■■■■三島由紀夫の「檄」■■■■at JURISP
■■■■三島由紀夫の「檄」■■■■ - 暇つぶし2ch1:法の下の名無し
07/10/19 19:10:48 3tHZBxuH
われわれ楯の会は自衛隊によって育てられ、いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。
その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。
かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、またわれわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかった男の涙を知った。
ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。
このことには一点の疑ひもない。

われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈の気を呼吸できる唯一の場所であった。
教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。
しかもなほ敢えてこの挙に出たのは何故であるか。
たとえ強弁と言はれようとも自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

2:法の下の名無し
07/10/19 19:12:54 3tHZBxuH
われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみささがられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを歯噛みしながら見ていなければならなかった。

われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢見た。
しかも法理論的には自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来ているのを見た。
もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。
自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけてきた。
自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。

3:法の下の名無し
07/10/19 19:14:48 3tHZBxuH
われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。
自衛隊が目覚める時こそ日本が目覚める時だと信じた。
自衛隊が自ら目覚めることなしに、この眠れる日本が目覚めることはないのを信じた。
憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。
楯の会の根本理念はひとへに自衛隊が目覚める時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために命を捨てようといふ決心にあった。

憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。
国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。
政体を警察力を以て守りきれない段階に来てはじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。
日本の軍隊の建軍の本義とは「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。
国のねじ曲がった大本を正すといふ使命のためわれわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。

4:法の下の名無し
07/10/19 19:16:41 3tHZBxuH
しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起こったか。
総理訪米前の大詰ともいふべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終わった。
その状況を新宿で見て、私は「これで憲法は変わらない」と痛恨した。
その日に何が起こったか、政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。
治安出動は不要になった。

政府は政体護持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬っかぶりをつづける自信を得た。

これで左派勢力には憲法護持のアメ玉をしゃぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら護憲を標榜することの利点を得たのである。
名を捨てて実をとる!
政治家にとってはそれでよからう。
しかし自衛隊にとっては致命傷であることに政治家は気づかない筈はない。
そこで、ふたたび前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。

5:法の下の名無し
07/10/19 19:19:00 3tHZBxuH
銘記せよ!
実はこの昭和四十五年(注、四十四年の誤りか)十月二十一日といふ日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。
創立以来二十年に亘って憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。
論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であった自衛隊は「護憲の軍隊」として認知されたのである。
これ以上のパラドックスがあらうか。

われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。
われわれが夢みていたやうに、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。
自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。
男であれば男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。
我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば決然起ち上がるのが男であり武士である。
われわれはひたすら耳をすました。
しかし自衛隊のどこからも「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する男子の声はきこえてはこなかった。

かくなる上は自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤやうに黙ったままだった。

6:法の下の名無し
07/10/19 19:21:03 3tHZBxuH
われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。
諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。
しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。
シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、といふ。
しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。
日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。

この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐ったのか。
武士の魂はどこへ行ったのだ。
魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこへ行かうとするのか。
繊維交渉に当たっては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかはる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかった。
沖縄返還とは何か?
本土の防衛責任とは何か?
アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。
あと二年の内に自主権を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであらう。

7:法の下の名無し
07/10/19 19:23:28 3tHZBxuH
われわれは四年待った。
最後の一年は熱烈に待った。
もう待てぬ。
自ら冒涜する者を待つわけにはいかぬ。
しかしあと三十分、最後の三十分待たう。
共に起って義のために共に死ぬのだ。
日本を日本の真姿に、戻してそこで死ぬのだ、生命尊重のみで魂は死んでもよいのか、生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。

それは自由でも民主主義でもない。
日本だ。
われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。
これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。
もしいれば、今からでも共に起ち、共に死なう。
われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇ることを熱望するあまり、この挙に出たのである。

8:法の下の名無し
07/10/24 13:47:52 aOSGcXhc
三島事件の背景には自衛隊が深く関わっている。
全学連による反政府運動は日増しに激化し、今にも共産革命が起こるのではないかという当時の社会世情の中で、
国家の防衛に強い危機感を抱いていた旧日本陸軍出身の自衛隊幹部とアメリカ陸軍とCIAは自衛隊によるクーデターを望んでいた。


9:法の下の名無し
07/10/24 13:50:00 aOSGcXhc
アメリカは中ソ接近による極東アジアの共産主義勢力の拡大に対抗するため、日本が憲法を改定し自衛隊が国軍になってアジアの共産革命に対する西側陣営の防衛を本格的に担ってくれることを望んでいた。
つまり彼らはクーデターの機会を望んでいたのである。

一部の自衛隊幹部は、日本国内での新左翼運動と各地の都市闘争の勃発に対して自衛隊が治安維持出勤をし、デモ隊を鎮圧して、そのままクーデターへと流れ込み、かくて自衛隊を国軍として社会に認知させようと考えていた。
クーデターの機会を望んでいた彼らにとって、国を憂い、自衛隊の覚醒を諭していた三島と関係をもつことは願ってもないことだったのである。

10:法の下の名無し
07/10/24 13:53:30 aOSGcXhc
クーデターを画策する高級将校たちが一度は三島の構想に理解を示したものの、最後は憂国よりも自分たちの保身のため三島の構想を握りつぶし、うやむやにしてしまった。
また、キッシンジャーの訪中によりアメリカの対中政策はそれ以前のような強固な対抗姿勢を全面に出すものではなくなりつつあった。
そして、さらに激化し続けると思われた学生運動は、力を強化した警察機動隊の前に次々と撃沈され、自衛隊の治安維持出勤の可能性はなくなってしまった。
つまり、三島だけがとり残されたのである。このとき三島にあったのは絶望だけだったであろう。


11:法の下の名無し
07/10/24 13:54:14 aOSGcXhc
その後、三島が何をしたかということは周知のとおりである。三島は自衛隊がもう決起しないことを知りながら、あえて狂気を演じたのである。
クーデター実行を塞がれた三島はクーデターらしき状況を演出ことによって、メッセージを伝えたかったのではないだろうか。
今、三島事件から37年後の今日からみると、三島の自衛隊と戦後日本に対する考えは、その後の政治家の堕落、日本国民のバブルの狂騒、小学生や中学生の犯罪など、三島の檄文の中身は、ある意味日本を予言し正しかったと言わざるをえない。


12:法の下の名無し
07/11/13 16:21:44 4NdelLpL
日本人が、二本足でしっかり地に足をつけて立つことを、諸外国はどこも望んでおらんし、
欧米も、特亜(ロシア、中国)も、そういう機運は芽にならないうちに摘んできたというのが、
この日本の戦後60年であった。

宦官のような小賢しい官僚統治をのさばらせておいてるうちはどうにもならんだろうね。
これは、明治維新政府設立以来の、日本の桎梏である。

それがまた、日本のリベラル思想の病理のあらわれでもある。
しかも、何に侵されているのか自覚もできないでいるようだ。

13:法の下の名無し
07/11/15 14:19:04 P+MLJg/a
日本はみかけの安定の下に、一日一日魂のとりかへしのつかぬ癌症状をあらはしてゐるのに、手をこまぬいてゐなければならなかった。
もっともわれわれの行動が必要なときに、状況はわれわれに味方しなかったのである。
(中略)
日本が堕落の淵に沈んでも、諸君こそは、武士の魂を学び、武士の錬成を受けた、最後の日本の若者である。
諸君が理想を放棄するとき、日本は滅びるのだ。

三島由紀夫
遺言状
「楯の会会員たりし諸君へ」から

14:法の下の名無し
07/11/15 21:32:14 JR8GP4FA
まあ三島のチンコはでかかったらしいがな

15:法の下の名無し
07/11/20 15:21:55 GhJdUG+Y
三島の真意や遺志を伝える仕事に取り組んでみると、彼がいかにこの国の将来を憂え、真剣にかつ周到に、国家防衛をあるべき姿に戻す計画を練っていたかということに驚かされる。
また、物事のすべてから国家の危機を敏感に感じ取っていた彼が、状況の変化の中で計画の可能性を狭められ、追いつめられ、最後の選択をし、身を処するに至る過程の悲痛さ、雄々しさは改めて私の胸を締め付けたものだ。
ある作家が導き出した結論のように、三島は単純な狂気に駆られていたわけではない。
(中略)
三島との出会いがなかったら、私の人生は砂漠であった。
三島と語り合い、訓練をともにした日々は私に、もう一度、祖国防衛の実現に取り組もうとする意欲と希望を与えてくれた。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長、
北部方面総監部第二部長、
調査学校情報教育課長、
のちに同校副校長、陸将補

16:法の下の名無し
07/11/20 17:22:18 GhJdUG+Y
自衛隊の中でもある特殊な教育・訓練を行う立場にあって、やがて私は三島の教官となった。もちろん彼は平凡な生徒ではなかった。
私は何度か彼の深い洞察力に触れて舌を巻いたものだし、鋭く切り込んでくる質問にたじたじになったこともあった。私にとっても実に得るところの多い共同作業であった。
われわれがそうした特殊な訓練と研究を行っていたことについては、多少の説明が必要だろう。
たとえ戦争を放棄したと宣言しても、万が一外からの攻撃にさらされれば、われわれは座して祖国を蹂躙されるに任せているわけにはいかない。そのとき、自衛隊は祖国を守らなければならない。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長、
北部方面総監部第二部長、
調査学校情報教育課長、
のちに同校副校長、陸将補


17:法の下の名無し
07/11/20 17:52:50 GhJdUG+Y
戦争にはつねに表に見えている部分と陰で動いている部分があり、表の部分だけでは勝つことはできない。
わかりやすい例で言えば、国際政治の世界では日本の政治力、交渉力、情報力はかなり弱いと言われており、現実に外交交渉などではいつもしてやられている感がある。
陰で動いているというと、何か姑息な卑怯なことのように感じられるかもしれないが、こちらから戦争を仕掛けることがないわが国としては、
むしろ水面下での動き、ネットワーク、情報力などは、不幸な状況を招く危機を未然に防ぐ有力な方法として欠くべからざるものなのである。
三島由紀夫はそのことに気づいていた。彼の行動が一般の人々にわかりにくかったとすれば、その大きな原因の一つは、彼の考えと行動がこうした陰の部分に踏み込んでいたことだろう。
私たち二人は志を同じくする者として、訓練をともにし、真剣に祖国防衛を語り合った。しかし私たちは、最後まで行動をともにすることはなかった。私は、三島の決起を正確に予測することができなかった。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長、
北部方面総監部第二部長、
調査学校情報教育課長、
のちに同校副校長、陸将補


18:法の下の名無し
07/11/21 11:45:39 iOL/ZO3n
情報勤務全般の概念を理解してもらうため、日本で現実に起こったスパイ事件を例に、講義した。取り上げたのは、昭和38年4月1日朝、秋田県能代市の浜浅内に、二人の男の漂流死体が打ち上げられたことから発覚した「能代事件」である。
(中略)
むろん、外国人登録証はなく、装備から見てかなり大物の北朝鮮工作員と推測された。そして地図などから、目的地は秋田ではなく、東京、大阪でのスパイ活動が目的と思われた。
しかしこの事件は、何らかの陰の力が働いたのか、結局憶測の域を出ないまま、うやむやのうちに迷宮入りとなってしまったのである。
講義の中で、二人の溺死体の写真を示したとき、三島は写真を手にしたまま五分間ほども見入っていた。
そして、この事件が単なる密入国事件として処理され、スパイ事件としては迷宮入りになってしまったことに私が言及すると、三島は激昂した調子で言った。
「どうしてこんな重大なことが、問題にされずに放置されるんだ!」

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長、
北部方面総監部第二部長、
調査学校情報教育課長、
のちに同校副校長、陸将補


19:法の下の名無し
07/11/22 11:33:26 zRiGOySi
三島の「祖国防衛隊」構想は、きわめてスケールの大きい国家的防衛試案である。
民間からの志願によって構成することになる防衛組織の実現のためには、国民の広い層からの支持を得なければならない。そして、それに先行して、膨大な経費のかかるこの企てには資金的裏付けが必要だった。
(中略)
資金的裏付けを産業界に求めるのは自然であり、現実に三島が、産業界に大きな期待を寄せていたことは、この仮案〈J・N・G(ジャパン・ナショナル・ガード=祖国防衛隊)仮案〉からも明らかである。
(中略)
三島は緻密な情勢判断に立って、己の半生を賭して祖国の真の防衛に身を捧げようとしていた。
(中略)
最終的には国家の制度までしていくためには、私的な同志の集まりでは間に合わない。民間防衛軍として十分に機能するためにも、ある程度の規模が必要である。
そこで彼は計画への援助を財界に求めたのである。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長、
北部方面総監部第二部長、
調査学校情報教育課長、
のちに同校副校長、陸将補


20:法の下の名無し
07/11/22 12:10:11 zRiGOySi
ある晩、三島が前触れもなく拙宅を訪れた。
(中略)
やがて話は、三島が藤原(元東京練馬陸上自衛隊第一師団長)の案内で、日経連会長の桜田武のところへ相談に行った時のことに移っていった。
三島の声の調子が変わっていた。一瞬空気が張り付くような緊張が走り、三島は吐き捨てるように言った。
「彼は私に三百万円の援助を切り出し、『君、私兵なぞつくってはいかんよ』と言ったんです!」
(中略)
問題は、桜田が拒否以上の、悪意に満ちた応えをもって報いたことにあったと言わねばならない。
桜田が三島の考えを理解しなかったといっても、何ら責めるには当たらないだろう。だが彼は、三島の提案を頭から否定する以上のこと、つまり馬鹿にすること、揶揄することによって三島を否定し、侮辱したのであった。
桜田は三島の構想に理解を示さなかったばかりでなく、わずかな金を投げ与え、皮肉でしかない忠告を添えたのであった。当然三島は、その投げ銭を拒否した。そして、それ以降、財界への接触をいっさい断つことになった。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長、
北部方面総監部第二部長、
調査学校情報教育課長、
のちに同校副校長、陸将補


21:法の下の名無し
07/11/22 16:01:13 zRiGOySi
この事件(桜田の件)は三島に、重大な路線変更を決意させることになったのである。
「祖国防衛隊」から「楯の会」への名称変更の真の意味を私が知ったのは、三島の自刃後であった。
遺された資料をもう一度徹底的に洗い直した私は、三島が、『J・N・G仮案』で一般公募による隊員グループを「横の組織」と位置づけていることに気づいた。
(中略)
三島の文脈からすれば、「志操堅固な者」のみによる中核体要員養成については、すべて三島に委ねられる形で行われるが、それは一般公募に至る準備段階として位置づけられ、財界からの資金援助の枠内に入る。
そして、中核体の結成が完了し、これを核として公募組織が結成される段階から、徐々に三島の手を離していって、すべてを組織の執行機関に委せることにする、というのが彼の構想のあらましだったのではないかと思う。
(中略)
桜田は、事実上この上ない拒否によって、「祖国防衛隊」を国民的な横への広がりをもった民間防衛組織にする、という三島の構想を粉々に砕いた。
三島は、独自の準備段階へ独力で突入することを決意せざるを得なかった。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長、
北部方面総監部第二部長、
調査学校情報教育課長、
のちに同校副校長、陸将補


22:法の下の名無し
07/11/22 18:43:48 c81Suu3l
三島は戦後生き残った最後の武士だな。




23:法の下の名無し
07/11/23 09:56:22 +qudrPEG
10ch朝日で三島特集やってるよ

24:法の下の名無し
07/11/23 10:26:21 +qudrPEG
憂国忌まで3日だそうな

25:法の下の名無し
07/11/23 12:58:00 lJ1TcMAX
私は、決して明かしてはならない最後の部分に触れずとも、そのぎりぎりのところに踏みとどまることによって、
三島に対する誤解を解き、その真意を伝え、名誉回復を図ることは可能であり、また日本の国家防衛のあり方についての論議に一石を投じることもできるだろうと考えていた。
だが、本稿を書き進めるうち、三島の真実を明らかにするためには、その最後の部分に触れずにすますわけにはいかないという思いが募ってきた。そのことを語らなくては三島にすまない。その霊を鎮めることはできないと思い始めたのである。
クーデターは行われるはずだった。

山本舜勝
(注:なお以前この山本の著書を読んだときは、中曽根康弘のことが書かれていた記憶があるが、この改版ではその部分が削られた模様)


26:法の下の名無し
07/11/23 13:00:20 lJ1TcMAX
前章で少し触れたが、かつて私は戦後唯一のクーデター未遂事件と言われる「三無事件」の内部調査を命じられた。
(中略)
私はジェネラルたちが、自衛隊によるクーデターの機会をもとめ、事件の陰で暗躍したことを知った。
こうした中、三島由紀夫が自衛隊で訓練を受け、自衛隊と連携した行動をとるようになった。
自衛隊幹部が三島の要請を受け入れ、異例の関係をもつようになった背景には、自衛隊誕生とともにその実権を握ることになった旧陸軍将官、将校たちの悲願が隠されていた。
(中略)
この痛恨の失敗(三無事件)は新たなクーデターの機会を求める彼らの思いを強くしていた。それから六年後、彼らの前に現れた三島由紀夫は、彼らの悲願を実行に移す機会を開く絶好の人物であった。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長、
北部方面総監部第二部長、
調査学校情報教育課長、
のちに同校副校長、陸将補


27:法の下の名無し
07/11/23 15:02:19 lJ1TcMAX
国内における全国的な新左翼運動の高まりと、世界各地で多発した新たな都市闘争のうねりは、これまでにない革命的状況の到来を予感させた。
それは一方で、わが自衛隊が本来あるべき姿で認められるチャンスであり、われわれ情報勤務の人間が、真に求められる存在となる絶好のチャンスでもあった。
(中略)
すなわち、10月21日(昭和44年)、新宿でデモ隊が騒乱状態を起こし、治安出勤が必至となったとき、
まず三島と「楯の会」会員が身を挺してデモ隊を排除し、私の同志が率いる東部方面の特別班も呼応する。ここでついに、自衛隊主力が出勤し、戒厳令状態下で首都の治安を回復する。
万一、デモ隊が皇居へ侵入した場合、私が待機させた自衛隊のヘリコプターで「楯の会」会員を移動させ、機を失せず、断固阻止する。
このとき三島ら十名はデモ隊殺傷の責を負い、鞘を払って日本刀をかざし、自害切腹に及ぶ。「反革命宣言」に書かれているように、「あとに続く者あるを信じ」て、自らの死を布石とするのである。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長、
北部方面総監部第二部長、
調査学校情報教育課長、
のちに同校副校長、陸将補


28:法の下の名無し
07/11/23 15:46:45 lJ1TcMAX
三島「楯の会」の決起によって幕が開く革命劇は、後から来る自衛隊によって完成される。クーデターを成功させた自衛隊は、憲法改正によって、国軍としての認知を獲得して幕を閉じる。
そこでは当然、私も切腹をしなければならないし、出勤の責任者としてのHと藤原も同様であろう。三島もそれを求めていたはずである。

もう一度言う。クーデターは行われるはずだった。
(中略)
武士道、自己犠牲、潔い死という、彼の美学に結びついた理念、概念に正面切って立ち向かうことが、私にはできなかった。
(中略)
そして私の死だけではない。何よりも私が認めがたく思ったのは、三島を失うということだった。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長、
北部方面総監部第二部長、
調査学校情報教育課長、
のちに同校副校長、陸将補


29:法の下の名無し
07/11/23 16:08:14 lJ1TcMAX
H陸将は、まだ私が三島に会っていなかった頃、このようなことを漏らしたことがある。
「おい、カモがネギをしょってきたぞ」
文学界の頂点に立つ人気作家三島由紀夫の存在は、自衛隊にとって願ってもない知的な広告塔であり、利用価値は十分あった。
その彼が広告塔どころか、自らを犠牲にして、自衛隊の自立という永年の悲願を成就しようとしている。ジェネラルたちは、三島の提案した計画に実現の可能性を見たのだ。
三島が単なる文人などではなく、しっかりとした理念と現実認識に基づく理論の持ち主であり、戦略家、将校としての資質と実行能力をもったりっぱな同志であることを知り、その人間的魅力に触れた私は、陸将たちの不遜な見方に反発を感じるようになった。
彼らにとって三島は、自分たちの目的を遂げるための手駒に過ぎなかった。そして、彼らにとっては私もいつでも捨てられる手駒の一つであった。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長、
北部方面総監部第二部長、
調査学校情報教育課長、
のちに同校副校長、陸将補


30:法の下の名無し
07/11/23 16:23:42 lJ1TcMAX
しかし三島は、彼らの言いなりになる手駒ではなかった。藤原らジェネラルたちは、「三島が自衛隊の地位を引き上げるために、何も言わずにおとなしく死んでくれる」というだけではすまなくなりそうだということに気づき始めた。
三島のクーデター計画が結局闇に葬られることになったのは、初夏に入った頃だった。私はその経緯を詳しくは知らない。藤原らは場合によっては自分たちも、死に誘い込まれる危険を察知したのかもしれない。
藤原は三島の構想に耳を傾けながら、参議院議員選挙立候補の準備を進めていた。
(中略)
三島はむろんひどく落胆したが、自衛隊との関わりで行われていた訓練を禁止されるには至らなかったため、決起の機会がまったく失われたものとは考えていなかった。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長、
北部方面総監部第二部長、
調査学校情報教育課長、
のちに同校副校長、陸将補


31:法の下の名無し
07/11/27 12:39:39 OysNLkLq
10月21日に向けて、新左翼各派はそれぞれにキャンペーンを繰り広げていた。学生だけでなく、反戦派と呼ばれる労働者集団も戦闘的な街頭デモを展開して、革命前夜の状況を作り出すべく、10月から11月にかけての闘争に全力を傾けよ、と呼びかけていた。
(中略)
三島はその日をどういう気持ちで迎えただろうか。
彼の構想を一度は受け入れたジェネラルたちは、その実行をうやむやにする形で自分たちの身の安全を図ったが、断固とした態度で全面否定したわけではないらしかった。
三島は逃げ腰の彼らとの話し合いを続けるなかで、それでも状況次第では、自衛隊の治安出勤もあり得ると考えていたらしい。
(中略)
警視庁の当該部署に確かな情報源をもっていた三島は、当日の警備状況とともに、その日の街頭闘争がどのような展開になり得るか、詳細な情報分析を事前に知っていた。
(中略)
直前までマスコミによって盛んに報じられていた自衛隊治安出勤の可能性は、完全に断たれたのである。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長、
北部方面総監部第二部長、
調査学校情報教育課長、
のちに同校副校長、陸将補


32:法の下の名無し
07/11/27 14:31:45 OysNLkLq
彼は、どのような形であれ、米軍占領による国の歪みを正し、民族の志を復活するためのクーデター計画を実行することを決意していた。
計画実行の当日になって、実現の可能性はほとんど残されていなかったが、それが完全にゼロとなるまであきらめなかった。
それは、最後まで力を尽くす誠でもあったが、あきらめの色を見せて、部下たる「楯の会」会員の士気を損なうことの愚を知っていたからであろう。
彼は真の武士であった。
(中略)
自衛隊の部隊と私たち情報勤務者が一体となって、心底からクーデター計画実行に取り組んだとするなら、三島の期待は実現したであろう。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長、
北部方面総監部第二部長、
調査学校情報教育課長、
のちに同校副校長、陸将補


33:法の下の名無し
07/11/27 14:47:08 OysNLkLq
自衛隊を本来あるべき姿、国軍として憲法上の認知を得させ、情報技術とシステム確立の下に、不正規軍としての民間防衛軍を結成して機能させること。
それは理想であり、これを長期的戦略を立て、広く国民に浸透させることによって実現するという理想論が、現実にきわめて困難であることを、私は長い体験の中で実感していた。

その意味では、10・21は、多少の無理はあっても、三島が主張したように、二度と訪れないかもしれない千載一遇のチャンスだったかもしれない。
永遠に訪れてこない望ましい機会を待つよりは、不十分でも限られた機会に力を集中させ、知力をふりしぼって、実現に力を尽くすべきではないか。
あるいは悲劇的な、あるいは無様な結末を迎えることになったとしても、座して様子をうかがうだけで、何事もなし得ないまま一生を終えるよりどんなにかましであるか。
三島の死に接したとき、私は過去に何十回、何百回となく自問してきたこの問いを、改めて自分に問いかけた。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長、
北部方面総監部第二部長、
調査学校情報教育課長、
のちに同校副校長、陸将補


34:法の下の名無し
07/11/28 03:48:47 0RCfgvXC
>>23
詳しく。

35:法の下の名無し
07/11/28 11:40:52 bndG+XlA
>>34
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

36:法の下の名無し
07/11/28 12:08:20 RGicSBvP
三島の真の決起は昭和44年10月21日に、果たせないまま終わっていた。
(中略)
私は三島の行動の行く末と三島の身を案じる一方で、私自身の身の危険を感じていた。それを恐れていたことで、私は三島に詫びたいと思う。三島は個人的なうらみで行動するような人間ではなかった。
(中略)
最後の決起は、この国の行く末を案じるがための、捨て石としての死であった。自己の保身をのみ考えて立とうとしない将官たちと、自らの運命に鈍感なすべての自衛隊員に対して糾弾し、反省を促したのである。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長、
北部方面総監部第二部長、
調査学校情報教育課長、
のちに同校副校長、陸将補


37:法の下の名無し
07/11/28 12:42:23 RGicSBvP
昭和46年秋、三島の一周忌が近づいてきていた。せめて思い出につながる部下たちを集め、われわれだけでも密かに三島を供養したいと思った。
11月24日、陽が落ち人の顔の判別がつかなくなる頃を待って、私は三島家の門前に独りで立った。
(中略)
私は、ただ合掌して唇を噛んだ。
翌25日夜、仮の祭壇を設け、私の手許に残った三島の遺品を供えた。部下の持ち寄りの供物をそなえ、懐かしい三島からの手紙を朗読して読経に代えた。
部下たちからすすり泣く声が洩れ、私も泣いた。
それが、私にできる本当に精一杯の供養であった。
そして、私の誕生日が来た。
(中略)
私はその日(2月28日)、自衛隊調査学校の校庭の壇上に立って、学生や部下たちに別離の挨拶をしようとしていた。
「晩秋の巨雷とともに、私の夢も消えた」
私は挨拶をこのように結んだ。
10代半ばの陸軍士官学校入学で始まった私の軍隊人生は、この日を以って終わった。

三島由紀夫はもっとも雄々しく、優れた「魂」 であった。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長、
北部方面総監部第二部長、
調査学校情報教育課長、
のちに同校副校長、陸将補


38:法の下の名無し
07/12/01 00:12:38 7Gq18LUH
>>35
ありがとう

39:法の下の名無し
07/12/03 13:44:06 JWuRWigL
決起当日、市ヶ谷へ向かう5人を乗せた白いコロナが第二京浜から中原街道を行き、首都高速に入ったあたりで、
助手席の三島が言った。
「これがヤクザ映画なら、ここで義理と人情の『唐獅子牡丹』といった音楽がかかるのだが、おれたちは意外に明るいなあ」そしてそれを歌いだし、四人が和した。

古賀は「われわれに辛い気持ちを起こさせないためだ」と感じた。

(古賀被告の検察官調書より)

40:法の下の名無し
07/12/03 13:45:20 JWuRWigL
市ヶ谷総監室のバルコニーの演説から帰ってきた三島由紀夫の最後の呟きの言葉
「二十分間くらい話したんだな。あれでは聞こえなかったな。」
それから、益田総監に向かって
「恨みはありません。自衛隊を天皇にお返しするためです。」

(二人の切腹のところは省きます)

益田総監の言葉
「きみたち、おまいりしなさい。」
そして総監は小賀に手を解かれた後に
「私にも冥福を祈らせてくれ。」
と言い、首の前に正座し瞑目合掌した。
知らず識らずに総監の目に涙が溢れてきた。
そして、黙って泣く三人にも
「もっと思い切り泣け。」
と総監は言った。

(現場にいた益田総監、古賀の公判廷での証言から)


41:法の下の名無し
07/12/03 13:48:28 JWuRWigL
そして、後の三島裁判での益田総監の証言から

「被告たちに憎いという気持ちは当時からなかった。
…中略…
国を思い、自衛隊を思い、あれほどのことをやった純粋な国を思う心は、個人としては買ってあげたい。
憎いという気持ちがないのは、純粋な気持ちを持っておられたからと思う。」


42:法の下の名無し
07/12/03 13:52:01 JWuRWigL
三島由紀夫の死後に、幹部が自衛隊員に極秘で行ったアンケートでは、大部分の隊員は三島の考えに共鳴したという事実がある。
事件の翌日には、総監室前に菊の花束が隊員たちにより手向けられた。

43:法の下の名無し
07/12/16 20:45:53 1W1eovb6
菊か
なるほど

44:法の下の名無し
07/12/18 11:58:27 o9tIF8A1
山内(元自衛隊員、普通科教導連隊元助教)は、あの日、市ヶ谷のバルコニーで
「諸君は武士だろう!」と絶叫の響きをにじませながら訴える三島の声をかき消すように、嘲笑や罵声を浴びせた隊員たちにむしろ
「腹が立ち」、「平岡先生を悪者にしてはいけないということしか頭に浮かばなかった」という。
三島への尊敬の念が強まることはあれ薄まることはなかったのである。

そんな山内も、終生先生との思い出を忘れない、と書きとめたノートのなかで、
〈私は先生に会う以前、三島由紀夫とはつまらぬ小説家であろうと思っていた〉と明かしている。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

45:法の下の名無し
07/12/18 12:14:46 o9tIF8A1
それが「尊敬」へと180度変わったのは、生身の三島に触れて、たとえ弱さがあっても、そんな自分から決して逃げることはせず、
むしろ真正面から立ち向かって、より強くなろうとする三島の真摯な姿を間近でみつめてからだった。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より


46:法の下の名無し
07/12/18 12:23:06 o9tIF8A1
ひたむきな三島に心動かされたのは山内ひとりではなかった。体験入隊してきた三島を、時には「平岡ッ」と本名で呼び捨てにしながら、手加減せず厳しく指導してきた教官や助教も、
あるいはともに汗を流し、隣り合わせのベッドで眠った訓練仲間の学生も、少なくとも私が話を聞いたすべての元兵士たちが口を揃えて、
鍛え上げられた上半身に比べて足腰の弱さが際立つ、三島の中のアンバランスを指摘しながら同時に、三島の愚直なまでの一途さにすがすがしいものを覚えていた。
要するに彼ら全員が、兵士になろうとして、世界のミシマとは別人のように弱さも含めてすべてをさらけ出した人間三島に惚れこんだのである。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

47:三島由紀夫
07/12/19 17:37:21 RBX809Fm
自衛隊にとって健軍の本義とは、なんだ。
日本を守ること。
日本を守るとはなんだ。
日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることだ。
おまえら聞け。聞け!
静かにせい。静かにせい!
静粛に聞け!
男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ!
いいか!
いいか!

それがだ、いま、日本人がだ、ここでもって立ち上がらなければ、自衛隊が立ち上がらなければ、憲法改正というものがないんだよ。
諸君は永久にだね、ただ、アメリカの軍隊になってしまうんだぞ!


48:法の下の名無し
07/12/20 14:30:44 4ka1Onvf
三島事件の直後、新聞記者たちの質問は、三島の行動が日本の軍国主義復活と関係あるか、ということだったが、私の反応は、ほとんど直感的に「ノー」と答えることだった。
たぶん、いつの日か、国が平和とか、国民総生産とか、そんなものすべてに飽きあきしたとき、彼は新しい国家意識の守護神と目されるだろう。
いまになってわれわれは、彼が何をしようと志していたかを、きわめて早くからわれわれに告げていて、それを成し遂げたことを知ることができる。

エドワード・サイデンステッカー


49:法の下の名無し
07/12/20 14:59:30 a/d3aoTJ
>>47
>日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることだ。
この部分は俺の耳には「~天皇を中心とする武士道文化の伝統なのだ。」と聞こえるんだが。

50:法の下の名無し
07/12/21 21:26:54 nQ7zYW4M
三島由紀夫の文学を読めば武士道精神よりももっと昔の、源氏物語、古今和歌集などの王朝文学、さらには古事記の神話にも造詣が深く、
それらすべてのなかにある日本人のもののあわれの心、文化天皇を規範とした家族、社会の隣人共同体意識、義理人情、日本独特の精神文化を指していることが解りますよ。

51:法の下の名無し
07/12/22 14:40:09 Q31awCLR
ハラキリにおいて死は消滅する。死という人間的諸条件を、ある人間の意志が、自由に否定する行為であるからだ。
ハラキリにおいては、より高き倫理価値が自己に対する超越のかたちによって、死に対する克服のかたちによって肯定されているからである。

三島にとっては死は行動として一つの強烈な現実性を持っていた。日本の偉大な伝統と、儀式とによる死。
それでも異常なことだが、西欧ではローマ人的なこの死とロマンティックな自殺とを、混同するに至っている。
西欧のロマン主義者は、決してこのような方法では自殺しなかった。どのような文明も、死を祭儀的行為として提議してはいないのである。
ある意味では日本の武士道精神がそれを提議した。

アンドレ・マルロオ


52:法の下の名無し
07/12/22 17:34:47 Q31awCLR
新聞や週刊誌の中には、しごく単純に三島を異常性格者ときめつけ、最初から彼が自分の文学の主要テーマとして選び貫いた同性愛をも風俗の眼で眺めたあげく、ホモだオカマだと立ち騒ぐ向きまであるのには一驚した。
死んだのは流行歌手でも映画スターでもない、戦後にもっとも豊かな、香り高い果実をもたらした作家である。
彼の内部に眼玉ばかり大きい腺病質の少年が棲み、あとからその従者として筋肉逞しい兵士が寄り添ったとしても、それをただ劣等感の裏返しぐらいのことで片づけてしまえる粗雑な神経と浅薄な思考が、こうも幅を利かす時代なのか。

中井英夫
当時の報道を批判して


53:法の下の名無し
07/12/22 17:46:19 Q31awCLR
ある政治家が「狂気の沙汰」と呼び、これに迎合するかのようにある作家が「精神分裂症」と診断した。病理学的な狂気は三島由紀夫君にはなかった。
狂気とかたづけてしまえば、その時点で政治家も作家も、一切の思考を停止し、責任を回避することができる。
ソ連のような国では、多くの健康な作家が精神病院に入れられている。独裁者と怠惰な思考喪失者にとっては、人を狂人あつかいにすることほど簡易軽便な処理法はない。

林房雄
当時の報道を批判して


54:法の下の名無し
07/12/23 16:55:17 PXQWJedY
三島君の熱望は決して政治概念としての天皇の復活、したがって明治憲法復元論でもなく、ただ左右の全体主義(共産主義とファシズム)に対抗する唯一の理念としての「文化の全体性と統括者としての天皇」の復活と定立であった。
このような定立が、「古代の夢」は別として、日本の歴史において実現された実例があったかどうかは論争的として残るが、その試みが幾たびか行われて、多くの忠臣と志士がこの夢に命を捧げたことは事実である。

林房雄


55:法の下の名無し
07/12/26 14:47:53 M4+VmEhP
「薔薇刑」の基本的テーマは「生と死」「エロスとタナトス」であり、それは三島由紀夫を被写体とするところの私の主観的ドキュメンタリー作品である。
そこで理解してもらいことは、三島氏は自分を「被写体」と呼び、最初から最後まで完全に「被写体」に徹してくれた。
だからハリウッドの映画監督がつくった映画「MISHIMA」の中で私らしい写真家が登場するが、
そこで画面上のMISHIMAがカメラをかまえる写真家に向かってカメラの位置を変えるように手で指示するシーンがでてくるが、あんなことは絶対になかったし、ありえないことだ。

細江英公


56:法の下の名無し
07/12/26 14:48:53 M4+VmEhP
三島さんは文字通り「誠実の人」であった。その点だけは、身近に彼を知り、そして生き残った自分の責任として、きちんと後世に伝えておかなければならない。
その三島さんが、あえて選んだ死に様であるのなら、それは真摯に考え抜いた結果であったはずであり、そこには止むに止まれぬ理由が存在したに違いないのである。
であるから、私がまず強調しておきたいのは、事件直後から多くのメディアによって宣伝されてきたような「スキャンダル」として三島さんの死を扱うようなことは、実にもって愚劣なことであるということである。

細江英公


57:法の下の名無し
07/12/29 15:47:23 iV17IWQm
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。

三島由紀夫
「私の中の二十五年」より

58:法の下の名無し
07/12/29 17:19:50 fzUo5CV9
富裕で、抜け目のない経済大国にはなりきれなかったようだ。

59:法の下の名無し
07/12/30 17:50:23 pag2slmc
三島由紀夫
「僕はいつも思うのは、自分がほんとうに恥ずかしいことだと思うのは、自分は戦後の社会を否定してきた、
否定してきて本を書いて、お金をもらって暮らしてきたということは、もうほんとうに僕のギルティ・コンシャスだな。」

武田泰淳
「いや、それだけは言っちゃいけないよ。あなたがそんなこと言ったらガタガタになっちゃう。」

三島
「でもこのごろ言うことにしちゃったわけだ。おれはいままでそういうことを言わなかった。」

武田
「それはやっぱり、強気でいてもらわないと…」

三島
「そうかな。おれはいままでそういうことは言わなかったけれども、よく考えてみるといやだよ。(略)」

私は三島さんを懸命にナダめにナダめる武田氏に、つよい共感で(感傷的にも)涙ぐみたくなる。
しかし同時に、三島さんがもの書きとしての恥部をここまで口にする激しい自己意識に心をうたれずにいられない。
それはまたそっくり三島さんの社会への批判でもある。

田久保英夫


60:法の下の名無し
08/01/04 16:51:56 brpNhbBz
左翼人の私も右翼人の三島の「行動」には、かなり衝撃を受けたことも事実なのであって、これを匿す気にはならないからである。
そして衝撃を受けなかった人はどんな人なのかと思ったりもするのだが、「行動」といい「芸術」といっても、所詮人間はおなじなのかも知れない。
しかも三島と私とはイデオロギーが全くちがっているのに、どこか類似性、相似性があるような気がして、それが私自身気になるのである。

三島由紀夫こそはあきらかに、永井荷風や谷崎潤一郎やあるいは川端康成の耽美主義の系譜とその路線に沿いながら、しかし明確な知性をもって、またその美的知性の故に、
その路線の最終駅に到着しながら、それをなんらかの形で社会的行動におきかえようとした努力家であり勇気ある誠実者ではなかったのだろうか。

山岸外史


61:法の下の名無し
08/01/04 17:33:17 brpNhbBz
息つくひまなき刻苦勉励の一生が、ここに完結しました。
疾走する長距離ランナーの孤独な肉体と精神が蹴たてていた土埃、その息づかいが、私たちの頭上に舞い上がり、そして舞い下りています。
あなたの忍耐と、あなたの決断。あなたの憎悪と、あなたの愛情が。そしてあなたの哄笑と、あなたの沈黙が、私たちのあいだにただよい、私たちをおさえつけています。
それは美的というよりは、何かしら道徳的なものです。あなたが「不道徳教室講座」を発表したとき、私は「こんなに生真じめな努力家が、
不道徳になぞなれるわけがないではないか」と直感したものですが、あなたには生まれながらにして、道徳ぬきにして生きて行く生は、生ではないと信じる素質がそなわっていたのではないでしょうか。

武田泰淳


62:法の下の名無し
08/01/15 12:54:30 JAxz6EG3
たとえこのたびの事件が、社会的になんらかの影響をもつとしても、生者が死者の霊を愚弄していいという根拠にはなりえない。
また三島氏の行為が、あらゆる批評を予測し、それを承知した上での決断によるかぎり、三島氏の死はすべての批評を相対化しつくしてしまっている。
それはいうなればあらゆる批評を峻拒する行為、あるいは批評そのものが否応なしに批評されてしまうという性格のものである。
三島氏の文学と思想を貫くもの、それは美的生死への渇きと、地上のすべてを空無化しようという、すさまじい悪意のようなものである。

磯田光一


63:法の下の名無し
08/01/15 13:01:39 JAxz6EG3
三島氏にとって必要なこと、それは「戦後」という時代、あるいはストイシズムを失った現実社会そのものに、徹底した復讐をすることであったと思われる。
イデオロギーはもはや問題ではない。自衛隊も、自民党も、共産党も、氏の前には等しく卑俗なものに見えたのである。
この精神の貴族主義者にとって、いったい不可能以外の何が心を惹いたであろうか。

磯田光一


64:法の下の名無し
08/01/15 14:31:13 JAxz6EG3
ぼくにとっていまでも驚異に思われるのは、三島というひとが、あんなに明敏かつ冷徹な批評家的、懐疑家的な眼と、あんなに度の高い情熱とを、どうして併有することができたか、ということである。
情熱家は、世のなかに少なくはないだろう。しかしあのような最期をとげ得るほどの人物が、ほかにどれだけあるか。
また冷静な合理主義者の数は、多いだろうが、死の最後の瞬間まであれほど冷徹に計算し、実行し得るひとは、稀だろうと思う。
しかも驚くべきことに三島氏はその両者をわが身に併存させていたのだった。

村松剛


65:法の下の名無し
08/01/16 16:47:57 gVrJ0Si+
三島由紀夫は見事に切腹した。しかも、介錯は一太刀ではすまなかった。恐らく、弟子である森田必勝には師の首に刀を振り下ろすことに何かためらいでもあったのだろう。
それは逆に、三島が通常の切腹に倍する苦痛に克ったことを意味する。
罪人の斬首の場合、どんな豪胆な連中でも恐怖のあまり首をすくめるので、刀を首に打ち込むことはきわめて困難であると、山田朝右衛門(首切朝右衛門)は語っている。
しかし、三島は介錯の刀を二度三度受け止めたのである。このことは、三島由紀夫の思想が「本気」であることを何よりも雄弁に語っていた。
楯の会が小説家の道楽ではないことの確実な証拠であった。だからこそ、「本気」ではなかった左翼的雰囲気知識人は、自らの怯えを隠すように嘲笑的な態度を取ったのである。

呉智英


66:法の下の名無し
08/01/18 15:46:30 WvZH9TIR
一人の人間、ましてあれだけの人物が自ら死を選んだ真の理由を、簡単に特定できるはずもない。
が、あえていうならば、三島さんが言っていた「文武両道」の「武」とは「文」を守るためのものと位置付けていたと考えたい。
守るべき「文」とは、自身の「文学」だけに止まるものではないだろう。もっと広く、そして深く「日本の文化」そのものとでも呼ぶべきものであったはずである。
思い起こせば、高度経済成長を達成したあの頃には、我々日本人は、豊かさと引き換えに自分たちの文化をないがしろにするということを、なんら恐れなくなっていた。
今の日本が抱える混迷も、根本的にはそこに問題があったのだということを、私も含め日本人の多くが気づき始めているのではないだろうか。

細江英公


67:法の下の名無し
08/01/18 16:02:23 WvZH9TIR
三島さんには、今の日本の姿が見えていた。だからこそ、政治的な速攻性のないことがわかりきっている、あのような行動をあえてとることによって、我々に命懸けの「警告」を遺したのではなかったか。
そして恐らく三島さんが意図した通り、彼の行動は長く記憶され続け、その警告の意味は、時間がたつにつれてその重みを増してきているように思えてならない。
私は、既存の政治勢力が自らの主張のために三島さんの警告を都合よく利用するようなことがあってはならないと考える。
一方、彼の死後、文壇においては「あれは文学的な死であった」として、その多くが三島さんの個人的な理由によるものであるとする見方が支配的だったように思われるが、それにも違和感を感じてきた。
なぜなら、三島さんが憂いていたのは、もっと根源的な、日本人の精神的な危機そのものだったはずなのだから。

細江英公


68:法の下の名無し
08/01/20 01:29:28 WE2mGjKW
くだらねぇ、やめろやめろ!政治だの文学だの社会学だの哲学だの、冗長で暇で無意味な役に立たない議論が得意だな、他でやれよ、経済学板・司法試験板・法学板以外行ってくれ、それなら文句無い。迷惑なんだよ!!!!!

69:法の下の名無し
08/01/20 13:00:22 2WEmRuz/
三島事件は美学上の事件でも、芸術的殉教でもない。明らかに思想的事件である。
徳川時代の水戸史学、平田篤胤、吉田松陰、そして昭和戦後に三島由紀夫と連なるくらいの歴史的、思想的深みを持つ事件であると思う。
私は現代日本が世界に誇っていた文学者のこの突然の死を悼む。その死を賭してする行為の重みは、いたずらに我々の言葉の軽さを身に沁みさせるものである。

中曽根康弘


70:法の下の名無し
08/01/23 12:07:27 aH2q+BPf
「私はかねがねこの問題について言ってゐるやうに、文学を生の原理、無倫理の原理、無責任の原理と規定し、行動を死の原理、責任の原理、道徳の原理と規定してゐる。」
三島由紀夫

これは、「文学とは何か」という重要な主張でもある訳ですが、事実、三島さんの文学には倫理や道徳を侵すことをテーマにした作品が多いことはよく知られています。
その一方で、楯の会の制服を私の会社に注文した時の生真面目な態度にも表れているように、現実の行動においては極めて倫理的、道徳的であったことも、三島さんをよく知る人々の間では、つとに知られていました。

辻井喬


71:法の下の名無し
08/01/23 12:08:24 aH2q+BPf
「私の考へる革新とは、徹底的な論理性を政治に対して厳しく要求すると共に、一方、民族的心性(ゲミュート)の非論理性非合理性は文化の母胎であるから…(中略)
この非論理性非合理性の源泉を、天皇概念に集中することであつた。
かくて、国家におけるロゴスとエトスははつきり両分され、後者すなはち文化概念としての天皇が、革新の原理になるのである。」

三島由紀夫


72:法の下の名無し
08/01/23 12:09:25 aH2q+BPf
ここで「文化概念としての天皇」という三島さんの有名な主張について触れている訳ですが、これで明らかなように、三島さんはある意味では「革新派」であったともいえる。
ただそれは、東西冷戦期に東側が言っていたような意味での革新ではもちろんない。
そして天皇を革新の原理とするという主張に注目すると、二・二六事件の決起将校たちの思想的な指導者であった北一輝も同じようなことを言っていたということに思いあたります。
つまり、北一輝が二・二六事件の決起将校たちとともに天皇の命令というかたちで処刑された時から、日本の国の有り様は、三島さんの考えるものとは、実は全く異なる性質のものになってしまっていたのです。

辻井喬


73:法の下の名無し
08/01/23 12:11:50 aH2q+BPf
以上で明らかなように、三島さんの言っていたことは、そもそも右翼か左翼かといったような単純な二元論で説明できるようなものではなく、どちらにも分類できない革新派であり、どちらにも分類できない民族派だったといえるのです。
しかし、その点がなかなか理解されないのは、新聞などのメディアでは、こういう「どちらにも分類できない概念」というものは扱うのに困るらしくて、ほとんど活字などで解説されることがないということに原因があるのです。
そして、時間がたつにつれて、どんどんどんどん問題が単純化されて、一般の理解は益々三島さんの言っていたことの本質から遠ざかってしまっていると思われるのです。

辻井喬


74:法の下の名無し
08/01/24 20:37:43 T1PRRB1J
介錯に使われた刀は、ご存知のように「関の孫六」でした。書店の御主人の舩坂弘さんから寄贈されたものです。
そのため、舩坂さんは警察に呼ばれたわけですが、そのときもう一度実物を見せてもらったところ、奇妙なことに柄のところが金槌でめちゃくちゃにつぶされていて、二度と抜けないようになっていたそうです。
これはいったい、何のためなのか警察でも見当がつかなかったようです。ところが、その後の調べで、倅の周到な処置であることが判りました。

平岡梓


75:法の下の名無し
08/01/24 20:53:06 T1PRRB1J
というのは、こういうことです。倅は死ぬのは自分一人で足りる、決して道づれは許されない、ましてや森田必勝君には意中の人がいるのを察し、彼の死の申し出を頑強に拒否し続けて来た。
しかし、森田君はどうしても承知せず、結局、あんなお気の毒な結果になってしまったのです。
そして、森田君の希望により倅の介錯は彼にたのむ手筈になったものの、かねてから介錯のやり方を研究していた倅の眼から見ると、森田君の剣道の技倆はおぼつかないと見てとったのでしょう。
かんじんのとき、万一にも柄が抜けることのないよう、ああした処置をして彼に手渡したのだそうです。まことに用意周到をきわめたものです。
自分自身が割腹に使用したのは、かねて用意の鎧通しでした。

平岡梓


76:法の下の名無し
08/01/28 16:59:41 r7LRdaph
私にとって、敗戦が何であったかを言っておかなくてはならない。
それは解放ではなかった。断じて解放ではなかった。不変なもの、永遠なもの、日常のなかに融け込んでいる仏教的な時間の復活に他ならなかった。

三島由紀夫


私たちの信じていた戦争ではそれはないと思い始めたころ、日本の敗戦が来た。
しかしそれも私にとっては決して「解放」ではなかった。ただ全く新しい、別の意味で曖昧な幻想の世界が再び始ろうとしているという予感があった。

橋川文三


77:法の下の名無し
08/01/28 17:01:00 r7LRdaph
…戦争も、その「廃墟」も消失し、不在化したこの平和の時期には、どこか「異常」でうろんなところがあるという感覚は、ぼくには痛切な共感をさそうのである。
…つまり、そこでは「神話」と「秘蹟」の時代はおわり、時代へのメタヒストリックな共感は断たれ、あいまいで心を許せない日常性というあの反動過程が始まるのであり、
三島のように「廃墟」のイメージを礼拝したものたちは「異端」として「孤立と禁欲」の境涯に追いやられるのである。
「鏡子の家」の繁栄と没落の過程は、まさに戦後の終えん過程にかさなっており、その終えんのための鎮魂歌のような意味を、この作品は含んでいる。
…この日本ロマン派の直系だか傍系だかの作家のなかに、ぼくはつねにあの血なまぐさい「戦争」のイメージと、その変質過程に生じるさまざまな精神的発光現象のごときものを感じとり、それを戦中=戦後精神史のドキュメントとして記録することに関心をいだいてきた。

橋川文三


78:法の下の名無し
08/01/28 19:47:15 r7LRdaph
三島はファシズムの魅力とその芸術上の危険とを、いかなる学者先生よりも深く洞察した作家である。
ファシズムの下においては、三島の習得したあらゆる芸術=技術が無用となることを、彼はほとんど死を賭して体験した一人であるかもしれない。

…そのように(上記)書いたことを、私は三島に対して正しかったと今も思うことだけを述べておきたい。
そしてそれは認識の問題ではなく、むしろ人情の問題に属するとだけつけ加えておきたい。

橋川文三


79:法の下の名無し
08/01/28 21:02:15 r7LRdaph
最も理解してもらえるはずの才能が、ヴェクトルが逆になった孤立性のゆえに対立する立場に立たなければならないという、歴史というものの悪意を、橋川は充分に知っていたと思われます。
三島由紀夫との場合がそうでした。言いかえれば橋川は柔らかい心を抱いて、思想と感性の屋根を裸足で駆け抜けたのでありました。
創造的知が常にそのように生を生きなければならないのだとすれば、それはあまりにも厳しい時代の法則のような気が私にはしてきて仕方がないのです。

辻井喬


80:三島由紀夫
08/02/05 20:05:11 SCPmDHwy
諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。
どうして自分の否定する憲法をだね、自らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。
これがある限り、諸君というものは、永久に救われんのだぞ。
諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略で、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだ。
自衛隊は違憲なんだ。
貴様たちは違憲なんだ。
憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ。
どうして、そこのところに気がつかんのだ。
俺は、諸君がそれを完全に断つ日を、待ちに待っていたんだ。
諸君が、そのなかでもただ小さい根性ばっかりに固まって、片足突っ込んで、本当に日本のために立ち上がる時はないんだ。

憲法のために、日本の骨なしにした憲法に従ってきた、ということを知らないんだ。


81:法の下の名無し
08/02/12 13:00:51 35aiDL3s
三島由紀夫「伊沢さんは保田与重郎さんが好きですか、嫌いですか?」

伊沢甲子麿「保田さんは私の尊敬する人物です。
…戦後、保田さんを右翼だとか軍国主義だとか言って非難するものがありますが、私はそのような意見とは真向から戦っています。
保田さんは立派な日本人であり文豪です。」

三島「私は保田さんをほめる人は大好きだし悪く言う人は大嫌いなのです。今、伊沢さんが言われたことで貴方を信頼できる方だと思いました。」

当時、三島氏は大蔵省の若手エリート官僚であった。
…三島氏は天才的な作家であり東大法学部出身の最優秀の官僚でありながら、いささかも驕りたかぶるところがない謙虚な人柄であった。
そして義理と人情にあつい人であるということがわかったのである。

伊沢甲子麿


82:法の下の名無し
08/02/12 13:16:40 35aiDL3s
三島氏の要望により私は歴史と教育に関する話をいろいろとするに至った。
特に歴史では明治維新の志士について。中でも吉田松陰や真木和泉守の精神思想を何度も望まれて話した。
…三島氏は松陰や真木和泉守の話を私が始めると、和室であったため座布団をのけて正座してしまうのだった。
…その外では西郷隆盛の西南の役の話や、また尊皇派の反対の佐幕派の人物である近藤勇や土方歳三の話も何度となく望まれて語った次第である。
特に近藤勇は三島氏の祖母の祖父である永井尚志が近藤勇とは心を許し合った友人であったため、深く敬愛の情を寄せていた様である。

伊沢甲子麿


83:法の下の名無し
08/02/15 20:37:27 rugLKFWY
戦後文学の作品は沢山あり、さらに沢山つみあげられることだろう。今や大企業である。
しかしついのつまりに、三島由紀夫だけが文学及び文学者として、後の世に伝わってゆくだろう。
彼は紙幣を作っていたのでも、銀行預金通帳の数字を書き加えたのでもないからである。

保田与重郎


84:法の下の名無し
08/02/20 11:05:38 OeU82lRw
私が三島由紀夫氏を初めて知ったのは、彼が学習院中等部の上級生の時だった。
…そのあと高等部の学生の頃にも、東京帝国大学の学生となってからも、何回か訪ねてきた。
ある秋の日、南うけの畳廊下で話していると、彼の呼吸が目に顕ったので、不思議なことに思った。
吐く息の見えるわけはなく、又寒さに白く氷っているのでもない。長い間不思議に思っていたが、やはりあの事件のあとで拙宅へきた雑誌社の人で、三島氏を知っている者が、彼は喘息だったからではないかと云った。
私はこの齢稚い天才児を、もっと不思議の観念で見ていたので、この話をきいたあとも、一応そうかと思い、やはり別の印象を残している。

保田与重郎


85:法の下の名無し
08/02/20 12:02:11 OeU82lRw
三島の天皇崇拝は、彼の存命中ずっと在位していた天皇、裕仁に向けられたものではない。
短編「英霊の声」では、二・二六事件の首謀者と昭和二十年の神風特攻隊員の霊が、自分は神ではないと宣言して彼らを裏切った天皇を激しく責める。
天皇の名の下に死んだ者たちは、天皇が普通の人間と同じ弱さを持った人間であることを知っていたが、天皇という資格(キャパシティ)にあって、天皇は神であると確信していた。
もし、天皇が二・二六事件に関わった青年将校を支持し、なかんずく、彼らに自裁を命じたのだとしたら、その行為は、老いて堕落した政治家に囲まれた単なる統治者ではなく、神としてのふるまいだったであろうに。
しかし、神風特攻隊員が天皇を叫びつつ喜びに満たされて死んだ、それからわずか一年も経たずに、自分は神ではないと宣言した時、天皇は彼らの犠牲を哀れで無意味なものにしたのだ。

ドナルド・キーン


86:法の下の名無し
08/02/20 12:18:12 OeU82lRw
三島は、天皇無謬説を唱えたことがある。無論これは天皇の人間としての能力をさした説ではない。
より正確に言えば、天皇は神の資格において、人間の姿をした日本の伝統そのものなのであり、日本民族の経験が保管された唯一無二の宝庫である。
天皇を守ることは、三島にとって、日本そのものを守ることだった。このような政治観を日本の右翼と同一視するのは誤りであろう。
彼は確信していた。日本の景観を無慈悲に切り刻んで顧みない貪欲と、それが舶来だからというだけで事物や習慣を表面的に受用する西洋化、この二重の脅威から日本文化の崩壊を救えるのは若者の純粋さ、すなわち信念のためには死を辞さぬ若者の覚悟だけだと。

ドナルド・キーン


87:法の下の名無し
08/02/23 10:27:43 a3SraC4i
あの時(ノーベル賞を)受賞したのが川端であり、三島由紀夫でなかったのは、何かの行き違いだったかもしれない。
すなわち、国連事務総長だったダグ・ハマーショルドが1961年に亡くなる直前、三島の「金閣寺」を読み、ノーベル賞委員会のある委員に宛てた手紙で大絶賛したのである。こういった筋からの推薦は小さくない影響力を持っていた。
また1967年のこと、出版社の国際的な集会がチェニスで開かれ、私はその集いが授与する文学賞、フォルメントール賞を三島にと試みたが失敗に終わった。
この時、スウェーデンから参加した有力出版社ボニエールの重役が私を慰め、三島はずっと重要な賞をまもなく受けるだろう、と言ったのだ。ノーベル賞以外にはあり得なかった。

ドナルド・キーン


88:法の下の名無し
08/02/23 12:46:26 a3SraC4i
三島由紀夫氏の最後の四巻本の小説は、小説の歴史あってこの方、何人もしなかったことを、小説の歴史に立脚した上でなしあげようとしたのであろう。
そういう思いが、十分に理解されるような大作品である。

三島氏も、人のせぬおそるべきことを考え、ほとほとなしとげた。
そこには人間の歴史あってこの方の小説の歴史を、大網一つにつつみ込むような振る舞いが見える。

保田与重郎


89:法の下の名無し
08/02/23 12:54:45 a3SraC4i
人を、心に於て、最後に解剖してゆくような努力は、私に怖ろしいものと思われた。
三島氏ほどの天才が思っていた最後の一念は、皮相の文学論や思想論に慢心している世俗者よりも、そういうものとは無縁無垢の人に共感されるもののようにも思われる。
その共感を言葉でいい、文字で書けば、うそになって死んでしまうような生の感情である。

保田与重郎


90:法の下の名無し
08/02/25 15:25:24 AEOuzpMj
自己の作品化をするのが、私小説作家だとすれば、三島由紀夫は逆に作品に、自己を転位させようとしたのかもしれない。
むろんそんなことは不可能だ。作者と作品とは、もともとポジとネガの関係にあり、両方を完全に一致させてしまえば、相互に打ち消しあって、無がのこるだけである。
そんなことを三島由紀夫が知らないわけがない。知っていながらあえてその不可能に挑戦したのだろう。
なんという傲慢な、そして逆説的な挑戦であることか。ぼくに、羨望に近い共感を感じさせたのも、恐らくその不敵な野望のせいだったに違いない。

安部公房


91:法の下の名無し
08/02/27 16:15:12 U8AGWt/I
金閣寺は、この作品において美の象徴であり、しかも戦火によっていつ焼亡するかもしれないという時期、凄まじいまでの美をあらわしている存在である。
主人公は、その終末の予感に陶酔しつつ、金閣寺=美との共生にいいがたい浄福を感じている。
…敗戦の日、金閣寺と主人公の共生は断たれる。金閣寺は、あの失われた恩寵の時間を凝縮して、永遠の呪詛のような美に化生する。
主人公は美の此岸にとりのこされ、もはや何ごととも共生することができない。

橋川文三


92:法の下の名無し
08/02/27 16:16:13 U8AGWt/I
―この辺りには、戦中から戦後へかけての青年の絶望と孤独の姿が、比類ない正確さで描き出されており、
金閣=美を戦中の耽美的ナルシシズムにおきかえるならば、戦後もなお主人公を支配する金閣の幻影が、青年にとって何であったかを類推するに困難ではないであろう。
そこから、金閣寺を焼かねばならないという決意の誕生もまた、戦後の三島の精神史にあらわれた「裏がえしの自殺」の決意にほかならないことも明らかになるであろう。
こうして、この作品は、実際の事件に仮託しながら、三島の美に対する壮大な観念的告白を集大成したような観を呈しており、美の亡びと芸術家の誕生とを、厳密な内的法則性の支配する作品の中に、みごとに定着している。
「仮面の告白」に遙かに呼応する記念碑的な作品である。

橋川文三


93:法の下の名無し
08/02/27 16:53:46 kKE+6qYf
>保田与重郎

せめて正字に直した上で貼り付けてくれたまえ。

94:法の下の名無し
08/02/28 15:23:10 Ef7uYDdR
日本の民と国との歴史の上で、天地にわたる正大なる気を考える時、偉大なる生の本願を、文人の信実として表現した人は、戦後世代の中で、日本の文学の歴史は、三島由紀夫ただ一人を記録する。

保田與重郎


95:法の下の名無し
08/02/28 15:56:20 Ef7uYDdR
私は三島氏の死をきいた時、かなしさに心緒全くみだれました。
私の知っている三島君は、紅顔可憐の美少年でした。大人の顔を知らないので一層かなしいのです。
大学生のころは謡曲の文句に非常に興味を寄せていた。それについて、むかしの百科事典は極めて高級だった、とある時私が話題の中でいったことを、少し気にしたようだった。

保田與重郎


96:法の下の名無し
08/02/28 16:05:49 Ef7uYDdR
彼の少年から青年の時代にかけての、稚な顔を多分にのこした、繊細な年頃だけを知っている私には、戦後のたくましい体躯を誇っている彼の写真を見ると、何か憎らしくなったような気がした。

しかしこの二十数年間、私は三島氏の世評には盲目だったが、その文学の作品や言説については、真剣に考え、かりそめだったことはない。

保田與重郎


97:法の下の名無し
08/03/03 12:02:57 pmB72rvN
どう考えても私にとって不思議で仕方がなく、理解を絶するとしかいいようがないことは、
戦後25年の平和体制が、たとえばロマンティシズムといったような文芸上の観念にまで、有無をいわさず貶下的な内容を付加してしまうような雰囲気をつくりあげているということだろう。

澁澤龍彦


98:法の下の名無し
08/03/03 12:03:59 pmB72rvN
これは、経済的繁栄のみを目途としてきた支配体制のつくり出すムードに、文学者までもが巻きこまれているのか、それとも、その支配体制と表裏一体の関係にある共産党のふりまいた、人工甘味料入りの神話の賜物か。
「いつわりの人間主義をたつきの糧とし、偽善の団欒は世をおおい…」と作品中で歌った三島氏の声が、まさに呪いの言葉のように響いてくるのは、かかる時であろう。

澁澤龍彦


99:法の下の名無し
08/03/03 12:04:27 pmB72rvN
要するに、事柄はきわめて明瞭なのだ。
すなわち、三島由紀夫氏は一個の過激派だったということだ。
右とか左とか限定なしの、絶対追求者としての過激派である。

澁澤龍彦

100:法の下の名無し
08/03/03 12:05:47 pmB72rvN
三島氏の掲げるイデオロギーと、切腹という異様な自殺の方法とが、諸外国にどんな悪影響をあたえるか、といったような政府与党的な配慮には、私はまったく興味ない。

ひるがえって、もし諸外国に、日本に関してトランジスターの商人の国とかいったイメージしか定着していないとすれば、その情けないイメージを日本刀によって打ちやぶった三島氏の功績は、どんな文化使節のそれにも勝るであろう。

澁澤龍彦


101:法の下の名無し
08/03/03 17:42:00 pmB72rvN
川端氏は僕の吹く勝手な熱をしじゅう喜んでニコニコしてきいてくれた。おしまいには僕が悲しくなってしまった。
僕の生意気な友人たちだったら、フフンと鼻の先であしらいそうなこんなつまらない笑い話や、ユーモアのない又聞き話が、どういう経緯で川端氏の口に微笑を誘うのだろう。
しかしこうして一人で喋っているうちに、だんだん僕が感知しだしたのは僕の孤独ではなくて、むしろ川端氏の孤独なのだった。
ひろい家の中には夕闇がよどんで来た。ひろい家のさみしさが身にしみる時刻だ。

三島由紀夫
昭和22年
日記から


102:法の下の名無し
08/03/03 17:43:53 pmB72rvN
川端氏とのさびしい夕食、川端氏のかえってゆく一人の書斎、僕は僕の行方にあるものをまざまざと見る気がした。
名声とは何だろう。このひろい家によどんでくるどうにも逃げようもない夜のことなのか?否しかしなお僕は名声を愛している。
なぜなら名声でやっとたえられるものが僕の中にあるからだ。名声とは必要不可欠な人間にだけ来るものだ。
そうして名声があるために、ある人の慰めになる不幸があるものだ。こんな孤独の実質を名声は少しもかええないが、名前と形容詞だけは支えてくれる。
文学の仕事、それが形容詞の創造であるとするなら、こうして形容詞の冷徹で花やかな報いをうけるのは当然だ。

三島由紀夫
昭和22年
日記から


103:法の下の名無し
08/03/04 22:43:18 6GvOBPXp
私は、研究室で突然三島の死を聞いたとき、どういうわけかすぐに連想したのは、高山彦九郎であり、神風連であり、横山安武であり、相沢三郎などであった。
これらの人々の行動はいずれも常識を越えた「狂」の次元に属するものとされている。
この「狂」の伝統がどのようにして、日本に伝えられているのか、それはまだだれもわからないのではないだろうか。
ただ、すべての「異常」な行動を「良識」によって片づけることは、これまでの日本人の心をよくとらえ切っていない。
三島は私の知るところでは非常に「愚直」な人物である。
私のいう意味は、幕末の志士たちのいう「頑鈍」の精神であり、私としてはほめ言葉である。
私は三島をノーベル賞候補作家というよりも、その意味では、むしろ無名のテロリスト朝日平吾あるいは中岡良一などと同じように考えたい。

橋川文三


104:法の下の名無し
08/03/07 11:23:48 IfrtmxKm
戦争のことは、三島や私などのように、その時期に少年ないし青年であったものたちにとっては、あるやましい浄福の感情なしには思いおこせないものである。
それは異教的な秘宴の記憶、聖別された犯罪の陶酔感をともなう回想である。
およそ地上においてありえないほどの自由、奇蹟的な放恣と純潔、アコスミックな美と倫理の合致がその時代の様式であり、透明な無為と無垢の兇行との一体感が全地をおおっていた。
…しかし、このような体験は、いかにそれが戦争という政治と青春との偶然の遭遇にもとづくものであったにせよ、その絶対的な浄福の意識において、断じて罪以外のものではありえない。

橋川文三


105:法の下の名無し
08/03/07 11:35:16 IfrtmxKm
戦後、三島は己れの青春を「不治の健康」と名づけることによって出発した。
これはもとより逆説である。しかし、およそ生きるものが病み、やがて死んでゆくという有機的自然の過程こそ、三島たちにとってかつて許されたことのない世界であった。
死は、無機物との出会いにおいて、夭折においてしか不可能だったからである。通常の意味における「死」がありえなかったように、日常の生もまた拒まれていた。
もしなお生一般を生きるとすればそれは仮面による生、たえず変貌する日常性を仮装した、永遠の問いかけという形でしかありえない。
それはあの禁欲者たちが、自己の生の確証のためにではなく、隠された決断者の恣意の確証のために行動したのと同じように、不断に生を拒否するために行われる組織的な自己規制という意味をもつ。

橋川文三


106:法の下の名無し
08/03/07 11:50:25 IfrtmxKm
三島の文体の人工的な華麗さは、実は生の不在の精緻なアリバイを構成しようとする禁欲的な努力をあらわしている。彼は生の此岸からではなく、いわば反世界の側から様式を作り出そうとする。
三島の日本精神史における意味は、この点にもっとも鮮明にあらわれているといえよう。そして、もう一つつけくわえれば、三島は日本の思想に、一種のものすごいフモールの感覚をもちこんだといえるかもしれない。
ハイネのスタイルでいえば、おどけた仮面の双の眼玉からのぞいている死神の眼のイメージである。
しかし、これは不詳の言い方であろうから、私はむしろ三島の生き方における『葉隠』の倫理を説いた方がよいかもしれない。

橋川文三


107:法の下の名無し
08/03/11 11:55:32 95EbltA2
昭和の歴史は敗戦によって完全に前期後期に分けられたが、そこを連続して生きてきた私には、自分の連続性の根拠と、論理的一貫性の根拠を、どうしても探り出さなければならない欲求が生まれてきていた。

そのとき、どうしても引っかかるのは、「象徴」として天皇を規定した新憲法よりも、天皇御自身の、この「人間宣言」であり、
この疑問はおのずから、二・二六事件まで、一すじの影を投げ、影を辿って「英霊の声」を書かずにはいられない地点へ、私自身を追い込んだ。
自ら「美学」と称するのも滑稽だが、私は私のエステティックを掘り下げるにつれ、その底に天皇制の岩盤がわだかまっていることを知らねばならなかった。
それをいつまでも回避しているわけには行かぬのである。

三島由紀夫


108:法の下の名無し
08/03/11 12:09:06 95EbltA2
二・二六における天皇と青年将校というテーマは、ほとんどドストエフスキーの天才に俟たなければ描ききれないであろうというのが、私の以前からの独断であった。
それは何よりも神学の問題であり、正統と異端という古くから魅力と恐怖にみたされた人間信仰の世界にかかわる問題だからである。
端的にいえば、それは日本人の魂の世界における「大審問官」の問題にほかならないからと私は考えている。

橋川文三


109:法の下の名無し
08/03/11 12:44:15 95EbltA2
「英霊の声」の作品評を改めてしようとは思わない。
…問題はこれがある巨大な怨念の書であるということである。ある至高の浄福から追放されたものたちの憤怒と怨念がそこにはすさまじいまでにみちあふれている。
幽顕の境界を哀切な姿でよろめくものたちのの叫喚が、おびやかすような低音として、生者としての私たちの耳に迫ってくる。
三島はここでは、それら悪鬼羅刹と化したものたちの魂が憑依するシャーマンの役割をしている。
昔から能楽のもつ妖気の展開様式に熟練している三島は、ここでも巧みにその形式を利用している。

橋川文三


110:法の下の名無し
08/03/11 12:57:23 95EbltA2
私は、今でも深夜「二・二六事件」(河野司篇)をひもどくとき、そのとあるページを直視するにたえないが、この作品の鬼気にはそれに通じるものがある。
彼らの方が生きており、お前たちの方がそうではないのだぞと、そのとあるページのデスマスクは不気味な言葉で語りかけてくる。
そういう迫力において、この作品は、あれらの人々の心情をみごとに再現している。
三島はやはりここで、日本人にとっての天皇とは何か、その神威の下で行われた戦争と、その中での死者とは何であったか、
そして、なかんずく、神としての天皇の死の後、現に生存し、繁栄している日本人とは何かを究極にまで問いつめようとしている。
これが一個の憤怒の作品であるということは、それが現代日本文明の批判であるということにほかならない。

橋川文三


111:法の下の名無し
08/03/13 15:05:24 k4eEyZlu
三島由紀夫は、戦争末期の終末感と日本浪漫派系の文学趣味を背後に押し遣って、戦後に登場したとき、何をいちばん怖れたかといえば、
日本浪漫派系の没落と入れ替わりに登場した、第一次戦後派文学と呼ばれる転向左翼の文学者でもなければ、無頼派の文学者でもなく、
戦争末期の終末感を抱いたまま生き埋めにされ、なお節を曲げずに「紙なければ、空にも書かん」とつぶやいている保田與重郎という存在であろう。

桶谷秀昭


112:法の下の名無し
08/03/13 15:26:23 k4eEyZlu
私が三島先生に初めて会った時の言葉は、いまだに忘れられないものになっています。
…その彼が開口一番いった言葉は「あなたは保田與重郎先生が好きですか」だった。
保田先生というのは、文芸評論家で、いわゆる日本精神を持った方でした。しかし終戦と同時に追放され、戦争犯罪人ということで、一切の執筆活動を停止された。
…その当時の作家、学者の間では、保田先生の名を口にすることはタブーであった。それを三島先生があえて口に出したので私は驚いた。

伊沢甲子麿


113:法の下の名無し
08/03/13 15:36:03 k4eEyZlu
一瞬のためらいはありましたが、この際私としても、私自身の信念を素直に言うべきだと思い、「日本は戦争に敗れたけれども、保田先生はあくまでも立派な方だ。
保田先生を尊敬する。あの方の学問はしっかりしておられるし、あの方の信念、思想は立派だ」と答えました。
三島先生は私の顔をじっと見ておられ、「君は本物だな」と言われました。

伊沢甲子麿


114:法の下の名無し
08/03/16 22:44:10 IG4OK5JV
それにしても西洋人の享楽主義のえげつなさは、支那人はともかく、とても日本人の肌にはあいませんね。

平岡公威16歳
東文彦への書簡から

ドイツ語の講座の本少しよみ出しました。いやはやドイツ語はまるで法文みたいですね。ヒットラアという嫌悪すべき名が、亀の子文字の行間にチラチラします。
モスコオはどうしてどうしておちますまい。(?)

平岡公威16歳
東文彦への書簡から


115:法の下の名無し
08/03/16 22:45:40 IG4OK5JV
「西洋」へ、気持の惹かされることは、決して無理に否定さるべきものではないと思います。真の芸術は芸術家の「おのずからなる姿勢」のみから生まれるものでしょう。
近頃近代の超克といい、東洋へかえれ、日本へかえれといわれる。その主唱者は立派な方々ですが、
なまじっかの便乗者や尻馬にのった連中の、そこここにかもし出している雰囲気の汚ならしさは、一寸想像のつかぬものがあると思います。
我々は日本人である。我々のなかに「日本」がすんでいないはずがない。この信頼によって「おのずから」なる姿勢をお互いに大事にしてまいろうではございませんか。

平岡公威18歳
東文彦への書簡から


116:法の下の名無し
08/03/16 22:46:06 IG4OK5JV
いやなことと申せば今度も空襲がまいりそうですね。こうして書いております夜も折からの警戒警報のメガホンの声がかまびすしい。
一体どうなりますことやら。
しかしアメリカのような劣弱下等な文化の国、あんなものにまけてたまるかと思います。

平岡公威18歳
東文彦への書簡から

117:法の下の名無し
08/03/16 23:02:40 IG4OK5JV
文学の上では日本は今こそ世界唯一であり、また当然世界第一でありましょう。
ムッソリーニにはヒットラアより百倍も好意をもっていますので、一しおの哀感をおぼえました。ムッソリーニも亦、ニイチェのように、
愚人の海に傷ついた人でありましょう。英雄の悲劇の典型ともいうべきものがみられるようにおもいました。
かつて世界の悲劇であったのはフランスでしたが、今度はイタリーになりました。スカラ座もこわれたようですね。
米と英のあの愚人ども、俗人ども、と我々は永遠に戦うべきでありましょう。俗な精神が世界を覆うた時、それは世界の滅亡です。
萩原氏が自ら日本人なるが故に日本人を、俗なる愚人どもを、体当りでにくみ、きらい、さげすみ、蹴とばした気持がわかります。

平岡公威18歳
東文彦への書簡から


118:法の下の名無し
08/03/17 11:58:24 91XnoqyO
国家儀礼と申せば、この間新響へゆきましたら、ただ戦歿勇士に祈念といえばよいものを、ラウド・スピーカアが、
やれ「聖戦完遂の前に一億一心の誓を示して」どうのこうのと御託宣をならべるので、ヒヤリとしたところへ、「祈念」という号令、
トタンにオーケストラが「海行かば」を演奏、―まるで浅草あたりの場末の芝居小屋の時局便乗劇そのままにて、冒涜も甚だしく、憤懣にたえませんでした。

平岡公威18歳
徳川義恭への書簡から


119:法の下の名無し
08/03/17 12:17:01 91XnoqyO
国家儀礼の強要は、結局、儀式いや祭事というものへの伝統的な日本固有の感覚をズタズタにふみにじり、
本末を顛倒し、挙句の果ては国家精神を型式化する謀略としか思えません。
主旨がよい、となればテもなく是認されるこの頃のゆき方、これは芸術にとってもっとも危険なことではありますまいか。
平岡公威18歳
徳川義恭への書簡から


120:法の下の名無し
08/03/17 12:25:31 91XnoqyO
今度の学制改革で来年か、さ来年、私も兵隊になるでしょうが、それまで、日本の文学のために戦いぬかねばならぬことが沢山あります。
去年の戦果に、国外国内もうこれで大丈夫と皆が思っていた時、学校へ講演に来られた保田與重郎氏は、これからが大事、これからが一番危険な時期だと云われましたが、今にしてしみじみそれがわかります。
文学を護るとは、護国の大業です。文学者大会だなんだ、時局文学生産文学だ、と文学者がウロウロ・ソワソワ鼠のようにうろついている時ではありません。

平岡公威18歳
徳川義恭への書簡から


121:法の下の名無し
08/03/17 14:43:04 91XnoqyO
僕らは卑怯な健康よりもデカダンをとる。デカダンの中にあるはるかな未来への輝きと能動も熟知しているのだ。

僕らが浪漫主義を主張したことは、悲しみと憤り、歎きと憂いの混淆した境地の主張だった。

保田與重郎


122:法の下の名無し
08/03/17 14:47:06 91XnoqyO
私は日本民族の永遠を信じる。
今や三島氏は、彼がこの世の業に小説をかき、武道を学び、演劇をし、楯の会の分列行進を見ていた、数々のこの世の日々よりも、多くの国民にとってはるかに近いところにいる。
今日以後も無数の国民の心に生きるようになったのだ。そういう人々とは、三島由紀夫という高名な文学を一つも知らない人々の無数をも交えている。

保田與重郎


123:法の下の名無し
08/03/17 14:48:55 91XnoqyO
総監室前バルコニーで太刀に見入っている三島氏の姿は、この国を守りつたえてきたわれらの祖先と神々の、最もかなしい、かつ美しい姿の現にあらわれたものだった。
しかしこの図の印象は、この世の泪という泪がすべてかれつくしても、なおつきぬほどのかなしさである。
豊麗多彩の作家は最後に天皇陛下万歳の声をのこして、この世の人の目から消えたのである。日本の文学史上の大作家の現身は滅んだ。

保田與重郎


124:法の下の名無し
08/03/24 10:38:20 bwFkh/OT
「花ざかりの森」の作者は全くの年少者である。どういう人であるかということは暫く秘しておきたい。それが最もいいと信ずるからである。
もし強いて知りたい人があったら、われわれ自身の年少者というようなものであるとだけ答えておく。
日本にもこんな年少者が生まれて来つつあることは何とも言葉に言いようのないよろこびであるし、日本の文学に自信のない人たちには、この事実は信じられない位の驚きともなるであろう。

蓮田善明
昭和16年「文芸文化」

125:法の下の名無し
08/03/24 10:46:49 bwFkh/OT
この年少の作者は、しかし悠久な日本の歴史の請し子である。
我々より歳は遙かに少いが、すでに、成熟したものの誕生である。此の作者を知ってこの一篇を載せることになったのはほんの偶然であった。
しかし全く我々の中から生まれたものであることを直ぐに覚った。そういう縁はあったのである。

蓮田善明
昭和16年「文芸文化」

126:法の下の名無し
08/03/24 10:48:27 bwFkh/OT
交遊に乏しい私も、一年に二人か一人くらいづつ、このように国文学の前にたたずみ、立ちつくしている少年を見出でる。
「文芸文化」に〈花ざかりの森〉〈世々に残さん〉を書いている二十歳にならぬ少年も亦その一人であるが、悉皆国文学の中から語りいでられた霊のような人である…。

蓮田善明
昭和18年「文学」


127:法の下の名無し
08/03/24 11:41:03 bwFkh/OT
前略
「蓮田善明とその死」感激と興奮を以て読み了えました。毎月、これを拝読するたびに魂を振起されるような気がしました。
この御作品のおかげで、戦後二十数年を隔てて、蓮田氏と小生との結縁が確められ固められた気がいたしました。
御文章を通じて蓮田氏の声が小生に語りかけて来ました。
蓮田氏と同年にいたり、なおべんべんと生きているのが恥ずかしくなりました。
一体、小生の忘恩は、数十年後に我身に罪を報いて来るようであります。
今では小生は、嘘もかくしもなく、蓮田氏の立派な最期を羨むほかに、なす術を知りません。

三島由紀夫
昭和42年
小高根二郎への書簡から

128:法の下の名無し
08/03/25 11:38:29 N8CtCR+2
歴史を喪ったわれわれが、いのちを振い起そうとして今日古典に索めるのは、
歴史を失ってかえって不逞にも己を傲るためにとて万葉集に擬している輩のようなことでもなく、「御時勢」でもない。
古典をまどい尋ねているのは、われわれのうしなったいのちへの郷愁の情である。

今日はこのように郷愁するものが妖雲を打ち撥っている。それは単に武力のすることでなく、たけび立つ皇国人の全生命の堪えがたくて決断するところである。

蓮田善明


129:法の下の名無し
08/03/25 12:04:54 N8CtCR+2
芸術とは、芸術へ花さかしめる意気があらねばならない。

われわれの祖先に於いては、それは国振としてある。このように国のいのちの振い興っている時、「都」の精神というものが生々活々のものとなり、
「みやこび」又は「みやび」として芸術が意気以て花さいている。
それはたとえば平安朝の如く優柔と見られても、子細に省みれば、古今和歌集の如きが国振の復興として「やまと魂」を詩品にまで化したその成跡は、
実に今日まで日本人の雅情として拭い去ることのできないものを打ち樹てたのである。

蓮田善明


130:法の下の名無し
08/03/25 12:25:37 N8CtCR+2
そのような国の雅情というものが理解されず、或はかのリアリズムというようなものの影響者に軽蔑さえされている所以は、
彼等に「都」を打ちたてる意気どころか、唯国際主義的なものに、性根もなく眼奪われ随従日も足らざる世界の田舎者の呈した状況であるほかの何ものでもない。
リアリズムという念仏につんのめって手を汚している者に、耀く都の光など思いも寄らぬことである。
スケールとか手法とかを学べば学ぶだけ小ざかしく、かえって人を豊かに養うべき芸術のいのちに反して、今は芸術の勉強家たちが益々貧しくいやしく見えてきていたのは何故か。

蓮田善明
神韻の文学
昭和16年


131:法の下の名無し
08/03/25 13:02:30 N8CtCR+2
私はまづ氏(蓮田善明)が何に対してあんなに怒っていたかがわかってきた。
あれは日本の知識人に対する怒りだった。最大の「内部の敵」に対する怒りだった。

戦時中も現在も日本近代知識人の性格がほとんど不変なのは愕くべきことであり、
その怯懦、その冷笑、その客観主義、その根なし草的な共通心情、その不誠実、その事大主義、その抵抗の身ぶり、その独善、その非行動性、その多弁、その食言、
……それらが戦時における偽善に修飾されたとき、どのような腐敗を放ち、どのように文化の本質を毒したか、
蓮田氏はつぶさに見て、自分の少年のような非妥協のやさしさがとらえた文化のために、憤りにかられていたのである。

三島由紀夫


132:法の下の名無し
08/03/28 17:40:26 UNi/sU4Y
国のため、いのち幸くと願ひたる、
畏きひとや
国の為に、死にたまひたり

保田與重郎
昭和45年11月某日


133:法の下の名無し
08/03/29 16:56:06 9Jx6qKdN
わがこころ
なおもすべなし
をさな貌
まなかひに顕つを
いかにかもせむ


夜半すぎて
雨はひさめに
ふりしきり
み祖の神の
すさび泣くがに

保田與重郎
昭和45年11月某日

134:法の下の名無し
08/04/06 11:20:45 cggdvPhb
保守

135:法の下の名無し
08/04/12 15:32:49 /gKy0PNa
彼(三島)の感性は非凡なだけでなく時に大変ユニークで、常人の追随しかねる点があったけれども、人間としての器量は大きかった。
思えば、不良少年の親分を夢みるだけのことはあった。

三谷信

136:法の下の名無し
08/04/12 15:33:41 /gKy0PNa
…初等科六年の時のことである。元気一杯で悪戯ばかりしている仲間が、三島に
「おいアオジロ―彼の綽名―お前の睾丸もやっぱりアオジロだろうな」と揶揄った。
三島はサッとズボンの前ボタンをあけて一物を取り出し、
「おい、見ろ見ろ」とその悪戯坊主に迫った。それは、揶揄った側がたじろく程の迫力であった。
また濃紺の制服のズボンをバックにした一物は、その頃の彼の貧弱な体に比べて意外と大きかった。

三谷信


137:法の下の名無し
08/04/12 15:35:59 dpHM6NdG
蓮田善明氏は、「赤ちゃんポスト」を設置した熊本の病院の院長の
実父だって、先日の日経夕刊に出ていたな。

138:法の下の名無し
08/04/14 11:35:08 s3SZUHAU
三島由紀夫は死ぬ前、「奔馬」の取材で熊本へ行き、蓮田善明さんの家族に会いに行ったようだから、その人は三島由紀夫と面識があるかもね

139:法の下の名無し
08/04/17 11:41:41 DGOd2Wb0
終戦前のことですが、荷物の疎開でズック袋やトランクをいくつも荷造りしましたが、
そのときも公威は、荷造りの手伝いをしたり、それぞれの荷物の中身を克明に手帳に記入してくれたり、自動車で運びにくい品物は大八車を借りて来て弟妹と三人で運んでくれました。
…公威はつねに先頭になっていやな仕事を引き受けて、ずいぶんこの弱い私を助けはげまし、一家の心の支柱となってくれました。

平岡倭文重


140:法の下の名無し
08/04/17 11:42:14 DGOd2Wb0
(三島は)銀座方面に出かけるとき、海外旅行に出かけるとき、ちょっとたのむとかならずなんでも買ってきます。
…忘れたら忘れたでよいと申しましたが、数軒さがしてやっとあったと注文しないパイプも買って来てくれました。
いかなる些細なことでも、たのめばかならず履行してくれます。

平岡梓


141:法の下の名無し
08/04/17 11:55:59 DGOd2Wb0
彼は(三島は)無限の敵、即ち日本文化、いや日本を腐敗させつつあるものへ、自分の命、絶対の価値ある自分の命を投げつけた。
彼は敵に向い最後迄断然逃げなかった。
…彼は自分の愛するもの(これには自分の家族も入る)に、自分の最上のものを捧げたかった。
それは自分の命、これである。

三谷信


142:法の下の名無し
08/04/17 12:02:52 DGOd2Wb0
世人は彼の死を嘲笑した。これは彼の敵の正体を、世人が未だ理解していない時に死んだからか?
多くの人、中には名声にあっては一流人が、まるで見当違いのことをいって、彼の死を手軽に料理している。
しかしいつでも彼の死は早すぎるのだろう。
“死”は誰でも逃げたいものだから。

三谷信

143:法の下の名無し
08/04/17 12:15:07 DGOd2Wb0
彼は稀なる作家、思想家、そして文化人であった。
自分の思想のために、生涯の頂点で、世人の軽蔑は覚悟の上で死ねる者が何人居るか。
彼と思想を異にするのは全く自由であるが、嘲笑するには先ず自分の考えに殉じて死ねる者でなければなるまい。
なぜなら、彼の死は冷静な死であったから。

三谷信

144:法の下の名無し
08/04/17 12:16:21 DGOd2Wb0
彼は少年時代に戻って死んだ。
少年時代、彼は日本文化に殉ずる心で生きて居た。その心で死んだ。
純粋という点では、学習院高等科学生の頃の姿で死んだ。
所詮作家からはみ出した男、言葉で適当に金を儲けることを、出来るがやらぬ男であった。

三谷信


145:法の下の名無し
08/04/21 12:03:07 np7kVrcN


146:法の下の名無し
08/04/21 15:42:44 eZbtPHT8
「豊饒の海」は、いわば本質的に強烈な挑戦をふくんだ作品であり、今なお解きほごしがたい数々の謎と問題をはらんで、ぼくらの前に屹立している。

佐伯彰一


147:法の下の名無し
08/04/21 15:52:11 eZbtPHT8
三島は多彩な文体を使いこなし、とくに古い雅語の使用にかけては同世代の作家の中で特異な存在だった。
しかも、それを無理なく、自信をもって、美しく使った。
その点ではジョイス的と言える。ジョイスは何人もの異なる人間になることができたが、三島もそうだった。

エドワード・サイデン・ステッカー


148:法の下の名無し
08/04/25 16:26:24 yO6393yn
その夕べの焔、夜ふけの焔、夜のひきあけに近い時刻の焔は、いずれもまったく同じ焔でもなければ、
そうかと云って別の焔でもなく、同じ燈明に依存して、夜もすがら燃えつづけるのだ…

緑生としての個人の存在は、実体的存在ではなく、この焔のような「事象の連続」に他ならない。

時間とは輪廻の生存そのものである。

三島由紀夫
「暁の寺」より


149:法の下の名無し
08/04/25 16:26:54 yO6393yn
最高の道徳的要請によって、阿羅耶識と世界は相互に依為し、世界の存在の必要性に、阿羅耶識も亦、依拠しているのであった。
しかも現在の一刹那だけが実有であり、一刹那の実有を保証する最終の根拠が阿羅耶識であるならば、
同時に、世界の一切を顕現させている阿羅耶識は、時間の軸と空間の軸の交わる一点に存在するのである。

三島由紀夫
「暁の寺」より

150:法の下の名無し
08/04/25 16:27:47 yO6393yn
刹那刹那の海の色の、あれほどまでに多様な移りゆき。
雲の変化。そして船の出現。……そのたびに一体何が起るのだろう。
生起とは何だろう。
刹那刹那、そこで起っていることは、クラカトアの噴火にもまさる大変事かもしれないのに、人は気づかぬだけだ。
存在の他愛なさにわれわれは馴れすぎている。
世界が存在しているなどということは、まじめにとるにも及ばぬことだ。

三島由紀夫
「天人五衰」より


151:法の下の名無し
08/04/25 16:28:34 yO6393yn
生起とは、とめどない再構成、再組織の合図なのだ。遠くから波及する一つの鐘の合図。
船があらわれることは、その存在の鐘を打ち鳴らすことだ。
たちまち鐘の音はひびきわたり、すべてを領する。海の上には、生起の絶え間がない。
存在の鐘がいつもいつも鳴りひびいている。一つの存在。

三島由紀夫
「天人五衰」より


152:法の下の名無し
08/04/25 16:38:45 yO6393yn
本当の天才とは、簡単には説明することのできない能力の持ち主のことだ。
シェイクスピアは天才だった。モーツァルトも、レオナルド・ダヴィンチも、紫式部も天才だった。
私がこれまでに出会ったすべての人々のなかで、「この人は天才だ」と思った人は二人しかいない。一人は中国文学および日本文学の偉大な翻訳家であったアーサー・ウェイリーである。
…中略…
そして、私の出会ったもう一人の天才が三島由紀夫である。

ドナルド・キーン


153:法の下の名無し
08/04/26 15:45:27 ExPq70el
三島由紀夫の仏教理解が、いかに徹底したものか。
三島は決して、そこらへんの日本人がやりたがるように、「般若心経」の解説なんぞしはしない。
宗教音痴の日本人に仏教の神髄を理解せしむるために、「ミリンダ王の問い」を(暁の寺で)引用し解説する。
これのみにて三島の仏教理解の深さ、はるかに日本人を越えていると評せずんばなるまい。

小室直樹

154:法の下の名無し
08/04/30 11:01:29 q2dLRnv6
アメリカ人が六代目の鏡獅子を本当に味解しようとする努力、
―と云ふより大国民としての余裕を持つてゐたら戦争は起らなかつた。
文化への不遜な態度こそ、戦争の諸でありませう。
日本の高邁な文化を冒涜する国民は必ず神の怒りにふれるのです。

平岡公威
昭和20年
三谷信への葉書から


155:法の下の名無し
08/04/30 12:23:13 q2dLRnv6
彼(三島)は幼時、友達に、自分の生まれた日のことを覚えていると語った。
彼はそのことを確信していた。そしておそらく、外にもその記憶をもつ人が何人かあると素直に考えていたのであろう。
初等科に入って間もない頃、つまり新しく友人になった者同士が互いにまだ珍しかった頃、ある級友が
「平岡さんは自分の産まれた時のことを覚えているんだって!」と告げた。その友人と私が驚き合っているとは知らずに、彼が横を走り抜けた。
春陽をあびて駆け抜けた小柄な彼の後ろ姿を覚えている。

三谷信

156:法の下の名無し
08/05/04 17:06:56 8bhuARYH
保守

157:法の下の名無し
08/05/11 22:52:20 9KyOQTo+
三島由紀夫が中国へ抗議声明を出した文化大革命について

文化大革命(ぶんかだいかくめい)は、中華人民共和国で1960年代後半から1970年代前半まで続いた政治・社会・思想・文化の全般にわたる改革運動。
プロレタリア文化大革命ともいう。はじめ毛沢東指示のもと林彪が主導、劉少奇からの政権奪権が目的であり、その死後は四人組に率いられて
毛沢東思想に基く独自の社会主義国家建設を目指したが、実質は中国共産党指導部における大規模な武力を伴う権力闘争であり、
指導部に煽動された暴力的な大衆運動によって、当初は事業家などの資本家層が、さらに学者、医者、などの知識人等が弾圧の対象となった。
しかしその後、弾圧の対象は中国共産党員も弾圧の対象となり、多くの人材や文化財などが被害を受けた。
期間中の死亡者、行方不明者の数は数百万人とも数千万人とも言われ、事実上の自国民のホロコースト状態であったと言っても過言ではない。
またこの革命の芽はカンボジア内戦へ飛び火し、クメールルージュの自国民の大量虐殺と密接な関係がある。

当時の抗議声明文が載ってるサイト
URLリンク(dogma.at.webry.info)

158:法の下の名無し
08/05/14 17:32:16 aRC4TByp
三島由紀夫氏から送られ、私が建白書だと称しているものは、「内閣」の印のあるB4判用紙にタイプされ複写された24枚に及ぶ文書で、黒紐でとじられていた。
表題は「武士道と軍国主義」及び「正規軍と不正規軍」と名付けられ、二編に分かれていた。

三島氏は昭和45年、自刃の年の7月上旬、当時の保利官房長官に、防衛に関する意見を求められた。
そこで日頃からの持論を口述し、それを、タイプ印刷にしてこの書類にまとめた。
これは、佐藤総理と官房長官が目を通したのち、閣僚会議に提出される手筈になっていたのだが、このことを知った防衛庁長官中曽根康弘氏が、長文の手紙を保利氏に寄せ、閣僚会議に出すことを阻止したものである、と私は信じている。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長

159:法の下の名無し
08/05/19 15:09:49 wSkLv9S0
交戦中に殺された男の最後の記録を読んではじめて、戦争というものが本当にどんなものかわかりはじめた。
…日本軍の兵士たちの耐えた困苦のほどは圧倒的な感動をよびおこした。
それに引きかえ、週に一度検閲しなければならないアメリカ軍の兵士たちの手紙には、何の理想もなく、またたしかに何の苦しみもなく、ただただもとの生活に戻りたいということだけが書かれていた。
戦争中ずっとこの対照が私の心につきまとってはなれなかった。

ドナルド・キーン
「日本との出会い」より

160:法の下の名無し
08/05/19 15:34:50 wSkLv9S0
そうです。ぼくは、非常に近い距離からアメリカの軍隊を見ていました。
しかし、理想をいだいて戦っているような米兵には、ただの一度もお目にかかったことがありませんでした。それは確実に言えることです。
「もっといい世界のために、自分は戦死してもいい」などという文句は、アメリカの兵士の手紙の中には、こんりんざいなかったのですから。
日本の兵士は、家族に送る手紙の中ででも、「滅私奉公」とか「悠久の大義」などという言葉を使っていました。
ぼくは、日本の軍国主義者の理想を受け入れることは絶対にできなかったが、このような手紙を書き、日記をつけた個々の日本兵士には、敬意をいだかずにはいられませんでした。
結局、日本人こそ勝利に値するのではないかと信ずるにいたった。

ドナルド・キーン


161:法の下の名無し
08/05/27 00:39:26 +Un1zouH
三島よ。

162:法の下の名無し
08/05/27 17:27:27 QMB7g+pw
「洋食の作法は下らないことのようだが」と本多は教えながら言った。
「きちんとした作法で自然にのびのびと洋食を喰べれば、それを見ただけで人は安心するのだ。
一寸ばかり育ちがいいという印象を与えるだけで、社会的信用は格段に増すし、日本で『育ちがいい』ということは、つまり西洋風な生活を体で知っているということだけのことなんだからね。
純然たる日本人というのは、下層階級か危険人物かどちらかなのだ。
これからの日本では、そのどちらも少なくなるだろう。
日本という純粋な毒は薄まって、世界中のどこの国の人の口にも合う嗜好品になったのだ」

三島由紀夫
「天人五衰」より


163:法の下の名無し
08/05/27 17:29:24 QMB7g+pw
「…僕は君のような美しい人のために殺されるなら、ちっとも後悔しないよ。
この世の中には、どこかにすごい金持の醜い強力な存在がいて、純粋な美しいものを滅ぼそうと、虎視眈々と狙っているんだ。
とうとう僕らが奴らの目にとまった、というわけなんだろう。
そういう奴相手に闘うには、並大抵な覚悟ではできない。奴らは世界中に網を張っているからだ。
はじめは奴らに無抵抗に服従するふりをして、何でも言いなりになってやるんだ。そうしてゆっくり時間をかけて、奴らの弱点を探るんだ。
ここぞと思ったところで反撃に出るためには、こちらも十分力を蓄え、敵の弱点もすっかり握った上でなくてはだめなんだよ。

三島由紀夫
「天人五衰」より

164:法の下の名無し
08/05/27 17:30:43 QMB7g+pw
純粋で美しい者は、そもそも人間の敵なのだということを忘れてはいけない。
奴らの戦いが有利なのは、人間は全部奴らの味方に立つことは知れているからだ。
奴らは僕らが本当に膝を屈して人間の一員であることを自ら認めるまでは、決して手をゆるめないだろう。
だから僕らは、いざとなったら、喜んで踏絵を踏む覚悟がなければならない。
むやみに突張って、踏絵を踏まなければ、殺されてしまうんだからね。
そうして一旦踏絵を踏んでやれば、奴らも安心して弱点をさらけ出すのだ。それまでの辛抱だよ。
でもそれまでは、自分の心の中に、よほど強い自尊心をしっかり保ってゆかなければね」

三島由紀夫
「天人五衰」より


165:法の下の名無し
08/05/31 12:13:55 WT1BGESm
三島痛かっただろう
痛いなんてもんじゃないぜ

166:法の下の名無し
08/06/02 15:10:38 rQFzIx8s
(三島が)『自由』に書いた論文も、原稿40枚分と云って語ってもらい、原稿に起こしたら、一切訂正の必要なく、最後の句点でちょうど40枚になったのは驚くべき才である。

西尾幹二

167:法の下の名無し
08/06/02 15:16:32 rQFzIx8s
『新潮』の昭和45年2月号で“文学の宿命”と題して三島について述べたが、『国文学』の同年5月号の三好行雄との対談で三島がこの拙論を肯定的に取り上げてくれた。
当時若い評論家は、三島を褒めないことが処世術であった。

西尾幹二

168:法の下の名無し
08/06/02 15:17:12 rQFzIx8s
ワイルドはその逆説によって近代をとびこえて中世の悲哀に達した。
イロニカルな作家はバネをもっている人形のように、あの世紀末の近代から跳躍することができた。
彼は19世紀と20世紀の二つの扇をつなぐ要の年に世を去った。
彼は今も異邦人だ。だから今も新しい。
ただワイルドの悪ふざけは一向気にならないのに、彼の生まじめは、もう律儀でなくなった世界からうるさがられる。
誰ももう生まじめなワイルドは相手にすまい。
あんなに自分にこだわりすぎた男の生涯を見物する暇がもう世界にはない。

三島由紀夫
「オスカア・ワイルド論」より


169:法の下の名無し
08/06/02 16:11:48 rQFzIx8s
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に、日本のアニメ「巌窟王」の音楽を担当したジャン・ジャック・バーネル(フランス人)がいますが、
ジャンは70年代の伝説の英国パンク・ロック・グループ、ストラングラーズの名ベーシストでした。
バンドの3rdアルバム『ブラック&ホワイト』には「ユキオ」の副題が付けられた「デス&ナイト&ブラッド」(死と夜と血)という曲や、次のアルバム『レイヴン』の「アイス」という曲にもハガクレという言葉が出てきます。

「死と夜と血」

俺が彼の瞳のなかに
あのスパルタを見た時

夭折はいいこと
だから俺たちは決めたんだ

死ぬこと以上に
すばらしい愛はないと

俺は俺の肉体を
俺の武器にまで
鍛えあげるんだ

ジャンは三島の熱心な愛読者でもあり、極真会館の道場生でした。現在は士道館の空手ロンドン支部長をしているそうです。

170:法の下の名無し
08/06/02 16:12:28 rQFzIx8s
78年12月に単独来日した際にジャンは、「なぜ日本はこんなアメリカ・ナイズされているのか、日本の若者は眠っているのか」と怒りまくったという逸話があり、
「米国資本の市場戦略は安逸な快楽を与え、人々の感性を鈍らせることから始まっている。
それはヨーロッパの伝統的な明晰さにとって第一の敵といえるが、
日本人もそれに毒されている自分たちを自覚し民族の知的遺産である伝統、それは魂(スピリット)といっていいが、それを救出しなければならない。」と誌面にメッセージを残しています。


171:法の下の名無し
08/06/09 12:12:50 RLGhZL2k
二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。
生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。
それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきパチルスである。
こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。
おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。
政治も、経済も、社会も、文化ですら。

三島由紀夫
「果てし得ていない約束―私の中の二十五年」より

172:法の下の名無し
08/06/09 12:40:40 RLGhZL2k
私は昭和二十年から三十二年ごろまで、大人しい芸術至上主義者だと思われていた。
私はただ冷笑していたのだ。或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。
そのうちに私は、自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦わなければならない、と感じるようになった。
(中略)
この二十五年間、思想的節操を保ったという自負は多少あるけれども、そのこと自体は大して自慢にならない。
(中略)
それよりも気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである。
否定により、批判により、私は何事かを約束して来た筈だ。
政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。

三島由紀夫
「果たし得ていない約束―私の中の二十五年」より

173:法の下の名無し
08/06/09 12:51:01 RLGhZL2k
個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私のやってきたことは、ずいぶん奇矯な企てであった。まだそれはほとんど十分に理解されていない。
もともと理解を求めてはじめたことではないから、それはそれでいいが、私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、
その実践によって、文学に対する近代主義的盲信を根底から破壊してやろうと思って来たのである。

三島由紀夫
「果たし得ていない約束―私の中の二十五年」より

174:法の下の名無し
08/06/09 13:11:23 RLGhZL2k
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。

三島由紀夫
「果てし得ていない約束―私の中の二十五年」より


175:法の下の名無し
08/06/12 17:18:20 u1KGo8xb
明治維新のときは、次々に志士たちが死にましたよね。
あのころの人間は単細胞だから、あるいは貧乏だから、あるいは武士だから、それで死んだんだという考えは、ぼくは嫌いなんです。
どんな時代だって、どんな階級に属していたって、人間は命が惜しいですよ。
それが人間の本来の姿でしょう。命の惜しくない人間がこの世にいるとは、ぼくは思いませんね。
だけど、男にはそこをふりきって、あえて命を捨てる覚悟も必要なんです。

三島由紀夫
「古林尚との対談―最後の言葉」より


176:法の下の名無し
08/06/12 17:34:16 u1KGo8xb
あの遺稿集(きけわだつみのこえ)は、もちろんほんとに書かれた手記を編集したものでしょう。
だが、あの時代の青年がいちばん苦しんだのは、あの手記の内容が示しているようなものじゃなくて、ドイツ教養主義と日本との融合だったんですよね。
戦争末期の青年は、東洋と西洋といいますか、日本と西洋の両者の思想的なギャップに身もだえして悩んだものですよ。
そこを突っきって行ったやつは、単細胞だから突っきったわけじゃない。やっぱり人間の決断だと思います。
それを、あの手記を読むと、決断したやつがバカで、迷っていたやつだけが立派だと書いてある。
そういう考えは、ぼくは許せない。

三島由紀夫
「古林尚との対談―最後の言葉」より

177:法の下の名無し
08/06/13 23:49:52 PH7yroEA
三島由紀夫の著作は単なる消費のための文学ではない。
それは革命書であり、政治文書であり、宗教書である。
あるいは一言でいえば「日本民族の聖書」である。

没後まだ30数年であるから三島から目を背けようとする
やからが居てもしかたあるまい、いや、彼らの存在こそが
聖書の魔力を認めているようなものなのである。

わたしは三島の著作を人に勧めない。なぜならばそれは
コーランや旧約聖書のように民族が読むべき「義務」だからである。

178:法の下の名無し
08/06/17 20:59:46 bHae3AuE
URLリンク(www.geocities.jp)

檄文 三島由紀夫


URLリンク(www.geocities.jp)

演説文 三島由紀夫

179:法の下の名無し
08/06/17 22:40:26 tu/foBLh
日本は緑色の蛇の呪いにかけられている

三島由紀夫


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