10/02/04 11:25:15
>>212
もちろん市ヶ谷に行く時は、もう死ぬために行ったんだよ。家族や楯の会会員に遺書も書いてるでしょう。
あれはクーデターじゃなく(本当のクーデター計画はダメになってるから)、諌死で、
公務員化した自衛隊や後世の人々へのメッセージなんだよ。笑い者になるのも覚悟の上での行為だからね。
それから前レスにも書いたけど、ボディービル始めた頃は、逆に「生きよう」と思ってた頃で、
戦中や終戦の頃の気持ちから立ち直ろうとしたときで、なんとか戦後社会と折り合いながら、
結婚もして谷崎のように日本文学の大家として長生きの道を歩もうとしていた頃だよ。
ところが、安保闘争や社会の混乱で、黙っていられなくなったんでしょう。