09/02/17 22:17:43 oeAGpGfF0
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『歴史読本臨時増刊1988年6月-特集・世界、謎のスパイ』
(新人物往来社)
-292頁-
明石元二郎
12個師団に匹敵した工作
生没年:1864年~1919年。
職業:日本陸軍大佐。後に陸軍大将。
所属機関:児玉参謀次長直轄
コードネーム:アバズレーエフ
明治37年(1904年)の日露戦争開戦時、ロシア公使館付武官。
開戦によりストックホルムに移動。参謀次長・児玉中将の「ヨーロッパの
ことは貴官に一任する」との直接命令により、ロシア国内攪乱工作開始。
ロシアに反抗するフィンランド反抗過激派党コンニー・シリヤスク、
フィンランド憲法党カストレンらと接触して協力を得て、同年10月には
ポーランド革命党、グルジア党などを糾合、パリ会談で「共同の敵は
ツァーリズム」のスローガンを決定。各党の活動は翌・明治38年に
掛けて激化。同年6月の黒海での戦艦ポチョムキンの反乱に際して、
明石大佐は指導者デカンスキーに資金を援助。その他、反乱勢力に対しては
高田商会の協力で武器、弾薬の補給輸送を実施。ドイツ皇帝カイゼルが
「12個師団に相当する」と激賞した明石大佐が帰国した時に、出迎えは
児玉大将一人のみであった。