■■■■三島由紀夫の「檄」■■■■at JURISP
■■■■三島由紀夫の「檄」■■■■ - 暇つぶし2ch100:法の下の名無し
08/03/03 12:05:47 pmB72rvN
三島氏の掲げるイデオロギーと、切腹という異様な自殺の方法とが、諸外国にどんな悪影響をあたえるか、といったような政府与党的な配慮には、私はまったく興味ない。

ひるがえって、もし諸外国に、日本に関してトランジスターの商人の国とかいったイメージしか定着していないとすれば、その情けないイメージを日本刀によって打ちやぶった三島氏の功績は、どんな文化使節のそれにも勝るであろう。

澁澤龍彦


101:法の下の名無し
08/03/03 17:42:00 pmB72rvN
川端氏は僕の吹く勝手な熱をしじゅう喜んでニコニコしてきいてくれた。おしまいには僕が悲しくなってしまった。
僕の生意気な友人たちだったら、フフンと鼻の先であしらいそうなこんなつまらない笑い話や、ユーモアのない又聞き話が、どういう経緯で川端氏の口に微笑を誘うのだろう。
しかしこうして一人で喋っているうちに、だんだん僕が感知しだしたのは僕の孤独ではなくて、むしろ川端氏の孤独なのだった。
ひろい家の中には夕闇がよどんで来た。ひろい家のさみしさが身にしみる時刻だ。

三島由紀夫
昭和22年
日記から


102:法の下の名無し
08/03/03 17:43:53 pmB72rvN
川端氏とのさびしい夕食、川端氏のかえってゆく一人の書斎、僕は僕の行方にあるものをまざまざと見る気がした。
名声とは何だろう。このひろい家によどんでくるどうにも逃げようもない夜のことなのか?否しかしなお僕は名声を愛している。
なぜなら名声でやっとたえられるものが僕の中にあるからだ。名声とは必要不可欠な人間にだけ来るものだ。
そうして名声があるために、ある人の慰めになる不幸があるものだ。こんな孤独の実質を名声は少しもかええないが、名前と形容詞だけは支えてくれる。
文学の仕事、それが形容詞の創造であるとするなら、こうして形容詞の冷徹で花やかな報いをうけるのは当然だ。

三島由紀夫
昭和22年
日記から


103:法の下の名無し
08/03/04 22:43:18 6GvOBPXp
私は、研究室で突然三島の死を聞いたとき、どういうわけかすぐに連想したのは、高山彦九郎であり、神風連であり、横山安武であり、相沢三郎などであった。
これらの人々の行動はいずれも常識を越えた「狂」の次元に属するものとされている。
この「狂」の伝統がどのようにして、日本に伝えられているのか、それはまだだれもわからないのではないだろうか。
ただ、すべての「異常」な行動を「良識」によって片づけることは、これまでの日本人の心をよくとらえ切っていない。
三島は私の知るところでは非常に「愚直」な人物である。
私のいう意味は、幕末の志士たちのいう「頑鈍」の精神であり、私としてはほめ言葉である。
私は三島をノーベル賞候補作家というよりも、その意味では、むしろ無名のテロリスト朝日平吾あるいは中岡良一などと同じように考えたい。

橋川文三


104:法の下の名無し
08/03/07 11:23:48 IfrtmxKm
戦争のことは、三島や私などのように、その時期に少年ないし青年であったものたちにとっては、あるやましい浄福の感情なしには思いおこせないものである。
それは異教的な秘宴の記憶、聖別された犯罪の陶酔感をともなう回想である。
およそ地上においてありえないほどの自由、奇蹟的な放恣と純潔、アコスミックな美と倫理の合致がその時代の様式であり、透明な無為と無垢の兇行との一体感が全地をおおっていた。
…しかし、このような体験は、いかにそれが戦争という政治と青春との偶然の遭遇にもとづくものであったにせよ、その絶対的な浄福の意識において、断じて罪以外のものではありえない。

橋川文三


105:法の下の名無し
08/03/07 11:35:16 IfrtmxKm
戦後、三島は己れの青春を「不治の健康」と名づけることによって出発した。
これはもとより逆説である。しかし、およそ生きるものが病み、やがて死んでゆくという有機的自然の過程こそ、三島たちにとってかつて許されたことのない世界であった。
死は、無機物との出会いにおいて、夭折においてしか不可能だったからである。通常の意味における「死」がありえなかったように、日常の生もまた拒まれていた。
もしなお生一般を生きるとすればそれは仮面による生、たえず変貌する日常性を仮装した、永遠の問いかけという形でしかありえない。
それはあの禁欲者たちが、自己の生の確証のためにではなく、隠された決断者の恣意の確証のために行動したのと同じように、不断に生を拒否するために行われる組織的な自己規制という意味をもつ。

橋川文三


106:法の下の名無し
08/03/07 11:50:25 IfrtmxKm
三島の文体の人工的な華麗さは、実は生の不在の精緻なアリバイを構成しようとする禁欲的な努力をあらわしている。彼は生の此岸からではなく、いわば反世界の側から様式を作り出そうとする。
三島の日本精神史における意味は、この点にもっとも鮮明にあらわれているといえよう。そして、もう一つつけくわえれば、三島は日本の思想に、一種のものすごいフモールの感覚をもちこんだといえるかもしれない。
ハイネのスタイルでいえば、おどけた仮面の双の眼玉からのぞいている死神の眼のイメージである。
しかし、これは不詳の言い方であろうから、私はむしろ三島の生き方における『葉隠』の倫理を説いた方がよいかもしれない。

橋川文三


107:法の下の名無し
08/03/11 11:55:32 95EbltA2
昭和の歴史は敗戦によって完全に前期後期に分けられたが、そこを連続して生きてきた私には、自分の連続性の根拠と、論理的一貫性の根拠を、どうしても探り出さなければならない欲求が生まれてきていた。

そのとき、どうしても引っかかるのは、「象徴」として天皇を規定した新憲法よりも、天皇御自身の、この「人間宣言」であり、
この疑問はおのずから、二・二六事件まで、一すじの影を投げ、影を辿って「英霊の声」を書かずにはいられない地点へ、私自身を追い込んだ。
自ら「美学」と称するのも滑稽だが、私は私のエステティックを掘り下げるにつれ、その底に天皇制の岩盤がわだかまっていることを知らねばならなかった。
それをいつまでも回避しているわけには行かぬのである。

三島由紀夫


108:法の下の名無し
08/03/11 12:09:06 95EbltA2
二・二六における天皇と青年将校というテーマは、ほとんどドストエフスキーの天才に俟たなければ描ききれないであろうというのが、私の以前からの独断であった。
それは何よりも神学の問題であり、正統と異端という古くから魅力と恐怖にみたされた人間信仰の世界にかかわる問題だからである。
端的にいえば、それは日本人の魂の世界における「大審問官」の問題にほかならないからと私は考えている。

橋川文三


109:法の下の名無し
08/03/11 12:44:15 95EbltA2
「英霊の声」の作品評を改めてしようとは思わない。
…問題はこれがある巨大な怨念の書であるということである。ある至高の浄福から追放されたものたちの憤怒と怨念がそこにはすさまじいまでにみちあふれている。
幽顕の境界を哀切な姿でよろめくものたちのの叫喚が、おびやかすような低音として、生者としての私たちの耳に迫ってくる。
三島はここでは、それら悪鬼羅刹と化したものたちの魂が憑依するシャーマンの役割をしている。
昔から能楽のもつ妖気の展開様式に熟練している三島は、ここでも巧みにその形式を利用している。

橋川文三


110:法の下の名無し
08/03/11 12:57:23 95EbltA2
私は、今でも深夜「二・二六事件」(河野司篇)をひもどくとき、そのとあるページを直視するにたえないが、この作品の鬼気にはそれに通じるものがある。
彼らの方が生きており、お前たちの方がそうではないのだぞと、そのとあるページのデスマスクは不気味な言葉で語りかけてくる。
そういう迫力において、この作品は、あれらの人々の心情をみごとに再現している。
三島はやはりここで、日本人にとっての天皇とは何か、その神威の下で行われた戦争と、その中での死者とは何であったか、
そして、なかんずく、神としての天皇の死の後、現に生存し、繁栄している日本人とは何かを究極にまで問いつめようとしている。
これが一個の憤怒の作品であるということは、それが現代日本文明の批判であるということにほかならない。

橋川文三


111:法の下の名無し
08/03/13 15:05:24 k4eEyZlu
三島由紀夫は、戦争末期の終末感と日本浪漫派系の文学趣味を背後に押し遣って、戦後に登場したとき、何をいちばん怖れたかといえば、
日本浪漫派系の没落と入れ替わりに登場した、第一次戦後派文学と呼ばれる転向左翼の文学者でもなければ、無頼派の文学者でもなく、
戦争末期の終末感を抱いたまま生き埋めにされ、なお節を曲げずに「紙なければ、空にも書かん」とつぶやいている保田與重郎という存在であろう。

桶谷秀昭


112:法の下の名無し
08/03/13 15:26:23 k4eEyZlu
私が三島先生に初めて会った時の言葉は、いまだに忘れられないものになっています。
…その彼が開口一番いった言葉は「あなたは保田與重郎先生が好きですか」だった。
保田先生というのは、文芸評論家で、いわゆる日本精神を持った方でした。しかし終戦と同時に追放され、戦争犯罪人ということで、一切の執筆活動を停止された。
…その当時の作家、学者の間では、保田先生の名を口にすることはタブーであった。それを三島先生があえて口に出したので私は驚いた。

伊沢甲子麿


113:法の下の名無し
08/03/13 15:36:03 k4eEyZlu
一瞬のためらいはありましたが、この際私としても、私自身の信念を素直に言うべきだと思い、「日本は戦争に敗れたけれども、保田先生はあくまでも立派な方だ。
保田先生を尊敬する。あの方の学問はしっかりしておられるし、あの方の信念、思想は立派だ」と答えました。
三島先生は私の顔をじっと見ておられ、「君は本物だな」と言われました。

伊沢甲子麿


114:法の下の名無し
08/03/16 22:44:10 IG4OK5JV
それにしても西洋人の享楽主義のえげつなさは、支那人はともかく、とても日本人の肌にはあいませんね。

平岡公威16歳
東文彦への書簡から

ドイツ語の講座の本少しよみ出しました。いやはやドイツ語はまるで法文みたいですね。ヒットラアという嫌悪すべき名が、亀の子文字の行間にチラチラします。
モスコオはどうしてどうしておちますまい。(?)

平岡公威16歳
東文彦への書簡から


115:法の下の名無し
08/03/16 22:45:40 IG4OK5JV
「西洋」へ、気持の惹かされることは、決して無理に否定さるべきものではないと思います。真の芸術は芸術家の「おのずからなる姿勢」のみから生まれるものでしょう。
近頃近代の超克といい、東洋へかえれ、日本へかえれといわれる。その主唱者は立派な方々ですが、
なまじっかの便乗者や尻馬にのった連中の、そこここにかもし出している雰囲気の汚ならしさは、一寸想像のつかぬものがあると思います。
我々は日本人である。我々のなかに「日本」がすんでいないはずがない。この信頼によって「おのずから」なる姿勢をお互いに大事にしてまいろうではございませんか。

平岡公威18歳
東文彦への書簡から


116:法の下の名無し
08/03/16 22:46:06 IG4OK5JV
いやなことと申せば今度も空襲がまいりそうですね。こうして書いております夜も折からの警戒警報のメガホンの声がかまびすしい。
一体どうなりますことやら。
しかしアメリカのような劣弱下等な文化の国、あんなものにまけてたまるかと思います。

平岡公威18歳
東文彦への書簡から

117:法の下の名無し
08/03/16 23:02:40 IG4OK5JV
文学の上では日本は今こそ世界唯一であり、また当然世界第一でありましょう。
ムッソリーニにはヒットラアより百倍も好意をもっていますので、一しおの哀感をおぼえました。ムッソリーニも亦、ニイチェのように、
愚人の海に傷ついた人でありましょう。英雄の悲劇の典型ともいうべきものがみられるようにおもいました。
かつて世界の悲劇であったのはフランスでしたが、今度はイタリーになりました。スカラ座もこわれたようですね。
米と英のあの愚人ども、俗人ども、と我々は永遠に戦うべきでありましょう。俗な精神が世界を覆うた時、それは世界の滅亡です。
萩原氏が自ら日本人なるが故に日本人を、俗なる愚人どもを、体当りでにくみ、きらい、さげすみ、蹴とばした気持がわかります。

平岡公威18歳
東文彦への書簡から


118:法の下の名無し
08/03/17 11:58:24 91XnoqyO
国家儀礼と申せば、この間新響へゆきましたら、ただ戦歿勇士に祈念といえばよいものを、ラウド・スピーカアが、
やれ「聖戦完遂の前に一億一心の誓を示して」どうのこうのと御託宣をならべるので、ヒヤリとしたところへ、「祈念」という号令、
トタンにオーケストラが「海行かば」を演奏、―まるで浅草あたりの場末の芝居小屋の時局便乗劇そのままにて、冒涜も甚だしく、憤懣にたえませんでした。

平岡公威18歳
徳川義恭への書簡から


119:法の下の名無し
08/03/17 12:17:01 91XnoqyO
国家儀礼の強要は、結局、儀式いや祭事というものへの伝統的な日本固有の感覚をズタズタにふみにじり、
本末を顛倒し、挙句の果ては国家精神を型式化する謀略としか思えません。
主旨がよい、となればテもなく是認されるこの頃のゆき方、これは芸術にとってもっとも危険なことではありますまいか。
平岡公威18歳
徳川義恭への書簡から


120:法の下の名無し
08/03/17 12:25:31 91XnoqyO
今度の学制改革で来年か、さ来年、私も兵隊になるでしょうが、それまで、日本の文学のために戦いぬかねばならぬことが沢山あります。
去年の戦果に、国外国内もうこれで大丈夫と皆が思っていた時、学校へ講演に来られた保田與重郎氏は、これからが大事、これからが一番危険な時期だと云われましたが、今にしてしみじみそれがわかります。
文学を護るとは、護国の大業です。文学者大会だなんだ、時局文学生産文学だ、と文学者がウロウロ・ソワソワ鼠のようにうろついている時ではありません。

平岡公威18歳
徳川義恭への書簡から


121:法の下の名無し
08/03/17 14:43:04 91XnoqyO
僕らは卑怯な健康よりもデカダンをとる。デカダンの中にあるはるかな未来への輝きと能動も熟知しているのだ。

僕らが浪漫主義を主張したことは、悲しみと憤り、歎きと憂いの混淆した境地の主張だった。

保田與重郎


122:法の下の名無し
08/03/17 14:47:06 91XnoqyO
私は日本民族の永遠を信じる。
今や三島氏は、彼がこの世の業に小説をかき、武道を学び、演劇をし、楯の会の分列行進を見ていた、数々のこの世の日々よりも、多くの国民にとってはるかに近いところにいる。
今日以後も無数の国民の心に生きるようになったのだ。そういう人々とは、三島由紀夫という高名な文学を一つも知らない人々の無数をも交えている。

保田與重郎


123:法の下の名無し
08/03/17 14:48:55 91XnoqyO
総監室前バルコニーで太刀に見入っている三島氏の姿は、この国を守りつたえてきたわれらの祖先と神々の、最もかなしい、かつ美しい姿の現にあらわれたものだった。
しかしこの図の印象は、この世の泪という泪がすべてかれつくしても、なおつきぬほどのかなしさである。
豊麗多彩の作家は最後に天皇陛下万歳の声をのこして、この世の人の目から消えたのである。日本の文学史上の大作家の現身は滅んだ。

保田與重郎


124:法の下の名無し
08/03/24 10:38:20 bwFkh/OT
「花ざかりの森」の作者は全くの年少者である。どういう人であるかということは暫く秘しておきたい。それが最もいいと信ずるからである。
もし強いて知りたい人があったら、われわれ自身の年少者というようなものであるとだけ答えておく。
日本にもこんな年少者が生まれて来つつあることは何とも言葉に言いようのないよろこびであるし、日本の文学に自信のない人たちには、この事実は信じられない位の驚きともなるであろう。

蓮田善明
昭和16年「文芸文化」

125:法の下の名無し
08/03/24 10:46:49 bwFkh/OT
この年少の作者は、しかし悠久な日本の歴史の請し子である。
我々より歳は遙かに少いが、すでに、成熟したものの誕生である。此の作者を知ってこの一篇を載せることになったのはほんの偶然であった。
しかし全く我々の中から生まれたものであることを直ぐに覚った。そういう縁はあったのである。

蓮田善明
昭和16年「文芸文化」

126:法の下の名無し
08/03/24 10:48:27 bwFkh/OT
交遊に乏しい私も、一年に二人か一人くらいづつ、このように国文学の前にたたずみ、立ちつくしている少年を見出でる。
「文芸文化」に〈花ざかりの森〉〈世々に残さん〉を書いている二十歳にならぬ少年も亦その一人であるが、悉皆国文学の中から語りいでられた霊のような人である…。

蓮田善明
昭和18年「文学」


127:法の下の名無し
08/03/24 11:41:03 bwFkh/OT
前略
「蓮田善明とその死」感激と興奮を以て読み了えました。毎月、これを拝読するたびに魂を振起されるような気がしました。
この御作品のおかげで、戦後二十数年を隔てて、蓮田氏と小生との結縁が確められ固められた気がいたしました。
御文章を通じて蓮田氏の声が小生に語りかけて来ました。
蓮田氏と同年にいたり、なおべんべんと生きているのが恥ずかしくなりました。
一体、小生の忘恩は、数十年後に我身に罪を報いて来るようであります。
今では小生は、嘘もかくしもなく、蓮田氏の立派な最期を羨むほかに、なす術を知りません。

三島由紀夫
昭和42年
小高根二郎への書簡から

128:法の下の名無し
08/03/25 11:38:29 N8CtCR+2
歴史を喪ったわれわれが、いのちを振い起そうとして今日古典に索めるのは、
歴史を失ってかえって不逞にも己を傲るためにとて万葉集に擬している輩のようなことでもなく、「御時勢」でもない。
古典をまどい尋ねているのは、われわれのうしなったいのちへの郷愁の情である。

今日はこのように郷愁するものが妖雲を打ち撥っている。それは単に武力のすることでなく、たけび立つ皇国人の全生命の堪えがたくて決断するところである。

蓮田善明


129:法の下の名無し
08/03/25 12:04:54 N8CtCR+2
芸術とは、芸術へ花さかしめる意気があらねばならない。

われわれの祖先に於いては、それは国振としてある。このように国のいのちの振い興っている時、「都」の精神というものが生々活々のものとなり、
「みやこび」又は「みやび」として芸術が意気以て花さいている。
それはたとえば平安朝の如く優柔と見られても、子細に省みれば、古今和歌集の如きが国振の復興として「やまと魂」を詩品にまで化したその成跡は、
実に今日まで日本人の雅情として拭い去ることのできないものを打ち樹てたのである。

蓮田善明


130:法の下の名無し
08/03/25 12:25:37 N8CtCR+2
そのような国の雅情というものが理解されず、或はかのリアリズムというようなものの影響者に軽蔑さえされている所以は、
彼等に「都」を打ちたてる意気どころか、唯国際主義的なものに、性根もなく眼奪われ随従日も足らざる世界の田舎者の呈した状況であるほかの何ものでもない。
リアリズムという念仏につんのめって手を汚している者に、耀く都の光など思いも寄らぬことである。
スケールとか手法とかを学べば学ぶだけ小ざかしく、かえって人を豊かに養うべき芸術のいのちに反して、今は芸術の勉強家たちが益々貧しくいやしく見えてきていたのは何故か。

蓮田善明
神韻の文学
昭和16年


131:法の下の名無し
08/03/25 13:02:30 N8CtCR+2
私はまづ氏(蓮田善明)が何に対してあんなに怒っていたかがわかってきた。
あれは日本の知識人に対する怒りだった。最大の「内部の敵」に対する怒りだった。

戦時中も現在も日本近代知識人の性格がほとんど不変なのは愕くべきことであり、
その怯懦、その冷笑、その客観主義、その根なし草的な共通心情、その不誠実、その事大主義、その抵抗の身ぶり、その独善、その非行動性、その多弁、その食言、
……それらが戦時における偽善に修飾されたとき、どのような腐敗を放ち、どのように文化の本質を毒したか、
蓮田氏はつぶさに見て、自分の少年のような非妥協のやさしさがとらえた文化のために、憤りにかられていたのである。

三島由紀夫


132:法の下の名無し
08/03/28 17:40:26 UNi/sU4Y
国のため、いのち幸くと願ひたる、
畏きひとや
国の為に、死にたまひたり

保田與重郎
昭和45年11月某日


133:法の下の名無し
08/03/29 16:56:06 9Jx6qKdN
わがこころ
なおもすべなし
をさな貌
まなかひに顕つを
いかにかもせむ


夜半すぎて
雨はひさめに
ふりしきり
み祖の神の
すさび泣くがに

保田與重郎
昭和45年11月某日

134:法の下の名無し
08/04/06 11:20:45 cggdvPhb
保守

135:法の下の名無し
08/04/12 15:32:49 /gKy0PNa
彼(三島)の感性は非凡なだけでなく時に大変ユニークで、常人の追随しかねる点があったけれども、人間としての器量は大きかった。
思えば、不良少年の親分を夢みるだけのことはあった。

三谷信

136:法の下の名無し
08/04/12 15:33:41 /gKy0PNa
…初等科六年の時のことである。元気一杯で悪戯ばかりしている仲間が、三島に
「おいアオジロ―彼の綽名―お前の睾丸もやっぱりアオジロだろうな」と揶揄った。
三島はサッとズボンの前ボタンをあけて一物を取り出し、
「おい、見ろ見ろ」とその悪戯坊主に迫った。それは、揶揄った側がたじろく程の迫力であった。
また濃紺の制服のズボンをバックにした一物は、その頃の彼の貧弱な体に比べて意外と大きかった。

三谷信


137:法の下の名無し
08/04/12 15:35:59 dpHM6NdG
蓮田善明氏は、「赤ちゃんポスト」を設置した熊本の病院の院長の
実父だって、先日の日経夕刊に出ていたな。

138:法の下の名無し
08/04/14 11:35:08 s3SZUHAU
三島由紀夫は死ぬ前、「奔馬」の取材で熊本へ行き、蓮田善明さんの家族に会いに行ったようだから、その人は三島由紀夫と面識があるかもね

139:法の下の名無し
08/04/17 11:41:41 DGOd2Wb0
終戦前のことですが、荷物の疎開でズック袋やトランクをいくつも荷造りしましたが、
そのときも公威は、荷造りの手伝いをしたり、それぞれの荷物の中身を克明に手帳に記入してくれたり、自動車で運びにくい品物は大八車を借りて来て弟妹と三人で運んでくれました。
…公威はつねに先頭になっていやな仕事を引き受けて、ずいぶんこの弱い私を助けはげまし、一家の心の支柱となってくれました。

平岡倭文重


140:法の下の名無し
08/04/17 11:42:14 DGOd2Wb0
(三島は)銀座方面に出かけるとき、海外旅行に出かけるとき、ちょっとたのむとかならずなんでも買ってきます。
…忘れたら忘れたでよいと申しましたが、数軒さがしてやっとあったと注文しないパイプも買って来てくれました。
いかなる些細なことでも、たのめばかならず履行してくれます。

平岡梓


141:法の下の名無し
08/04/17 11:55:59 DGOd2Wb0
彼は(三島は)無限の敵、即ち日本文化、いや日本を腐敗させつつあるものへ、自分の命、絶対の価値ある自分の命を投げつけた。
彼は敵に向い最後迄断然逃げなかった。
…彼は自分の愛するもの(これには自分の家族も入る)に、自分の最上のものを捧げたかった。
それは自分の命、これである。

三谷信


142:法の下の名無し
08/04/17 12:02:52 DGOd2Wb0
世人は彼の死を嘲笑した。これは彼の敵の正体を、世人が未だ理解していない時に死んだからか?
多くの人、中には名声にあっては一流人が、まるで見当違いのことをいって、彼の死を手軽に料理している。
しかしいつでも彼の死は早すぎるのだろう。
“死”は誰でも逃げたいものだから。

三谷信

143:法の下の名無し
08/04/17 12:15:07 DGOd2Wb0
彼は稀なる作家、思想家、そして文化人であった。
自分の思想のために、生涯の頂点で、世人の軽蔑は覚悟の上で死ねる者が何人居るか。
彼と思想を異にするのは全く自由であるが、嘲笑するには先ず自分の考えに殉じて死ねる者でなければなるまい。
なぜなら、彼の死は冷静な死であったから。

三谷信

144:法の下の名無し
08/04/17 12:16:21 DGOd2Wb0
彼は少年時代に戻って死んだ。
少年時代、彼は日本文化に殉ずる心で生きて居た。その心で死んだ。
純粋という点では、学習院高等科学生の頃の姿で死んだ。
所詮作家からはみ出した男、言葉で適当に金を儲けることを、出来るがやらぬ男であった。

三谷信


145:法の下の名無し
08/04/21 12:03:07 np7kVrcN


146:法の下の名無し
08/04/21 15:42:44 eZbtPHT8
「豊饒の海」は、いわば本質的に強烈な挑戦をふくんだ作品であり、今なお解きほごしがたい数々の謎と問題をはらんで、ぼくらの前に屹立している。

佐伯彰一


147:法の下の名無し
08/04/21 15:52:11 eZbtPHT8
三島は多彩な文体を使いこなし、とくに古い雅語の使用にかけては同世代の作家の中で特異な存在だった。
しかも、それを無理なく、自信をもって、美しく使った。
その点ではジョイス的と言える。ジョイスは何人もの異なる人間になることができたが、三島もそうだった。

エドワード・サイデン・ステッカー


148:法の下の名無し
08/04/25 16:26:24 yO6393yn
その夕べの焔、夜ふけの焔、夜のひきあけに近い時刻の焔は、いずれもまったく同じ焔でもなければ、
そうかと云って別の焔でもなく、同じ燈明に依存して、夜もすがら燃えつづけるのだ…

緑生としての個人の存在は、実体的存在ではなく、この焔のような「事象の連続」に他ならない。

時間とは輪廻の生存そのものである。

三島由紀夫
「暁の寺」より


149:法の下の名無し
08/04/25 16:26:54 yO6393yn
最高の道徳的要請によって、阿羅耶識と世界は相互に依為し、世界の存在の必要性に、阿羅耶識も亦、依拠しているのであった。
しかも現在の一刹那だけが実有であり、一刹那の実有を保証する最終の根拠が阿羅耶識であるならば、
同時に、世界の一切を顕現させている阿羅耶識は、時間の軸と空間の軸の交わる一点に存在するのである。

三島由紀夫
「暁の寺」より

150:法の下の名無し
08/04/25 16:27:47 yO6393yn
刹那刹那の海の色の、あれほどまでに多様な移りゆき。
雲の変化。そして船の出現。……そのたびに一体何が起るのだろう。
生起とは何だろう。
刹那刹那、そこで起っていることは、クラカトアの噴火にもまさる大変事かもしれないのに、人は気づかぬだけだ。
存在の他愛なさにわれわれは馴れすぎている。
世界が存在しているなどということは、まじめにとるにも及ばぬことだ。

三島由紀夫
「天人五衰」より


151:法の下の名無し
08/04/25 16:28:34 yO6393yn
生起とは、とめどない再構成、再組織の合図なのだ。遠くから波及する一つの鐘の合図。
船があらわれることは、その存在の鐘を打ち鳴らすことだ。
たちまち鐘の音はひびきわたり、すべてを領する。海の上には、生起の絶え間がない。
存在の鐘がいつもいつも鳴りひびいている。一つの存在。

三島由紀夫
「天人五衰」より


152:法の下の名無し
08/04/25 16:38:45 yO6393yn
本当の天才とは、簡単には説明することのできない能力の持ち主のことだ。
シェイクスピアは天才だった。モーツァルトも、レオナルド・ダヴィンチも、紫式部も天才だった。
私がこれまでに出会ったすべての人々のなかで、「この人は天才だ」と思った人は二人しかいない。一人は中国文学および日本文学の偉大な翻訳家であったアーサー・ウェイリーである。
…中略…
そして、私の出会ったもう一人の天才が三島由紀夫である。

ドナルド・キーン


153:法の下の名無し
08/04/26 15:45:27 ExPq70el
三島由紀夫の仏教理解が、いかに徹底したものか。
三島は決して、そこらへんの日本人がやりたがるように、「般若心経」の解説なんぞしはしない。
宗教音痴の日本人に仏教の神髄を理解せしむるために、「ミリンダ王の問い」を(暁の寺で)引用し解説する。
これのみにて三島の仏教理解の深さ、はるかに日本人を越えていると評せずんばなるまい。

小室直樹

154:法の下の名無し
08/04/30 11:01:29 q2dLRnv6
アメリカ人が六代目の鏡獅子を本当に味解しようとする努力、
―と云ふより大国民としての余裕を持つてゐたら戦争は起らなかつた。
文化への不遜な態度こそ、戦争の諸でありませう。
日本の高邁な文化を冒涜する国民は必ず神の怒りにふれるのです。

平岡公威
昭和20年
三谷信への葉書から


155:法の下の名無し
08/04/30 12:23:13 q2dLRnv6
彼(三島)は幼時、友達に、自分の生まれた日のことを覚えていると語った。
彼はそのことを確信していた。そしておそらく、外にもその記憶をもつ人が何人かあると素直に考えていたのであろう。
初等科に入って間もない頃、つまり新しく友人になった者同士が互いにまだ珍しかった頃、ある級友が
「平岡さんは自分の産まれた時のことを覚えているんだって!」と告げた。その友人と私が驚き合っているとは知らずに、彼が横を走り抜けた。
春陽をあびて駆け抜けた小柄な彼の後ろ姿を覚えている。

三谷信

156:法の下の名無し
08/05/04 17:06:56 8bhuARYH
保守

157:法の下の名無し
08/05/11 22:52:20 9KyOQTo+
三島由紀夫が中国へ抗議声明を出した文化大革命について

文化大革命(ぶんかだいかくめい)は、中華人民共和国で1960年代後半から1970年代前半まで続いた政治・社会・思想・文化の全般にわたる改革運動。
プロレタリア文化大革命ともいう。はじめ毛沢東指示のもと林彪が主導、劉少奇からの政権奪権が目的であり、その死後は四人組に率いられて
毛沢東思想に基く独自の社会主義国家建設を目指したが、実質は中国共産党指導部における大規模な武力を伴う権力闘争であり、
指導部に煽動された暴力的な大衆運動によって、当初は事業家などの資本家層が、さらに学者、医者、などの知識人等が弾圧の対象となった。
しかしその後、弾圧の対象は中国共産党員も弾圧の対象となり、多くの人材や文化財などが被害を受けた。
期間中の死亡者、行方不明者の数は数百万人とも数千万人とも言われ、事実上の自国民のホロコースト状態であったと言っても過言ではない。
またこの革命の芽はカンボジア内戦へ飛び火し、クメールルージュの自国民の大量虐殺と密接な関係がある。

当時の抗議声明文が載ってるサイト
URLリンク(dogma.at.webry.info)

158:法の下の名無し
08/05/14 17:32:16 aRC4TByp
三島由紀夫氏から送られ、私が建白書だと称しているものは、「内閣」の印のあるB4判用紙にタイプされ複写された24枚に及ぶ文書で、黒紐でとじられていた。
表題は「武士道と軍国主義」及び「正規軍と不正規軍」と名付けられ、二編に分かれていた。

三島氏は昭和45年、自刃の年の7月上旬、当時の保利官房長官に、防衛に関する意見を求められた。
そこで日頃からの持論を口述し、それを、タイプ印刷にしてこの書類にまとめた。
これは、佐藤総理と官房長官が目を通したのち、閣僚会議に提出される手筈になっていたのだが、このことを知った防衛庁長官中曽根康弘氏が、長文の手紙を保利氏に寄せ、閣僚会議に出すことを阻止したものである、と私は信じている。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長

159:法の下の名無し
08/05/19 15:09:49 wSkLv9S0
交戦中に殺された男の最後の記録を読んではじめて、戦争というものが本当にどんなものかわかりはじめた。
…日本軍の兵士たちの耐えた困苦のほどは圧倒的な感動をよびおこした。
それに引きかえ、週に一度検閲しなければならないアメリカ軍の兵士たちの手紙には、何の理想もなく、またたしかに何の苦しみもなく、ただただもとの生活に戻りたいということだけが書かれていた。
戦争中ずっとこの対照が私の心につきまとってはなれなかった。

ドナルド・キーン
「日本との出会い」より

160:法の下の名無し
08/05/19 15:34:50 wSkLv9S0
そうです。ぼくは、非常に近い距離からアメリカの軍隊を見ていました。
しかし、理想をいだいて戦っているような米兵には、ただの一度もお目にかかったことがありませんでした。それは確実に言えることです。
「もっといい世界のために、自分は戦死してもいい」などという文句は、アメリカの兵士の手紙の中には、こんりんざいなかったのですから。
日本の兵士は、家族に送る手紙の中ででも、「滅私奉公」とか「悠久の大義」などという言葉を使っていました。
ぼくは、日本の軍国主義者の理想を受け入れることは絶対にできなかったが、このような手紙を書き、日記をつけた個々の日本兵士には、敬意をいだかずにはいられませんでした。
結局、日本人こそ勝利に値するのではないかと信ずるにいたった。

ドナルド・キーン


161:法の下の名無し
08/05/27 00:39:26 +Un1zouH
三島よ。

162:法の下の名無し
08/05/27 17:27:27 QMB7g+pw
「洋食の作法は下らないことのようだが」と本多は教えながら言った。
「きちんとした作法で自然にのびのびと洋食を喰べれば、それを見ただけで人は安心するのだ。
一寸ばかり育ちがいいという印象を与えるだけで、社会的信用は格段に増すし、日本で『育ちがいい』ということは、つまり西洋風な生活を体で知っているということだけのことなんだからね。
純然たる日本人というのは、下層階級か危険人物かどちらかなのだ。
これからの日本では、そのどちらも少なくなるだろう。
日本という純粋な毒は薄まって、世界中のどこの国の人の口にも合う嗜好品になったのだ」

三島由紀夫
「天人五衰」より


163:法の下の名無し
08/05/27 17:29:24 QMB7g+pw
「…僕は君のような美しい人のために殺されるなら、ちっとも後悔しないよ。
この世の中には、どこかにすごい金持の醜い強力な存在がいて、純粋な美しいものを滅ぼそうと、虎視眈々と狙っているんだ。
とうとう僕らが奴らの目にとまった、というわけなんだろう。
そういう奴相手に闘うには、並大抵な覚悟ではできない。奴らは世界中に網を張っているからだ。
はじめは奴らに無抵抗に服従するふりをして、何でも言いなりになってやるんだ。そうしてゆっくり時間をかけて、奴らの弱点を探るんだ。
ここぞと思ったところで反撃に出るためには、こちらも十分力を蓄え、敵の弱点もすっかり握った上でなくてはだめなんだよ。

三島由紀夫
「天人五衰」より

164:法の下の名無し
08/05/27 17:30:43 QMB7g+pw
純粋で美しい者は、そもそも人間の敵なのだということを忘れてはいけない。
奴らの戦いが有利なのは、人間は全部奴らの味方に立つことは知れているからだ。
奴らは僕らが本当に膝を屈して人間の一員であることを自ら認めるまでは、決して手をゆるめないだろう。
だから僕らは、いざとなったら、喜んで踏絵を踏む覚悟がなければならない。
むやみに突張って、踏絵を踏まなければ、殺されてしまうんだからね。
そうして一旦踏絵を踏んでやれば、奴らも安心して弱点をさらけ出すのだ。それまでの辛抱だよ。
でもそれまでは、自分の心の中に、よほど強い自尊心をしっかり保ってゆかなければね」

三島由紀夫
「天人五衰」より


165:法の下の名無し
08/05/31 12:13:55 WT1BGESm
三島痛かっただろう
痛いなんてもんじゃないぜ

166:法の下の名無し
08/06/02 15:10:38 rQFzIx8s
(三島が)『自由』に書いた論文も、原稿40枚分と云って語ってもらい、原稿に起こしたら、一切訂正の必要なく、最後の句点でちょうど40枚になったのは驚くべき才である。

西尾幹二

167:法の下の名無し
08/06/02 15:16:32 rQFzIx8s
『新潮』の昭和45年2月号で“文学の宿命”と題して三島について述べたが、『国文学』の同年5月号の三好行雄との対談で三島がこの拙論を肯定的に取り上げてくれた。
当時若い評論家は、三島を褒めないことが処世術であった。

西尾幹二

168:法の下の名無し
08/06/02 15:17:12 rQFzIx8s
ワイルドはその逆説によって近代をとびこえて中世の悲哀に達した。
イロニカルな作家はバネをもっている人形のように、あの世紀末の近代から跳躍することができた。
彼は19世紀と20世紀の二つの扇をつなぐ要の年に世を去った。
彼は今も異邦人だ。だから今も新しい。
ただワイルドの悪ふざけは一向気にならないのに、彼の生まじめは、もう律儀でなくなった世界からうるさがられる。
誰ももう生まじめなワイルドは相手にすまい。
あんなに自分にこだわりすぎた男の生涯を見物する暇がもう世界にはない。

三島由紀夫
「オスカア・ワイルド論」より


169:法の下の名無し
08/06/02 16:11:48 rQFzIx8s
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に、日本のアニメ「巌窟王」の音楽を担当したジャン・ジャック・バーネル(フランス人)がいますが、
ジャンは70年代の伝説の英国パンク・ロック・グループ、ストラングラーズの名ベーシストでした。
バンドの3rdアルバム『ブラック&ホワイト』には「ユキオ」の副題が付けられた「デス&ナイト&ブラッド」(死と夜と血)という曲や、次のアルバム『レイヴン』の「アイス」という曲にもハガクレという言葉が出てきます。

「死と夜と血」

俺が彼の瞳のなかに
あのスパルタを見た時

夭折はいいこと
だから俺たちは決めたんだ

死ぬこと以上に
すばらしい愛はないと

俺は俺の肉体を
俺の武器にまで
鍛えあげるんだ

ジャンは三島の熱心な愛読者でもあり、極真会館の道場生でした。現在は士道館の空手ロンドン支部長をしているそうです。

170:法の下の名無し
08/06/02 16:12:28 rQFzIx8s
78年12月に単独来日した際にジャンは、「なぜ日本はこんなアメリカ・ナイズされているのか、日本の若者は眠っているのか」と怒りまくったという逸話があり、
「米国資本の市場戦略は安逸な快楽を与え、人々の感性を鈍らせることから始まっている。
それはヨーロッパの伝統的な明晰さにとって第一の敵といえるが、
日本人もそれに毒されている自分たちを自覚し民族の知的遺産である伝統、それは魂(スピリット)といっていいが、それを救出しなければならない。」と誌面にメッセージを残しています。


171:法の下の名無し
08/06/09 12:12:50 RLGhZL2k
二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。
生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。
それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきパチルスである。
こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。
おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。
政治も、経済も、社会も、文化ですら。

三島由紀夫
「果てし得ていない約束―私の中の二十五年」より

172:法の下の名無し
08/06/09 12:40:40 RLGhZL2k
私は昭和二十年から三十二年ごろまで、大人しい芸術至上主義者だと思われていた。
私はただ冷笑していたのだ。或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。
そのうちに私は、自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦わなければならない、と感じるようになった。
(中略)
この二十五年間、思想的節操を保ったという自負は多少あるけれども、そのこと自体は大して自慢にならない。
(中略)
それよりも気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである。
否定により、批判により、私は何事かを約束して来た筈だ。
政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。

三島由紀夫
「果たし得ていない約束―私の中の二十五年」より

173:法の下の名無し
08/06/09 12:51:01 RLGhZL2k
個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私のやってきたことは、ずいぶん奇矯な企てであった。まだそれはほとんど十分に理解されていない。
もともと理解を求めてはじめたことではないから、それはそれでいいが、私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、
その実践によって、文学に対する近代主義的盲信を根底から破壊してやろうと思って来たのである。

三島由紀夫
「果たし得ていない約束―私の中の二十五年」より

174:法の下の名無し
08/06/09 13:11:23 RLGhZL2k
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。

三島由紀夫
「果てし得ていない約束―私の中の二十五年」より


175:法の下の名無し
08/06/12 17:18:20 u1KGo8xb
明治維新のときは、次々に志士たちが死にましたよね。
あのころの人間は単細胞だから、あるいは貧乏だから、あるいは武士だから、それで死んだんだという考えは、ぼくは嫌いなんです。
どんな時代だって、どんな階級に属していたって、人間は命が惜しいですよ。
それが人間の本来の姿でしょう。命の惜しくない人間がこの世にいるとは、ぼくは思いませんね。
だけど、男にはそこをふりきって、あえて命を捨てる覚悟も必要なんです。

三島由紀夫
「古林尚との対談―最後の言葉」より


176:法の下の名無し
08/06/12 17:34:16 u1KGo8xb
あの遺稿集(きけわだつみのこえ)は、もちろんほんとに書かれた手記を編集したものでしょう。
だが、あの時代の青年がいちばん苦しんだのは、あの手記の内容が示しているようなものじゃなくて、ドイツ教養主義と日本との融合だったんですよね。
戦争末期の青年は、東洋と西洋といいますか、日本と西洋の両者の思想的なギャップに身もだえして悩んだものですよ。
そこを突っきって行ったやつは、単細胞だから突っきったわけじゃない。やっぱり人間の決断だと思います。
それを、あの手記を読むと、決断したやつがバカで、迷っていたやつだけが立派だと書いてある。
そういう考えは、ぼくは許せない。

三島由紀夫
「古林尚との対談―最後の言葉」より

177:法の下の名無し
08/06/13 23:49:52 PH7yroEA
三島由紀夫の著作は単なる消費のための文学ではない。
それは革命書であり、政治文書であり、宗教書である。
あるいは一言でいえば「日本民族の聖書」である。

没後まだ30数年であるから三島から目を背けようとする
やからが居てもしかたあるまい、いや、彼らの存在こそが
聖書の魔力を認めているようなものなのである。

わたしは三島の著作を人に勧めない。なぜならばそれは
コーランや旧約聖書のように民族が読むべき「義務」だからである。

178:法の下の名無し
08/06/17 20:59:46 bHae3AuE
URLリンク(www.geocities.jp)

檄文 三島由紀夫


URLリンク(www.geocities.jp)

演説文 三島由紀夫

179:法の下の名無し
08/06/17 22:40:26 tu/foBLh
日本は緑色の蛇の呪いにかけられている

三島由紀夫

180:法の下の名無し
08/06/17 22:42:50 tu/foBLh
インドにいける奴といけない奴がいる。それは個人のカルマによる。
君がインドに行くのではない。インドが君を呼ぶんだ。
三島由紀夫

181:法の下の名無し
08/06/17 22:44:38 tu/foBLh
抵抗はやれ
抵抗は死に身でやれ
遊び半分はやるな

三島由紀夫

182:法の下の名無し
08/06/18 10:48:20 wJ/1aTdx
夕焼を見る。海の反射を見る。すると安里は、生涯のはじめのころに、一度たしかに我身を訪れた不思議を思い返さずにはいられない。
…安里は自分がいつ信仰を失ったか、思い出すことができない。
ただ今もありありと思い出すのは、いくら祈っても分かれなかった夕映えの海の不思議である。奇蹟の幻影より一層不可思議なその事実。
何のふしぎもなく、基督の幻をうけ入れた少年の心が、決して分かれようとしない夕焼の海に直面したときのあの不思議……。

三島由紀夫
「海と夕焼」より


183:法の下の名無し
08/06/18 10:49:07 wJ/1aTdx
安里は遠い稲村ヶ崎の海の一線を見る。信仰を失った安里は、今はその海が二つに割れることなどを信じない。
しかし今も解せない神秘は、あのときの思いも及ばぬ挫折、とうとう分かれなかった海の真紅の煌めきにひそんでいる。
おそらく安里の一生にとって、海がもし二つに分かれるならば、それはあの一瞬を措いてはなかったのだ。
そうした一瞬にあってさえ、海が夕焼に燃えたまま黙々とひろがっていたあの不思議……。

三島由紀夫
「海と夕焼」より


184:法の下の名無し
08/06/18 10:51:03 wJ/1aTdx
この主題(『海と夕焼』の)はおそらく私の一生を貫く主題になるものだ。
人はもちろんただちに、「何故神風が吹かなかったか」という大東亜戦争のもっとも怖ろしい詩的願望を想起するであろう。
なぜ神助がなかったか、ということは、神を信ずる者にとって終局的決定的な問いかけなのである。
『海と夕焼』は、しかし、私の戦争体験のそのままの寓話化ではない。
むしろ、私にとっては、もっとも私の問題性を明らかにしてくれたのが戦争体験だったように思われ、
「なぜあのとき海が二つに割れなかったか」という奇蹟待望が自分にとって不可避なことと、同時にそれが不可能なこととは、実は『詩を書く少年』の年齢のころから、明らかに自覚されていた筈なのだ。

三島由紀夫
「海と夕焼」自作解説より

185:法の下の名無し
08/06/18 11:01:42 wJ/1aTdx
われらはもはや神秘を信じない。
自ら神風となること、自ら神秘となることとは、そういうことだ。
人をしてわれらの中に、何ものかを祈念させ、何ものかを信じさせることだ。
その具現がわれらの死なのだ。

三島由紀夫
「英霊の声」より

186:法の下の名無し
08/06/18 11:16:33 wJ/1aTdx
われらには、死んですべてがわかった。
死んで今や、われらの言葉を禁める力は何一つない。
われらはすべてを言う資格がある。何故ならわれらは、まごころの血を流したからだ。

三島由紀夫
「英霊の声」より


187:法の下の名無し
08/06/19 22:32:44 s7zj+ORU
合言葉は
ミシマ。
君はミシマチルドレンを
知っているか。
三島由紀夫に選ばれた
スーパーエリートたち。
日本には そのまさか があるんだよ。

188:法の下の名無し
08/06/20 01:16:04 ORTkkqTz
もう 始まっているからね

アキラ
ラストシーン
老少女エスパーの言葉

189:法の下の名無し
08/06/23 15:22:03 L4knhb2p
三島氏は、日本人について、「繊細優美な感受性と、勇敢な気性との、たぐい稀な結合」と云った。
そして「これだけ精妙繊細な文化伝統を確立した民族なら、多少野蛮なところがなければ衰亡してしまう」と云う。
この史観と実践倫理を、彼の一代の生き方の上に重ねた時、わが身心は、ただおののく感じである。

保田與重郎
「ただ一人」より

190:法の下の名無し
08/06/24 02:27:29 DEE0J3mu
自衛隊と言う世界で生きた人間の心理
もろ今の北朝鮮の洗脳された兵士の叫び
もっと賢い人間かと思った
一般社会じゃ生きにくいわな。

191:法の下の名無し
08/06/24 14:22:33 qqr2AOmH
三島由紀夫が自らの生命を賭けて反対した思想の重要な側面は、この、手続きさえ合っていれば、その政策や行動の内容は問わないという、敗戦後のわが国の文化風土だったのではないか。
彼の目に、それは思想的退廃としか映らなかったのである。
…しかし、多くのメディアや芸術家は、彼の行動の華々しさや烈しさに目を奪われて、それを右翼的な暴発としか見なかった。

辻井喬
「叙情と闘争」(読売新聞連載回顧録)より


192:法の下の名無し
08/06/24 14:30:29 qqr2AOmH
>>190
三島由紀夫は文学者です。
自衛隊で生きた人間ではありません。

193:法の下の名無し
08/06/24 17:13:13 vcD0jCf0
文学者として死んだのではありません。
戦闘者、防人として死んだのです。
晩年はシャーマン的側面も見られます。
陽明学、唯識、古神道を学ばずして三島を評価できません。

194:法の下の名無し
08/06/24 19:38:31 DEE0J3mu
自衛隊精神が軸で文学を学んだ人間じゃないの


195:法の下の名無し
08/06/25 02:08:05 mz+yXj9L
このスレの最初から最後まで、精読させていただきました。
投稿者の方、ここまで書き込むのは大変だったでしょうが、お疲れ様です。

三島が自衛隊で決起を促してから38年。
三島が指摘した日々すすむ「日本人の魂の癌症状」は、ついに末期症状にまで及んだ感がありますね。
これからも日本人の精神荒廃は、年を追うごとに加速度的に拡がっていくでしょう。
そして近いうち、日本人の身体から生命そのものを再起不能な程に永遠に抜き去ってしまうに違いない。

もう気づいても遅すぎるところまで来てしまった。

彼が決起書で提起した問題の深刻さも、まだ十分に理解されていない気がします。
日本人は現実社会に適応して、理想を捨ててしまった。
近頃増えている不気味な無差別事件も、西欧化の極致に追い込まれた日本社会があげる悲鳴のうな気がしてならないです。

先の大戦の終戦間近には「一億総玉砕」なんて軍首脳は狂ったことを言っていましたけど、ただ一方で、
戦後のこのような情けない、屈辱的な日本社会を歩むくらいだったら総玉砕していた方が幸せだったのかもしれない、
と最近思うようになってます。
もう「日本」は消えてなくなってしまった。
今私たちが住むの国は「日本」などではなく、「日本」に近い呪われた別の他国ではないのでしょうか・・・。

196:法の下の名無し
08/06/25 14:44:25 2Bn1lmob
>>195
閲覧ありがとうございます。最初は文学板の三島スレに書いてましたが、アンチ三島(たぶん三島をよく理解していない人か反日外国人)の妨害で、こちらにあったスレにぽつぽつ書き留めてました。
三島の著書を読むと40年近く前の人なのに、今の日本の現状を暗示していたことがよく解ります。
三島は日本の未来を危惧していたと思います。
米国追随型の行きすぎた経済優先、功利優先社会による日本人の精神の崩壊と魂の死から、
未来の日本を護るためにはどうしたらいいのか模索したのだと思います。
米国追随の行きすぎた市場経済優先主義も、一党独裁をはらむ共産主義も両方、
日本の伝統、美、言論の自由、文化芸術を破壊するものとして、三島由紀夫は憎んだのだと思います。


197:法の下の名無し
08/06/25 23:29:13 hZuCnin9
死を選択した小さな無差別テロリスト達は悪行政が生み出したのだ。
政府が弱者を切り捨て法案出す度に、加害者、被害者、関係無く死人が急激に増え続けてる。
医療費削減、障害者削減、高齢者削減、政府の望み通りに事は進む。
何の選択肢の無い者は自殺に追い込まれ、三万人超、絶望感に包まれ荒れ狂う孤独なテロリストは増え続けるだろう。
誰もが心の闇に狂気を隠し持っているからだ。
どんな思想があろうとも我欲に勝てない人間は同じ結果を繰り返すだけだ。

三島 みづを

198:法の下の名無し
08/06/26 11:08:31 7cwaCGeJ
すべての国民が悪魔に魂を売り、経済の高度成長と取引をしたように、現世相は一応思えるかもしれぬが、国の正気の脈々としたものが、必ず潜流しているにちがいないと私は思う。
それなくしては日本はなくなり、人類も、理想も、文明も消滅するのである。
人類に意志はなくとも、生命の起源に於て、天地との約束はあったと思う。これを神々という御名でよぶことを、私はためらはない。

保田與重郎
「ただ一人」より

199:法の下の名無し
08/06/26 11:33:19 7cwaCGeJ
あの市ヶ谷での事件は、政治的なニヒリズムにもとづくパフォーマンスでも、非現実的なクーデタでもない。
三島は大塩平八郎と同様に、それが必ず失敗する事は識っていただろう。
にもかかわらずそれを試みることは、自滅ではなく、そのような大義を信じるものが日本に一人はいるということを示すための言挙げであり、
その言葉が、必ず、たとえば後世に対してであっても、聞く耳を持った者に伝わるという確信の表明だ。
故にそれはニヒリズムに似ており、ニヒリズムに発しているのだが、その大いなる否定なのである。

福田和也
「保田與重郎と昭和の御代」より

200:法の下の名無し
08/06/26 22:23:44 n23iAQ2J
>>195-196
このスレ立てた者ですが、書き込み乙です。
三島の檄文が今なお日本の政治社会状況に合致することを発見して
愕然とし、敢えて法学板に立てさせてもらいました。
文学板などでは作品としての解釈しかなされないような気がしましたし、
実際2chでもマスメディアでもアメリカへの隷従、大衆社会批判の方面
は巧妙に触れられておらず、三島の主張が矮小化されているように感じます。

>>196氏の書き込みは敬服するのみですが、しかし三島の檄文を読んでの普通の人の
感想も知りたいものです。
このスレの>>1-7の檄を読んでみなさんの所感をどんどんカキコしてほしいもんです。

201:法の下の名無し
08/06/27 23:03:30 Cew7Yb/7
三島よ・・・

202:法の下の名無し
08/06/30 16:27:49 L9EfezQh
たとえ私が狂気だったにせよ、あの狂気の中心には、光りかがやくあらたかなものがあった。
狂気の後には水晶のような透明な誠があった。

翼を切られても、鳥であることが私の狂気だったから、その狂気によってかるがると私は飛んだ。

三島由紀夫
「朱雀家の滅亡」より

203:法の下の名無し
08/06/30 16:29:52 L9EfezQh
私にはわからない。自分が今なお狂気か正気かということが、自分にはわかろう筈がない。
只一つわかることは、その正気の中心には誠はなく、みごとに翼は具えていても、その正気は決して飛ばないということだ。あたかも醜い駝鳥のように。
私は知らず、少なくともお前たちみんなは駝鳥になったのだよ。

三島由紀夫
「朱雀家の滅亡」より


204:法の下の名無し
08/07/01 14:35:31 1lQ/qkVw
三島由紀夫が尊敬していた保田與重郎の三男の直日さんは、学生時代からアラブ支持の活動をしていて、パレスチナ難民へのカンパ活動、難民救済に打ち込んでいたそうです。
そして昭和42年、中東戦争でアラブ側がイスラエルに完敗した数日後に、保田直日さんは睡眠薬を飲み自らの命を断ったとのことです。
三島由紀夫がこのことを知っていたかどうかは不明ですが、保田與重郎の三島への思いは、この息子の死とも重なり、より大きな悼みになったと思われます。

205:法の下の名無し
08/07/02 01:05:40 NH/EhOw5
まさに軍人道

206:法の下の名無し
08/07/02 11:45:08 ijjNAVmH
彼がそのわかい晩年で考えた、天皇は文化だという系譜の発想の実体は、日本の土着生活に於いて、生活であり、道徳であり、従って節度とか態度、あるいは美観、文芸などの、おしなべての根拠になっている。
三島氏が最後に見ていた道は、陽明学よりはるかにゆたかな自然の道である。
武士道や陽明学にくらべ、三島氏の道は、ものに至る自然なる随神(かんながら)の道だった。
そのことを、私はふかく察知し、粛然として断言できるのが、無上の感動である。

保田與重郎
「天の時雨」より


207:法の下の名無し
08/07/02 11:55:09 ijjNAVmH
三島氏らは、ただ一死を以て事に当たらんとしたのである。
そのことの何たるかを云々することは私の畏怖して自省究明し、その時の来り悟る日を待つのみである。私は故人に対し謙虚でありたいからである。
三島氏の文学の帰結とか、美学の終局点などという巷説は、まことににがにがしい。
その振る舞いは創作の場の延長ではなく、まだわかっていないいのちの生まれる混沌の場の現出であった。
国中の人心が幾日もかなしみにみだれたことはこの混沌の証である。

保田與重郎
「天の時雨」より


208:法の下の名無し
08/07/04 01:12:27 CF3HzBYh
人に愛された事の無い愛される事を知らない人間だろう
人の愛しかたを知らないだから愛を知らない人間が共感するのだろう
俺の方が遥かに優れてる


209:法の下の名無し
08/07/04 10:59:26 mrgoZc3g
近代西欧文明がもたらした物質万能への傾倒が、いまや極点に達していることは言うまでもない。
人間としての存在が、どうあらねばならないのか。それを問う時はきている。
三島由紀夫は、究極のところ、そのことを人々に問いかけたのだ。
作品によって問いつづけ、さらには自決によって問うた。いや、問うたというよりも、死の世界に生きることを選び、この世への「見返し」を選んだ。
五年後、十年後、いや百年後のことかもしれない。だか、そのとき三島由紀夫は、復活などというアイマイなものでなく、さらに確実な形……存在として、この世に生きるであろう。

小室直樹
「三島由紀夫と『天皇』」より


210:法の下の名無し
08/07/04 17:04:43 dfnG/9Tm
私は進学校に通う一学生ですが、蔓延するニヒリズムやモラルの堕落、静かに包囲を狭めて迫りくる
危機に対して恐怖を抱いています。
それゆえか、本質の理解には到底およばないまでも、故三島氏の訴えへの共感を禁じえません。

211:法の下の名無し
08/07/05 12:56:48 OiApUsSB
堤防の上の砂地には夥しい芥が海風に晒されていた。
コカ・コーラの欠けた空瓶、缶詰、家庭用の塗装ペイントの空缶、永遠不朽のビニール袋、洗剤の箱、沢山の瓦、弁当の殻……
地上の生活の滓がここまで雪崩れて来て、はじめて「永遠」に直面するのだ。
今まで一度も出会わなかった永遠、すなわち海に。
もっとも汚穢な、もっとも醜い姿でしか、ついに人が死に直面することができないように。

三島由紀夫
「天人五衰」より


212:法の下の名無し
08/07/05 22:47:14 wn2nY5fu
コピるだけで本質を理解してないね

213:法の下の名無し
08/07/06 11:23:24 PvmLUhqS
私と彼とは文体もちがい、政治思想も逆でしたが、私は彼の動機の純粋性を一回も疑ったことはありません。

武田泰淳


214:法の下の名無し
08/07/06 16:21:10 En65BqVh
三島が人間の本質を知らずして思う思想など使えないんだよ
役に立たない思想など作家でもできるレベル
目立つ事をやっただけの事だ
凡人よりレベルが高い思考を持ってただけ
未熟者のまま自決した


215:法の下の名無し
08/07/06 21:39:11 hLg0gM/i
>>214
「むしろ私は、心中多少の後ろめたさと、多少の羨望を感じながらも、
あんな無謀な一挙にすべてをかけた人たちを、嘲笑したろうと思われるのです。
…他人の情熱を見ると、一刻も早くその不調和、その情熱と彼自身
との間の微妙な齟齬を発見して、わが身を護るために軽い嘲笑を浮べる
のが習いでした。その気になって探せば、『ふさわしくなさ』というものは
、どこにでも見つかるのです。」
                   『奔馬』「本多の手紙」より

216:法の下の名無し
08/07/06 22:36:21 PvmLUhqS
>>214
三島由紀夫は作品のなかでも、人間の本質を追求して人間の弱さや、悪と美、世界の意義について考察や哲学をしていますよ。
だからこそ、三島は欧米型合理主義と人工甘味料的人権主義によって、未来の日本に蔓延してゆくモラル崩壊、シニカルを予見し危惧しています。


217:法の下の名無し
08/07/08 00:35:43 d46cVr22
自分の思考で経験で表現しろ説明しろ
受け売りの言葉を引っ張り出して貼付ける能力しかない
結局は本質を理解してないから応用が出来ない
未熟者に共感する者もさらに未熟者なんだよ

218:法の下の名無し
08/07/08 01:12:57 LvzRQFct
なんかおかしな人間が張り付いてますが、
三島の著作読まずに批判してるね。怖いんだろうね、三島が。
三島に対しては、異常なほど批判的な人間がいるからね。

三島が人間の本質理解していないというが、じゃああなたは
理解して、三島が間違いをしてるわけね。教えてくれるかな
人間の本質とやらを。

それからね三島の思想の全体像なんて研究者でも極められないんだよ。
一般人には著作から人間の真実の断片、片鱗を感じ取るくらいしかできない。

219:法の下の名無し
08/07/08 10:42:39 Iywm7OVJ
>>217は文学板にいるアンチ三島だよ。
しつこくしつこく三島についての引用を阻止して、あの手この手で妨害するためだけに、朝から晩まで張り付いてる奇特な人です。
三島の著書も禄に読んでないくせに、三島の本質が解ってないといって荒らしてるだけだからほっておいた方がいいよ。
たぶん反天皇主義の人だと思います。

220:法の下の名無し
08/07/08 10:44:52 Iywm7OVJ
占領時代は屈辱の時代である。虚偽の時代である。
面従背反と、肉体的および精神的売淫と、策謀と譎詐の時代である。
初子は本能的に自分がこういう時代のために生まれて来たことを感じていた。

三島由紀夫
「江口初女覚書」より


221:法の下の名無し
08/07/08 20:51:15 d46cVr22
三島は人間の真理を知らない未熟者なんだよ


222:法の下の名無し
08/07/08 22:16:59 d46cVr22
考え方なんてものは人の口から書物から得たもねなど百人が百人が受け取り方が違うんだよ。
自分の都合のいい受け取り方を人間はする
経験未熟者は未熟な受け取り方するしかない。
それは全ての事に言える
世の中の現状も人の心も一定のバランスで保たれている。
百人が百人、バランスを取るポイントが違う。
自分の事は自分しか理解できない全部自分で自分を追い込んでやっと何かが本質が見えて来る。
自分と戦わずして一点の光も見つけられない自ら暗闇の茨の道を何十年も歩き続ける。
何を理解しても変わらないのが人間だ
歴史が証明している人間は同じ事を何故繰り返すのか。
感情や欲望に自我を支配されコントロールされてる。
自分に都合のいい思想など個人の空想で妄想。


223:法の下の名無し
08/07/09 10:52:16 vg0c4iZt
>>222
あなたの論でいけば、『三島は人間の真理を知らない未熟者』というのも、結局はあなたの都合のいい受け取り方でしかないでしょう。
あなたの書き込みは、全てあなた自身にあてはまることだと思いました。
それから、三島を批判するなら、せめて三島の主要の著書くらいまともに読んで下さい。
よく知りもしないで反感や印象だけ批判しても、何の具体性も説得力もありませんよ。

224:法の下の名無し
08/07/09 16:12:04 8Yn8v5L+
三島は論争ジャーナルグループに金を渡してた田中清玄を嫌ってた。
田中の師匠、山本玄峰を三島はいかに見ていたのだろうか。
三島と山本玄峰、もしあいまみえていれば、三島翁の矍鑠とした姿が平成の世にあったではないだろうかと 淡い夢想をする。
そして見合いをし、結ばれることのなかった美智子陛下への慕情は?

225:法の下の名無し
08/07/10 12:13:16 s1zMQpk4
>>224
『春の雪』は、美智子皇后への思慕が含まれているという評者もいますが、私はそれはあまりないと思います。
見合い以前に別れた女性(四年交際していた満佐子)や、やぶれた初恋の三谷邦子(仮面の告白の園子)への思慕の方がいくつかの作品から強く感じられます。
三島由紀夫は知人(村松剛)に、あれは(春の雪)私小説なんだよ、とぽつりと漏らしたそうです。

226:法の下の名無し
08/07/10 13:59:43 9fzd8+1F
↑どうもご丁寧にありがとうございます。
関係ないけど たった今
テーラワーダ仏教のスマナサーラ老師を幡ヶ谷にて目撃しました。

227:法の下の名無し
08/07/10 23:30:04 s1zMQpk4
>>226
その方の顔は私は知りませんが、あなたが心に留めていた人を偶然、見かけるというのは、何か不思議なものがあるのかもしれないですね。
私はなぜか、お笑い系のタレントの人を偶然見かけることが多いです。私自身はそういう素質はないんですけど。


228:法の下の名無し
08/07/11 02:05:17 ynDFkGQy
↑凡人が何言ってんだよ
>私自身はそういう素質はないんですけど。
はっ?はっ?
素質?素質?素質?
やっぱり脳内がやられてるな可哀相に笑いが止まりません。
ギャッハッハッハッ…

229:法の下の名無し
08/07/11 05:19:27 cVdTyymJ
初心者なんでミスりましたが読めるかな
URLリンク(academy6.2ch.net)

230:法の下の名無し
08/07/11 05:57:51 cVdTyymJ
偶然を縁だと考えるのは日本人の宗教感に根差した美徳。
「鏡子の家」で童貞の青年画家が古神道系の神秘主義者に邂逅する様子や
「豊饒の海」で本多が輪廻転生を目撃し「こんな奇跡を許した以上、この先もう何が起こるかわからない」と畏れわななく場面など、三島の神秘体験を基にしている。
一度神秘体験をすると、この世に偶然なんてものはなく、見るもの、聞こえるもの、触れ合うもの全てがまるで暗合のように問い掛けてきて、本人は意味を解読しようと敏感になる。
三島は晩年、人の言葉に敏感で「なんで君にそんなことがわかるんだ?」と意図せず自分の心中を見抜くような発言に偶然以上のものを確信していた。
インドで牛と目が合うことも三島には、意味があった。
三島のあの目は、南方熊楠と同じく、異界を覗きこんだことのある修験行者の目。
「わかる奴だけにわかればいいさ」

231:法の下の名無し
08/07/12 16:27:57 QUf60V2h
偶然とは、人間どもの理解をこえた高い必然が、ふだんは厚いマントに身を隠しているのに、ちらとその素肌の一部をのぞかせてしまった現象なのだ。
人智が探り得た最高の必然性は、多分天体の運行だろうが、それよりさらに高度の、さらに精巧な必然は、まだ人間の目には隠されており、わずかに迂遠な宗教的方法でそれを揣摩しているにすぎないのだ。

三島由紀夫
「美しい星」より


232:法の下の名無し
08/07/12 16:33:19 QUf60V2h
宗教家が神秘と呼び、科学者が偶然と呼ぶもの、そこにこそ真の必然が隠されているのだが、天はこれを人間どもに、いかにも取るに足らぬもののように見せかけるために、悪戯っぽい、不まじめな方法でちらつかせるにすぎない。
人間どもはまことに単純で浅見だから、まじめな哲学や緊急な現実問題やまともらしく見える現象には、持ち前の虚栄心から喜んで飛びつくが、一見ばかばかしい事柄やノンセンスには、それ相応の軽い顧慮を払うにすぎない。
こうした人間はいつも天の必然にだまし討ちにされる運命にあるのだ。
なぜなら天の必然の白い美しい素足の跡は、一見ばからしい偶然事のほうに、あらわに印されているのだから。

三島由紀夫
「美しい星」より


233:法の下の名無し
08/07/12 17:12:40 QUf60V2h
神のことを、人間は好んで真理だとか、正義だとか呼びたがる。
しかし神は真理自体でもなく、正義自体でもなく、神自体ですらないのです。
それは管理人にすぎず、人知と虚無との継ぎ目のあいまいさを故ら維持し、ありもしないものと所与の存在との境目をぼかすことに従事します。
何故なら人間は存在と非在との裂け目に耐えないからであるし、一度人間が『絶対』の想念を心にうかべた上は、世界のすべてのものの相対性とその『絶対』との間の距離に耐えないからです。

三島由紀夫
「美しい星」より


234:法の下の名無し
08/07/13 00:15:00 tAZTKuBC
三島は人間の本質心理真理をなんとなくでしか感じていない
必然=結果、偶然=結果
いくつもの結果の理解は出来て予測できても
結果の前の仕組みを構造は理解出来てないな
自分が誰かの仕組み構造を少し動かし変えれば
思い通りの結果を相手に与える事が出来る。
必然偶然は造られる、誰にも言わず行う、それが善でも悪でも、相手は気付かず受け入れ人生を送るのだ。


235:法の下の名無し
08/07/13 10:06:15 5vhNmk0g
>>234
あなたの言っていることは三島の論とは論点が全くずれている。
あなた自身が三島の言わんとしていることを、ちっとも理解できず、読解力がな全くない人だというのがよく分かった。


236:法の下の名無し
08/07/13 15:49:51 yXk2W3xV
どうでもいいが、さっさと削除依頼出しとけよ

237:法の下の名無し
08/07/13 23:45:59 tAZTKuBC
アッハッハッハッ
点である論点が違うポイントであろうと線で繋ぎたどり着く所は全部同じだ理解は出来ないだろうな
三島は俺より劣っているだけの話ではないか
お前はさらにずっとずっと下の凡人達の領域で書物を読んで
自分は分かったかのような気になって満足してる
子供のようだな


238:法の下の名無し
08/07/14 10:54:48 J9zdnmYH
>>237
なんだ、自分が三島由紀夫より優れていると妄想しているただの頭のおかしい人ですか、お疲れ様でした。
自分より劣っている三島を、とやかくつつく暇があるなら、あなたはご自分のために時間を使ったらいかがでしょうか?
本当に賢い聡明な人は、自分より劣った者に執拗に粘着しませんからね。

239:法の下の名無し
08/07/14 11:06:46 J9zdnmYH
「奔馬」には、1876年に叛乱を起した武士たちの集団自殺が描かれており、彼らの行動は勲を感奮興起させたものであった。
この血と臓腑の信ずべからざる大氾濫は私たちを恐怖させるとともに、あらゆる勇敢なスペクタクルのように興奮させもする。
この男たちが闘うことを決意する前に行った、あの神道の儀式の簡素な純粋性のようなものが、この目を覆わしむ
流血の光景の上にもまだ漂っていて、叛乱の武士たちを追跡する官軍の兵隊たちも、できるだけゆっくりした足どりで山にのぼって、彼らを静かに死なせてやろうと思うほどなのである。

マルグリット・ユルスナール


240:法の下の名無し
08/07/14 11:07:23 J9zdnmYH
勲はといえば、彼はその自殺に幾分か失敗する。
しかし三島は、それ自体うかがい知りえぬ肉体的苦痛の領域に天才的な直感をはたらかせて、この叛逆の若者に、彼にとってはあまりに遅く来るであろう昇る日輪の等価物をあたえてやったのだ。
腹に突き立てられた小刀の電撃的な苦痛こそ、火の球の等価物である。それは彼の内部で赤い日輪のような輝きを放射するのである。

マルグリット・ユルスナール


241:法の下の名無し
08/07/14 15:38:31 tRe8xfuy
あの、、ここは、、法学板なのですが。。

242:法の下の名無し
08/07/14 23:29:53 0abqddXY
レッツバスロマン!!

243:法の下の名無し
08/07/15 16:02:37 TD9IExXm
彼(三島)はたしかに、古い夢の、神々の、死の自覚の上に立って、つねに仕事をしてきた作家であるといえるだろう。
彼は神々を、錬金術師のように、合成することを夢みる。そこに彼の批評精神があり、光栄があり、そしてまた苦しみがあるばずだ。

道徳を信じない道徳家、
愛を拒否する愛の詩人、
詠嘆的であることを恐怖する、しかしロマンティックな嘆美家、
―作品の背後にある作者(三島)の姿を、一口にいえば、そういうことになるのではないか、とぼくは思っている。

村松剛


244:法の下の名無し
08/07/17 12:05:22 QXD2aMpa
高校へ入ったら、勉強の邪魔にならぬ程度のスポーツもやるべきで、それも健康が表面に浮いて見えるようなスポーツがいい。
スポーツマンだというと、莫迦だと人に思われる利得がある。政治には盲目で、先輩には忠実だということぐらい、今の日本で求められている美徳はないのだからね。

三島由紀夫
「天人五衰」より


245:法の下の名無し
08/07/17 12:08:48 QXD2aMpa
―大人しい透に向って、こうして執拗に説き進めながら、いつしか本多は、目の前に清顕と勲と月光姫を置いて、返らぬ繰り言を並べているような心地にもなった。
彼らもそうすればよかったのだ。自分の宿命をまっしぐらに完成しようなどとはせず、世間の人と足並を合せ、飛翔の能力を人目から隠すだけの知恵に恵まれていればよかったのだ。
飛ぶ人間を世間はゆるすことができない。翼は危険な器官だった。
飛翔する前に自滅へ誘う。あの莫迦どもとうまく折合っておきさえすれば、翼なんかには見て見ぬふりをして貰えるのだ。

三島由紀夫
「天人五衰」より


246:法の下の名無し
08/07/19 14:51:22 RaF1eFhu
無神論も、徹底すれば徹底するほど、唯一神信仰�%

247:法の下の名無し
08/07/19 14:52:20 RaF1eFhu
無神論も、徹底すれば徹底するほど、唯一神信仰の裏返しにすぎぬ。
無気力も、徹底すれば徹底するほど、情熱の裏返しにすぎぬ。
近ごろはやりの反小説も、小説の裏返しにすぎぬ。

三島由紀夫
「川端康成氏再説」より

248:法の下の名無し
08/07/20 23:14:03 JKh2bH4s
まだやってんのこの板違いスレ。
>>1がどういう料簡でずっとコピペを続けてるのかよくわかんない。
動機は途中に書いてあるが、なんでそれを法学板で延々やるのか。

政治思想板とかの方がいいんじゃない


249:法の下の名無し
08/07/22 10:01:18 ZASIFFmV
空文化されればされるほど政治的利用価値が生じてきた、というところに、新憲法のふしぎな魔力があり、戦後の偽善はすべてここに発したといっても過言ではない。
完全に遵奉することの不可能な成分法の存在は、道義的退廃を惹き起こす。

三島由紀夫
「道理の実現―『変革の思想』とは」より


250:法の下の名無し
08/07/22 10:58:42 s7FnrXOU
成文法だろ
成分法てなんだよアホが


251:法の下の名無し
08/07/22 22:21:48 ZASIFFmV
空文化されればされるほど政治的利用価値が生じてきた、というところに、新憲法のふしぎな魔力があり、戦後の偽善はすべてここに発したといっても過言ではない。
完全に遵奉することの不可能な成文法の存在は、道義的退廃を惹き起こす。

三島由紀夫
「道理の実現―『変革の思想』とは」より


252:法の下の名無し
08/07/23 00:52:56 3uLxUift
肝心な部分を平気で間違えてるような文章にゃ
何の説得力もないね
資源の無駄遣いだわ

253:法の下の名無し
08/07/23 12:14:51 798nYar+
>>252
三島嫌いのくせに、朝から晩まで小姑みたいにスレを監視する奇特なバカお疲れ。

254:法の下の名無し
08/07/23 12:15:34 798nYar+
「いま筋の通ったことをいえば、みんな右翼といわれる。
だいたい、“右”というのは、ヨーロッパのことばでは“正しい”という意味なんだから。(笑)」

三島由紀夫
鶴田浩二との対談「刺客と組長 男の盟約」より


255:法の下の名無し
08/07/23 16:06:12 IXYNR/eV
しかし間違っているをleftと言わない。

256:法の下の名無し
08/07/23 16:27:20 bPbQ6yun
これは三島ギャグなんだからいいじゃないか

257:法の下の名無し
08/07/23 23:33:51 5jwSJtig
三島依存症障害だと自覚はできてますか?
現在の社会で三島思考の真似で生活不可ニート
精神科で診察を薦めます
誰も居ないでしょ?
誰もが通り過ぎる暗闇の底辺でスレッド立て三島を利用して自分の存在をアピールする心理
早く自分が正常でない事を受け入れて下さい。
孤独な異常者へ。

258:法の下の名無し
08/07/23 23:40:57 q7hTKhnV
サヨクがナオンにモテる訳を教えてやろうか?












スレリンク(seiji板)l50



259:法の下の名無し
08/07/24 09:54:50 9bvnBWi4
>>257-258
頭おかしいのはあなたの方だと思いますけどね。
他人への煽りは、そっくりそのまま煽った本人の弱みを露呈してるといいますから。

それから私は女ですが、左翼の男は大嫌いです。
三島のような日本男児的な人が好きですね。
あなたみたいな、女にもてるとかいう基準で動いている男は、女性に嫌われるタイプだと断言しておきます。

260:法の下の名無し
08/07/24 17:11:17 9bvnBWi4
かつてアメリカ占領軍は剣道を禁止し、竹刀競技の形で半ば復活したのちも、懸声をきびしく禁じた。
この着眼は卓抜なものである。あれはただの懸声ではなく、日本人の魂の叫びだったからである。
彼らはこれらをおそれ、その叫びの伝播と、その叫びの触発するものをおそれた。
しかしこの叫びを忌避して、日本人にとっての真の変革の原理はありえない。

三島由紀夫
「道理の実現―『変革の思想』とは」より


261:法の下の名無し
08/07/24 17:13:34 9bvnBWi4
変革とは、このような叫びを、死にいたるまで叫びつづけることである。その結果が死であっても構わぬ、死は現象には属さないからだ。
うまずたゆまず、魂の叫びをあげ、それを現象への融解から救い上げ、精神の最終證明として後世にのこすことだ。
言葉は形であり、行動も形でなければならぬ。文化とは形であり、形こそすべてなのだ、と信ずる点で私はギリシャ人と同じである。

三島由紀夫
「道理の実現―『変革の思想』とは」より


262:法の下の名無し
08/07/24 17:27:30 9bvnBWi4
>>261
訂正

旧字・證明→証明

263:法の下の名無し
08/07/30 13:53:27 4fENP0wr
左翼のいう、日本における朝鮮人問題、少数民族問題は欺瞞である。
なぜなら、われわれはいま、朝鮮の政治状況の変化によって、多くの韓国人をかかえているが、彼らが問題にするのはこの韓国人ではなく、
日本人が必ずしも歓迎しないにもかかわらず、日本に北朝鮮大学校をつくり、都知事の認可を得て、反日教育をほどこすような北朝鮮人の問題を、無理矢理少数民族の問題として規定するのである。

三島由紀夫
「反革命宣言」より


264:法の下の名無し
08/07/30 13:54:49 4fENP0wr
彼ら(左翼)はすでに、人間性の疎外と、民族的疎外の問題を、フィクションの上に置かざるを得なくなっている。
そして彼らは、日本で一つでも疎外集団を見つけると、それに襲いかかって、それを革命に利用しようとするほか考えない。
たとえば原爆患者の例を見るとよくわかる。原爆患者は確かに不幸な、気の毒な人たちであるが、この気の毒な、不幸な人たちに襲いかかり、
たちまち原爆反対の政治運動を展開して、彼らの疎外された人間としての悲しみにも、その真の問題にも、一顧も顧慮することなく、たちまち自分たちの権力闘争の場面へ連れていってしまう。

三島由紀夫
「反革命宣言」より

265:法の下の名無し
08/07/30 13:56:12 4fENP0wr
日本の社会問題はかつてこのようではなかった。
戦前、社会問題に挺身した人たちは、全部がとはいわないが、純粋なヒューマニズムの動機にかられ、
疎外者に対する同情と、正義感とによって、左にあれ、右にあれ、一種の社会改革という救済の方法を考えたのであった。
しかし、戦後の革命はそのような道義性と、ヒューマニズムを、戦後一般の風潮に染まりつつ、完全な欺瞞と、偽善にすりかえてしまった。
われわれは、戦後の社会全体もそれについて責任があることを否めない。
革命勢力からその道義性と、ヒューマニズムの高さを失わせたものも、また、この戦後の世界の無道徳性の産物なのである。

三島由紀夫
「反革命宣言」より

266:法の下の名無し
08/08/04 13:57:21 LhBNaHiz
いま楯の会に入ろうと思ったら、やっぱりザイクスになるんだろうか。

267:法の下の名無し
08/08/05 10:16:18 QM3t5sue
唯識論入門として、(暁の寺は)これほど簡にして要を得たものを知らない。
難解なことで有名な仏教哲学の最高峰が、われわれの足下に横たわっているのだ。
仏教を研究しようとする学徒のあいだでは、よく、倶舎三年、唯識八年、といわれる。
『倶舎論』を理解するのには三年かかり、唯識論を理解するのには八年はたっぷりかかるというのだ。
それが僅か三島由紀夫の作品では十二頁にまとめられている。エッセンスはここにつきている。くりかえし精読する価値は十分にある。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より


268:法の下の名無し
08/08/05 12:56:33 COag/WE8
仏さん生きてるときには存在しなかった体系省いたらだいたいそんなもんだろ。
仏さん自身は簡単なことしか言ってない気がする。

269:法の下の名無し
08/08/06 00:56:39 Us1fLrVr
そうか三島はホモセクシャルと言う事だな
ホモでも日本男児

270:法の下の名無し
08/08/13 11:47:02 lm2Tvcef
きょうで丸五日間、丸っきり空襲がありません。不気味な不安。そのなかにも駘蕩たる春の日は窓辺まで押しよせて来ています。
…僕はこれから「悲劇に耐える」というより、「悲劇を支える」精神を錬磨してゆかなければ、と思います。

平岡公威(三島由紀夫)
三谷信への葉書より
昭和20年3月3日


271:法の下の名無し
08/08/13 11:47:59 lm2Tvcef
御葉書拝見。何はあれ、このような大変に際会して、しかも君とそれについて手紙のやりとりの出来るような事態を、誰が予想し得たでしょう。
…これから勉強もし、文学もコツコツ落着いてやって行きたいと思います。自分一個のうちにだけでも、最大の美しい秩序を築き上げたいと思います。
戦後の文学、芸術の復興と、その秩序づけに及ばず乍ら全力をつくして貢献したいと思います。
…すべては時代が、我々を我々の当面の責務に追いやります。僕は少なくとも僕の廿代を、文化的再建の努力に捧げたいと思っています。

平岡公威(三島由紀夫)
三谷信への葉書より
昭和20年8月22日


272:法の下の名無し
08/08/13 12:58:50 lm2Tvcef
何かの拍子に三島は「アメリカって癪だなあ、君本当に憎らしいね」と心の底から繰り返しいった。
そしてかのレースのカーテンを指さし「もしあそこにアメリカ兵が隠れていたら、竹槍で突き殺してやる」と銃剣術の動作をして真剣にいった。
当時の彼は学術優秀であり、品行も方正であったが、教練武術の方はまるで駄目であった。
…そういう彼が竹槍で云々といった時、彼には悪いが、突くといっても逆にやられるだろうがとひそかに思った。けれども、彼のその気迫の烈しさには本当に胸を突かれた。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より


273:法の下の名無し
08/08/13 12:59:52 lm2Tvcef
今、卒業式の時の彼を思い出す。戦前の学習院の卒業式には、何年かに一度陛下が御臨幸になった。我々の卒業式の時もそうであった。
全員息づまる様に緊張し静まる中で式は進み、やがて教官が「文科総代 平岡公威」と彼の名を呼びあげた。
彼は我等卒業式一同と共にスッと起立し、落ち着いた足どりで恭々しく陛下の御前に出て行った。彼が小柄なことなど微塵も感じさせなかった。
瞳涼しく進み出て、拝し、退く。その動きは真に堂堂としていた。心ひきしまり、すがすがしい動作であった。
あの時は彼の人生の一つの頂点であったろう。そういう彼ゆえ、古来の日本の心を壊そうとするものを心の底から許さなかった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より


274:法の下の名無し
08/08/14 02:42:53 /SB1ZvV8
お前は可哀相な女だ
不細工だからだ。

三島 ゆきお

275:法の下の名無し
08/08/14 02:43:34 /SB1ZvV8
お前は可哀相な女だ
不細工だからだ。

三島 ゆきお

276:法の下の名無し
08/08/15 15:39:17 TeJ7AK/x
あらゆる英雄主義を滑稽なものとみなすシニシズムには、必ず肉体的劣等感の影がある。

三島由紀夫
「太陽と鉄」より

277:法の下の名無し
08/08/26 14:29:18 59hWEDmu
ウンコ臭いオッサンどもは無人島か北朝鮮に強制送還して強制労働させればいい。
あるいは斧でミンチにしてトイレに流す。

278:法の下の名無し
08/08/27 10:34:21 c/gqPSLU
>>277
三島は、日本の文化や天皇を転覆させようとする勢力や外国人スパイは追い出す考えで、暗殺すら肯定してますが、単なる人種差別や乞食差別みたいな考えはありませんよ。


279:法の下の名無し
08/08/27 11:05:55 c/gqPSLU
いま非常な情報化社会がありますから精神というものはテレビに写らない。そしてテレビに写るのはノボリや、プラカードや、人の顔です。それからステートメントです。
そして人間はみんなステートメントやることによって、なにかしたような気持になっているんです…。
そのステートメントが情報化社会のなかで、非常なスピードで溶解されて、ちょうどあたかも塵埃処理のように、早くこれをすべて始末しなければ東京中が塵埃でうずまってしまう。紙くずでうずまってしまう。
それで情報化社会というものは過剰な情報をどんどん処理しているんです。
この東京というもの、日本というものは、近代�%b

280:法の下の名無し
08/08/27 11:07:11 c/gqPSLU
いま非常な情報化社会がありますから精神というものはテレビに写らない。そしてテレビに写るのはノボリや、プラカードや、人の顔です。それからステートメントです。
そして人間はみんなステートメントやることによって、なにかしたような気持になっているんです…。
そのステートメントが情報化社会のなかで、非常なスピードで溶解されて、ちょうどあたかも塵埃処理のように、早くこれをすべて始末しなければ東京中が塵埃でうずまってしまう。紙くずでうずまってしまう。
それで情報化社会というものは過剰な情報をどんどん処理しているんです。
この東京というもの、日本というものは、近代化すればするほど巨大な塵埃焼却炉みたいになってくる。

三島由紀夫
とある講演の言葉
「橋川文三『三島由紀夫の生と死』」より

281:法の下の名無し
08/09/02 15:35:48 VcXcUyGf
天皇はあらゆる近代化、あらゆる工業化によるフラストレーションの最後の救世主として、そこにいなけりゃならない。それをいまから準備していなければならない。
それはアンティエゴイズムであり、アンティ近代化であり、アンティ工業化であるけど、決して古き土地制度の復活でもなければ、農本主義でもない。
…つまり天皇というのは、国家のエゴイズム、国民のエゴイズムというものの、一番反極のところにあるべきだ。
そういう意味で、天皇は尊いんだから、天皇が自由を縛られてもしかたがない。
その根元にあるのは、とにかく「お祭」だ、ということです。
天皇がなすべきことは、お祭、お祭、お祭、お祭、―それだけだ。

三島由紀夫
「文武両道と死の哲学」より


282:法の下の名無し
08/09/02 15:43:07 VcXcUyGf
亭主が自分の部屋に電話を引いたり、テレビをつけたり、ボタンを押すと飛び上がる椅子をつけたりするのに、
エリザベスは、まだ十八世紀のお茶の作法で、百メートル先から女官たちが手から手へつないだお茶を持って来て、冷えたお茶を飲んでいる。自分の部屋には電話がない。
ぼくは、そういうことが天皇制だろうと思うんです。日本の皇室がその点でわれわれを納得させる存在理由は日ましに稀薄になっている。
つまりわれわれが近代化の中でこれだけ苦しんで、どこかでお茶を十八世紀の作法で飲んでいる人がいなければ、世界は崩壊するんだよ。

三島由紀夫
「文武両道と死の哲学」より

283:法の下の名無し
08/09/05 11:24:06 qcxw+gM6
侵略主義とか軍国主義というものは、武士道とは始めから無縁のものだ。
…私に言わせれば、二・二六事件その他の皇道派が、根本的に改革しようとして、失敗したものでありますが、結局勝ちをしめた統制派というものが、
一部いわゆる革命官僚と結びつき、しかもこの革命官僚は、左翼の前歴がある人が沢山あった。
こういうものと軍のいわゆる統制派的なものと、そこに西欧派の理念としてのファシズムが結びついて、昭和の軍国主義というものが、昭和十二年以降に初めて出てきたんだと外人に説明するんです。
私は、日本の軍国主義というものは、日本の近代化、日本の工業化、すべてと同じ次元のものだ、全部外国から学んだものだ、と外人にいうんです。

三島由紀夫
「武士道と軍国主義 政府への建白書」より


284:法の下の名無し
08/09/05 11:25:07 qcxw+gM6
軍国主義というものが、実に、日本の明治以降、動いてきた歴史の中で、非常に、皮肉なものがある。
というのは、我々は外国からいい影響だけ受けていたと思ったのは、非常に間違いであった。
明治以降の日本がやってきた西欧化の努力によって今日まで、近代国家にきたのであるけれども、その全く同じ理念が、軍国主義をもたらしたのである。
ここをよく考えないと日本の近代感覚というものの一番大きな問題は掴めない。

三島由紀夫
「武士道と軍国主義 政府への建白書」より

285:法の下の名無し
08/09/05 11:26:33 qcxw+gM6
軍国主義のいわゆる進展と同時に、日本の戦略、戦術の上にアジア的な特質が失われていったのは大きい。
というのは、今のベトナム戦争でも判るように、アジア的風土の中で、非常にアジア的な非合理な方法によって、ゲリラ戦を展開して、敵を悩ましている。
…我々は、もう一つ、ここで民族精神に振り返ってみて、日本とは何ぞや、武器と魂というものを日本人は如何に結びつけたか、そこに立ち返らなければ、日本というものの防衛の基本的なものは出てこない。

三島由紀夫
「武士道と軍国主義 政府への建白書」より

286:法の下の名無し
08/09/05 11:27:35 qcxw+gM6
私は、終始一貫した憲法改正論者で、それが、物理的に可能であるのか、不可能であるのか、そんなことは、おかまいなしに、一介の人間としてそれのみをいっているのは、決してそれによって、日本を軍国支配しようとするつもりはないのだ。
あくまでそれによって日本の魂を正して、そこに日本の防衛問題にとって最も基本的な問題、もっと大きくいえば、
日本と西洋社会との問題、日本のカルチャーと、西洋のシィヴィラリゼイションとの対決の問題、これが、底にひそんでいることをいいたいんだということです。

三島由紀夫
「武士道と軍国主義 政府への建白書」より

287:法の下の名無し
08/09/18 12:44:10 Gw3PbE1Z
日米共同コミュニケによって、現憲法の維持は、国際的国内的に新たなメリットを得たのである。
すなわち国内的には、今後も穏和な左翼勢力に平和現憲法の飴玉をしゃぶらせつづけて面子を立ててやる一方、過激派には現憲法にもこれだけの危機収集能力のあることを思い知らせ、
国際的には、無制限にアメリカの全アジア軍事戦略体制にコミットさせられる危険に対して、平和憲法を格好の歯止めに使い、一方では安保体制堅持を謳いながら、一方では平和憲法護持を受け身のナショナリズムの根拠にするというメリットが生じたのである。
これはいわば吉田茂方式の継承であり、早急な改憲は、現憲法がアメリカによって強いられた憲法であるより以上に、さらにアメリカの軍事的要請に沿うた憲法を招来するにすぎないという恫喝ほど、効き目のあるものはあるまい。
改憲サボタージュは、完全に自民党の体質になった。

三島由紀夫
「道理の実現―『変革の思想』とは」より


288:法の下の名無し
08/09/26 09:02:52 hruVfr5W
法学と関係ないから邪魔

289:法の下の名無し
08/09/26 16:13:09 y6MiDwns
われわれは天皇ということをいうときには、むしろ国民が天皇を根拠にすることが反時代的であるというような時代思潮を知りつつ、まさにその時代思潮の故に天皇を支持するのである。
なぜなら、われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、
このような全体性と連続性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するような勢力に対しては、われわれの日本の文化伝統を賭けて闘わなければならないと信じているからである。

三島由紀夫
「反革命宣言」より

290:法の下の名無し
08/09/26 16:13:54 y6MiDwns
われわれは、自民党を守るために闘うのでもなければ、民主主義社会を守るために闘うのでもない。
もちろん、われわれの考える文化的天皇の政治的基礎としては、複数政党制による民主主義の政治形態が最適であると信ずるから、
形としてはこのような民主主義政体を守るために行動するという形をとるだろうが、終局目標は天皇の護持であり、その天皇を終局的に否定するような政治勢力を、粉砕し、撃破し去ることでなければならない。

三島由紀夫
「反革命宣言」より

291:法の下の名無し
08/09/26 19:33:58 m3vFuYYn
三島の政治的無知にはあきれる

292:法の下の名無し
08/09/27 16:21:00 jQMqkzYu
人間の運、不運の岐れ道は中国では残酷なまでに鮮明である。不運な人間に誰も同情しない。この国では悲劇も哀話も人の心を動かさない。
だから中国の文学にはギリシャ悲劇のような悲劇が存在しない。
中国人は赤穂浪士と三島由紀夫の悲劇をどうしても理解できないそうである。

西尾幹二

293:法の下の名無し
08/10/12 11:37:27 2qhsHxHu
 天才数学者、岡潔氏の三島由紀夫論を再発見
  岡潔研究会が三十八年前の『蘆牙』掲載箇所を発見
****************************************

 岡潔研究会(横山堅二代表)が復刻した『蘆牙』第三号は原号が昭和四十六年四月に奈良で発行されたもの。

 同誌は当時、奈良で発行され、同市に住まわれていた天才数学者・岡潔を囲むグループが出していた。岡潔は岩下志麻、笠智衆が主演の映画『秋刀魚』のモデルでもある。

 このなかで岡潔が三島由紀夫に触れた箇所がある。
 岡潔先生曰く。
 「三島由紀夫は偉い人だと思います。日本の現状が非常に心配だとみたのも当たっているし、
天皇制が大事だと思ったのも正しいし、それに割腹自殺ということは勇気がなければ出来ないことだし、それをやってみせているし、本当に偉い人だと思います。」

 編集部が「百年逆戻りした思想だと言う人もありますが、それは全然当たっていないと言われるのですか?

 岡潔の答え。
「間違ってるんですね。西洋かぶれして。戦後、とくに間違っている。個人主義、民主主義、それも間違った個人主義、民主主義なんかを、不滅の真理かのように思いこんでしまっている。
ジャーナリストなんかにそんな人が多いですね。若い人には、割合、感銘を与えているようです。かなり影響はあったと思います」。


294:法の下の名無し
08/10/22 16:49:12 GL6pgxtm
私にとっては、ごく自然な、理屈の要らない、日本人の感情として、外地にひるがえる日の丸に感激したわけだが、
旗なんてものは、もともとロマンティックな心情を鼓吹するようにできていて、あれが一枚板なら風情がないが、ちぎれんばかりに風にはためくから、胸を搏つのである。
ところが、こんな話をすると、みんなニヤリとして、なかには私をあわれむような目付をする奴がいる。
厄介なことに日本のインテリは、一切単純な心情を人に見せてはならぬことになっている。…
自分の国の国旗に感動する性質は、どこの国の人間だってもっている筈の心情である。

三島由紀夫
「お茶漬ナショナリズム」より

295:法の下の名無し
08/10/22 17:15:45 GL6pgxtm
自然な日本人になることだけが、今の日本人にとって唯一の途であり、その自然な日本人が、多少野蛮であっても少しも構わない。
これだけ精妙繊細な文化的伝統を確立した民族なら、多少野蛮なところがなければ、衰亡してしまう。
子供にはどんどんチャンバラをやらせるべきだし、おちょぼ口のPTA精神や、青少年保護を名目にした家畜道徳に乗ぜられてはならない。

三島由紀夫
「お茶漬ナショナリズム」より

296:法の下の名無し
08/10/31 02:40:42 sXvXhFp+
三島由紀夫ってダサい。

297:法の下の名無し
08/11/04 12:25:19 PT4Sr0Iw
西郷隆盛と蓮田善明と三島由紀夫と、この三者をつなぐものこそ、蓮田の歌碑にきざまれた三十一文字の調べなのではないか。
西郷の挙兵も、蓮田や三島の自裁も、みないくばくかは、「ふるさとの駅」の「かの薄紅葉」のためだったのではないだろうか。
滅亡を知るものの調べとは、もとより勇壮な調べではなく、悲壮な調べですらない。
それはかそけく、軽く、優にやさしい調べでなければならない。なぜならそういう調べだけが、滅亡を知りつつ亡びて行くものたちのこころを歌いうるからだ。

江藤淳
「南州残影」より

298:法の下の名無し
08/11/19 14:34:29 QnmwecHR
今の日本を見ていると三島さんの檄文に
書かれた通りの日本になったね・・・。

299:法の下の名無し
08/11/20 12:34:38 v03bNIwQ
<老いを寿ぎ敬う心ー日本の心>
(保田輿重郎氏)
・お祖母様の手を引く孫娘という形は、つい近頃までは、田舎の村道などの光景で、世間で一番美しい風景だった。
なつかしく、うれしく、そのほのぼのとした風景は、ただのどかであった

・西洋では生活に余裕のある人も親を平気で養老院にいれますし、そうでなくても親とは決して同居しないものです。
老年にとっては家族や世間とのつながりはいよいよ大切になってくるのに、
西洋では「老いた親の世話は社会保障がするもの」と老人は家族とのつながりから離され、「人生の流タクの境涯」にあり、「みな孤独苦しんでいる」のです。

300:法の下の名無し
08/11/20 12:43:54 v03bNIwQ
<子供を慈しむ伝統ー日本の心>
・百年ほど前の英国では子供に対する虐待行為を法律で禁止しなければならないほど、それが酷かった。
西洋人は、人間観、子供観において性悪説に立っており、「仮借ない躾によって、ジャングルの野蛮人を文明へと教育する」やり方です。
・子供を慈しむ伝統は、国語の自称詞、対称詞の中にも自然と現れています。
我々が夫婦の間でもお互いを「お父さん、お母さん」と呼び、両親を「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ぶのも、子供を中心に見ているからです。
子供に対しても上の子を「お兄ちゃん、お姉ちゃん」と呼ぶのも、今度は下の子を中心にしているからです。
・「銀も金も玉も、何せむに、優れる宝子にしかめやも」(山上億良)

301:法の下の名無し
08/11/23 14:54:50 y0tjfCam
…防衛大学の学生なんかに聞きますと、われわれの軍隊はシビリアン・コントロールの軍隊であると。だから政権がかわれば、それに従うのは当然だと。
日本に共産政権ができれば、われわれは共産軍になるのは当然だという考え方をするのが、かなり多いらしいですね。
そういう考え方は間違いだということを世間はこわいから教える自信がないんです。
これは軍隊の重大な問題で、自衛隊というのは、もともとイデオロギッシュな軍隊であるということを、もっと周知徹底させないと……。
それを世間でたたき、国会でたたき、ぼくにいわせると、イデオロギー的な軍隊であるけれども、名誉の中心はやはり天皇であるというところで、すこし極端ですが、そこまでいかなければだめだと思うんです。

三島由紀夫
対談「天に代わりて」より

302:法の下の名無し
08/11/23 15:17:09 /rC8ZrrL
真の愛国烈士・三島由紀夫氏、森田必勝氏。 今の腐敗し堕落した日本を見たら… 今だに米国の犬である日本を見て見たら…

303:法の下の名無し
08/11/29 14:52:24 1h2RGZ7x
「五十になったら、定家を書こうと思います」三島由紀夫は、友人の坊城俊民氏にそう言った。
「…定家はみずから神になったのですよ。それを書こうと思います。定家はみずから神になったのです」
神になった定家。それは三島由紀夫にほかならない。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

304:法の下の名無し
08/11/29 14:53:12 1h2RGZ7x
「定家はみずから神になったのです」
これは何を暗示しているのだろうか。
仮面劇の能だが、仮面をつけるのがシテ(主役)である。シテは、神もしくは亡霊である。
亡霊をシテにして、いわば恋を回想させる夢幻能は、能の理想だといわれる。
死から、生をみるのである。時間や空間を超えたものだ。
三島由紀夫が、定家を書こうと考えたとき、やはり能の「定家」が頭にあったに違いない。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

305:法の下の名無し
08/11/29 14:54:28 1h2RGZ7x
現代では、生の世界と死の世界は、隔絶したものにとらえられている。だが、かつて(中世)は、死者は生の世界にも立ち入っていた。
定家は神になって、生の世界に立ち入ろうとした。そう考えた三島由紀夫ではないだろうか。
生の世界にあっては成就できない事柄を、死の世界に往くことによって可能たらしめようとしたのが、三島由紀夫だった。
…あえて死の世界へ往き、守ろうとした存在があったのだ。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

306:法の下の名無し
08/12/02 16:19:29 rpBUvCZA
産業革命こそが人類最大の悲劇だ。
テクノロジーの果てしない競争が人間を精神的に追い込んでいる。
byセオドア・カジンスキー



この言葉は、まさに至言ですな・・・

307:法の下の名無し
08/12/07 17:13:29 04DYva+F
いかなる盲信にもせよ、原始的信仰にもせよ、戦艦大和は、拠って以て人が死に得るところの一個の古い徳目、一個の偉大な道徳的規範の象徴である。
その滅亡は、一つの信仰の死である。
この死を前に、戦死者たちは生の平等な条件と完全な規範の秩序の中に置かれ、かれらの青春ははからずも「絶対」に直面する。この美しさは否定しえない。
ある世代は別なものの中にこれを求めた。作者の世代は戦争の中にそれを求めただけの相違である。

三島由紀夫
「一読者として(吉田満著 戦艦大和ノ最期)」より

308:法の下の名無し
08/12/10 14:58:37 zza0nywm
吉田満は、三島由紀夫の「死」を、青春の頂点において「いかに死ぬか」という難問との対決を通してしか、
「いかに生きるか」の課題が許されなかった世代―そのような世代のひとつの死としてとらえ直してみせた。
あの自決がさまざまな意味を「異なる解明の糸口」を示していながら、実のところ戦争に散華した仲間と同じ場所を求めての、死の選択であり、そのような願いによる決断であったという。
これはたんなる世代論だろうか。三島由紀夫の生と文学を、あまりに単純な世代の「死」として単純化してしまうことになるのだろうか。私はそうは思わない。

富岡幸一郎
「仮面の神学」より

309:法の下の名無し
08/12/10 15:01:09 zza0nywm
保田輿重郎は三島の自刃に際して「三島氏の事件は、近来の大事件といふ以上に、日本の歴史の上で、何百年にわたる大事件となると思った」と記したが、
もし仮にそうだったとしても、それは三島由紀夫という個的な存在の、その生と死の劇的な問いかけゆえにではなく、その「死」が疑いもなく一つの世代の夥しい「顔」%

310:法の下の名無し
08/12/10 15:01:57 zza0nywm
保田輿重郎は三島の自刃に際して「三島氏の事件は、近来の大事件といふ以上に、日本の歴史の上で、何百年にわたる大事件となると思った」と記したが、
もし仮にそうだったとしても、それは三島由紀夫という個的な存在の、その生と死の劇的な問いかけゆえにではなく、その「死」が疑いもなく一つの世代の夥しい「顔」と重なり合い、その死のなかに埋没することを懇望したものであったからではないか。
あの自決事件は、決して特異なものでも異常なものでもなく、あえていえば平凡な静謐さのなかにある。
そう思うとき、『豊饒の海』第一巻の冒頭で描かれた「セピア色のインキで印刷」された日露戦没の写真―その風景を想起せずにはいられない。

富岡幸一郎
「仮面の神学」より


311:法の下の名無し
08/12/11 14:59:26 1dYgz89h
…池田浩平や吉田満といった同世代の死者のなかにとらえるとき、戦後作家としての彼(三島)の仮面―
『仮面の告白』についての作家自身の注釈でいえば「肉づきの仮面」―の背後に隠されていた素顔が浮かびあがる。戦後作家としての無数の華麗な「仮面」。
神学者の大木英夫は、三島由紀夫は、その文学は仮面をかぶることによって、「神学問題で灼けただれている現実にも耐える」と正確に指摘した。
《そして死を避ける。しかし、彼の文学は、かえってその仮面が割れて、素顔が出て、神学問題に直面するところがある。そして死が避けられなくなる。
さまざまな奇行と試行の紆余曲折を経て、ついに市ヶ谷への突貫となるのである》(「三島由紀夫における神の死の神学」)

富岡幸一郎
「仮面の神学」より

312:法の下の名無し
08/12/11 15:01:14 1dYgz89h
『仮面の告白』が、『花ざかりの森』と彼の十代の青春の住処がであった「死の領域」への遺書であり、まさに「死を避ける」ための人工の文学的仮面であったとすれば、
最晩年に書かれたエッセイ『太陽と鉄』は、「その仮面が割れて」いくところを詳細に辿ってみせた自己告白の書であった。
これまで何度も論じてきたように、そこに三島における「神学問題」が、すなわちあの「神の死」の問題が露われているのはいうまでもない。
おそらく、日本における神学問題を最もラディカルに現実の光のなかに引きずり出したのが三島由紀夫である。
多くの宗教学者が決して見ようとしなかったものを、語りえなかった根底的な「神」の問題を、三島は自らの生と文学と、そしてあの苛烈な死によって語ってみせた。いや、「神学問題に直面」したとき、「死が避けられなく」なった。

富岡幸一郎
「仮面の神学」より

313:法の下の名無し
08/12/20 11:23:28 qL+K85qe
…あれより二週間病床に臥り、つい御返事がおくれしままにかくの如き事態となりました。
玉音の放送に感涙を催ほし、わが文学史の伝統護持の使命こそ我らに与へられたる使命なることを確信しました。
気高く、美しく、優美に生き且つ書くことこそ神意であります。
ただ黙して行ずるのみ。今後の重且つ大なる時代のため、御奮闘切に祈上げます。

平岡公威(三島由紀夫)20歳
昭和20年8月16日付、清水文雄への葉書から

314:法の下の名無し
08/12/20 12:35:35 qL+K85qe
東京へ出ました序でに学習院へ立寄り、はじめて焼跡を見てただならぬ感慨がごさいました。
…光にまばゆく立ち働らいてゐる人々が懐しい後輩たちかと映り、近寄つてみると、それが見知らぬ兵隊たちであつた寂しさ。
…中等科の校舎の中には、見知らぬ人々が往来し、事務室もザワザワして、昔のやうに温かく私を迎へてはくれぬやうに思はれました。
「ふるさとは蠅まで人を刺しにけり」それほどでもありませんが、無暗に腹が立つて、何ものへともしれず憤りを抱きながら門を出ました。
ふしぎな私の冷酷。昔、共に学んだ友人たちには、具体的に逢つてどうといふ感激もないのに、ただ会はずにゐると漠たる悲しみと孤独の感じに苛まれるのを如何ともなす術がございません。

平岡公威(三島由紀夫)20歳
昭和20年7月3日、清水文雄への書簡から

315:法の下の名無し
08/12/20 12:39:41 qL+K85qe
…新宿駅で私は汚ない作業服とキャハンを穿いた後輩を発見しました。
彼は私が彼の先輩であることもしらず、私を不思議さうに見てゐましたが、その目は学習院の学生によくある澄んだ、のんびりした目付で、口は少しポカンと開いてゐました。
…彼は、そこで我勝ちに下りた乗客たちとは似てもつかない、実にオットリした、少したよりない、少し眠さうな歩き方で、階段の方へゆつくり歩いて行きました。
何故かそれを見ると、私はふと涙がこぼれさうになりました。
ああした人種、ああした歩き方、あれがいつまでこの世に存続して行けるであらうか。
私たちもその一員であつた、閑雅なあまり頭のよくない、努力を知らない、明るい、呑気な、どこともしれず、生活からにじみ出た気品のそなはつた学習院の学生たち、
あの制服、あの挙止、そしてあの歩き方、そのすべてが象徴してゐたある美しいもの、それ自身頽落を予感されてゐたもの(私の十数年の学習院生活はその予感のなかにのみ過ごされました。)が、
今や鶯色の汚れた作業服を刑罰のやうに着せられ、靴は埃にまみれ、トボトボと不安気に歩いてゆくのを見て、私が目頭を熱くしたのも道理でございます。

平岡公威(三島由紀夫)20歳
昭和20年7月3日、清水文雄への書簡から

316:法の下の名無し
08/12/20 12:41:58 qL+K85qe
かうした終末感を私は、徒らな感傷や、信念の不足からして感ずるのではございません。
ある漠たる直感、夢想そのもののなかに胚胎する覚醒の危険、凡て夢見るが故に覚めねばならない運命を感ずるのでございます。
現実に立脚した精神がわれわれの夢想の精神より更に弱体なものとみえる今日、われわれの夢想も亦凋落の決心を必要とします。
昼を咲きつづける昼顔の仄かな花弁は、昼の烈しい光のために日々に荒され傷つけられます。何ものも神の夢想に耐へるほど強靭であることは出来ません。
しかし人の夢想の極限に耐へえた人は、その烈しさ極まる目覚めの失墜にも耐へうるであらうと思ひます。
ただ朝をのみ時めいた朝顔とはちがって、あの長い烈しい昼間をよく耐へた昼顔の夢想は、その後に来る長い夜の烈しさにも耐へるでありませう。
私共は今日ほど私共の生の強さと死の強さを感じることはございません。

平岡公威(三島由紀夫)20歳
昭和20年7月3日、清水文雄への書簡から

317:法の下の名無し
08/12/20 13:01:56 qL+K85qe
私共は遺書を書くといふやうな簡単な心境ではなく、私たちの文学の力が、現在の刻々に、(たとへそれが喪失の意味にせよ)、ある強烈な意味を与へつづけることを信じて仕事をしてまゐりたいと思ひます。
その意味が刻みつけられた私共の時間は、永遠に去ってかへりませんが、地上に建てた摩天の記念碑よりも、海底に深く沈めた一枚の碑の方が、何千万年後の人々の目には触れやすいものであることを信じます。
私共が一度持つた時間に与へた文学の意味が、それが過去に組入れられた瞬間から、絶対不可侵の不滅性をもつものであると思はれます。
項日、生じつかな名声は邪魔であるが、真の名声はますます必要であることを感じて来ました。文学作品を本文とするなら、名声はその註釈、脚註に相当します。
本文が死語に化した場合、この難解なロゼッタ・ストーンを解読しうるものは、たえず更新される註釈のみでございませう。

平岡公威(三島由紀夫)20歳
昭和20年7月3日、清水文雄への書簡から

318:法の下の名無し
08/12/22 14:22:10 wH+o8AAr
それはさうと、昨今の政治情勢は、小生がもし二十五歳であつて、政治的関心があつたら、気が狂ふだらう、と思はれます。
偽善、欺瞞の甚だしきもの。そしてこの見かけの平和の裡に、癌症状は着々進行し、失ったら二度と取り返しのつかぬ「日本」は、無視され軽んぜられ、蹂躙され、一日一日影が薄くなつてゆきます。
戦後の「日本」が、小生には、可哀想な若い未亡人のやうに思はれてゐました。
良人といふ権威に去られ、よるべなく身をひそめて生きてゐる未亡人のやうに。

三島由紀夫
清水文雄への書簡から

319:法の下の名無し
08/12/22 14:23:26 wH+o8AAr
下品な比喩ですが、彼女はまだ若かつたから、日本の男が誰か一人立上れば、彼女をもう一度女にしてやることができたのでした。
しかし、口さきばかり巧い、彼女の財産を狙ふ男ばかり周囲にあらはれ、つひに誰一人、彼女を再び女にしてやる男が現はれることなく、彼女は年を取つてゆきます。
彼女が老いてゆく、衰へてゆく、皺だらけになつてゆく、私にはとてもそれが見てゐられません。

三島由紀夫
清水文雄への書簡から

320:法の下の名無し
08/12/22 14:25:36 wH+o8AAr
このごろ外人に会ふたびに、すぐ「日本はどうなつて行くのだ?日本はなくなつてしまふではないか」と心配さうに訊かれます。
日本人から同じことを訊かれたことはたえてありません。「これでいいぢゃないか、結構ぢゃないか、角を立てずに、まあまあ」さういふのが利口な大人のやることで、日本中が利口な大人になつてしまひました。
スウェーデンはロシアに敗れて百五十年、つひに国民精神を回復することなく、いやらしい、富んだ、文化的創造力の皆無な、偽善の国になりました。
この間もベトナム残虐行為査問会(ストックホルム)で、繃帯をした汚ないベトナム農民が証言台に立ち、犬をつれた、いい洋服の中年のスウェーデン人たちがこれを傾聴してゐるのに、違和感を感じる、と書いてゐる人がゐましたが、
日本が歩みつつある道は、正に、「犬を連れた、いい洋服の中年男で、外国の反戦運動に手を貸す『良心的』な男」の道です。

三島由紀夫
清水文雄への書簡から


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