【偉人】福沢諭吉について(その4)【悪人】at HISTORY2
【偉人】福沢諭吉について(その4)【悪人】 - 暇つぶし2ch2:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/28 09:05:25 1JYioCjU0
前スレからの引継ぎ問題は

①福沢が幕末最高の剣客だったというのは、ホント?ウソ?
②福沢が第二回米行で15000ドルを横領したというのは、ホント?ウソ?
③「脱亜論」が侵略宣言だったというのは、ホント?ウソ?
④福沢が日清戦争で戦争扇動をしたというのは、ホント?ウソ?
⑤福沢が晩年天皇賛美者になったというのは、ホント?ウソ?
⑥福沢が太平洋戦争の原因を作ったというのは、ホント?ウソ?
⑦福沢がプレイボーイだったというのは、ホント?ウソ?

あたりかな

3:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/28 14:03:10 E22sAwxWO
1さん、2さん乙です。
ありがとうございます。

4:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/28 23:32:46 JffR2cGK0
Jブンガクの第1回目は『学問のすゝめ』ですね。

NHK教育テレビ 英訳で楽しむ日本文学「Jブンガク」
9月29日(火) 午前00:25~午前00:30 日本語版★
10月05日(月) 午前06:25~午前06:30 再放送★
10月06日(火) 午後12:30~午後12:35 再放送★
10月13日(火) 午後12:30~午後12:35 再放送★
10月06日(火) 午前00:25~午前00:30 英語版☆
10月12日(月) 午前06:25~午前06:30 再放送☆
10月06日(火) 午後12:35~午後12:40 再放送☆
10月13日(火) 午後12:35~午後12:40 再放送☆
URLリンク(www.nhk-book.co.jp)

★日本語版の底本は、
『福澤諭吉著作集 第3巻 学問のすゝめ』慶應義塾大学出版会
URLリンク(www.keio-up.co.jp)
が使われています。

☆英語版の底本は、
Yukichi Fukuzawa, An Encouragement of Learning, tr. With an introd. By David A. Dilworth and Umeyo Hirano (A Monumenta Nipponica Monograph), Tokyo:Sophia University 1969
が使われています。

あと1時間ぐらいで最初の放送があります。


5:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/29 00:08:31 ekIyQlXF0
池見哲司さんの「諭吉とアジア」からリンクを集めてみました。
URLリンク(ikemidoujou.com)

01防衛か侵略か
URLリンク(ikemidoujou.com)
02民権か国権か
URLリンク(ikemidoujou.com)
03時事論集の謎
URLリンク(ikemidoujou.com)
04脱亜論の意義
URLリンク(ikemidoujou.com)

第3回目の「時事論集の謎」では平山説に賛同したものの、
第4回目の「脱亜論の意義」では安川説にも理解を示しています。


6:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/29 03:15:17 ulDUnUo8O
一万円札とは官僚が慶応の嫁でも貰ったかw

7:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/29 04:09:48 wMAPKJIjO
>5
池見さんの4は、遠山と変わらん
がっかりした

8:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/29 07:20:20 QBc482lV0
遠山茂樹の『福沢諭吉』は
もともと石河幹明の『福澤諭吉伝』を下敷きにしたものなんだよ
池見がそれに乗って福沢の侵略論転向を信じたということは
ようするに石河にダマされた、ということさ

「脱亜論」自体を発見したのは遠山だけど

9:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/29 08:20:56 0We5MgjM0
池見の4より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予ある可らず、寧ろ其伍を脱して西
洋の文明国と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会
釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従て処分す可きのみ」

 この表現は、支那朝鮮に対する侵略宣言ではないのか。平山の言うように「文明国の一
として侵略に参加するべきだということではない」「文明諸国から日本も……侵略を受ける
可能性がある、という意味での日本人に向けた警告なのである」とは、とても読むことがで
きない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ええーっ、これだけじゃ、侵略宣言と呼ぶには、あまりに薄弱じゃないの?

それ以上に重要なのは、遠山は1500篇の社説を全部調べて、これ以上の表現に出会わな
かった、ということだな。だいたい、福沢本人が書いたのか、厳密には分からん社説だし。

「赤い花が盛んに咲きました」という一文を、共産主義思想隆盛への期待と無理やりコジつ
けた特高警察のようだ。

10:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/29 22:22:47 ekIyQlXF0
>>9
そもそも「脱亜論」の本文にアジア侵略を述べた文章はないのです。

最初に、西洋文明がアジアに押し寄せていると述べて、
最後に、「西洋の文明国と進退を共にし」などとあるから、
きっとアジア侵略のことを意味しているに違いないと推測できるだけですね。

でも、もしアジア侵略を主張するなら、もっとはっきりと記述して、
題名も「征亜論」とか「征韓論」とかにするはずですが、
そうなっていないのです。


11:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/30 08:38:06 7SIMQ2wJ0
>>10
ということは、福沢全集全体を見渡しても、アジア侵略を明言した記述はない、ということ?

信じられん

今までの左翼の福沢攻撃は何だったのか

12:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/01 09:12:59 F08ncSOl0
>>11
福沢自身が作った明治版全集では、『通俗外交論』の、西洋との防衛戦争も仕方ない場合がある、という表現が限界。
大正版になっては、「東洋の政略」で、清国には油断がならない、
日清戦争が始まってからあとの「日本臣民の覚悟」で、こうなったら一致団結して勝利しよう、というのが限界。
そして昭和版の「脱亜論」だが、侵略宣言というにはあまりにあいまい。

けっきょく、これからアジアに進出するべきだ、なんていう論説は、現行の全集にさえ入っていないんだよ。

13:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/01 16:50:28 wJ2vFzRD0
前スレで話題になった安川寿之輔の『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』の書評
『歴史地理研究』2007年1月号90~91頁の筆者がわかった

山梨県立大学の非常勤講師の浅川保という人物だ

よくもまあ、こんな小さな書評の記述を覚えていたもんだ
本人じゃなけりゃな w

14:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/01 17:30:29 F08ncSOl0
>>13
ググってみたが、なかなか興味深い人物だね

15:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/01 18:06:48 rIBVGPsUO
アサカワって…

16:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/01 19:16:33 I4kdiEO50
安川は日清・日露戦争も日本の侵略といって、開戦原因も日本だけにあるかのように言ってる。

17:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/01 19:17:53 n4qCNttE0
URLリンク(www.nicovideo.jp)
みんなこれをちゃんと見てほしい
このままだと音楽って文化もシナに乗っ取られてしまう
おじいちゃんおばあちゃん達が命をかけて守った日本を
守りたいんだ
マルチするけど、みんなもこれを広めてほしい
2chの力で日本を救おうよ

18:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/01 20:35:16 rIBVGPsUO
>16
外国に雇われて、
外国のために生きているんだよ

19:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/01 21:41:22 I4kdiEO50
安川のころは国立大の教員はまだ国家公務員だから給料は税金から出てた。
税金で給料もらって反国家、反体制なんてギャグそのもの。

20:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/01 23:56:03 jxC8vJRGO
ブラタモリで三田界隈やらないかな

21:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/02 01:41:26 3KaxhORDO
慶應は今建て替え中だがな

22:13
09/10/02 08:08:41 dfjm9cBF0
昨日紹介した『歴史地理研究』の書評の中身は
URLリンク(www.koubunken.co.jp)
と同じだった

高文研代表の梅田正己のやつだが、『歴史地理研究』の書評で浅川保は
同じく「日本臣民の覚悟」(1894)を取り上げていて
臣民という言葉は福沢にもそれ以前の使用例があることを突いていた

しかしそれはおかしな話で、臣民という概念を批判するために
臣民という言葉を使うこともある

ある言葉を使ったからといって、その概念を支持したことにはならない

それに気づいていないとするなら、安川や梅田や浅川は
ほんとうに頭が悪いと思う

23:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/02 08:34:16 l2Ebcurh0
>>22
彼らが、他人からどんなに笑いものになっても自分の意見を変えないのは、
そうすると、今までの人生がムダだった、と自ら認めたことになってしまうからだと思うよ。
錬金術に一生を捧げてきた人間が、それを内心では不可能だと理解したとしても、
認めてしまえば、自分の存在は無だったことになるから。
人間として、そんなことはできないのだろうね。

24:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/02 11:15:04 t02+89w7O
>>23
ツァラツストラじゃないけど、自己超越ってむつかしいですね。

25:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/02 16:43:47 qrcfoLbh0
>>23
社民党が未だに護憲唱えてるのもそれが理由かも。

26:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/02 22:28:03 hEu4TgeE0
>>25
護憲ということは、天皇制度も賛成なんだよね
と社民の人に尋ねると
沈黙してしまうのは、なぜ?

27:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/03 08:00:33 4bJ6Fr5lO
プレイボーイ説はどうなったのでしょうw

28:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/03 08:46:05 s/iRbK7v0
>>27
探ろうにもヒントが少なすぎる
幕末最高の剣客説がデマらしいことについては
週刊朝日の座談会についてのエントリが見つかって分かったんだが

29:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/03 09:07:51 s/iRbK7v0
連投 今度は福沢自身が被差別民ダトサ

161 名前:名無しの心子知らず[] 投稿日:2009/10/02(金) 08:19:59 ID:UOnRk5Vv
福沢自身が卑しい身分出身だからさ
下級武士の出と言っているが実際は長吏という被差別民のエタだもの


30:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/03 09:50:07 4bJ6Fr5lO
>>29
有難うございます!
被差別階級からあそこまでなったとしたら、逆に格好良いかも…!

31:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/03 13:39:21 /6spMWsW0
>>27
ロシア人工作員のハニー・トラップにも引っかからなかったぐらいだから、
まさかプレイボーイ説はないでしょう。

----
花柳社会の事も他人の話を聞き
その様子を見て大抵こまかに知(しつ)て居る、知て居ながら自分一身は鉄石(てつせき)の
如(ごと)く大丈夫である。マア申せば血に交わりて赤くならぬとは私の事で
しょう。
---
福翁自傳 - 106 ページ :
URLリンク(project.lib.keio.ac.jp)

>>29
福澤先生の曾祖父の福澤友米は足軽だったし、
妻阿錦の曾祖父である土岐太郎八は中津藩の家老だったから、
どちらも武士階級ですね。


32:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/03 14:10:03 4bJ6Fr5lO
>>31
有難うございます。だといいんですが、諭吉先生は偉大で面白くかつイケメンだから、自分ではスルーしても一方的にもてましたよね。ちなみに友米さんと自分の先祖知り合いらしいですw

33:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/03 22:07:02 s/iRbK7v0
>>32
そんなに遡れる福沢家の知り合いなんて、いるの?
祖先が中津藩士ってこと?

手紙でもあるなら、慶應に持ち込めば喜ばれるよ

34:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/03 22:30:07 4bJ6Fr5lO
そうですか!
探して見ようかな!

35:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/04 18:18:35 7pa4t7nvO
>34
面白いネタを期待しているよ

36:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/05 06:17:39 DsVxu/7x0
>>29
戦国時代までは小笠原氏に従って信州にいたんだろ福沢の祖先
それから中津に転封になって九州にやってきた

小笠原氏は18世紀初頭にまたどっかへ移され
解雇されて浪人していた福沢の祖先を
新たに入った奥平氏が再雇用した
では?

37:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/05 07:14:13 oR+fYrWJ0
実際の管理体制は
・士分

郷士
番士衛士寺人社人
・自作農
小作

で両端以外の中間身分はかなり曖昧
明確なのは士分と自作農の上下関係だけ。後はその被雇用者。
管理側最下位が民間に対して人身御供にされたものが被差別身分だから
下級武士と該当身分はそんなに違いはないけど。
明治以降は全部平民に入るね。

38:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/05 09:05:44 96/6rvCx0
>>37
福沢家の家系図なら、全集の21巻253頁にあるよ
家系調査について最も詳しいのは、富田正文の『考証福沢諭吉』

それによれば、奥平家に仕えはじめた一八世紀前半以降については間違いなく
中津藩士
途中足軽身分から下士身分への昇進があった

中津に来る前の信州福沢村については、まだハッキリしたことは分かっていないようだ
このスレには暇な調査マンのようなのが常駐しているようだから
追究してみてチョ

39:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/05 10:14:02 oR+fYrWJ0
>>38
足軽ってなにして生活してたんだろね
明治にそのままだったら平民籍か

完全に累代の武士系譜をたどれるのなんて上位層の一部で
卒以下の下級武士とは決定差があったんだろうね。
それが維新武士の原動力になった。
武士だけど武士特権が得られない人達

40:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/05 10:36:58 Lfll9Fw20
藩によって違いがあるんじゃなかったかな。
足軽は歩兵で、もとは一代限りの身分。だから俸給も扶持米(何人扶持)。
下士は代々のノンキャリ役人で、福沢家も13石取という家禄をもらっていた。
上士になると100石以上で、ナンタラ奉行になれる。

41:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/05 10:45:34 96/6rvCx0
>>39
上士身分に配属されて、下男のような仕事をしていた
「武士の一分」に出ていたあれさ

福沢家は、国元では部下はもてなかったが
大坂では下男を使えたようだ

長崎から大坂に着いた直後の場面に
大坂にいた兄の下男が出てくる

42:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/05 12:29:21 oR+fYrWJ0
13石ってムゴいな。三人扶持じゃねえか。
食えないよ。

43:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/05 12:35:53 oR+fYrWJ0
ふと思ったんだが、
こうゆう制度があるのかは知らないけど
その十三石は自分の家の生産なんじゃないの?

自作農が何かの功績により自分の農地を知行として
武士の形態を取らしてもらえる制度、みたいな

だって農家二軒分だよ、その知行。

44:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/05 12:35:56 Lfll9Fw20
>>42
それで手内職ばかりしていた、と自伝にある。
「旧藩情」という江戸時代の下級士族の苦労話ルポには、
どんな内職だったのか詳しく書いてある。
下駄なんかを作っていたんだとさ。

45:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/05 13:04:02 oR+fYrWJ0
やはり上士じゃないととても安定身分とは呼べないのか。

足軽→ 雇われ武士
徒士→ 生活補助
上士→ 自立経済

小作  → 生活補助
自作農→ 生活保証
庄屋  → 自立経済

こう考えるとまるで武士の方が低いかのようだな

46:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/05 13:31:10 96/6rvCx0
>>43>>45
兵農分離が貫徹していた中津藩には郷士制度がなかったから
下士であっても農業には携わっていない

ただ知行13石といっても
それに相当する知行地が農村のどこかにあったわけではなく
扶持米取り同様に現米で支給されていた

詳しいことは富田さんの『考証福沢諭吉』に書いてある

士農工商とはいえ、実際の生活水準はそれぞれの身分ごとに
上下があって、豊かな農民のほうが
貧乏士族より上、というのはその通りだったようだ

47:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/05 13:56:01 /YUPQKfB0
なにげにバランス取れてた考

・武士:身分高くても金なし
・商人:身分低くても金あり

他、職人や農民はその中間の位置

48:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/05 15:51:28 oR+fYrWJ0
>>46
それは逆に厳しいでしょう
武士の農業禁止というのは
内実は農民の既得権を守る為かも知れないね
一部を除けば農民も厳しいだろうし

蔵米渡しなわけですね。
ちょっと調べたら13石2人扶持だね。五人分。
まあ一家を持てるギリギリですね。
生活保証まではされているようだ。

>バランス
武士と農民にはそれぞれに支配層と労働層があった形だと考えています。
いわゆる全身分縦並びはやはりちょっと実態に合わない気が。

49:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/05 16:23:59 96/6rvCx0
>>48
おれのほうへのアンカー?
逆に厳しいとは?

ちょいと論点がずれているようだが

あと福沢家は子供5人の6人家族、つまりカツカツだった

50:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/05 16:35:11 oR+fYrWJ0
>>←→↑↓
別に全部が反論なわけじゃないけど

副業が禁止だと固定給では生活出来ないねというだけ。
でも13石+2人扶持なので、二人分と
13俵分の年貢、つまり成人男性3人分の食料があるということ。

足軽等で一人扶持レベルのものだと
最初から単身者だけの身分ということだし。

51:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/05 18:38:07 nkB8VxRRO
この話題に入るきっかけになった、福沢被差別民説のネタ元は?

52:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/05 19:32:16 oR+fYrWJ0
てゆうか身分が流動してる以上過去をどこまでも遡れば
なんにでもたどり着く可能性はあると思うんだけど

53:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/06 05:53:58 zp6agNCrO
通常差別主義者がたれ込む場合は、居住地、職業、名字、人脈、さらに古記録からするもの。
何かあるのかも。

54:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/06 11:45:08 96EVmOXiO
若い頃の柴田恭兵が演じた福沢諭吉悪くないとオモタ…福沢先生本人のがイケメンかつガタイもよさそうですが('∀'●)

55:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/06 12:56:10 kLcyw9CH0
全集21巻253ページに、福沢家系図が載っている

まず位牌から転記したらしい先祖の戒名があって、一番古いのは、
元禄13年3月3日になくなった「釈栄道信士」で、「飯田氏之高祖也」とある。
これは1700年のことだね。刃傷松の廊下の前の年。

①高祖福沢積善号兵助 中津下正路浦に住 先祖小笠原氏に仕 宝永6年(1709)死去
②篤義号兵左衛門 享保8年(1723)死去
③直行号朴右衛門 ②の養子 飯田伝法の息子延享3年(1746)死去
④政信号友米 天明4年(1784)死去 足軽から下士小役人11石取となる
⑤政房号兵左衛門 ④の養子 文政4年(1821)死去 13石に加増
⑥咸号百助 天保7年(1836)死去 三之助・諭吉の父
⑦正弘号三之助 安政3年(1856)死去
⑧範号諭吉 ⑦の弟 明治34年(1901)死去

18世紀より前のことなんか、全然わからない。最初に出ている「釈栄道信士」が①の
親父だろ、そうでないとおかしい。その人物が生まれたのは1650年くらいか。

中津藩で調べると、小笠原長次が中津藩主になったのが寛永9年(1632)、祖父秀政
は、信濃飯田藩主・松本藩主で、
どうも分家の長次がこのあたりからの家臣を中津につれて来たようだ。

小笠原家は享保元年(1716)に転封となって、後に奥平家が入った。となると③あたりが
新領主に足軽として取り立てられたんだろうな。

いずれにしても、ほんとうに大したことのない家だ。

56:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/06 13:27:53 q5BNesb70
1650年くらいだと江戸政体での系譜記録ある人は
大体そのあたりからスタートするから、まあそんなもんでしょ。
それより前だと戦国からの人。

元禄13年は飯田伝法って人の先祖なんじゃいの?
名前からすると信濃飯田のやつっぽいけど。
三代までは足軽なのか。

まあ被差別民だとしたら何がまずいのかもよくわからんけど。
反差別ならば該当身分でなれければならない理由もないのでは。

57:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/06 14:17:31 3wHY9f/w0
>>56
なかなかいいところに目をつけたね
富田さんの『考証福沢諭吉』には、飯田家の系図が紹介されている
福沢家との重複があって、飯田家のほうが少し詳しい(34ページ)

それによると、③は延宝6(1678)生まれ、実父伝法は慶安元(1648)生まれ
そまた父親が元禄13卒の釈栄道信士

伝法が1648生まれなら、釈栄道信士は、1628くらいの生まれかな
小さいときに中津に来たことになる
すると、松本藩主小笠原秀政に従ったのはそのまた親か

司馬遼太郎風に想像するなら
大阪の陣の準備で飯田近郊に動員がかけられ
応募した飯田村とか福沢村の若者が
彼らの祖先てな話



58:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/06 14:30:18 kLcyw9CH0
>>57
そちらの参考書のほうが強力なようだ。

59:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/06 15:09:47 3wHY9f/w0
>>58
確かに
ついでに、富田本には11箇所の信州福澤が紹介されている

①諏訪郡長地村福澤
②諏訪郡上諏訪村福澤
③諏訪郡豊平村福澤
④下伊那郡生田村福澤
⑤東筑摩郡塩尻町福澤
⑥上伊那郡伊那村福澤
⑦上伊那郡東箕輪村福澤
⑧更級郡村上村網掛福澤
⑨小県郡前山村福澤
⑩上水内郡富濃村福澤
⑪上高井郡仁礼村福澤

富田さんは、分からない、といっているけれど
このうち、小笠原秀政の領内で、かつ飯田に近い村が
われわれが求めている福澤村かな



60:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/06 15:24:53 7ppX26q70
>>59
この中では④が一番飯田に近いな
グーグルマップですぐに突き止められた
今は「下伊那郡松川町生田福沢」だ
天竜川の左岸、小渋第二発電所があるあたり

61:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/06 16:08:40 ZF0DaB0J0
ウィキの小笠原秀政の項
__________________________________________________

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは宇都宮城守備に功を挙げ、
翌年(1601年)に信濃飯田5万石に加増移封される。慶長12年
(1607年)、出家して家督を長男・忠脩に継がせる。慶長18年
(1613年)に信濃松本藩8万石に加増移封された。

慶長20年(1615年)、大坂夏の陣で徳川方として参陣し、本多忠朝
を救援する。しかし天王寺口の戦いで大坂方の毛利勝永の猛攻を
受けて、長男・忠脩は戦死し、秀政も瀕死の重傷を負って戦場を離
脱するが、間もなく戦傷により死去したとされる[1]。享年47
____________________________________________________

となると、秀政は1601~1613までが飯田城主5万石
1613~1615までが松本城主8万石

つまり福沢の祖先が飯田近郊で募兵されたとは限らない
むしろ大坂の陣に向けてリクルートされたのかも
そうなると、松本近郊の⑤⑥⑦の可能性もでてくる
とても絞りきれない

62:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/06 19:49:41 zp6agNCrO
いろいろ調べてあるな

63:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/06 22:40:42 Gis2TSsu0
福沢は欧米についてはどんな認識を持ってたの?特にアメリカについて。

64:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/07 00:43:15 CgCya0UsO
自由なアメリカについて上司への報告書に『極楽』って書いたんでしたっけ

65:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/07 08:24:18 dxXgEeJb0
>>64
手元に『福澤諭吉』と『諭吉の流儀』があるので見ると、
『福澤諭吉』130ページに、「諭吉は中津藩の重役からの質問に対し、
米国は「極楽世界」のようだった、と答えたという」とあり、
また、『諭吉の流儀』55ページに、
「こうした体験を踏まえて、
帰国後彼は、「アメリカは極楽世界のようだった」と上役に報告しています」
と書かれている。

平山さんには珍しく、出典が書かれていないな。
全集のどこかだろう。登校したら調べてみる。

66:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/07 10:41:40 KqzGI5qx0
>>65
ちょいとネットで調べた限りでは
福沢が語った「アメリカは極楽世界だ」の用例は出てこないようだ
いかにも言いそうなだけに意外

67:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/07 12:22:15 dxXgEeJb0
全集第19巻3ページの、「万延元年アメリカハワイ見聞報告書」には、
「極楽世界」の用例はなかった。
サンフランシスコは気候がいいとあるだけ。

第20巻の最初のほうにある建白書や報告書にもない。
書簡にもその言葉は使われていなかった。
いったいどういうこと?

68:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/07 14:15:38 k1SwNGB60
平山洋の本より前に、私も「極楽世界」について聞いたことがあったような気がして、
調べてみたら、松沢弘陽の『近代日本の形成と西洋経験』(岩波書店)に次のような
記述があった。以下引用。
__________________________________

福沢の口頭報告の記録に「亜州の様子承り候処にては、極楽世界とも可申様子に
御座候。尤本邦より始て渡洋致候事故、丁寧を尽し候由。実事不相分候得共、小児
に至る迄も温和の様子に御座候間、彼国風宜敷儀と奉存候」(句読点は引用者)と
記されたのは、福沢の醒めやらぬ強烈な印象をよく伝えているといえよう。(186頁)
__________________________________

この記録は全集未収録で、同書210頁の註によれば、中津藩士から佐久間象山へ
の手紙に同封されていたらしい。つまり、中津藩の上役が福沢から報告を受け、その
写しを象山に送ったので残った、ということ。出典の説明は確かにしづらいが、でっち
上げではないよう。原本は国会図書館にあるそうだ。

ついでにいうと、この松沢本は、>>63のニーズによくかなっているので読むとよい。



69:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/07 15:03:16 dxXgEeJb0
>>68
情報ありがとう。日本政治史専攻の人かな。頭がよさげで、なんとなくエラそう。

70:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/07 18:50:30 b9QQoILS0
ほんとうにためになるなこのスレ
とりあえず質問すると的確な答えが返ってくる
福沢関連の若手研究者のタマリなんだろうなココ

71:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/07 18:55:05 CgCya0UsO
福澤家が長野の小笠原家に仕えていたとは初耳でした。大分に行ってしまったとは、外様?

72:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/08 08:02:52 /lcys/zH0
>>71
信州にいた小笠原氏は、小倉(本家)・唐津(分家)・中津(分家)に移され、
そのうち中津の分家は18世紀初頭に事実上廃絶された。
戦国時代から大坂の陣までの史料は、小倉図書館がもっているらしい。
その中に信州福沢がどこかについてのヒントがあるかも。

なお諭吉が幕臣として仕えた唐津出身の老中小笠原は、信州小笠原の末裔だから、
諭吉はかつて家来だった家出身の老中の世話になったことになるね。

73:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/08 09:27:33 kTHDuTsPO
>>72
興味深いお話を有難うございます。自分の知人に、まさに小笠原本家の人がいるのですよ。世間は狭いですね。

74:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/08 09:39:59 /lcys/zH0
>>73
福沢家の祖先を中津に連れて行ったのが小笠原長次、
諭吉が仕えた幕末の老中が小笠原長行。
間が250年もあるのに、実名の通し字がキチンと使われている。
歴史マニアにはタマランところだ。

ところで君、何となく上流っぽいな。慶應は幼稚舎からかい?

75:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/08 12:20:06 kTHDuTsPO
>>74
いえいえ、実は塾生でも塾員でもない厨なんですよ…(^o^;辛うじて曾祖父の一人が福澤先生に直接教わった塾員みたいですが。

76:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/08 12:42:06 /lcys/zH0
>>75
こっちは老塾員の歴史愛好家だよ。歳をとると過去への探究心が強くなる。

たとえばこの人URLリンク(kbaba.asablo.jp)は、
慶應出身の元経営者だが、引退後在野の歴史研究者になっちゃった。

福沢関連のブログとして非常に水準が高い。

77:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/08 14:00:03 kTHDuTsPO
>>76
有難うございます。面白そうなブログですね。拝見します。

78:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/08 16:08:23 gvYg3Cx3O
いろんな人がきてんだな

79:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/08 17:25:11 kTHDuTsPO
>>76
落語についての記述もありますね。すごく面白いです。有難うございます。

80:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/09 05:15:07 b+Vt1JYJO
勝海舟も安房…アホウと読ませる…を名乗って面白いけど、福澤先生とぶつかってますね。もしやキャラかぶってますか?

81:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/09 05:16:00 b+Vt1JYJO
明恵

82:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/09 05:17:35 b+Vt1JYJO

検索のつもりで誤爆しました。失礼しました。

83:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/09 07:49:33 ew6LpbBzO
勝には専門スレがあるだろ
どちらも好きという人はいないようだ

84:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/09 08:12:19 4GHxdeD40
>>80
勝は福沢より大分年上だね
奇妙なのは、福沢の弟子による福沢の思い出話は多いのに
勝の弟子による思い出話というのはあまり見ないようだ

蘇峰あたりが何か書いているのかもしれんが

85:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/09 10:21:29 Ccmsb5vn0
>>68
ということは、福沢諭吉と佐久間象山にはつながりがあったということ?
今まで聞いたことがなかったが

86:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/09 10:23:38 2FxCoL2k0

民潭青年会長が南朝鮮本国で公演した衝撃の「世界に向けた反日情宣工作活動」の報告会の様子。

世界に向けた「慰安婦捏造宣伝」も「日本海名称抹殺運動」も「竹島侵略運動」も
「日本の歴史教科書抹殺運動」も「朝鮮起源説」も全部在日朝鮮民潭が主導していました。

URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)



87:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/09 12:40:12 4GHxdeD40
>>85
福沢全集での佐久間象山の登場回数は、たった1回
漫言「奥様の下紐拝借」(第8巻262ページ)
時代遅れの象徴としてその海防策が取り上げられているのだが
これを福沢が書いたのかどうかは、まったく分からない

88:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/09 13:45:29 b+Vt1JYJO
>>84
有難うございます

89:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/09 21:04:24 /R80fei40
幸福の科学出版から『学問のすすめ』現代語訳が出ました。

福沢諭吉著『学問のすすめ 他一篇』〈真の独立人になるために〉
加賀 義:現代語訳、解説:岬 龍一郎、2009-10-05発行、ISBN978-4-86395-002-3
URLリンク(www.irhpress.co.jp)

他一篇というのが気になりますね。ひょっとして、福沢先生の霊を
呼び出してあることないことしゃべらせていやしないでしょうね。

明治天皇や昭和天皇の霊を呼び出して語らせているくらいだから、
ホントにやりかねませんね。

大川隆法著『明治天皇・昭和天皇の霊言』〈日本を愛すればこそ、国民に直言。〉
2009-07-28発行、ISBN978-4-87688-372-1
URLリンク(www.irhpress.co.jp)
 現在は高天原におられる明治天皇と昭和天皇に、
 先の大戦の戦争責任や靖国問題をはじめ、
 現代の日本についてさまざまに語っていただいた。


90:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/09 21:18:13 /R80fei40
Amazon で幸福の科学出版の『学問のすすめ』探してみたら、
他一篇というのは「修身要領」のことでした。失礼しました。

URLリンク(www.amazon.co.jp)
福沢の遺した後世への教訓集「修身要領」収録!

おまけ:
Wikipedia:修身要領
URLリンク(ja.wikipedia.org)


91:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/10 06:57:34 WrgJIbaS0
幸福の科学が福沢諭吉を持ち上げているとは驚きました
教祖夫妻とも東大出身なのだから、その卒業生で適切な先導者を見つけ出すべきでしょう

東大卒の思想家といっても、どんなのがいるのかな
幸福の科学の立ち位置からいって、大川周明とか蓑田胸喜あたりか

92:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/10 08:40:06 qkPTEixwO
>>89,90
それ興味深いですwww。確かに塾員でも銀座の交詢社通りや麻布山善福寺あたりに福沢先生のエネルギーを感じるという人もいますよね。

93:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/10 13:35:18 jmCNT/k+0
腹六分目のつきあい◆武道家パパの育休日記|武道家パパの育休日記
URLリンク(ameblo.jp)
福沢諭吉が『福翁自伝』って本の中で
人付き合いのコツを語っているんです。

腹六分目で付き合いなさい、と。

94:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/10 13:43:56 WrgJIbaS0
>>93
何かそれと似たようなことを言っていた気がするが、
腹六分目という表現そのものがあったかな

95:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/10 14:09:00 5lmBBYbE0
座右の諭吉 才能より決断 (光文社新書)
著者:齋藤 孝
URLリンク(booklog.jp)
①自分のアイデンティティーの拠所を見つける②無駄なことは考えない③相場(自分や物の価値)を知る
④脱出する(自分の道は自分でデザインする)⑤尋常でない根気と集中力でやる⑥人との付き合いは腹六分目
⑦最悪に備える⑧スピード感をもって決断する⑨自身の能力を奢らず、賤しまず
⑩社会のことを考え、行動する


96:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/10 14:41:39 WrgJIbaS0
URLリンク(www.fit.ac.jp)
で全文検索してみたが、『福翁自伝』に腹六分目の用例はなかったぞ

べつの著作なんじゃマイカ

97:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/10 17:18:30 VRN1sW1u0
>>93-96
『福翁自伝』には「腹六分目」という表現はないようです。
そのかわりに「莫逆の友なし」と仰っていますね。このことかな?

----
本当に朋友になって共々に心事を
語る所謂(いわゆる)莫逆(ばくげき)の友と云うような人は一人もない、世間にないのみなら
ず親類中にもない、と云(いつ)て私が偏窟(へんくつ)者で人と交際が出来ないと云うで
はない。ソリャ男子に接しても婦人に逢うても快く話をして、ドチラか
と云えばお饒舌(しやべ)りの方であったが、本当を云うと表面(うわむき)ばかりで、実はこの
人の真似をして見たい、彼(あ)の人のように成りたいとも思わず、人に誉め
られて嬉しくもなく、悪く云われて怖くもなく、都(すべ)て無頓着(むとんじやく)で、悪く評す
れば人を馬鹿にして居たようなもので、仮初(かりそめ)にも争う気がない
----
福翁自傳 - 490 ページ :
URLリンク(project.lib.keio.ac.jp)


98:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/11 07:08:15 XIonCAth0
>>97
いや、篠塚さんが書いている「人に交わるの法」じゃないか?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
お気に入りは「人に交わるの法」。「交際をやめても此方(こっち)の身に害を加えぬ限りは
相手の人を憎むには及ばず、ただ近づかぬようにするばかりだ」に続く数行が引用されて
いる。

その平山氏の解説が良い。福澤は「人付き合いの良い、朗らかな性格は持って生まれた
ので」「上司から見た諭吉は理想の部下だった」とし「関係を決定的に悪くする前に身を引
いて、いつでも交際の窓口を開いておけば、また共に活動する機会が巡ってくるかもしれ
ない」「それが人間関係を保つ諭吉の流儀なのでした」と、見事に看破している。

URLリンク(blechmusik.xrea.jp)


99:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/11 11:38:11 VJUyF8Zy0
「黒人が人間だと考えることは不可能である。彼らを人間であると考えれば、我々がキリスト教徒でないことを認めざるをえなくなる。」
啓蒙主義者モンテスキュー『法の精神』

「黒人は人間たりえない。
 なぜなら黄金よりもガラス玉を喜ぶから」
     モンテスキュー(法の精神)

「植民地の有色人種に必要なのは(独立ではなく)鞭だけだ」
     ーチャーチル (英植民地ビルマの独立を要請されて)

「原爆がヨーロッパの白人にではなく日本人に対して使われることになって
 よかった」
カナダ首相のマッケンジー・キング

「アメリカには今でも、僕がプレーできないゴルフ場が存在する」
     ータイガー・ウッズ


100:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/11 12:04:46 V4/1u2vVO
またかよ
お前には飽きたよコピペマン

101:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/11 14:10:50 wdAAKump0
学会では安川さんの説と平山さんの説のどちらが多数の支持を得ているの?

102:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/11 14:37:54 9q9oIcCM0
>>98
おお、「人に交わるの法」がありましたね。
そちらの方がピッタリのようですね。

----
又他人に交わるの法もこの筆法に従い、私は若い時からド
チラかと云(い)えば出しゃばる方で、交際の広い癖に、遂(つい)ぞ人と喧嘩をした
こともない。親友も甚(はなは)だ多いが、この交際に就(つい)ても矢張(やは)り極端説は忘れな
い。今日までこの通りに仲好く附合(つきあい)はして居るが、先方の人がいつ何時(なんどき)変
心せぬと云(い)う請合は六(むず)かしい。若(も)し左様(そう)なれば交際は罷(や)めなければな
らぬ。交際を罷めても此方(こつち)の身に害を加えぬ限りは相手の人を憎むに
は及ばぬ、唯(ただ)近づかぬようにする計(ばか)りだ。コンな事で朋友が一人(ひとり)なくな
り二人なくなり次第に淋しくなって、自分独(ひと)り孤立するようになって
も苦しうない、決して後悔しない、自分の節を屈して好かぬ交際は求め
ずと、少年の時から今に至るまでチャンと説は極(き)めてありながら、扨(さて)実
際には頓(とん)とソンな必要はない。
----
福翁自傳 - 550 ページ :
URLリンク(project.lib.keio.ac.jp)


103:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/11 16:53:50 V4/1u2vVO
まあ圧倒的に平山優位だろうな
真実が話題になった後、安川が反論したのに、何の反応もなかっただろ?
党の同志以外にはw

104:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/11 18:23:50 L7A7/Cc/0
福沢諭吉 帝室論
URLリンク(www.nicovideo.jp)
URLリンク(jp.youtube.com)

帝室は政治社外のものなり。

帝室は万機を統るものなり、万機に当るものに非ず。

我が帝室の一系万世にして、今日の人民が之に依て以て社会の安寧を維持する所以
のものは、明に之を了解して疑わざるものなり。

帝室は直接に万機に当らずして万機を統べ給う者なり。
直接に国民の形体に触れずしてその精神を収攬し給う者なり。

我帝室は万世無欠の全壁にして、人心収攬の一大中心なり。

全国人心の中心栄誉の源泉なる帝室

105:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/11 18:24:52 L7A7/Cc/0
福沢諭吉 尊王論
URLリンク(www.nicovideo.jp)
URLリンク(jp.youtube.com)

天下後世社会の安寧の為めに尊王論の一編を記して子孫に遺すも亦無益の労に
非ざるべし。
今その立論を三条に分つ。

第一 経世上に尊王の要用は如何。

第二 帝室の尊厳神聖なる由縁は如何。

第三 帝室の尊厳神聖を維持するの工夫は如何。

106:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/11 20:18:16 XIonCAth0
>>103
安川さんがいくら平山さんの起筆者認定のアラを指摘したところで、
それで石河の認定の正しさを証明したことにはならないからね。

安川さんや(無理だとは思うが)雁屋さんに必要とされるのは、
石河の無署名社説認定が正しい、ことを証明することだが、
それは成功していない。

石河がデタラメな選択をしたことは、安川さんだって認めていることだし。

だとしたら、明治版全集あるいはせいぜいいって大正版全集に含まれている著作だけで
福沢像を描くのが、実像に迫る最適の手段ということになる。
そこには問題のある論説なんていくらもない。



107:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/12 08:00:58 /c/ANTBnO
福沢先生の『心の健康』について何かご存知ではないでしょうか?

108:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/12 08:18:18 Nf0i5a510
>>107
そういや福沢が何かに悩んでいた、というハナシはあんまり聞いたことがないぞ

109:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/12 11:44:52 Ag7QfJfRO
>101答えてやってんだから、礼ぐらい言えや

110:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/12 13:57:32 gAcvF5JI0
>>107
慶應の教科書『修業立志編』に「心養」という作品があるけど、
これのことかな?
内容は「体を養う必要があるように、心も養う必要がある」と
いうものです。

「心養」
URLリンク(blechmusik.xrea.jp)
----
又體を養ふに運動を要するの生理あれば、心を養ふにも其運動を要するの心理あらん、
坐して動かざれば、足に痺を生ずるが如く、凝て解けざれば、心に迷を起す。
坐するは敢て不可なけれども、足に痺を生ずるは摂生の旨にあらず、凝るも或は可ならん
なれども、心に迷を起すは既に保心の義に反せり。 痺れざるは、動かせばなり、
之を體養と云ひ、迷はざるは、解けばなり、之を心養と云ふ。

左れば體養は静運宜しきを得るにあり、心養は変通を妨げざるに在り、共に人生に欠ぐ
可らざるの須要にして、心身の運動と称するもの、即ち是ならん。
----


111:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/12 14:13:50 Nf0i5a510
>>110
おっ、なかなかいいところに目をつけたな
でもこれは、石河が全集から「落とした」論説じゃないか
自分にとって不都合な論説は、福沢が書いたものでも全集に入れないのが
石河クオリティ(笑)

112:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/12 15:33:37 kchP26f80
福沢全集に限った話ではないが、何故未収録論稿があるのに「全集」と銘打って
出すケースがあるんだろう?その人の著作全部収録してなきゃ全集とは言えないのに。

113:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/12 15:57:22 gAcvF5JI0
>>111
「心養」ってなかなかいい論説なのに、何故か全集未収録なんですね。

>>112
まず、著者が存命中に出す場合があります。
例えば、明治版『福澤全集』は福澤先生が自分自身で編纂したもので、
全集発行前後に出た『福翁自伝』、『福翁百話』、『修業立志編』などは
収録していないです。

あとは、全集発行の後に発見された作品の場合は、収録不可ですね。
例えば、書翰などはけっこう新発見のものがあり、現行版『福澤諭吉全集』の
初版が出た後で発見されたものを一冊にまとめて、再版のときに別冊として
追加していますね。

問題なのは、石河編纂の正続『福澤全集』の場合で、作品の収録に当っては、
石河の恣意的な収録方法があると、平山さんは書いていますね。
例えば、「心養」とか「忠孝論」などは全集未収録なんですよ。


114:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/12 16:59:35 Nf0i5a510
>>112
石河選択の昭和版に入っていない草稿残存社説が、50編くらい後に見つかった
これらは草稿が発見されていなけりゃ、現行版に収録されることはなかった
石河に選択眼があったとすると、福沢のものと分かっていながら
わざと昭和版に入れなかったことになる
逆に、石河が選んだものの
福沢が関与した証拠のない論説は数知れず、だっけか(笑)

115:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/12 18:55:27 kchP26f80
石橋湛山全集も未収録論稿結構ある。主に戦前の論稿。

116:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/12 19:34:43 Ag7QfJfRO
>115
なら石河の選択はデタラメだと認めるんだねだよね
安川の負けということも

117:天才まし
09/10/12 21:07:26 bbVm4OeCO
“諭吉凌駕”
“俺様”>>“URLリンク(c.2ch.net)”
(みんな~!!?^>^)

118:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/13 03:41:29 jw5LyJQY0
>>115>>101も同じ
「勝海舟と石橋湛山、坂本龍馬、中江兆民」と題して淺川保さん(山梨平和ミュージアム理事長)>>13

もっと堂々と安川寿之輔の正しさを主張しなよ! w

119:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/13 09:08:59 zp1ismfo0
>>118
>>101が淺川さんでももちろんかまわないし、福沢批判もいいけれど、>>99もそうだとしたら大問題だな。
つまり昨年来こことオバ三田会スレで、さんざん暴れまくったコピペマンが同一人ということになるから。

120:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/13 09:38:35 xB4j14bo0
>>119
いくらなんでもそれはないんじゃね
特定非営利事業法人のようだな、山梨平和ミュージアムは
URLリンク(volunteer-platform.org)

121:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/13 10:15:58 zp1ismfo0
>>120
じつはおれ、このスレの過去ログ全部もっているんだよ。
コピペマンについては、安川本制作協力者の予備校教師が疑われていたが、
こちらのお方の可能性もでてきたので、ちょっと調べてみようと思う。

122:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/13 12:26:29 EeCM4S7c0
石橋湛山が大アジア主義を否定してリベラリズムを標榜したなら、
福沢諭吉とあまり違わない気がするが、
どうして湛山の研究者がああまで福沢を拒否するんだ?


123:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/13 15:00:12 nXSEyCtrO
>>110
亀ですいません
有難うございました

124:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/13 15:33:30 zp1ismfo0
過去ログをざっと見てみたが、去年の夏に来ていたコピペマンと淺川さんとは、一致点が多いようだ。

コピペマンは、ブルデューなど社会学の知識も豊富で、
コピペは社会思想関係の抜書きが多かった。淺川さんは高校の社会科の先生だったから、
予備校の数学教師である安川本の協力者よりコピペマンにふさわしい。

コピペマンが盛んに活動していたのは夏休みの時期で、予備校は忙しいはず。
この時期淺川さんのほうはヒマだったかもしれない。

とはいえ、淺川さんは64歳で、高校定年退職後に山梨県大で授業を受け持つようになったようで、
失礼ながらそんなお年で毎日コピペを貼り続ける気力があったかどうかは疑問。

まあ、プロファイルなんていうのは、うまくはいかんわな。

125:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/13 19:22:17 kECu8SRjO
矛盾しないとしても、それで確定するわけじゃ、ないけどな
コピペマンが出てこなくなったのは、去年の秋遅くだったっけか

126:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/14 00:15:34 Wud853kn0
>>124
予備校の数学教師である安川本の協力者について
なにか情報があったら教えてください。


127:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/14 05:25:54 0EZDNn+uO
諭吉さんの『全裸』事件は笑えたのですが、日吉駅界隈の塾生の騒動みると、笑って済ませませんね

128:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/14 07:15:21 LmzDFru20
記念シンポジウム 石橋湛山の人と思想
 
湛山研究の第一人者、松尾先生を京都から迎えて、湛山の人と思想を学び、
深めたいと思います。多数ご参加下さい。
 
日 時  10月18日(日)午後1時30分~
会 場  甲府市朝気 ぴゅあ総合
   
<第1部> 基調講演
    1 湛山先生と私  京都大名誉教授 松尾尊允氏
    2 石橋湛山の経済思想 
    東洋経済新報社元社長  神尾昭男氏
   
<第2部> パネルデスカッション 石橋湛山の人と思想
    講師   松尾尊允氏  神尾昭男氏
    コーディネーター  YPM理事長 浅川 保氏  

129:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/14 07:23:47 hpVSAoWW0
湛山研究なら増田弘さんのほうが第一人者だと思う。

130:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/14 08:29:54 IXDp/XFWO
>128はちょい怪しいシンポだな
湛山生誕120年のは湛山記念財団と早稲田が協力して大々的にやった
こんどのは125年w 開催者は上にあるNPO
まあ、実績作りが目的だね
このスレで、反福沢運動の拠点だとバレたから、
地元三田会が黙っていないだろう
山梨なら堀内さんか

131:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/14 13:47:42 i//5gyT00
>>126

968 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2008/11/16(日) 18:20:49 ID:+UPZuweM0
>>966
図星でもどうということはないだろ。
塾員らしく福沢について語れよ。
969 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2008/11/17(月) 10:51:44 ID:31xAZ8eAO
塾員らしく福沢について語るってのも、意味が不明瞭だし。
ひょっとして、以前このスレで暴れてた「蛆虫ニート」かな?w
970 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2008/11/17(月) 11:01:07 ID:psqcnwCY0
>>968
必死だな。

「第二刷の機会に、気づいた誤植と誤りをとりあえず訂正した。そのさい、川村利秋さんと
吉川卓治さんなどに助けていただき」(安川寿之輔著『福沢諭吉のアジア認識』二刷、3頁
2001年3月)

「『前著』刊行を契機に懇意になった川村利秋さん(金沢中央予備校非常勤講師)から、あ
の程度では若い世代にとても読んでもらえない、とお叱りを受けた。そこで本書では、数学
の講師でありながら私以上に日本思想史の造詣も教養も深い川村さんに、人名索引の作
成とあわせて、そのルビの仕事をお願いした」(『福沢諭吉と丸山真男』10頁、2003年7月)

「前著『福沢諭吉と丸山真男』同様に、異色の数学教師(金沢中央予備校)の川村利秋さん
に人名索引の作成、ルビふり、すべての引用文のチェックなどの骨のおれる仕事の協力を
いただき」(『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』384頁、2006年7月))

もちろんおれは、夏以来アラシをしてきた「コピペニート」が、「川村利秋」だ、なんて言っちゃ
いないぜ。>>962を読んで朝一番に図書館に走って、安川本を借り出し、そこから引用した
だけだ。

でもかまわないよね、図星でも。君自身はコピペニートではないのだし。wwwwwwwww



132:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/14 21:46:01 Wud853kn0
>>131
情報ありがとうございます。安川さんにも支援者がいるんですね。
でも、索引の作成、ルビふり、引用文のチェックなどは、本来は、
編集担当者がすることだと思うのですが、高文研は違うのかな?


133:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/14 21:57:39 IXDp/XFWO
カネがないんじゃないの高文研には

134:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/14 22:08:19 ROXsTQIT0





 台 湾 人 の 日 本 侵 略 を 許 す な !


URLリンク(www.youtube.com)






135:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/14 23:05:13 0EZDNn+uO
NHKで勝海舟やった時に諭吉先生出ましたね


136:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/15 06:13:29 NyOe2hdB0
篤姫にはでなかったな
木村摂津守は出てきたが

あれは勝を美化しすぎ

137:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/15 06:56:49 IV7mJjUPO
勝も諭吉先生もイケメンでしたが、諭吉先生のが背も高いしエピソードも面白いですよ。義太夫聞きながら泣く…最高ですw

138:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/15 10:40:05 3HQcJ90j0
>>137
福沢の伝記類には面白いものが多いのだけれど
自伝をさらに大げさにした講談みたいのがあって辟易する
北康利なんかはその最高峰
売れてるみたいだが
あと、佐高信の引用ばかりの本にも驚いた
恥知らずのきわみ

139:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/15 11:48:49 GA4y2G8l0
グーグルってすごいな 出たばかりの「諭吉の流儀」の中身をほとんど読むことができる
URLリンク(books.google.co.jp)
81%AE%E6%B5%81%E5%84%80&printsec=frontcover&source=bl&ots=hKosJK_dog&sig=
nxT8D_yhUxfl09zKhIaxYLcTErs&hl=ja&ei=EI3WSpOxNpeDkAW428DoBg&sa=X&oi=
book_result&ct=result&resnum=7&ved=0CBQQ6AEwBjgU#v=onepage&q=&f=false

140:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/15 12:03:38 jTAD6qfZ0
>>139
どうやれば読めるんだ
リンクされていないぞ

141:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/15 12:19:11 GA4y2G8l0
>>140
のようですね
グーグル・ブックスを呼び出して、タイトルを打ち込めば
目的のページに飛べます


142:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/15 12:21:58 GA4y2G8l0
いや、これでできるか
URLリンク(books.google.co.jp)

143:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/15 12:39:28 jTAD6qfZ0
>>142
今度は見れた
こんなにアップして売れんの

144:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/15 12:55:22 IV7mJjUPO
>>138
レス有難うございます。確かに原文の通りが一番面白いです。佐高さんの本はさらにご自身の昔話など余計なものをつけ加えてますね。

145:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/15 15:00:00 3HQcJ90j0
>>144
これは、という福沢の伝記は、まだ出ていないんじゃないか

146:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/15 16:20:07 IV7mJjUPO
>>145
そうですね。
史実がどうだったのかということを別にすれば、自分は福翁自伝が一番面白いと思います。

147:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/15 16:55:40 iY5CzAkr0
>>145
平山さんがミネルヴァから出した福沢伝は良くないの?

148:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/15 17:27:21 3HQcJ90j0
>>147
左翼も含めて福沢の伝記は全部石河の福沢諭吉伝の影響下にある
平山洋のはそれをあえて使わないでいるわけで
それはいい

とくに明治維新前の状況について意欲的に調べているのだが
いかんせん福沢本人の同時的記録が余りに不足している
(本人が焼却した、と言っている)
それを状況による推測で埋めているわけだ

電信機の製作など新発見の事実も多く、その点は買いだが
幕政改革の担い手で、慶喜を尊重していたなどというのは
類推に止まる
もう少し証拠はないの、と言いたくなる

とにかく超個性的な伝記であるのは事実だ
個性的というのはプラスにもマイナスにも使える言葉だ

149:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/15 20:00:26 Z+EMqgQD0
>>145
富田さんの『考証 福澤諭吉』は良くないの?

----
日本近代思想の礎石をきずいた先覚者としての福沢諭吉.
これは,福沢研究に生涯をかけた著者にして初めて描き得た克明な伝記である.
石河幹明著『福沢諭吉伝』から六十年を経過した研究の諸成果が上下二冊に凝集された.
----
URLリンク(www.iwanami.co.jp)


150:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/15 21:03:49 BHLeEs3FO
富田さんの考証は、石河の伝記は完璧という前提のもとに
書かれている

151:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/16 05:20:21 lfIJek6IO
いつも楽しく拝見してます。このスレッドでオフ会したらどうなるんでしょうねえ(^-^)

152:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/16 06:18:07 vWAmh8flO
平山や安川も出てくるんじゃないの?

153:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/16 07:15:11 yIoHynmn0
まさか! w
それはさておき、富田さんの考証は優れているとしても
石河の社説選択のインチキには気づいていたはずだから
それについて何も言わなかったことは
批判されても仕方ないことなんじゃないか

154:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/16 12:04:27 XXpiI8AK0
あと、岩波書店は自分たちが出している福沢全集の信憑性についてこれだけ言われているのに、
まだ何のコメントも発していないようだけれど、それでいいのかな。

「訂正して、新しい全集を出します」とか、「言いがかりで事実無根」(こっちのほうの可能性大)とか。
何も反応しないと、認めたように受け取られるよ。

155:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/16 13:45:11 lfIJek6IO
>>154
オフ会でそのことへの抗議集会をしてみるとか…(^o^;

156:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/16 20:01:09 UeLXYfl10
岩波の無駄なプライドには痛いものがある


157:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/16 20:52:58 TtH7mVqX0
怜悧な人だとは思うし、先見性はむろんあるけど
人間として誠実だとはなんか思えないんだよな>福沢

158:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/17 04:20:12 QlOCkG2T0
>>157
それはサヨクの工作による間違った認識ですよ
まあ刷り込みですね

彼らはイメージ戦略のプロだから

159:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/17 08:31:14 c77CG85gO
福澤諭吉先生について素人の者です。展示会で彼と湘南地方について少し触れていたようですが、なぜ湘南なんでしょうか?

160:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/17 09:19:07 r3YMFj4c0

商標登録「福沢諭吉」
URLリンク(skimura21.exblog.jp)

161:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/17 18:15:26 c77CG85gO
当時諭吉先生の本にもパクり本が出たようですね

162:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/17 18:55:44 qNf9nLjI0
福沢は宗教全体を徹底的に馬鹿にしていたけど
あそこまで功利的にしか物事を捉えられないのかなあ。

163:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/17 21:05:11 c77CG85gO
馬鹿にしていたといわれるのは諭吉節による揶揄というか、ネタだと思われ…

164:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/17 21:37:11 X8o7MuIZ0
>>162
晩年にはユニテリアンを支援していて、宗教を批判していた明治一桁の頃とは
違っていたように思う

165:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/17 22:15:44 c77CG85gO
ユニテリアンて、よくジョセフ=マーフィーが引用するエマーソンとかですか?

166:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/17 22:19:45 X8o7MuIZ0
>>165
そう、キリスト教の一派というけれど
三位一体は否定してイエスをキリストと見なさずに
人間とする
当時のハーバードはユニテリアンの巣窟で
そこの出身者ナップを介してハーバードと交流していた
詳しくは小泉仰の本を見よ

167:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/17 22:40:51 c77CG85gO
よく分かりませんが今はやりの『友愛』とかいってますね

168:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/18 07:05:05 PS+cCKVUO
鈴木大拙さんあたりは福澤先生の孫弟子にあたるんでしょうか

169:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/18 07:25:42 Icj+5TWY0
>>167
友愛の英訳はフラタナティ
大学の同窓会もフラタナティ
三田会もフラタナティ

だから三田会も友愛

170:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/18 08:18:08 Bjts8UqqP
まあ大拙は東大だから
功利主義でもないし

171:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/18 08:55:05 PS+cCKVUO
鈴木大拙さんというと、C.G.ユングと親交があったとかエラノス会議の為に働いたとかいう話くらいしか知りませんでした。

172:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/19 09:22:22 Z0PxXIq6O
東大出身者で諭吉が親しかったのは北里くらいかな。
橋本左内の弟は帝大教授だが東大出ではなかったように思う。

173:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/19 12:07:17 5V1il2DA0
昨日の>>128のシンポ、ドウだったんだろう?
山梨の三田会員が殴りこんだのだろうか

174:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/19 12:29:55 NoWiB51g0
卒業生が政界官界に進出してるのを在野の精神を持っていた諭吉は
どう思ってるだろうな?

175:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/19 12:39:19 60gnbJ1b0
>>174
在野精神は早稲田ということになっているね。

慶應の場合は、明治14年の政変で官界から追い出されたわけで、
失地回復を福沢も喜んでいるはず。
また政界についても、早稲田が衆議院に限られているのに対して、
慶應は華族の子弟を優先して入学させることで、
慶應出身貴族院議員を増やそうとした。

福沢がイメージしているのは、英米の紳士。
彼らはビジネスマンでありながら、政治家にも高級官僚にもすぐに転身できた。

176:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/19 13:35:12 Ndat+o4tO
オフ会したいっす(≧▼≦)塾員さんでないと参加はできないですか?

177:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/19 15:54:30 5V1il2DA0
>>176
オフ会ったって、住人は日本中に散らばっているんでは
早慶旧帝の院生と、地方大学の教員が主要なレスを付けていると思う

178:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/19 21:01:34 Z0PxXIq6O
あと慶応OBもね。

179:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/19 23:00:46 Ndat+o4tO
ごめんねごめんね~泣

180:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/20 06:03:33 o0R3VXC7O
新政権では福沢の思想は生かされているの?

181:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/20 06:40:05 FYbxE0dBO
>>180
小沢一郎の考えに近いと聞いたことがあります

182:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/20 07:14:51 XnQbbfCA0
>>181
前政権は慶應出身者が閣僚として前面に出ていたのに、
現政権は慶應出身者が背後から操っていることになるな

183:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/20 07:36:27 g2V3UoEX0
小沢の考えは、福沢に似ているかぁ。
福沢の弟子というより、角栄の弟子の要素が強いんじゃなかろうか。

少なくとも、現在進行しつつある政治的リベラリズムの傾向と、
福沢の考えはまっこうから対立している。

福沢の経済政策の基本は、自由放任主義だよ。
どうしても救われない人だけを救うべきだ、と言ってはいるが。

184:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/20 07:57:37 ftiDMcYM0
>>159
一つの仕事が仕上がると、湘南か箱根に骨休めに行っていたからね
当時は小田急はなかったが

185:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/20 08:40:06 FYbxE0dBO
>>184
有難うございます!富士山お好きだったんでしょうか。小田急もサザンもなかったですね。

186:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/21 00:05:45 +D1mzfDk0
>>183
> 福沢の経済政策の基本は、自由放任主義だよ。
> どうしても救われない人だけを救うべきだ、と言ってはいるが。

自由放任主義と「救われない人だけを救うべきだ」発言のソースがあれば
教えてください。


187:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/21 03:10:42 JlmpGKtCO
>>184
湘南というとどのあたりですか

188:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/21 08:00:57 5FXy3j320
>>185>>187
富士山についての言及は見たことないな
福沢は自然に関心をもたなかったようだ
湘南での定宿は江ノ島岩本楼(今もある超有名旅館)で
夏には海水浴に行ったよう

189:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/21 10:15:49 JlmpGKtCO
>>188
有難うございます
へー…岩本楼だったのかぁ箱根の富士屋ホテルは今東京駅の側にある八重洲富士屋のつながりですかね

190:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/21 11:01:50 9yTALWY10
>>186
今調べている。

ところで、必死チェッカーもどきの面白い結果を発見した。
URLリンク(hissi.org)
去年の8月21日にコピペマンが別スレに行った攻撃のカキコ一覧だ。
>>99はホンモノのコピペマンぽいな。

191:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/21 13:01:12 5FXy3j320
>>189
富士屋ホテルは今は国際興業資本だな
そこの小佐野健治というブローカーが創業家から買い取った
明治の初めに建てられたときは
ものすごい格式だったよう




192:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/21 13:15:05 JlmpGKtCO
>>191
おっ!有難うございます
そうなんですか
建物見てみたいなあ…
岩本楼も江ノ島弁天様の神社を管理した別当寺がもとになってるようですね

193:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/21 15:09:40 9yTALWY10
>>186
「貧富論(第二)」の結論部近くに、
富豪は丸儲けを望むのではなく、「公共のため又慈善のためとあれば、
分に応じて捐金を惜しむことなく、以て人心を和し」などとあって、
だいたいそのあたりに、ノブレス・オブリージュについて書いてある。

この「貧富論(第二)」は1892年に発表されたもので、単行本化されていない。
福沢なのかどうか確認しようと思ったが、大正版未収録とあって、
確実に福沢かどうかは分からない。

そうなると、1884年の「貧富論(第一)」(大正版所収・原稿残存)のほうに
求めるべきで、10月25日付けの、「貧民の貧如何ともしがたきに似たれども、
之を緩和弥縫するに自ら法あり」を取り上げるのが、適切かな。

ここにも富裕層が慈善を行って最貧者を救うべき、と書いてあるが、
福沢自身は、慈善事業では貧困を完全には解決できない、と考えていたようだ。

194:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/21 15:31:59 9yTALWY10
>>186
あと、自由放任主義については、『民間経済録』だろうな。
経済活動についてはなるだけ民間の自由に任せ、
政府の介入は最小限とする、というのが福沢の考え。

195:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/21 16:15:45 5FXy3j320
公金横領問題の結論が出たようだ
URLリンク(blechmusik.xrea.jp)

196:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/21 19:32:35 hpTIoO7/0
>>195
やっぱり調べていたんだな平山さん
よくもまあ

197:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/21 22:30:06 JlmpGKtCO
192です蛇足スマソ!
江ノ島の弁天様と地下トンネルでつながってるという岩屋弁天てのが近所にありました。今はもう工事してなくなっちゃったけど。

198:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/21 22:58:38 +D1mzfDk0
>>195
おおっ、情報ありがとうございます。
結局、生田目経徳が持ち込んだ怪文書
「福沢諭吉の幕府公金流用との噂についての覚書」
が噂の元ということですね。

あと、論考中で「デジタル・アーカイブ」といっているのは、
「近代デジタルライブラリー」のことでしょうね。
近代デジタルライブラリーで生田目経徳を検索してみると以下のようになります。

URLリンク(kindai.ndl.go.jp)


199:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/22 01:14:31 jQNv/X970
福沢諭吉は公金を横領していたのか
汚いやつだ

200:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/22 01:16:38 jQNv/X970
日本の紙幣になっている人物が公金を横領しいたとは恥ずかしい
日本中の中学や高校でこの事実を教えるべき

201:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/22 03:53:44 B+AZH0780
>>199>>200という噂は、>>195によって完全に否定された、ということなんだが

202:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/22 09:07:23 WQUzCiLG0
>>195を読むと、
7月くらいにここでしてたレスがバカみたいに見えるな。
俺は三井の手代に、
「ドル安の時のドルで両替せよ」
とリベートを要求した神野が犯人と思っていたんだが、
ぜんぜん違った。

203:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/22 12:48:29 ZvQqI0C50
>>202
まあ、われわれだって、広島文書館の小野文書目録までは発見できたんだから
それでよしとしようや
まさか平山が広島や茨城まで調査に行って、生田目の史料を漁っていたなんて

ところでおれは時々出てくる>>198が本人じゃないかと疑っていたんだが
どうも違うようだね
あと、ここで指摘されている間違いがサイトで修正されれば
平山がここを見ているかどうか、は分かる

204:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/22 13:06:50 wGEQ4/E/0
>>203
そんなことカキコしたら、訂正しなくなるんでは?

ところで、>>195は昨日の日付なのに、
実際のリンクでは今日の更新になっているけれど。

205:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/22 13:26:35 ZvQqI0C50
>>204
大きな間違いを指摘されたら、直さないわけにはいかないさ
そうしないと、恥をさらし続けることになるからね

アップの日付の件
昨日私が発見したときには、確かに昨日の日付だった
今日になって何か修正されたのだろう
デジタルライブラリーのところじゃなさそうだが

206:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/22 22:45:32 /fSuS+vMO
ブラタモリ来週は三田麻布ですよ~(≧▼≦)

207:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/22 23:04:27 FrcS0BSz0
>>206
おおっ、情報ありがとうございます。
次回は、2009年11月12日放送だそうです。

----
【2009年11月12日放送】

第5回 三田・麻布をブラタモリ
今回は三田と麻布です。
なんとイタリア大使館にお邪魔しました。日本にある大使館のうち、
1/3が集中しているのが三田・麻布なんです。イタリア大使館に広がって
いたのは、なぜか美しい日本庭園。果たしてその理由とは?!
また、麻布では江戸時代から伝わる伝説の地を探します。頼りにするのは
古地図と坂道の名前。時空を超えた街歩きの末、見えてきたのは
「江戸と外国人の融合」でした。
インターナショナルエリアの知られざる一面、ご期待ください。
----
URLリンク(www.nhk.or.jp)


208:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/23 07:21:56 SfKfsM2/0
>>207
イタリア大使館は慶應三田のすぐ北隣だな

209:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/23 07:53:37 nIHHewaA0
>>207
慶應の近くは確かに大使館が多かった。
ブラリと散歩するにはいい所だ。
早稲田界隈と街の雰囲気が全く違うので、
時々あっちに行くと違和感があった。

210:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/23 14:29:25 8vn60JwY0
>>208
イタリア大使館はもともと松平隠岐守邸で、
そこに預けられた忠臣蔵四十七士のうち十名が、
その庭で切腹しました。

「学問のすすめ」の赤穂不義士論は有名ですが、
福沢先生は赤穂浪士が切腹した屋敷の隣で、
170年後「学問のすすめ」を書いたことになります。

じつは福沢先生と忠臣蔵にはもう一つ奇妙な因縁があって、
中津藩中屋敷(現聖路加病院)の西隣が、
かつての赤穂藩上屋敷(現看護大学)なのです。
つまり、先生が最初に塾を開いた場所のすぐ隣に、
浅野長矩が住んでいたことになります。

三田の松平邸は、維新後は松方正義の屋敷となっていました。
福沢諭吉(大隈財政の支援者)と
松方正義(デフレ政策実施者)は、
お隣さんだったのです。



211:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/23 15:50:07 cVYSPnxsO
>>210
興味深いですね
四十七士の泉岳寺も近いしイタリア大使館の隣に三井の建物ありましたね

212:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/23 18:35:15 HQOzxlUK0
慶応OBというのは、年取ってから、こんな風に聖地めぐりをしているんだろうな

213:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/24 07:20:52 IH70PsIY0
>>195で、礫川全次や中村彰彦の面子は丸つぶれ。福沢諭吉批判はもうできないだろうな

214:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/24 07:48:17 pesfuc6ZP
昨日までは「福沢諭吉」+「公金横領」でググると、一番上に
>>195が出たんだが、今はまったく引っかからない

サヨクの妨害工作があったようだ
どうすればそうすることができるの?

215:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/24 08:39:43 IH70PsIY0
>>214
ほんとだ
それにしても、福沢を批判する人は、よっぽど、

平山洋「福沢諭吉は公金一万五千ドルを横領したか?」
URLリンク(blechmusik.xrea.jp)

という論文を人に読ませたくないんだネ w


216:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/24 13:49:39 OHAB9aCZ0
>>215
礫川全次著『知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男』(平凡社新書348)
でも公金横領の話題があったけれど、この話題も平山さんの論説でついに
決着がつくようですね。


217:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/24 14:45:04 7zFtYugpO
成り上がりっていっても、実力でそうなったんであってカッコいいと思いますよ。七光りとか世襲とかのほうが問題ありです。

218:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/24 15:02:28 IH70PsIY0
礫川全次は、マルクス主義の民俗学研究者なんだが
あの本では、「福沢は成り上がりだからダメだ」、みたいなことを書いている

でも、そうなると

「氏素性のしっかりした、由緒正しい天皇家や華族の人々が高位にいるべきだ」

と言っているとも受け取れるわけで
どこがマルクス主義なの? という疑問がふつふつと湧いてくるな

219:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/24 16:49:07 GitZeXql0
上がらないままならいんじゃね
成り上がらず

220:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/24 19:11:09 IH70PsIY0
>>219
すると礫川は

労働者階級が決して「成り上がらない」ような世界がよい世界

と言いたいのか!

     資本家階級の考えとどこが違うんだろ

221:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/24 19:17:54 pesfuc6ZP
ありゃ、今は「福沢諭吉+公金横領」で平山論文が一番上に出るぞ!
さっきまでは消滅していたのに
どうなっているんだ?

222:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/25 08:46:00 jUKj7ExmO
サヨというより諭吉たたき

223:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/25 10:05:42 50MXuBCQ0
>>222
諭吉たたきは某左翼政党がオルグ活動の一環としてやっているのだと思う

224:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/25 14:48:47 W0ezaWwC0
きっと天下のホームレス諭吉になって欲しかったんだろ。そのハリツケ川さんは。
天は諭吉の下に人を作らずだ

225:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/25 15:11:24 50MXuBCQ0
>>224
というよりも、労働者(庶民)階級と資本家階級は対立するべきだ
という価値観が前提になっている

階級闘争の結果、労働者階級による世界支配が開始される、という革命理論を信奉しているから

福沢は庶民の出なのに資本家の仲間入りしたのが気に食わないということで
同じ侮蔑の対象には慶應に入りたがる庶民の子弟をも含まれている

階級的裏切り者は、敵対階級より憎い、というわけさ

226:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/25 20:03:18 0okE2jAb0
>>224
コイシカワと読むようですよ。IME で変換されないので困りますね。

礫川 全次 (著)『知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男』(平凡社新書)
URLリンク(www.amazon.co.jp)
----
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
近代日本をリードした啓蒙思想家であり、今でも「偉人」として評価される福沢諭吉。
同時に、彼は拝金主義者、ほら吹き、変節漢といった人格的批判も多く受けた人物だっ
た。下級武士から幕臣、啓蒙思想家へと異例の出世をした福沢の真の姿はいかなるもの
だったのか。福沢に対する人格的批判の当否を検証し、「成り上がり者」福沢諭吉の心
性を探る。
----


227:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/25 20:30:05 jUKj7ExmO
小石川の漢文調ですよね

228:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/26 07:41:41 RRxfCrozO
小石川本では横領の件は避けられている。

229:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/26 09:16:10 VFk5EeK80
たしかに『知られざる福沢諭吉』では、藤井本について触れられているのに
横領問題については言及されていないな
礫川は賢いので、横領疑惑はでっち上げくさいと判断したんだろう

それにひきかえ中村彰彦のバカさかげんときたら

230:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/26 21:32:42 1UC2T+zB0
>>228
礫川本では横領問題についてはコメントしていなかったですね。
失礼しました。

>>229
礫川本では安川・平山論争についてもスルーしてましたね。
『福沢諭吉の真実』や『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』についても
本の題名だけ挙げて内容についてはコメントは避けていました。


231:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/27 07:51:31 SsZmqEBn0
>>230
つまり礫川は平山に挑んでも負けそうなところはスルーしているということだね。
ところで>>195の福沢横領問題の解決によれば、
『福沢諭吉公金使い込みに関する件』は、結局慶應にあったんだが、
そうなるとその文書の存在に気づかぬまま
藤井本に反論した慶應関係者は、随分マヌケだったということになる。

232:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/27 13:13:50 xaJ16c630
>>231
なるほど、怪文書が慶應にあったとすると
富田正文さんや西川俊作さんはどうしてそれに気づかなかったのか
という問題は依然として残るな

平山論文はそこには触れていないようだ

233:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/27 18:32:07 ogogBYCJO
いや、よく読んでみな

234:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/27 20:50:42 SfYsCOBsO
反福澤は、相変わらずちょっとしたビートたけし風ネタの揚げ足とりか、捏造した事実をもとにしてる…

235:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/27 21:29:14 ogogBYCJO
それを信じてしまうところが、大衆の恐ろしいところだ

236:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/27 22:11:56 mSxx9COC0
>>233
たしかに、よく読んでみると、富田さんは気づいていたけれど、
怪文書だとして全集に収録しなかったと書いてありますね。

----
おそらく「弾劾一件」が福沢家で発見された昭和三五(一九六〇)年に
同時に見つかったのであろうが、現行版全集の編纂担当の富田正文が
それを収録しなかったのは賢明であったといえる。
----
URLリンク(blechmusik.xrea.jp)


237:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/28 07:26:11 RuJ5It4/0
>>236
すると、富田正文は、『福沢諭吉公金使い込みに関する件』の存在を知っていながら、
藤井本が刊行された時の反論では、それに触れなかったことになる。
実物を見たわけではないけれど、『知られざる福沢諭吉』の86ページに要約されている
85年12月発表の富田による反論(『三田評論』)では、公金で私物を日本に送っても
外交官だから許されるはず、ということが書かれているらしい。
富田は、「使い込みの怪文書は、ひょっとしてホンモノかも」、と思っていたのかもしれないね。

238:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/28 10:35:06 RD20/iVf0
とにかく福沢公金横領疑惑はシロとはっきりしたのだから
誰かウィキに事実経過を書き込んでおいたほうがいいんじゃないの?

そうでないと、いつまでもデマブログがアップされたままになる

239:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/28 10:35:53 IbHlg1NwO
自伝に、誉められても喜ばずけなされても怒らずとか、故郷を出るときは後ろにつばしたと書いてあり、少し大げさなんだろうけど、故郷にいたときはかなりつらかったのでしょうかね

240:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/28 21:06:46 PlQRSGfE0
前スレからの引継ぎ問題

①福沢が幕末最高の剣客だったというのは、ホント?ウソ?
②福沢が第二回米行で15000ドルを横領したというのは、ウソ で解決済み
③「脱亜論」が侵略宣言だったというのは、ホント?ウソ?
④福沢が日清戦争で戦争扇動をしたというのは、ホント?ウソ?
⑤福沢が晩年天皇賛美者になったというのは、ホント?ウソ?
⑥福沢が太平洋戦争の原因を作ったというのは、ホント?ウソ?
⑦福沢がプレイボーイだったというのは、ホント?ウソ?


241:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/29 06:25:30 qUuD4IuqP
>>240
③~⑥は、戦後左翼の福沢攻撃の手段のようだ
今見るとばかばかしいくらい

池見さんなんかもそうだが、彼らは何があっても
看板を下ろしたりはしないだろう

242:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/29 09:28:05 G2HeGOdv0
公金横領疑惑にケリがついて、テンションが急に下がったな。
福沢に関する重大問題は、だいたいこれで出尽くしたか。
アンチ福沢、アンチ慶應の言っていることは、
実際に福沢が主張していたことからかけ離れている気がする。

243:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/29 10:00:09 JUrpZ1ZK0
>>241>>242
480 : 名無しさん@九周年 - 2009/03/08(日) 11:35:11 ID:WW/oa1kGO(+3-19)
黒田伊彦だろ?
大阪芸大短大部では、必須科目に「人権教育」があった。
「解放教育実践論」と称したカリキュラムは、高瀬船やら破戒、狭山事件など所謂同和教育そのもの。
教鞭を執るのが職員でも何でもない、解同から派遣された黒田氏であった。
中でも「一万円札を見る度に、差別を憎め」と銘打って、脱亜論や学問ノススメから独自の解釈を行い、
「この福澤という男は、とんでもない差別主義者なんやぞっ!」
とぶちかます。
その偏向っぷりにウンザリしていた学生達は、彼の名と出自をもじって「ブラッキー」と呼んでいた。
483 : 名無しさん@九周年 - 2009/03/08(日) 11:40:56 ID:ErF18Qhl0(+31+19)
>>480
そいつぁ同和がらみの圧力団体の人間で学者でもなんでもないし。
歴史学者で「諭吉はアジア蔑視」って言ってる奴って誰?
484 : 名無しさん@九周年 - 2009/03/08(日) 11:51:13 ID:WW/oa1kGO(+27+19)
>>483
高嶋伸欣だよ
URLリンク(www.jca.apc.org)

244:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/29 10:23:40 LrRjSb4l0
差別撤廃自体には異存はないんだが、運動方針がピントはずれ

245:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/29 15:20:32 d/HCeGQxO
荒川区ふるさと文化館の橋本左内展いきましたけど、福澤諭吉展と違って小さかったです。適塾同期でしたっけ?仕方ないけど場所柄辛気臭かったし(^o^;

246:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/29 15:35:07 d/HCeGQxO
こんなに早く世を去らなければなあと思いました。そしたら歴史も少しかわっていたかも…。

247:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/29 15:43:10 LrRjSb4l0
>>245
うわ、そんな展覧会あったんだ。諭吉にとっては適塾の先輩だね
諭吉と左内が交流していたという証拠はあるの?

248:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/29 16:46:08 JUrpZ1ZK0
正気なんだろうか? この人
慶応の商学部を出て大学院に進んだ人らしいが

慶応義塾大学不祥事のあらすじ
URLリンク(homepage2.nifty.com)
悪徳慶応義塾スキャンダルのその後
URLリンク(homepage2.nifty.com)

249:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/29 16:58:33 WML0jQEg0
>>248
こ、これはオモシロイ!

なぜアンチ慶應が目をつけないんだ?


250:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/29 17:45:22 d/HCeGQxO
>>247
同い年で一緒に適塾在学としか説明されてなかったようです

251:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/29 21:47:11 NV2OUMgpO
諭吉と左内は入れ違いだったのでは?

252:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/30 07:31:18 t9ZV9OAoO
>>248
こうした情報をタダで読めるとなると、雑誌を買う奴は居なくなるな

253:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/30 08:55:39 f+ZQZCpm0
>>248
研究者志願者には、
このサイトの主のようなオカシナ人物がかなりの程度含まれているな
読んでみると、問題の発端は1967年だよ
40年以上もの間慶応の不正を糾弾していることになる

254:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/30 09:47:38 GKDkq3bn0
>>253
>>248の人、どうやってこの40年間生活してきたんだろう?
どこぞの大学の万年助手なら、給料は支払われるのだろうが。

255:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/30 10:04:54 9B3w8xvv0
>>250
左内が適塾を去ったのは、嘉永5年2月だから1852年のこと。
諭吉の入門は安政2年3月だから1855年。
適塾では一緒に学んでいない。
URLリンク(www.shigin.com)

256:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/30 10:16:39 f+ZQZCpm0
>>254
人一人くらい、どうやってでも生活できるだろうよ
われわれだって、平日の昼間からここにいるじゃないの

平山サイトもやがて>>248のようになっていくんじゃないか w

257:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/30 10:50:03 dRsJH+b30
>>256
ニヒリスティックなところがODだね。人のことより自分のことを心配しなよ。

258:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/30 10:50:14 TCAhhwq+O
ふと思うんですが、反福澤のトンデモ意見が出ると論理的かつ実証的NK細胞よろしくそれを打ち消すことの繰り返しで…あまり福澤諭吉の実像に迫れてないですね。それが反福澤の狙いかも~ですが(^o^;

259:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/30 11:48:42 GKDkq3bn0
>>258
反福沢にとってみれば、福沢の実像というもの自体が気に食わないのだろう。
階級闘争史観なのだから、資本家がいい人であっては困る、ということで。

260:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/30 13:05:12 TCAhhwq+O
>>259
なるほど…しかしそれは反福澤側の意見ですね。我々はそれに乗せられず華麗にスルーなんてできないんでしょうか。

261:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/30 13:29:24 GKDkq3bn0
>>260
服部之総・遠山茂樹・鹿野政直・安川寿之輔・ひろたまさき・高島伸欣といった、
反福沢勢力による、福沢はアジア蔑視の侵略主義者だ、という批判を、
丸山真男や富田正文は華麗にスルーしていたが、かれらはますますがなりたてて、
一時はその福沢評価が教科書に採用されそうにまでなった。

21世紀になってきちんとした反論がでたことで、反福沢勢力は追いやられ、
いまや息も絶え絶えだ。スルーよりもきちんとした反論こそが、とるべき態度だと思うよ。

262:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/30 20:40:31 LZNOQit40
>>255
橋本左内は、じつに惜しい人材だった
ああいう優れた人物を処刑してしまった
井伊直弼を評価することはできない

263:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/31 09:02:26 ZCYSeTorO
民主党政権によって、福沢の理想はますます遠のくな

264:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/31 10:59:35 TtT5GaYuO
理不尽な叩きには反論していく…分かります。続けていかないと教科書にも影響することも。このスレは福澤諭吉さん評で、確かに反論もスレ違いでないが、少し視野が狭い気がします。最近迎撃専門スレみたいになってます。

265:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/31 22:50:15 ZCYSeTorO
まあ気楽にやろうや

266:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/01 13:34:23 m7sBxHD10
『福沢諭吉公金使込みに関する件』を生田目が書いたという論証を
いまいち理解できないな >>195 説明ヨロ

267:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/02 10:22:13 hr7olDuY0
>>195を読んでいない人のために解説すると、
福沢が第二回渡米で、公金15000ドルを横領した、という嫌疑について、
平山氏は、滞米中の不始末に関する文書類弾劾一件を福沢家に寄贈した生田目経徳が、
『福沢諭吉公金使い込みに関する件』の作者だと主張している。

その根拠は、
(1)そこに含まれている情報(消防道具購入)は、生田目が小野家から借りた資料のなかにある、
(2)その情報を知っていたのは、小野本人か生田目のいずれかで、小野は生前滞米中の福沢の
不始末をネタに、福沢を糾弾したりはしなかった、
(3)そうなると、情報を有していたもう一人の人物である生田目が書いた、ととるよりほかにない、
というもの。

説得力はそれなりにあると思うが、消去法による犯人探しだから、
小野が生田目以外の人物に資料を見せていた可能性もある。ただそうなると、
『福沢諭吉公金使い込みに関する件』の文中に、生田目が持ち込んだとハッキリしている
弾劾一件が触れられていることの説明がつかなくなる。

268:267
09/11/02 10:41:14 hr7olDuY0
読み返して誤解されるおそれがあるので、訂正をひとつ。

(2)の「生田目のいずれかで、小野は」を、「生田目のいずれかで、維新後小野は」と
「維新後」を挿入。

帰国後すぐに小野が福沢を弾劾したことは、当然の前提で、維新後もずっと糾弾し続けた
わけでは「ない」、と言いたかった。

269:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/02 10:58:39 WJ3kD3mP0
>>255
すると、橋本左内と諭吉は、まったく会ったことはなかったの?
江戸に諭吉が着いたとき、左内もいたのかな

270:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/02 12:32:11 ZE9AmOkD0
>>267>>268
>>266です
ていねいな解説ありがとうございました

271:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/02 16:41:04 R41eLMcaO
左内と福沢は交流があったんじゃ?

272:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/02 18:28:17 4zrmaxL80
>>271
一橋慶喜擁立工作で大坂まで行ったんだっけ?
まだ諭吉が適塾にいたころ

273:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/02 18:40:04 kDp/yEG4O
中津といえば、福永光司さんしか思いつきませんが
諭吉さんは三八さんと老壮思想に付いて話していて『老壮は論語より優れてる(良いといったのかな)』といったみたいですね。

274:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/03 01:32:25 AyHOJU9n0
>>273
三八さんといえば、『父諭吉を語る』という本を出していたけれど、
この本にあるエピソードかな?

URLリンク(opac.ndl.go.jp)


275:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/03 08:15:11 dipteAHhO
>>274
有難うございます。
こういうのを知りたいですね。実務ばかりでなく、老壮の脱力出来ててファンタスティックな世界に通じていられたとは、嬉しい気がします。

276:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/03 08:16:11 KdG39eO50
>>274
この本を出している福沢先生研究会というのは、ここの過去スレでも言及されていた
慶應のサークルだね
まだ息子娘が生きていた時代に、こうした活動をしていたんだ
そういえば、遠山茂樹の「日清戦争と福沢諭吉」(「脱亜論」初出)が掲載された
『福沢研究』も、そこが刊行していた雑誌だった

277:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/03 08:17:22 KdG39eO50
>>275
ところで君のID、「アホー」って読むのかな

278:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/03 08:35:05 dipteAHhO
>>275
ほんとだw

279:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/03 08:47:56 KdG39eO50
>>278

ディプテ・アホー

インド最高の賢者、みたいなよい名前だネ
ペンネームに使ったら?

280:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/03 09:36:59 dipteAHhO
>>279
あはは安房と書いてわざわざアホと読ませた先人もおいでになったし。実質的にもアホーと名乗らせていただきましょうか?

281:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/03 10:04:38 KdG39eO50
>>280
もったいないからコテハンにしては?
見れば見るほどすばらしいID

282:アホー
09/11/03 10:12:24 dipteAHhO
>>281
こんな感じで(爆)

283:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/03 10:38:06 KdG39eO50
>>282
本人の証明のために、IDを組み込む方法があるから、
それでやってみては
携帯からだとできないのかな

284:AHhO
09/11/03 11:15:12 dipteAHhO
ちょっと研究してみますw

285:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/03 21:35:05 dipteAHhO
蛇足ながら今夜は満月ですね。月の岬といわれた三田4丁目界隈はまだ月の名所なんでしょうか。

286:のり
09/11/04 01:26:50 lYuYU9HgO
福沢諭吉は悪人みたいやで彼は優生思想論者だ
なにが 天は人のうえに人 をつくらず だ

287:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/04 06:09:49 6QzhIGYw0
>>286
だから、「と云えり」って続いているんですよ
その次は、「されど」金持ちと貧乏人があるのは…
と天賦人権なのに貧富の差がある説明に移っている

その結論は、勉強した者は金持ちに、しなかった者は貧乏になる
ということで、実力主義を唱えている

ということで、優生思想とは無縁

288:のり
09/11/04 08:37:37 lYuYU9HgO
福沢諭吉はほぼ99パ-セント優生思想論者だ
その分野に詳しく学者 大学の先生は知ってるぜよ

289:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/04 09:04:16 UgovvHLx0
>>288
その話、前スレでやったよ
アイヌ民族の少年はいくら努力しても慶應の上級教師になれない
ってやつだろ
当時としてはとくに問題なし、という結論だった

過去ログを検討してから来てチョ

290:のり
09/11/04 09:23:57 lYuYU9HgO
アイヌ民族の話? そんなことはたいしたことじゃない 福沢諭吉が優生思想論者に間違いないかくたる話があるのよー

291:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/04 09:38:13 UgovvHLx0
>>290
そもそも、優生思想という言葉の使い方に間違いがあるんだよ
それは「ナチスの優生思想」とか、そういうところから由来するわけだろ?
くだらんレッテル貼りはよしなって

292:のり
09/11/04 09:58:12 lYuYU9HgO
おやおや福沢諭吉先生まんせーですか? 今度は優生思想という言葉を否定ですか?
福沢諭吉は悪人 調べれば調べるほど ホコリがでてくる。

293:のり
09/11/04 10:05:15 lYuYU9HgO
日本人は本当にアホやな
真実を追求しようしないし追求することを恐れる。

294:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/04 10:05:45 UgovvHLx0
>>292
福沢は1901年に死んでいるわけだから、もし>>290を証明できたら大発見になる。
============================================================
日本への優生学の影響は1905年頃には既に現れた。例えば雑誌『人性』(1905-1918)に
欧米優生学(民族衛生学)の紹介が見られる。また 1910年代には、海野幸徳『日本人種改
造論』(1910)、澤田順次郎『民種改善模範夫婦』(1911)、氏原佐蔵『民族衛生学』(1914)が
書かれた。(以上ウィキより)
============================================================
著作名を具体的に教えてくれ!

295:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/04 10:18:23 x2rSHV2V0
前スレによると、レス430以降8月中、「遺伝の能力」(1882)を中心に議論されている
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
430 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/08/03(月) 18:17:24 ID:aEJ8S3Qd0
そういや「アイヌは遺伝子的に劣っているから、今から努力しても慶応義塾には入れない。
でもそれは本人の責任じゃなくて長い歴史の中で~~」という福澤の記述を引用して
「福澤諭吉先生も人種差別意識を持っていた」と書いていた人がいたな。

あとは「サルでもわかるように書いてる」という発言から、「じゃあ僕らも猿になったつもりで、
福澤諭吉の学問のすすめを読んでみよう、なんて皮肉だか何だかわからない書き方をしていた。
だれだか忘れた。。。ブックフェアで児童書のところに売っていた本。

431 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/08/03(月) 18:35:55 ID:WfQwyOcC0
福沢諭吉ーー天賦人権論からの退却
要するにアイヌ民族の子供は、何代かの知的蓄積をへたうえでなければ、
慶應義塾の「上等の教員」にはなれないのである。
URLリンク(web.archive.org)



296:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/04 10:23:59 x2rSHV2V0
438 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/08/04(火) 23:14:47 ID:d29JPt6W0
アイヌの件について言うと、というかアイヌに限ったことではないけど、
当時の世界の認識がそういうものだったという背景がある。すなわち、19世紀から20世紀の世界が
「遺伝」を巡って混乱していた時代であった事を考慮に入れる必要があるだろう。
白人は他の人種よりも頭蓋骨が大きいとかアーリア人の「遺伝的優越性」
を証明せんとした研究がまじめに行なわれ、アレクシス・カレルのように
優生学に基いた社会設計の可能性が論じられていた。

逆に環境によって遺伝を超えられるとして厳寒の地には適さない作物を
無理矢理植えてればそのうち適応するようになるというルイセンコのような珍説も
生まれた。優生学もルイセンコの学説も今から考えれば珍説以外の
何者でもないが、当時の世界では大真面目に信じられていたそうです。

439 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/08/04(火) 23:46:00 ID:+EwZ1Z8XO
>>438
なるほど、有難うございます。日本に限れば、遺伝どころか前世の報いとか言ってる人もいたでしょうね。


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