08/12/20 17:16:36 GMvfn1DE0
コーデル・ハル国務長官の所謂ハルノートなるものは11月26日にワシントンで野村大使に渡されたました。
しかし、このハルノートはハル国務長官が書いたものではない。
ハル国務長官の書いたハルノートは、東條英機の承認した「乙案」に対する妥協的な案(南仏印の日本軍の駐留は二万五千人とする等)だったものですが、
チャーチル・蒋介石・オランダ・インドネシア臨時政府に見せた結果、猛反対を受け消滅してしましました。
コミンテルンのメンバー、ハリーホワイト財務省副長官(ソ連のスパイであったことが確認)が米政府の意思として、全支那から民間人に至るまで全撤退の案を作成し、
ルーズベルトが11月22日に暗号で、日本のアメリカ大使館のグルー大使あてにこれを打電した。当然日本は暗号解読しており、
米政府もそれを日本政府から知らされていたが、それでもあえて打電した。妥協的だったハル国務長官の作成した本当の覚書は日本政府に
届く事はなかった。
絶望の淵に立たされた昭和天皇初め、東條以下上層部は、開戦やむなしとの結論に至った。
ユダヤパワーポリティクスを読みきれていなかったと、私はそう聞いております。