10/02/09 11:35:52 Qb9aZkWn0
>>463
>生命の確保も危なかった溥儀は、日本の尽力によって独立国を得
むしろ関東軍に身を投じたことの方が危険でしたが?
元々、担ぐのは誰でも良かった関東軍は1931年11月10日に、日本陸軍によって
天津から脱出するのですが、実行部隊には「中華民国側に捕まりそうになったときは、
溥儀もろとも船を焼け」という指示を受けていました。当該計画を画策した関東軍幹部に
とって溥儀は利用価値があったのですが、溥儀でなくてはならないということでもなく、
前述したとおり独立国建設の為の大義名分の一つに過ぎませんでした。
仮に失敗すれば溥儀は殺害され他の方法が選択されたであろうことは、
複数案が示している通りです。