08/12/20 23:08:58 VkqEwfOY0
戦争は東條だけ、特に大東亜戦争は陸軍だけで始めるのではないが?
だから、挑発に乗らざるをえない程に日本の石油事情は逼迫していた訳だ。
直接要因は南部仏印進駐だが、仏蘭西政府(対ドイツ戦後のヴィシー政権)と平和に
交渉して進駐とした。
南部仏印進駐を最も強く要求したのは海軍。素直に海軍と夫に首肯した中枢部の亜
米利加の対日政策の認識の甘さは確かにあったが、軍備増強は亜米利加だけではな
く英吉利もそうだった訳だ。東洋艦隊に「キング・ジョージ型」戦艦が配属(プリン
ス・オブ・ウェールズ)されるのと、新嘉坡要塞化の進捗は陸軍にとっても驚異だっ
た。又仏印対岸の比律賓は先に記したように駐米軍の増強をマッカーサーが要求し、
其進捗も進んでいる。故に牽制としての南部仏印進駐だったんだが、対日石油禁輸
までするというのはもう半分戦争覚悟という形で日本政府は受け取る。
だからこそ、日米交渉最終段に於て乙案にて南部仏印より撤退し7月の状況に戻すと
いう案を日本はしている。
個人的には12月8日の日本からのファーストストライクは致し方がないと思える。
12月8日に戦端を開かなければ12月10日にはB-17が比律賓に配備完了する。
昭和17年春から戦争となれば、台湾と九州が爆撃圏内に入った形での戦争となり、果
たして開戦初頭から本土爆撃を喰らった上で陸海軍は外地へ進攻出来るかと。
其意味では12月8日の開戦は将に間一髪だった。
其時点では比律賓、新嘉坡、蘭印は要塞化完了しているだろう。太平洋艦隊は真珠湾
で殲滅した旧型戦艦も含めて戦力は史実以上に早い段階で増強される。
昭和18年迄史実に於ては日本は亜米利加の戦艦軍を3年の長きに渡って行動不能にさせ
(昭和19年以降復活した戦艦もある)、昭和18年、一時は亜米利加太平洋艦隊の空母を稼
働一隻(エンタープライズ)迄追い詰めた時もあった。
若し昭和17年春開戦なら、其処迄の善戦は無かったと思える。夫だけ米海軍と帝国海軍
の戦力差が出来る状況だったんだから。
まぁ、昭和19年あ号作戦(マリアナ沖海戦)には実質日本海軍は壊滅したと言える状況と
なり、まともな艦隊運営は無理となり亜米利加との艦船比率の差は鰻登になってしまっ
たがな。
重ねるが、開戦の時期は昭和16年12月しかなかった。夫も比律賓にB-17が配備完了され
る前には。