10/02/07 03:50:04 c9V002HP0
>>752
>こういうのは日本人がテロに遭っていたということができるが満州事変にはそれがないんだよ。
日本人居留民への圧迫
日本人殺害、日本人凌辱、日本人農場放火、デマ宣伝、その他旅券の不発行などの圧迫を受けた。
そのような排日活動によって、例えば、奉天市内にあった百数十戸の日本人街は、満洲事変直前にはその6分の1にあたる23戸にまで減少した。
排日教育政策
教科書に「日本民族は生来侵略を好む民族である。・・・」(新中華歴史課本高級用第4冊)などの言葉が記され
意図的に反日意識を煽るものが氾濫した。
また、日本人学童への物理的圧迫として、昭和2年9月だけでも、投石や小刀で脅された事件が156件起こった。
また、支那の児童が日本人経営の学校に入学すれば、漸次親日的になるとして、昭和2(1927)年9月に
これを制限する訓令を出し、昭和5(1930)年には遼寧省政府が、満鉄付属地の日本人学校への支那人の
入学を取り締まるという密令を出し、さらに支那の学校が「日本人ノ文化機関ヨリ補助ヲ受クルコトヲ禁」ずるという
密令を発して、日本と友好関係を結ぶことを妨害した。
朝鮮人圧迫
暴行虐殺事件など多数発生。これらの中には、20数名の死者を出す事件があった。
また昭和6(1931)年の万宝山事件は満洲事変の大きな要因となった。
※万宝山事件(昭和6年、満洲・長春付近の、万宝山で耕作をしていた朝鮮人が中国人に
襲撃される事件がおこり、これが殺傷事件として朝鮮に伝わったため、朝鮮在住の中国人への
復讐襲撃が行われ多数の死傷者を出した。
これが更に中国に伝わる中で、朝鮮人を煽動したのは日本人だという宣伝がなされることによって反日運動に火を付けた。
報復暴動後の平壌(現北朝鮮首都)西門通の中国人商店街の惨状写真
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