09/10/26 11:09:05 qqhpi3rR0
「若松城が落城すると、200余年の長いあいだ役人の圧制に苦しんでいた
会津の人民がいっせいに『世直し』一揆に蜂起した。
10月3日、大沼郡ではじまった一揆は、11月下旬の南会津郡の一気におよぶまで
2か月近く、全領内で、しかも、まだ、政府軍の砲火のおよばないところでもおこった。
かれらは、『徳政』あるいは、『肝煎(庄屋)征伐』と書いたむしろ旗をかかげ
『村役人の農民による選挙、土地を平均に所有する、高利貸から借りた金は
徳政としてかえさない、3か年の無年貢』などを要求した。
農民は、役場・肝煎・高利貸などをおそって打ちこわし
土地台帳や借金証文を焼き、村役人を新しく選挙した。
政府軍は、この2か月におよぶ『世直し』一揆の波を手をこまねいて見ていた。
こういう政府軍を見て、農民たちは
じぶんたちをこれまでの悪政から解放してくれるものと信じていた。」
(家永三郎編『日本の歴史4』)