鹿児島・山口に住んでる会津人は強制連行されたat HISTORY2
鹿児島・山口に住んでる会津人は強制連行された - 暇つぶし2ch198:名無しさん@お腹いっぱい。
07/08/25 13:46:22 NbXkseYf0
>>191

数千人の会津兵・民兵の損害は、当初、母成峠で幕府伝習隊の精鋭を打ち破った
薩摩・土佐の2000で撃破したもの。
長州の身分にとらわれない近代民兵は、四境戦争で数十倍の幕軍武士を壊滅させ
たが、会津では武士が中心の封建身分主義藩兵であり、農民や商人等にとっては
他人事だった。武士の妻子が動員され白虎隊や娘子隊が第三戦列として備えなけ
ればならなかった"悲劇"が生まれた原因は、遅れた封建主義的な会津の思想その
ものと、会津防衛作戦の未熟にあったといえよう。
実際に異人と戦端を交えた薩長だからこそ、適材適所・和魂洋才を進め身分制に
とらわれない近代軍隊を作りえたのである。

その証拠にまだ勢力的に会津が圧倒的優位にあった時期である白河関の戦いでは
会津藩とその同盟軍が白河領と城砦を占拠して地の利も得ていたにも関わらず、
伊地知の率いる薩摩兵わずか数百に対して3倍以上の兵力なのに壊走している。
ランチェスターの第二法則からすれば、薩摩は自軍の実に9倍の会津連合軍に対
抗せねばならなかったのであるが、実は会津兵は薩摩兵の1/10以下の能力しかな
かったことがここに白日の下に晒されたことになる。

戦術・戦法・兵站・練兵の新旧の違いはまず仕方ないとしても、会津はまず自軍
の整備以前のところで既に薩長に及ばない状況にあり、その戦いが熾烈を極めた
のは会津の前近代的な後進性そのものがもたらしたのである。
薩摩軍と当初は数量的に優位にありながら、それを地の利とともに生かせなかっ
たこと、猪苗代での遅滞戦術を取らず薩摩軍の機動力を奪わなかったこと。橋の
破壊等の薩摩軍の浸透戦術に対する阻害措置を迅速にとらなかったこと。

すべて会津側の失策・無策故に、母成ルートの最前列の伝習隊の後の第二戦列の
構築ができず、第三戦列の白虎隊や娘子隊が矢面に立たされることとなった失策
は、会津藩上層部にすべて責任があるといえよう。


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