09/11/29 09:44:13
>>754
ちょっと無理矢理なネーミングでした。
如淳注はローガンさんが紹介されていたんですよ。
武帝は張華より「じゅんきょく」の言を採用なんですね。なるほど。
このとき幽州に左遷された張華の報告書によって、
幽州、馬韓が四千里だと知られていることがわかり(晋書張華伝)、
方可四千里が誇張だということになります(岡田説)。
ところで「 其六年詔賜倭難升米黄幢付郡假授」について思いつきました。
唐突に理由もなく假授された黄幢。やはり毋丘倹の作戦の一環でしょう。
公孫淵討伐で明帝に訊かれた司馬懿が
「淵棄城預走,上計也」
と答えています。奥地に逃げ込み、持久戦に持ち込まれるのが最悪だと。
対高句麗も同じことで、毋丘倹は背後を押さえるため、
事前の外交戦略を展開しようとしたのでしょう。