08/12/05 17:16:17 QVDhesCQ0
>>761
統帥と国務をごちゃごちゃにしてないか?
支那事変当初は書かれているように東條は現地の関東軍参謀長。兵団を以て戦線を
拡げていたと言うが、北支事変勃発すれば、麾下部隊を前線に送り戦闘する。
そりゃ、戦闘するだろ。又、当時内蒙古自治を目指し(本心は独立だったようだが)
た徳王の存在も忘れてはいけない。
だが、北支事変は飽迄も第二十旧軍と休戦まで至ったのであり、戦闘は一時7月下
旬には止まった。
支那事変が拡大するのはどう解釈しても中支上海に於ける第二次上海事変から。数
千の日本海軍陸戦隊に対し、蒋介石は20万の軍を対峙させた。其処で米内海相が陸
軍の支援を要請すると。上海派遣軍及第10軍の派遣は飽迄も海軍側の強い要請から
の物であり、陸軍が主体として送り出した物ではない。
上海で留めるか、南京迄行くかは紆余曲折があったが、当時陸軍参謀本部・海軍軍
令部は南京で留める腹であった事は先にも書いたように特筆すべき。
で、昭和13年以降東條中将は内地勤務となるんだが、政治に係わりだすのは陸軍大
臣になった昭和15年から。
本当に彼が国政に係わったのは昭和15年7月22日から昭和19年7月22日迄。計ったよ
うに恰度4年。
大臣になったら陸軍の主張を言うのは当然としても、「中国講和に積極的だったと
思わない」等と言うのは如何なものかと。
それはあんまりな人物観であって、何か、「人は数年前に思っていた事を何時まで
経っても軌道修正しないものだ」と思っているのかと。