、ぜんぜん。そしてその芸術作品というのはある意味では、完全に輪から外れたものです。

三島由紀夫
林房雄との対談「日本人論」より

431:法の下の名無し
09/08/28 13:06:32 qr2dHulr
朝鮮半島真実の歴史
?? Dokdo ? ??? ??? real world history in early 19th.(seoul)

URLリンク(www.youtube.com)

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432:名無しさん@そうだ選挙に行こう
09/08/30 13:49:03 IcLvc7PR
―それはそうと、この間江田島の参考館へ行って、特攻隊の遺書をたくさん見ました。
遺書というのではないが、ザラ紙に鉛筆の走り書きで、「俺は今とても元気だ。三時間後に確実に死ぬとは思えない……」
などというのがあり、この生々しさには実に心を打たれた。
九割九分までは類型的な天皇陛下万歳的な遺書で、活字にしたらその感動は薄まってしまう。
もし出版するなら、写真版で肉筆をそのまま写し、遺影や遺品の写真といっしょに出すように忠告しました。
それにしても、その、類型的な遺書は、みんな実に立派で、彼らが自分たちの人生を立派に完結させるという叡智をもっていたとしか思えない。
もちろん未練もあったろう。言いたいことの千万言もあったろう。
しかしそれを「言わなかった」ということが、遺書としての最高の文学表現のように思われる。

三島由紀夫
林房雄との対談「日本人論」より

433:名無しさん@そうだ選挙に行こう
09/08/30 13:50:38 IcLvc7PR
僕が「きけわだつみのこえ」の編集に疑問を呈してきたのはそのためです。
そして人間の本心などというものに、重きを置かないのはそのためです。
もし人間が決定的行動を迫られるときは、本心などは、まして本心の分析などは物の数ではない。
それは泡沫のようなただの「心理」にすぎない。
そんな「心理」を一つも出していない遺書が結局一番立派なのです。
それにしても、「天皇陛下万歳」と遺書に書いておかしくない時代が、またくるでしょうかね。
もう二度と来るにしろ、来ないにしろ、僕はそう書いておかしくない時代に、一度は生きていたのだ、ということを、
何だか、おそろしい幸福感で思い出すんです。
いったいあの経験は何だったんでしょうね。あの幸福感はいったい何だったんだろうか。

三島由紀夫
林房雄との対談「日本人論」より

434:名無しさん@そうだ選挙に行こう
09/08/30 15:06:55 0ROFWYf6
石原慎太郎総監督「俺は君のために死ににいく」を見たんだが腹が立って仕方ねえ。
何に腹が立つかってえと、当時の暴走した一部の軍部層とフジサンケイと石原慎太郎にだ。
しかし石原慎太郎やフジサンケイはいったいなんだ。
こいつらに特攻隊を語る資格はない。
特攻隊は何だかんだ言って結果として国家のために死んだ。
無駄死にだったかも知れないが、とにかく国家のために死んだ。
石原慎太郎とフジサンケイはアメリカと中国に国を売った売国奴ではないか。
こんな腐れ売国奴に靖国や特攻隊を語る資格はねえ。

このような連中にとっての国旗や国歌 愛国心なんてものは、
自分たちの利益確保のために使う道具でしかないんだな。
権威化 神聖化されたものを利用すれば、こちらが働きかけなくても
自分たちの利益に自発的に奉仕する人間を確保することが出来る
愛国の概念は良いビジネスになるからね
どんなにあくどいことをしても愛国を叫べばチャラになるところがある。
売国もそう。三島はそのようなことをいち早く察し、危惧していたと思うよ。


435:法の下の名無し
09/08/31 10:22:38 2FCBKM/S
三島:日本人はアジアでも特殊な民族で、外来文明に対する抵抗力はいちばん強いと思う。
肺結核の黴菌に対しても、清浄な空気の田舎から出てきた人は非常にかかりやすく、都会でもまれて免疫になっている人は
かかりにくいのと同じで、日本は外来文化の吹きだまりと言われているぐらいなので、抵抗力はアジアでいちばん強い。
インド人は依然としてサリーを着ている。インド人は外来文化に対して立派に抵抗している。
日本人の男は似合いもしないセビロを着、女はドレスを着ている。
皮相な観測をする外国人は、日本人は無節操で外来文化に対する抵抗力がないというが、そんなことはない。
似合わないセビロを着ていられるから抵抗力があるのだ。
そういう恰好ができないということは、逆にいえば抵抗力がないということだ。
ガンジーが糸車で抵抗したのはそれを知っていたからだ。

三島由紀夫
千宗室との対談「捨身飼虎」より

436:法の下の名無し
09/08/31 10:23:22 2FCBKM/S
三島:トインビーが言っているように、東南アジアから近東地方にかけての西洋文明の侵略に抵抗しえたのは
ガンジーの糸車である。もし、たとえ小さな機械でも、あれを機械に変えていれば、堤に穴があいたように、
そこからどっと西洋文明が入って来る。
そして社会が改革され、経済が改革され、西洋人が教えたとおりにやっていく。
現に東南アジア諸国は西洋をまねて革命を起こそうとしているが、日本はその点、いつもぐずらぐずらしている。
明治維新だってしようがないからやったんだ。のらりくらりで、相手を受け入れても抵抗力を失わない。
これは自信を持っていいと思う。
冷蔵庫やテレビをおいても、もう一つの世界を持っていける力がある。
人生をフィクションにする力は、日本人の大きな力だ。

三島由紀夫
千宗室との対談「捨身飼虎」より

437:法の下の名無し
09/08/31 10:24:51 2FCBKM/S
三島:アメリカ人をご覧なさい。アメリカ人は六つの頃からセビロを着て、死ぬまでセビロを着なければならない。
ほかに着るものがない。人生をフィクションにする部分は一つもない。
教会に行ってもプロテスタントの教会だから、カソリックと違って飾り物やお祭があるわけでもない。
その一生は、人生のフィクションを味わうものがなにもないから、じつにさびしいものだろう。
そうだから、日本の文化に見られる人間精神の、純粋な結晶に、憧れを感じる。
日本人はそれをケロっとして持っている。自信を持っていい。
千:私もそれを考えて、ある席で言ったことがある。
日本人は模倣性が強いというが、そんなことは考えなくともよい。
無意識のうちに外にいるときは洋服、畳の上にいるときは着物を着る。
衣食住に関しては、外国人ができないことを平然としてやれる。
ですから、こういう機械文明の時代になっても、茶室で静かに自分の境地をさがし出すこともできる。

三島由紀夫
千宗室との対談「捨身飼虎」より

438:法の下の名無し
09/08/31 10:27:53 2FCBKM/S
編集者:…お茶事は演出するもの、フィクションである。
しかも、それは歌舞伎の「先代萩」とか「菅原伝授」とか、たとえ俳優がかわっても繰り返して
なんべんでもやれるというものではない。だから一期一会……。
千:一期一会はお茶から出ているんだが、べつにお茶だけに限らなくともいいでしょう。
人間はおたがいに生活に追われているから、一日の一瞬間でも、ほんとうに心からとけあってお茶事を構成していこう、
そういう解釈でいいんじゃないですか。
今日会えば二度と会えなくても満足だという真剣勝負のような気持、そういう気魄は当然あるべきだと思う。
ただ、それを押しつけては、おたがいに窮屈になってしまうけれど。
三島:最高の快楽というのはそういうもんじゃないか。
現在の一瞬間を最高に楽しむ。非常にストイックな快楽ということになりますね。

三島由紀夫
千宗室との対談「捨身飼虎」より

439:法の下の名無し
09/08/31 10:28:47 2FCBKM/S
千:瞬間瞬間をいかに満足するか。お茶を出す亭主はどういうようにすればお客さんに喜んでもらえるか、
また客のほうは、どうすれば雰囲気のなかに溶け込んで、自分というものが亭主に快く受け入れられるかという
瞬間的なふれあい、それは今言われたように、最高の快楽、和・敬・清・寂というものだろうと思う。
三島:たいへん教養のあるアメリカの婦人が、日本にきて、北鎌倉のあるお寺に行ってそこの高僧に会った。
春で庭に梅の花が咲いていた。その人は日本語ができないので、おそるおそる座敷に入って、端近に座った。
やがて和尚さんが現われてニッコリした。彼女もなにもわからないがニッコリした。
その瞬間、彼女はここで死んでもいいと思ったそうです。
これまで五十何年間生きてきたけれども、自分が死んでもいいと思った瞬間はあのときがはじめてだといっていたが、
ここに道を求むる人ありという感じでした。(笑)

三島由紀夫
千宗室との対談「捨身飼虎」より

440:法の下の名無し
09/08/31 10:36:12 2FCBKM/S
三島:…これは古い言葉ですが、伝統芸術というのはおしなべて「捨身飼虎」の精神がほしいと思う。
身を捨てるということは、現代ではセビロを着ること、テレビを見ること、洗濯機を使うこと、地下鉄を乗ること、
これが現代の捨身。お茶はほんとうにおそろしいものですよという位置まで高めるのが飼虎。そうしなければいけないと思う。
いま歌舞伎や能の人のやっていることは、虎が檻から勝手に出てしまって、自分では虎を飼っていない人が多い。
そこで身を捨てないで、着物、羽織、袴をはいても、虎がいないのでは人の心をつかめない。
お客さんは檻のなかに虎がいないことを知っている。
編集者:…お茶は虎だというのは非常に大切だと思います。盲蛇におじずで、虎を猫だと思っている人が多いから、
猫じゃなくて虎だということを知らせるのは伝統を守るために必要なことでしょう。
外人を茶室に入れたら、キチッと坐らせて、猫じゃなく虎だと思わせることは非常に必要なことですね。
三島:ますますこれから必要でしょう。総理大臣までチョロチョロしている世の中で、日本の凜然たるものを
持っているのは伝統芸術だけだということになるかもしれないね。

三島由紀夫
千宗室との対談「捨身飼虎」より

441:法の下の名無し
09/09/07 14:25:31 WUy/1mBF
…近代主義者はとにかくだめだということは、二十年でよくわかった。
そうして日本の近代主義者の言うとおりにならなかったのは、インダストリアリゼーションをやっちゃったということで、
これが歴史の非常なアイロニーですね。
普通ならば、近代主義者の言うとおりに、思想精神が完全に近代化することによって近代社会が成立し、
そしてインダストリアリゼーションの結果、そういうものが社会に実現されるという、じつは必ずしも
コミュニズムであってもなくても、彼らの考えていることはそうですよ。
ところがなに一つわれわれのメンタリティーのなかには、近代主義が妥当しないにもかかわらず、工業化が進行し、
工業化の結果の精神的退廃、空白といってもいいが、そういうものが完全に成立した。
それと、日本人のなかにある古いメンタリティーとの衝突が、各個人のなかにずいぶん無秩序なかたちで
起こっているわけですね。

三島由紀夫
林房雄との対談「日本人論」より

442:法の下の名無し
09/09/07 14:26:14 WUy/1mBF
…僕が思想家がぜんぜん無力だというのは、経済現象その他に対してすらなんらの予見もしなければ、
その結果に対して責任ももってないというふうに感ずるからです。
第一、戦後の物質的繁栄というのは、経済学者は一人も寄与してないと思いますよ。
僕が大蔵省にいたとき大内兵衛が、インフレ必至説を唱えて、いまにも破局的インフレがくるとおどかした。
ドッジ声明でなんとか救われたでしょう。政治的予見もなければなんにもない。
経済法則というものは、実にあいまいなもので、こんなに学問のなかでもあいまいな法則はありませんよ。
それで戦後の経済復興は、結局戦争から帰ってきた奴が一生懸命やったようなもので、なんら法則性とか
経済学者の指導とか、ドイツのシャハトのような指導的な理論的な経済学者がいたわけではないし、
まったくめくらめっぽうでここまできた。
これは経済学者の功績でも、思想家の功績でもない。

三島由紀夫
林房雄との対談「日本人論」より

443:法の下の名無し
09/09/07 14:28:03 WUy/1mBF
三島:やはり林さんの明治維新の根本テーマでも、開国論者がどうしてもやりたくてやれなかったことを、
攘夷論者がやった。あの歴史の皮肉ですね。
林:攘夷論者のみが真の開国論者だった。これが歴史のアイロニイだが、敗戦史家たちには、
このアイロニイがわからないのだな。いまにわかります。
三島:そういう大きな歴史の皮肉ですね、そういうあれがあったでしょうか、戦前、戦後を通じて、文学で……。
林:アイロニイだらけだ。…ドイツ文学の鴎外と英文学の漱石が乃木大将の殉死を最も正確に理解した。…
東西文明の接点に立つ日本文化のアイロニイではないでしょうか。…
…すべて内的な自己展開であって、時流におし流されてものを言ったのではない。
…だから人間は戦争を避けて通ろうとしてはいけないのですよ。
平和は結構だが、戦争は必ず起こると覚悟していなければ、一歩も進めない。
平和が永久につづくなどと思っていたら、とんだ観測ちがいをおかすことになる。
地球国家ができましたら、こんどは宇宙船を飛ばして……。
三島:ほかの遊星を攻撃する……。

三島由紀夫
林房雄との対談「日本人論」より

444:法の下の名無し
09/09/12 12:18:53 esAPni7o
三島:…日本の状況をみますと、…少なくとも自民党が危ないときになって国民投票をやったとします。
そうしてウイかノンかといのを国民に問うたとします。
できることは、安保賛成(ウイ)か安保反対(ノン)かどっちかしかない。
安保賛成というのは、はっきりアメリカですね。安保反対というのはソビエトか中共でしょう。
日本人に向かっておまえアメリカをとるか、ソビエトをとるか中共をとるかといったら、
僕はほんとうの日本人だったら態度を保留すると思うんですね。
日本はどこにいるんだ。日本は選びたいんだ、どうやったら選べるんだ。
これはウイとノンの本質的意味をなさんと思うんですよ。
そういたしますと、…まだ日本人は日本を選ぶんだという本質的な選択をやれないような状況にいる。
これで安保騒動をとおり越しても、まだやれないんじゃないかという感じがしてしようがない。

三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より

445:法の下の名無し
09/09/12 12:20:13 esAPni7o
三島:それで去年の夏、福田赳夫さんと会ったときに、
「自民党は安保条約と刺しちがえて下さいよ」と言ったんですよ。
私が大きなことを言うようですが、私の言う意味は、自民党はやはり歴史的にそういう役割を持っている、
自民党は西欧派だと思うんです。
西欧派は西欧派の理念に徹して、そこでもって安保反対勢力と刺しちがえてほしい。
その次に日本か、あるいは日本でないかという選択を迫られるんであるというふうに言ったことがある。
いま右だ左だといいましても、安保賛成が右なのかということは、いえないと思うんです。
安保賛成も一種の西欧派ですよ。安保反対はもちろん外国派です。
そうすると国粋派というのは、そのどっちの選択にも最終的には加担していないですよ。

三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より

446:法の下の名無し
09/09/12 12:21:51 esAPni7o
三島:ですからナショナリズムの問題が日本では非常にむずかしくなりまして、私が思うのに、
いま右翼というものが左翼に対して、ちょっと理論的に弱いところがあるのは、われわれ国粋派というのは、
ナショナリズムというものが、九割まで左翼に取られた。
だって米軍基地反対といったって、イデオロギー抜きにすれば、だれだってあまりいい気持ちではない。
それからアメリカは沖縄を出て行け、沖縄は日本のものであったほうがいい、なにを言ったところで、
左翼にとってみれば、どこかで多少ナショナリズムにひっかかっているから広くアピールする。

三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より

447:法の下の名無し
09/09/12 12:22:45 esAPni7o
三島:そうして私は、ナショナリズムは左翼がどうしても取れないもの―九割まで取られちゃったけれども、
どうしても取れないもの、それにしがみつくほかないと信じている。だから天皇と言っているんです。
もちろん天皇は尊敬するが、それだけが理由じゃない。
ナショナリズムの最後の拠点をぐっとにぎっていなければ取られちゃいますよ。
そうして日本中が右か左の西欧派(ナショナリズムの仮面をかぶった)になっちゃう。
林:…僕は今の左翼の“ナショナリズム”は発生が外国指令だと思う。
いくら彼らに教えても反米はできるが反ソ、反中共はできない。
したがって尊王ということは、彼らにとっては、もってのほかです。…
三島:…やつらは天皇、天皇といえばのむわけないです。
のむわけないから、やつらから天皇制打倒というのを、もっと引出したいですよ。
…これをもっとやつらから引出さなければならない。
やつらのいちばんの弱味を引き出してやるのが、私は手だと思っているんですがね。

三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より

448:法の下の名無し
09/09/13 19:29:17 lMtAHTZB
>>385
電波というか、人間味を感じなかった。

449:法の下の名無し
09/10/01 19:54:46 SLXGvZuh

【10月の臨時国会で民主・公明が外国人参政権法案提出へ】

            _,‐/.|       ヽ.,лi'\,‐i
           ノ   .|      ,ノ  (´・ω・`)´i
          /    `'‐´`'-,_,‐'v'‐-ー,__,、,-、_`'!_ _
    _ __ノ‐-ー'     ,‐^'‐‐,iー,,l´        ~   ,}
 ‐‐=''‐'`フ   中国  ,‐´     `\   朝鮮  /"
     .t_   . i`ヽ_/   < `∀´ >   ~j      `i、
     .л)   .`j     ___,,,--、   '‐!      ζ
    __| . jヽ‐'´~    /''     `ヽ  ヽ, ,,---'´´~
    `フ `i      ノ        ヽ, /
    `'''ーt´   ,‐,/~          .i /
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韓国人の民度
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 …3ヶ月後, 3千冊全部 紛失&未返却 orz

450:法の下の名無し
09/10/09 16:53:23 vv/jbRJU
民族主義とは、本来、一民族一国家、一個の文化伝統・言語伝統による政治的統一の熱情に他ならない。
(中略)
では、日本にとつての民族主義とは何であらうか?
…言語と文化伝統を共有するわが民族は、太古から政治的統一をなしとげてをり、
われわれの文化の連続性は、民族と国との非分離にかかつてゐる。
そして皮肉なことには、敗戦によつて現有領土に押し込められた日本は、国内に於ける
異民族問題をほとんど持たなくなり、アメリカのやうに一部民族と国家の相反関係や、
民族主義に対して国家が受け身に立たざるをえぬ状況といふものを持たないのである。
従つて異民族問題をことさら政治的に追及するやうな戦術は、作られた緊張の匂ひがするのみならず、
国を現実の政治権力の権力機構と同一し、ひたすら現政府を「国民を外国へ売り渡す」買辧政権と
規定することに熱意を傾け、民族主義をこの方向へ利用しようと力めるのである。

三島由紀夫
「文化防衛論 戦後民族主義の四段階」より

451:法の下の名無し
09/10/09 16:54:39 vv/jbRJU
しかし前にも言つたやうに、日本には、現在、シリアスな異民族問題はなく、又、
一民族一文化伝統による政治的統一への悲願もありえない。
それは日本の歴史において、すでに成しとげられてゐるものだからである。
もしそれがあるとすれば、現在の日本を一民族一文化伝統の政治的統一を成就せぬところの、
民族と国との分離状況としてとらへてゐるのであり、民族主義の強調自体が、この分離状況の
強調であり、終局的には、国を否定して民族を肯定しようとする戦術的意図に他ならない。
すなはち、それは非分離を分離へ導かうとするための「手段としての民族主義」なのである。
…前述したやうに、第三次の民族主義は、ヴィエトナム戦争によつて、論理的な継目をぼかされながら
育成され、最後に分離の様相を明らかにしたが、ポスト・ヴィエトナムの時代は、この分離を、
沖縄問題と朝鮮人問題によつて、さらに明確にするであらう。

三島由紀夫
「文化防衛論 戦後民族主義の四段階」より

452:法の下の名無し
09/10/09 16:56:00 vv/jbRJU
…戦後の日本にとつては、真の民族問題はありえず、在日朝鮮人問題は、国際問題であり、
リフュジーの問題であつても、日本国内の問題ではありえない。
これを内部の問題であるかの如く扱ふ一部の扱ひには、明らかに政治的意図があつて、
先進工業国における革命主体としての異民族の利用価値を認めたものに他ならない。

三島由紀夫
「文化防衛論 戦後民族主義の四段階」より

453:法の下の名無し
09/10/09 16:57:14 vv/jbRJU
…手段としての民族主義はこれを自由に使ひ分けながら、沖縄問題や新島問題では、
「人質にされた日本人」のイメージを以て訴へかけ、一方、起りうべき朝鮮半島の危機に際しては、
民族主義の国際的連帯感といふ論理矛盾を、再び心情的に前面に押し出すであらう。
被害者日本と加害者日本のイメージを使ひ分けて、民族主義を領略しようと企てるであらう。
しかしながら、第三次の民族主義における分離の様相はますます顕在化し、同時に、
ポスト・ヴィエトナムの情勢は、保守的民族主義の勃興を促し、これによつて民族主義の
左右からの奪ひ合ひは、ますます先鋭化するであらう。

三島由紀夫
「文化防衛論 戦後民族主義の四段階」より

454:法の下の名無し
09/10/14 12:00:28 wq4B+hWr
国と民族の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸であるところの天皇は、
日本の近代史においては、一度もその本質である「文化概念」としての形姿を如実に
示されたことはなかつた。
このことは明治憲法国家の本質が、文化の全体性の侵蝕の上に成立ち、儒教道徳の残滓をとどめた
官僚文化によつて代表されてゐたことと関はりがある。
私は先ごろ仙洞御所を拝観して、こののびやかな帝王の苑池に架せられた明治官僚補綴の
石橋の醜悪さに目をおほうた。
すなはち、文化の全体性、再帰性、主体性が、一見雑然たる包括的なその文化概念に、見合ふだけの
価値自体を見出すためには、その価値自体からの演繹によつて、日本文化のあらゆる末端の
特殊事実までが推論されなければならないが、明治憲法下の天皇制機構は、ますます西欧的な
立憲君主政体へと押しこめられて行き、政治的機構の醇化によつて文化的機能を捨象して
行つたがために、つひにかかる演繹能力を持たなくなつてゐたのである。

三島由紀夫
「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

455:法の下の名無し
09/10/14 12:01:03 wq4B+hWr
(中略)
「みやび」は、宮廷の文化的精華であり、それへのあこがれであつたが、非常の時には、
「みやび」はテロリズムの形態をさへとつた。すなはち、文化概念としての天皇は、
国家権力と秩序の側だけにあるのみではなく、無秩序の側へも手をさしのべてゐたのである。
もし国家権力や秩序が、国と民族を分離の状態に置いてゐるときは、「国と民族の非分離」を
回復せしめようとする変革の原理として、文化概念たる天皇が作用した。
孝明天皇の大御心に応へて起つた桜田門の変の義士たちは、「一筋のみやび」を実行したのであつて、
天皇のための蹶起は、文化様式に背反せぬ限り、容認されるべきであつたが、西欧的立憲君主政体に
固執した昭和の天皇制は、二・二六事件の「みやび」を理解する力を喪つてゐた。

三島由紀夫
「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

456:法の下の名無し
09/10/14 12:01:43 wq4B+hWr
明治憲法による天皇制は、祭政一致を標榜することによつて時間的連続性を充たしたが、
政治的無秩序を招来する危険のある空間的連続性には関はらなかつた。
すなはち言論の自由には関はりなかつたのである。政治概念としての天皇は、より自由で
より包括的な文化概念としての天皇を、多分に犠牲に供せざるをえなかつた。
そして戦後のいはゆる「文化国家」日本が、米占領下に辛うじて維持した天皇制は、
その二つの側面をいづれも無力化して、俗流官僚や俗流文化人の大正的教養主義の帰結として、
大衆社会化に追随せしめられ、いはゆる「週刊誌天皇制」の域にまでそのディグニティーを
失墜せしめられたのである。
天皇と文化は相関はらなくなり、左右の全体主義に対抗する唯一の理念としての
「文化概念たる天皇」「文化の全体性の統括者としての天皇」のイメージの復活と定立は、
つひに試みられることなくして終つた。

三島由紀夫
「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

457:法の下の名無し
09/10/14 12:02:23 wq4B+hWr
(中略)
時運の赴くところ、象徴天皇制を圧倒的多数を以て支持する国民が、同時に、容共政権の
成立を容認するかもしれない。
そのときは、代議制民主主義を通じて平和裡に、「天皇制下の共産政体」さへ成立しかねないのである。
およそ言論の自由の反対概念である共産政権乃至容共政権が、文化の連続性を破壊し、
全体性を毀損することは、今さら言ふまでもないが、文化概念としての天皇はこれと共に崩壊して、
もつとも狡猾な政治的象徴として利用されるか、あるひは利用されたのちに捨て去られるか、
その運命は決つてゐる。
このやうな事態を防ぐためには、天皇と軍隊を栄誉の絆でつないでおくことが急務なのであり、
又、そのほかに確実な防止策はない。
もちろん、かうした栄誉大権的内容の復活は、政治概念としての天皇をではなく、
文化概念としての天皇の復活を促すものでなくてはならぬ。
文化の全体性を代表するこのやうな天皇のみが窮極の価値自体(ヴエルト・アン・ジッヒ)
だからであり、天皇が否定され、あるひは全体主義の政治概念に包括されるときこそ、
日本の又、日本文化の真の危機だからである。

三島由紀夫
「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

458:法の下の名無し
09/10/16 10:54:07 eCHot4xq
われわれは絶対的暴力否定の抵抗思想としてガンジーの思想の如きを知つてゐるが、
ガンジーは少なくとも抵抗の思想である。
日本の非暴力主義には、抵抗の思想は稀薄であり、エゴイズムのみが先行してゐる。
絶対平和主義は、自分たちの集団に対する攻撃をも甘んじて容認するといふことにおいて、
少なくとも集団に対する攻撃を容認しない、といふ原理に立つ国家の不可侵性を
否定するものだからである。
国家は力なくしては国家たり得ない。国家は一つの国境の中において存立の基礎を持ち、
その国境の確保と、自己が国家であることを証明する方法としては、その国家の領土の
不可侵性と、主権の不可侵性のために力を保持せざるを得ないことは、最近のチェコの
例を見ても明らかであらう。

三島由紀夫
「反革命宣言」より

459:法の下の名無し
09/10/16 10:54:47 eCHot4xq
もちろん十九世紀的な主権国家の幻はすでに崩れ、国際的な集団保障の時代が来て、国家概念は、
社会主義共同体と、自由諸国の国々とに別れ、ヨーロッパですら、将来のイメージとしては、
共同体的な同盟国家よりも、さらに強固なつながりを持つた国家形態を求めてはゐる。
しかしながら、現実に支配してゐるのは国家の原理であり、イデオロギーの終焉はまだ
絵空事であつて、むしろ、技術社会の進展が、技術の自己目的によるオートマティックな
一人歩きをはじめる傾向に対抗して、国家はこのやうな自己内部の技術社会のオートマティズムを
制御するために、イデオロギーを強化せねばならぬ傾向にある。
社会主義インターナショナルは単に多数民族、強力民族が少数民族をみづからの手中に
をさめるための口実として使はれてゐるにすぎない。

三島由紀夫
「反革命宣言」より

460:法の下の名無し
09/10/16 10:55:32 eCHot4xq
まだ国際政治を支配してゐるのは、姑息な力の法則であつて、その法則の上では
力を否定するものは、最終的にみづから国家を否定するほかはないのである。
平和勢力と称されるものは、日本の国家観の曖昧模糊たる自信喪失をねらつて、
日本自身の国家否定と、暴力否定とを次第次第につなげようと意図してゐる。
そこで最終的に彼ら(左翼)が意図するものは、国家としての日本の崩壊と、無力化と、
そこに浸透して共産政権を樹立することにほかならない。
そして共産政権が樹立されたときにはどのやうな国家がはじまるかは自明のことである。

三島由紀夫
「反革命宣言」より

461:法の下の名無し
09/10/16 10:56:24 eCHot4xq
(中略)
一般大衆は、革命政権の樹立が、自分たちの現在守つてゐる生活に、将来どのような時間をかけて
どのように波及してくるかについてほとんど知るところがない。
彼らは、現在の目前の問題としては、いつもイデオロギーよりも秩序を維持することを欲し、
ことに経済的繁栄の結果として得られた現状維持の思想は、一人一人の心の中に浸み込んで、
自分の家族、自分の家を守るためならば、どのようなイデオロギーも当面は容認する、
といふ方向に向つてゐる。そして、秩序自体の変質がどういふ変化を自分たちにおよぼすか、
といふ未来図を彼らの心から要求することは、ほとんど不可能である。
人々はつねられなければ痛さを感じないものである。
もし革命勢力、ないし容共政権が成立した場合、たとへたつた一人の容共的な閣僚が入つても、
もしこれが警察権力に手をおよぼすことができれば、たちまち警察署長以下の中堅下級幹部の首の
すげかへを徐々に始め、あるひは若い警官の中に細胞をひそませ、警察を内部から崩壊させるであらう。

三島由紀夫
「反革命宣言」より

462:法の下の名無し
09/10/16 20:48:37 tdVKps2v
昨日、book off で「日本人の法感情」(中川剛)という本を見つけて買った。
今、真ん中へんを読んでいる。
すばらしい分析だと感心しながら読んでいるところだ。
読んだ人いますか?

463:法の下の名無し
09/10/17 23:41:57 W/t9cv/7
読んでまちぇん(o∂.∂)人(∂.∂o)

464:法の下の名無し
09/10/19 22:20:39 KYbVMpvJ
読んでみてくだちゃい。

465:法の下の名無し
09/10/22 09:00:52 vdOKKNgy
未だに三島の政治的発言を真に受けてるバカいるの?

466:法の下の名無し
09/10/22 13:49:22 Mko14ByA
的を射ているから読まざるをえないだけなんだけどね。

467:法の下の名無し
09/10/23 14:21:35 wognHEZS
あそう

468:法の下の名無し
09/11/05 11:11:40 5IW65fXH
【尚武の】◇◇◇三島由紀夫◆◆◆【こころ】
スレリンク(sisou板)

469:法の下の名無し
09/11/17 10:16:33 304lTHK2
戦後日本の歴史が一つとぎれてしまつた。そのとぎれたところに自衛隊の問題があり、警察の問題があり、
またいろいろ複雑な言ふにいはれない、日本人として誠に情けない状態があらゆる面に発生してきました。
(中略)
大体戦後の民主主義といふものは、アメリカといふ成金の新しい国から来たものでありますから、アメリカは
アメリカとしての歴史はもちろん持つてはをりますが、彼らが大切にしてゐる古い歴史といふのはせいぜい
十八世紀です。アメリカに行くと、これは非常に古い家である、十八世紀だなどとよくいはれる。
彼らはどんなにさぐつて見ても十八世紀以前に遡つてアメリカの歴史を語ることができない。
それより古い頃にはインディアンがゐたんで、インディアンの方がよつぽど歴史上における誇りもあるし、
自信もあるはずです。これが白人に駆逐されてしまつた。
白人であるアメリカ人といふものは、人の家にどかどか入つて来て、平和に暮らしてゐた人間を追ひ散らして、
新しい国を建てた。それが移民の国アメリカです。

三島由紀夫
「私の聞いて欲しいこと」より

470:法の下の名無し
09/11/17 10:17:19 304lTHK2
さういふ国の人に、日本のやうな古い歴史、文化を持つた国の伝統と連続性の力といふものは判らない。
彼らにどう説明して聞かしても判らない。それは無理はないです。何となれば彼らの感覚にはそんな古い
歴史といふものがないのですから……古いといふと十八世紀を思つてゐる人間にいくらいつても判らない。
判つて貰はうとすることが所詮無理なんでせう。
まあ、日本がアメリカに占領されたといふことは国の運命で仕方がないかも知れませんけれども、一番
根本なところが彼らに判らなかつたことは日本にとつても不幸だつたのでせう。それはわれわれだけが
判つてゐるのであつて、国といふものは、永遠に連続性がなければ本当の国ではないと思ひます。
そしてとに角今は空間といふものがここに広がつてゐる。この空間に対して時間があるわけです。

三島由紀夫
「私の聞いて欲しいこと」より

471:法の下の名無し
09/11/17 10:18:32 304lTHK2
今のこの世界の情勢といふものはハッキリいひますと「空間と時間」との戦ひだと思ひます。
(中略)
しかしながらその国際的な争ひは、あくまで空間をとり合つてゐるわけです。
ところがこの地球上の空間を占めてゐる国の中にも一方では反戦、自由、平和といつてゐる人達がをります。
この人達は歴史や伝統などといふものはいらんのだ。歴史や伝統があるから、この空間の方々に国といふものが
出来て、その国同士が喧嘩をしなければならんのだ。われわれは世界中一つの人類としての一員ではないか。
われわれは国などといふものは全部やめて、「自由とフリーセックスと、そして楽しい平和の時代を造るんだ」
と叫んでゐる。彼らには時間といふ観念がない。
空間でもつて完全に空間をとらうといふ考へ方においては、彼らもまた彼らの敵と同じなのです。
それでは、今日の人類を一体何が繋いできたのかといふことを論議し、つきつめてゆくと、結局最後には
「時間」の問題に突き当たらざるを得ない。

三島由紀夫
「私の聞いて欲しいこと」より

472:法の下の名無し
09/11/17 10:21:04 304lTHK2
(中略)
今ソビエトで一番の悪口は何だと思ひますか。ソビエトで人を罵倒する一番きたない言葉、それをいはれただけで
人が怒り心頭に発する言葉は何だと思ひますか……私はロシア語を知りませんから、ロシア語ではいへませんが、
「非愛国者だ」といふことださうです。さうすると一体これはどういふことなのかと不思議になります。
その伝統を破壊し、連続性を破壊してゐる共産圏においてすら、現在は歴史の連続性といふものを信じなければ
「愛国」といふ観念は出て来てないことに気付き、その観念のないところには共産国家といへどもその存立は
危ぶまれるといふことを気付いたに違ひない。
ですからこの「縦の軸」すなはち「時間」はその中にかくされてゐるんで、如何に人類が現在の平和を
かち得たとしても、このかくされてゐる「縦の軸」がなければ平和は維持できない。
それが現在の国家像であると考へられていいんです。

三島由紀夫
「私の聞いて欲しいこと」より

473:法の下の名無し
09/11/17 10:22:01 304lTHK2
ことに日本では敗戦の結果、この「縦の軸」といふのが非常に軽んじられてきてしまつた。
日本は、この縦の軸などはどうでもいいんだが、経済が繁栄すればよろしい、そして未来社会に向つて、
日本といふ国なんか無くなつても良い。みんな楽しくのんびり暮して戦争もやらず、外国が入つて来たら、
手を挙げて降参すればいいんだ。日本の連続なんかどうなつてもいいんではないか、歴史や文化などは
いらんではないか、滅びるものは全部滅びても良いではないか、と考へる向きが非常に強い。
さういふ考へでは将来日本人の幸せといふものは、全く考へられないといふことを、この一事をもつてしても、
共産国家が既に明白に証明してゐると私は思ひます。
(中略)
共産主義国家が、国家意思を持つてゐて、日本のやうな、佐藤首相が自らの手で国家を守るといつてゐるこの国に、
国家意思がないとは一体どういふことだらうか。
さういふことになるのは今の日本の根本が危ふくなつてゐるからです。根本はここにあるのです。

三島由紀夫
「私の聞いて欲しいこと」より

474:法の下の名無し
09/11/29 03:20:28 wcCxYXqB
在日韓国人の「外国人参政権」を急いで欲しがる理由について。
 以下の理由らしいとの事です。 

2012年在日韓国人に徴兵義務強制、拒否すれば財産没収(正式決定済み事項)の法律が韓国で決定。
 ↓
2012年以降、在日韓国人は兵役をこなすか、手数料を支払うかしかなくなる。
 ↓
ただし、兵役に行くor国籍を認めて代金を支払うと特別永住資格を喪失するらしい(帰化するしか日本に居住する方法がなくなる)

 ということは、頑張って2012年まで在日の参政権等の法律を阻止できればあの忌まわしい在日は駆逐できるってことなのか!
 みんな頑張ろうぜ!日本の地を日本人の手に!!
 できればこの文章を、いろんなページに貼り付けてほしい。
 たのむ。子供たちに明日を!

 参考・在日韓国人が参政権をほしがる理由
URLリンク(d.hatena.ne.jp)



475:法の下の名無し
09/12/03 12:20:18 Pbaonaf2
ところで私はあらゆる楽観主義、楽天主義がきらひである。
ファクトといふものは、悲観をも楽観をも蹂躙してゆく戦車だといふのが私の考へで、ファクトに携はらぬ人は
往々歴史を見誤まるのである。

三島由紀夫
「三島由紀夫のファクト・メガロポリス」より

476:法の下の名無し
09/12/03 17:13:32 Pbaonaf2
兜町―それは現在のこの一瞬だ。
(中略)
そこには、なるほど資本主義の枠はあるけれど、どんなイデオロギーにもゆがめられない、テコでも動かない
現在只今の生活感覚が充実してゐて、盲目でありながら透視力に充ち、どんな理窟もはねとばし、予想も論理も
役に立たない。よかれ、あしかれ、ありのままの素ッ裸。兜町を直視すれば、気取りも羞恥心も吹つ飛んでしまふ。
いかに壮大な革命理論をゑがいても、心のどこかに、「マイホームを建てる三十坪の土地がほしい」といふ
気持があれば、その集積が、露骨に株式相場にあらはれてしまふ。
ひどく敏感で、ひどく鈍感。

三島由紀夫
「三島由紀夫のファクト・メガロポリス」より

477:法の下の名無し
09/12/03 17:14:13 Pbaonaf2
時代に対して徹底的に受身で、自己一身の利益しか考へてゐないといふ「心」が、集積されると、時代を
動かしてゆく一つの重要な動因になるといふそのふしぎ。
…兜町の第一線の人々と親しく話してみて、そこに世代の差による考へ方のちがひは当然ありながら、
「どんな観念論も空しい」といふ一点で、逞しい合意に達してはたらいてゐる人々の、一種強烈な自信に圧倒された。
しかし果して、どんな観念論も空しいだらうか?
それは歴史が決定する問題であり、「現実」がまだ最後の勝利を占めたわけではないのである。

三島由紀夫
「三島由紀夫のファクト・メガロポリス」より


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