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SAPIO 4/11号 URLリンク(skygarden.shogakukan.co.jp)
FOCUS 63ページ 封印されていた占領下の米兵「日本人婦女子凌辱事件」ファイル 水間政憲(ジャーナリスト)
(妻36歳、長女17歳に対し、拳銃で脅して・・・・・・ から)
米軍の不法行為を明らかにする前に、敗戦後、日本政府が日本女性を米軍の「性の暴力」からいかに守るか、苦心惨憺した様子を少し述べてみたい。
日本政府が「慰安所」設置に直接関与したのは、戦時中でなく占領下の米軍(進駐軍)のためにだったのだ。
1945年8月21日の閣議で近衛文麿国務相が、米軍兵士用の慰安所の設置を主張し、池田勇人主税局長の裁断で5000万円の貸し付けが決定し、
1945年8月28日「特殊慰安施設協会」(後に、国際親善協会RAAと改称)が設立された。
その目的は、「関東地区駐屯軍将校並びに一般兵士の慰安施設」となっていた。GHQは1945年9月28日、都内の占領軍人用売春街を指令している。
しかし、これでも日本人婦女子の貞操が守れなかったのである。実際は主権回復まで膨大な数の女性が「強姦」されていたのだ。
ファイルに記された調書をつぶさに見ていこう(公開された文書は被害者の氏名などが黒塗りにされており、その部分は省略して記す)。
強姦事件は、米軍の進駐とほぼ同時に始まっている。8月30日は横須賀に海兵隊が上陸した日だが、いきなり事件が発生している。
〈強姦事件
(一)八月三十日午後六時頃 横須賀市○○方女中、34 右一人ニテ留守意中、突然米兵二名侵入シ来リ、一名見張リ、
一名ハ二階四畳半ニテ○○ヲ強姦セリ。手口ハ予メ検索ト称シ、家内ニ進入シ、一度外ニ出テ再ビ入リ、女一人ト確認シテ前記犯行セリ
(二)八月三十日午後一時三十分頃 横須賀市○○方。米兵二名裏口ヨリ進入シ、留守番中ノ右同人妻当○○三十六年、長女○○当十七年ニ対シ、
拳銃ヲ擬シ威嚇ノ上、○○ハ二階ニテ、○○ハ勝手口小室ニ於テ、夫々強姦セリ(以下略)〉
同9月1日、房総半島に米軍上陸。ここでも事件発生。
〈○○方ニ侵入セル米兵三人ニ留守番中ノ妻(二八)(中略)奥座敷ニ連行、脅迫ノ上、三人ニテ輪姦セリ〉
〈九月一日午後六時頃 トラックニ乗リタル米兵二名(中略)市内○○ニ来リ女中一名(24)連レ去リ(中略)野毛山公園内米兵宿舎内ニ於テ
米兵二十七名(ニ)輪姦サレ假死状態ニ陥リタルモ(中略)三日米兵ニヨリ自宅迄送リ届ケラレタリ〉
このような記載が「特高」解散の10月14日まで続く。
〈九月十九日夜十一時頃、(横浜市)保土ヶ谷区、出征中○○妻(27)、(中略)ニ侵入シ「ジャックナイフ」デ情交ヲ迫リ、
被害者之ヲ拒否シテ戸外ニ逃避セルヲ(中略)畠(畑)ニ連行、三名ニテ輪姦シタル。更ニ通中ノ三名ノ黒人兵ガ同所ニ於テ輪姦逃走セリ〉
調書を総覧すると、米兵の蛮行が眼前に浮かんでくる。
>>2 以降に続く