■■■■三島由紀夫の「檄」■■■■at JURISP
■■■■三島由紀夫の「檄」■■■■ - 暇つぶし2ch200:法の下の名無し
08/06/26 22:23:44 n23iAQ2J
>>195-196
このスレ立てた者ですが、書き込み乙です。
三島の檄文が今なお日本の政治社会状況に合致することを発見して
愕然とし、敢えて法学板に立てさせてもらいました。
文学板などでは作品としての解釈しかなされないような気がしましたし、
実際2chでもマスメディアでもアメリカへの隷従、大衆社会批判の方面
は巧妙に触れられておらず、三島の主張が矮小化されているように感じます。

>>196氏の書き込みは敬服するのみですが、しかし三島の檄文を読んでの普通の人の
感想も知りたいものです。
このスレの>>1-7の檄を読んでみなさんの所感をどんどんカキコしてほしいもんです。

201:法の下の名無し
08/06/27 23:03:30 Cew7Yb/7
三島よ・・・

202:法の下の名無し
08/06/30 16:27:49 L9EfezQh
たとえ私が狂気だったにせよ、あの狂気の中心には、光りかがやくあらたかなものがあった。
狂気の後には水晶のような透明な誠があった。

翼を切られても、鳥であることが私の狂気だったから、その狂気によってかるがると私は飛んだ。

三島由紀夫
「朱雀家の滅亡」より

203:法の下の名無し
08/06/30 16:29:52 L9EfezQh
私にはわからない。自分が今なお狂気か正気かということが、自分にはわかろう筈がない。
只一つわかることは、その正気の中心には誠はなく、みごとに翼は具えていても、その正気は決して飛ばないということだ。あたかも醜い駝鳥のように。
私は知らず、少なくともお前たちみんなは駝鳥になったのだよ。

三島由紀夫
「朱雀家の滅亡」より


204:法の下の名無し
08/07/01 14:35:31 1lQ/qkVw
三島由紀夫が尊敬していた保田與重郎の三男の直日さんは、学生時代からアラブ支持の活動をしていて、パレスチナ難民へのカンパ活動、難民救済に打ち込んでいたそうです。
そして昭和42年、中東戦争でアラブ側がイスラエルに完敗した数日後に、保田直日さんは睡眠薬を飲み自らの命を断ったとのことです。
三島由紀夫がこのことを知っていたかどうかは不明ですが、保田與重郎の三島への思いは、この息子の死とも重なり、より大きな悼みになったと思われます。

205:法の下の名無し
08/07/02 01:05:40 NH/EhOw5
まさに軍人道

206:法の下の名無し
08/07/02 11:45:08 ijjNAVmH
彼がそのわかい晩年で考えた、天皇は文化だという系譜の発想の実体は、日本の土着生活に於いて、生活であり、道徳であり、従って節度とか態度、あるいは美観、文芸などの、おしなべての根拠になっている。
三島氏が最後に見ていた道は、陽明学よりはるかにゆたかな自然の道である。
武士道や陽明学にくらべ、三島氏の道は、ものに至る自然なる随神(かんながら)の道だった。
そのことを、私はふかく察知し、粛然として断言できるのが、無上の感動である。

保田與重郎
「天の時雨」より


207:法の下の名無し
08/07/02 11:55:09 ijjNAVmH
三島氏らは、ただ一死を以て事に当たらんとしたのである。
そのことの何たるかを云々することは私の畏怖して自省究明し、その時の来り悟る日を待つのみである。私は故人に対し謙虚でありたいからである。
三島氏の文学の帰結とか、美学の終局点などという巷説は、まことににがにがしい。
その振る舞いは創作の場の延長ではなく、まだわかっていないいのちの生まれる混沌の場の現出であった。
国中の人心が幾日もかなしみにみだれたことはこの混沌の証である。

保田與重郎
「天の時雨」より


208:法の下の名無し
08/07/04 01:12:27 CF3HzBYh
人に愛された事の無い愛される事を知らない人間だろう
人の愛しかたを知らないだから愛を知らない人間が共感するのだろう
俺の方が遥かに優れてる


209:法の下の名無し
08/07/04 10:59:26 mrgoZc3g
近代西欧文明がもたらした物質万能への傾倒が、いまや極点に達していることは言うまでもない。
人間としての存在が、どうあらねばならないのか。それを問う時はきている。
三島由紀夫は、究極のところ、そのことを人々に問いかけたのだ。
作品によって問いつづけ、さらには自決によって問うた。いや、問うたというよりも、死の世界に生きることを選び、この世への「見返し」を選んだ。
五年後、十年後、いや百年後のことかもしれない。だか、そのとき三島由紀夫は、復活などというアイマイなものでなく、さらに確実な形……存在として、この世に生きるであろう。

小室直樹
「三島由紀夫と『天皇』」より


210:法の下の名無し
08/07/04 17:04:43 dfnG/9Tm
私は進学校に通う一学生ですが、蔓延するニヒリズムやモラルの堕落、静かに包囲を狭めて迫りくる
危機に対して恐怖を抱いています。
それゆえか、本質の理解には到底およばないまでも、故三島氏の訴えへの共感を禁じえません。

211:法の下の名無し
08/07/05 12:56:48 OiApUsSB
堤防の上の砂地には夥しい芥が海風に晒されていた。
コカ・コーラの欠けた空瓶、缶詰、家庭用の塗装ペイントの空缶、永遠不朽のビニール袋、洗剤の箱、沢山の瓦、弁当の殻……
地上の生活の滓がここまで雪崩れて来て、はじめて「永遠」に直面するのだ。
今まで一度も出会わなかった永遠、すなわち海に。
もっとも汚穢な、もっとも醜い姿でしか、ついに人が死に直面することができないように。

三島由紀夫
「天人五衰」より


212:法の下の名無し
08/07/05 22:47:14 wn2nY5fu
コピるだけで本質を理解してないね

213:法の下の名無し
08/07/06 11:23:24 PvmLUhqS
私と彼とは文体もちがい、政治思想も逆でしたが、私は彼の動機の純粋性を一回も疑ったことはありません。

武田泰淳


214:法の下の名無し
08/07/06 16:21:10 En65BqVh
三島が人間の本質を知らずして思う思想など使えないんだよ
役に立たない思想など作家でもできるレベル
目立つ事をやっただけの事だ
凡人よりレベルが高い思考を持ってただけ
未熟者のまま自決した


215:法の下の名無し
08/07/06 21:39:11 hLg0gM/i
>>214
「むしろ私は、心中多少の後ろめたさと、多少の羨望を感じながらも、
あんな無謀な一挙にすべてをかけた人たちを、嘲笑したろうと思われるのです。
…他人の情熱を見ると、一刻も早くその不調和、その情熱と彼自身
との間の微妙な齟齬を発見して、わが身を護るために軽い嘲笑を浮べる
のが習いでした。その気になって探せば、『ふさわしくなさ』というものは
、どこにでも見つかるのです。」
                   『奔馬』「本多の手紙」より

216:法の下の名無し
08/07/06 22:36:21 PvmLUhqS
>>214
三島由紀夫は作品のなかでも、人間の本質を追求して人間の弱さや、悪と美、世界の意義について考察や哲学をしていますよ。
だからこそ、三島は欧米型合理主義と人工甘味料的人権主義によって、未来の日本に蔓延してゆくモラル崩壊、シニカルを予見し危惧しています。


217:法の下の名無し
08/07/08 00:35:43 d46cVr22
自分の思考で経験で表現しろ説明しろ
受け売りの言葉を引っ張り出して貼付ける能力しかない
結局は本質を理解してないから応用が出来ない
未熟者に共感する者もさらに未熟者なんだよ

218:法の下の名無し
08/07/08 01:12:57 LvzRQFct
なんかおかしな人間が張り付いてますが、
三島の著作読まずに批判してるね。怖いんだろうね、三島が。
三島に対しては、異常なほど批判的な人間がいるからね。

三島が人間の本質理解していないというが、じゃああなたは
理解して、三島が間違いをしてるわけね。教えてくれるかな
人間の本質とやらを。

それからね三島の思想の全体像なんて研究者でも極められないんだよ。
一般人には著作から人間の真実の断片、片鱗を感じ取るくらいしかできない。

219:法の下の名無し
08/07/08 10:42:39 Iywm7OVJ
>>217は文学板にいるアンチ三島だよ。
しつこくしつこく三島についての引用を阻止して、あの手この手で妨害するためだけに、朝から晩まで張り付いてる奇特な人です。
三島の著書も禄に読んでないくせに、三島の本質が解ってないといって荒らしてるだけだからほっておいた方がいいよ。
たぶん反天皇主義の人だと思います。

220:法の下の名無し
08/07/08 10:44:52 Iywm7OVJ
占領時代は屈辱の時代である。虚偽の時代である。
面従背反と、肉体的および精神的売淫と、策謀と譎詐の時代である。
初子は本能的に自分がこういう時代のために生まれて来たことを感じていた。

三島由紀夫
「江口初女覚書」より


221:法の下の名無し
08/07/08 20:51:15 d46cVr22
三島は人間の真理を知らない未熟者なんだよ


222:法の下の名無し
08/07/08 22:16:59 d46cVr22
考え方なんてものは人の口から書物から得たもねなど百人が百人が受け取り方が違うんだよ。
自分の都合のいい受け取り方を人間はする
経験未熟者は未熟な受け取り方するしかない。
それは全ての事に言える
世の中の現状も人の心も一定のバランスで保たれている。
百人が百人、バランスを取るポイントが違う。
自分の事は自分しか理解できない全部自分で自分を追い込んでやっと何かが本質が見えて来る。
自分と戦わずして一点の光も見つけられない自ら暗闇の茨の道を何十年も歩き続ける。
何を理解しても変わらないのが人間だ
歴史が証明している人間は同じ事を何故繰り返すのか。
感情や欲望に自我を支配されコントロールされてる。
自分に都合のいい思想など個人の空想で妄想。


223:法の下の名無し
08/07/09 10:52:16 vg0c4iZt
>>222
あなたの論でいけば、『三島は人間の真理を知らない未熟者』というのも、結局はあなたの都合のいい受け取り方でしかないでしょう。
あなたの書き込みは、全てあなた自身にあてはまることだと思いました。
それから、三島を批判するなら、せめて三島の主要の著書くらいまともに読んで下さい。
よく知りもしないで反感や印象だけ批判しても、何の具体性も説得力もありませんよ。

224:法の下の名無し
08/07/09 16:12:04 8Yn8v5L+
三島は論争ジャーナルグループに金を渡してた田中清玄を嫌ってた。
田中の師匠、山本玄峰を三島はいかに見ていたのだろうか。
三島と山本玄峰、もしあいまみえていれば、三島翁の矍鑠とした姿が平成の世にあったではないだろうかと 淡い夢想をする。
そして見合いをし、結ばれることのなかった美智子陛下への慕情は?

225:法の下の名無し
08/07/10 12:13:16 s1zMQpk4
>>224
『春の雪』は、美智子皇后への思慕が含まれているという評者もいますが、私はそれはあまりないと思います。
見合い以前に別れた女性(四年交際していた満佐子)や、やぶれた初恋の三谷邦子(仮面の告白の園子)への思慕の方がいくつかの作品から強く感じられます。
三島由紀夫は知人(村松剛)に、あれは(春の雪)私小説なんだよ、とぽつりと漏らしたそうです。

226:法の下の名無し
08/07/10 13:59:43 9fzd8+1F
↑どうもご丁寧にありがとうございます。
関係ないけど たった今
テーラワーダ仏教のスマナサーラ老師を幡ヶ谷にて目撃しました。

227:法の下の名無し
08/07/10 23:30:04 s1zMQpk4
>>226
その方の顔は私は知りませんが、あなたが心に留めていた人を偶然、見かけるというのは、何か不思議なものがあるのかもしれないですね。
私はなぜか、お笑い系のタレントの人を偶然見かけることが多いです。私自身はそういう素質はないんですけど。


228:法の下の名無し
08/07/11 02:05:17 ynDFkGQy
↑凡人が何言ってんだよ
>私自身はそういう素質はないんですけど。
はっ?はっ?
素質?素質?素質?
やっぱり脳内がやられてるな可哀相に笑いが止まりません。
ギャッハッハッハッ…

229:法の下の名無し
08/07/11 05:19:27 cVdTyymJ
初心者なんでミスりましたが読めるかな
URLリンク(academy6.2ch.net)

230:法の下の名無し
08/07/11 05:57:51 cVdTyymJ
偶然を縁だと考えるのは日本人の宗教感に根差した美徳。
「鏡子の家」で童貞の青年画家が古神道系の神秘主義者に邂逅する様子や
「豊饒の海」で本多が輪廻転生を目撃し「こんな奇跡を許した以上、この先もう何が起こるかわからない」と畏れわななく場面など、三島の神秘体験を基にしている。
一度神秘体験をすると、この世に偶然なんてものはなく、見るもの、聞こえるもの、触れ合うもの全てがまるで暗合のように問い掛けてきて、本人は意味を解読しようと敏感になる。
三島は晩年、人の言葉に敏感で「なんで君にそんなことがわかるんだ?」と意図せず自分の心中を見抜くような発言に偶然以上のものを確信していた。
インドで牛と目が合うことも三島には、意味があった。
三島のあの目は、南方熊楠と同じく、異界を覗きこんだことのある修験行者の目。
「わかる奴だけにわかればいいさ」

231:法の下の名無し
08/07/12 16:27:57 QUf60V2h
偶然とは、人間どもの理解をこえた高い必然が、ふだんは厚いマントに身を隠しているのに、ちらとその素肌の一部をのぞかせてしまった現象なのだ。
人智が探り得た最高の必然性は、多分天体の運行だろうが、それよりさらに高度の、さらに精巧な必然は、まだ人間の目には隠されており、わずかに迂遠な宗教的方法でそれを揣摩しているにすぎないのだ。

三島由紀夫
「美しい星」より


232:法の下の名無し
08/07/12 16:33:19 QUf60V2h
宗教家が神秘と呼び、科学者が偶然と呼ぶもの、そこにこそ真の必然が隠されているのだが、天はこれを人間どもに、いかにも取るに足らぬもののように見せかけるために、悪戯っぽい、不まじめな方法でちらつかせるにすぎない。
人間どもはまことに単純で浅見だから、まじめな哲学や緊急な現実問題やまともらしく見える現象には、持ち前の虚栄心から喜んで飛びつくが、一見ばかばかしい事柄やノンセンスには、それ相応の軽い顧慮を払うにすぎない。
こうした人間はいつも天の必然にだまし討ちにされる運命にあるのだ。
なぜなら天の必然の白い美しい素足の跡は、一見ばからしい偶然事のほうに、あらわに印されているのだから。

三島由紀夫
「美しい星」より


233:法の下の名無し
08/07/12 17:12:40 QUf60V2h
神のことを、人間は好んで真理だとか、正義だとか呼びたがる。
しかし神は真理自体でもなく、正義自体でもなく、神自体ですらないのです。
それは管理人にすぎず、人知と虚無との継ぎ目のあいまいさを故ら維持し、ありもしないものと所与の存在との境目をぼかすことに従事します。
何故なら人間は存在と非在との裂け目に耐えないからであるし、一度人間が『絶対』の想念を心にうかべた上は、世界のすべてのものの相対性とその『絶対』との間の距離に耐えないからです。

三島由紀夫
「美しい星」より


234:法の下の名無し
08/07/13 00:15:00 tAZTKuBC
三島は人間の本質心理真理をなんとなくでしか感じていない
必然=結果、偶然=結果
いくつもの結果の理解は出来て予測できても
結果の前の仕組みを構造は理解出来てないな
自分が誰かの仕組み構造を少し動かし変えれば
思い通りの結果を相手に与える事が出来る。
必然偶然は造られる、誰にも言わず行う、それが善でも悪でも、相手は気付かず受け入れ人生を送るのだ。


235:法の下の名無し
08/07/13 10:06:15 5vhNmk0g
>>234
あなたの言っていることは三島の論とは論点が全くずれている。
あなた自身が三島の言わんとしていることを、ちっとも理解できず、読解力がな全くない人だというのがよく分かった。


236:法の下の名無し
08/07/13 15:49:51 yXk2W3xV
どうでもいいが、さっさと削除依頼出しとけよ

237:法の下の名無し
08/07/13 23:45:59 tAZTKuBC
アッハッハッハッ
点である論点が違うポイントであろうと線で繋ぎたどり着く所は全部同じだ理解は出来ないだろうな
三島は俺より劣っているだけの話ではないか
お前はさらにずっとずっと下の凡人達の領域で書物を読んで
自分は分かったかのような気になって満足してる
子供のようだな


238:法の下の名無し
08/07/14 10:54:48 J9zdnmYH
>>237
なんだ、自分が三島由紀夫より優れていると妄想しているただの頭のおかしい人ですか、お疲れ様でした。
自分より劣っている三島を、とやかくつつく暇があるなら、あなたはご自分のために時間を使ったらいかがでしょうか?
本当に賢い聡明な人は、自分より劣った者に執拗に粘着しませんからね。

239:法の下の名無し
08/07/14 11:06:46 J9zdnmYH
「奔馬」には、1876年に叛乱を起した武士たちの集団自殺が描かれており、彼らの行動は勲を感奮興起させたものであった。
この血と臓腑の信ずべからざる大氾濫は私たちを恐怖させるとともに、あらゆる勇敢なスペクタクルのように興奮させもする。
この男たちが闘うことを決意する前に行った、あの神道の儀式の簡素な純粋性のようなものが、この目を覆わしむ
流血の光景の上にもまだ漂っていて、叛乱の武士たちを追跡する官軍の兵隊たちも、できるだけゆっくりした足どりで山にのぼって、彼らを静かに死なせてやろうと思うほどなのである。

マルグリット・ユルスナール


240:法の下の名無し
08/07/14 11:07:23 J9zdnmYH
勲はといえば、彼はその自殺に幾分か失敗する。
しかし三島は、それ自体うかがい知りえぬ肉体的苦痛の領域に天才的な直感をはたらかせて、この叛逆の若者に、彼にとってはあまりに遅く来るであろう昇る日輪の等価物をあたえてやったのだ。
腹に突き立てられた小刀の電撃的な苦痛こそ、火の球の等価物である。それは彼の内部で赤い日輪のような輝きを放射するのである。

マルグリット・ユルスナール


241:法の下の名無し
08/07/14 15:38:31 tRe8xfuy
あの、、ここは、、法学板なのですが。。

242:法の下の名無し
08/07/14 23:29:53 0abqddXY
レッツバスロマン!!

243:法の下の名無し
08/07/15 16:02:37 TD9IExXm
彼(三島)はたしかに、古い夢の、神々の、死の自覚の上に立って、つねに仕事をしてきた作家であるといえるだろう。
彼は神々を、錬金術師のように、合成することを夢みる。そこに彼の批評精神があり、光栄があり、そしてまた苦しみがあるばずだ。

道徳を信じない道徳家、
愛を拒否する愛の詩人、
詠嘆的であることを恐怖する、しかしロマンティックな嘆美家、
―作品の背後にある作者(三島)の姿を、一口にいえば、そういうことになるのではないか、とぼくは思っている。

村松剛


244:法の下の名無し
08/07/17 12:05:22 QXD2aMpa
高校へ入ったら、勉強の邪魔にならぬ程度のスポーツもやるべきで、それも健康が表面に浮いて見えるようなスポーツがいい。
スポーツマンだというと、莫迦だと人に思われる利得がある。政治には盲目で、先輩には忠実だということぐらい、今の日本で求められている美徳はないのだからね。

三島由紀夫
「天人五衰」より


245:法の下の名無し
08/07/17 12:08:48 QXD2aMpa
―大人しい透に向って、こうして執拗に説き進めながら、いつしか本多は、目の前に清顕と勲と月光姫を置いて、返らぬ繰り言を並べているような心地にもなった。
彼らもそうすればよかったのだ。自分の宿命をまっしぐらに完成しようなどとはせず、世間の人と足並を合せ、飛翔の能力を人目から隠すだけの知恵に恵まれていればよかったのだ。
飛ぶ人間を世間はゆるすことができない。翼は危険な器官だった。
飛翔する前に自滅へ誘う。あの莫迦どもとうまく折合っておきさえすれば、翼なんかには見て見ぬふりをして貰えるのだ。

三島由紀夫
「天人五衰」より


246:法の下の名無し
08/07/19 14:51:22 RaF1eFhu
無神論も、徹底すれば徹底するほど、唯一神信仰�%

247:法の下の名無し
08/07/19 14:52:20 RaF1eFhu
無神論も、徹底すれば徹底するほど、唯一神信仰の裏返しにすぎぬ。
無気力も、徹底すれば徹底するほど、情熱の裏返しにすぎぬ。
近ごろはやりの反小説も、小説の裏返しにすぎぬ。

三島由紀夫
「川端康成氏再説」より

248:法の下の名無し
08/07/20 23:14:03 JKh2bH4s
まだやってんのこの板違いスレ。
>>1がどういう料簡でずっとコピペを続けてるのかよくわかんない。
動機は途中に書いてあるが、なんでそれを法学板で延々やるのか。

政治思想板とかの方がいいんじゃない


249:法の下の名無し
08/07/22 10:01:18 ZASIFFmV
空文化されればされるほど政治的利用価値が生じてきた、というところに、新憲法のふしぎな魔力があり、戦後の偽善はすべてここに発したといっても過言ではない。
完全に遵奉することの不可能な成分法の存在は、道義的退廃を惹き起こす。

三島由紀夫
「道理の実現―『変革の思想』とは」より


250:法の下の名無し
08/07/22 10:58:42 s7FnrXOU
成文法だろ
成分法てなんだよアホが


251:法の下の名無し
08/07/22 22:21:48 ZASIFFmV
空文化されればされるほど政治的利用価値が生じてきた、というところに、新憲法のふしぎな魔力があり、戦後の偽善はすべてここに発したといっても過言ではない。
完全に遵奉することの不可能な成文法の存在は、道義的退廃を惹き起こす。

三島由紀夫
「道理の実現―『変革の思想』とは」より


252:法の下の名無し
08/07/23 00:52:56 3uLxUift
肝心な部分を平気で間違えてるような文章にゃ
何の説得力もないね
資源の無駄遣いだわ

253:法の下の名無し
08/07/23 12:14:51 798nYar+
>>252
三島嫌いのくせに、朝から晩まで小姑みたいにスレを監視する奇特なバカお疲れ。

254:法の下の名無し
08/07/23 12:15:34 798nYar+
「いま筋の通ったことをいえば、みんな右翼といわれる。
だいたい、“右”というのは、ヨーロッパのことばでは“正しい”という意味なんだから。(笑)」

三島由紀夫
鶴田浩二との対談「刺客と組長 男の盟約」より


255:法の下の名無し
08/07/23 16:06:12 IXYNR/eV
しかし間違っているをleftと言わない。

256:法の下の名無し
08/07/23 16:27:20 bPbQ6yun
これは三島ギャグなんだからいいじゃないか

257:法の下の名無し
08/07/23 23:33:51 5jwSJtig
三島依存症障害だと自覚はできてますか?
現在の社会で三島思考の真似で生活不可ニート
精神科で診察を薦めます
誰も居ないでしょ?
誰もが通り過ぎる暗闇の底辺でスレッド立て三島を利用して自分の存在をアピールする心理
早く自分が正常でない事を受け入れて下さい。
孤独な異常者へ。

258:法の下の名無し
08/07/23 23:40:57 q7hTKhnV
サヨクがナオンにモテる訳を教えてやろうか?












スレリンク(seiji板)l50



259:法の下の名無し
08/07/24 09:54:50 9bvnBWi4
>>257-258
頭おかしいのはあなたの方だと思いますけどね。
他人への煽りは、そっくりそのまま煽った本人の弱みを露呈してるといいますから。

それから私は女ですが、左翼の男は大嫌いです。
三島のような日本男児的な人が好きですね。
あなたみたいな、女にもてるとかいう基準で動いている男は、女性に嫌われるタイプだと断言しておきます。

260:法の下の名無し
08/07/24 17:11:17 9bvnBWi4
かつてアメリカ占領軍は剣道を禁止し、竹刀競技の形で半ば復活したのちも、懸声をきびしく禁じた。
この着眼は卓抜なものである。あれはただの懸声ではなく、日本人の魂の叫びだったからである。
彼らはこれらをおそれ、その叫びの伝播と、その叫びの触発するものをおそれた。
しかしこの叫びを忌避して、日本人にとっての真の変革の原理はありえない。

三島由紀夫
「道理の実現―『変革の思想』とは」より


261:法の下の名無し
08/07/24 17:13:34 9bvnBWi4
変革とは、このような叫びを、死にいたるまで叫びつづけることである。その結果が死であっても構わぬ、死は現象には属さないからだ。
うまずたゆまず、魂の叫びをあげ、それを現象への融解から救い上げ、精神の最終證明として後世にのこすことだ。
言葉は形であり、行動も形でなければならぬ。文化とは形であり、形こそすべてなのだ、と信ずる点で私はギリシャ人と同じである。

三島由紀夫
「道理の実現―『変革の思想』とは」より


262:法の下の名無し
08/07/24 17:27:30 9bvnBWi4
>>261
訂正

旧字・證明→証明

263:法の下の名無し
08/07/30 13:53:27 4fENP0wr
左翼のいう、日本における朝鮮人問題、少数民族問題は欺瞞である。
なぜなら、われわれはいま、朝鮮の政治状況の変化によって、多くの韓国人をかかえているが、彼らが問題にするのはこの韓国人ではなく、
日本人が必ずしも歓迎しないにもかかわらず、日本に北朝鮮大学校をつくり、都知事の認可を得て、反日教育をほどこすような北朝鮮人の問題を、無理矢理少数民族の問題として規定するのである。

三島由紀夫
「反革命宣言」より


264:法の下の名無し
08/07/30 13:54:49 4fENP0wr
彼ら(左翼)はすでに、人間性の疎外と、民族的疎外の問題を、フィクションの上に置かざるを得なくなっている。
そして彼らは、日本で一つでも疎外集団を見つけると、それに襲いかかって、それを革命に利用しようとするほか考えない。
たとえば原爆患者の例を見るとよくわかる。原爆患者は確かに不幸な、気の毒な人たちであるが、この気の毒な、不幸な人たちに襲いかかり、
たちまち原爆反対の政治運動を展開して、彼らの疎外された人間としての悲しみにも、その真の問題にも、一顧も顧慮することなく、たちまち自分たちの権力闘争の場面へ連れていってしまう。

三島由紀夫
「反革命宣言」より

265:法の下の名無し
08/07/30 13:56:12 4fENP0wr
日本の社会問題はかつてこのようではなかった。
戦前、社会問題に挺身した人たちは、全部がとはいわないが、純粋なヒューマニズムの動機にかられ、
疎外者に対する同情と、正義感とによって、左にあれ、右にあれ、一種の社会改革という救済の方法を考えたのであった。
しかし、戦後の革命はそのような道義性と、ヒューマニズムを、戦後一般の風潮に染まりつつ、完全な欺瞞と、偽善にすりかえてしまった。
われわれは、戦後の社会全体もそれについて責任があることを否めない。
革命勢力からその道義性と、ヒューマニズムの高さを失わせたものも、また、この戦後の世界の無道徳性の産物なのである。

三島由紀夫
「反革命宣言」より

266:法の下の名無し
08/08/04 13:57:21 LhBNaHiz
いま楯の会に入ろうと思ったら、やっぱりザイクスになるんだろうか。

267:法の下の名無し
08/08/05 10:16:18 QM3t5sue
唯識論入門として、(暁の寺は)これほど簡にして要を得たものを知らない。
難解なことで有名な仏教哲学の最高峰が、われわれの足下に横たわっているのだ。
仏教を研究しようとする学徒のあいだでは、よく、倶舎三年、唯識八年、といわれる。
『倶舎論』を理解するのには三年かかり、唯識論を理解するのには八年はたっぷりかかるというのだ。
それが僅か三島由紀夫の作品では十二頁にまとめられている。エッセンスはここにつきている。くりかえし精読する価値は十分にある。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より


268:法の下の名無し
08/08/05 12:56:33 COag/WE8
仏さん生きてるときには存在しなかった体系省いたらだいたいそんなもんだろ。
仏さん自身は簡単なことしか言ってない気がする。

269:法の下の名無し
08/08/06 00:56:39 Us1fLrVr
そうか三島はホモセクシャルと言う事だな
ホモでも日本男児

270:法の下の名無し
08/08/13 11:47:02 lm2Tvcef
きょうで丸五日間、丸っきり空襲がありません。不気味な不安。そのなかにも駘蕩たる春の日は窓辺まで押しよせて来ています。
…僕はこれから「悲劇に耐える」というより、「悲劇を支える」精神を錬磨してゆかなければ、と思います。

平岡公威(三島由紀夫)
三谷信への葉書より
昭和20年3月3日


271:法の下の名無し
08/08/13 11:47:59 lm2Tvcef
御葉書拝見。何はあれ、このような大変に際会して、しかも君とそれについて手紙のやりとりの出来るような事態を、誰が予想し得たでしょう。
…これから勉強もし、文学もコツコツ落着いてやって行きたいと思います。自分一個のうちにだけでも、最大の美しい秩序を築き上げたいと思います。
戦後の文学、芸術の復興と、その秩序づけに及ばず乍ら全力をつくして貢献したいと思います。
…すべては時代が、我々を我々の当面の責務に追いやります。僕は少なくとも僕の廿代を、文化的再建の努力に捧げたいと思っています。

平岡公威(三島由紀夫)
三谷信への葉書より
昭和20年8月22日


272:法の下の名無し
08/08/13 12:58:50 lm2Tvcef
何かの拍子に三島は「アメリカって癪だなあ、君本当に憎らしいね」と心の底から繰り返しいった。
そしてかのレースのカーテンを指さし「もしあそこにアメリカ兵が隠れていたら、竹槍で突き殺してやる」と銃剣術の動作をして真剣にいった。
当時の彼は学術優秀であり、品行も方正であったが、教練武術の方はまるで駄目であった。
…そういう彼が竹槍で云々といった時、彼には悪いが、突くといっても逆にやられるだろうがとひそかに思った。けれども、彼のその気迫の烈しさには本当に胸を突かれた。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より


273:法の下の名無し
08/08/13 12:59:52 lm2Tvcef
今、卒業式の時の彼を思い出す。戦前の学習院の卒業式には、何年かに一度陛下が御臨幸になった。我々の卒業式の時もそうであった。
全員息づまる様に緊張し静まる中で式は進み、やがて教官が「文科総代 平岡公威」と彼の名を呼びあげた。
彼は我等卒業式一同と共にスッと起立し、落ち着いた足どりで恭々しく陛下の御前に出て行った。彼が小柄なことなど微塵も感じさせなかった。
瞳涼しく進み出て、拝し、退く。その動きは真に堂堂としていた。心ひきしまり、すがすがしい動作であった。
あの時は彼の人生の一つの頂点であったろう。そういう彼ゆえ、古来の日本の心を壊そうとするものを心の底から許さなかった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より


274:法の下の名無し
08/08/14 02:42:53 /SB1ZvV8
お前は可哀相な女だ
不細工だからだ。

三島 ゆきお

275:法の下の名無し
08/08/14 02:43:34 /SB1ZvV8
お前は可哀相な女だ
不細工だからだ。

三島 ゆきお

276:法の下の名無し
08/08/15 15:39:17 TeJ7AK/x
あらゆる英雄主義を滑稽なものとみなすシニシズムには、必ず肉体的劣等感の影がある。

三島由紀夫
「太陽と鉄」より

277:法の下の名無し
08/08/26 14:29:18 59hWEDmu
ウンコ臭いオッサンどもは無人島か北朝鮮に強制送還して強制労働させればいい。
あるいは斧でミンチにしてトイレに流す。

278:法の下の名無し
08/08/27 10:34:21 c/gqPSLU
>>277
三島は、日本の文化や天皇を転覆させようとする勢力や外国人スパイは追い出す考えで、暗殺すら肯定してますが、単なる人種差別や乞食差別みたいな考えはありませんよ。


279:法の下の名無し
08/08/27 11:05:55 c/gqPSLU
いま非常な情報化社会がありますから精神というものはテレビに写らない。そしてテレビに写るのはノボリや、プラカードや、人の顔です。それからステートメントです。
そして人間はみんなステートメントやることによって、なにかしたような気持になっているんです…。
そのステートメントが情報化社会のなかで、非常なスピードで溶解されて、ちょうどあたかも塵埃処理のように、早くこれをすべて始末しなければ東京中が塵埃でうずまってしまう。紙くずでうずまってしまう。
それで情報化社会というものは過剰な情報をどんどん処理しているんです。
この東京というもの、日本というものは、近代�%b

280:法の下の名無し
08/08/27 11:07:11 c/gqPSLU
いま非常な情報化社会がありますから精神というものはテレビに写らない。そしてテレビに写るのはノボリや、プラカードや、人の顔です。それからステートメントです。
そして人間はみんなステートメントやることによって、なにかしたような気持になっているんです…。
そのステートメントが情報化社会のなかで、非常なスピードで溶解されて、ちょうどあたかも塵埃処理のように、早くこれをすべて始末しなければ東京中が塵埃でうずまってしまう。紙くずでうずまってしまう。
それで情報化社会というものは過剰な情報をどんどん処理しているんです。
この東京というもの、日本というものは、近代化すればするほど巨大な塵埃焼却炉みたいになってくる。

三島由紀夫
とある講演の言葉
「橋川文三『三島由紀夫の生と死』」より

281:法の下の名無し
08/09/02 15:35:48 VcXcUyGf
天皇はあらゆる近代化、あらゆる工業化によるフラストレーションの最後の救世主として、そこにいなけりゃならない。それをいまから準備していなければならない。
それはアンティエゴイズムであり、アンティ近代化であり、アンティ工業化であるけど、決して古き土地制度の復活でもなければ、農本主義でもない。
…つまり天皇というのは、国家のエゴイズム、国民のエゴイズムというものの、一番反極のところにあるべきだ。
そういう意味で、天皇は尊いんだから、天皇が自由を縛られてもしかたがない。
その根元にあるのは、とにかく「お祭」だ、ということです。
天皇がなすべきことは、お祭、お祭、お祭、お祭、―それだけだ。

三島由紀夫
「文武両道と死の哲学」より


282:法の下の名無し
08/09/02 15:43:07 VcXcUyGf
亭主が自分の部屋に電話を引いたり、テレビをつけたり、ボタンを押すと飛び上がる椅子をつけたりするのに、
エリザベスは、まだ十八世紀のお茶の作法で、百メートル先から女官たちが手から手へつないだお茶を持って来て、冷えたお茶を飲んでいる。自分の部屋には電話がない。
ぼくは、そういうことが天皇制だろうと思うんです。日本の皇室がその点でわれわれを納得させる存在理由は日ましに稀薄になっている。
つまりわれわれが近代化の中でこれだけ苦しんで、どこかでお茶を十八世紀の作法で飲んでいる人がいなければ、世界は崩壊するんだよ。

三島由紀夫
「文武両道と死の哲学」より

283:法の下の名無し
08/09/05 11:24:06 qcxw+gM6
侵略主義とか軍国主義というものは、武士道とは始めから無縁のものだ。
…私に言わせれば、二・二六事件その他の皇道派が、根本的に改革しようとして、失敗したものでありますが、結局勝ちをしめた統制派というものが、
一部いわゆる革命官僚と結びつき、しかもこの革命官僚は、左翼の前歴がある人が沢山あった。
こういうものと軍のいわゆる統制派的なものと、そこに西欧派の理念としてのファシズムが結びついて、昭和の軍国主義というものが、昭和十二年以降に初めて出てきたんだと外人に説明するんです。
私は、日本の軍国主義というものは、日本の近代化、日本の工業化、すべてと同じ次元のものだ、全部外国から学んだものだ、と外人にいうんです。

三島由紀夫
「武士道と軍国主義 政府への建白書」より


284:法の下の名無し
08/09/05 11:25:07 qcxw+gM6
軍国主義というものが、実に、日本の明治以降、動いてきた歴史の中で、非常に、皮肉なものがある。
というのは、我々は外国からいい影響だけ受けていたと思ったのは、非常に間違いであった。
明治以降の日本がやってきた西欧化の努力によって今日まで、近代国家にきたのであるけれども、その全く同じ理念が、軍国主義をもたらしたのである。
ここをよく考えないと日本の近代感覚というものの一番大きな問題は掴めない。

三島由紀夫
「武士道と軍国主義 政府への建白書」より

285:法の下の名無し
08/09/05 11:26:33 qcxw+gM6
軍国主義のいわゆる進展と同時に、日本の戦略、戦術の上にアジア的な特質が失われていったのは大きい。
というのは、今のベトナム戦争でも判るように、アジア的風土の中で、非常にアジア的な非合理な方法によって、ゲリラ戦を展開して、敵を悩ましている。
…我々は、もう一つ、ここで民族精神に振り返ってみて、日本とは何ぞや、武器と魂というものを日本人は如何に結びつけたか、そこに立ち返らなければ、日本というものの防衛の基本的なものは出てこない。

三島由紀夫
「武士道と軍国主義 政府への建白書」より

286:法の下の名無し
08/09/05 11:27:35 qcxw+gM6
私は、終始一貫した憲法改正論者で、それが、物理的に可能であるのか、不可能であるのか、そんなことは、おかまいなしに、一介の人間としてそれのみをいっているのは、決してそれによって、日本を軍国支配しようとするつもりはないのだ。
あくまでそれによって日本の魂を正して、そこに日本の防衛問題にとって最も基本的な問題、もっと大きくいえば、
日本と西洋社会との問題、日本のカルチャーと、西洋のシィヴィラリゼイションとの対決の問題、これが、底にひそんでいることをいいたいんだということです。

三島由紀夫
「武士道と軍国主義 政府への建白書」より

287:法の下の名無し
08/09/18 12:44:10 Gw3PbE1Z
日米共同コミュニケによって、現憲法の維持は、国際的国内的に新たなメリットを得たのである。
すなわち国内的には、今後も穏和な左翼勢力に平和現憲法の飴玉をしゃぶらせつづけて面子を立ててやる一方、過激派には現憲法にもこれだけの危機収集能力のあることを思い知らせ、
国際的には、無制限にアメリカの全アジア軍事戦略体制にコミットさせられる危険に対して、平和憲法を格好の歯止めに使い、一方では安保体制堅持を謳いながら、一方では平和憲法護持を受け身のナショナリズムの根拠にするというメリットが生じたのである。
これはいわば吉田茂方式の継承であり、早急な改憲は、現憲法がアメリカによって強いられた憲法であるより以上に、さらにアメリカの軍事的要請に沿うた憲法を招来するにすぎないという恫喝ほど、効き目のあるものはあるまい。
改憲サボタージュは、完全に自民党の体質になった。

三島由紀夫
「道理の実現―『変革の思想』とは」より


288:法の下の名無し
08/09/26 09:02:52 hruVfr5W
法学と関係ないから邪魔

289:法の下の名無し
08/09/26 16:13:09 y6MiDwns
われわれは天皇ということをいうときには、むしろ国民が天皇を根拠にすることが反時代的であるというような時代思潮を知りつつ、まさにその時代思潮の故に天皇を支持するのである。
なぜなら、われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、
このような全体性と連続性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するような勢力に対しては、われわれの日本の文化伝統を賭けて闘わなければならないと信じているからである。

三島由紀夫
「反革命宣言」より

290:法の下の名無し
08/09/26 16:13:54 y6MiDwns
われわれは、自民党を守るために闘うのでもなければ、民主主義社会を守るために闘うのでもない。
もちろん、われわれの考える文化的天皇の政治的基礎としては、複数政党制による民主主義の政治形態が最適であると信ずるから、
形としてはこのような民主主義政体を守るために行動するという形をとるだろうが、終局目標は天皇の護持であり、その天皇を終局的に否定するような政治勢力を、粉砕し、撃破し去ることでなければならない。

三島由紀夫
「反革命宣言」より

291:法の下の名無し
08/09/26 19:33:58 m3vFuYYn
三島の政治的無知にはあきれる

292:法の下の名無し
08/09/27 16:21:00 jQMqkzYu
人間の運、不運の岐れ道は中国では残酷なまでに鮮明である。不運な人間に誰も同情しない。この国では悲劇も哀話も人の心を動かさない。
だから中国の文学にはギリシャ悲劇のような悲劇が存在しない。
中国人は赤穂浪士と三島由紀夫の悲劇をどうしても理解できないそうである。

西尾幹二

293:法の下の名無し
08/10/12 11:37:27 2qhsHxHu
 天才数学者、岡潔氏の三島由紀夫論を再発見
  岡潔研究会が三十八年前の『蘆牙』掲載箇所を発見
****************************************

 岡潔研究会(横山堅二代表)が復刻した『蘆牙』第三号は原号が昭和四十六年四月に奈良で発行されたもの。

 同誌は当時、奈良で発行され、同市に住まわれていた天才数学者・岡潔を囲むグループが出していた。岡潔は岩下志麻、笠智衆が主演の映画『秋刀魚』のモデルでもある。

 このなかで岡潔が三島由紀夫に触れた箇所がある。
 岡潔先生曰く。
 「三島由紀夫は偉い人だと思います。日本の現状が非常に心配だとみたのも当たっているし、
天皇制が大事だと思ったのも正しいし、それに割腹自殺ということは勇気がなければ出来ないことだし、それをやってみせているし、本当に偉い人だと思います。」

 編集部が「百年逆戻りした思想だと言う人もありますが、それは全然当たっていないと言われるのですか?

 岡潔の答え。
「間違ってるんですね。西洋かぶれして。戦後、とくに間違っている。個人主義、民主主義、それも間違った個人主義、民主主義なんかを、不滅の真理かのように思いこんでしまっている。
ジャーナリストなんかにそんな人が多いですね。若い人には、割合、感銘を与えているようです。かなり影響はあったと思います」。


294:法の下の名無し
08/10/22 16:49:12 GL6pgxtm
私にとっては、ごく自然な、理屈の要らない、日本人の感情として、外地にひるがえる日の丸に感激したわけだが、
旗なんてものは、もともとロマンティックな心情を鼓吹するようにできていて、あれが一枚板なら風情がないが、ちぎれんばかりに風にはためくから、胸を搏つのである。
ところが、こんな話をすると、みんなニヤリとして、なかには私をあわれむような目付をする奴がいる。
厄介なことに日本のインテリは、一切単純な心情を人に見せてはならぬことになっている。…
自分の国の国旗に感動する性質は、どこの国の人間だってもっている筈の心情である。

三島由紀夫
「お茶漬ナショナリズム」より

295:法の下の名無し
08/10/22 17:15:45 GL6pgxtm
自然な日本人になることだけが、今の日本人にとって唯一の途であり、その自然な日本人が、多少野蛮であっても少しも構わない。
これだけ精妙繊細な文化的伝統を確立した民族なら、多少野蛮なところがなければ、衰亡してしまう。
子供にはどんどんチャンバラをやらせるべきだし、おちょぼ口のPTA精神や、青少年保護を名目にした家畜道徳に乗ぜられてはならない。

三島由紀夫
「お茶漬ナショナリズム」より

296:法の下の名無し
08/10/31 02:40:42 sXvXhFp+
三島由紀夫ってダサい。

297:法の下の名無し
08/11/04 12:25:19 PT4Sr0Iw
西郷隆盛と蓮田善明と三島由紀夫と、この三者をつなぐものこそ、蓮田の歌碑にきざまれた三十一文字の調べなのではないか。
西郷の挙兵も、蓮田や三島の自裁も、みないくばくかは、「ふるさとの駅」の「かの薄紅葉」のためだったのではないだろうか。
滅亡を知るものの調べとは、もとより勇壮な調べではなく、悲壮な調べですらない。
それはかそけく、軽く、優にやさしい調べでなければならない。なぜならそういう調べだけが、滅亡を知りつつ亡びて行くものたちのこころを歌いうるからだ。

江藤淳
「南州残影」より

298:法の下の名無し
08/11/19 14:34:29 QnmwecHR
今の日本を見ていると三島さんの檄文に
書かれた通りの日本になったね・・・。

299:法の下の名無し
08/11/20 12:34:38 v03bNIwQ
<老いを寿ぎ敬う心ー日本の心>
(保田輿重郎氏)
・お祖母様の手を引く孫娘という形は、つい近頃までは、田舎の村道などの光景で、世間で一番美しい風景だった。
なつかしく、うれしく、そのほのぼのとした風景は、ただのどかであった

・西洋では生活に余裕のある人も親を平気で養老院にいれますし、そうでなくても親とは決して同居しないものです。
老年にとっては家族や世間とのつながりはいよいよ大切になってくるのに、
西洋では「老いた親の世話は社会保障がするもの」と老人は家族とのつながりから離され、「人生の流タクの境涯」にあり、「みな孤独苦しんでいる」のです。

300:法の下の名無し
08/11/20 12:43:54 v03bNIwQ
<子供を慈しむ伝統ー日本の心>
・百年ほど前の英国では子供に対する虐待行為を法律で禁止しなければならないほど、それが酷かった。
西洋人は、人間観、子供観において性悪説に立っており、「仮借ない躾によって、ジャングルの野蛮人を文明へと教育する」やり方です。
・子供を慈しむ伝統は、国語の自称詞、対称詞の中にも自然と現れています。
我々が夫婦の間でもお互いを「お父さん、お母さん」と呼び、両親を「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ぶのも、子供を中心に見ているからです。
子供に対しても上の子を「お兄ちゃん、お姉ちゃん」と呼ぶのも、今度は下の子を中心にしているからです。
・「銀も金も玉も、何せむに、優れる宝子にしかめやも」(山上億良)

301:法の下の名無し
08/11/23 14:54:50 y0tjfCam
…防衛大学の学生なんかに聞きますと、われわれの軍隊はシビリアン・コントロールの軍隊であると。だから政権がかわれば、それに従うのは当然だと。
日本に共産政権ができれば、われわれは共産軍になるのは当然だという考え方をするのが、かなり多いらしいですね。
そういう考え方は間違いだということを世間はこわいから教える自信がないんです。
これは軍隊の重大な問題で、自衛隊というのは、もともとイデオロギッシュな軍隊であるということを、もっと周知徹底させないと……。
それを世間でたたき、国会でたたき、ぼくにいわせると、イデオロギー的な軍隊であるけれども、名誉の中心はやはり天皇であるというところで、すこし極端ですが、そこまでいかなければだめだと思うんです。

三島由紀夫
対談「天に代わりて」より

302:法の下の名無し
08/11/23 15:17:09 /rC8ZrrL
真の愛国烈士・三島由紀夫氏、森田必勝氏。 今の腐敗し堕落した日本を見たら… 今だに米国の犬である日本を見て見たら…

303:法の下の名無し
08/11/29 14:52:24 1h2RGZ7x
「五十になったら、定家を書こうと思います」三島由紀夫は、友人の坊城俊民氏にそう言った。
「…定家はみずから神になったのですよ。それを書こうと思います。定家はみずから神になったのです」
神になった定家。それは三島由紀夫にほかならない。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

304:法の下の名無し
08/11/29 14:53:12 1h2RGZ7x
「定家はみずから神になったのです」
これは何を暗示しているのだろうか。
仮面劇の能だが、仮面をつけるのがシテ(主役)である。シテは、神もしくは亡霊である。
亡霊をシテにして、いわば恋を回想させる夢幻能は、能の理想だといわれる。
死から、生をみるのである。時間や空間を超えたものだ。
三島由紀夫が、定家を書こうと考えたとき、やはり能の「定家」が頭にあったに違いない。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

305:法の下の名無し
08/11/29 14:54:28 1h2RGZ7x
現代では、生の世界と死の世界は、隔絶したものにとらえられている。だが、かつて(中世)は、死者は生の世界にも立ち入っていた。
定家は神になって、生の世界に立ち入ろうとした。そう考えた三島由紀夫ではないだろうか。
生の世界にあっては成就できない事柄を、死の世界に往くことによって可能たらしめようとしたのが、三島由紀夫だった。
…あえて死の世界へ往き、守ろうとした存在があったのだ。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

306:法の下の名無し
08/12/02 16:19:29 rpBUvCZA
産業革命こそが人類最大の悲劇だ。
テクノロジーの果てしない競争が人間を精神的に追い込んでいる。
byセオドア・カジンスキー



この言葉は、まさに至言ですな・・・

307:法の下の名無し
08/12/07 17:13:29 04DYva+F
いかなる盲信にもせよ、原始的信仰にもせよ、戦艦大和は、拠って以て人が死に得るところの一個の古い徳目、一個の偉大な道徳的規範の象徴である。
その滅亡は、一つの信仰の死である。
この死を前に、戦死者たちは生の平等な条件と完全な規範の秩序の中に置かれ、かれらの青春ははからずも「絶対」に直面する。この美しさは否定しえない。
ある世代は別なものの中にこれを求めた。作者の世代は戦争の中にそれを求めただけの相違である。

三島由紀夫
「一読者として(吉田満著 戦艦大和ノ最期)」より

308:法の下の名無し
08/12/10 14:58:37 zza0nywm
吉田満は、三島由紀夫の「死」を、青春の頂点において「いかに死ぬか」という難問との対決を通してしか、
「いかに生きるか」の課題が許されなかった世代―そのような世代のひとつの死としてとらえ直してみせた。
あの自決がさまざまな意味を「異なる解明の糸口」を示していながら、実のところ戦争に散華した仲間と同じ場所を求めての、死の選択であり、そのような願いによる決断であったという。
これはたんなる世代論だろうか。三島由紀夫の生と文学を、あまりに単純な世代の「死」として単純化してしまうことになるのだろうか。私はそうは思わない。

富岡幸一郎
「仮面の神学」より

309:法の下の名無し
08/12/10 15:01:09 zza0nywm
保田輿重郎は三島の自刃に際して「三島氏の事件は、近来の大事件といふ以上に、日本の歴史の上で、何百年にわたる大事件となると思った」と記したが、
もし仮にそうだったとしても、それは三島由紀夫という個的な存在の、その生と死の劇的な問いかけゆえにではなく、その「死」が疑いもなく一つの世代の夥しい「顔」%

310:法の下の名無し
08/12/10 15:01:57 zza0nywm
保田輿重郎は三島の自刃に際して「三島氏の事件は、近来の大事件といふ以上に、日本の歴史の上で、何百年にわたる大事件となると思った」と記したが、
もし仮にそうだったとしても、それは三島由紀夫という個的な存在の、その生と死の劇的な問いかけゆえにではなく、その「死」が疑いもなく一つの世代の夥しい「顔」と重なり合い、その死のなかに埋没することを懇望したものであったからではないか。
あの自決事件は、決して特異なものでも異常なものでもなく、あえていえば平凡な静謐さのなかにある。
そう思うとき、『豊饒の海』第一巻の冒頭で描かれた「セピア色のインキで印刷」された日露戦没の写真―その風景を想起せずにはいられない。

富岡幸一郎
「仮面の神学」より


311:法の下の名無し
08/12/11 14:59:26 1dYgz89h
…池田浩平や吉田満といった同世代の死者のなかにとらえるとき、戦後作家としての彼(三島)の仮面―
『仮面の告白』についての作家自身の注釈でいえば「肉づきの仮面」―の背後に隠されていた素顔が浮かびあがる。戦後作家としての無数の華麗な「仮面」。
神学者の大木英夫は、三島由紀夫は、その文学は仮面をかぶることによって、「神学問題で灼けただれている現実にも耐える」と正確に指摘した。
《そして死を避ける。しかし、彼の文学は、かえってその仮面が割れて、素顔が出て、神学問題に直面するところがある。そして死が避けられなくなる。
さまざまな奇行と試行の紆余曲折を経て、ついに市ヶ谷への突貫となるのである》(「三島由紀夫における神の死の神学」)

富岡幸一郎
「仮面の神学」より

312:法の下の名無し
08/12/11 15:01:14 1dYgz89h
『仮面の告白』が、『花ざかりの森』と彼の十代の青春の住処がであった「死の領域」への遺書であり、まさに「死を避ける」ための人工の文学的仮面であったとすれば、
最晩年に書かれたエッセイ『太陽と鉄』は、「その仮面が割れて」いくところを詳細に辿ってみせた自己告白の書であった。
これまで何度も論じてきたように、そこに三島における「神学問題」が、すなわちあの「神の死」の問題が露われているのはいうまでもない。
おそらく、日本における神学問題を最もラディカルに現実の光のなかに引きずり出したのが三島由紀夫である。
多くの宗教学者が決して見ようとしなかったものを、語りえなかった根底的な「神」の問題を、三島は自らの生と文学と、そしてあの苛烈な死によって語ってみせた。いや、「神学問題に直面」したとき、「死が避けられなく」なった。

富岡幸一郎
「仮面の神学」より

313:法の下の名無し
08/12/20 11:23:28 qL+K85qe
…あれより二週間病床に臥り、つい御返事がおくれしままにかくの如き事態となりました。
玉音の放送に感涙を催ほし、わが文学史の伝統護持の使命こそ我らに与へられたる使命なることを確信しました。
気高く、美しく、優美に生き且つ書くことこそ神意であります。
ただ黙して行ずるのみ。今後の重且つ大なる時代のため、御奮闘切に祈上げます。

平岡公威(三島由紀夫)20歳
昭和20年8月16日付、清水文雄への葉書から

314:法の下の名無し
08/12/20 12:35:35 qL+K85qe
東京へ出ました序でに学習院へ立寄り、はじめて焼跡を見てただならぬ感慨がごさいました。
…光にまばゆく立ち働らいてゐる人々が懐しい後輩たちかと映り、近寄つてみると、それが見知らぬ兵隊たちであつた寂しさ。
…中等科の校舎の中には、見知らぬ人々が往来し、事務室もザワザワして、昔のやうに温かく私を迎へてはくれぬやうに思はれました。
「ふるさとは蠅まで人を刺しにけり」それほどでもありませんが、無暗に腹が立つて、何ものへともしれず憤りを抱きながら門を出ました。
ふしぎな私の冷酷。昔、共に学んだ友人たちには、具体的に逢つてどうといふ感激もないのに、ただ会はずにゐると漠たる悲しみと孤独の感じに苛まれるのを如何ともなす術がございません。

平岡公威(三島由紀夫)20歳
昭和20年7月3日、清水文雄への書簡から

315:法の下の名無し
08/12/20 12:39:41 qL+K85qe
…新宿駅で私は汚ない作業服とキャハンを穿いた後輩を発見しました。
彼は私が彼の先輩であることもしらず、私を不思議さうに見てゐましたが、その目は学習院の学生によくある澄んだ、のんびりした目付で、口は少しポカンと開いてゐました。
…彼は、そこで我勝ちに下りた乗客たちとは似てもつかない、実にオットリした、少したよりない、少し眠さうな歩き方で、階段の方へゆつくり歩いて行きました。
何故かそれを見ると、私はふと涙がこぼれさうになりました。
ああした人種、ああした歩き方、あれがいつまでこの世に存続して行けるであらうか。
私たちもその一員であつた、閑雅なあまり頭のよくない、努力を知らない、明るい、呑気な、どこともしれず、生活からにじみ出た気品のそなはつた学習院の学生たち、
あの制服、あの挙止、そしてあの歩き方、そのすべてが象徴してゐたある美しいもの、それ自身頽落を予感されてゐたもの(私の十数年の学習院生活はその予感のなかにのみ過ごされました。)が、
今や鶯色の汚れた作業服を刑罰のやうに着せられ、靴は埃にまみれ、トボトボと不安気に歩いてゆくのを見て、私が目頭を熱くしたのも道理でございます。

平岡公威(三島由紀夫)20歳
昭和20年7月3日、清水文雄への書簡から

316:法の下の名無し
08/12/20 12:41:58 qL+K85qe
かうした終末感を私は、徒らな感傷や、信念の不足からして感ずるのではございません。
ある漠たる直感、夢想そのもののなかに胚胎する覚醒の危険、凡て夢見るが故に覚めねばならない運命を感ずるのでございます。
現実に立脚した精神がわれわれの夢想の精神より更に弱体なものとみえる今日、われわれの夢想も亦凋落の決心を必要とします。
昼を咲きつづける昼顔の仄かな花弁は、昼の烈しい光のために日々に荒され傷つけられます。何ものも神の夢想に耐へるほど強靭であることは出来ません。
しかし人の夢想の極限に耐へえた人は、その烈しさ極まる目覚めの失墜にも耐へうるであらうと思ひます。
ただ朝をのみ時めいた朝顔とはちがって、あの長い烈しい昼間をよく耐へた昼顔の夢想は、その後に来る長い夜の烈しさにも耐へるでありませう。
私共は今日ほど私共の生の強さと死の強さを感じることはございません。

平岡公威(三島由紀夫)20歳
昭和20年7月3日、清水文雄への書簡から

317:法の下の名無し
08/12/20 13:01:56 qL+K85qe
私共は遺書を書くといふやうな簡単な心境ではなく、私たちの文学の力が、現在の刻々に、(たとへそれが喪失の意味にせよ)、ある強烈な意味を与へつづけることを信じて仕事をしてまゐりたいと思ひます。
その意味が刻みつけられた私共の時間は、永遠に去ってかへりませんが、地上に建てた摩天の記念碑よりも、海底に深く沈めた一枚の碑の方が、何千万年後の人々の目には触れやすいものであることを信じます。
私共が一度持つた時間に与へた文学の意味が、それが過去に組入れられた瞬間から、絶対不可侵の不滅性をもつものであると思はれます。
項日、生じつかな名声は邪魔であるが、真の名声はますます必要であることを感じて来ました。文学作品を本文とするなら、名声はその註釈、脚註に相当します。
本文が死語に化した場合、この難解なロゼッタ・ストーンを解読しうるものは、たえず更新される註釈のみでございませう。

平岡公威(三島由紀夫)20歳
昭和20年7月3日、清水文雄への書簡から

318:法の下の名無し
08/12/22 14:22:10 wH+o8AAr
それはさうと、昨今の政治情勢は、小生がもし二十五歳であつて、政治的関心があつたら、気が狂ふだらう、と思はれます。
偽善、欺瞞の甚だしきもの。そしてこの見かけの平和の裡に、癌症状は着々進行し、失ったら二度と取り返しのつかぬ「日本」は、無視され軽んぜられ、蹂躙され、一日一日影が薄くなつてゆきます。
戦後の「日本」が、小生には、可哀想な若い未亡人のやうに思はれてゐました。
良人といふ権威に去られ、よるべなく身をひそめて生きてゐる未亡人のやうに。

三島由紀夫
清水文雄への書簡から

319:法の下の名無し
08/12/22 14:23:26 wH+o8AAr
下品な比喩ですが、彼女はまだ若かつたから、日本の男が誰か一人立上れば、彼女をもう一度女にしてやることができたのでした。
しかし、口さきばかり巧い、彼女の財産を狙ふ男ばかり周囲にあらはれ、つひに誰一人、彼女を再び女にしてやる男が現はれることなく、彼女は年を取つてゆきます。
彼女が老いてゆく、衰へてゆく、皺だらけになつてゆく、私にはとてもそれが見てゐられません。

三島由紀夫
清水文雄への書簡から

320:法の下の名無し
08/12/22 14:25:36 wH+o8AAr
このごろ外人に会ふたびに、すぐ「日本はどうなつて行くのだ?日本はなくなつてしまふではないか」と心配さうに訊かれます。
日本人から同じことを訊かれたことはたえてありません。「これでいいぢゃないか、結構ぢゃないか、角を立てずに、まあまあ」さういふのが利口な大人のやることで、日本中が利口な大人になつてしまひました。
スウェーデンはロシアに敗れて百五十年、つひに国民精神を回復することなく、いやらしい、富んだ、文化的創造力の皆無な、偽善の国になりました。
この間もベトナム残虐行為査問会(ストックホルム)で、繃帯をした汚ないベトナム農民が証言台に立ち、犬をつれた、いい洋服の中年のスウェーデン人たちがこれを傾聴してゐるのに、違和感を感じる、と書いてゐる人がゐましたが、
日本が歩みつつある道は、正に、「犬を連れた、いい洋服の中年男で、外国の反戦運動に手を貸す『良心的』な男」の道です。

三島由紀夫
清水文雄への書簡から

321:法の下の名無し
08/12/23 15:17:55 WTlQBX4E

三島由紀夫が現憲法の矛盾、改正を提起した「問題提起」という論文は、憲法第一条、第二条、第二十条、第九条の欺瞞と矛盾、改正の必要性を問題提起した憲法改正草案論文です。
『日本改正案―三島由紀夫と楯の会』(松藤竹二郎著)、または三島由紀夫全集36巻に記載されています。

憲法九条を改正するときは、第一章の天皇問題と、第二十条をセットで変えなければ、却ってアメリカの思う壷だとした、理路整然とした論文で、心ある日本人必読の論文です。

322:法の下の名無し
08/12/30 16:26:04 KWMl9T+6
三島はフランス外人部隊にでも入隊すればよかったのに。

323:法の下の名無し
08/12/31 16:47:22 938NxIzZ
そう言えば、1995年に中国の李鵬首相(当時)が、オーストラリアを訪問
した際に、「日本は20年も経てば地球上から消えて無くなる。」という趣旨
の発言を豪州政府の高官にしたという話が伝わっていますよね。

当時も今も、一部の愛国保守派がこの発言を中国政府に抗議すべきだ、という
ようなことを言っていますが、彼ら保守派の事実認識は的外れのような気がす
る。李首相の言葉は、もっと深刻な事実を暗示していると私は考えます。

私が思うに中国の政治家や官僚というのは、極めて計算高いリアリストが多い。
冷戦時代の激しい政府内部の権力闘争を勝ち上がり、首相の地位まで登りつめ
た人が、一時の感情に任せて、このような無責任な発言をするとは、到底思え
ない。何か裏付けがあると考える方が、極めて合理的だ。

このような発言が許されるのは客観的なデータに基づいて、事実が冷酷にどの
ように進んでいるのかを指摘する場合だけだ。そこに主観的意見、個人的感情
は含まれない。

李首相の言葉は、個人的な願望を表しているのではなく、単に物事の事実を指
摘しているだけだと私は考えます。

「日本が消えてなくなる」というこの言葉が、三島由紀夫先生の「なくなる」
と同じ意味なのかどうか、わかりません。しかし昨今の日本の現状を見るに、
私達の住むこの国の周りで、日本の「文化のカタチ」がなくなっていくこと
に危機感を覚えずにはいられません。

324:法の下の名無し
09/01/03 19:10:45 VcnE95aC
三島由紀夫のようにチビで弱々しい軟弱男は、
右翼思想にすがり自分を強く見せたいもの。
それにしても、三島由紀夫の若いころの写真、
ほっそりしていて顔も女のように美しい。
実際、女以上に美しいと言われて、内心、喜び、自分自身を毛嫌いし、
気持ちが揺れていたようだな。
現在も活躍するオカマの大御所にオカマになるよう勧められたこともある。


325:法の下の名無し
09/01/03 19:14:54 VcnE95aC
西洋文明の基になっていたギリシャ文化に心酔していた三島由紀夫に
日本文化が分かるはずがない。
子供のころからも、家庭は丸々の西洋的環境。
このあたりは、ツングース文化とイギリス文化の混合文化で生活している天皇家にも当てはまる。
三島とか天皇に日本文化を語る資格は無い。


326:法の下の名無し
09/01/03 23:17:07 fwl59De2
>>325
そんな表面的にしか三島を見られないあなたに三島が解るわけないでしょうね。

327:法の下の名無し
09/01/03 23:17:45 fwl59De2
…例へば、右翼といふやうな党派性は、あの人(三島由紀夫)の精神には全く関係がないのに、事件がさういふ言葉を誘ふ。
事件が事故並みに物的に見られるから、これに冠せる言葉も物的に扱はれるわけでせう。事件を抽象的事件として感受し直知する事が易しくない事から来てゐる。
いろいろと事件の講釈をするが、実は皆知らず知らずのうちに事件を事故並みに物的に扱つてゐるといふ事があると思ふ。
事件が、わが国の歴史とか伝統とかいふ問題に深く関係してゐる事は言ふまでもないが、それにしたつて、この事件の象徴性とは、この文学者の自分だけが責任を背負ひ込んだ個性的な歴史経験の創り出したものだ。
さうでなければ、どうして確かに他人であり、孤独でもある私を動かす力が、それに備つてゐるだらうか。

小林秀雄
「感想」より

328:法の下の名無し
09/01/03 23:19:14 fwl59De2
思想の力は、現在あるものを、それが実生活であれ、理論であれ、ともかく現在在るものを超克し、これに離別しようとするところにある。

エンペドクレスは、永年の思索の結果、肉体は滅びても精神は滅びないといふ結論に到達し、噴火口に身を投じた。
狂人の愚行と笑へるほどしつかりした生き物は残念ながら僕等人類の仲間にはゐないのである。

実生活を離れて思想はない。併し、実生活に要求しない様な思想は、動物の頭に宿つてゐるだけである。

小林秀雄
「文学者の思想と実生活」より

329:法の下の名無し
09/01/04 17:28:22 rhVRtSc5
「我が国旗」

徳川時代の末、波静かなる瀬戸内海、或は江戸の隅田川など、あらゆる船の帆には白地に朱の円がゑがかれて居た。
朝日を背にすれば、いよよ美しく、夕日に照りはえ尊く見えた。
それは鹿児島の大大名、天下に聞えた島津斉彬が外国の国旗と間違へぬ様にと案出したもので、是が我が国旗、日の丸の始まりである。
模様は至極簡単であるが、非常な威厳と尊さがひらめいて居る。
之ぞ日出づる国の国旗にふさはしいではないか。
それから時代は変り、将軍は大政奉くわんして、明治の御代となつた。
明治三年、天皇は、この旗を国旗とお定めになつた。そして人々は、これを日の丸と呼んで居る。
からりと晴れた大空に、高くのぼつた太陽。それが日の丸である。

平岡公威(三島由紀夫)11歳の作文

330:法の下の名無し
09/01/07 11:49:29 yh78xF/4
旧ソ連国家保安委員会(KGB)の後身であるロシア連邦保安庁(FSB)ではカリキュラムの中で日本語の三島の作品を読ませている。
物欲のないこういった日本人にしてはならないと警戒しているのだ。
…「ファシスト・サムライ」というロシア語には日本人への尊敬と畏敬の気持ちがある。
本当の日本人は「ファシスト・サムライ」でヘナヘナしているのはウソである、と思っている。
大いなる誤解だが誤解のままにしておけばいい。

佐藤優(起訴休職中外務省事務官)
「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」講演要旨の一部から

331:法の下の名無し
09/01/09 10:33:26 iGrOaAxv
…タクシーに乗っていたとき、ラジオで無着成恭が子供の質問に答えていたんです。
子供が「先生、スサノオノミコトとか、アマテラスオオミカミの話は本当にあったんですか」ときくと、
その無着が「チミ、それね、ぼくこれからハナスしるけどね。あのスンワ(神話)というのは、ほんとうのハナスと違うの。
…アマテラスオオミカミ(天照大神)ツウ人がいだの。それがらスサノオノミコト、ツウ人がいだの。これが悪い人でね、何したがどいうど、
まんず、田んぼ荒らして米とれなぐしたの。…それがら機織りをこわして……」(笑)
これじゃ、ぼくは子供が可哀想になっちゃった。(笑)唯物史観の、つまり、やり方を教えて、まず基本的な生産関係の生産手段の破壊とか、そういうところから教えていって、それがいかにいけないことかと。
そして神話的なことを全部リアリスティックに教えている。

三島由紀夫
対談「天に代わりて」より

332:法の下の名無し
09/01/09 10:34:08 iGrOaAxv
子供の雑誌なんかをみていますと、手塚治虫などがやはり神話を書いている。
たとえば神武天皇など他民族を侵略した蛮族の酋長にしている。
日本に古代奴隷制なんてないんですが、奴隷たちが苦しめられて鞭で打たれて、そこで金の鳥が弓の上にとまったりして、それで人民を威嚇して……と、全部そういう話です。
…小学生や子供が読むのは、大学生が読むのとは違うでしょう。
これがなんでもないような女の子向きのマンガの中に、支配階級を倒せとか、資本主義はいかんとか、それがたくみにしみ込むように織りこんである。
大人が神経をつかっても、いつのまにか侵入してきているんですよ。

三島由紀夫
対談「天に代わりて」より

333:法の下の名無し
09/01/12 12:43:50 v1MGxESc
今から考えてみると、「豊饒の海」が最後に突入していったのは、物事のすべてが「存在の耐えられない軽さ」を生き、
ノスタルジア(懐旧)とパスティッシュ(模倣)の原理のもとに操作されてゆく、ポストモダンの薄明のことだったような気がしています。
わたしが大学生活を送った1970年代は、10年間を通して、あなたの名前(三島由紀夫)が忌避され、排除されてきた時代でした。
大学院の研究室でも、同級生どうしの会合でも、あなたの死のみならず、その作品について言及することは場違いであり、
できればあなたのような文学者が戦後日本に存在していなかったかのように振舞うのが、暗黙の了解であるような日々が続いていました。

四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より

334:法の下の名無し
09/01/12 12:55:10 v1MGxESc
日本のポストモダン社会は、三島由紀夫の不在によって、安心して自己実現を達成したのです。
70年代と80年代を代表するイデオローグであった山口昌男と蓮見重彦を考えてみたとき、それは明らかとなるでしょう。
山口はあなた(三島)が悲劇的なもの、崇高なものに魅惑されていたのとは対照的に、それらから意図的に距離を置き、喜劇的なもの、道化的なものに焦点を当てました。
…一方の蓮見は、あなたと同じ学習院に学び、皇族と人脈的な関係をもつことにきわめて野心的な人物でしたが、一貫してあなたを嫌っていることを公言していました。
…あなたの全集が再び編集され、刊行されていなかった日記や書簡が公にされたり、…あなたの行動の全体が次の世代によって再検討の対象となるようになったのは、
2000年代に入り、先の二人の知的扇動家の影響が消え去ったことと、軌を一にしているのは、けっして偶然ではありません。

四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より

335:法の下の名無し
09/01/27 15:54:16 MPib0TLV
わたくしは、自分の書いたものや、いつたものが、いますぐ役に立つたら、かへつてはづかしいといふふうに考へてをります。
ですから、たとへばけふ申し上げたことが、あるひはみなさんのお心のどつかにとまつて、それが十年後、二十年後に役に立つていただければ、それはありがたいけれども、
あつ、三島のいつたことはおもしろい、ぢや、けふ会社で利用して、つかつてみようかといふやうなことは、わたくしは申し上げたくもないし、申し上げる立場にもゐないと思ふんです。
わたくしは、その、ぢや日本の精神ていふのはなんだ。日本が日本であるものはなんだ。これをはづれたら、もう日本でなくなつちやふもんはなんだと。それだけを考へていきたいです。

三島由紀夫
「現代日本の思想と行動」より

336:法の下の名無し
09/01/27 15:54:55 MPib0TLV
いま非常な情報化社会がありますから、精神といふものはテレビに写らない。
そしてテレビに写るのはノボリや、プラカードや、人の顔です。それからステートメントです。
そして人間はみんなステートメントやることによつて、なにかしたやうな気持になつてゐるんです。
わたくしは、そこまでいけば、どんなことをやつたところで、目に見えない精神にかなはないんぢやないかといふふうに思つてゐるんです。
昔のやうに爆弾三勇士、あるひは特攻隊、ああいふやうなものがあつたときに、はじめてこれはすごい、これはテレビにも写らなかつた、なにも出なかつたが、これはすごいといふ一点があると思ふんですが、
いまテレビに写つてるものは、どんなものが出てこようが、結局、情報化社会のなかでとかし込まれて、また忘れられ、笑はれ、そして人間の精神体系になにものも加へないままで消えていくんぢやないか。

三島由紀夫
「現代日本の思想と行動」より

337:法の下の名無し
09/01/27 15:55:22 MPib0TLV
わたくしは、政治自体も非常にさういふ点で危険な場所にゐると思ひますのは、政治もあらゆる場合にステートメントだけになつていく。
そのステートメントが情報化社会のなかで、非常なスピードで溶解されて、ちやうどあたかも塵埃処理のやうに、早くこれをすべて始末しなければ東京中が塵埃でうづまつてしまふ。紙くずでうづまつてしまふ。
それで情報化社会といふものは過剰な情報をどんどん処理してゐるんです。
この東京といふもの、日本といふものは、近代化すればするほど巨大な塵埃焼却炉みたいになつてくる。
そのなかで人間はなにをすべきかといふことについて、わたくしはなんとか考へていきたいと思ふんです…

三島由紀夫
「現代日本の思想と行動」より

338:法の下の名無し
09/01/27 23:43:05 5h5zPV7l
ねーねー、なんで三島は兵庫県なんかで検査をうけたのかな~?
そりゃーきまってるさ!田舎の逞しい青年の間では三島はことさらひ弱にみえる。
それゆえに検査で落ちることをのぞんだのさ!
これのどこが憂国だよアッハッハhッハhッハhッハhッ八は」


339:法の下の名無し
09/01/28 10:57:17 l2ikav2R
>>338
本籍が兵庫だからどっちで受けようが自由でしょう。実際には体力測定で落ちてないから、田舎でも東京でも関係ないしね。
誤診が判明した後、次に徴兵されることも決まってました。

340:法の下の名無し
09/01/28 12:57:21 8JPPn0jT
同じ東大法学部→大蔵キャリア→徴兵検査落ちでも
三島由紀夫と宮沢喜一は、なんでこうも対照的なんだろうねえ。
ちなみに二人とも旧制高校は首席で卒業している。

341:法の下の名無し
09/01/29 02:31:18 DUZga47X
2・26将校だ定家だって、あんた結局自分を神格化したいだけでしょって。
そんなのに付き合ってられまへん。


342:法の下の名無し
09/01/29 23:28:33 Ti+yzEeX
>>341
自分の魂を神の位置まで高めたいという意思だから良いことじゃん。

343:法の下の名無し
09/01/30 10:20:56 AnOuQL11
>>337
三島の言ってることって、ちょっと聞いたら正しいような気もするけど、
どっかの予言者と同じで、抽象的なことばっかいってりゃ後々起こったことも
いろいろこじつけて予言できたような気がしちゃうんだよね。
全然具体性がないわ。

344:法の下の名無し
09/01/30 11:49:08 rIZR72Jg
>>343
あんたが理解力のないバカだから、そうみえるだけ。

345:法の下の名無し
09/02/04 12:16:16 xxgbpCY8
私は決して平和主義を偽善だとは言はないが、日本の平和憲法が左右双方からの政治的口実に使はれた結果、日本ほど、平和主義が偽善の代名詞になつた国はないと信じてゐる。
この国でもつとも危険のない、人に尊敬される生き方は、やや左翼で、平和主義者で、暴力否定論者であることであつた。それ自体としては、別に非難すべきことではない。
しかしかうして知識人のConformity が極まるにつれ、私は知識人とは、あらゆるConformity に疑問を抱いて、むしろ危険な生き方をするべき者ではないかと考へた。
一方、知識人たち、サロン・ソシアリストたちの社会的影響力は、ばかばかしい形にひろがつた。
母親たちは子供に兵器の玩具を与へるなと叫び、小学校では、列を作つて番号をかけるのは軍国主義的だといふので、子供たちはぶらぶらと国会議員のやうに集合するのだつた。

三島由紀夫
英誌「Queen」より

346:法の下の名無し
09/02/04 12:16:42 xxgbpCY8
それならお前は知識人として、言論による運動をすればよいではないか、と或る人は言ふのであらう。
しかし私は文士として、日本ではあらゆる言葉が軽くなり、プラスチックの大理石のやうに半透明の贋物になり、一つの概念を隠すために用いられ、どこへでも逃げ隠れのできるアリバイとして使はれるやうになつたのを、いやといふほど見てきた。
あらゆる言葉には偽善がしみ入つてゐた、ピックルスに酢がしみ込むやうに。

三島由紀夫
英誌「Queen」より

347:法の下の名無し
09/02/04 12:17:12 xxgbpCY8
文士として私の信ずる言葉は、文学作品の中の、完全無欠な仮構の中の言葉だけであり、前に述べたやうに、私は文学といふものが、戦ひや責任と一切無縁な世界だと信ずる者だ。
これは日本文学のうち、優雅の伝統を特に私が愛するからであらう。
行動のための言葉がすべて汚れてしまつたとすれば、もう一つの日本の伝統、尚武とサムライの伝統を復活するには、言葉なしで、無言で、あらゆる誤解を甘受して行動しなければならぬ。

三島由紀夫
英誌「Queen」より

348:法の下の名無し
09/02/04 12:17:42 xxgbpCY8
すべてのものに始めと終りがあるやうに、行動も一度幕を開けたらば幕を閉じなければならない。
行動は、たびたび繰り返したやうに、瞬時に始まり、瞬時に終るものであるから、その正否の判断はなかなかつかない。
歴史の中に埋もれたまま、長い年月がたっても正当化されない行為はたくさんある。

三島由紀夫
「行動の終結」より

349:法の下の名無し
09/02/07 16:52:29 OA6+bL1+
三島氏が「奔馬」の取材に熊本にやつてきたのは昭和四十一年八月で、その時の話相手になつたのが私である。
三島氏は数日間、熊本に滞在したが、その間に三島氏の心にふれて、私は少なからず感動した。
それは三島氏が、神風連の調査に熊本にくるにあたつて、すでに神風連関係の著書を東京でほとんど目を通してきた、といふ熱心と謙虚さを知つたことばかりではない。

荒木精之
「初霜の記・三島由紀夫と神風連」より

350:法の下の名無し
09/02/07 16:54:10 OA6+bL1+
神風連について学ぶためには、古神道を知らねばならぬといつて、わざわざ古神道をつたへる大和の大三輪神社に行き、数日間滝にうたれたり、そこの宮司から古神道の話をきいてゐた、といふやうな真剣さを知つたからである。
さらに私の心をうつたのは、熊本にきて私と対話中、神風連にとつてもつとも重要な遺跡であり、
その思想信条の発源体であつた新開皇大神宮に行くのに、私の案内を辞退して、道順だけをきいてそこまで十キロの径を一人出かけて行つたといふ態度であつた。

荒木精之
「初霜の記・三島由紀夫と神風連」より

351:法の下の名無し
09/02/10 22:45:58 3FiMvtof
拝啓 永らく御無沙汰しておりますが、その後お変りもいらつしやいませぬか。
…お国は今までとは異なつた種類の、想像も及ばなかつた危難に直面し、我々の戦ひは今すぐ始められねばなりませぬ。
日本人がわれとわが手で、その高貴と美とを、かくまで無惨に踏みにじつて了つたことは、我々共々、実に遺憾に存じますが、
文学とは北極星の如く、秩序と道義をその本質とし前提とする神のみ業であります故に、この神に、わき目もふらず仕へることにより、我々の戦ひは必ずや勝利を得ることと確信いたします。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年9月3日付の葉書から

352:法の下の名無し
09/02/21 12:15:12 wCu+q88W
私は別にかつての軍隊の讚美者でもなく、軍隊生活の経験も持たない身は、それについて論じる資格もないが、
大分前に、「きけ、わだつみの声」であつたか、その種の反戦映画を見て、いはん方ない反感を感じたおぼえがある。
たしかその映画では、フランス文学研究をたよりに、反戦傾向を示す学生や教師が、戦場へ狩り出され、
戦死した彼らのかたはらには、ボオドレエルだかヴェルレエヌだかの詩集の頁が、風にちぎれてゐるといふシーンがあつた。
甚だしくバカバカしい印象が私に残つてゐる。ボオドレエルが墓の下で泣くであらう。
日本人がボオドレエルのために死ぬことはないので、どうせ兵隊が戦死するなら、祖国のために死んだはうが論理的であり、人間は結局個人として死ぬ以上、おのれの死をジャスティファイする権利をもつてゐる。

三島由紀夫
「『青春監獄』の序」より

353:法の下の名無し
09/02/21 12:15:50 wCu+q88W
絶対的に受身の抵抗のうちに、戦死しても犬のやうに殺されたといふ実感を自ら抱いて、死んでゆける人間は、稀に見る聖人にちがひない。
私はすべてこの種の特殊すぎる物語に疑ひの目を向ける。兵隊であつて文学者あつた人の書くものも、一般人を納得させるかもしれないが、私のやうな疑ぐり深い文士を納得させない。
私の読みたいのは、動物学者の書いた狼の物語ではなく、狼自身の書いた狼の物語なのである。
狼がどんなに嘘を並べても、狼の目に映つた事実であり嘘であれば、私は信じる。
私は何も礼を失して、宮崎氏を狼呼ばはりするのではない。しかし氏の著書は、或る見地から見て、実に貴重なのである。

三島由紀夫
「『青春監獄』の序」より

354:法の下の名無し
09/02/28 12:32:11 PcQluyBp
戦後二十二年間、私は原爆について発言しなかつた。…
第一に、原爆に関しては、体験した者と体験しない者、被曝者と被曝しなかつた者といふ二つの立場以外、絶対ありえないからだ。
これがベトナム論などと根本的に違ふ点であり、そのことを忘れた発言はすべてウソである。
被曝しなかつた者が、いくら「おかはいさうに」と同情してみせても、そんなことで心慰められる被曝者は一人もゐない。
…広島に“新型爆弾”が投下されたとき、私は東大法学部の学生であつた。
…それが原爆だと知つたのは数日後のこと、たしか教授の口を通じてだつた。
世界の終りだ、と思つた。この世界終末観は、その後の私の文学の唯一の母体をなすものでもある。

三島由紀夫
「私の中のヒロシマ―原爆の日によせて」より

355:法の下の名無し
09/02/28 12:33:11 PcQluyBp
ヒロシマ。ナチのユダヤ人虐殺。まぎれもなくそれは史上、二大虐殺行為である。だが、日本人は「過ちは二度とくりかへしません」といつた。
原爆に対する日本人の民族的憤激を正当に表現した文学は、終戦の詔勅の「五内為ニ裂ク」といふ一節以外に、私は知らない。
そのかはり日本人は、八月十五日を転機に最大の屈辱を最大の誇りに切りかへるといふ奇妙な転換をやつてのけた。
一つはおのれの傷口を誇りにする“ヒロシマ平和運動”であり、もう一つは東京オリンピックに象徴される工業力誇示である。
だが、そのことで民族的憤激は解決したことになるだらうか。

三島由紀夫
「私の中のヒロシマ―原爆の日によせて」より

356:法の下の名無し
09/02/28 12:33:36 PcQluyBp
いま、日本は工業化、都市化の道を進んでゐる。明らかに“核”をつくる文化を受入れて生きてゐる。
日本は核時代に向ふほかない。単なる被曝国として、手を汚さずに生きて行けるものではない。
核大国は、多かれ少なかれ、良心の痛みをおさへながら核を作つてゐる。彼らは言ひわけなしに、それを作ることができない。
良心の呵責なしに作りうるのは、唯一の被曝国・日本以外にない。われわれは新しい核時代に、輝かしい特権をもつて対処すべきではないのか。
そのための新しい政治的論理を確立すべきではないのか。日本人は、ここで民族的憤激を思ひ起すべきではないのか。

三島由紀夫
「私の中のヒロシマ―原爆の日によせて」より

357:法の下の名無し
09/02/28 12:34:19 PcQluyBp
戦後二十二年間、平和はまさに米ソの核均衛の上に保たれてゐた。
だか、お互ひの核ドウカツだけで均衛が保たれたかといふと、さうは思へない。
第二次大戦中、広島で原爆が使はれたといふ事実、たくさんの人が死に、今も肉体的、精神的に苦しんでゐる人がゐるといふ事実がなかつたとしたら、観念的にいくら原爆の悲惨さがわかつてゐても、必ず使はれたらう。
人間とは本来、さういふものである。
…将来、小型爆弾が使はれる可能性は、皆無ではないだらう。
…だが、いちばん危険なのは、防衛力としてのABM(弾道弾迎撃ミサイル)が開発されて、攻撃力としてのICBM(大陸間弾道弾)との均衛が成立したとき、
つまり大国がICBMに対して自国の安全を守れるといふ考へに達した時であらう。

三島由紀夫
「私の中のヒロシマ―原爆の日によせて」より

358:法の下の名無し
09/03/01 13:11:20 AduH+P7g
実は私は「愛国心」といふ言葉があまり好きではない。何となく「愛妻家」といふ言葉に似た、背中のゾッとするやうな感じをおぼえる。
この、好かない、といふ意味は、一部の神経質な人たちが愛国心といふ言葉から感じる政治的アレルギーの症状とは、また少しちがつてゐる。
ただ何となく虫が好かず、さういふ言葉には、できることならソッポを向いてゐたいのである。
この言葉には官製のにほひがする。また、言葉としての由緒ややさしさがない。
どことなく押しつけがましい。反感を買ふのももつともだと思はれるものが、その底に揺曳してゐる。
では、どういふ言葉が好きなのかときかれると、去就に迷ふのである。愛国心の「愛」の字が私はきらひである。
自分がのがれやうもなく国の内部にゐて、国の一員であるにもかかはらず、その国といふものを向う側に対象に置いて、わざわざそれを愛するといふのが、わざとらしくてきらひである。
もしわれわれが国家を超越してゐて、国といふものをあたかも愛玩物のやうに、狆か、それともセーブル焼の花瓶のやうに、愛するといふのなら、筋が通る。それなら本筋の「愛国心」といふものである。

三島由紀夫
「愛国心」より

359:法の下の名無し
09/03/01 13:13:08 AduH+P7g
また、愛といふ言葉は、日本語ではなくて、多分キリスト教から来たものであらう。日本語としては「恋」で十分であり、日本人の情緒的表現の最高のものは「恋」であつて、「愛」ではない。
もしキリスト教的な愛であるなら、その愛は無限低無条件でなければならない。
従つて、「人類愛」といふのなら多少筋が通るが、「愛国心」といふのは筋が通らない。なぜなら愛国心とは、国境を以て閉ざされた愛だからである。
だから恋のはうが愛よりせまい、といふのはキリスト教徒の言ひ草で、恋のはうは限定性個別性具体性の裡にしか、理想と普遍を発見しない特殊な感情であるが、「愛」とはそれが逆様になつた形をしてゐるだけである。

三島由紀夫
「愛国心」より

360:法の下の名無し
09/03/01 13:14:57 AduH+P7g
ふたたび愛国心の問題にかへると、愛国心は国境を以て閉ざされた愛が、「愛」といふ言葉で普遍的な擬装をしてゐて、それがただちに人類愛につながつたり、アメリカ人もフランス人も日本人も愛国心においては変りがない、といふ風に大ざつぱに普遍化されたりする。
これはどうもをかしい。もし愛国心が国境のところで終るものならば、それぞれの国の愛国心は、人類普遍の感情に基づくものではなくて、辛うじて類推で結びつくものだと言はなくてはならぬ。
アメリカ人の愛国心と日本人の愛国心が全く同種のものならば、何だつて日米戦争が起つたのであらう。「愛国心」といふ言葉は、この種の陥穽を含んでゐる。

三島由紀夫
「愛国心」より

361:法の下の名無し
09/03/01 13:15:24 AduH+P7g
日本のやうな国には、愛国心などといふ言葉はそぐはないのではないか。すつかり藤猛にお株をとられてしまつたが、「大和魂」で十分ではないか。
アメリカの愛国心といふのなら多少想像がつく。ユナイテッド・ステーツといふのは、巨大な観念体系であり、
移民の寄せ集めの国民は、開拓の冒険、獲得した土地への愛着から生じた風土愛、かういふものを基礎にして、合衆国といふ観念体系をワシントンにあづけて、それを愛し、それに忠誠を誓ふことができるのであらう。
国はまづ心の外側にあり、それから教育によつて内側へはひつてくるのであらう。
アメリカと日本では、国の観念が、かういふ風にまるでちがふ。日本は日本人にとつてはじめから内在的即自的であり、かつ限定的個別的具体的である。
観念の上ではいくらでもそれを否定できるが、最終的に心情が容認しない。

三島由紀夫
「愛国心」より

362:法の下の名無し
09/03/01 13:16:05 AduH+P7g
そこで日本人にとつての日本とは、恋の対象にはなりえても、愛の対象にはなりえない。われわれはとにかく日本に恋してゐる。
これは日本人が日本に対する基本的な心情の在り方である。(本当は「対する」といふ言葉さへ、使はないはうがより正確なのだが)
しかし恋は全く情緒と心情の領域であつて、観念性を含まない。
われわれが日本を、国家として、観念的にプロブレマティッシュ(問題的)に扱はうとすると、しらぬ間にこの心情の助けを借りて、あるひは恋心をあるひは憎悪愛(ハースリーベ)を足がかりにして物を言ふ結果になる。
かくて世上の愛国心談義は、必ず感情的な議論に終つてしまふのである。

三島由紀夫
「愛国心」より

363:法の下の名無し
09/03/01 13:17:45 AduH+P7g
恋が盲目であるやうに、国を恋ふる心は盲目であるにちがひない。
しかし、さめた冷静な目のはうが日本をより的確に見てゐるかといふと、さうも言へないところに問題がある。
さめた目が逸したところのものを、恋に盲ひた目がはつきりつかんでゐることがしばしばあるのは、男女の仲と同じである。
一つだけたしかなことは、今の日本では、冷静に日本を見つめてゐるつもりで日本の本質を逸した考へ方が、あまりにも支配的なことである。
さういふ人たちも日本人である以上、日本を内在的即自的に持つてゐるのであれば、彼らの考へは、いくらか自分をいつはつた考へだと言へるであらう。

三島由紀夫
「愛国心」より

364:法の下の名無し
09/03/06 16:38:50 JVD0GIqA
三島由紀夫さんの《詩の朗読レコード》「天と海」が発売されたことについて、今では知っている方も少ない。
…このレコードの制作当時、私は大手のPR会社に勤務しており、このレコードに関する企画、制作、PRなどに深く関与していた。
…三島さんは「キミが勤めている会社のためだったら断るが、キミの個人的な頼みでやるのなら引き受けてもいいよ」と快く返事をしてくれた。
私が三島さんに知己を得たのは、学生時代にさかのぼる。当時流行していたボディビルジムでの出会いが契機となり、氏との数奇な縁が始まった。
…詩は朗読する本人にお任せすることになり、三島さんは浅野晃氏の「天と海」という長編を選んだ。
この詩の内容は、詩人で大学教授でもあった浅野氏が、学徒動員で出征し、南方の地に散っていった教え子たちの英霊に捧げる鎮魂歌であった。

川瀬賢三
「『天と海』レコード化のころ」より

365:法の下の名無し
09/03/06 16:40:50 JVD0GIqA
この仕事を始めるに当たって三島さんは、「今回の制作は、私は単なる朗読の演技者であるから、全てキミの指示に従うので注文があれば遠慮なく言って欲しい」と念を押された。
…このLP盤の制作には半年ほどを要し、サラリーマン時代の私には苛酷な毎日だった。
…深夜のスタジオで、山本(直純)氏が作曲した音楽テープをバックに、独りアナブースの中で、緊張の面持ちでマイクに向かう三島さんは、まるで尊い命を南方に散らしていった若き英霊の魂が乗り移ったかの如く、鬼気迫る迫真の演技であった。
三島さんが、精魂込めて朗読したこのレコードは、現在では“幻の名盤”となり、再発売されていない。誠に残念としか言い様がない。
今は三島さんの全ての好意に感謝し、ひたすらご冥福を祈るのみである。

川瀬賢三
「『天と海』レコード化のころ」より

366:法の下の名無し
09/03/12 23:50:15 zXDKWA+y
…世俗的君主とは祭祀の一点においてことなる天皇は、正にその時間的連続性の象徴、祖先崇拝の象徴たることにおいて、「象徴」たる特色を担つてゐるのである。
天皇が「神聖」と最終的につながつてゐることは、同時に、その政治的無答責性において、現実所与の変換する政治的責任を免かれてゐればこそ、保障されるのである。
これを逆に言へば、天皇の政治的無答責は、それ自体がすでに「神聖」を内包してゐると考へなければ論理的でない。

三島由紀夫
「問題提起」より

367:法の下の名無し
09/03/12 23:52:10 zXDKWA+y
「神聖不可侵」の規定の復活は、おのづから第二十条「信仰の自由」の規定から、神道の除外例を要求するだらう。
キリスト教文化をしか知らぬ西欧人は、この唯一神教の宗教的非寛容の先入主を以てしか、他の宗教を見ることができず、
英国国教のイングランド教会の例を以て日本の国家神道を類推し、のみならずあらゆる侵略主義の宗教的根拠を国家神道に妄想し、
神道の非宗教的な特色性、その習俗純化の機能等を無視し、はなはだ非宗教的な神道を中心にした日本のシンクレティスム(諸神混淆)を理解しなかつた。
敗戦国の宗教問題にまで、無智な大斧を揮つて、その文化的伝統の根本を絶たうとした占領軍の政治的意図は、今や明らかであるのに、日本人はこの重要な魂の問題を放置して来たのである。

三島由紀夫
「問題提起」より

368:法の下の名無し
09/03/17 15:43:55 4DFwkwve
国体は日本民族日本文化のアイデンティティーを意味し、政権交替に左右されない恒久性をその本質とする。
政体は、この国体維持といふ国家目的民族目的に最適の手段として、国民によつて選ばれるが、政体自体は国家目的追求の手段であつて、それ自体、自己目的的なものではない。
民主主義とは、継受された外国の政治制度であり、あくまで政体以上のものを意味しない。これがわれわれの思考の基本的な立場である。
旧憲法は国体と法体系の間の相互の投影を完璧にしたが、現憲法は、これを明らかにしてゐないことは前述の通りである。

三島由紀夫
「問題提起」より

369:法の下の名無し
09/03/17 15:45:07 4DFwkwve
けだし、国体の語を広義に解釈すれば、現憲法は二種の国体、二つの忠誠対象を、分裂させて持つてをり、且つ国民の忠誠対象をこの二種の国体へ分裂させるやうに仕組まれてゐるからである。
国体は本来、歴史・伝統・文化の時間的連続性に準拠し、国民の永い生活経験と文化経験の集積の上に成立するものであるが、革命政権における国体とは、いふまでもなく、このやうなものではない。
革命政権における国体は、未来理想社会に対する一致した願望努力、国家超越の契機を内に秘めた世界革命の理想主義をその本質とするであらう。
ところが、奇妙なことに現行憲法は、この相反する二種の国体概念を、(おそらく国論分裂による日本弱体化といふ政治的企図を含みつつ)、並記してゐるのである。
これが憲法第一章と第二章との、戦後の思想的対立の根本要因をなす異常なコントラストである。

三島由紀夫
「問題提起」より

370:法の下の名無し
09/03/17 15:45:39 4DFwkwve
…国体と政体の別を明らかにし、本と末の別を立て、国にとつて犯すべからざる恒久不変の本質と、盛衰を常とする政体との癒着を剥離することこそ、国の最大の要請でなければならない。
そのためには、憲法上、第一章と第二章とが到底民族的自立の見地から融和すべからざるものであり、この民族性の理念と似而非国際主義の理念との対立矛盾が、エモーショナルな国民の目前に、はつきり露呈されることが何よりも緊要である。

三島由紀夫
「問題提起」より

371:法の下の名無し
09/03/17 15:46:32 4DFwkwve
このことは、グロテスクな誇張を敢てすれば、侵略戦争の宣戦布告をする天皇と、絶対非武装平和の国際協調主義との、対立矛盾を明示せよ、といふのではない。むしろその反対である。
もし現憲法の部分的改正によつて、第九条だけが改正されるならば、日本は楽々と米軍事体制の好餌になり、自立はさらに失はれ、日本の歴史・伝統・文化は、さらに危殆に瀕するであらう。
われわれは、第一章、第二章の対立矛盾に目を向け、この対立矛盾を解消することによつて、日本の国防上の権利(第二章)を、民族目的(第一章)に限局させようと努め、その上で真の自立の平和主義を、はじめて追求しうるのである。
従つて、第一章の国体明示の改正なしに、第二章のみの改正に手をつけることは、国家百年の大計を誤るものであり、第一章改正と第二章改正は、あくまで相互のバランスの上にあることを忘れてはならない。

三島由紀夫
「問題提起」より

372:法の下の名無し
09/03/18 13:06:12 xjrrcvOP
―さて、逐条的に現憲法の批判に入ると、
第一条(天皇の地位・国民主権)天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条(皇位の継承)皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
とあるが、第一条と第二条の間には明らかな論理的矛盾がある。
すなはち第一条には、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあるが、第二条には、「皇位は、世襲のものであつて」とあり、もし「地位」と「皇位」を同じものとすれば、「主権の存する日本国民の総意に基く」筈のものが、「世襲される」といふのは可笑しい。
世襲は生物学的条件以外の条件なき継承であり、「国民の総意に基く」も「基かぬ」もないのである。

三島由紀夫
「問題提起」より

373:法の下の名無し
09/03/18 13:07:23 xjrrcvOP
又、もしかりに一歩ゆづつて、「主権の存する日本国民の総意」なるものを、一代限りでなく、各人累代世襲の総意とみとめるときは、「世襲」の語との矛盾は大部分除かれるけれども、
個人の自由意志を超越したそのやうな意志に主権が存するならば、それはそもそも近代個人主義の上に成立つ民主主義と矛盾するであらう。
又、もし、「地位」と「皇位」を同じものとせず、「地位」は国民の総意に基づくが、「皇位」は世襲だとするならば、「象徴としての地位」と「皇位」とを別の概念とせねばならぬ。
それならば、世襲の「皇位」についた新らしい天皇は、即位のたびに、主権者たる「国民の総意」の査察を受けて、その都度、「象徴としての地位」を認められるか否か、再検討されなければならぬ。
しかもその再検討は、そもそも天皇制自体の再検討と等しいから、ここで新天皇が「象徴としての地位」を否定されれば、必然的に第二条の「世襲」は無意味になる。いはば天皇家は、お花の師匠や能役者の家と同格になる危険に、たえずさらされてゐることになる。

三島由紀夫
「問題提起」より

374:法の下の名無し
09/03/18 13:08:25 xjrrcvOP
私は非常識を承知しつつ、この矛盾の招来する論理的結果を描いてみせたのであるが、このやうな矛盾は明らかに、第一条に於て、
天皇といふ、超個人的、伝統的、歴史的存在の、時間的連続性(永遠)の保証者たる機能を、「国民主権」といふ、個人的、非伝統的、非歴史的、空間的概念を以て裁いたといふ無理から生じたものである。
これは、「一君万民」といふごとき古い伝承観念を破壊して、むりやりに、西欧的民主主義理念と天皇制を接着させ、移入の、はるか後世の制度によつて、根生の、昔からの制度を正当化しようとした、方法的誤謬から生れたものである。
それは、キリスト教に基づいた西欧の自然法理念を以て、日本の伝来の自然法を裁いたものであり、もつと端的に言へば、西欧の神を以て日本の神を裁き、まつろはせた条項であつた。

三島由紀夫
「問題提起」より

375:法の下の名無し
09/03/18 13:09:31 xjrrcvOP
われわれは、日本的自然法を以て日本の憲法を創造する権利を有する。
天皇制を単なる慣習法と見るか、そこに日本的自然法を見るかについては、議論の分れるところであらう。
英国のやうに慣習法の強い国が、自然法理念の圧力に抗して、憲法を不文のままに置き、慣習法の運用によつて、同等の法的効果と法的救済を実現してゆくが如き手続は、日本では望みがたいが、
すべてをフランス革命の理念とピューリタニズムの使命感で割り切つて、巨大な抽象的な国家体制を作り上げたアメリカの法秩序が、日本の風土にもつとも不適合であることは言ふ俟たない。
現代はふしぎな時代で、信教の自由が先進諸国の共通の表看板になりながら、十八世紀以来の西欧人文主義の諸理念は、各国の基本法にのしかかり、これを制圧して、これに対する自由を許してゐないのである。

三島由紀夫
「問題提起」より

376:法の下の名無し
09/03/18 13:10:49 xjrrcvOP
われわれがもしあらゆる宗教を信ずることに自由であるなら、どうして近代的法理念のコンフォーミティーからだけは自由でありえない、といふことがあらうか?
又逆に、もしわれわれが近代的法理念のコンフォーミティーからは自由でありえないとするならば、習俗、伝習、文化、歴史、宗教などの民族的固有性から、それほど自由でありうるのだらうか?
それは又、明治憲法の発祥に戻つて、東洋と西洋との対立融合の最大の難問に、ふたたび真剣にぶつかることであるが、
敗戦の衝撃は、一国の基本法を定めるのに、この最大の難問をやすやすと乗り超えさせ、しらぬ間に、日本を、そのもつとも本質的なアイデンティティーを喪はせる方向へ、追ひやつて来たのではなかつたか?
天皇の問題は、かくて憲法改正のもつとも重要な論点であつて、何人もこれを看過して、改憲を語ることはできない。

三島由紀夫
「問題提起」より

377:法の下の名無し
09/03/18 13:16:15 xjrrcvOP
…世俗的君主とは祭祀の一点においてことなる天皇は、正にその時間的連続性の象徴、祖先崇拝の象徴たることにおいて、「象徴」たる特色を担つてゐるのである。
天皇が「神聖」と最終的につながつてゐることは、同時に、その政治的無答責性において、現実所与の変転する政治的責任を免かれてゐればこそ、保障されるのである。
これを逆に言へば、天皇の政治的無答責は、それ自体がすでに「神聖」を内包してゐると考へなければ論理的でない。
なぜなら、人間であることのもつとも明確な責任体系こそ、政治的責任の体系だからである。そのやうな天皇が、一般人同様の名誉毀損の法的保護しか受けられないのは、一種の論理的詐術であつて、「栄典授与」(第七条第七項)の源泉に対する国自体の自己冒涜である。

三島由紀夫
「問題提起」より

378:法の下の名無し
09/03/18 13:17:14 xjrrcvOP
「神聖不可侵」の規定の復活は、おのづから第二十条「信仰の自由」の規定から、神道の除外例を要求するだらう。
キリスト教文化をしか知らぬ西欧人は、この唯一神教の宗教的非寛容の先入主を以てしか、他の宗教を見ることができず、
英国国教のイングランド教会の例を以て日本の国家神道を類推し、のみならずあらゆる侵略主義の宗教的根拠を国家神道に妄想し、
神道の非宗教的な特色性、その習俗純化の機能等を無視し、はなはだ非宗教的な神道を中心にした日本のシンクレティスム(諸神混淆)を理解しなかつた。
敗戦国の宗教問題にまで、無智な大斧を揮つて、その文化的伝統の根本を絶たうとした占領軍の政治的意図は、今や明らかであるのに、日本人はこの重要な魂の問題を放置して来たのである。

三島由紀夫
「問題提起」より

379:法の下の名無し
09/03/25 11:38:53 +mmKJqs6
ありていに言つて、第九条は敗戦国日本の戦勝国に対する詫証文であり、この詫証文の成立が、日本側の自発的意志であるか米国側の強制によるかは、もはや大した問題ではない。
ただこの条文が、二重三重の念押しをからめた誓約の性質を帯びるものであり、国家としての存立を危ふくする立場に自らを置くものであることは明らかである。
論理的に解すれば、第九条に於ては、自衛権も明白に放棄されてをり、いかなる形においての戦力の保有もゆるされず、自衛の戦ひにも交戦権を有しないのである。
全く物理的に日本は丸腰でなければならぬのである。
…第九条のそのままの字句通りの遵奉は、「国家として死ぬ」以外にはない。しかし死ぬわけには行かないから、しやにむに、緊急避難の理論によつて正当化を企て、御用学者を動員して、牽強附会の説を立てたのである。

三島由紀夫
「問題提起」より

380:法の下の名無し
09/03/25 11:43:42 +mmKJqs6
自衛隊は明らかに違憲である。しかもその創設は、新憲法を与へたアメリカ自身の、その後の国際政治状況の変化による要請に基づくものである。
…護憲のナショナリスティックな正当化は、あくまで第九条の固執により、片やアメリカのアジア軍事戦略体制に乗りすぎないやうに身をつつしみ、片や諸外国の猜疑と非難を外らさうといふ、消極弥縫策にすぎず、
国内的には、片や「何もかもアメリカの言ひなりにはならぬぞ」といふナショナリスティックな抵抗を装ひ、片や「平和愛好」の国民の偸安におもねり、大衆社会状況に迎合することなのである。
しかもアメリカの絶えざる要請にしぶしぶ押されて、自衛隊をただ「量的に」拡大し、兵器体系を改良し、もつとも厄介な核兵器問題への逢着を無限に延させるために、平和憲法下の安全保障の路線を、無目的無理想に進んでゆくことである。
…核と自主防衛、国軍の設立と兵役義務、その他の政策上の各種の難問題は、九条の裏面に錯綜してゐる。しかしここでは、私は徴兵制度復活には反対であることだけを言明しておかう。

三島由紀夫
「問題提起」より

381:法の下の名無し
09/03/25 11:47:30 +mmKJqs6
私は九条の改憲を決して独立にそれ自体として考へてはならぬ、第一章「天皇」の問題と、第二十条「信教の自由」に関する神道の問題と関連させて考へなくては、
折角「憲法改正」を推進しても、却つてアメリカの思ふ壷におちいり、日本が独立国家として、日本の本然の姿を開顕する結果にならぬ、と再々力説した。
たとへ憲法九条を改正して、安保条約を双務条約に書き変へても、それで日本が独立国としての体面を回復したことにはならぬ。
韓国その他アジア反共国家と同列に並んだだけの結果に終ることは明らかであり、これらの国家は、アメリカと軍事的双務条約を締結してゐるのである。

三島由紀夫
「問題提起」より

382:法の下の名無し
09/03/31 16:39:51 xUe8toCc
第九条の改廃については、改憲論者にもいくつかの意見がある。
「第九条第一項の字句は、そもそも不戦条約以来の理想条項であり、これを残しても自衛のための戦力の保持は十分可能である。しかし第二項は、明らかに、自衛隊の放棄を意味するから削除すべきである」
といふ意見に、私はやや賛成であるが、そのためには、第九条第一項の規定は、世界各国の憲法に必要条項として挿入されるべきであり、日本国憲法のみが、国際社会への誓約を、国家自身の基本法に包含してゐるといふのは、不公平不調和を免かれぬ。
その結果、わが憲法は、国際社会への対他的ジェスチュアを本質とし、国の歴史・伝統・文化の自主性の表明を二次的副次的なものとするといふ、敗戦憲法の特質を永久に免かれぬことにならう。むしろ第九条全部を削除するに如くはない。

三島由紀夫
「問題提起」より

383:法の下の名無し
09/03/31 16:42:20 xUe8toCc
その代りに、日本国軍の創立を謳ひ、健軍の本義を憲法に明記して、次の如く規定するべきである。
「日本国軍隊は、天皇を中心とするわが国体、その歴史、伝統、文化を護持することを本義とし、国際社会の信倚と日本国民の信頼の上に健軍される」
防衛は国の基本的な最重要問題であり、これを抜きにして国家を語ることはできぬ。
物理的に言つても、一定の領土内に一定の国民を包括する現実の態様を抜きにして、国家といふことを語ることができないならば、その一定空間の物理的保障としては軍事力しかなく、
よしんば、空間的国家の保障として、外国の軍事力(核兵器その他)を借りるとしても、決して外国の軍事力は、他国の時間的国家の態様を守るものではないことは、
赤化したカンボジア摂政政治をくつがへして、共和制を目ざす軍事政権を打ち樹てるといふことも敢てするのを見ても自明である。

三島由紀夫
「問題提起」より

384:法の下の名無し
09/03/31 16:43:23 xUe8toCc
自国の正しい健軍の本義を持つ軍隊のみが、空間的時間的に国家を保持し、これを主体的に防衛しうるのである。
現自衛隊が、第九条の制約の下に、このやうな軍隊に成育しえないことには、日本のもつとも危険な状況が孕まれてゐることが銘記されねばならない。
憲法改正は喫緊の問題であり、決して将来の僥倖を待つて解決をはかるべき問題ではない。
なぜならそれまでは、自衛隊は、「国を守る」といふことの本義に決して到達せず、この混迷を残したまま、徒らに物理的軍事力のみを増強して、つひにもつとも大切なその魂を失ふことになりかねないからである。
自衛隊は、警察予備隊から発足して、未だその警察的側面を色濃く残してをり、警察との次元の差を、装備の物理的な次元の差にしか見出すことができない。国家の矜りを持つことなくして、いかにして軍隊が軍隊たりえようか。
この悲しむべき混迷を残したものが、すべて第九条、特にその第二項にあることは明らかであるから、われわれはここに論議の凡てを集中しなければならない。

三島由紀夫
「問題提起」より

385:法の下の名無し
09/03/31 17:24:29 I1bkuhtC
374 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/08/30(土) 21:38:01
>「葉隠」の説く武士道を考える
> -「葉隠」武士道の犬死理論の陥穽-
>著作と責任/佐藤弘弥
URLリンク(www.st.rim.or.jp)

佐藤弘弥なる視野狭窄な御仁による珍葉隠論。
珍文章のしょっぱなから、ヒステリックなオナニー全開である。
「ヤンキースのマツイ」のたとえだとか、
そこらの中学2年生も感涙にむせびそうな、すばらしい思考のお綴りである。

この特大場外ホームラン級の知性が書いた小児的ファンタジーが
ネットで上位にひっかかり、目に★な方も多いだろうから、
とりあえずこのスレで駆除しておく。


377 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/08/30(土) 22:47:23
>>.374
佐藤弘弥(笑)
空き樽は音が高いっていうか、キジも鳴かずば打たれまいに・・・
閑古鳥が鳴くサヨ系じゃんじゃんで市民記者を
しょぼしょぼやってればええのに(笑)


【検索ワード】
葉隠、佐藤弘弥、馬鹿、思い込みの禿しい爺さん、三島由紀夫
武士道、山本常朝、田代陣基、新渡戸稲造

386:法の下の名無し
09/05/03 22:51:06 55CvKd+K
保守

387:法の下の名無し
09/05/15 00:07:09 xv8EQ+81
神風・特攻隊は、なぜ体当り攻撃をしたのか
それは、大空襲の犠牲を少しでも少なくするため
米軍がカラー撮影した本物の映像
URLリンク(www.nicovideo.jp)
URLリンク(www.nicovideo.jp)


388:法の下の名無し
09/05/21 16:22:05 Z53VUuZ/
Q―つぎに東南アジアについてちよつと聞きます。
インドも中共との交戦の経験を持つ国ですが、東南アジアと日本との最大の相違点は、中共の脅威を感じてゐるのと感じてゐない点にあると思ひますが。

三島由紀夫:中共と国境を接してゐるといふ感じは、とても日本ではわからない。
もし日本と中共とのあひだに国境があつて向かう側に大砲が並んでたら、いまのんびりしてゐる連中でもすこしはきりつとするでせう。
まあ海でへだてられてゐますからね。もつともいまぢや、海なんてものはたいして役に立たないんだけれど。ただ「見ぬもの清し」でせうな。

三島由紀夫
「インドの印象」より

389:法の下の名無し
09/05/21 16:22:45 Z53VUuZ/
Q―日本人が中共をこはがらないのは一種の幻想的な“大平感”なんだらうけれど、日本にさういつた幻想があることも、また一つの現実ぢやないでせうか。

三島由紀夫:たしかにさうですね。幻想(イリュージョン)といへどもなにかの現実的条件によつて保たれてゐる。
ぼく自身は、日本にも中共の脅威はある、と感じてゐます。これは絶対に「事実(ファクト)」です。
しかし、日本人が中共に脅威を感じないといふことは「現実」です。「現実」とはぼくに言はせれば、事実とイリュージョンとの合金です。
「現実」をささへてゐる条件は、いはくいひがたしで、恐らく何万といふ条件があるでせう。海もあるし、長い中国との交流の歴史もあるし……。
ものを考へようとするとき、片方の「現実」を「事実」だけでぶちこはさうとしてもダメです。幻想をくだくには幻想をもつてしなくつちや。ですからもし、ぼくが政治家だつたら……。

Q―「中共はこはくない」といふ幻想は、どうやつてくだきますか?

三島由紀夫:「中共はこはい」といふファクトではなく幻想をもつてですよ。

三島由紀夫
「インドの印象」より

390:法の下の名無し
09/05/31 12:53:41 ajdHPqhM
さて、いくら早く焼きたいからと云つて、餅を炭火につつこんだのでは、
たちまち黒焦げになつて、喰べられたものではない。
餅網が適度に火との距離を保ち、しかも火熱を等分に伝達してくれるからこそ、
餅は具合よく焼けるのである。
さて、法律とはこの餅網なのだらうと思ふ。
餅は、人間、人間の生活、人間の文化等を象徴し、炭火は、人間のエネルギー源としての、
超人間的なデモーニッシュな衝動のプールである潜在意識の世界を象徴してゐる。
人間といふものは、おだやかな理性だけで成立つてゐる存在ではないし、
それだけではすぐ枯渇してしまふ、ふしぎな、落着かない、活力と不安に充ちた存在である。

三島由紀夫
「法律と餅焼き」より

391:法の下の名無し
09/05/31 12:55:07 ajdHPqhM
人間の活動は、すばらしい進歩と向上をもたらすと同時に、一歩あやまれば
破滅をもたらす危険を内包してゐる。
ではその危険を排除して、安全で有益な活動だけを発展させようといふ試みは、
むかしからさかんに行はれたが、一度も成功しなかつた。
どんなに安全無害に見える人間活動も、たとへば慈善事業のやうなものでも、
その事業を推進するエネルギーは、あの怖ろしい炭火から得るほかはない。
…人間の餅は、この危険な炭火の力によつて、喰へるもの、すなはち社会的に有益なものになる。
しかし、もし火に直接に触れれば、喰へないもの、すなはち社会的に無益有害なものになる。
だから、餅と火のあひだにあつて、その相干渉する力を適当に規制し、
餅をほどよい焼き加減にするために、餅網が必要になるのである。

三島由紀夫
「法律と餅焼き」より


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