10/02/09 10:08:33 Qb9aZkWn0
>>455
>でもそれは予断であって、早計に断じることなんてできないんだよ。
予断ではないでしょう。事実、関東軍が満州事変を起こした段階では
満州国独立などという構想はありませんでした。彼らの目的は満州地域の
領有権を奪取することにあり、事変勃発勅語の1931年9月22日になって
方針を表向きの独立国建設に方針転換しています。その方針に従って
・共和国建設案
・満洲有力者を担ぎ上げる案
・山東省にいた孔子の子孫を担ぐ案
などが検討されました。溥儀擁立は関東軍にとっては選択肢の一つに過ぎず、
実現性の高い案として採用されただけです。