10/07/15 21:17:35 8bCKsW8o0
☆インドネシア『歴史教科書』中学3年用
「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が
禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われた
インドネシア語は驚異的発展をとげた。
第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい
規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場からオランダ人が
すべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい
責任を要求する、重要な仕事をまかせた…」
インドネシア歴史教科書には、日本軍政の肯定的な部分も余さず書いてある。これらの3つの
利点は、名越が集めたモハメド・ナチールの証言の一部分と一致している。
つまり、名越が集めた証言集は極めて信憑性が高いと言えるのである。
また、馬鹿豚のでたらめな主張が崩れ去った。実に愉快だw
265:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/15 21:25:09 8bCKsW8o0
★インドネシア モハメッド・ナチール元首相
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して
敢行したものです。」
「大東亜戦争というものは本来なら私達インドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だったと
思います。もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。
大東亜戦争はそういう戦いだったんです。」
大東亜戦争によって西欧植民地主義が終焉を迎え、すべての植民地が独立したのは紛れもない真実。
つまり、大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならないのだ。その意義は、インドネシアの教科書>>264
にも書かれた通りなのである。
朝日新聞や、これに賛同する狂ったクソ豚共は必死で否定するが、これが歴史の真理なのだ。
266:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/15 21:35:42 8bCKsW8o0
☆日本兵とインドネシア独立戦争
日本の敗戦後、インドネシアに残った約2000人の日本兵がインドネシア人と共にオランダと戦い、
1000人が戦死しています。その後インドネシアは勝利し、1949年、念願の独立を手にします。
そしてこの1000人の日本兵は、インドネシアの国営英雄墓地に埋葬されており、その中の数名は
独立名誉勲章を授与されています。
こういう経緯があり、インドネシアの独立記念日に国旗を掲揚する際には、二人の男女と
日本軍服を着た人の3人で国旗を掲揚するという習慣ができています。そして独立記念塔に
奉納されている独立宣言書に記載されている年月は「05年8月17日」
独立に多大な貢献をした日本に敬意を払い、西暦ではなく、「日本皇紀」を使用している
のです。(皇紀2605年)
インドネシアの教科書に載せられている「独立宣言文」は、全てこの皇紀2605年と記された
ものである。スカルノが後に西暦表示に書き換えたものではなく、オリジナルの独立宣言文
が載せられているのだ。おあいにく様、低能豚。
インドネシアは、今も日本への恩を忘れていない。大東亜戦争は植民地を解放した。
大東亜戦争は、日本人なら誇りに思うべき植民地解放戦争に他ならないのだ。
自虐大好きな馬鹿豚は、マゾの快感を失いたくなくて必死で否定するが、無駄だ。
267:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/15 21:39:55 8bCKsW8o0
インドネシアの独立記念日に国旗を掲揚する際には、二人の男女と日本軍服を着た人の3人で
国旗を掲揚するという習慣ができています。そして独立記念塔に奉納されている独立宣言書に
記載されている年月は「05年8月17日」という皇紀表示なのです。
268:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/15 21:43:04 8bCKsW8o0
★ククリット・プラモード タイ元首相
「日本のおかげでアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産してその母体を
そこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。こんにち東南アジア諸国民が、
米・英と対等に話しができるのはいったい誰のお陰であるか。それは身を殺して仁を
なした日本というお母さんがあった為である。12月8日は我々にこの重大な思想を示して
くれたお母さんが一身を賭して、重大決心をされた日である。我々はこの日を忘れては
ならない。」
269:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/15 21:45:29 8bCKsW8o0
ちなみに戦後世代の日本人にとって1941年の12月は“戦争を始めた日”として
陰鬱な印象を持たされているが、50年後の1991年12月、マレーシアの
コタバルを首都とするケランタン州政府は、『日本軍の上陸50周年を祝って』
特別式典を開催し、さらに戦争博物館を設立している。
マレーシアの人々は “祝って” いるのである。
圧政者のイギリスよりも強い、“アジアの日本軍”が来てくれた、と。
270:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/15 21:51:18 8bCKsW8o0
アジアの英雄であるはずの日本人自身が持つ『自虐史観(悪いことをしたという思い込み)』は、
国際的にも不自然なのである。単純な話、この自虐史観によって得をする国があるのだ。
それは、特定アジア諸国なのだ。自虐史観を喧伝する連中は、マゾヒストであると同時に、
特定アジアの靴の裏まで嘗め回して喜ぶ、いかれた忠豚なのである。
特定アジア
URLリンク(ja.wikipedia.org)
271:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/16 09:57:29 shOVSw1Y0
枢密院の深井英五顧問官は「枢密院重要議事覚書」の中で東條英機の答弁と
それに対する自らの感想を、次のように記している。
「既成観念の外交は対立せる国家を対象とするものにして、左様の事実
(外交の二元化)は大東亜地域内には成立せず、我国を指導者とするところの外交あるのみ」
(深井評、これ竹越顧問官の所謂大東亜圏諸国をデペンデンシー(従属国)として
取扱はんとする意図を頗る露骨に表示したるものなり。)
「外交の相手は必ず対等者として処遇せざるべからずとするが如きは古き観念なり」とし、
「此の如き観念は排斥す」とて、卓を叩きて叱咤す。
御前会議としては珍しき光景ならん。東條総理大臣は大東亜地域の諸国を従属的に取扱ふの
底意を此に暴露したり。東條総理大臣の興奮は益々激化し
「大東亜圏内には外交なし」と極言す。
アジア・太平洋戦争は
クーデターとテロにより日本の実権を握った軍部が
おのが力におごり高ぶり
東アジアを我がものにしようとして始めた戦争である
東條英機は首相になる前、ことある事に好戦論を口にしていた軍部の首魁である