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シベリア抑留の記録・第1回(全4回)
強制連行された107万人
2007年は、旧ソビエト連邦(以下、ソ連)からのシベリア抑留者の釈放が本格化してから
60年目に当たる。
厚生労働省が掌握しているだけでも、約60万人の日本軍民がシベリアに抑留され、強制労働に
従事させられた。重労働、極寒、栄養失調でその約1割、6万人が死亡。無事帰国できた人も、
厳しい後遺症から、ほぼ同数の人が相次ぎ死亡したとされている。
しかし、実際は、民間人を含めて約107万人が抑留され、行方不明者を含む推定死亡者は
約34万人にも達すると言われている。このような悲惨な事実が、なぜ起こったのだろうか。
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シベリア抑留の記録・第3回(全4回)
シベリア抑留の中でも大きな問題は、本来は捕虜といえない捕虜の存在である。
ソ連占領地では日本軍将兵だけでなく、日本人の官吏、会社員、商店主など、民間人、それに
満蒙開拓移民団の男子が、片っ端からソ連軍に捕まり抑留された。さらには日赤(日本赤十字社)
看護婦、軍関係の事務職員だった女性たちも含まれていた。
日ソの停戦交渉では、ソ連は在留邦人の保護を行う了解が成立していたにもかかわらずの拉致
である。これまで死者は、約6万人とされてきたが、民間人の死者を含めると少なすぎるという指摘
があった。
近年、ソ連崩壊後の一部資料公開によって、実態が少しずつ明らかになりつつある。
日露双方の資料を突き合わせると終戦時、ソ連の占領した満州、樺太、千島には軍民合わせて
約272万6000人の日本人が居たが、このうち約107万人が、終戦後シベリアやソ連各地に
送られ強制労働させられたと見られている。
また、200万人以上(ワレンチン・アルハンゲリスキーの著作、およびダグラス・マッカーサー元帥
の統計より)との説もある。