10/06/15 14:07:54 8i0Jh8ms0
明治生まれの父方の祖父は、真珠湾のニュースが流れたときは、もうすでに企業の第一線で
働くビジネスマンでした。
祖父が存命の頃、聞いてみたことがあります。「真珠湾の第一報を聞いた瞬間どう思った?」
祖父の答えはこれでした。
「なんてばかなことを!こんなもの勝てるはずかない!!」
あの当時はよほど田舎で情報遮断の状態に置かれていた地域の人ならともかく、地方でも県庁所在地の
都市生活者は、仕事上いろいろなところで情報を得ているので、最初から日本とアメリカが戦争なんか
やっても勝てないとわかっていました。
ちなみに母方の祖父も「勝てるわけない」と思ったと祖父が亡くなってからですが、祖母から聞きました。
父方の祖父は仕事でよく軽工業製品を見ていました。「軽工業製品ですら彼我の技術差は歴然としている。いわんや重工業をや」と
いつも思っていました。母方の祖父は機械製造会社に技術者として勤務していたので、アメリカ製の
機械がいかにすぐれているかをいやというほど知っていました。
私が祖父たちのこの話から得た教訓は「情報は命」ということです。
学徒出陣の映像をみているとわかりますが、あの子たちみんな憮然とした表情ですよね。半ばやけくそみたいな。
「だからこんな馬鹿げた戦争なんかおっぱじめるんじゃねえっての!あほくさ。犬死だろ俺たち。ちくしょー、
やってらんねえよお」ってむすっとした顔しています。
全員わかっていたんですよね。二年前の時点で「こんなもん勝てるはずねーだろ」と。
もちろん彼らの親が地方在住でも都市生活者で、開戦時点で「なんてバカなことを!」と思った人たちだったと思います。