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南京大虐殺 - Wikipedia
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捕虜・投降兵の虐殺
第16師団長である中島今朝吾中将は、日記において、「捕虜ハセヌ方針」、即ち捕虜を取らない方針であることを書いている。
この方針に基づいて、南京城内外での掃討で、中国軍の中の多くの捕虜や投降兵が殺害されたのではないかと見られている。
南京の北方に位置する幕府山では、山田支隊(第65連隊基幹、長・山田栴二少将)が捕虜約14,000名を殺害したと言われている。
山田少将は、この処置は上部組織からの命令であったことを日記に書いている。
南京北部の下関では、捕虜が収容された後に殺害され長江に捨てられたことが、日本側、中国側、そして残留外国人の記録や
証言に示されている。 第114師団第66連隊第1大隊の戦闘詳報では、旅団命令によって捕虜を殺害したことが記録されている。
南京大虐殺論争 - Wikipedia
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