06/10/28 09:30:15 COdF7SCo0
鎌倉時代は、西国は、東国の鎌倉幕府に支配されていたし、
江戸時代も、西国は、東国の徳川幕府の支配を受けていた。
鎌倉時代から江戸時代まで、東国武士による、西国の植民地支配で、
西国の民は、東国武士の奴隷だった。
徳川家康らによって、関西周辺の豊臣恩顧の大名と、その家臣は、ほとんど、つぶされるか、九州・四国に追放され、
関西周辺と西国の一部には、三河武士・関東武士をはじめとする、東国武士が入植し支配した。
※親藩=徳川一門の大名の藩
譜代藩=徳川恩顧の大名の藩
外様藩=関ヶ原の戦い以後、徳川側についた大名の藩
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なかでも、山陰・山陽11か国200万石から、周防・長門36万石に追放された長州藩の、徳川家に対する、うらみは、すさまじく、
毎年1月1日に、徳川家に対する復讐の誓いをやっていたと言われる程だった。
明治維新により、ようやく西国は、東国武士の植民地支配から解放されたのである。おめでとう。WWW
西国は、東国の奴婢である。