07/08/12 00:37:43 XHg+e3Py0
>>8 《続き》
彼女が述べている慰安婦になるまでの経緯は、貧しい家庭に育ち、14歳のとき、
キーセンハウスに売られ、17歳になったとき、義父(キーセンハウスの経営者)に日本軍の
慰安所につれていかれた・・・というものだ。
(中略)
実は、植村記者は、そのスクープをやってのけたとき、彼女の告白テープを聞いている。彼女
がキーセンハウスに売られた女性であることも知っていたはずなのである。にもかかわらず、
<女子挺身隊の名で戦場に連行され>たと書き、そのうえで、日本軍の慰安所でどれほど
辛い目にあったかを綴ったのだ。
なんと、それが、その後に続く朝日の慰安婦問題キャンペーンの始まりになるのである。
しかも、もう一つ見過せないのが、「太平洋戦争犠牲者遺族会」なる団体は、金学順さんを
含む3人の元慰安婦たちの訴訟を起した原告であることだ。植村記者は、そこの幹部の義理の
息子にあたり、夫人もその団体で働いていた。「自分たちの訴訟を有利にするための記事では
なかったか」という疑いが囁かれるのもむべなるかな、なのである。
付け加えておくと、女子挺身隊制度は、国家総動員法に基づき「銃後の戦い」の名で、女性
を軍需工場へ動員したもの。日本の若き女性たちも片端から動員され働かされた。(中略)
一方、慰安婦とは、民間の業者が、軍の移動に伴い、自分の抱える娼婦をぞろぞろ引き
連れてゆくもの。当時の軍は、兵士が進駐先でレイプ事件を起すのを恐れ、駐屯地内に
慰安所を設けさせていた。移動にも便宜をはかっていた。これも今では想像もできないことだ
が、多くの国の軍隊が、当時は似たりよったりのことをしていたという。 《続く》