10/07/23 20:54:12
>>95
その本も昭和17年の本。千葉栄一郎って千葉栄次郎の孫だけど、確か養子じゃなかったけっけ?
本の出典はここで
URLリンク(www.ndl.go.jp)
97:日本@名無史さん
10/07/23 23:56:29
>>96
仕方ないだろ。
>>95は萌え~の素材がひとつ消えたことの恨みなんだから。
モレは個人的にはどっちでもいいや♪
98:日本@名無史さん
10/07/23 23:59:22
>>96
>>95はオナ材料を失った恨みだよ。相手にするな。
正直、ドッチだっていいだろ。
99:日本@名無史さん
10/07/24 13:12:42
>>98
おいおい、さなは龍馬が死んだ時でもう30のおばはんで、結婚の時は40近かったわけだろ
幕末にネタをとるなら和宮とかにしないかい
100:日本@名無史さん
10/07/24 16:25:07
>>99
>>95は熟女が好きなのかもしれないよ。人の好みはそれぞれだから♪
101:日本@名無史さん
10/07/24 19:21:01
なるほど~
しかしそれならバツイチであっても変わらんだろ
結婚できない女のレスかもしれんな
102:日本@名無史さん
10/07/26 01:59:58
age
103:日本@名無史さん
10/07/28 14:46:53
ま、コレで終わりかな?
104:日本@名無史さん
10/07/30 08:00:22
勝栄二郎財務事務次官は慶喜の曾孫なのか?
105:日本@名無史さん
10/07/30 21:24:55
>>104
そうなんか
その人知らんけど
慶喜の直系ひ孫と言ってる人は広告カメラマンやってたという人だけわかれば十分
敵前逃亡にあらず、朝敵になるのを恐れたにあらず、遺伝子の中に何もかも投げ出す癖があったんだよという本書いてたな
さな子に失敗に終わった短い婚姻歴があろうとなかろうとどーでもいい
それより、他家に一旦行った女は出戻ると入る墓もなくなるということのほうが、驚き
重太郎家には養子さんや子孫がいたというのに
今でもそんな家もあるのかもな
106:日本@名無史さん
10/07/30 23:16:05
>>91
山口菊次郎は近年、鳥取藩士の名簿から名前が確認できただけの人物らしい。
佐那との間にも子はなかったようだし、これだけ元妻が新聞をにぎわしても
元夫も元夫の家族も何も言ってこなかったのだから、
あるいは佐那が新聞社に暴露する前に
元夫は縁者もなく死亡し、もう家は残ってないのかもしれない。
しかし、佐那もよくわからんよな。
なぜ離婚したとはいえ自分を妻にしてくれた元夫ではなく
結婚もしてくれず、それどころか京都で勝手に結婚していた龍馬なのか。
龍馬の存命中、龍馬と常に活動を共にしていた龍馬結成の海援隊の証言からも、
龍馬の妻がお龍といったという話は出ているが、
他に婚約者がいたと龍馬から聞いている人は誰もいなかった。
編集者が面白おかしく佐那を婚約者に仕立て上げただけのような感じがするが。
107:日本@名無史さん
10/07/30 23:51:34
>>106
上から目線でこたえてあげよう。
龍馬と婚約していたという話は明治26年にさな子が山梨日日新聞の記者に語ってる。
甲府の小田切夫妻にも語ったと考えられる(じゃないと龍馬室と彫りこんだ墓を建ててあげるはずがない)。
龍馬も婚約の文字こそ入れなかったが、乙女姉への手紙でさな子の長所を並べ立てた文章を書いている。
また、山口菊次郎と結婚していたという記事はさな子の死後に、重太郎の養子嗣の千葉束という人に取材して書かれたもの。
108:日本@名無史さん
10/07/31 07:21:37
>>107
熟女マニアのご意見はわかりました♪
109:日本@名無史さん
10/07/31 11:55:21
>>107
上から目線ねえ。
兄の養子なら佐那の結婚相手(山口菊太郎)を知っていておかしくない。
当然、兄夫婦らとともに束も結婚式に呼ばれた可能性もある。
乙女への手紙を持って佐那と婚約というのは無理だな。
お龍のことについては龍馬は妻だと記し新婚旅行の様子まで書き送っているというのに
家族にも紹介できない佐那ってw
しかも、乙女に手紙の中でたった一度だけ佐那のことをちらと書いたわずか半年後には
龍馬は何事もなかったかのようにお龍と結婚している。
佐那婚約の話は佐那の身内(兄や父など)から証言を得た事実はなく、
父や兄、龍馬本人がなくなって証言者が誰一人居なくなってから
佐那が突然言い出したもの。
小田切妻は佐那を「龍馬室」と墓に彫っており
佐那はさらに一歩踏み込んで婚約者どころか
私は龍馬の妻でしたと言いふらしていた可能性すらある。
110:日本@名無史さん
10/07/31 18:24:47
>>109
たぶん、
さなが小田切豊次に「龍馬の許婚だった」と言った。
↓
さなが死んだ。
↓
豊次がさなの墓を建立しようと決めた(お龍のことは知らない)。
↓
せっかくだから、「許婚」じゃ可哀想だから「室」と彫ってあげよう♪
↓
豊次死亡
↓
小田切謙明顕彰会の誰かが推測でいろいろ書きまくった。
こんな流れかな?
111:日本@名無史さん
10/07/31 20:29:49
>>109
鳥取藩軽格の出で炭屋なんかやってた人が、当時結婚式、結婚披露宴的なものをやるかね?狭い身内だけで地味にやったかもしれんが。
あと龍馬許婚者の件はさなが言い出したことかもしれないが、何かしらのやりとりがあったかもしれない?真実はわからないまま。
龍馬がさなについて触れた手紙の前の乙女の問い合わせ的な手紙、そんなものがみつかれば面白いのだけど。
汗血千里駒は単行本化されて版を重ねベストセラーになっていたそうだからさなにしろ、小田切妻にしろ本を通して龍の存在は知っていたんじゃないかな。
ただ小田切妻は死んだ夫の借金などもあって裕福でもなさそうなのに何故甲府にさなの墓を建てたのか。そこまでした動機の解明の資料でもないものでしょうか。
さな地味婚の話より、墓建立の前後の真実のほうが面白そうなんだが。またさなの死後養子を千葉家では立てた(その人も数年後に死亡したらしいが)わけだから、
弔う人が誰もいなかったというのも変な話なんだよな。
どうもわからん。
112:日本@名無史さん
10/07/31 22:00:33
URLリンク(www.ryomadna.net)
佐那の発言もあちこちでまちまちなのな。
小田切謙明が千葉佐那に取材したという「千葉灸治院」では
佐那は16歳の頃から龍馬を思い続けて佐那の父も何度も坂本家に結婚を申し入れ、
一方的に龍馬のための紋付まで染めたが、結局は片思いで終わったことになっている。
それが明治26年には私は龍馬から結婚を申し込まれたんですという話になっている。
汗血千里駒で龍馬の恋人として出てくる光子は存在せず私のことを書いたのだと
佐那はその誤りを正すために随分あちこちでこの話をしたと言っているから、
当然、汗血千里駒を読んでおり、龍馬がお龍と結婚していたことは知っているだろう。
佐那が文句を言ったのが龍馬の妻である龍ではなく物語の中の龍馬の恋人役光子だというのがミソかな。
本当に佐那が本当に婚約者だったのならば
龍馬の妻であるお龍を攻撃していただろうから。
113:日本@名無史さん
10/07/31 22:31:52
>>112
するとやっぱり婆さんになってから龍が話を聞きに来た青年に語ったように、龍馬は本当はさなを女としては
嫌っていたのかなぁ。
さなが一方的に龍馬に熱を上げていただけで。
乙女宛てにさなのことを手紙に書いてから1年もしないうちに龍を妻にしたしなぁ。
女が国事に関わろうとすることを龍馬は酷く嫌う人だったのかもしれないな。
横浜毎日の記事でも定吉が自分の娘のことを狂人なんて言ってるし。
さなはかなり変な人だったのかもしれないな。
龍もかなり変な人だったみたいだし。高知の坂本家では龍馬の嫁とは認めず、妾とみていたなんて説もあり、
龍馬の知り合いも龍の印象を良いとは殆どの人が書き残していない。
大河ドラマで印象悪くなったようだけど、平井加尾が女としては一番まともだったかもしれない。なにより後に三流小物志士を旦那に
したが、警視総監にまで出世させたあげまんだし。
114:日本@名無史さん
10/08/01 01:24:12
既婚だったということになると、
こんどは転じておりょうの「アバズレだった」っていう証言が採用されそうだなw
115:日本@名無史さん
10/08/01 10:57:25
さな萌えスレうざい
116:日本@名無史さん
10/08/01 12:02:03
>>115
消えかかっては浮かんでくるこのスレ。
違う意味で面白♪