08/04/22 16:59:25 ooUCLi7M0
>>597
こないだゲンザブロウ資料館行ってきた。
ゲンザブロウの話しが沢山聞けるとおもいきや
ほぼ兄の話しだったw
601:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/23 22:18:18 88xns+8s0
新撰組で最後に切腹したのって誰ですか?
602:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/11 21:40:51 f9ezElXW0
大河で時代考証していた山村さん世代です。
教えてください。
本をどこで売ればよいでしょうか?
ほしい本は何ですか?
603:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/12 09:06:56 d2+gZOjX0
テロリスト集団こわいです><
604:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/19 17:37:19 XhLg6N//0
いまだに長州・薩摩出身の子孫が出世しているのは異常。
605:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/22 17:22:25 5vJ8l9NE0
みんななんでそんなに小説、ドラマ・映画以外の史実を知ってるの?
学者や研究者さん?
純粋に疑問っす
606:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/22 19:33:50 v7Vojz3W0
>>605
簡単な話だよ。オマエがアホなだけ。どうよくわかるでしょう?
607:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/22 19:49:16 sVrlHwhx0
テロリストをあがめたてまつるなんでおばかですか?
608:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/22 19:50:30 sVrlHwhx0
砂漠好きは腐ったおばば
609:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/23 13:51:22 MDGgiWf50
>>606
うん、アホなだけかも。
でもたまには俺がアホじゃない話だってあるもん
小説、ドラマ映画以外にも、
どこかの文献とか資料とかまでみなさん読んでるのかなぁ、と思っただけっす
610:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/23 14:18:19 FFhd0enBO
史実、史実って言うけど、おまいらその目で直接見たんかよw って感じだよなw
妄想で議論してる奴のほうが多いと思われ
611:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/23 15:54:24 MDGgiWf50
納得 それならこんな楽しいことないっすね
612:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/23 16:01:25 OPGt1thO0
「浪士幕末報国記事」(だっけ?)
あれもう出版してる?ものすごく読みたいのだが。
613:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/06 02:53:56 JCGdFZvi0
今度と捕縛されるまで一緒にいてその後上野戦争にも参加して最後は函館までいったうえに
土方戦死後には新撰組最後の隊長として署名してるのに
司馬の萌えよ剣のせいで脱走して敵前逃亡したと思われてるかわいそうな相馬主計・・・
614:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/07 00:09:44 ue67fJrY0
>>612
浪士文久報国記事ならかなり前から出版されているぞ
615:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/08 20:51:25 7jrmxuXQ0
中村彰彦の新選組全史シリーズはこのスレ的にどうかね??
なかなか史実検証も深いし面白いと思うのだが。
616:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/09 21:25:26 hElY9s6z0
>>615
>なかなか史実検証も深いし面白いと思うのだが
そういうあなたは一次史料を読めて、その上で中村の著作を
評価しているのか?
617:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/09 23:46:21 bhXBkT/n0
>>615
中村?ありゃ駄目だw研究家を名乗っているから史料を見てるようだけど駄目駄目だ。
星亮一よりはマシだが、結局結論が武士道精神がどーのこーの・・・だもんw
先に結論があるの。それでその結論に当てはまるように史料を探すw。
結論に結びつかない史料が出てきたら見て見ぬふりでしょw
618:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/10 00:50:23 moR+g7GW0
野口武彦氏の「新選組の遠景」は?
タイトルの通り幕末通史の中に新選組を位置づけていて、
読む方にも通史の知識が要求されるけど面白い。
ただ、沖田や土方のキャラクターを通説をはいで新しい見方をすることを
提唱しながら沖田・土方・近藤のビッグ3の人間像は従来通りの通俗的なものに
なってしまっていることなどは少々残念。
でもやっぱり面白い。
619:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/10 22:17:34 DeMgdVnV0
っていうか、近藤勇は自分が何をしたいのか書いた手紙とか芹沢と連名の建白書とかあるし、
幕臣との談合にも出席しているから、活動の痕跡は史料からかなり探し出せる。
だけど、土方と沖田ってハッキリ言って「何をしてたか確証を得るだけの史料」ないぞw。
戊辰の時の土方はリーダーになってるから、それなりに出て来るけど、京都時代の土方の行動を記したものは永倉の記録ぐらい。
土方は沖田が郷里に送った手紙からは、彼らがどんな活躍をしたのかは読み取れない。
どうやって一冊分の文章書いている不思議なんだ。ホントにw。
620:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/12 11:35:25 n0DdwXej0
中学生じゃわからん(>>1)質問かもしれんが
新選組の会津の窓口担当って誰?
山本覚馬と秋月悌次郎と新選組って近い関係です?遠い関係?
621:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/13 20:59:49 lmGVZS510
>新選組の会津の窓口担当
野村だろ
622:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/13 21:04:34 lmGVZS510
山本覚馬→会津藩砲術指南役。
新選組が銃砲技術訓練の為の先生を捜すべく、土方歳三自ら江戸まで探しに行った所を見ると縁はない。
縁があれば土方は江戸まで行く必要が無いから。
秋月悌次郎→会津藩重臣公用人。
公用人だから会っているかもしれないが、早々に蝦夷地に左遷されてしまうので、これまた新選組とは深い縁にはなっていないだろう。
623:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/15 00:35:44 k5vRborp0
>622 かたじけない。
ということは、会津側にとっての新選組というのは、どんなもの?
新選組に近い会津の人たちというのは、藩的にはどういう人たち?
新選組、基本的に横に置いといてるけど、やはり気になる。
あと、江戸から召集した240人くらいを清河一人の演説なんかで返した理由は何?
あの旅行出費の責任者は、その後どういう目にあってるんだろうか。
知りたいけど、調べたことがないので、知ってる方、是非。
624:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/15 00:44:44 k5vRborp0
あげとこう。
>619
芹沢の建白書、読みたい。
どこにあるですか?
625:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/15 01:31:28 YpARoExE0
>>622
俺も裏付け調査を完璧にやった訳じゃないから確実な事は言えないんだが・・・
>会津側にとっての新選組というのは、どんなもの?
難しいです。会津藩の汚れ仕事担当とか同じ目的の同志とか・・・いろいろな評価ができる。
会津藩が公式警察組織と仮定するなら、新選組は警備員にあたるという感じ。
会津藩がお預かりとなり、近藤勇らの身元保障をしているからこそ、新選組の取り締まりという行為が公認される。
新選組そのものは警備活動がしたいのではなく、尽忠報国が目的なので、この会津藩の身元保障を必要とし、
会津藩は、小回りが利く上、家臣にする訳じゃないから、さほど費用も掛からない便利な人達が新選組。
持ちつ持たれつという関係だと思う。
>新選組に近い会津の人たちというのは、藩的にはどういう人たち?
やっぱり会津藩公用方の人達(公用人)でしょうね。公用人とはいわば藩外交担当の人の事で、
他藩との交渉や連絡、京都守護職で必要とされる情報収集や雑務などを担当しています。
>江戸から召集した240人くらいを清河一人の演説なんかで返した理由は何?
実は幕府からの命令w。清河は幕命を守って江戸に帰りました。
元々、清河も含め浪士組を作った幕臣達も幕臣の身でありながら、過激攘夷派なんです。
ここに意見の一致を見て、幕府の攘夷実行に備え、その先鋒となるべき浪士組を作りました。
で、京都に来て清河が朝廷に願い出て、浪士組を朝廷管轄に移そうとします。
それに危機感を持った江戸の方で、当時生麦事件(外国人が薩摩の大名行列を横切った為、無礼打ちにした事件)
で外交問題が起こっており、これを利用して「江戸で攘夷実行になりそうなので、江戸に帰ってきて欲しい」と命じます。
清河はいよいよ幕府が攘夷を実行するのだとして、その先鋒なるべき浪士隊を率いて江戸に帰っていきました。
そんな訳で、実は幕府の管轄から進んで離脱しちゃったのが近藤芹沢なんです。
京都残留の浪士を放っておいては、過激攘夷派と釣るんで何するか解らないと危惧した幕府の方が、会津藩に預かって欲しいと依頼。
近藤芹沢も会津藩へ身柄を預けたいと願い出もあったので、会津藩お預かりとなり幕府から所属を移ります。
>あの旅行出費の責任者は、その後どういう目にあってるんだろうか
浪士組結成に絡んだ幕臣は多くて、どうなったかは解らないです。
ただ清河八郎は、浪士組取り締まり役の佐々木只三郎に暗殺され、浪士組は幕府所属になりました。
以後、新徴組として江戸の治安警備組織となります。
同じく浪士組を管理する泥舟や鉄舟が普通に幕臣やっているところを見ると、清河暗殺で京都の失敗はうやむやになったかとw
>>624
>芹沢の建白書
近藤と連名ですけど。
文久三年(新選組結成直後)は、将軍家茂が上洛しているのはご存じの通り。
で、江戸の幕府としては天皇が直接将軍に何をお願いするか怖い訳です。
早く将軍が江戸に帰ってきて欲しいので、あの手この手と江戸帰還運動をやります。
会津藩や芹沢、近藤らは公武合体(挙国一致体制)の望んでいますので、逆に天皇と将軍が手を取り合う良い機会と考えていました。
ですから、手を取り合う前に江戸に帰えられては困るわけです。
そこで、会津藩の許可を得て、芹沢と近藤は老中板倉周防守に建白書を差し出しました。
内容は、実はあんまり尊王攘夷派と大差なくw。
「将軍が京都にあって攘夷実行して欲しい」「天皇と将軍が不仲と思われたら謀計を計る者も出るかも知れない。」
「将軍は江戸に帰らないで欲しい」といった内容となっています。
この事は『新撰組史禄(平尾道雄著 白竜社刊)』に載っています。
一読する事をお勧めします。
626:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/15 01:53:11 IXqahiN3O
結局、雑魚集団 新撰組って事だね。
敗北続け蝦夷しかなかった。
土方歳三は味方に射殺され死亡、。
627:623-4
08/06/15 05:16:28 GhFMin0z0
>>625
早い回答、どうもです!
そーなんだ?清河が連れて帰ってるんだ?!
おかしいと思ったよ。あそこのロジックは変だもの。
新選組はよく知らないんだが、清河、芹沢と天狗党の関係とかちょっと興味あるんで、
その程度の人が得る知識としては、あんな大人数集めて、京都まで行かせて、
「将軍警備じゃなくて朝廷でーす」とか言われたんで、
「え、まじ?」っつーんで帰ってきたような話になってると思う。
そんな200人も京都まで往復させて、清河一人の意向でそれを無駄にしてる幕府って
信じられんぜ。。。と思ってた。そーゆー清河自身が京都に残ってないし。
清河にそんな、幕府を手玉に取るような力があったとは当然思えんし、
道中、オルグってもいないみたいなんで、
自分としては、春嶽あたりのシナリオで、清河を動かしたんだと思ってたんだけど
江戸に戻ってきちゃうから何だかわからんかった。
しかし、つまり、江戸で攘夷戦になるという判断があったわけですな?
誰だよ、その責任者。。。あの240人だかは、よっぽど重要な240人だかなんだな?
そんだけ京都まで往復する費用ったら、相当だと思うんだが。
全部踏み倒して行ったのか?
じゃ、もひとつ聞いちゃいます。
新選組が浪士取り締まり要員に正式になるのはいつです?
京都警備ではなくて、浪士取締を任命されるのはいつです?
それは、京都守護職から?別の機関?
628:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/15 09:24:25 LyCJuSwD0
>>627
>江戸で攘夷戦になるという判断があったわけですな?
そうです。薩摩藩は大名行列の前を横切るような無礼を働いた者は無礼打ちにしてよいのが日本の国法と突っぱね、
英国の謝罪要求を蹴りました。これに英国が怒ります。賠償金支払いを巡り外交問題となっています。
幕府の方は賠償金を払ったので江戸での戦いは回避されましたが、最後まで支払いを拒んだ薩摩藩へは艦隊が派遣され、
結局「薩英戦争」という攘夷戦争が行われています。
>新選組が浪士取り締まり要員に正式になるのはいつです?
>京都警備ではなくて、浪士取締を任命されるのはいつです?
将軍警護という目的で上洛した浪士組でしたが、江戸帰還命令が来た事でこの任務は解除となります。
もっとも近藤達は浪士組そのものから離脱するので、その段階で警護任務は解かれています。
近藤勇が京都残留を決め、その事を故郷に知らせる書簡があります。
『志大略相認書』と題される書簡に、「京地一統奸人多人数横行」とあり、
近藤が公武合体派である事は建白書からも解りますので、この書簡に出て来る奸人
とは「天誅事件を繰り返し、朝廷と幕府が手を取り合いにくい状況を作っている尊皇派」
の事だと思います。で、同書簡に「願わくハ右姦悪共斬戮仕」とありますので、
こうした幕府と朝廷の仲を悪くする元となっている尊王過激派を京から一掃したいという近藤の希望がありました。
芹沢の史料はありませんが、まず近藤と同じ考えだったと思います。
でも浪士組は得たいの知れない浪士達ですので、会津藩は預かったものの最初は積極的に活動させませんでした。
そして8.18の政変の際、新撰組は初めて会津藩兵の一組織として出動し、御所警備にあたります。
この際、朝廷が新撰組の存在を知る事となります。
8.18の政変で長州藩兵は京都を追われますが、なんとか京都へ残ろうと尊王浪士や長州藩士が潜伏を開始、
会津藩は新撰組へ、潜伏した長州尊皇派の探索を命じます。これ以後、不逞浪士取り締まりの仕事が新撰組の担当となります。
会津藩もまた当初は、尊王過激派浪士の意見も聞くべきだとして、穏健な議論対応をしていましたが、
不逞浪士の方が過激に走り続けた為に、会津藩も怒り方針を転換。不逞浪士狩りを始めます。
こうした背景で、新撰組は浪士の探索捕縛、手に余る場合は切り捨てという任務が与えられます。
ただし、新撰組はあくまでも浪士だけを取り締まれました。
幕藩体制の仕組みで、正式な藩士の処遇はその藩の藩主に裁断権があり、他藩が勝手に処分しちゃ駄目なんです。
長州藩士の場合、新撰組は長州藩士の捕縛までで殺せません。不逞浪士は君主が居ませんから殺せるんです。
だから、ドラマとかで新撰組は必ず「貴殿はどこの藩中の者か、藩と名を答えろ」と最初に聞くわけです。
こうしてずっと会津藩お預かりできた新撰組ですが、池田屋事件などで治安回復効果が高い事から、
幕府の方が改めて「幕臣」として取り立てたいと会津藩へ申し入れがありました。
一度は幕臣になる事を拒んだ近藤勇ですが、最終的には「幕臣」として取り立てられています。
ただ、会津藩は幕府の一機関である京都守護職ですので、身は幕臣ですが会津藩の指揮下でずっと行動しています。
629:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/15 11:28:25 o3HsVZDgO
清河は結構な人物だと思うよ。
幕府の三舟と呼ばれる山岡鉄舟、高橋泥舟にもその才を認められてるし。
寺田屋事件の根っこにも清河は絡んでいたしね。
策略家としては幕末で一、二の人物でしょ。
でも、バックボーンを持たない人物には限界があるんだよなぁ…
630:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/15 12:25:39 LyCJuSwD0
>バックボーンを持たない人物には限界があるんだよなぁ
逆の見方もできる。バックボーンを持った人物は、そのバックボーンに縛られる。
バックボーンを持たない浪士たちが、自由な発想で過激に走れるのに対し、
藩に属する人は、自分の藩を傷つけないように慎重&現実的な対応を行っている。
誰かが走り、誰かが現実的対応で対処する。このバランスの揺れが幕末動乱期の歴史を形作っている。
631:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/15 12:51:32 o3HsVZDgO
なるほど…確かに。
バックボーンを持たない自由な浪人志士達がいなきゃ維新はなかったね。
でもさ、最後に歴史を動かしたのはやっぱり組織を持つ奴らなんだよ。
坂本龍馬が最終的に土佐藩に回帰したようにさ。
632:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/16 07:46:28 LBHS0jjO0
土方は味方に撃たれて死んだ
池田屋事件はでっちあげだった
って本当ですかぁ?
633:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/16 20:31:12 q8Y09tnF0
>>632
>土方は味方に撃たれて死んだ
根拠のない妄想だが、そういう眉唾説があるのは事実。
榎本が降伏する上で、主戦派の土方が邪魔だったとかなんとかで、蝦夷政府側が撃ったという説。
まず嘘でしょう。
>池田屋事件はでっちあげだった
2ちゃんでどこぞのアホが叫んでいたネタではあるが、まず池田屋事件そのものは事実あった。
問題なのは「京都を火攻めにして天皇を誘拐する計画」があったのかなかったのか?
この話しは松平春嶽の記録にも出て来るうわさ話で、まず「在京浪士の中にこういった不穏な動きがある」
という噂があった事は事実。京都守護職会津藩も非常警戒している。
そこで新撰組が古高俊太郎を捕縛し、拷問の末自白させ、この計画があり長州人三百人がすでに在京している。
という情報を引き出す。さらにその会合もあると言う。この後、新撰組が池田屋を襲撃し、尊攘派多数を斬り捕縛した。
で、問題なのは「拷問による自白」である事。新撰組の望むようにでっち上げ自白させた可能性がある点だ。
なにしろ古高はこの後死んでしまうから、口封じは完璧な訳だ。
長州藩の方は、この一年前に攘夷決行に踏み切り、元治元年春から夏にかけて英仏蘭米四カ国連合艦隊が来るという噂でてんてこ舞い。
下関で臨戦態勢中で糞忙しく、天皇を長州へ連れてくるどころの話しじゃあない。
そんな訳で、長州が京都火攻めを計画する可能性は低い。
でも在京尊攘浪士は、長州の事情なんて知らないから勝手に先走って計画を練った可能性はある。
私個人の見解だが、たぶん京都火攻め計画はあっただろう。だから噂となって流れていた。
しかし、ドラマのように「もう計画実施寸前だった」というのは眉唾で、先走った過激浪士が勝手にやっていた事だと思われる。
計画そのものは長州も知っていたと思われるが、長州本体は外国と戦争中だからそれどころではなく、慎重論だったと思われる。
ただし、新撰組が自白させた内容が新撰組の捏造か否かは、開明する事は不可能。通説に従う他ないだろう。
634:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/16 23:19:16 qJrVrMfT0
URLリンク(www.otomate.jp)
635:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/18 13:54:49 fsD9wuU90
池田屋の頃、長州は家老まで出ばって、京都を囲って武装してたと思うので、
彼等が御所に火つけるかもしれん、というのは、別に浪士を捕まえなくても
わかっていそうなものだが。
日にちを聞き出したのであれば、そんな重要なことを、よその浪士などが知っている
とも思えないし、よしんば知ってても、その日にちが幕府側にわかったから、
どうだというのだろうか。
その日は特に警戒するとかなのだろうか。
毎日警戒しろ、と言いたい。
大体、その話し合いに集まる場が池田屋なので、それを阻止しに行くということ
だと思うのだけど、家老まで出て来て武装してる長州が、そんなとこで酒飲んで
るとも思わないんだが。
だから、長州は関係なく、浪士がそういう過激な行動に出るのを阻止しに行った
のだと思う。
というか、自分は、長州が攘夷基地外を一掃しようというのと、武装集団蜂起の
理由付けのために、会津とつるんで池田屋を仕組んだのではないかと疑っているが。
636:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/18 21:24:25 8jCFCMsF0
>>635
>池田屋の頃、長州は家老まで出ばって、京都を囲って武装してた
無理w。ってかそんな事実は無い。
池田屋が起こって長州藩士や尊王派幹部に死傷が出た為、激怒した長州重臣来島が義勇軍である諸隊を率いて飛び出した。
煽っていたのは尊王の指導者真木和泉守。
高杉晋作や桂小五郎は慎重論で出兵を阻止しようとしたが失敗。
結局、長州藩正規軍を出す事に決まって、追っかけるように藩正規軍を出した。
これを率いたのが長州の三家老。
で、長州軍が京都を取り囲み威圧し、幕府方と戦争になった事件が禁門の変。
これらのキッカケが「池田屋事件」な、訳だから池田屋事件の時に長州軍は京都にいないし家老も誰も京都近郊にはいない。
>京都火攻めの噂
これは結構流れていたと思われる。松平春嶽だけでなく、こういった不穏な噂が京の巷に流れていた。
というか、尊攘浪士って兵を集める為に「○○やるから組まないか?」と宣伝してまわるので、絶対に噂になるw。
大和天誅組の決起も事前に噂が流れていた為、薩摩会津が阻止しようと8.18政変に踏み切ったという例もある。
なので、新撰組みたいに諜報活動部門をもっていれば絶対補足されるし、もってなくても解る。
事件の経過を見ると、会津藩の方が消極的で尻込みしていたのは確からしい。
たぶんだが、長州藩は禁門の変の後朝敵となる訳で、池田屋事件の時は朝敵でもなんでもない。
なので、この時点で長州藩士を斬ってしまうと藩同士の外交問題になる。
(注;会津藩は浪人と間違えて土佐藩士を殺してしまい、結局会津藩士が切腹する事で土佐を宥めたという事件を起こしている。
ただこの斬られた土佐藩士は、尊王攘夷派だから間違っても仕方がないのだが・・・)
新撰組は単独斬り込みをやって殺しまくったので、自重している意味が無くなった会津藩が後から京都一斉ローラー作戦をやった。
この時に長州藩士が何人か死んでいるので、これに長州本藩の方が激怒したんだ。
637:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/18 23:06:54 yT+Ql18W0
>>635
こんな斬新な意見初めて見たww
久々にワロタ
638:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/21 14:30:47 UXRYyTeQ0
文化祭で新撰組やることになった
何か池田屋以外にやりやすいストーリーとか
面白そうな逸話みたいなのとか無いですか?
新撰組初心者なんでググってもなかなかわからないです
誰か助けて・・
639:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/21 15:10:57 q0mbOK6Q0
新撰組で一番やりやすいのは池田屋だと思うが・・・・
あれ以外は、ぜんぶ内部分裂話しで暗い上に隊内で長く尾を引く。
池田屋なら敵が尊王派で斬って捕まえて終わりだから一番簡単だし、
京都を守る為にみたいな感じでストーリーもわかりやすい。
640:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/21 16:57:13 oXJ1PmhzO
逆さ吊りで五寸釘ぶっ刺し蝋責めも見せ場の一つ
がんがれ!
641:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/21 20:10:48 5bk8UzIQ0
>>639>>640
参考になった ありがと
やっぱわかりやすいのがいいよな
がんばります
642:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/23 22:26:19 DGU6u6OP0
土方は味方の砲撃が誤爆して爆死したって本当?
643:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/09 16:59:51 orXK7ba4O
>642
山本耕治に聞け
644:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/24 02:07:47 IQr1+lA5O
函館戦争末期に旧幕軍首脳は降伏を望んだ。
反対にあくまでも主戦を主張する派閥もあり、その中心だったのが土方歳三。
このことから降伏派によってなかなか降伏を認めない土方歳三は消されたと言われる場合がある。
しかし土方をあえて暗殺しなくても降伏は時間の問題というのが旧幕軍全体の認識で土方以外にも主戦派将校は大量にいた事実もあり疑問が残る。
結局のところ土方歳三殺害犯について記録した信頼のおける古文書が発見されていないのが現状であり、真実は闇の中であり新史料の発見を待つしかない。
そのため今のところ土方が味方に暗殺された、されないの議論は空想の領域を出ることはなく無意味なことである。
645:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/24 08:31:57 0kUEecoAO
>>638
コミカルに芹沢先生を演じるのだ
646:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/24 11:17:42 AnfQvZv/0
近藤×土片
647:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/24 11:24:11 TX5Ud8CU0
そもそも、なんで土方は函館組なの?どこで榎本なんかとつるんだん?
函館は、幕府のエリートが避難したんじゃないの?
648:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/24 21:49:45 Bw+hTNUA0
>>647
会津戦争末期、会津を脱出した主戦派が仙台に向かったが仙台藩も恭順するというので、たまたま仙台に来ていた榎本艦隊に乗り込んだ。
649:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/25 02:04:18 fSP+VF+3O
土方の遺体はどこに眠っているんだろうねぇ
650:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/25 02:52:46 vKmmQhuTO
有力な説では五稜郭内のどこかにその他の戦死者と一緒に葬られているとか。
651:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/25 03:36:30 WczG6CbD0
土方と意見というか意向というか、そういうものが最も近い
あるいは、関係が近い幕臣側の人は誰?
一緒に仙台から函館まで行った幕臣は、誰とかなんです?
652:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/25 21:47:26 NWoGXkqv0
>>651
>土方と意見というか意向というか、そういうものが最も近い
そもそも会津が降伏し、東北がアテにならなくなった状態の中で土方の意見って何?
まずそれが知りたいのだが?・・・・
たとえどんな意見や考えがあろうとも、もう逃げる場所は榎本の所しかないでしょ。
土方と同じく仙台から函館に渡ったのが大鳥圭介ら旧幕歩兵隊。
仙台藩の恭順に納得しなかった仙台部隊の額兵隊。
会津藩で恭順を唱えた非戦派で、会津藩主から暗殺されそうになったので会津を脱出した筆頭家老西郷頼母。
越後で負け、会津でも負けた桑名藩主松平定敬と桑名藩士の皆さん。
彼らはみな榎本に合流した連中。
653:651
08/08/03 09:02:35 SDfHsdCL0
土方のことは基本的に知らん。
なんで土方が榎本軍と一緒に写真に写ってるのかがわからないので聞いてみた。
幕臣に親しい人がいて、その人と榎本につながりがあるのか、という関心。
654:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/03 11:59:00 gOY2Yx/hO
函館まで逃げていった軍勢の中で土方歳三と親しいまたは多少の接点のある幕臣なら沢山いたはず。
大鳥圭介ら旧徳川陸軍将校の連中の多くは同じ下層身分上がりで鳥羽伏見戦争、北関東や会津戦争から一緒に戦ってきた仲間。榎本ら海軍とも仙台で合流するまで大阪から脱出した時を始めなにかと繋がりはある。またやはり土方と出身は似たようなやつらが多い。
永井尚志などの旧幕府閣僚出身者の多くはかつての一会桑グループの連中。盟友の近藤勇、新撰組自体が一会桑グループの構成員であった関係で土方も彼らとは全く無関係ではなかったろう。
655:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/05 14:37:27 53DGGW4MO
武田観柳斎を主役に映画をつくってくれ!!
656:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/10 22:37:50 2q1s/tmX0
新撰組の人らは普段
寮みたいな感じでみんな屯所に住んでたんですか?
657:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/12 15:21:31 21iFAOaRO
最初は壬生村の数件の民家に居候。
次に西本願寺へ居候して約300畳の北集会所を使う。この頃から共同生活をしたのは平隊士だけで幹部はみんな自宅をかまえてそっから通勤したとか。
さらに幕臣になると立派な新撰組専用の屋敷を建てるが残念ながら戦争などのために半年で手放してしまう。
現在壬生と西本願寺で使用した建物は現存してる。
しかし最後の正真正銘の新撰組屯所は現存しない。
658:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/12 23:20:06 Rh5B43v40
新撰組関係の本で見たけど脱走や官軍に降伏後の足取り不明な隊員大勢いるんだな。
永倉や斉藤のように養子縁組して本名を隠して後半生を送った人が多いってことかも。
659:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/12 23:43:18 0CgLWW+m0
松本良順だと思うけど、なんか、裸で寝てるのとかがごろごろしてて、
えらい不潔だという話がない?>新撰組の雑魚寝房
新撰組って、幹部は家持ちだったんだ?給料いくら?いつ頃の話?
660:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/13 00:14:05 u6utKWg7O
当時の三井両替商が書き残した『新選組金談一件』なる史料に慶応二年九月当時の月給について書いてある。
組頭以上の幹部は十両でそれ以下は二両。それプラス臨時ボーナスが事件での活躍の度に払われたらしい。
ただし実際のところ給料が期日どうり払われない時もたびたびあり、幕臣になるまでは幹部はともかく平隊士は貧乏してたみたいだね。
661:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/13 00:20:36 u6utKWg7O
あと西本願寺屯所についてだが確かに当初は不潔で隊士の半分くらいが病人だった。
遊びにいった八木為三郎も「ただごたごたしていた」と語ってる。隊員の武器や荷物でごちゃごちゃしてたんじゃないかな。
具体的時期は不明だが松本先生の指導と幹部の迅速な対処で衛生面は改善されたようだ。
662:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/13 00:47:34 u6utKWg7O
何度も書き込みすまんがちなみにもう一つ。わかるだけで具体的に誰が妾宅(自宅)をかまえてたか。
近藤勇、土方歳三、沖田総司、伊東甲子太郎、永倉新八、原田左之助、島田魁が有名どころ。彼らはいずれも子供までつくってる。
他にも複数の幹部隊士が妾を囲うまでしなくても個人的宿舎をもってたようだが詳細は不明。大多数は屯所近辺に設けられた。
例外なのは芹沢鴨や平山五郎、平間重助で直接屯所に愛人を連れ込んでるね。
663:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/13 01:48:18 +GC+ZLtLO
>>662
女遊び借金残した近藤土方の借用書があります。
祗園北新地
664:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/13 09:59:53 OWQtEpii0
新撰組って、雑居房みたいなとこに押し込められて、結構かわいそうな人たちだと
思ってたけど、祇園に借金するほど遊べたり、幹部はみんな自宅あったりしたんだ?
なんか、結婚しても何里だか以内に住んじゃいけないみたいなきまりなかった?
だから結婚してない女性のいる自宅があったんだろうかね。
大きなお世話だが、なんか、よかったね、って思った。
665:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/13 18:55:45 7bM6EPS90
友人がパチンコと風俗で散財してからというものの打つ買う人間=カスに思えるんだよな。
歴史上のヒーローである新撰組が島原の遊郭を豪遊してたなんて…
666:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/13 18:58:44 FdxOt1z10
英雄色を好むの格言もあるが?
667:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/13 19:24:41 +GC+ZLtLO
新撰組なんて汚れた英雄だろw
仕立てた新撰組お揃いの羽織り1着兵隊士給金30倍
しかも羽織りは1度しか着てなかったらしい。
女好きで拷問好き
本格的な戦は全て負けぱなし 新撰組の名を上げた事件全てが、相手の呑み会宴会場 酔った相手をメッタ斬りだけで勝ち誇り
官軍により近藤勇打ち首三条河原に晒し首
蝦夷地に左遷により土方歳三は味方の銃弾くらい新撰組消滅。
笑う
668:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/13 20:18:06 u6utKWg7O
確かに新撰組を英雄視するのは疑問だな。そんなの小説の影響だろうし。しかし彼らを単純に人殺しの乱暴ものだと決めつけて済ませてしまうのもどうかと思う。
新撰組の行動や存在理由、時代に対する役割などを幕末史全体の流れと合わせて新撰組の功罪を考えてみる。
ってところに本当の歴史の面白さがあるんじゃないかなぁ。
新撰組がいつどこでなにをしたという事実の羅列だけが歴史ではないだろうし。
669:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/13 21:18:37 7bM6EPS90
新撰組を「ヒーロー」と書いたが盲目に英雄視しているのではないよ。
高杉晋作、坂本龍馬、西郷隆盛などと同じく歴史に名を残したという意味でヒーローと呼んでる訳で。
670:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/13 21:32:52 +GC+ZLtLO
>>668
新撰組やり口とか
法度状がヤクザかわらない山南は隊士の目の前で切腹させるし。
清水次郎長親分ほうが
まだ、義理や人情があったはず。
671:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/13 21:59:36 xcNlPv+S0
池田屋事件の直前に不逞浪士が起こした主な暗殺事件。
文久2年
7月 九条家諸太夫島田左近惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
8月 目明し文吉惨殺後晒し首 下手人は尊攘派不逞浪士
8月 不逞浪士本間精一郎惨殺 尊攘派内の内ゲバ
8月 九条家諸太夫宇郷玄蕃惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
10月 万里小路家家臣小西直紀惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
11月 金閣寺侍多田帯刀惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
文久3年
1月 町役人林助惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
1月 千種家家臣賀川肇惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
2月 唐橋村庄屋宗助惨殺後晒し首 下手人は尊攘派不逞浪士
2月 足利将軍木像晒し首 下手人は尊攘派不逞浪士
3月 妙法寺寺役正淳・光淳惨殺後晒し首 下手人は尊攘派不逞浪士
5月 儒家家里松嶹惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
5月 右近衛権少将姉小路公知惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
5月 徳大寺家家臣滋賀右馬允惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
6月 仏照寺弥助惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
7月 油商人八幡屋卯兵衛惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
7月 吉備津宮神官大藤幽叟惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
8月 生野銀山元締手代安福大次郎惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
8月 西本願寺使用人松井中務惨殺後晒し首 下手人は尊攘派不逞浪士
陰惨な手口で殺害されてるケースが多く、例えば、賀川肇は、
隠れていたが、妻子に危害が及んだため出てきたところを斬殺。
その後、首は一橋慶喜が陣を張る東本願寺に、
両腕はそれぞれ千種家・岩倉家に投げ込まれてる。
こうした基地外テロ集団を殲滅するための特殊部隊が新撰組。
彼らが英雄でなければ、一体どこに英雄が存在する?
全国の警察署の前に新撰組の銅像を建てるべきだ。
672:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/13 22:07:52 u6utKWg7O
>>669
そういう意味でしたか。誤解して申し訳ない。
>>670
自分は別に新撰組より次郎長の方が人情あるとかいうような話しをしたわけでわないんですが・・・。
そういうことはタレントの誰々が好きで誰々は嫌いというのと同じで個人個人で捉え方は違うと思うし。それこそ一概に断定できることではないよね。
673:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/13 22:14:33 +GC+ZLtLO
>>671
敵味方区別なし惨殺や拷問
人命第一と考える警察署として、新撰組は
丁寧にお断りします。
674:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/13 22:22:45 +GC+ZLtLO
>>673 プロデュースBy芹沢鴨
675:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/13 22:44:47 u6utKWg7O
新撰組は必ずしも惨殺行為には及んでいない。彼らが殺害に及ぶのは味方が劣勢で捕縛の余裕が無い場合か相手がどうしても抵抗する場合のみ。
拷問についてはかなり頻繁に行われたのは事実。実際当時の風聞留などを読んでも町人の間では新撰組に捕まったら生きて帰れ無いとまで言われたとか。
まあ、市中に悪印象を与えるのは良くないという伊東甲子太郎なんかの助言で拷問免除の特例もあったようだが。
ちなみに当時は拷問ではかせる役人は愚物とされた。まあ、当時の緊迫した世相や池田屋事件のようなケースも考慮すれば新撰組がしきりに拷問で吐かせようとしたのも無理はないが。
676:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/13 23:57:54 kyT4Wy+r0
長州系の不逞浪士=オウムやアルカイダ
新撰組=対テロリスト特殊治安部隊
677:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/14 00:07:06 KYLVQYOeO
>>676そして新撰組
敗北!やがて賊軍道へ・・・・
678:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/14 00:43:39 f4yxSENxO
時代変われば見方も変わるか・・・。
679:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/14 01:21:33 G2V+fnMk0
新撰組って芹沢派、伊東派と近藤と対立したメンバーが内部抗争で殺されるケースやたら多いな。
月給制、出身身分別編成をしない、組織・編成を柔軟に組み替えるなど江戸時代の武士はやらないことをしてる。
近藤-土方がトップダウン式で強力に引っ張る体制で良くも悪くもベンチャー企業みたいな印象を受ける。
俺が新撰組で一番好きなのは永倉新八。それは記録を残していると言うところにある。
最古参のメンバーながら数々の修羅場を潜り抜け、そして幹部で最後まで生き残った貴重な証言。
自分が「映像の世紀」に感動し、デジカメと日記で記録を残すようになってから記録の重みを痛感する。
だから日本史のなかでも写真のある幕末は当時の人物に感情移入できる。
そうなると幕末維新の主要人物で西郷隆盛の写真はないのは残念。あのイラストではない本当の顔が知りたい。
680:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/15 19:51:10 b5hXf+yzO
実際の西郷さんは彫りの深いデブらしいな。確実なことはいえないが。幕末んときはあんまし太ってはなかったというのが周囲の証言。
あと病気で死の直前にはかなり睾丸が腫れあがっていたという。歩くのが困難な程に。ちなみにかの坂本龍馬は梅毒で禿げてた。普通に髷を結うのが難しかったので写真のようなへんてこなボサボサ頭だったとか。
681:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/15 20:24:24 h24cEi1M0
新選組は、敵よりも味方から斬りつけられ亡くなる事の方が多かったと、ある歴史家の本で
読んだ。そのような荒んだ、荒涼とした人を信じられない組織だったことは、新選組を好きな人は
語らない。幕末京都の地は、政治史でいえば煮えた滾るような特殊な環境であり、そのような背景が
成立させた存在だったんだろうと思う。別の歴史家は、テロリスト集団だと断定している。
(NB:どうせ読みもしないだろうから、どの歴史家だ?とかいうことは訊かないで欲しい)
682:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/15 22:09:18 WZLvtD+D0
>>681
>敵よりも味方から斬りつけられ亡くなる事の方が多かった
それは尊攘派テロリストの連中も同じ。
京都における陰湿な暗殺事件の半分は尊攘派仲間内の殺し合いだ。
ちなみに木戸は、幕府ではなく狂犬のような仲間の方を常に警戒してた。
683:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/15 22:13:09 4Mv6GYH20
幕府には警戒するほどの相手もいないしな。
684:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/15 22:17:50 b5hXf+yzO
頻繁に起きた内部抗争なら新撰組ファンの間じゃかなり有名な話しだが?。むしろ新撰組を語る上での重要キーワードだろ。
出身地域も身分も違い思想においても微妙なズレを持った人間たちが集まって抗争を繰り返しながら歴史に翻弄されるところが新撰組という存在の面白さではないかなぁ。
歴史学的に考えて一概に新撰組=テロ集団とするのは誤り。そんな人には宮地正人氏の『歴史の中の新選組』や松浦玲氏の『新選組』を読んでほしい。新撰組本の中でも数少ない徹底した実証史学に基づく良質な本だろう。
しかし当時の民衆にしてみれば自宅やら公共施設に土足で上がりこんで浪人相手に暴れ、仲間同士で斬り合う、多額の借金など度重なる迷惑をもたらす彼らの行動はテロの応酬、迷惑行為の何物でもなかったのは事実。
そういった民衆視点でみればテロ集団とするのもあながち的外れな意見ではないだろう。
たしかに新撰組研究者と称する連中の中には実証史学的な視点が欠け小説や又聞きでしか新撰組を語れない奴が多いのも事実だし遺憾には思うな。
685:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/15 22:20:56 b5hXf+yzO
あと内部抗争なら新撰組に限ったことことじゃなく理由はともあれ長州奇兵隊を始め多くの草奔諸隊で頻繁におきてるよ。
686:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/15 22:30:20 KULoS4sYO
>>684
新撰組自体 壬生浪士組 浪人同士の争い。
座敷など無断に入り酔った相手メッタ斬り
酔っぱらった相手勝ってもな~
687:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/15 22:52:01 b5hXf+yzO
心身修練の武道稽古や個人間の決闘とは違うからなぁ。必ず殺さなくてはならないという事情もあったろうし、平安鎌倉時代でもなかろうにいちいち正々堂々と尋常に勝負では効率悪いだろうしな。
実際の殺し合いなんて結局はそんなもんだってことだな。惨殺よりも捕縛重視の新撰組ならなおさら集団戦法が必要不可欠だったし納得がいく。
まぁ時代背景を無視してあくまで個人間の私闘として見れば卑怯といえば卑怯だし酷く残酷なことに変わりはないが。
688:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/15 23:48:56 LkB8zdE20
テロは長州系尊王攘夷派の方だろ?テロ=暴力的な意思表示と考えれば。
新撰組はむしろ、戦時中の憲兵の方が近いと思うが。
テロ=恐怖による支配、と考えると、新撰組もテロでないとは言わないが。
ああいう騒乱の時代には、騒いで暴れていれば、なんか世のため人のため
になってると思い込む血気盛んな若者が出てくるもんなんだよ。
攘夷の志士側も、その反対側も、そういうのが大多数だと思うが。
あの時代に京都にいて、尊王攘夷派に洗脳されなかった新撰組の隊士というのは
結局、西日本に対抗する東日本なんじゃないかと思うんだよね。
自分は新撰組より新政府側のが好きだが、東京の人間として考えると、新撰組とか
戊辰戦争時代の幕臣の気持ちはわからんでもない。
689:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/16 00:52:34 USjObNPZO
新撰組も当初は水戸出身の尊王攘夷派である芹沢鴨一派が主導。近藤勇も大きな影響をうけていた。根本的には長州系尊攘派と通ずる。公武合体派・京都守護職配下という立場上、結局は彼らと溝をつくり憲兵的立場に利用されるが。
芹沢、近藤は、長州のように幕府要人を襲わなかったが幕府宛ての建白書では結構辛辣に幕府批判してる。
ただ元治元年以後長州、薩摩の攘夷失敗を契機に急速に先進知識層での攘夷離れが進む。新撰組もこの時点で攘夷を捨てる。
以後は主流派閥たる近藤勇一派は尊王開明派へ方向転換。国賊長州の征伐に打ち込む。しかしこれも結果的に不発に終わり敵を増やすことになる。
690:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/16 01:01:22 BPVdzRB5O
>>689
芹沢鴨先生 同士に斬られて
近藤勇 官軍により斬首三条河原罪人扱い晒し首
土方歳三 蝦夷地にて味方の銃弾受け闘死。
691:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/16 01:19:25 USjObNPZO
あと芹沢鴨の乱暴行為も遅々として進まない幕府の攘夷実行に対するあてつけと考えられる。次第に過激化していくことに恐れをなした会津が芹沢ら親長州系の水戸尊攘激派一掃を近藤らに命じた。
因みに伊東甲子太郎の離脱劇は当初近藤勇の支持があった。なぜなら近藤は幕臣になることを求めたがそうなるとこれまでのような表立った幕府批判を慎まなければならならない。
そこで丁度離脱を希望した伊東らを使い新撰組分隊を組織して柔軟な政治活動を継続しようとした。
しかしいつしか彼らは幕府あっての改革を進めようと考える近藤らとは方向を別にして平和的ではあるが幕府を廃止し新たな中央集権国家樹立を進めようという坂本龍馬らとにた倒幕活動に走る。
そこでいつしかそれは近藤派の怒りを買い真実は別として御陵衛士中でも近藤勇暗殺説が発案され油小路の惨劇に繋がる。
御陵衛士が離脱後も幕府とは繋がりを持ち、周囲からもしばし新撰組と同一視され伊東らが死後新撰組菩提寺光縁寺に葬られていることから新撰組の一分岐の組織であったことがわかる。
692:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/16 01:24:25 RBqDq6KI0
明治時代に大臣になった土佐勤皇党の田中光顕が近藤の生家を訪れ、
敵にはなったが尊王の志を持つ同じくしてた!なんて感激した話もあるんだよな。
693:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/16 01:25:51 USjObNPZO
後に田中光顕が近藤の実家を訪れて近藤の意見書を見て
彼は本来こちら側の人間であるべきだった。
と言ったという。あとの祭りではあるがな。
献身的に天皇に尽くした点では近藤らも薩長土肥となんら変わりはなかったってこと。
694:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/16 07:03:42 OUOBOwu40
田中光顕って、なんか、趣味で維新を尋ね歩いてたような感じするんだが。
なんか、当事者とは思えないような、ファン的なものを感じる。
695:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/16 09:15:36 USjObNPZO
他の志士連中よりも取り分け長く生きただけあってか第三者的な見方が出来るぐらい心に余裕みたいなもんが出来てたのかな?
696:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/16 13:01:42 YwiJCL7S0
田中光顕って志士なの?なんか、長生きしたもん勝ちだな...。
あの時代に、攘夷で勤王じゃないのは、学者くらいでしょ。
そこは基本的にみんな一緒で、グループに別れてるだけだと思う。
主義とか思想の問題じゃなく、つるんでる仲間の区別じゃない?
天皇を否定するような勇気ある人らは、少なかったと思うよ。殺されるし。そんなこと言うと。
その下に将軍が来るのか、徳川家が来るのか、諸版合議制なのか、島津が将軍になるのか、
などなどあって、結果的に、徳川も将軍もなし、ってことになったってことだけど、
どれになる可能性もあったと思う。
結局、時勢というものだよね。
697:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/16 17:03:22 plfQmvyxO
当時の天皇といふ権威を後ろ盾にした重みは現代の感覚では計り知れないものだったんだろうね…、
698:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/17 06:32:11 QXokGis40
新撰組と創価学会が似てる。浪士を切りまくる=折伏大行進で他宗を切りまくる、
幕府の犬=自民の犬、組織の層も下流、世間の嫌われ者、
今は、甲府城を攻めようとしている新撰組
699:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/17 11:02:15 6H2WwwT10
無理にこじつけなくても、似てない。新撰組はあんなにでかくない。
700:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/17 12:11:37 w2ZvX5VIO
規模の違いもあれば組織の性格から時代背景なんかすべて違うし。
創価と一緒だとかそういった書き込みするな。どうせまともな議論もできないバカたれだろが。頭の悪さ晒してるだけだろ?
701:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/17 15:42:13 mAXng6vY0
いろんな作家が新選組を書いてるが、
土方は誰が書いてもまず同じになるのに対し
近藤は、「秀才の聖人君子」から「知能の低い俗物」まで千差万別。
702:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/17 17:34:57 7chcmSjb0
>>701
小説家の書いた人物像はあくまでもその作家の創作したもの。
そもそも、両名の史料が極端に少なくて、結果色々に描いているだけのこと。
しかし、近藤は、剣士というよりも志士それも相当の政治家であったといのが
最近の研究者の成果。近藤の書簡が早く発表されるのが待たれる。
703:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/17 21:25:24 w2ZvX5VIO
本物の研究者にすれば近藤勇の直筆書状や日記の類が一番価値ある。沖田や土方のは価値がないわけではないが肝心な所が抜けていて内容的に不十分。
近藤は局長という立場から後援者に対する説明責任もあったので新撰組全体の行動方針や行動記録を事細かに記してる。
研究者には現存する近藤関係の古文書を正確に解読、検証してほしいな。結構適当な解読をして誤った内容を平気で本に記載してる研究家がいるのは残念。
現存する新撰組の資料が少ないのではなく本来重要視されるべき史料が未解読、または正確に検証されてないだけ。
704:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/17 22:09:17 bhjmwnAL0
>>703
>現存する新撰組の資料が少ないのではなく
そりゃ違うだろう。
>本来重要視されるべき史料が未解読、または正確に検証されてないだけ
そこまで書くならどのような未解読の史料があるんだ?
教えて下さい。近藤の書簡については、宮地さんも松浦さんも痛烈に
その公開について一言以上物申してるがね…
705:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/17 22:39:53 w2ZvX5VIO
佐藤彦五郎文書を始め特に多摩の後援者の家に眠る相当数の近藤、新撰組関係の史料が完璧に解読されないまま。
他にも全国の古本屋やら一般家庭に致までさまざな所に一次、二次史料が眠ってるのは事実。現在公開され販売され閲覧可能なものだけが全てではない。
そういった史料が時たま研究者の努力で発見されるはけだがな。最近発見された『取調日記』、『風聞記』、『新選組金談一件』がいい例。
これらによって新撰組の組織編成、運営事情をはじめとする大小さまざな点での定説が覆されてる。
例え幕末当時失われた史料が多くても実際現存するのはそんなに少なくはないんじゃなかろうか?
でなきゃこんなにちょくちょく新発見と題して雑誌などに発表されるはずないんじゃない?
発表できるまでの段階まで研究成果をもっていくのに時間がかかってるか史料所蔵者が出し惜しみしてるのか。
佐藤彦五郎の子孫の方に聞いた話では昭和の始めまで彼の残した日記の類は遺言によって家族以外閲覧できなかったという。
未だにそうした先祖の遺言というものを引きずって発表されないまま眠ってる史料は多い。
706:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/17 22:52:38 eANwlYgn0
新撰組の資料に限らず戦時中の空襲で焼けた歴史的資料って膨大な量だろうな。
沖田の愛刀らしき刀も戦時中の金属回収の時に出してしまったんだっけ?
707:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/17 23:17:52 w2ZvX5VIO
刀に関して相当数が戦争の度に失われたのは事実。新撰組隊士ではないが屯所の八木家では戦後に家伝の槍の穂が回収されたという。
私事になるが自分の家(元盛岡藩士?。幕末期に浪人)にも刀剣が幾つが残るが家族も特に興味がないためか全く手入れされず長いこと放置され今では相当劣化している。
古文書などの遺品の発見、現存率は所有者の意欲にかなり左右されてるな。近藤や土方くらいの有名どころになると親類にその気がなくても周囲がほっとかなかったろうが。
708:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/17 23:33:32 w2ZvX5VIO
沖田の刀に関しては恥ずかしながら現存するかは知らない。回収されたとしても世界のどこかの博物館で来歴不明の刀として飾られてるかもね。
近藤、土方の刀、ピストル、防具にしたって伝承はあってもそれが本人の使用した物だと確実に証明するためには膨大な古文書の丁寧な検証をしなければならなかった。
ましてや現在信頼できる現存情報自体が皆無で戦前戦後の混乱を各地を転々としただろう沖田の刀を探すのは極めて難しいと思う。
709:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/18 05:42:29 KTyWJHfp0
URLリンク(best100.jp)
710:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/18 23:25:11 v1ugln7M0
伊東甲子太郎って坂本龍馬や中岡慎太郎暗殺直前に交流があり、事件後は現場に落ちた鞘を原田のものと証言。
三日後に自分が新撰組に消される。
重症ながらしばらく生きてた中岡に話を聞いたのは谷干城に田中光顕。
新撰組にしろ志士たちにしろ幕末のヒーローたちの世間って狭いんだな。
711:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/19 01:03:05 koLf8td0O
髪型から着る服一つまでなにかとお上が煩い封建時代に国内、海外を飛び回った連中が世間が狭いわけないとおもうがね。
それより伊東と坂本は思想的に徳川参加型の中央集権国家という点で共通するんだよな。
だからといってあくまでも徳川政権維持を望む近藤ら幕臣にしたら大政奉還の立役者の坂本は敵に違いない。
こうして坂本は見廻組に斬られる(黒幕などで未だ議論は多いが)。伊東もこの前後に自らの身の危険を感じたのかもしれない。そして先手を打つ形で近藤暗殺を企てたようだ。
しかしこの情報は斎藤一(かねて伊東側に目付役として潜入とも。純粋に参加とも)の裏切りによって露見。同時期もしくはもっと早くに伊東の政権構想もバレてる。
御陵衛士という相手側の立場もあったが信頼していた伊東の変節に近藤は怒りに任せてか暗殺実行。
後に朝廷サイドで新撰組幹部全員死罪というところまで問題が発展した。しかし戦争直前のどさくさで実現はしなかったが。
結果的に冤罪ではあるが坂本殺しや伊東暗殺はますます徳川にとって不利な状況に政局を動かし、近藤の命取りもなる。
坂本、伊東暗殺の流れはあくまで素人仮説だからかなりおおざっぱだが概ねこんなとこだったろう。
712:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/19 15:16:01 +ca8BwAXO
スレリンク(livecx板)
713:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/20 12:11:33 K8REEx780
新選組ヲタは「新選組天動説」
新選組と対立する勢力は幕府方でもみんな「身分を鼻にかけるヘタレ」
におとしめないと気がすまない。
見廻組は「旗本の次男三男で構成されたお坊ちゃん集団」
水戸本圀寺党は「御三家の威をかる事大主義のヘタレ」
んなわけあるかバカw
714:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/20 12:24:16 3lGKqmIR0
地動説じゃないか?
715:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/20 18:02:04 jHFTq2ehO
そういうのは大概新撰組オタクっていうより新撰組を題材にした創作(特に司馬遼太郎作品)のオタだけどね。
なんにしろ人にはそれぞれ贔屓があるのは当然。大半の人は研究者じゃないんだからその辺は目をつぶってやってもいいんじゃない? 偏見が強いのは新撰組オタだけじゃなくて他のオタ連中にも言えるってことだよ。
あんまり目にあまる意見だったり、どうしても気になるなら訂正するなりすればいいし。いちいちご丁寧に『新選組天動説』なんて用意しなくていいから。
716:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/20 18:04:25 jHFTq2ehO
ついでに『新選組天動説』の内容がよくわからないけど地動説の誤りじゃない?
717:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/20 19:51:50 VarFMajU0
>>715
>713は「新選組天動説」 という意見を書いただけ。
それだけのことそれをお前のように
>いちいちご丁寧に『新選組天動説』なんて用意しなくていいから。
は、大きなお世話だよ。お前が書いてんじゃない
>研究者じゃないんだからその辺は目をつぶってやってもいいんじゃない?
って書いてるじゃない。>>713はどうみても研究者じゃないよwww
718:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/20 22:46:52 jHFTq2ehO
>>717ごもっとも。変にムキになりすぎたかな。いろいろイライラしてたんでね。あんまり>>713がくだらない意見書き込んでいて相手にしなきゃいいのにねついつい。
「新選組天動説」だかなんだかしらんがそれこそ素人の意見だから最初から無視すりゃよかったんだよな。どうやら自分は疲れてるようだ。さよなら。
719:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/20 23:43:27 58RUM5aN0
で、結論として「馬鹿ばかりが集まって馬鹿論争」でOK?
720:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/21 03:20:06 cFkIooo6O
>>719
なんだっていいですよ。しかし新撰組っつーのは①特定の思想、地域に拘らず人が集まってる点と②正式に幕臣や藩士として体制側に取り込まれず四年以上も長期活動した点では取り分け珍しいく興味深いというか面白い存在ではあるな。
因みに兄弟分の新徴組は早くから幹部に幕臣や庄内藩士などを受け入れ庄内藩士として純粋な警察組織として体制側に取り込まれてる。
721:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/22 00:08:53 rRTkUgwe0
【元治元年11月編成】
隊 長 近藤 勇
副 長 土方 歳三
組 頭
1番組 沖田 総司 2番組 伊東甲子太郎
3番組 井上源三郎 4番組 斎藤 一
5番組 尾形俊太郎 6番組 武田観柳斎
7番組 松原 忠司 8番組 谷 三十郎
小荷駄 原田左之助
【慶応元年9月編成】
隊 長 近藤 勇
副 長 土方 歳三
組 頭
1番組 沖田 総司 2番組 永倉 新八
3番組 井上源三郎 4番組 斎藤 一
5番組 藤堂 平助 6番組 伊東甲子太郎
7番組 武田観柳斎 8番組 谷 三十郎
小荷駄 原田左之助
【慶応2年11月編成】
隊 長 近藤 勇
副 長 土方 歳三
参 謀 伊東甲子太郎
組 頭
1番組 沖田 総司 2番組 永倉 新八
3番組 井上源三郎 4番組 斎藤 一
5番組 藤堂 平助 6番組 山崎 丞
7番組 原田左之助 8番組 三木 三郎
小荷駄 尾形俊太郎
722:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/22 15:11:16 u2aUEpRgO
尾形俊太郎ってビミョーな存在というか新撰組内の知識人では珍しく安定した人生送った方だよな。
武田や伊東みたいに策をめぐらせて消されることもなく、致命的な怪我や戦死を遂げずに生き残った。
723:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/23 12:23:01 IT33pvPd0
新選組のどこがいいのか教えて下さい。
私は、チャンバラは興味ありません 原理主義者のような原理原則で
組織を強引にまとめることも大嫌いですそして残っているのは人殺し集団で
しかないようなのにどこがいいのでしょうか?
724:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/23 18:12:24 PLLsaCcm0
新撰組ファンも含め所謂「歴史好き」には
①情報の信憑性を重視した史実第一の研究者タイプ
②情報の信憑性は気にせず小説などの知識が基本のタイプ
に大きく分けられる。
①は19世紀にドイツ人のランケによって確立された実証史学に従って、古文
書の検証から得られる純粋な史実に強い興味を持ってる人。
個人的な思念は一切排除して一次史料の検証から導き出される信憑性のある
情報を基盤に自分の理論をてんかいする。この場合は質の極めて高い情報が
えられるのが長所。しかし内容がどうしても一般人向きでなくとっつきにく
いというのが短所。
②は特に歴史に興味のない人も含めかなり大部分の人が属する。小説・漫画
・映画など創作の中に描かれる歴史上の架空の人物像・作者独自の世界観に
強い興味を受けている人。個人的なイメージを優先し彼らが史実と認識して
いる情報も小説などが基になっていることが非常に多く理論展開もそれによ
る。専門的知識や用語が少ないとっつきやすさが長所で研究者の中にも小説
や映画で歴史に興味をもったという人が多い。しかし信憑性に欠け到底学問
として扱うには雑な知識や理論展開になってしまう短所がある。
新撰組は②のタイプの人が特に多いジャンル。これも小説や漫画の題材にさ
れることが多いことが非常に大きく作用している。故にもっぱら特定の人物
の評価に贔屓がおきる、チャンバラばかりしていて味方に対して幹部の個人
的都合で理不尽な粛清が行われたなどの現象や誤認が根深い。
実際の新撰組の内部事情や歴史的事象とのかかわりが正確かつ詳細に検証さ
れること少ない。研究者の中にもその傾向が強いようでいい例が近藤勇の扱
いである。
小説や映画でかっこいい人物像を作り上げられた沖田総司や土方歳三には熱
狂的ファンがつきそれに目をつけた出版社でもこぞって彼らを主題にした書
籍を出版した。研究者も売れない本は出さない。だがそのおかげで本来新撰
組の顔であり最も中心に据えて研究せねばならないはずの近藤勇の研究が人
気がないを理由におざなりにされてきた。もしくはされてもその成果が世に
出回る機会には恵まれなかった。
最近幾分かその傾向も宮地正人氏や松浦玲氏の成果を筆頭にで解消されてき
たようだが未だ新撰組および近藤勇に対する正確な認識と着眼点のブレは大
きく一般人の新撰組に対するイメージも評価するものと評価しないもので両
極端なものが多く、第三者的視点にたったものがまだまだ少ない。
725:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/23 19:17:29 r3GShnSi0
そりゃそうだ。
近藤勇の真の姿なんかサラしたら、新撰組が尊王攘夷運動していた事がバレてしまうだろw
それでは幕府の警察なのに幕府政治に異を唱えていたのが新撰組とバレてしまう。
さんざん土方歳三こそ武士の鑑で幕府に忠誠を尽くしたと書いてきた新撰組研究家の嘘もバレてしまう。
出版社としては絶対に出さないよ。そんな本w。
726:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/23 19:39:04 vAk60egV0
ここのお節介な人は、バカの何とか覚え宜しく松浦・宮地ばかりをあげるが
平川新の新撰組に関する論文情報を何故出さないかといつも疑問に思う。
上記二人以外にも、学者で言えば野口武彦の『新選組の遠景』は、面白く読める著作で
幕末京都における新撰組の政治史における存在が分かりやすく書かれている。
727:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/23 20:36:31 JzMmiJpn0
平川新「中間層論からみる浪士組と新選組」
平川新・谷山正道編『近世地域史フォーラム3 地域社会とリーダーたち』吉川弘文館、2006年
尾佐竹猛「近藤勇の本領」『歴史公論』第2巻第9号、1933年
尾佐竹猛「近藤勇の上書」『明治文化』第13巻第7号、1940年
小野寺千春「慶応三年六月の新選組脱局事件についての一考察‐和泉屋伝吉書簡を中心に‐」
『霊山歴史館紀要』第18号、2007年
河内八郎「会津藩と新撰組」
『朝日百科 日本の歴史9 近世から近代へ』朝日新聞社、1989年
あさくらゆう『慶応四年新撰組近藤勇始末‐江戸から五兵衛新田・流山・板橋まで‐』崙書房出版、2006年
あさくらゆう「横倉日記に見る近藤勇最後の日」『幕末史研究』第39号、2003年
あさくらゆう『新選組を創った男‐新選組水戸派 芹澤鴨 平間重助‐』玉造町観光協会、2004年
新井彗誉編『新選組と近藤勇文集』寿徳寺、1990年
大石学『新選組‐「最後の武士」の実像-』中公新書、2004年
京都国立博物館編『特別陳列新選組‐史料が語る新選組の実像‐』「特別陳列新選組」図録製作委員会、2003年
桐野作人「近藤勇と大久保大和守」『歳三と龍馬‐幕末・維新の青春譜‐』集英社
小島政孝「近藤勇の書翰」『湘南史学』第2集、東海大学大学院日本史学友会、1975年
小島政孝「近藤勇のSOS書簡」『幕末史研究』第39号、2003年
小島政孝「頼山陽に傾倒した近藤勇」『町田地方史研究』第17号、2005年
松浦玲「新選組の功と罪‐攘夷から征長に転じた"報国"の限界‐」
『歴史群像シリーズ73 幕末大全』上巻、学習研究社、2004年
宮地正人『明治維新と新選組』日野・市民自治研究所、2004年
728:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/23 23:10:40 3QlT4srBO
>>726まあ、人それぞれに考え方が近い軸にしてる研究者がいるってことさ。>>724も彼の中で一番参考になると思った研究者をあげただけなんじゃないかな?
どちらも知識はわけわからん書き込みする知ったかのものではないようだし本当の事をいってると思うし。
ようするに色んな本を読み頭を固くしないことが大切なんだなと思う。
729:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/24 03:26:40 nyOp7UtGO
宮地にしろ松浦にしろ平川にしろ野口にしろ数多いる幕末史研究者の中でも優れた人物。新撰組関係の書籍も実に的確な記述がなされてますね。
時々書き込みしてる様子の>>724さんは確かに宮地や松浦にこだわりがあるようだけども言ってることはそんなに間違いじゃない気もする。
若干長くて読むのは面倒くさかったけど(^_^;)
730:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/24 04:13:20 tZyL/JAw0
一般の人に馴染みのない用語とか概念とかを説明すると、なんか偉いと思ってる
鬱陶しい史学偏重派よりも、他の世界で仕事をしてる人のいい加減な意見の方が面白いよ。
漫画家でも、武田鉄矢wでも。
歴史観が正論に沿ってなくて、生活に困ることはないからなぁ。
それより、それが架空であっても、歴史上の人物に感動したり、興味持ったりする
その精神の感激というものの方が、一人の人間の人生を豊かにしてくれるんじゃないの?
新撰組は、そういう鬱陶しい史学偏重派がいなそうなとこが好きだよ。
新撰組自体は好きでもないが。
731:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/24 05:05:25 nyOp7UtGO
まあ、好みはひとそれぞれということで。ちなみにあたしは史実を追い求めるのが好きです。
732:723
08/08/24 15:04:04 8O0Dr+Uy0
色々まじめなご意見ありがとうございました
733:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/24 18:02:44 meQYUVOR0
近藤の真の人物像を教えてください。
史実にしか興味がありません。
適当なこと書いてる本見ると腹立つのです。
734:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/24 19:57:36 cLeHzZwCO
近藤の口癖は『そりゃたまらんっす!』
735:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/24 20:55:09 gexRzOTu0
>>733
>近藤の真の人物像を教えてください。
それをここで聞くあなたは
>史実にしか興味がありません
と書いているが、まるで歴史学について以前で無知だと
断定できます。
>適当なこと書いてる本見ると腹立つのです。
2chは適当なことだけといってもいいところです。
そこで史実に忠実なことを聞こうというのは、ピント外れもいいとこ
自分で調べればいいんです。
736:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/24 21:12:52 8fH1eVQv0
いわゆる努力型の人物で日々剣術だけでなく習字に励み、書斎には
さまざまなジャンルの書籍が揃えられていた。道場主時代からどう
やら知識人と交わったようで(ドラマのように桂小五郎とかはないが)
ピストルなんかの銃器にも興味を示し購入している。非常に勉強
好きでそれだけの知識や実力があったことがわかる。あと意外に繊細な
ところもあり胃腸を何度も壊したりして温泉に静養に出かけてる。
失言癖があったようでそのせいで永倉や原田といった幹部を失っている。
737:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/25 02:19:59 DS3d9YXvO
新撰組では近藤勇に対して「先生」づけでよんでるけど土方以下には大概「君」づけとか「さん」づけあるいは呼び捨てとかあだ名で呼び合ってたんだね。
沖田の手紙に土方のことを土方君って書いてるのがあってなんか意外だった。伊東甲子太郎の場合も新撰組どころか御陵衛士頭になっても周りから「先生」づけで呼ばれた様子が全くないし。
738:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/25 04:48:51 qD9l5NYw0
以前先輩が新撰組の事を評して
「ポリシーどころか一生マジメに畑を耕す根性も無いヘタレな百姓くずれが
チャンバラごっこをやりたがってニセ侍になって周囲に迷惑かけまくった挙句、
気が付いたら引っ込みがつかなくなってて、ブザマに討ち死にしていく話。
ま、所詮は鞍馬天狗の斬られ役、仮面ライダーのショッカーみたいなモンだな」
と言ってて、冗談にも程があると思って調べてみたら、先輩の言う通りでした。
何でこんなチンカスDQN集団が美化され語られてるのか、サッパリ分かりません。
これってやっぱり子母澤寛と司馬遼太郎の責任ですかね?
739:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/25 09:45:12 WfJBDnBbO
近藤勇は、道場主や剣士としては半ばあきらめモード
自分より強い奴とは基本仲良くしてつるんでチンピラ集団を結成
それが通じない道場破りは練兵館の大道場から助っ人呼んで撃退してもらう
そんな時に浪士組の話があって
これは絶好の機会とうまうま乗せられて居候チンピラ仲間を連れて出ていって
騙されたとわかって意地になって京都に居残り決め込み
芹沢一派がいなくなって棚から牡丹餅状態で代表に
そっからは自分は構えてるだけで雑事は他にまかせて
羽振りがよくなれば、女遊びしまくり、部下に取り入られ、ただの俗物に
でも状況が戦争状態で、喧嘩の延長の斬り合いは強くても
統制されたチンピラどもは役立たずで逃げ帰り
正体を隠して偽名を名乗るもバレて終わり
740:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/25 12:51:31 DS3d9YXvO
>>739と>>738は>>727が書いてる本をとりあえず読めるようになってからにしよう。
741:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/25 13:28:51 entYCbNn0
きゃつらの言ってることも結局は新選組を美化してる連中とまるっきり同じ
なのでございます。先輩が全てのガキたちのしようもない決め付けなのでご
ざいます。いちいち親切な御方が新選組の大義やら事実を説明して下さっても
「でも先輩が・・・。本(正体不明)には・・。」
の一点張りの可愛いい脳みそした糞袋なのでございます。
742:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/25 14:05:49 WfJBDnBbO
本や先輩が言うからでなく
自分で調べた結果の意見ですから
その分だけまともだと自負しているよ
743:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/25 14:25:04 DS3d9YXvO
何の本読んで調べたとかもうどうでもいい。ただ、肯定か否定するだけならだれでもできる。ここ学問板なんだからそんな書き込みするなら他でやって欲しい。
肯定派も否定派も。
744:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/25 15:30:16 TEp6g3Ex0
>>743
>肯定か否定するだけならだれでもできる。
ここ学問板なんだからそんな書き込みするなら他でやって欲しい。
肯定派も否定派も。
2cにはゴキブリといっしょで一段上の所にいるようなことを書くやつが
定期的に出没する。肯定でも否定するだけでないご立派な書き込みを
まずお前が見本で見せてみろ。でなければ偉そうに自分は出来もしないことを
他人に要求するな。待ってるから早く書けよ。
745:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/25 16:42:29 WfJBDnBbO
否定も肯定も自分の見解を言わず
ただ第三者ぶって、肯定意見や否定意見両方を叩くって真性のクズでしょう
否定する知識も肯定する知識もないような馬鹿が
手っ取り早く俺1番がしたいがために
第三者になりきって両方を否定して自分が正しいみたいな事を言って優越感に浸ってるだけだろ
大概そういう人間って無能だよね
746:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/25 17:26:12 QQknBESm0
このスレも750になる位だから、もう誰か書いてるかもしれないが
流れに乗って書かせてもらう。
新鮮組は、戦前の皇国史観では言語道断の存在だったから研究者の世界では
無視されたのと、マルクス主義の方にも同様の評価だった。こんなことから
学会で新鮮組が研究されることがなくなった。(例外としてマルクスの学者で
服部之総だけ、新鮮組のまともな論文がある)そんなわけで、戦前・戦後
新鮮組を扱った作品は、小説家のものが圧倒的に多かった。その関係で創作や
内容の裏づけは曖昧な聞き書きなどをベースのものが山のように量産された。
しかし史料によって幕末の新鮮組というユニークな存在を論証した著作は少なかった。
>>727は最近の研究者の新鮮組の成果をあげているから>>733は>>727にある
本をあたって見たらどうかと思う。(宮地・松浦さんのものはもとより平川さんの
「中間層論からみる浪士組と新選組」も必読の文献だよ)
747:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/25 17:35:59 DS3d9YXvO
目くそ鼻くそ知ったか集団。
748:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/25 18:09:36 OcSFgPo20
ID:DS3d9YXvO
おい早く見本を書けよ。お前が馬鹿なのことはもう全員知ってるから
間抜けなことを書いても恥ずかしくないぞwww
749:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/25 21:00:28 DS3d9YXvO
まだいたよこの説教好きW。自分が言いたいのは極端な肯定派または否定派になっちゃって相手の意見を聞き入れず議論の余地を与えない行為に不賛成だってことです。ただそれだけですよ?
言葉が足りなかったのは悪かったですね。返答遅れてすいません。もう自分みたいな下らないの無視してると思ってた。次はどんな風に説教してくれんの?
正直言えば学生風情でちょっと覗いただけだけです。噂どうり学問とは名ばかりの意見の押し付け合いしかしないね大部分の人たちは。
そんな中にも自分みたいなの相手してくれる>>748みたいな必死な人がいるのには驚いたが。
次は諦めてシカトきめてみる?それともまた説教きどりでごちゃごちゃほざく?
750:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/25 21:11:02 VRP1HO1r0
>>749
どうしようもないバカであることを自ら語ってます。
何も新撰組の学問としての内容はないのに、それがないと
このスレを批判してます。早く書きなよ
>肯定か否定するだけならだれでもできる。
ここ学問板なんだからそんな書き込みするなら他でやって欲しい。
肯定派も否定派も。
お前のご高説をさwww
751:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/25 21:28:29 DS3d9YXvO
おっと返答あり。なにについて書けと?自分の議論に対する考えは書いたが?恋か?仕事か?
今TVタックルみてたがあれみたいにさっぱり埒あかない会話になりそうな予感W
752:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/25 21:37:44 a9TGFLTZ0
難波大助:
山口県光市出身のテロリスト。
伊藤博文から与えられた銃で裕仁皇太子(後の昭和天皇)を銃撃した。
動機については関東大震災で朝鮮人が「虐殺」されたことの報復であると自供してる。
長州人は禁門の変においても天皇に向けて発砲している。
753:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/25 22:36:33 fKaIqmJG0
天皇崇拝が一般的になるのは明治以後で地方小藩レベルになると大名ですら
天皇を全く意識してない場合がある。封建制下の民衆にしたら一番偉いのは
自分の住む土地の領主だったし、大名の場合も崇拝というか畏敬の対象は
直接軍事力を握っている幕府。天皇は意識することもほとんどない全く雲の
上の存在にされていた。そういう支配体制だった。京都の朝廷に関心あるの
は幕府、近畿諸大名、古くから尊王思想の強い水戸や長州など一部に限られた。
その長州ですら幕末時に黒船問題で朝廷が注目される時まで下士レベルに
徹底した尊王思想があったかはあやしい。吉田松陰の影響があったっちゃあったが
正直、軽輩が多い伊藤や山縣らにしたら尊王攘夷活動への参加は
流行りや長州主導国家創設の大義名分作り、出世のためだった可能性が多分に
含まれてたのは後の行動からもわかる。純粋に極端な天皇崇拝主義者ってそんな
いなくて天皇は国盗りのための道具という認識が長州には少なからずあったんじ
ゃないかな。だからこそためらいなく京都に火を放つとか皇族、公家の暗殺が
できたんだと思う。
754:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/25 23:32:50 n1UgjtDsO
素人が失礼させていただきますが、新撰組は結成当時本気で幕府を建て直せると思って結成されたのでしょうか?
755:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 00:29:57 psGXl+Bu0
うーん。当初の新撰組(壬生浪士)って一種の尊王攘夷思想家のサロン
的な組織で尊攘で一応まとまってるけど幕府に対する感情は様々。立て直そ
うと思ってるやつもいれば実は潰そうとしてるやつもいて内情はてんでバラ
バラ。8月18日の政変が済み尊攘激派で親長州的立場だった芹沢鴨一派が
除外、かつ新撰組の長期滞京が確実になった元治元年春位からやっとこ公武
合体派の組織として纏まり活動し始めた。文久三年から慶応二年秋口くらい
までは一会桑グループも健在だったから幕府維持の余地はあったし一会桑の
支持組織である新撰組も立て直しには期待してた。
だからこそ主流派を占めることとなる近藤は壬生浪士時代から意見書を頻
りに提出したり会合に出席して意見を述べたりしてる。ただ長州征伐の失敗
で幕府の威信が現実的に維持困難になものとなる。大名の統制が本格的に
きかなくなる。すると伊東甲子太郎らのグループは幕府主導体制に見切りを
つけ離脱するなど隊内は混乱するが新撰組自体は結局幕府体制支持方針を貫い
てる。ただ忠誠が誰に向けられたかといえば慶喜個人ではなかったろう。
何かと疑われる行動が多く信頼できない彼よりも、長く新撰組の世話役だっ
た信頼できる松平容保に向けられたとするほうが正しいかも。
江戸開城後、彼らは慶喜に従わずまっさきに多くの隊士が会津を目指してい
る。
756:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 01:41:04 LOArCA4B0
今まで一度も藩主に仕えたことのない近藤が、果たしてどの程度幕府に忠誠を誓っていたのか
とても興味深い。
そもそも忠誠なんていう概念すら持っていなかったのではないかと想像してしまうが・・・
757:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 01:58:59 PhWVIm39O
江川英竜のような名代官で近代化や海防に勤めた人が治める土地の出の人でしょ
そんな近藤が領主である江川英竜に対して少しでも忠誠か興味があったなら
もっと近代思想に染まっていたと思うのだが…
それがあまりないってのは本来は政治にはうとかった人間なんじゃないかって思うよ
その延長で浪士組なんかも将軍警護という忠誠目的よりも
武士に取り立ててもらう目的が明らかに強かったと思う
758:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 03:24:31 /ghY1FH/0
え?江川が近藤の領主ってどういう意味?江川の支配地(代官の支配してる土地の呼び方わからん)
の出身なの?近藤の出身地ってどこ?多摩かどっかじゃないの?江戸の人でもないんだ?
759:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 08:02:56 8D43m9XD0
>>738
安っぽいハッタリ感満点の揃いの法被に大仰な旗、
今で言ったら珍走団と同レベルのバカさ加減。
言われてみれば見事なまでのDQN集団だね。
ヤヴァさで言ったらオウムといい勝負かな?
時代の流れを全く読めないKYな集団なのも、
メンバーが洗脳と暴力でやめられなかったのも、
その二つのボンクラ集団と同じかもね。
それと「仮面ライダーのショッカー」と言うよりも、
「赤胴鈴之助の鬼面党」の方がそれらしいかも。
ちなみにこの手の話は場所に気をつけてね。
アイドルを正直にブスと言うとファンが怒るように、
「新撰組はイカ臭いDQN集団」とか事実を述べると、
幻想に生きてるヲタな醜女が過剰反応するからね。
760:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 16:14:17 awZziioZO
江川英龍の支配地域には多摩地域も入る。佐藤彦五郎が農兵隊を創る際にも江川一族の協力を受けたりしてる。
近藤が何故松平容保に忠誠心あるいはそれに近い心理を持っていたか。京都へ入った当初は当然そんなものは無かった。
だが、彼らは幕府の許可で故郷を離れた。この時点で忠誠心は旧領主に健在または幕府に向けられるべきものである。にも関わらず幕府の帰還命令にも背き孤立無援の立場となる。無宿人に近い立場になるわけだ。
そこですかさず手を差し伸べてくれたのが京都守護職の松平容保。彼らは立場場当然浪人をのさばらせておくわけにもいかず、浪人たちの行動力にもも期待して近藤らを受け入れた。
容保サイドの思惑は別にしても少なくとも一度は主人を裏切った自分たちを仮にも支配下に入れてもらえた近藤らにしたらこの時初めて新たな忠誠を誓うべき人ができたといえる。
京都守護職の期待通り、近藤らは実によく働いた。元来よく取り上げられる警察任務は勿論のこと、浪士視点での柔軟な意見具申は重宝し江戸へ京都政界の使者として派遣したり長州調査へ派遣。
松平容保は近藤以下新撰組の浪士集団としての性格を大いに活用。近藤らも活動を公認し、支援してくれる容保への忠誠心はかつての領主に比べたらいつしか上回るものにまでになっていたと考えられる。
元治元年春、京都守護職を松平容保が外される事態になった際もこれに抗議したのもその現れだろうね。
761:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 16:15:32 TAZtHkL30
腐だけじゃないぞ
新選組・会津=「誠」に生きた勇気ある真の武士
徳川慶喜=言行不一致の情なしのヘタレ
日本の歴史小説界はこの図式を貫くことによって潤ってきた。
壬生義士伝なんてその良い例だよな。
幕府瓦解後、本当に目先の生存しか考えてなかったのはどっちだよ?
慶喜が民と日本の分裂回避のため命の危険もおしまず
一身の感情を捨てて恭順したおかげで、
会津と新選組の保身根性丸出しの、
小藩と会津の民に被害与えまくり・会津藩士の女子供老人死なせまくりの行動が
「佐幕の節義を貫いた義挙」扱いされてるのは納得がいかん。
762:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 16:23:42 awZziioZO
あと、あくまでも建て前上の忠誠心というか常識としては尊皇論のもと討幕、佐幕に関わらず天皇であることに注意しなければならない。幕末史も天皇の存在が最後までキーポイント。
763:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 16:35:40 PhWVIm39O
>>759
旗はともかく
羽織については曖昧で、あんな羽織着てたかどうかも微妙なんだろ
40年前の新撰組を主題にした映画なんかでも
あんな羽織を着てないで全員普通の着物だったりするし
あの羽織は確実に後世の着色でしょ
764:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 16:40:59 awZziioZO
>>761には同意。あの時点での慶喜の行動は正しかったと思う。彼があくまでも非戦にまわったことは評価すべき点。また幕臣でその判断に素直に従った連中もまさに忠誠を示したと言える。
ただあくまでも長州や薩摩の存在や裏切りに憤りを持ってる近藤らにしたら慶喜の判断は同意しかねたんだと思う。
長州問題で慶喜及び幕府との中が実質的に冷めきってしまった容保が起こした戦争はあくまでも自藩防衛と旧京都守護職として天皇の側近だったというプライドから。それに大鳥や佐幕諸藩が乗っかったって戦った。
765:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 16:47:54 awZziioZO
有名な羽織が総員に渡ったのは初期だけらしいね。あとは黒装束とか袖印(現存)なんかでお互いを識別したなんて話はあるな。
766:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 17:02:42 yd0X2uMMO
>>764
近藤は薩長に捕まれば死罪
故に保身の為に戦うしか無かった
近藤の人生に明確な思想は皆無
全ては私利私欲の為の立身出世
その為に多くの仲間も殺した
767:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 17:15:31 Ly/rpZZ10
そもそもあの雁木模様の羽織って宣伝用だしね。隊士たちもそんな気に入って
なかったとか。旗はやっぱ戦に出るのを考えたら必要だが数種類あったと言わ
れてるね。第二次行軍録にも数種類かかれてる。根拠は無いが土方の書いた禁
門の変の布陣図に書かれたのがごく一般的様式だったのかも。
尊攘或いは反長州の戦闘集団である以上はかっこいい気に入ってるにかかわら
ず統一的で戦場でも判別できる特徴的な旗や軍装は必需品だったっんだね。
768:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 17:30:13 Ly/rpZZ10
近藤って立身出世に興味は当然あったと思うね。死ぬのも怖かった
と思う。人間なんだから。自分の人生計画に予期せぬ事態があれだ
け起きれば思想がぐらつくのも無理はない。
ある意味では幕末時代のいい体現者だと思う。天皇も武士も民衆も
何が正しくて何がいけないのかなんてさっぱり理解できずまたその
定義も存在しない時代。近藤と新撰組はそんな時代の成功者でもあ
り敗者にもなった。
769:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 17:31:46 LOArCA4B0
>>764
この時代でこれだけの大局観を持っていた人物も少なかっただろうな。
小を捨てて大を成すは政治の王道
770:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 17:37:47 TYk9+oF60
>>766
近藤はいわば特殊治安部隊のリーダー。
彼に「明確な思想」を求めるのは無理がある。
薩長側の奇兵隊や赤報隊といったゴロツキ集団に「明確な思想」がなかったのと同じだ。
また、慶喜もまた自己保身に汲々としてただけで、「明確な思想」から夜逃げしたわけではない。
慶喜の夜逃げと恭順は「足利尊氏になりたくない」という愚かなこだわりが理由。
当時の薩長は攘夷に狂ったあげく英国の手先となってる賊徒にすぎず、
「明確な思想」や将来のビジョンを全く持ち合わせていなかったわけで、
そんな得体の知れない相手に権力を投げ与えた慶喜はヘタレのきわみ。
771:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 17:56:45 PhWVIm39O
慶喜がヘタレ気味なのは同意だが
権力を投げたことがヘタレでないでしょ
数倍の戦力を投入してもこちらの士気が低すぎて長州で負けたんだから
いくら戦力で上でもそりゃ抗戦するかの判断は悩むわ
それよりは向こうには寄せ集めで有力な指導者がいない以上は
一度政権を返上しても、勢力範囲は徳川がまだ上だから
権力は取り戻す作戦の方がよほど算段がつく
慶喜がヘタレと言われる原因は勝海舟が陰口を叩いてた内容よろしく
一度部下に任せたならどっしり構えてればいいのに
肝心なとこで部下を呼び出して小言はいて尻込みしてたようないわゆる性格であって
別に全体としての判断はある意味どうしようもなかった
772:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 18:18:13 Ly/rpZZ10
その海舟もおしゃべりだから・・・。慶喜や旧幕臣からはそういう何でも
かんでも脚色加えてしゃべっちゃう癖が後に嫌われたんだとか。
まあ、口八丁で生きてきた海舟らしいが。
反面、没落幕臣には金せびりにきたら無碍に返さないでこずかいやったり
慶喜爵位授与に奔走したりとなかなか男気も見せてる。
773:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 19:15:27 TAZtHkL30
同時代人から現代人に至るまで、慶喜をヘタレという人間は、彼の年齢を忘れてるんじゃないか?
慶喜が京都で、譜代の家臣もなくごくわずかな股肱も身内に殺されまくりながら
幕府の命運をほとんど一人で背負ってたのと同じ年齢の頃に、西郷や勝や家康は何してたんだよ?
とりあえず土方はごくつぶしニートしてたなw
774:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 19:18:17 day4Kiez0
慶喜はなにをやるにしても中途半端で一貫性がない。
幼稚で青白いお坊ちゃん気質が終生ぬけなかった人物。
彼の絶頂期は、井伊大老が育てた改革派に軸足を移して、
小栗上野介とともに怒涛の幕政改革を行った頃。
その頃の薩長は慶喜を家康公の再来と見て恐れおののいていた。
しかし、それもすぐに飽きて放り出し、
思いつきで大政奉還を行ってみたはいいけど、
討幕派に足をすくわれ、
思い通りにならない現実に腹を立て、
将軍職も幕府も放り出し、
最後はヒッキーになってしまう。
性格的に転落の人生を歩む運命だったんだね。
775:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 19:26:50 EmJUHYGC0
新撰組は池田屋事件などの討ち入り時にはこんな感じの防具は実際につけてたの?
URLリンク(kengou-zero.blog.ocn.ne.jp)
776:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 19:55:35 mPUp6M3X0
分けのわからないことばかり書いてるから、少し整理した議論を出す。
新選組が活動した幕末期の政治過程は、1)正常期の幕府優位体制への
復帰を繰り返し執拗に志向する、「将軍譜代結合」という政治集団。
2)幕府を排除しつつ朝廷と諸大名(特に有力な外様大名)との直接
結合を狙う、長州や薩摩などの外様諸藩の政治集団。3)孝明天皇との
しっかりとした結合の中にのみ、幕府の唯一の活路が見出せるとしと
一会桑グループの3つの政治集団の複雑で錯綜した政治闘争の過程に
ほかならない。そして、3の一会桑グループがまとまりを維持する上で、
京都市中の治安と秩序を一日も早く自らの手腕によって回復することが
必要とされ、そのために、新選組の武力が信頼されていた。新選組の
情報収集能力、探偵能力、そして死を恐れぬきわだった剣客集団としてが
治安維持部隊的性格が、本来の「勤王攘夷」「尽忠報国」的、有志集団的
性格とならんで、前面に押し出されていくようになった。これが最近の
研究者の成果だよ。
777:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 20:18:10 xrZiUCp90
宮地正人先生の意見だな。幕末政局と新撰組の姿は概ねそうだろうし正論
だと思うよ。佐幕対勤王という対立構図は最早古臭いってことだしそれじゃ
幕末史を説明することが不可能ってことだな。
778:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 20:22:29 GIf6of6g0
>>777
そういうこと。だが、原口清さんの幕末史観もあるがな
779:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 20:33:24 xrZiUCp90
原口清という人の史観はどんなもんなの?
780:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 21:01:36 38Tr7/ho0
>>779
宮地さんは、幕末史を幕藩体制の崩壊過程という史観。
原口さんは、開国から大政奉還・戊辰戦争までの過程を公儀をベースに
一貫したものと捉える史観。つまり公儀というコンセプトが生まれ
新たな政治体制が生まれたと見ている。
781:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 21:04:13 38Tr7/ho0
>>779
詳細は、岩田書店から出版されている原口清さんの著作集を読んでくだされ。
重厚で真の歴史家の思索の結晶の論文が掲載されている。
782:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 21:25:04 SLXkEdXG0
原口清をしらない人が新選組のスレに来てるのか…www
783:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 23:36:47 g1GhFM1P0
江戸に逃げ帰った慶喜は小ウサギのようにぶるぶる震えてたそうだね。
また、毒殺を恐れて城内の食事には一切手をつけず、
信用できる家臣に町内から食事を調達させたとか。
公儀に殉じるべき将軍がこのざまだから幕府は滅びた。
家茂があと数年長生きしてたら歴史は変ってた。
784:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/27 00:17:30 4bc8XCoZ0
>>783
そもそも幕府を存続させる意義はあるのか?
785:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/27 00:19:05 1YGUGslS0
小ウサギのように震えてた慶喜なんて、カワイイわ。うふ。
抱きしめてあげたい。
786:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/27 01:28:33 hMfrftOGO
別にいいじゃないか?変に煽ったりするだけのやつより真面目に回答してくれるてよっぽどましだと思うが。
何はともあれ>>780>>781さん返答ありがとうございました。勉強の参考にしてみます。
787:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/27 01:54:57 PdIumC+m0
家茂自身の能力や人柄は全く評価できなくはないと思うけどね。
下についた政治家連中の意志の不一致とか封建体制そのものが
日本を取り巻く情勢についていけなくなってた事情があるからね
。とりあえず慶喜が望んだように新政権の議長みたいな位置には
なって発言権は得られたかもしれないけど正直幕府という組織自
体の存続はどうやってもほぼ確実に無理なんじゃなかろうかと。
788:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/27 15:03:09 4bc8XCoZ0
>>787
ふむ、なるほど。
>>790はどう思う?
789:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/27 18:05:45 D/3woZte0
幕府って身分制度廃止は絶対にようやらんだろうな。
790:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/27 20:59:48 g2uluZeq0
慶応三年秋には、薩摩討幕派も慶喜も新たな政治体制については、ほぼ同様の
考えに至っていた。それは、内乱を避け挙国一致の新体制を構築するいう
考えだった。慶喜は、王政復古のクーデターを事前につかんでいたが、何も動かなかった。
そして、クーデーター当日会津・桑名藩の重役たちを自分の側に呼び暴発を防いだ。
両者は高度な政治的である日本の将来を真剣に考えていたが、会津や新選組はそのような
視野は持っていなかった。容保は孝明天皇の新任を受けているのは自分だという
考えをもっていたがーそれは誤ってはいないがー時代は新たなページを迎える時で
薩摩および中・下級公家の仕掛けたクーデターには意味のない過去の事だった。
>>783は幕末維新史の研究の進展をまるで知らない、うーん40年以上前にカビの生えた
小説家の書いた妄想を信じ込んでいる人です。
791:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/27 21:56:17 /uEQZQNz0
京都時代の隊士への容赦ない粛清は
「組織を維持するための果断な措置」
幕府瓦解跡、近藤土方らが保身のために他人を殺傷しながら抗戦したのは
「生き残るためのジハード」
新撰組信者のこのダブスタが許せない。
言いがかりのような理由で市ねといわれて黙って死んだ河合や葛山のほうが、
あんな百姓あがりコンビより百倍も立派で武士らしいわ。
792:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/27 23:12:55 hMfrftOGO
>>791
粛清は組織維持の措置には変わりないし、近藤、土方が仮に保身にはしるなら寧ろ大人しく慶喜の側で他の幕臣と恭順してるとおもうけど…。
葛山の死の理由は意見が通らなかったことに苦悶の末の自殺。当時、脱走禁止以外の規則は無い。脱走もしていない葛山が他の造反組が謹慎で済んでいるのに1人腹を切る道理もない。
造反事件に関しての公式の処置は首謀者永倉の約3ヶ月に及ぶ謹慎が最高刑であったことも『行軍録』などから推察される。
河合の切腹に関してもドラマ、小説で語られるような会計の不始末やらという事実は確認できない。第一彼が当時勘定役だった可能性は薄く最後に確認できる所属は八番組平同士(切腹約8ヶ月前)。
河合に適用された規則は時期的に考えても軍中法度だと思われるが、小説のように上層部の規則に対する滅茶苦茶な解釈と執行を許せばそれこそ組織はバラバラになるのは目に見えている。
793:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 02:44:45 0wkIYi3E0
>>784
そもそも幕藩体制を解体しようとしてたのは幕府の方。
近代国家へ脱皮するうねりの中で、古臭い藩単位の割拠を主張し、
あくまでも藩の既得権を守ろうとしてたのが薩長。
>>787
将軍としての最低限の責任感があれば、別に高度な能力は必要ないだろ。
将軍なんて飾り物でいいんだよ。
慶喜は直面する問題を小手先の政治工作で乗り切ることは得意だけど、
こういう近視眼で無責任なタイプはトップに向かない。
当時の幕府は外交や治安において、中央政府としての役割を担ってた。
しかし財政基盤は幕領からの米に依存しており当然大赤字。
幕藩体制の維持が無理だということは、誰よりも幕府が理解してる。
幕府としては、薩摩や長州といった外様の勝手な密貿易を封じ、
中央政府のコントロール下におき、税金を徴収することが必要だったわけで、
これが将軍にとっての公儀でもある。
将軍が「新政権の議長」となることは、幕藩体制解体の第一歩。
>>790
>内乱を避け挙国一致の新体制を構築
それは幕府側の姿勢だ。
薩長は幕府主導による挙国一致体制への移行をどうやって妨害するか、
ということしか頭になかった。だからこそ内乱を仕掛ける。
また、当時、近代国家の見取り図をもってたのも幕府のみで、
薩長側には「王政復古」というカビのはえた思想しかなかった。
794:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 16:30:42 Z2vw/Kde0
>>793
君は幕末史をよく知らないようだ。
そのことは了解した。
795:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 18:24:15 S7GmDwRt0
長州戦争であれだけやる気ゼロだった幕府兵どもが、王政復古のクーデターには大激怒して大阪城で
「出陣させなきゃ将軍を殺す」
とまでいきまいたのは、権力・収入という既得権益が幕府消滅によって侵されるのを恐れたから。
796:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 19:19:43 ia7XkH+rO
>>793
せっかく他の人が上手いことまとめて落着した形になってる話題をわざわざもう一回いじる必要はないと思うけどね。
797:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 19:24:04 s4fmA4r9O
>>795
因みに新撰組は脱走者多数w
798:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 20:29:57 IjDl74l60
慶喜の好物。
牛肉・豚肉、鳥撃ちの獲物、毎朝朝食前に,甘い焼き味噌をまぶした田楽、
ドラ焼煎餅、富士見軒の西洋料理、永坂の更科の蕎麦、鯛の目玉の佃煮、
鯛の塩汁、お菓子は「風月堂」の特製品、ベッタラ漬、「ハマヤ」のふき豆、
お雑煮は小松菜入りの鴨(本鴨)雑煮、春には,土筆ごぜん、雪が降ると雪見豆腐、
刺身は白身か鮪、煮魚は鰈、青魚は嫌い、日曜の朝はパン食、バタートーストと紅茶、
時にコーンフレーク、味噌汁には砂糖を入れる、鯛、鰹、鮃などの刺身、雲丹、海鼠、
鶏卵の半熟、酒はかなり飲んだ、保命酒、少量の白葡萄酒、桑酒などを晩酌に、
煙草は薩摩の刻みを少し…
慶喜が食やセクースの快楽に惚けるために幕府は滅んだ…
こいつの怯懦な小市民根性はとても醜い。
799:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 21:04:41 AcD1UTJE0
>>798
>こいつの怯懦な小市民根性はとても醜い
多分だが、お前よりは数段すぐれた人間だったと推測する。
それから、ここは慶喜のスレではない。
800:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 21:08:59 ia7XkH+rO
食で思いだしたけど新撰組も医者の勧めで猪肉なんかを煮て食ったなんていうね。慶喜に比べたら贅沢なもんでもないだろうけど。
あと、同時期の日本には長崎なんかを中心にビールが流行ったみたいでもしかしたら流行好きの近藤勇や土方が飲んだ可能性もあるとか。確証は無いけども。
801:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 21:18:02 ii+KJShG0
「われわれ新撰組の隊士が街を歩いているとき、その道は士道であると思っていただきたい。
ゆめ、町人が歩いているから、ふつうの道だと思ってはならぬ。
われわれが歩くところ。これ士道である。」
(「斎藤一の訓話」福田定良)
802:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 21:19:58 ii+KJShG0
慶喜は士道不覚悟
将軍としては失格だ
803:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 21:49:15 ia7XkH+rO
士道不覚悟とはよくいうが忠義の名の下に闇雲に戦う、命を絶つだけが士道じゃないだろ。あくまでも死ぬことが士道の極みというのはあくまでも個人の解釈であるし。
斎藤一のように恩義のある松平容保にひたすら従った人生も一つの士道の一例だろうし。
あの時の慶喜の恭順判断も色々細々とした事情はあるが結果的に死ぬ、殺すことではなく、生きる、生かすことを選んだという慶喜なりの士道の表現だったんだと思う。
804:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 22:04:58 9+mwcTWd0
腐女子がなぜか好む新撰組
805:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 22:30:27 ESs5EBtc0
>>793
>それは幕府側の姿勢だ。
薩長は幕府主導による挙国一致体制への移行をどうやって妨害するか、
ということしか頭になかった。だからこそ内乱を仕掛ける。
また、当時、近代国家の見取り図をもってたのも幕府のみで、
薩長側には「王政復古」というカビのはえた思想しかなかった。
あのさぁ、まともに歴史の本を読んだことある?いいか、
文久三年八月十八日の政変以来、攘夷運動は挫折した。
その挫折が過激な攘夷運動そのものの非正統化となって
あらわれた。そして、対外政策は重要な論争点ではなくなった。
八月十八日以降の基本的課題は、挙国一致体制の構築に
単純化された。しかし、その課題の達成は容易ではなかった。
幕府の権威が大きく失墜したこの段階では、もはや幕府の
指導力を強化することによっても、また朝廷と幕府との
融和によっても、挙国一致を実現することが不可能なことは
明白であり、なんらかの新しい連合の形成が不可避だった。
しかし参与会議の失敗と金門の変およびそれに続く第一次
長州戦争の結果、幕・薩間、幕・長間の相互不信は深まり
幕府と主要雄藩とを網羅した連合を形成することはきわめて
困難だった。西洋の近代的兵器の導入が、伝統的な幕府の
軍事的優位を無意味とし、権威のレベルのみでなく、軍事力の
点でも、幕府と薩・長等雄藩との差が短縮されたことは、
幕府・雄藩連合の形成をいっそう困難にした。
しかしまたいぜんとして最大の「藩」である幕府を除外して
挙国一致を構想することは、幕府・雄藩連合の場合よりも
さらに困難だった。
806:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 22:52:36 BjBaRS5cO
ごめん 新撰組って現代で言えば
全国のヤンキーを一カ所に集めて鹿児島と山口のヤンキーと喧嘩させたけど負けちゃった。
こんなんじゃないの?
807:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 22:53:58 ia7XkH+rO
ここは新撰組について語る場所なんで、意見の正否はともかくとしてどの様に新撰組がその事柄に影響したのか、されたのか書くべきじゃない?
808:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 23:21:29 GjUVLmYf0
>>807
幕末政治史の中でしか新選組の正しい理解はない。
どうでもいい個別の隊士のことばかり議論しても意味はない。
だから史実の解釈についてはここで書き込まれてもいいと俺は思う。
809:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 23:38:05 ia7XkH+rO
いや、誤解をあたえたらすいませんが、別に政治史を無視しろとは一言も言っていないし、個別の隊士だけ扱えという意味ではないよ。
ただ、全く新撰組に関係ない所まで内容を持ってって長々とそれだけ議論される状態は問題だろ?なんかいつの間にか慶喜批判スレみたいになっててふと、不安になったのです。
810:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 23:54:24 hX9uIBLN0
バカなやつはいくらでも湧いて出てくるからほっとけばいい
811:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/28 23:59:37 QlIZj0A00
>>805
長すぎる。
てめえの言葉で書けやヴォケ。
812:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/29 00:02:13 4Flz2fnjO
>>806
薩摩・長州・土佐・肥前
結果・・・賊軍・・近藤勇切腹許されず斬首
敗北し蝦夷地移動土方蔵三
味方銃弾浴び新撰組解散!
813:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/29 01:42:10 Bh6qgGIpO
本当は薩長土肥に加えて芸(広島藩)も詳しい事情は忘れたが中枢勢力に入る予定だったけど入れなかったんだとか。
伊東成郎の本にその広島藩に新撰組なる洋式部隊があったことが書かれてた。結成時期は丁度京都新撰組全盛期の慶応二年頃。もしかしたら将来的に京都新撰組VS広島新撰組みたいな戦いが戊辰戦争で実現してたかも。
814:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/29 08:47:08 5LtLxd5v0
「慶喜小物史観」は「会津・新選組=悲劇の英雄史観」とセットになってるからねえ
ほんとは逆なんだけど、それが日本人に浸透する日は永遠に来ないだろうね。
自分の既成概念が覆されるのなんて耐えられないだろうから。
815:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/29 11:04:52 H1F8kpfbO
>>801>>802
一人の敵に集団で斬り掛かるのが士道なの?
暗殺も士道なの?
同志を殺すのも士道なの?
816:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/29 11:38:59 Bh6qgGIpO
新撰組は悲劇の英雄、龍馬は奔放な快男児、慶喜は武士の仕事の戦を放棄した卑怯者、西郷さんは気前のおっさん。物語的にはそれでしっくりくるし全部じゃないだろうけど或いはそんな考えの人は多いはず。
個人的にはそういった認識も視点によって否定もできるし肯定もできる。歴史ってそういう代物なんじゃないかなと思いますな。歴史観は人それぞれあって当然だし敢えて統一的歴史観を設ける必要もない。そうじゃなきゃろくでもないことになるのは過去の歴史を見れば分かる。
それよりも義務教育を経た人が第二次世界大戦は明治時代のこととか新撰組は戦国時代の人とか本気で言ってる、そういう歴史観云々以前の人が多いことが問題だな。
歴史について年中考えてる必要はないが国民である以上は自分の国の歴史の流れくらい大まかでも知っていて当然なんだが…。
年表やら決まった語句を暗記するだけに重点を置く歴史教育は考えもの。歴史は生活で役に立たないなんて言ってる人を見ると不安になる。
817:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/29 19:53:34 gAA92PhX0
慶喜は武士というより腐った公家みたいなもんだからどうしようもない。
ヤクザ岩倉の方が恫喝や駆け引きをわきまえててよっぽど武士らしい。
新撰組にでも入隊して土方にしごいてもらえばよかったんだよ、慶喜は。
818:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/29 20:40:07 NUZ4WmEH0
>>817
お前バカだな。もう少しまともな歴史の本を読め。
読んでいて書いているなら、頭悪杉
819:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/29 21:35:02 /LdDMEJJ0
幕府は巧妙な居留地制度などによりイギリス外商の動きを封殺してた。
これに不満を持ってたイギリスは薩摩長州などの外様に接近し、
幕府による貿易独占の打破と外様藩の割拠を吹き込んだ。
よくあるイギリスの植民地分断政策だね。
これによって外様諸藩の私欲が刺激され倒幕派が形成された。
また、イギリスは中立を装ってるけど、
倒幕派に最新兵器を大量に供給し、軍事面での裏づけを与えてる。
倒幕に関しては大局的なプランをイギリスが描き、
薩長が手駒として動いたという関係だ。
820:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/29 21:42:37 2Y9xRSu40
>>819
古い明治維新の啓蒙書にある内容だね。もうそういう大雑把なゆるいことは
現在の研究者は書いてないよ。ブックオフで買ってきたことを書いてるの?
821:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/29 21:46:37 2Y9xRSu40
>>819
倒幕派というのは、いつどのようにして誰が作ったの?
そしてどのような行動を行ったの?さーどれくらいの
中身のあるレスを書くかなぁーwww
822:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/29 21:52:08 2Y9xRSu40
>>811
>長すぎる。
てめえの言葉で書けやヴォケ。
それなら、短く文久三年八月十八日の政変以降を
てめえの言葉で書いてみてくれ。こちらは何冊もの
幕末維新史の本を読みカードを取りそれをまとめた
ものだよ。偉そうにいうなら、ぜひレスを書いてくれ。
楽しみに待つよ。逃げんなよ
823:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/29 21:58:23 6JaIiJ1g0
>>820-822
>こちらは何冊もの幕末維新史の本を読み
>カードを取りそれをまとめたものだよ
すげーワラタ。
お前のような恥ずかしい厨房を見たのは久しぶりだ。
824:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/29 22:10:32 bOaUowAE0
>>822
>何冊もの幕末維新史の本を読みカードを取りそれをまとめたものだよ
なるほどw
何冊もの幕末維新史の本の中で<自分が信じたい>ものだけを取り、
<自分が信じたくないもの>は見て見ぬ振りをした結果をまとめたんだなw。
それじゃ読んでないのと同じ事w。
825:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/29 22:40:25 cLEwYcnh0
≫822みたいなのなんか前にもいたよーな。
ちょっと反論されると必死に早く意見かけ、待ってるからって自分優位を演出する。
挙句にずっと反応あるまで待ってるんだが一蹴されて終わる。
826:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/29 22:44:45 vzk2ZMro0
>>823
>お前のような恥ずかしい
それはそうでしょね。正規の歴史学の教育を受けていない
高卒ニート君は知らない世界だからね。
>>824
馬鹿だなぁー。あんたどうやって、他人が読んだもののリストもなく
><自分が信じたい>ものだけを取り、
<自分が信じたくないもの>は見て見ぬ振りをした結果をまとめたんだなw。
と何の根拠もないないことを書けるの?
書ける唯一の答えは、
<>>824のお前が信じたくないもの>は見てみぬ振りをしたことが
書いてあるからそういうだけのこと。
因みに、私が読んだのは、ゼミの卒論の参考文献にあった半分位しかまだ読めない。
だから、お前のような馬鹿に
>それじゃ読んでないのと同じ事w。
など言われる筋合いじゃないんだよ。