07/11/23 23:57:16 gkM0F9dc0
もう一度繰返しますが、事実は逆なのです。
逆なんです。渡嘉敷島と座間味島で軍は集団自決を命令していません。
もし軍が命令したと言うのなら、自決しろではなく、その逆の方向なのです。
全く逆なのです。
○渡嘉敷島の指揮官の赤松 大尉(当時25歳)は、集団自決が起こったことを知ったあとは「何という早まったことをしてくれたのか」と嘆き悲しんでいます。また衛生兵を派遣して治療にあたらせています。
・赤松大尉が自決命令を出したという証言はありません。逆です。
・島の巡査の安里氏が、部落民をどうするか相談 にいった時
「我々は今のところは、最後まで(闘って)死んでもいいから、あんたたちは非戦闘員 だから、最後まで生きて、生きられる限り生きてくれ」
・村民達が自決を始め、4人の女性が部隊の本部に行った時
「何でこんな早まったことするね、皆、避難しなさい」(4人はこの赤松隊長の言 葉で気を取り直し、無事生き延びた)
・女子青年団長だった古波蔵蓉子さんが5、6人の女子団員と共に斬り込み隊に出たいと願いに行っ た時
「何のためにあなた方は死ぬのか、命は大事にしなさい」(怒られ戻された)
○座間味島の指揮官の梅澤少佐(当時27歳)の場合は、島の指導者が相談に来て自決用の 手榴弾を求めた時に、断わって追い返しています。梅澤少佐が自決命令を出したという証言はありません。逆なのです。
同じように隣りの阿嘉島でも、鈴木 茂治整備中隊長のところへ、与那嶺区長(屋号シレー小)が自決用の手榴弾をもらいた と相談にきました。
鈴木中隊長は「住民が死ぬことはない。死ぬのは自分たちだけでよ い」と自決を思いとどまるよう説得して成功しています。説得に成功したその晩、鈴木中尉は米軍に切 り込みにいき戦死。