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他にも、豊臣方の大名であったがゆえに、徳川幕府によって取り潰され、
被差別部落に追い落とされた元お姫様や、その一族、及び、その家臣一同も
数多く居てる。
それ以外にも、江戸から距離の近い東日本地域は、関ヶ原以前から徳川家に
仕えた譜代大名(徳川家との繋がりが濃く、豊臣家との繋がりが無い。若しくは、
豊臣家との繋がりが皆無近い大名)の領地が多く、江戸から距離の遠い西日本
地域には、関ヶ原以降、徳川家に仕えた外様大名(豊臣家との繋がりが濃く、
徳川家との繋がりが薄い大名)の領地が多いという江戸・徳川時代の大名配置
からも、被差別部落が東日本地域に少なく、西日本地域に多い理由を伺い知る
事ができる。
これ以外にも、被差別部落の形成過程には、様々な要素があり、徳川270年
の歴史がが生んだ最大要素は、バブル経済崩壊後の今日の日本経済と、今日の
小泉政権が推し進める構造改革が生み出した“勝ち組”と“負け組み”と同じ
といえる。
すなわち、徳川方の人々は、“勝ち組”で名をはせ、豊臣方の人々は、
“負け組”のレッテルを貼られ、“負け組”のレッテルを貼られた豊臣方の人々
の中には、被差別部落とされた人々が居る事は史実なのである。
学術的な観点から被差別部落の問題を考える事こそ、最も重要なのである。