【ポツダム宣言】日本の無条件降伏と論争【GHQ】at HISTORY2
【ポツダム宣言】日本の無条件降伏と論争【GHQ】 - 暇つぶし2ch151:名無しさん@お腹いっぱい。
09/06/21 19:59:41 nAdFIcxs0
ここからの引用では不満ですか?引用先も明記されています。
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
1945年7月26日、実質的に講和条件の緩和が施された対日ポツダム宣言が米・中・英3国の名で発表された。

東郷茂徳外務大臣はただちに「無条件降伏を求めてきたものに非ざることは明瞭」であると評した。また「占領も地点の占領」であって「保証占領であって広汎なる行政を意味していない点は、ドイツ降伏後の取り扱いとは非常なる懸隔がある」と受けとめた。
ほぼ正確に「ポツダム宣言」の意味を読み取った東郷外相は、天皇と最高戦争指導会議にその趣旨を説明して、「これを拒否するが如き意思表示」は「重大なる結果を惹起する」惧れがあるとの判断を示した。鈴木首相もこれに同意して、
とりあえず日本政府は公式の対応を避け、慎重に検討することにした。

しかし、陸海軍内部に強い反発が生じた。敵の重大な対日宣言に対して政府が何の反駁もしないのは将兵の士気にかかわる、との抗議が前線から軍中央部に向けられたのである。2日後の28日、陸海軍の強い要求を受けた鈴木首相は、
記者会見の席での記者の質問に答えるかたちで、「何等重大な価値あるものとは思わない。
ただ黙殺するだけである。われわれは断固戦争完遂に邁進するだけである」と述べた。

『鈴木貫太郎伝』は、鈴木が「黙殺」を「ノー・コメント」程度の心持ちで用いたところ、「リジェクト(拒否)」の意味に解されたと説明している。実際には “ ignore it entirely ” 、「完全に無視する」と訳されて国外に伝えられた。
「完全に」という修飾語を添えたことに問題があるにせよ、当時、日本政府がこれを受諾する決定をなし得ない事情にあった以上、外電が「無視」の訳で「拒否」の意向と伝えたのは、誤まっていなかったといえよう。
2週間以内に「イエス」の返事をしなければ、「ノー」と解するのが国際慣行であろう。

日本政府内の外務省と和平派政治家は、ポツダム宣言の意図したところを読み取って、この呼びかけに対して速やかに反応する必要を感じていた。しかし「黙殺」談話を余儀なくされたことが示すように、
なお政府内政治において陸軍に勝利することができず、空しく時を過ごす結果となった。


(「日米戦争と戦後日本」/ 五百旗頭真[いおきべまこと] ・著)


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