09/01/11 19:12:09 DmfwCATI0
>>1
そもそもそんな事実がないからだろ。
明の時代。
義満が「日本国王」「明皇帝の臣」確かだけど(息子の代では全面否定されてる)、
徳川の代では中国軍責任者から、「日本皇帝」「私が臣です」なんて文書も送ってきた
(当時日本の方が国力強かったから、清との戦いを助けてほしかった。んで実際援軍出した)。
1の理屈だと明も日本の属国になるな。
単なる交易目的の「明皇帝の臣」と、
国家存亡の危機の助力を求めるための「日本将軍の臣」、
どっちのがより属国ぽい?
馬鹿なスレ立てて墓穴掘るなよ。
あと、一つ忠告しておくけど、義満の時代。
問題になったのは「日本国王」の方ではなく「明皇帝の臣」の方ね(BY義満のブレーン瑞渓週鳳)。
天皇がいるのに何事か!て、話。
日本国王のほうは「確かに将軍であって、帝じゃないからそれもありかな」て空気があった。
(徳川の時の「日本皇帝」も「天皇がいるのに、徳川が帝でいいの?どうしよう」と世論を賑わせていた。)
まあ、つまり日明間はこんな感じ↓
天皇>徳川将軍=明皇帝>足利将軍