謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!41at HISTORY
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!41 - 暇つぶし2ch655:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/11/28 19:16:16
>>651
>邪馬台国とか卑弥呼とか皇室とは関係がないでしょう。

神無月さんは邪馬台国=皇室=畿内説でしたっけ?
邪馬台国=九州≠皇室説なら全く不自然ではありませんが。

656:メ
09/11/28 19:20:37
>>654
ああ、縦目さんもドンコイに居たんだw 
私も昼ぐらい書き込んでたんですけどねw

>神主(しんしゅ)

「神主」に関してはわたしがあっちに書き込んだとおりでしょう。
しんしゅ?「かんぬし」と呼んだほうがいいかもしれません。
たとえば、ここにも書いてるし、
URLリンク(100.yahoo.co.jp)

657:日本@名無史さん
09/11/28 19:22:56
邪馬台国=皇室=畿内説と
邪馬台国=九州≠皇室説は
3世紀の東遷、東征否定では共闘できるんだよなwww

しかし畿内説同士は学問、科学がバックボーンにあるから
多少の意見の違いがあっても共存できるのだが
九州説は対畿内では共通してるが内部では
比定地、東征の考え方、解釈もてんでバラバラ
畿内説が抜けたら全く一枚岩じゃないんだよなwww


658:日本@名無史さん
09/11/28 19:25:16
URLリンク(www.museum.kyushu-u.ac.jp)
邪馬台国が久留米で南部の熊本と対決してた説は
無理ですw

久留米と熊本は同じ縄文人種ですから・・
日本で最も縄文形質を残してる地域です。
さらに鼻まで狭くなってるからかなり美人の形質ですね。


659:神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E
09/11/28 19:26:34
>>655
エ~~~ッ!邪馬台国=九州???あなたに柿ぶつけたい。

660:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/11/28 19:27:06
>>654
>女人禁制が現代でも解けないのは、裸での禊が一つのネックになってるんでないかな。

昔は女性の登山も許されなかったわけで、海も解禁しては駄目なのかね。
大相撲も今は外国人ばかりで薬物騒ぎだしw


661:メ
09/11/28 19:40:32
>>654
>三輪山には登りました

たしか愛知県民さんだったような・・・

>あと儒教の神主(しんしゅ)は仏教の位牌のようなものでは?

位牌はないでしょうw
ありゃ~死んだ人の名前がのってるものだしww

>>659
>エ~~~ッ!邪馬台国=九州???あなたに柿ぶつけたい。

www

662:メ
09/11/28 19:42:09
661は「も」が抜けてたww

「訂正前」
たしか愛知県民さんだったような・・・

「訂正後」
たしか愛知県民さんも言ってたような・・・


663:日本@名無史さん
09/11/28 19:52:46
神主(しんしゅ)とは
儒教の葬礼で、生前の官位、名前を記す位牌のようなもの

664:縦目仮面
09/11/28 19:54:40
>>661
>位牌はないでしょうw
  ありゃ~死んだ人の名前がのってるものだしww

でもWikiの「位牌」のところに、
>儒教の葬礼に用いられる神主(しんしゅ。死者の官位・姓名を書く霊牌。)
と載ってて、現物も見たことあります。ま、向こうのスレの人がこの意味で言ったのではないかもしれ
ないけど。

665:メ
09/11/28 19:58:20
>>663
へえ、しか今何の話をしてるのかな?
宇佐神宮の話でしょ?宇佐神宮の関係者に
「神主」て何て読むんですか?って聞いてごらん。
100人居て100人とも「かんぬし」と答えますからwwwwww
ていうか、「神主(かんぬし)」という言葉は、以前宇佐神宮に行ったとき
神は我々は「かん」と呼んでいます。
「神主は「かんぬし」と呼びますと 現地で聞いたんですけどねww

666:メ
09/11/28 20:01:47
「位牌」ってww 縦目仮面さん 何の話をしてるんですか。
もしかしてカッパムシさんみたいにお笑いでも目指すようになったのでしょうか?w


667:縦目仮面
09/11/28 20:06:20
>>666 ま、「ドンと来い」のこのレス(俺じゃないですよ)

>あんたその程度の知識で自慢してたのかい?
 あんたが出したお題では「神主」
 「神主」なら先ずは儒教の話しからして頂こうか。

からは何のことだかわからないけど、儒教の 「神主」というからには上レスのもののことでないかな。
まあ、霊の依りしろで、この方が仏教より早いという気がします。儒教では、現世利益を享受しつつも
君子をめざすために招魂再生観(慰霊)が重視されてるんでないですかね。



668:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/11/28 20:06:51
>>659
>エ~~~ッ!邪馬台国=九州???あなたに柿ぶつけたい。

では、その柿を頂きます。
むしゃむしゃ

>>662
十年ほど前になるかな?
白いたすきをかけられて登りました。
道中このたすきを外すことは禁止されているのですが、外れてしまったような記憶が・・・
いや、今のオフレコで。
頂上付近にイワクラがあったのを覚えています。


669:日本@名無史さん
09/11/28 20:07:07
>>654
女人禁制について理由は明確に文章化されているものはない。
しかし、裸での禊が理由ではないだろう。女だけで入れば離島でもあるし問題ない。
理由は記紀の神話に求められる。「ドンと来い」のスレでも書いていた人がいるが、
沖ノ島と天岩屋神話の関連性は考えられる。天岩屋に集まった神々は一人を除いて男神ばかり。
例外は天鈿女命。この天鈿女命が天岩屋前で裸踊りを踊って「あなたより尊い神が生まれた」と
言って天照がでてきたところを引っ張り出されたわけだが、天照にとって尊い神がいるだの裸で
踊るだのは嫉妬の原因でしかないのだろう。
女神が女に嫉妬するというのは宗像神社の伝承でもあるが、それはこのような理由だと思う。



670:縦目仮面
09/11/28 20:11:31
>>669
なるほど説得力ありますね。「山は女神で嫉妬深い」というのもよく聞く話で。

671:日本@名無史さん
09/11/28 20:13:49
水戸徳川家は儒教の家柄、瑞竜山に葬られている歴代藩主や夫人、連枝藩主には
仏教で言う戒名にあたる諡号が
あの徳川光圀の諡号は義公。
以前は入山出来たのですが、現在は残念ながら入山できません。 入山出来れば
全ての墓を見るのに半日以上用します(軽い山登り感覚)。


神主=かんぬし は「かむぬし」の転訛

672:メ
09/11/28 20:15:36
いえ、669の「嫉妬する」というのはは一般の人でも知ってる知識でしょう。

宗像神社は行ったことがありませんが、案内板かなにかに書いてるのではなかろうか?
愛知県民さんがなにか知ってるかもしれません。

673:日本@名無史さん
09/11/28 20:19:55
>>671の漢字訂正

用する→要する

674:メ
09/11/28 20:21:28
>>668
自分は登ったことがないので羨ましい、
まあ、三輪山のフモトまでは行きましたけどね、
三輪神社付近で三輪そうめんを食べた。



675:日本@名無史さん
09/11/28 20:21:33
今の時代、男尊女卑だと受け取られかねないしきたりについては本当の理由はいいたくても言えないわな。
言ったが最後、フェミニスト連中からの攻撃の矢となってしまう。
沖ノ島にたどり着くのに昔の船ならいまの何倍もの時間をかけてあの荒い日本海流をくぐっていくわけだろ。
だから女体には厳しいので女人禁制になった、というのは多分方便なんだよ。

676:縦目仮面
09/11/28 20:22:57
「女人禁制」ですか。変なテーマだなあ。神道による月経による血の穢れを嫌うというのはよく聞くし、
あとは、修験道の聖地で、修験者が性欲に惑わされることなく修行するため禁足にされたとか?しかし
これは後代の話かな?

677:日本@名無史さん
09/11/28 20:24:04
かんぬし(かむぬし)の意味は、
・「か」でないものを司るグループのリーダー。

678:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/11/28 20:26:05
>>672
宗像大社のパンフレットによると・・・

現在も沖ノ島では、一木一草といえども島外に持ち出さないという昔からの堅い掟が守られています。
また沖ノ島のことを「お言わず様」とも言い、この島のことは軽々しく話さないし、
また島内だけの独特のことばがあって、神の島としての信仰と禁忌が守られて現在に至っています。

ということで、私も貝になります。

679:メ
09/11/28 20:29:28
>>678
>宗像大社のパンフレット

さすがですねw
私も、古代史旅行で現地に行ったら、必ずパンフレット、
又はそこで販売されてる本を買い集めますw


680:日本@名無史さん
09/11/28 20:31:36
>>678
「お言わず様」ってアナグラムだよ。
「いわ」という言葉が含まれているじゃん。
小さいほうの島は「小屋島」だし。
その昔は「お岩屋様」でそれを変化させたんだね。

681:日本@名無史さん
09/11/28 20:33:09
私は地元の図書館に行って郷土の本を探す。

682:日本@名無史さん
09/11/28 20:33:14
ワロタw

683:日本@名無史さん
09/11/28 20:43:48
>>650
>>650
あのときの方、ではないかも知れません。横から

>使者が訪れてないからでしょう。

と言われただけですから。

>どんな話でしたっけ?

「如淳注 在帯方東南萬里」から導けます。これ結構おもしろい話です。
岡田誇張説をあきらめても、万二千余里の説明がつきます。

>三年だと思うので

明帝だと面白いと思うので残念です。
詳細については(教えてと言わずに)また検討してみます。

無給で板挟みの率善中郎将はつらいでしょうね。

684:縦目仮面
09/11/28 20:45:00
>>678
「お言わず様」ですか・・・俺は沖の島はWiki程度の知識しかないけど、「ドンと来い」のこれも俺の
レスで、女体説は99%冗談なんだけど、この山の形には何か感じるものがある。

URLリンク(uproda.2ch-library.com)

>しかし、湯殿山ご神体の例もあるし・・・「言わず語らず。語らば聞くな、聞かば語るな」 また、芭蕉の俳句に、
 >語られぬ湯殿にぬらす袂かな・・・何のことだかわからない人はググってくれ。
  ま、しかしこれは時代もだいぶ違うし、ジョークだよ。



685:日本@名無史さん
09/11/28 20:54:01
沖ノ島第三次調査隊のメンバーとして皇室の方が含まれていたことを知る人は多くない。
宗像大社辺津宮に碑も建っているが、三笠宮崇仁殿下がその方である。
三笠宮さまが、毎日新聞社刊の「海の正倉院 沖ノ島」の巻頭序文に寄せられた記事から。

『沖ノ島は「神の島」である。そして20世紀の奇跡がおこった島である。私はこの奇跡を現地で
まのあたりみることができた。一生涯忘れ得ぬ感激であった。(以下略)』


686:メ
09/11/28 20:54:40
縦目さん
>「豊国法師」は有名で、前者は雄略帝の病気の際に豊の国から呼ばれた、
>新羅系のシャーマン?

豊国法師というのは豊国の僧で男性です。
この豊国の中心地といわれてるのが福岡側の豊国北部で、
辛嶋氏・秦氏もここらへんを拠点としてたようです。
豊国法師=辛嶋氏・秦氏になるのかどうかは分かりません。

>で、後者は用明天皇の病気の際、同じように召し出された、
>前者に仏教が融合したもの?

融合したのは八幡神でしょう。
上のほうで愛知県民さんのレスがあったとおり。

>どちらもルーツは同じで、医療技術を持つ?で、この流れの先
>に医術者である「宇佐氏の法蓮」がある?・・・・・「?」ばかりですまんが、
>考古学仮面には苦手な分野なんで、間違ってたら指摘しておくれ。

古代日本の「巫女さん」、「カンナギさん」といえばシャーマンといわれています。
「神宣」や「治病」をしたといわれています。

>ただ、いろいろ調べてみたが素戔男尊を祖とするとはいうものの、辛嶋氏の渡来は
>5世紀前後あたりというような感じなんだけどね。で、辛嶋氏の祭神「辛国息長大
>姫大目命」はどう考えても、神功皇后(気長足姫尊)と関わりがあるだろう。

秦氏、辛嶋氏は渡来系といわれています。
気長足姫は「辛嶋氏の祭神」と関係があるようで、
辛嶋氏の祖先は、託宣集によるとスサノオの子孫だったと思う。

687:メ
09/11/28 20:59:34
>八世紀初め、四十町の未開墾地の開墾を認めたり(703)、三等以上の親に宇佐君
>の姓を与える(721)など、宇佐の法蓮を朝廷が別格的に優遇していたのは、法蓮
>の医術が人民を救済したというのがその表向きの理由だったが、この優遇の時期は、
>宇佐大神(比売大神)ではなく八幡大神の新たな祭祀が大々的に進められた時期と重
>なっていて、おそらく朝廷の意向はそこにあるんだろう。

勉強してるようですねw
愛知県民さんにも聞いてみたら如何だろうか。

688:縦目仮面
09/11/28 21:02:29
そうですね。>豊国法師=辛嶋氏・秦氏になるのかどうかは分かりません。
この確証はなかなかとれないです。ただ辛嶋氏が九州内で急速に浸透していったのは、医療技術
といった何らかの大陸系の文化があったからかも。

>託宣集によるとスサノオの子孫だったと思う。・・・これはそうですが、大陸から渡来してきて後付で
そう名乗ったのかもしれません。俺的には、スサノオ実在およびその年代観に対するハードルは高い
です。

689:メ
09/11/28 21:04:09
≪686を訂正≫
「神宣」・・・×
「神託」・・・○


690:メ
09/11/28 21:13:11
>>688
いや、「豊国法師」は・・・新羅系のシャーマン? 」とありましたから
豊国法師の「豊国」は、福岡の一部~大分県全域で範囲が広く、
よく分からないんですけど、「豊国」というのはもっと細かくして、宇佐よりも北のほうが
言われてたような感じがする。
宇佐氏は「宇佐市」や「安心院周辺」、大神氏もその周辺で宇佐市、
又は別府の隣にある「オオガ町」。
辛嶋氏、秦氏は「宇佐よりも北」だったと思うから、そこから連想して
「豊国法師」は・・・新羅系のシャーマン?としたのではないのかな?

691:メ
09/11/28 21:16:18
ちと説明が分かりづらかったかな・・・w

「豊国」→「宇佐よりも北」→辛嶋氏、秦氏の拠点
として、
「豊国法師」は・・・新羅系のシャーマン? と考えたの?てことw

692:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/11/28 21:19:08
>>686
>秦氏、辛嶋氏は渡来系といわれています。

秦氏は日本書紀では百済系とあるが、新羅系と見る説が有力なようです。
(新羅=辰韓=秦韓)
神功皇后は戦後、神武天皇と並んでタブーとなってしまった感があるが、
倭と新羅の関係上避けることはできない。
惜しむらくは、新羅本紀も日本書紀に負けず劣らず年代に疑問があること。
新羅については、新羅文献と中国文献が全く合わないのも問題である。

693:メ
09/11/28 21:28:00
辛嶋氏、秦氏の拠点ってどこでしたっけ?!w
宇佐よりも北だったのは覚えてるが忘れてしまったなww

海部氏は京都府のコノ神社周辺で、大分県の海部郡にも拠点がある。
宇佐氏は、上で書いたとおり、宇佐市と安心院なんですが・・・。

694:縦目仮面
09/11/28 21:28:02
>>692
そうですね。俺も新羅系と見ます。現在は辛嶋氏の日向、大隅八幡宮入りと隼人の乱の関係あたりを
やってます。豊の国の秦一族、中でも辛島勝姓を名乗らなかった辛嶋氏の一部が「稲積城」を築いた
周辺です。まったく畑違いの分野で、益もないんですが、乗りかかった船で。

695:メ
09/11/28 21:30:35
大神氏は、上で書いたとおり、
別府の隣のオオガ町と宇佐市周辺(どこだっけw)。

誰か、他のスレで書いてたと思うんだがここにも書き込んでほしい。

696:縦目仮面
09/11/28 21:33:16
ただまあ、調べて見ると文献の人は大変だなあという観を強く持ちますね。100読んで、実になるのは
1つか2つ・・・知識は増えますが、時間もえらくかかる。よい勉強になります。

697:メ
09/11/28 21:35:11
>>692
>秦氏は日本書紀では百済系とあるが、新羅系と見る説が有力なようです。
>(新羅=辰韓=秦韓)

新羅ですか、んで新羅から福岡のどこへ行ったかご存知でしょうか。

>神功皇后は戦後、神武天皇と並んでタブーとなってしまった感があるが、
>倭と新羅の関係上避けることはできない。
>惜しむらくは、新羅本紀も日本書紀に負けず劣らず年代に疑問があること。
>新羅については、新羅文献と中国文献が全く合わないのも問題である。

新羅文献には「秦氏」に関してなんて書いてるんです?

698:日本@名無史さん
09/11/28 21:43:51
>>692
四世紀から五世紀にかけて、楽浪帯方系移民が増えたと高校時代に担任が言っていました。
古墳時代はとりわけ移民の数が増えた時期でもあり、日本列島の人口は大いに増加したと。
楽浪帯方難民は南へ逃げ、またそこから日本へも渡って来たのではないかと思います。
秦氏集団が亡命して来たのもその頃ですよね?
治水、製鉄等の技術を持っての集団移民ですが、彼らは単なる半島南部土着の韓人だったのですか?
それとも、わけありの集団だったのですか?

699:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
09/11/28 21:44:24
では、私に課せられた課題の一つ「祝(はふり)」

結論から先に申せば、漢語「祝」と和語「はふり」には直接的な意味はありません。
和語「はふり」は「はふる(放る)」という動詞が名詞化したもので、「はふる」の意味は
捨て去る、落ちぶれる
下級神職が行っていた穢れ払いの行為を「はふる」という言葉に掛け合わせ名詞化し、下級神職を「はふり」と称した。
その時に神職によって読み上げられる「のりと」は、同じ台詞の繰り返えし
この台詞の繰返しを「いわい」といい、漢語「祝」の訓にもあてられています。

つまり、「はふり」が「はふる」為に「のりと」を「いわい」から 祝=はふり と読まれるようになりました。

★いわい=い・うあ・い→「言う・合う(同じ)・範囲(台詞)」


では、失礼します。


700:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/11/28 21:45:13
豊国奇巫とか豊国法師ですが、允恭天皇も新羅から医者を呼んでいますね。
古事記では「金波鎮漢紀武」姓は金、波鎮漢紀は波珍干岐、名は武でしょうか。
これも気になる記事です。


701:メ
09/11/28 21:48:24
今、本開いたけど
大神氏は奈良の三輪周辺の一族だったね、
辛嶋氏は大分県宇佐郡辛国・・・
半島→秦氏は滋賀県えら郡・・・・こりゃ失礼w

>>699
お、来た、来た!
まあ、周りからいろいろ言われても気にしないことだな。
河童虫はこの2chの中では詳しい部類に入るんだし

702:メ
09/11/28 21:59:15
>気にしないこと

っておれが言ってるのか ガハハハッ(高笑)

ゲンコムシならゲンコムシでいいんでないの。
しかし、「もっと勉強しろ」って葉っぱかけてると思えばいいじゃん

>>696
>文献の人

私はどれが自分の専門なんて考えてない。
なんでもといいますか・・・。

703:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/11/28 22:01:54
>>697
>新羅ですか、んで新羅から福岡のどこへ行ったかご存知でしょうか。

秦氏の近畿地方の本拠は「太秦(うずまさ)」で山背国や河内国にありますが、九州の本拠は?
大和岩雄氏は「香春(かわら)」としています。
律令時代の戸籍帳によれば実に90パーセント以上が秦姓とのこと。
隋書の「秦王国」もここかもしれない。

>新羅文献には「秦氏」に関してなんて書いてるんです?

私は知らないのですが、もしあれば教えて欲しいものです。

704:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
09/11/28 22:01:59
>>701

>まあ、周りからいろいろ言われても気にしないことだな。

以前みたいに気にするほどの余裕がほしい。
最近は日本と中国の往復と国内短期出張の繰り返しで、掲示板なんて余裕ぜんぜんありません。
家に帰れば家の用事や個人的な用事がやまずみだし、広東語と北京語と日本語と英語が
頭の中で錯綜しているは 中国の郊外のトイレの汚さには愕然とするわ(中国では野糞が一番清潔)


705:縦目仮面
09/11/28 22:11:04
大神比義(おおがのひき)は、奈良大神(おおみわ)の強力なシャーマンで、蘇我馬子が仏教と融合
した原始八幡と帰化人勢力を利用するために宇佐に下した・・・このあたりもけっこう疑問がありますが、
ちょっとマニアックすぎるんで、もっと一般的な話をしましょう。


706:メ
09/11/28 22:12:40
>>703
>秦氏の近畿地方の本拠は「太秦(うずまさ)」で山背国や河内国にありますが、九州の本拠は?

いま、本を開いてますが、「秦氏は山城(京都府)を拠点に...」とありますね。
一族は近江ンお愛智郡、摂津などに分住...」
以前、九州中津市の「三角池」を少し調べたのですが、この近辺に住みついていたよう。


707:メ
09/11/28 22:15:55
>>704
へえ 忙しいんですね。
中国のトイレってそんなに汚いんだ・・・。
んで、トイレを使わなかったと・・・w

708:メ
09/11/28 22:20:01
>大和岩雄氏は「香春(かわら)」としています。
>律令時代の戸籍帳によれば実に90パーセント以上が秦姓とのこと。
>隋書の「秦王国」もここかもしれない。

ああ、思い出した。
以前(前前スレらへん)で誰か書き込んでましたね。
秦氏とは新羅で多いとか・・・


709:日本@名無史さん
09/11/28 22:23:26
やまずみ



710:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/11/28 22:30:16
>>706
九州中津市の「三角池」

宇佐神宮の元宮といわれる大貞八幡(薦神社)のご神体ですか・・
「宇佐神宮の元宮」というのは幾つもあるようで、香春神社もその一つ。
しかし原八幡は迷路に入りそうで怖い。


711:縦目仮面
09/11/28 22:30:45
>>704
中国の「厠所」ですか。ww 日本とは向きが逆だし、まったくなじめないし落ち着かない。

712:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
09/11/28 22:33:26
>>707

大都市部の外人観光客が訪れる所は綺麗に整備されてるけど、汚いのは郊外の田園地域と
山間部。
扉なんか付いていない所沢山あったし、何時掃除したかも確認できない状態
最初のころはなるべく我慢していたけど、最近は畑や田んぼでOK
小川をまたげば即席水洗トイレの出来上がりだし、機会があったら一度中国の山間部や田園地帯に行ってみるといいよ。 一部の川なんて、たぶん農薬?で色が変わっているところがあるから


713:日本@名無史さん
09/11/28 22:40:08
>>701
>大神氏は奈良の三輪周辺の一族だったね、

どうした?
おまえがそんな間違ったことを言い出すとは。

大神氏=三輪氏は大田田根子の子孫だぞ。

714:縦目仮面
09/11/28 22:40:47
環境面では工場廃液なども最悪で、奇形の生き物がたくさん生まれてるようですね。

715:メ
09/11/28 22:44:15
>>710
そうです、そうです、よく御存じですね。
御池の中に三つの嶋があり、宗像の三女神が祀られている。
八幡神が現れた伝承があり、宇佐神宮の元宮といえばそうなりますね。


716:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/11/28 22:44:19
>>698
後漢書や魏志の辰韓伝によれば、辰韓は苦役を避けて秦から韓国に逃げ、
馬韓から東界の地を分けてもらって住み着いた人々とありますが・・

717:メ
09/11/28 22:46:32
>>713
ありゃしまった・・・こりゃ失礼w
わたしもたまには間違えますってw
詳しく知ってるようでしたら、書き込んでくださいな。


718:メ
09/11/28 22:48:41
ん・・まてよ

「元宮」という表現は相応しくないのかもしれません。
あくまでも「八幡神が現れた伝承がある地」のほうが相応しく思います。

719:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
09/11/28 22:56:15
>>714
日本でも、三十年前の隅田川の臭いは最悪だったから、余り批難出来る事ではありませんが
霞ヶ浦も一時よりは綺麗になった。(笑)

高度成長故やむなしかな

720:メ
09/11/28 22:57:02
大田田根子はチヌノアガタのスエムラ・・・はあ、どこでしょう?w

721:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/11/28 23:02:34
>>720
堺市の陶荒田神社付近らしいです。

722:メ
09/11/28 23:03:26
チヌノアガタのスエムラは大阪府堺市か、なるほど、なるほど!
>705の大神比義と話がゴッチャになっていたようです(笑)


723:日本@名無史さん
09/11/28 23:04:41
ゾンビがいる!

724:メ
09/11/28 23:08:22
では、少し疲れたので落ちます・・・また明日~


725:縦目仮面
09/11/28 23:21:40
大田田根子の母、活玉依媛は河内の陶津耳の娘で、大物主が夜這いしてくるので着物に糸をつけたら
それが三輪山の神社にまで繋がってて、糸が三重に残ってたんでミワと名付けられたとかなんとかです
よね。この人が確かホツマを完成させたはずで、唐松山さんが詳しいんじゃないですか。

726:日本@名無史さん
09/11/28 23:25:00
18 日本@名無史さん [] 2009/04/14(火) 11:38:53 ID: Be:
父曰大物主大神。母曰活玉依媛。陶津耳之女。
亦云。奇日方天日方。武茅渟祇之女也。

父は大物主
母は陶津耳の娘の活玉依媛
奇日方天日方の末裔、武茅渟祇の娘とも言う

*奇日方天日方 父事代主 母活玉依姫

727:日本@名無史さん
09/11/28 23:25:02
【福岡】 「邪馬台国は筑後地区から熊本県にかけてが有力だ」九州大学名誉教授 飯塚市で邪馬台国をテーマにしたシンポジウム
スレリンク(newsplus板)

          /ニYニヽ
        / (0)(0)ヽ
       / ⌒`´⌒ \
      | ,-)    (-、.|
      | l  ヽ__ ノ l |        ___________
       \  ` ⌒´   /  ..j゙~~| | |             |
__/          \  |__| | |             |
| | /   ,              \n||  | |             |
| | /   /         r.  ( こ) | |             |
| | | ⌒ ーnnn        |\ (⊆ソ .|_|___________|
 ̄ \__、("二) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l二二l二二  _|_|__|_

728:改め ◆qexCkQtLcY
09/11/28 23:29:16
大田田根子の母?
大田田根子の父を遡っていくと物部氏の祖の「宇麻志麻遅」に当たるはずです。
ていうことは、奈良の三輪周辺でよかったのかもしれませんね。


729:ローガン
09/11/28 23:37:54
>>683
>「如淳注 在帯方東南萬里」から導けます。これ結構おもしろい話です。

その面白い話教えていただけますか?



730:日本@名無史さん
09/11/28 23:41:06
>>728

違います。
大田田根子の祖は大国主

もしかして、大国主とニギハヤヒを同一だと信じてる人ですか?
それも間違いですから。


731:改め ◆qexCkQtLcY
09/11/28 23:41:07
唐松山さんていうか、
大物主に関しては「事代主」と「饒速日」の二説があります。
ホツマで有名な池田氏によるとその正体は「事代主」としていますが、
これじゃ~三輪山の「祭神」が説明できなくなるので、
わたしは「饒速日」としましょうか。
饒速日といえば、九州→三輪周辺?!というイメージがあるんですが、
もとはといえば「大神氏」に関する事なので、ここは「高宮系図」にある
大神比義で考えるべきでしょうね(これ以上上はない)。
と、思いますが・・・いかがかな?

732:改め ◆qexCkQtLcY
09/11/28 23:43:03
>>730
二説があります

どっちかは分かれるところでしょうね。


733:日本@名無史さん
09/11/28 23:43:10
>>731
>饒速日といえば、九州→三輪周辺?!というイメージがあるんですが、

間違いです。

饒速日を天火明命と同一だと主張してるのは当の物部氏ですが、
天火明命は丹波から降臨してきました(海部氏系図)





734:日本@名無史さん
09/11/28 23:44:42
>>732

他方を否定するなら、相応の根拠が必要です。
物部氏も、ニギハヤヒが九州から来たなどとは、明記してませんよ?

あなたの勝手な思い込みでしょう。


735:改め ◆qexCkQtLcY
09/11/28 23:45:43
>この人が確かホツマを完成させたはずで、

そうです、そうです。
続きから書いたといわれてますよね。

736:日本@名無史さん
09/11/28 23:47:24
せめて、
大物主=饒速日としている文献を一つでも挙げてください。

勝手な憶測では議論になりませんよ。

737:改め ◆qexCkQtLcY
09/11/28 23:49:34
>>734
あ~もう、めんどくさいなww

自分の読んだ本が正しいという考えではなく、
君の周りの人は、君以上に本を読んでるはずだから、そういう知識もあるのではなかろうか。

俺から言えることは「もっと勉強しなよ」としか言えんww

738:縦目仮面
09/11/28 23:53:18
あと畿内説では、この大田田根子を卑弥呼の後の男王に比定する人がいますね。卑弥呼の男弟
が崇神天皇で、卑弥呼が倭迹迹日百襲姫、そして大田田根子のあとが、豊鍬入姫命でこれが台与。
まあ、俺はこのような考え方はしないんですが。

739:日本@名無史さん
09/11/28 23:55:21
>>737

あなたが人より多くの本を読んでると豪語されるなら、
大物主=饒速日としている文献を一つでも挙げてください。

無ければ、ただの「憶測」です。


740:改め ◆qexCkQtLcY
09/11/28 23:58:40
www

さて、さて、>739さんは縦目さんに任せてw
私は逃げましょうかねww 怖い、怖いwwww

741:日本@名無史さん
09/11/29 00:00:38
サイトを見ていても、大物主=饒速日として立論してる人を時々みかけて、
混乱しながら自分でも調べてみたけど、
結局、大物主=饒速日とした具体的な文献はひとつも見つけられなかった。

どうやら、三輪山で、大物主と饒速日が祀られてることが論拠らしいが、
一つの斎場に複数のカミが祀られてるのは、どこの神社でも普通に見られることです。


742:日本@名無史さん
09/11/29 00:03:13
>>740

>さて、さて、>739さんは縦目さんに任せてw

縦目さんも、大物主=饒速日説なんですか?
それなら、とことん食い下がりますよ?

おそらく、あなた方は大物主=饒速日ということを自説の基礎にしてると思いますが、
前提が間違っていたら、論そのものが成立しません。
砂上の楼閣です。九州説と同じ過ちをおかしています。



743:メ(寝る前)
09/11/29 00:06:51
>大物主=饒速日

原付ムシさんは「香具山 」だってよw(ヘルプかな・・・?)

>739さんは人に教えて貰うんではなく、いろいろ自分で調べてみるべきだね。
んじゃ~ホント落ち 寝ますね zzsz・・・

744:縦目仮面
09/11/29 00:09:54
>>742
違います。大物主は大国主の和魂で、つまりは別人格ということかな?俺は考古学専門(今日の
上からのレスを読んでるとそうは思えないかもしれないが)で、実は系図や神社はよくわかりません。
改めさんは、こうやって人に押しつけて逃げるのが得意なんですよ。ww

745:日本@名無史さん
09/11/29 00:13:35
>>744

失礼しました。
日本書紀には、大物主は大国主の幸魂・奇魂とあります。

ニギハヤヒとは当然、別人格と見るのが妥当でしょう。


746:日本@名無史さん
09/11/29 00:22:22
大物主=饒速日だとすると
出雲=天孫じゃんねーwwww

それで正解なんじゃないの?
俺は出雲と天孫大差ないとみてるけど
単なる出雲系民族の流行でしょ。


747:縦目仮面
09/11/29 00:26:34
ええと、後代に神道の「一霊四魂」と呼ばれるようになった、なんというか精神分析のようなものがあっ
て、人間の心は四つの魂から成り立ち、それらをさらに上位の「霊」がコントロールしているとされる。
で、それぞれの魂は、荒魂、和魂、幸魂、奇魂という名前で呼ばれ、それらを統括するのが直霊(なお
ひ)。幸魂・奇魂は和魂に含まれるともされます。

だから神道的には、大物主は大国主の別人格、それ以上はわからないです。




748:日本@名無史さん
09/11/29 01:05:58
>>729
そもそもの原因は「 自郡至女王國萬二千餘里」にあります。
実際の地形に合わない記述から起こる邪馬台国論争。
岡田英弘氏はこれを司馬懿顕彰のための誇張だとしました。

如淳の注が書かれた頃、倭は「在帯方東南萬里」と認識されていたのです。
それがなぜかはわかりませんが、王莽伝の
「黄支自三萬里貢生犀」のような蛮夷朝貢を誇示する
修辞的表現のためではないでしょうか。
王莽の東夷、光武の奴、安帝の帥升。
想像だけど、卑弥呼朝貢の公式発表にもあったのかも知れない。

卑弥呼朝貢より以前の倭国は北九州のことであり、
七、一、一、一 でちょうど郡より一万里です。
残り二千里は梯雋の報告でしょう。魏の尺で。

749:日本@名無史さん
09/11/29 02:18:48
卑弥呼の弟が崇神天皇ってのは決まりだろうな

750:日本@名無史さん
09/11/29 02:26:50
原文に「邪馬壹国」と書かれているのになぜ「邪馬台国」と言われているのだろう。

751:日本@名無史さん
09/11/29 07:08:47
>>750
その原文は日本書紀よりも新しいから

752:日本@名無史さん
09/11/29 07:36:57
>>751
原文の意味を把握してから書いてくれ。
今回は見なかった事にするから

753:日本@名無史さん
09/11/29 07:49:05
>>750
お前古田だろ?
その説はもう論破されてるんだよボケ!!

754:ローガン
09/11/29 07:55:18
>>748
>修辞的表現のためではないでしょうか。

それを「祭典誇大宣伝説」というんですか。知りませんでした。

>卑弥呼朝貢より以前の倭国は北九州のことであり、
> 七、一、一、一 でちょうど郡より一万里です。
> 残り二千里は梯雋の報告でしょう。魏の尺で。

はい。そうですね。
ただ、司馬懿顕彰はどうかなあと思いますがね。陳寿は「じゅんきょく」とは上手く行かなかった様だし…


755:日本@名無史さん
09/11/29 07:58:09
>>750昭和50年代ころ発売されたばかりのワープロで扱えない外字は蹴られたんだよ。



756:日本@名無史さん
09/11/29 09:44:13
>>754
ちょっと無理矢理なネーミングでした。
如淳注はローガンさんが紹介されていたんですよ。

武帝は張華より「じゅんきょく」の言を採用なんですね。なるほど。
このとき幽州に左遷された張華の報告書によって、
幽州、馬韓が四千里だと知られていることがわかり(晋書張華伝)、
方可四千里が誇張だということになります(岡田説)。

ところで「 其六年詔賜倭難升米黄幢付郡假授」について思いつきました。
唐突に理由もなく假授された黄幢。やはり毋丘倹の作戦の一環でしょう。

公孫淵討伐で明帝に訊かれた司馬懿が
「淵棄城預走,上計也」
と答えています。奥地に逃げ込み、持久戦に持ち込まれるのが最悪だと。

対高句麗も同じことで、毋丘倹は背後を押さえるため、
事前の外交戦略を展開しようとしたのでしょう。

757:日本@名無史さん
09/11/29 11:02:08
>>754
岡田誇張説は却下ですよ。念のため。

758:日本@名無史さん
09/11/29 11:05:02
>>754
訂正。司馬懿顕彰説却下です。無駄レスすいません。

759:日本@名無史さん
09/11/29 12:50:57
痘痕も笑窪。
痘痕も一度笑窪に見え出したら、もうその笑窪は二度と痘痕には見えない。
だから痘痕が笑窪に見える前に、物事は処理しよう。

760:日本@名無史さん
09/11/29 12:57:42
誇張説を考え出すまでには大変な苦労を経たのだろう。
その苦労の末やがて誇張と言う笑窪に見えてきた。
もう戻れない痘痕である現実に。

761:日本@名無史さん
09/11/29 15:58:53
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

URLリンク(osaka.yomiuri.co.jp)
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

762:ローガン
09/11/29 16:39:46
縦目さん、居てる?曲学さんが、昨日から吼えているんだけど。
何か情報有りますか?

763:縦目仮面
09/11/29 17:27:14
うーん、御所市秋津の建物遺構ですか。布留1とかいう。このことなら情報はないです。ただ、曲学
さんが、何か性急な行動に出ないか心配ではありますね。

764:日本@名無史さん
09/11/29 17:31:42
>>763
何何何?銀行強盗の計画かいな?

765:日本@名無史さん
09/11/29 18:44:27
>>763
事件にならないように通報しますか?

766:日本@名無史さん
09/11/29 19:01:10
どこで吼えてるの?

767:日本@名無史さん
09/11/29 19:06:03
九州スレの情報では、
畿内説の敗北宣言が近いらしい。
今回の甘木での発掘結果を受けて、当地では熱くなっているようです。

768:日本@名無史さん
09/11/29 19:07:04
やすもとさんこんばんは。朝から大変ですね。

769:日本@名無史さん
09/11/29 19:11:44
いやあ、朝から各種の報道陣に追われて参りましたよ。
でも気分は最高!!

770:日本@名無史さん
09/11/29 19:46:23
>>769
それはそれはご苦労様です。
で、今回の容疑は?
任意同行に応じたわけですね?

771:日本@名無史さん
09/11/29 21:28:40
亀田興毅が内藤を破り新チャンピョン
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)


772:日本@名無史さん
09/11/29 21:31:57
甘木でマスコミのインタビューに答える安本先生。
URLリンク(www.tutibutai.com)

やはり甘木だった・・・安本先生の予言的中。
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)


773:日本@名無史さん
09/11/29 21:35:10
度が過ぎるのはやめとこう。

774:ローガン
09/11/29 21:37:24
>>763
そうですか。ありがとうございます。

775:日本@名無史さん
09/11/29 21:46:51
>>738
>大田田根子を卑弥呼の後の男王に比定する人がいますね
モモソ媛=卑弥呼とすると
この説は一番しっくりくるとおもうんだけどな
卑弥呼の後の男王は血縁がなさそうだし
結局宗女 台与がたって治まったってのも
卑弥呼の出身宗族がこの男王の共立に賛成しなかったからと見れば自然だし

776:日本@名無史さん
09/11/29 21:55:27
>>775
Wikipediaによると大田田根子は女

>神の娘大田田根子

>紀元前92年に崇神天皇に頼まれて、災害がつづく理由を占うと、
>三輪山の大物主神が神懸かりして、我を祀れば国は治まるといった。
>そこで崇神は、神の娘大田田根子を大神神社の神主にすると、平和になったという。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

777:日本@名無史さん
09/11/29 22:03:26
終止符スレで議論する人へ

ハイ!
三国志全文:URLリンク(www.ceres.dti.ne.jp)


778:日本@名無史さん
09/11/29 22:03:31
>>776
それ間違い
大田田根子は男のはず
日本書紀には特に性別に対しての表記がないけど
女性と思われるような表記はないから
男と考えられる

779:日本@名無史さん
09/11/29 22:05:02
纏向が水垣宮とすると卑弥呼の弟は崇神天皇でほぼ間違いないだろうな

780:日本@名無史さん
09/11/29 22:11:51
終止符スレで議論する人へ

ハイ!
影印(紹熙本):URLリンク(www.netlaputa.ne.jp)
ハイ!
影印(紹興本) :URLリンク(www.netlaputa.ne.jp)
ハイ!
漢書:URLリンク(chinese.dsturgeon.net)

 

781:日本@名無史さん
09/11/29 22:14:10
>>779
弟は吉備津彦で
次次官といわれてる彌馬獲支が崇神天皇かも

782:日本@名無史さん
09/11/29 22:33:39
大田田根子なんて人ほんとにいたのかな?出身である陶邑が須恵器生産拠点になるのは5世紀から
なんだけどね。

783:日本@名無史さん
09/11/29 22:37:12
>>776
ひどいな。どこのバカが編集したんだ?

784:日本@名無史さん
09/11/29 22:41:09
>>779
卑弥呼の行った鬼道というのは神道だろうし(夫を持たないと言う巫女の処女性はこの頃から?)
後の皇室が神道の祭祀を行うというのも、こういう密接した関係があったんだろうね

785:日本@名無史さん
09/11/29 22:41:55
しかしWikiはそんなものだよ。記紀に性別は書いてないから、一時資料では不明。・・・ただし、「大神
神社成立前後史」で、>大田田根子は出雲の名族、神門臣の娘、美気姫を妻とし、大御気持命を生ん
でいる  との記述があるようだ。

786:日本@名無史さん
09/11/29 22:43:35
【終止符スレで議論する人へ】武器の贈呈
もっと、とっておきの武器が欲しいって~?仕方ないな><

ハイ!
漢籍電子文献
URLリンク(hanji.sinica.edu.tw)


787:日本@名無史さん
09/11/29 23:07:38
【終止符スレで議論する人へ】武器の贈呈

ハイ!
日本書紀:URLリンク(www004.upp.so-net.ne.jp)

>>785
<日本書紀 祟神天皇条>
父曰大物主大神 母曰活玉依媛 陶津耳之女 亦云 奇日方天日方武茅渟祗之女也


788:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
09/11/29 23:11:08
>>786

それ最近使いずらくなった。以前のバージョンの方が使いやすかったよ

789:日本@名無史さん
09/11/29 23:11:39
大田田根子とは大きな根っ子つまり男性自身が大きい種馬のことだった。
それにたいして大物主の方は、明るいところで見たら皮をかぶった小さな蛇だったので恥をかかされたとあります。
大田田根子の子孫は、東国に移り住んで群馬県太田辺りで今も暮らしています。
一方、大物主の方は繁殖力が弱いので、その子孫が生き残っているとしても少数でしょう。

790:日本@名無史さん
09/11/29 23:12:16
顔に刺青して水潜りしてる奴が奈良盆地にいるとは到底思えないのだが。

791:日本@名無史さん
09/11/29 23:13:45
>>788 乙

さ・す・が・で・す・ね


792:日本@名無史さん
09/11/29 23:14:35
>>787
>父曰大物主大神 母曰活玉依媛 陶津耳之女 亦云 奇日方天日方武茅渟祗之女也
大田田根子の父が大物主神 母が活玉依媛(陶津耳の娘もしくは奇日方天日方武茅渟祗の娘)
ってことだよね?
どこに大田田根子の性別が?

793:日本@名無史さん
09/11/29 23:19:06
>>792
ハイ!
而問大田田根子曰 汝其誰子 對曰 父曰大物主大神 母曰活玉依媛 陶津耳之女
亦云 奇日方天日方武茅渟祗之女也

現在語訳するもは、そちらでお願いしますm(__)m 

794:日本@名無史さん
09/11/29 23:20:06
>>790
なぜ思えないんだ?

795:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
09/11/29 23:22:38
>>791

その電子文献も文字をかなり弄ってあるから、出来る限り影印にて再度確認することを
忘れずに。

だね

796:日本@名無史さん
09/11/29 23:35:28
ま、イレズミに関しては九州有利かもしれない。、「古事記」神武天皇東征の「皇后選定」の項に、家
来の大久米命が神武天皇の命を受けて畿内の女性に会ったとき、大久米命の「黥利目」(目尻のイ
レズミか)を見ておおいに驚かれたという記述があり、つまり畿内の女性はイレズミを見たことがなか
ったともとれる。

797:日本@名無史さん
09/11/29 23:37:36
>>795

↓これ河童さん?
>>748>>683>>641

798:日本@名無史さん
09/11/29 23:54:53
暇な人はここを読むのもいいかもしれない(お薦めではないけどw)

古田氏ホームページ
URLリンク(www.furutasigaku.jp)
さて、寝よっとw


799:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
09/11/30 00:23:30
>>797

違う。

800:日本@名無史さん
09/11/30 03:49:49
ちょっと門外漢ですが失礼します。

考古学?になるのかな。邪馬台国や卑弥呼は。
奈良で邪馬台国はほぼ9割がたの学会の趨勢とのことですね?
そうだとしたら、考古学者は有能な人間がいないのでしょうね。
これで、研究っていえるんですからヌルイ世界ですね。

魏志倭人伝に出てくる位置・距離を示す記述が明らかに近畿ではないことは
どう処理してるのですか?
はじめから「奈良に遺跡がたくさんあるし、ヤマタイコクとヤマトだもんね」
っていうふうにしかみえないです。
特に、位置・距離・範囲を無視して、はじめから答えありきでもっていく
乱暴な手法にしか思えませんよ。

まあ、私の研究分野でも近畿(京大)の大先生絶対なとこがありましたから
正面切って反論しづらいのかなとか思いますけどね。
それか、「俺の生きているうちは正解は出ないから、多数に乗ろう」
で奈良なのかな。

まあ、この分野は金にもならないし、優秀な人間が集まるわけはないのは
わかりますがね。
ただあまりにも、乱暴で、それがまかり通る、甘い世界だなーと。



801:日本@名無史さん
09/11/30 04:26:14
卑弥呼ってかわいかったのかね。超絶美少女なら興味も湧く。
復顔術ってあるでしょ?
骨格から生前の人相を復元する技術。
箸墓掘ってなんか頭の骨出たら卑弥呼の超リアル復顔模型作れ。
肌の質感もきっちり作って義眼も入れた生々しいみずみずしいやつ。
ただ出土した頭骨は当然死亡時のものだから復顔作業に当たっては
それよりさかのぼった女王即位当時の若い頃ので頼む。

802:日本@名無史さん
09/11/30 05:52:25
邪馬台国「四国・徳島」説
URLリンク(www.youtube.com)

803:日本@名無史さん
09/11/30 10:03:35
>>801
たぶんこんな感じだよ

古墳時代の巫女
URLリンク(www.iz2.or.jp)

804:日本@名無史さん
09/11/30 16:09:17
なんとなく、纒向で見つかった3世紀前半の大型建物跡は、
初期大和政権の崇神天皇の宮の「瑞籬宮(みずかきのみや、水垣宮)」だった、
って証拠が出て、邪馬台国は奈良ではないことが確定するような気がする。

崇神天皇は、記紀で初めて国家体制を具体的に記述されている天皇。
奈良の瑞籬宮から、大彦命を北陸道に、武渟川別を東海道に、吉備津彦を西道に、丹波道主命を丹波(山陰道)に将軍として遣わし、
従わないものを討伐させて、それらの地域に及ぶまで戸口を調査し、課役を科してもいる。

もしも、纒向で見つかった3世紀前半の大型建物跡が「瑞籬宮(みずかきのみや、水垣宮)」だったら、
そんな天皇の都のすぐ至近に、同時期に、卑弥呼・壱与と2代続いた都・邪馬台国を主国とする独立勢力があるわけがないし、
もしもあったとしたら、力の差が有りすぎで、卑弥呼や壱与はルートが作れず、そもそも魏に朝献すら出来ない・・・・。
結局、畿内説の学者は、自らの発掘成果で、自らの説の間違いが証明されたりして・・・・・・・。


805:日本@名無史さん
09/11/30 16:21:15
卑弥呼とかトヨって後の斎王でしょ。
トヨがもし豊鍬入姫だとすると崇神天皇の娘だし

806:日本@名無史さん
09/11/30 16:32:56
>>804
>そんな天皇の都のすぐ至近に、同時期に、卑弥呼・壱与と2代続いた都・邪馬台国を主国
とする独立勢力があるわけがないし、

単に畿内を舞台に政権争いが行われてただけでしょ。

807:日本@名無史さん
09/11/30 16:46:47
>>804
何を言ってるんだ?
纒向が水垣宮なら卑弥呼の弟が崇神天皇に決まってるだろ
卑弥呼はあくまで象徴としてのトップで神道の祭祀を行っていた巫女。
古代の戦乱を女がトップで収められる訳ないんだから当然実権は弟が握っていたに決まってるだろ
そしてその崇神天皇の事績はあきらかに倭国大乱を収めたとみれるものだ。

はっきりいって九州説はもう出る幕ないよ

808:ローガン
09/11/30 16:59:40
>>756
>対高句麗も同じことで、毋丘倹は背後を押さえるため、事前の外交戦略を展開しようとしたのでしょう。

位宮の首級を挙げるのに協力しろ…かな? まあ、このあたりは想像するしかないですね。
私は韓地への参戦要請だと思いますがね。まあ、いずれにしても張政等の来倭は六年詔に端をはっしたものであり、
台与の代に短期間滞在し、その折、徑百余歩の墓作りを目の当たりにしたのでしょう。

809:日本@名無史さん
09/11/30 17:34:52
>>804

トヨ=豊鍬入姫は初代斎宮。
マキムクは邪馬台国であると同時に、崇神天皇の都・斎場でもある。

記紀と符号が強まってるのに、崇神天皇の話題がテレビで聞かれないのが不思議なくらい。
天皇の話は放送倫理規定に抵触するのかなあ?
考古学の現場では、思ってても言わないという暗黙の了解があるのかな?





810:日本@名無史さん
09/11/30 17:47:22
>>809
マスコミが売国奴の巣窟だから

811:日本@名無史さん
09/11/30 18:01:13
>>807
卑弥呼は御真津比売命だと?????

まず、倭国大乱は卑弥呼が女王になる前に起こった出来事で、
卑弥呼が魏に朝貢した239年には既に収まっている。

崇神天皇の即位の前には戦の記述はなく、
また邪馬台国には税もあり、納めた税を、入れる倉庫もある。
そして、卑弥呼の死後には一度は男王を立てたが、結局、
壱与という一族の娘を王としており、
壱与が最後に文献に現れるのは、266年だ。

即位後の崇神天皇10年の四道将軍の派遣を倭国大乱だとするならば、
崇神天皇11年4月、四道将軍が地方の賊軍を平定させて帰参、その様を奏上した後に
卑弥呼は女王となったことになり、のちの壱与が女王になった際の混乱の経緯が
何も記されていないのはおかしい。

畿内説を提唱している学者はほぼ全て、卑弥呼は邪馬台国の女王ではなく、
大和王権の女王であったという仮説の元に理論を展開しているが、
記紀によれば、纒向に遷都したのは垂仁天皇であり、
もしも纒向が水垣宮なら垂仁天皇が遷都したのはどこだ?って話になる。

邪馬台国と大和王権が一体のモノであったとすると、
最大のライバルである狗奴国との闘争が記紀に出ていないのはおかしい。

812:日本@名無史さん
09/11/30 18:04:20
>>809
卑弥呼ネタなら視聴率が上がるし卑弥呼まんじゅうも売れるけど、
崇神天皇じゃ扱いが難しすぎるし、視聴率も取れないから

813:日本@名無史さん
09/11/30 18:11:22
崇神天皇の記述がある程度史実に近いとすると、
崇神天皇は倭大国魂神を祭ろうとして失敗している。
これはどう解釈するんだろう?

少なくとも卑弥呼=モモソヒメ、崇神=弟王は有り得ないかな。

814:日本@名無史さん
09/11/30 18:16:05
>>811
壹與が最後に文献に登場するのが266年って
それトンデモだから。

815:日本@名無史さん
09/11/30 19:17:03
>>799 河童虫 ◆EY2wfgakAQ さん

君ら九州説のボスだよ
URLリンク(www.saga-s.co.jp)

816:日本@名無史さん
09/11/30 19:34:51
まぁ、それだけではなく、もしも纒向が水垣宮だったということになると、
魏志倭人伝で記されている邪馬台国の様子=崇神天皇の時代の様子ということになる。
つまり卑弥呼を崇神天皇と置き換えて考えても良いことになり、崇神天皇の時には、

・男は、大人も子供も、みんな顔にいれずみをして体に文字を書いていて、朱丹を体に塗る化粧をする。
・男は髪をお下げにして束ねて結んだだけで縫わず、木綿の布を頭からからかぶり冠はかぶらない。
・みんな裸足で、一重の布を真ん中に穴をあけて首から通した服を着ている。

・稲と麻など繊維をとる植物を栽培したり、蚕をに桑を与えて糸を紡いで、絹糸や綿糸などを作る。
・真珠や青玉がとれる。
・山は赤土。
・牛、馬、虎、豹、羊、鵲などはいない。
・温暖で、冬も夏も生野菜を食べる。
・ショウガ、タチバナ、サンショウ、ミョウガなどもあるが食べない。
・酒を飲み、食事は竹の器を使い、手で食べる。
・会合の時、席次には、父子、男女の区別がない。
・家には部屋があり、父母、兄弟、別々に寝る。

・国ごとに市があり、身分の高い倭人が監督して、お互い、あるものないものを交換し合う。
・大人に敬意をあらわすときは、手を打ってから、ひざまずく。

・武器には、矛、楯、上が長く、下は短く、鉄の矢じりを使う木弓などをもちいる。
・税を徴収し、納められた税を、入れる倉庫もある。
・北に、一大率という指令官を置いて、諸国を監視させている。
・一大率は王の使いが魏の都、洛陽や帯方郡や韓国から帰還した時、
 また、郡の使節が倭国へ行く時に、文書とか送り物とかを点検し、
 不足や食い違いがないようにもしている。

こととなる。

817:日本@名無史さん
09/11/30 19:45:26
つまり、纒向周辺の発掘が進めば進むほど、邪馬台国よりも近代的な都市構造の様相が強くなり、
倭人伝で記されている邪馬台国の様子とは、どんどんかけ離れていくと思うのだが・・・・。

それが卑弥呼と同じ3世紀前半という時期であることから、
3世紀前半に纒向周辺に大型の建物を複数有する都があったのは事実だけど、
それは倭人伝に記されている邪馬台国には収まりきれないほど近代的で大きいモノであるから、
卑弥呼の時代にあった邪馬台国とは別の国の都

・・・という結論になると思うよ。

818:日本@名無史さん
09/11/30 19:50:34
卑弥呼って本当に人だったのかね?

819:日本@名無史さん
09/11/30 20:02:34
>>818
卑弥呼=天照大神 だよ。

820:日本@名無史さん
09/11/30 20:42:51
アマゾン奥地で暮らす旧モンゴロイドの子孫ヤノマミ属。
彼らこそ、邪馬台国の風俗と同じ起源の風俗、習慣を色濃く残していると見て間違えない。

URLリンク(guide.travel.goo.ne.jp)


821:日本@名無史さん
09/11/30 20:53:14
>>811

>最大のライバルである狗奴国との闘争が記紀に出ていないのはおかしい。

狗奴国=毛野国は、崇神のときに降伏した。


822:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
09/11/30 20:53:28
>>815

>君ら九州説のボスだよ

いらない。君にあげるよ

823:日本@名無史さん
09/11/30 20:59:31
>>820
間違えない でね



824:日本@名無史さん
09/11/30 21:22:15
>>800
>魏志倭人伝に出てくる位置・距離を示す記述が
>明らかに近畿ではないことはどう処理してるのですか?

明らかに九州でも、その他の日本のどこかでもないな。
畿内説も九州説もそれなりに処理してるんだよ。

825:日本@名無史さん
09/11/30 21:24:52
魏志は途中まで距離やら方角やら詳細なのに、途中からいきなりいいかげんになるな

826:日本@名無史さん
09/11/30 21:31:59
距離と方位について言えば、
四国・徳島説が最有力。

827:日本@名無史さん
09/11/30 21:38:31
>>825
参照した一次資料が別物なんだよ。
途中からは、いいかげんなやつが書いたものしかなかったんだ。

828:日本@名無史さん
09/11/30 21:40:08
魏使の報告書なんて本当にあったの?

829:日本@名無史さん
09/11/30 21:45:39
これはマジで卑弥呼の弟=崇神天皇は間違いないな
卑弥呼はやはり倭迹迹日百襲姫命、台与は倭姫命か
当然系図はいくらか誤記があるとみるが
崇神天皇から突然詳しく記述されるのも、倭国大乱を収めた人間なら当然だな

830:日本@名無史さん
09/11/30 21:53:16
>>811
>最大のライバルである狗奴国との闘争が記紀に出ていないのはおかしい。

だから、なかったんだって。そんな闘争。

>のちの壱与が女王になった際の混乱の経緯が何も記されていないのはおかしい。

ついでに言えば、卑弥呼と壱与についても知らん顔してるのさ。
中国への朝貢はなかったことにする。のちの五王についても同じだろ?

831:日本@名無史さん
09/11/30 21:58:23
>>828
さあね。そんな証拠は残ってないからね。でも、報告書ぐらい書くのが普通だろう。
それに、外交記録の記述は何をもとにしたのかって考えてごらんよ。

832:日本@名無史さん
09/11/30 22:05:49
狗奴国は毛野国だろう
中国への朝貢はなかったことにするってのはそのとおりだな、見事なくらい一貫してる
記紀を編纂した人間、時代の人はいったいどのくらい昔まで歴史としてきっちり把握してたんだろうな

833:日本@名無史さん
09/11/30 22:12:02
>>831
外交記録は中国に残ってるもの。おそらく魏ー晋とそのまま受け継がれた。魏使の報告書はそうではない。

834:日本@名無史さん
09/11/30 22:30:51
魏志倭人伝にも「邪馬登国」と書かれているのに誰が邪馬台国と書き直した?
本居宣長か
魏志倭人伝には「邪馬登国」と書いてあるじゃん。

835:日本@名無史さん
09/11/30 22:31:59
>>832
記紀を編纂した時代は白村江から立ち直り、中国に対抗できる主権国家をつくるのに必死だったろうね。

836:日本@名無史さん
09/11/30 22:33:55
>>833
だからその外交記録は何をもとにして書かれたか考えてごらんよ。

837:日本@名無史さん
09/11/30 22:36:40
始まりました。スペシャルドラマ 「坂の上の雲」 (2009年放送開始・全13回・各回90分)
スレリンク(news板)
スレリンク(nhkdrama板)l50
当時の日露戦争の報道
URLリンク(www.youtube.com)

838:日本@名無史さん
09/11/30 22:42:46
>>836
倭人が中国内で行動した記録、魏朝が倭王に出した文書、難升米らを任官した文書。魏朝が郡に
使の派遣を指示した文書等々・・・これらすべて魏の朝廷内に写しが残ってると考えられる。しかし、
魏使の報告書なるものがあって、魏の朝廷まで届いたという確率はそれよりずっと低いだろう。

839:日本@名無史さん
09/11/30 22:48:10
>>838
ふむ。では「卑彌呼以死」から「政等以檄告喻壹與」までは、
なにをもとにして書かれたんだろう?

840:日本@名無史さん
09/11/30 22:48:45
そんな事いくら考えても答は永久に出ない。
無駄骨だよ

841:愛知県民
09/11/30 22:50:58
応神・仁徳・雄略は呉と通交したとある。
書紀は南朝への遣使を隠していない。

842:日本@名無史さん
09/11/30 22:58:58
>>839
単なる郡からの伝送かもしれない、「張政はうまくやったようです」とか。それは魏帝証書のような引用
ではないから。しかも倭人伝または魏略が書かれたのはずっと後代のこと、伝聞を総合したのかもしれない。

843:日本@名無史さん
09/11/30 23:04:41
>>841
朝貢して柵封されたって話じゃないでしょ。

844:日本@名無史さん
09/11/30 23:13:21
>>842
張政は「詔書、黄幢を齎し」ているんだから、一応勅使だよ。

>「張政はうまくやったようです」

でいいのか? 郡の長官として。

まあ、確かに答えは出ないけどな。好きでやってんだからいいんじゃね。

845:日本@名無史さん
09/11/30 23:25:32
>>844
いや、魏使の報告書が絶対なかったとはいってない。ただ、伊都国に常駐するという郡使でもわかる
範囲内は詳細で、投馬国以降が漠然としてるのはやはり疑問で、ここに様々な解釈が入り込む余地が
できてしまう。

846:日本@名無史さん
09/11/30 23:33:46
>>845

詳細とか漠然なんて、所詮貴方の主観的なもの
個人的な主観を用いても、何も解決出来ません。
書のどこに詳細とか漠然とか書いてあるのですか?


847:日本@名無史さん
09/11/30 23:37:45
>>846
書いてないけど、各クニに関する記述の字数を比べるなどはできる。それを言うなら魏使の報告書を
含めて、書いてないことはすべて主観になってしまう。

848:日本@名無史さん
09/11/30 23:57:00
>>847

違うだろう。
字数が多いとか少ないとかは関係ない。

「郡使がわかる範囲」とか勝手に範囲の想定したらり、「投馬以降が漠然」なんて
一体投馬の何をどう書けば漠然という文字から詳細に変更できるんだね?
投馬も情報は漠然ではなく、あれ以上あれ以下のない情報なんだよ

書いていないことを述べることを主観というのではなく、自分だけが持ってるモノサシ
を用いているから主観と指摘したんだよ


849:日本@名無史さん
09/11/30 23:59:07
>>845
その疑問は当然だ。その解答として、
伊都国の前後で参照した一次資料が異なるってのが一つの解釈として成り立ちうるわけだ。

850:日本@名無史さん
09/12/01 00:02:04
>>808
ローガンさん。ありがとうございました。
また、よろしくお願いします。

851:日本@名無史さん
09/12/01 00:07:46
>>848
>一体投馬の何をどう書けば漠然という文字から詳細に変更できるんだね?
  投馬も情報は漠然ではなく、あれ以上あれ以下のない情報なんだよ

意味がわからないな。陳寿は(あるいは魚豢は)持ってる情報しか書けないし、投馬国に関しては
方角、日数、官名、戸数くらいしかわからない。これを漠然としていないと言い張るのはそれこそそ
ちらの主観ではないのかな。

852:日本@名無史さん
09/12/01 00:10:07
伊都国についてはあの文字数を使わなければ100%ではないし、投馬国はあの字数で100%なんだよ
だからどちらが詳細でどちらが漠然なんていう比較はできない。
どちらも100%の情報なのさ

それとも>>847
貴方は投馬に関して何か他に情報を持っているのかな?
他に情報を持っているから「漠然」という言葉を用いたのだったら、
貴方の発言を理解することが出来るが


853:日本@名無史さん
09/12/01 00:18:35
>>851

>陳寿は(あるいは魚豢は)持ってる情報しか書けないし

持っている情報だけを書けばいいんだよ
他にこのようなデータがあるにもかかわらず、これだけしか書かなかったというのなら
漠然と書かれたとか、簡略化して書かれたという表現を使う事が出来るが
そのデータが無い以上、持ってるものを最大限使用した。
最大限使用したのだから「漠然」ではないだろう。
つまり、貴方の頭の中で勝手のモノサシ用意しちゃうから、詳細とか漠然という比較するような表現が使用されてしまうんだよ


854:日本@名無史さん
09/12/01 00:24:35
>>851

>投馬国に関しては 方角、日数、官名、戸数くらいしかわからない。

あなたは「~ぐらいしか」と言ってるようだけど
他に何が必要なわけ? これとこれが抜けているとか、具体的に示せるの?


855:二 ◆.L.MXSPOgc
09/12/01 00:56:14
>>沖ノ島
女人禁制だったのですね。
でも神功皇后はこれを通ったのではなかったでしたっけ?

>>845
>>投馬国以降が漠然としてる
そんなこともないと思うのですが。
私の説では、けっこうちゃんと書いてあることになります。

↓久しぶりの宣伝w
URLリンク(yamat-2007.blogspot.com)

856:日本@名無史さん
09/12/01 01:02:32
>>855
沖ノ島に上陸したの?横を通るだけなら問題ないけど。
つーか、神功皇后の頃から禁忌があったのか?

857:日本@名無史さん
09/12/01 03:50:30
>>821 >>832
毛野国・・・つまり、3世紀の関東に、邪馬台国と張り合えるほどの強大国の存在について考古学会はきわめて否定的だよ。



858:日本@名無史さん
09/12/01 03:55:14
>>829
倭迹迹日百襲姫命は崇神天皇のひいじいちゃんの孝霊天皇の娘だぞ?
崇神天皇にはねえちゃんも妹もおらんよ。

859:日本@名無史さん
09/12/01 05:04:31
>>857

テレビ東京の歴史ミステリーって番組で、古代関東の王国の特集やってたよ。


860:日本@名無史さん
09/12/01 06:59:50
test

861:愛知県民
09/12/01 07:50:30
崇神が中国に朝貢したなら、仁徳のように逆にするか、
雄略のように交易記事として書けばよい。
そんな記録が無かったのでしょう。

862:日本@名無史さん
09/12/01 08:33:17
>>858
系図はいくらか誤記があるとみるといってるだろ
魏志の記述が間違ってるか系図が間違ってるか・・
いずれにしろ纒向=水垣宮=邪馬台国、崇神=倭国大乱を鎮めたってのは間違いないんじゃないかな?

863:日本@名無史さん
09/12/01 08:42:23
卑弥呼が君臨すれども統治せずの象徴国王か、宗教指導者であり、
実質的な王が別に居て、その王が後に天皇認定されている可能性もあるのでは?

864:日本@名無史さん
09/12/01 09:00:09
>>863
もちろんそうだろう
常識で考えて戦乱の古代社会で女がトップに立ってリーダーシップを発揮し戦乱を収めるなんて不可能だ
ましてや卑弥呼はただの巫女なんだし
初めは象徴としてのトップである卑弥呼や台与が行っていた神道の祭祀をそのうち天皇が兼ねるようになったんだろうな
実権は一貫して弟が握っていたが魏の使者が巫女というものを理解できず女王としてしまったと、そんなとこか


865:日本@名無史さん
09/12/01 09:20:37
>>858
百襲媛が巫女の長のような地位に着いたときは弟の孝元天皇が政務を執っていたのかも
卑弥呼は年長大にしてとあるから 死んだときは執政していたのはその弟の子孫の崇神天皇だったのかも

866:日本@名無史さん
09/12/01 09:22:20
色んな可能性があるということだね。

867:日本@名無史さん
09/12/01 09:44:11
>>855見たけど、いろいろ変な情報が錯綜した結果があの行程記事だ、というわけですね。
しかし、出てきた結論を見ると、首を傾げざるを得ません。
郡から邪馬台国までが水行10日、陸行1月だとのことですが、
実際に、郡から洛陽まで卑弥呼の使いが、239年6月から12月までの6ヶ月かけて行ってるんですよ。
水行6ヶ月が2400kmだということは、水行10日はわずか130kmです。
これに陸行1月を加えても、これを現在のソウルにあった郡から邪馬台国までの距離だとすれば、
邪馬台国は朝鮮半島の外に出られなくなってしまいますよ。

868:日本@名無史さん
09/12/01 09:57:23
>>855
かなり恣意的ですね。持説に甘すぎ

869:日本@名無史さん
09/12/01 10:24:51
畿内説だとしても、「女王国連合の南限」にクナ国があるんだから
クナ=熊襲ではいかんのですか?
女王国の元々のお膝元で貿易の要所である北部九州が圧迫されてるとか

870:日本@名無史さん
09/12/01 10:35:29
>>869
たとえば昔の日本地図なんかをみてみるとみごとに九州が一番北で本州が南に向かって伸びてる
倭人伝を編纂したとき当時の地図に従って行程を記述したとすれば畿内の南が関東になる
地図ってのは時代が下るにつれて正確になることはあっても狂っていくことはないから当時の地理感覚
は今の地理感覚とはまったく違ったものだったはず

871:日本@名無史さん
09/12/01 11:15:35
>>870が言ってる昔の地図が、何時の時代の地図かはわからないが
時代を遡れば遡るほど
位置がズレてくるなら、今と同じ感覚の時代が存在してもいいことになる。
方位なんて、最大ズレても359度以上ズレる事はない。
360度ズレてたら、ズレてる事すら気付かない。

872:日本@名無史さん
09/12/01 11:23:21
しかし、崇神天皇の時代って、昔はもっと後(4世紀半ば?)のことって
話になってなかったっけか

873:日本@名無史さん
09/12/01 11:32:42
>>871
>今と同じ感覚の時代が存在してもいいことになる

なぜそうなるw
もしその地図が完璧な整合性をもってればそこから変わることなんかないだろ
改善の余地があるから変わっていくんだよ


874:日本@名無史さん
09/12/01 11:46:34
>>873
改善の余地なんて現代感覚だよ
改善の余地で修正された地図が90度ズレてる場合は、それ以前はもっとズレているわけだよ

875:日本@名無史さん
09/12/01 11:49:49
URLリンク(ch.kanagawa-museum.jp)
これは奈良時代の地図の写本だが確かにさかさまだな
時代がさかのぼってこれより正確になるなんてことはないだろうから
今の地理感覚で議論しても永遠に答えなんて出るわけないわな

876:日本@名無史さん
09/12/01 11:56:22
>>874
君は時代が下るにつれ日本の地図が一回転したとでも言うのかい?
どんなにずれても180度以上ずれようがないだろうがw
3世紀の人間が今とほぼ同じ日本地図を皆頭に描いていたと思ってるのかい?

877:日本@名無史さん
09/12/01 11:57:33
>>375
その認識は違うよ

古代に於いて、現代に近い近い地図認識があっても、次の世代にそれを否定する考えが生まれれば
現代から見て間違った地図が描かれる。しかし、その時代はそれが正しい見方だった。
そしてまた次の世代が、次の世代の認識で地図を描く。

答の用意されていない時代とはそういう世界だよ

878:日本@名無史さん
09/12/01 12:05:05
>>877
否定した考えってなんだ?
測量技術なんて進歩することはあっても後退することなんてないはずだが、そういう例を教えてくれるか?

で、君は3世紀の人間が今とほぼ同じ日本地図を皆頭に描いていたと思ってるのか

879:日本@名無史さん
09/12/01 12:06:35
どう考えてもあの時代に正確な地理が分かるわけがない。
あのころに車が走っていたというようなもんだ


880:日本@名無史さん
09/12/01 12:08:59
中国の地理測量技術が飛躍的に発達したのはヨーロッパからの技術輸入。ずいぶんあと。

881:日本@名無史さん
09/12/01 12:14:20
おれもこの辺はいつも疑問に思っていた
倭人伝に書かれている行程をなぜ現代の地図でああでもないこうでもないと言ってるのか?
そしてそのまま計算すれば九州越えて海の上だってのに解釈がどうのと・・
当時の地図が今と違ってたと見るほうが合理的だよな
>>875の地図を見てなんか納得できたわ

882:日本@名無史さん
09/12/01 12:15:11
何をトンチンカンな事を言ってるんだ
今見比べられてる地図が、全て測量技術の進歩に平行して書かれた地図と言う保証があるのか?
ある地図は、当時の最新技術で描かれたかも知れないし
あるものは、何かの文献から読み取った地図かも知れない
そんな根本的な統一性もない地図を、ただ年代順に並べる事に何の意味があるのかな?
正史のように、王朝交代毎に書かれたものではないだろう。
比較の仕方が間違っているんだよ

883:日本@名無史さん
09/12/01 12:18:51
>>882
あの時代に地理的な測量技術もってるはずがない。地理測量は建物とか
墳墓とかの設計とはくらべものにならない

884:日本@名無史さん
09/12/01 12:27:18
>>883
だったら尚更地図を年代順に並べる作業は愚かしい。

885:日本@名無史さん
09/12/01 12:30:07
>>884
魏時代はさらにいいかげんなものであることは間違いない

886:日本@名無史さん
09/12/01 12:32:24
>>875
この地図、上が北だって書いてあるの ?


887:日本@名無史さん
09/12/01 12:34:36
まあ当時の人間の頭に現代の地図が浮かんでるなんてことはありえないわな
当時の地図は当時の常識。
仮に倭の部分が想像で描かれたようなレベルだったとしても歴史書に
そのまま進んだら海に出てしまうような記述は書けるはずがないからな
まあ>>875に近かったんだろうなぁ


888:日本@名無史さん
09/12/01 12:35:36
>>886
URLリンク(homepage3.nifty.com)

889:日本@名無史さん
09/12/01 12:38:13
書いてない。

890:日本@名無史さん
09/12/01 12:39:58
>>886
URLリンク(upload.wikimedia.org)
この日本部分は>>875の元の行基図を参考にして書かれた地図らしい

891:日本@名無史さん
09/12/01 12:40:42
しかし、この度の宮殿の復元模型は、あまりにも伊勢神宮内宮を意識し過ぎてはいないかね?


892:日本@名無史さん
09/12/01 12:50:21
>>886
古いものは北をさし、新しいものは東西になってる。つまりあとの時代の方が正確だ



893:日本@名無史さん
09/12/01 12:53:05
>>892
どちらも正確です。
書かれた時は、それが正しいと信じて書いたものですから

894:日本@名無史さん
09/12/01 12:55:46
>>892
それは後の時代に方角を調整しただけの話だよ
当時は>>875という認識だったろう

895:日本@名無史さん
09/12/01 12:57:00
んじゃ、おもいっきり畿内じゃねーか!

896:日本@名無史さん
09/12/01 13:16:41
はじめから、畿内だという話だったが?

897:日本@名無史さん
09/12/01 13:32:03
行基の時代に東西と南北の認識がズレてたみたいな説を出してるけど、五畿七道制度はどう考えるのさ?
九州は西海道だぜ?
関東は東海道だぜ?

898:日本@名無史さん
09/12/01 13:33:14
三角測量の技術なかったら正確な2点間の距離なんて無理

899:日本@名無史さん
09/12/01 13:36:49
>>897
中国との位置関係はそれとは関係ないのでは?
URLリンク(www.city.kobe.lg.jp)




900:日本@名無史さん
09/12/01 13:39:40
古代の日本では地図は西を上に書くのが普通だった。
古代の中国では地図は北を上に書くのが普通だった。
古代中国人は日本から送られた地図を見て、
西と北を誤認して中国の地図に写し取った。

と、いうこと?

901:日本@名無史さん
09/12/01 13:49:18

2点間のまともな距離と方角わかるようになったのは昼も夜も包囲が分かる
コンパスと三角測量が行われるように
なってからだろ。それまでは「道」中心

902:日本@名無史さん
09/12/01 13:55:22
>>862
うーん・・・・、いくらなんでも、ひいじいちゃんの娘を姉とか間違うかなぁ・・・・・。
医療が進んで寿命が延びた現代ですら、ひいじいちゃんが生きている人なんて、
そうそういないし、時間がズレ過ぎているんじゃないだろうか・・・・。

そして倭国大乱だけど、倭国大乱はそれまで代々男王が納めていた倭が、
女子を王にすることで収まったという話だから、それがもし、崇神天皇なら、
崇神は負けて王位を降りたという話になる。
そして卑弥呼の死後、再び男王が復活しようとしたけど、誰も従わずに、
結局、王はその後、女子の壱与にも引き継がれている。
そして、その誕生の経緯には、魏も深く関わっている。

崇神の四道将軍派遣は、天皇勝利・福島から北九州までに及ぶ、広範囲を勢力下に措いたという、
天皇の完全勝利のストーリーだから、倭国大乱とオーバーラップするのはどうかなぁ・・・・。
むしろ、出雲神話の国譲りのほうがしっくりくるんだけど・・・・。

903:日本@名無史さん
09/12/01 13:57:17
つまり、
天皇が出現する神武東征前までの出来事は、
北九州から畿内までの当時の日本=倭を納めていた出雲の衰退と、
その後の実権を握ろうとする畿内・北九州勢の覇権争いを描いたモノ。

覇権争いは、畿内勢力が大国主命を取り込み、改革の名の下に組織を変更しようとしたことから表面化し、
その後、それに対抗して北九州勢が大国主命の息子を取り込んで、北九州勢が勝利し、
卑弥呼の孫を派遣することで出雲を手中に収め、倭の実権を握る。
これが倭国の争乱。

そして北九州勢の女王・卑弥呼の死後、再び、畿内勢と北九州勢で倭の覇権の綱引きが始まる。
しかし畿内勢が出雲を蔑ろにしたのが原因で、肝心の出雲のカムヤマトイワレヒコが北九州側になり、
近畿勢は逆賊とされて討伐され、再び近畿勢が勢力をぶり返さないよう、
神武天皇となった出雲のカムヤマトイワレヒコが畿内に留まった。
これが神武東征。

そして神武天皇の死後、今度は、出雲の血を引く神武以後の畿内勢と、邪馬台国の血を引く北九州勢の覇権争いとなり、
最終的には出雲の血を引く畿内勢が勝利し、倭の国の実権を握り、倭から日本へと変化する。
これがタギシミミの反逆。

なんじゃないかな。

904:日本@名無史さん
09/12/01 14:05:02
>>901
地図に関して言えば、当時は道具はほぼ、なにもなかったろうから、
東西南北の感覚は、移動の際に最も重要で、よりいっそう優れていたんじゃないだろうか。
倭国への行程のみならず、どんな移動でも、
距離感は間違っても、目的地には着くけど、南を東と間違えば、目的地には一生着かないからねぇ。
つまり、「ここから東に行け」と言われたら、万人が万人、全て同じ方向に向かって歩き出す
現代の東西南北とあっているかどうかは別として、ある方向を指して、
これは東西南北のどちらの方角か、と訪ねると、みんな同じ答えを言う。
みたいに、東西南北の感覚は、共通のモノだったと思うよ。



905:日本@名無史さん
09/12/01 14:07:10
>>904
中国には南を知る道具が存在した。

906:日本@名無史さん
09/12/01 14:10:52
>>904
>南を東と間違えば、目的地には一生着かないからねぇ。
いくら200Kmで走れといわれても新幹線がないと無理だろ?
技術ってそういうもんだと思う。

外国の場合は案内役がつくからあまり関係はないかと。魏にとって倭は直接の脅威はないし。
何百回も往来してたわけじゃないだろう。

907:日本@名無史さん
09/12/01 14:12:51
陳寿の三国志って地理志ないし、ほとんどが出来事とか人口とか歴史中心で地理には
無頓着だったのかも。

908:日本@名無史さん
09/12/01 14:20:03
>>892
男王が納めていた倭が、女子を王にすることで収まったというのはあくまで魏の認識だろ?
一方日本側の記録ではその時代に女が王になった記録などない
卑弥呼は神道の祭祀を行う巫女であくまで形式的なトップで大王は一貫して崇神天皇だったんだろう
魏の使者が巫女というものを理解できず女王と判断してしまったとみるべきだと思うが

909:日本@名無史さん
09/12/01 14:20:25
>>906
だからそれは、距離の話だろっての。
方向は、新幹線が無くても、200キロで走らなくても、目指すことは出来る。
そして、当時は、東に行けといわれれば東に、西にと言われれば西に、
皆があっちだと同じ方向に向かって歩き出す東西南北が並列感覚が当たり前だった。

その感覚をもって行程を歩く?行くんだから、距離は?だけど、方角はほぼ正しい・・というか、
ある一定の閾値で書かれていると思うよ。

910:908
09/12/01 14:21:08
アンカーミス
上のは>>902宛ね

911:日本@名無史さん
09/12/01 14:23:32
>>908
それならば、卑弥呼に対する記述より、その弟に対する記述が多く書かれているはずだよ。
現代でも、日本に来る外国の使節は、もちろん天皇にも拝謁するけど、
実務を話し合うのは総理大臣だし。

912:日本@名無史さん
09/12/01 14:25:28
>>904
古代のほうが地図が正確とかないわ
正確な地図があるならそこからズラす必要なんかないんだから

913:日本@名無史さん
09/12/01 14:26:30
>>911
それは現代の常識でしょ?

914:日本@名無史さん
09/12/01 14:31:35
>>911
だから政治の補佐は弟が行っていたと書いてあるだろう
魏が卑弥呼をトップと認識したなら卑弥呼をメインで書いてもおかしくない
ってかマジで戦乱真っ只中の古代国家で卑弥呼が指揮を執り倭国大乱を収めたと思えるか?
しかも卑弥呼はただの巫女だぞ?それなら当然実権は別にあったと見るべきで纒向が水垣宮なら
当然崇神がでてきておかしくない、それどころか崇神の功績を考えればまさに倭国大乱の平定と
大和王権の確立ときてぴったりだと思うが

915:日本@名無史さん
09/12/01 14:32:04
>>913
いやいや、倭人伝でも、同じだよ。
たとえば伊都国。
ここは、伊都国の王と、卑弥呼が派遣している役人がいることが記述されているが、
役人に対しては、官・副官の氏名が書かれているけど、
伊都国の王に関しては、代々いるけど邪馬台国に属しているとしてしか書かれていない。

もしも邪馬台国が伊都国と同じような二重構造で有れば、実権のない女王に対しての記述よりも、
実権があり、全面に出てくる弟の記述が多くなってしかるべきだよ。

916:日本@名無史さん
09/12/01 14:33:51
>>914
自分の変わりに卑弥呼を王にすることが、大和王権の確立とは思えないよ。

917:日本@名無史さん
09/12/01 14:37:15
>>916
卑弥呼を王としたなんて誰が言ってるの?
卑弥呼は神道の祭祀を行う象徴的な存在だろ

918:日本@名無史さん
09/12/01 14:42:52
女子を王とすることで平定したというストーリーから、
倭国争乱が伝聞されているとすれば、それは、大国主命がアマテラスに国を譲ったという、
出雲神話のほうがピッタリ来るよ。

919:日本@名無史さん
09/12/01 14:45:09
>>912
君の正確な地図とは、現代の地図と比べているのだろう?
そんな未来の地図と比べて何か意味があるのかね?
当時書かれた地図は、当時あれが最高に正確な地図なのよ。
今の地図が現在知る限りでは正確な地図のように。

920:日本@名無史さん
09/12/01 14:46:26
>>917
その年の十二月、皇帝から倭の女王に詔が下される。

倭・邪馬台国・崇神が、卑弥呼を王だとしていなければ、
魏も卑弥呼のことを女王とは呼ばんだろ(笑)

921:日本@名無史さん
09/12/01 14:46:30
>>9
中国のサイトでは三国志中の1里を298.65mて書いてたし、
こういう論争と無関係な日本人は600mと書いてたな。

922:日本@名無史さん
09/12/01 14:48:22
>>920
ひめこさまとでも呼んでたと思うけどな

923:日本@名無史さん
09/12/01 14:52:08
当時は実務をこなす男王より神事を司る女王のほうが
重要視される、王権<神の時代だったのでしょう

924:日本@名無史さん
09/12/01 14:57:47
>>875の地図を見るとおおむね日本の形はよさそうなので、この地図を紹介した人が間違えたんだね。
だって、昔から太陽は東からでて、西に沈むんだから、東西方向は間違えないでしょう。

925:日本@名無史さん
09/12/01 15:02:56
まだ中央集権体制がしっかりしてなくて連合政権の形が
不安定だったのかもな。
で、象徴としての卑弥呼が必要になった。

926:日本@名無史さん
09/12/01 15:18:39
>>924
日本にいるかぎり、太陽が真東から昇ることはありえない。

日中、時計が無い状態で、東西南北を正確に言い当てるのも不可能。


927:日本@名無史さん
09/12/01 15:38:31
>926
定点観測すれば、ほぼ正確に出るよ。
移動しながらでは難しいだろがね。
ただ、人間の感覚は馬鹿にならないと思う。
現代のように機器に頼り切った人類と、
古代のような何も無い時代の人々では、
方向感覚、距離間隔もかなり差があると思う。


928:日本@名無史さん
09/12/01 16:11:58
女王卑彌呼とは誰だったのか?
又、邪馬壹國とは何処にあったのか? 古代最大の謎に挑む!


929:日本@名無史さん
09/12/01 16:45:17
>>915
その必然性は全くないと思う。中国の歴史なんて帝紀なんだから位が高い倭国の代表者
である王が中心になるのが当たり前。陪臣よりは王の皇帝に対する振る舞い方が中心になる。
クナ国でも王のことしかかいてないでしょ

930:日本@名無史さん
09/12/01 16:45:28
あなたが今いる場所も邪馬台国と言える!
ただ卑弥呼がいた場所の特定。この最大の謎に挑む!!

931:日本@名無史さん
09/12/01 17:44:48
>>919
あのね、君の主張をみんなに認めさせたいならその正確な古代地図とやらを出さなくちゃ話にならないだろう
測量技術がない時代は正確な地図があったwとかいうトンデモ論なんてよ


932:日本@名無史さん
09/12/01 17:59:37
>>920
だから象徴としてのトップだといってるだろ
象徴でも邪馬台国がそういえば魏は卑弥呼を女王と呼んでも不思議はないわ
巫女が本気で国家運営してたと思ってるのか?
現実に日本側の記録にその時代に女王はいないんだぞ?

933:日本@名無史さん
09/12/01 18:28:59
904は古代人が距離は間違って方角は正しいと言ってるのに
いつのまにか古代人が正確な地図を持ってたかのような主張にすりかえられてるな。
さすが畿内説論者はやることが汚い。

934:日本@名無史さん
09/12/01 18:39:08
んじゃ、それより古い方角のあってる地図を出せればいいんじゃね?

935:日本@名無史さん
09/12/01 18:40:45
近所に邪馬台国ってソープランドあるんだけど・・・

936:日本@名無史さん
09/12/01 18:51:16
てか地図ってのは一番の大元はまずだれかが想像で描く物だろ?
その実際とは似ても似つかないものを必要にせまられ測量によって段々と正確になっていくものだろ
島の数をあわせていき方角をあわせて、、と、で>>875の地図はその途中段階なわけじゃん
魏の頃の倭の地図なんて想像で描かれた段階みたいなもんだろうからもし古代人が東西南北わかってようが
当時の地図にあわせて行程を記述すれば方角だって変わるのが当たり前だよな

937:日本@名無史さん
09/12/01 20:01:59
そもそも南が暖かいという概念さえ無かったんじゃないか?
地球が丸い事も知らないんだしw

938:日本@名無史さん
09/12/01 20:06:03
>>933
だからその正確とは、一体何と比較してるの?

939:日本@名無史さん
09/12/01 20:29:48
そもそも九州が西海道で畿内南部が南海道って
おかしいだろう。
明らかに九州の方が緯度で南にあるし
ごく近代まで方角多少ずれてたって事だろう。

940:日本@名無史さん
09/12/01 20:38:59
そろそろ終止符に終止符を打ったらどうだ?
シナ歴史書の以下のことが日本と完全に符合するとでも本気で思ってんの?

建武中元二年(57年) - 倭奴国が金印を授与される。『後漢書』
永初元年(107年) - 倭国王の帥升が安帝に拝謁を願う。『後漢書』
倭国、男性を王とした七、八十年
桓帝と霊帝の間(146年 - 189年) - 倭国大乱。『後漢書』
光和年間(178年 - 184年) - 卑弥呼が共立され、倭を治め始める。『梁書』
景初三年(239年) - 卑弥呼、初めて難升米らを中国の魏に派遣。魏から親魏倭王の仮の金印と銅鏡100枚を与えられる(『三国志』では同二年(238年))。
正始元年(240年) - 帯方郡から魏の使者が倭国を訪れ、詔書、印綬を奉じて倭王に拝受させた。
正始四年(243年) - 倭王は大夫の伊聲耆、掖邪狗ら八人を復遣使として魏に派遣、掖邪狗らは率善中郎将の印綬を受けた。
正始六年(245年) - 難升米に黄旗を仮授与(帯方郡に付託)。
正始八年(247年) - 倭は載斯、烏越らを帯方郡に派遣、援を請う。難升米に詔書、黄旗を授与。
正始八年(247年)、またはその直後
卑弥呼が死に、墓が作られた。(『梁書』では正始年間(240年 - 249年)に卑弥呼死亡)
男の王が立つが、国が混乱し互いに誅殺しあい千余人が死んだ。
卑弥呼の宗女「壹與」を十三歳で王に立てると国中が遂に鎮定した。
女王位についた壹與は掖邪狗ら20人に張政の帰還を送らせ、掖邪狗らはそのまま都に向かい男女の生口30人と白珠5000孔、青大句珠2枚、異文の雑錦20匹を貢いだ。
泰始元年(265年 - ) - 倭の遣使が重ねて入貢。『晋書』邪馬台国からの最後の入貢。

941:日本@名無史さん
09/12/01 20:42:01
>>937
てか「方角」の概念を持ってる日本人(と便宜的に言うが)がいたかどうか。

942:日本@名無史さん
09/12/01 20:54:04
>>940
中国の古文書も日本の古文書も鵜呑みにしてはならないでしょう。
卑弥呼が90歳まで生きたというのは、さすがに嘘ではないかと思うし、
古代の天皇が、100歳以上の長命を誇っているのもどうだろうか。
宮内庁が陵墓にしている箸墓古墳などを全面調査して、仮に決定的なものが出土した場合は、
日本の古代史が大きく姿を変える可能性もある。
でも、その日は来ないかも・・・。

943:942
09/12/01 20:55:54
している×
指定している○

944:日本@名無史さん
09/12/01 21:03:27
>>942

この話は永久に符合しませんよ(永久にわからないまま)
なぜなら、卑弥呼擁立の元が倭国大乱だからです
日本史上最大の内乱は壬申の乱
672年ですよ
卑弥呼以前に、この倭国大乱の事実が日本側にないですよ


945:日本@名無史さん
09/12/01 21:27:08
記紀の時代には、数百年前の卑弥呼時代には斎王の権威が
大王より強かったとは想像できなくなってたんでしょう。

946:日本@名無史さん
09/12/01 21:31:09
>>942
倍年暦なら当時の常識的な寿命だろ。
逆に百数十歳以上の記録もないわけだし。
でたらめな寿命なら500歳、1000歳もあってもいいはずだがそれはない。

947:日本@名無史さん
09/12/01 21:43:16
>>929
クナ国は、王が実権を握っていたと考えるのが自然。
伊都国の例でもわかるとおり、卑弥呼が象徴で、交渉や渉外は別の者を通さなければ
何も出来ないので有れば、弟の記述が必ずあるはず。
ただ、政治を助けているという話しか出てこないのは、弟は邪馬台国で、
それぐらいの存在だったと言うことに他ならないよ。

>>932
だから、崇神天皇が自分の変わりに卑弥呼を王にすることが、大和王権の確立とは思えないと言っている。

948:日本@名無史さん
09/12/01 21:49:25
>>946
それはどうだろうか?
記紀が書かれたときに、90歳とか、100歳とかっていうのは、
ほぼあり得ない寿命だと思うんだけどな。
今の時代で言えば、「ウチのご先祖様は200歳まで生きてた」と言うようなもんじゃないかな?
かなりデタラメというか、あり得ないのを承知で書かれていると思うよ。

949:日本@名無史さん
09/12/01 21:56:19
もう一度言うぞ
(146年 - 189年) の倭国大乱と
(178年 - 184年) の卑弥呼共立と後の13歳の女王誕生を日本史に符合
させよ
切り離しは認められない、シナの歴史書を元にした話のなのだから
(答え)それは無い

950:日本@名無史さん
09/12/01 21:57:33
この異様な長寿は、神からだんだんに人に近づいていく過程を表してるのだと思うけどね。旧約聖書でも
アブラハム175歳、イサク180歳、ヤコブ147歳。ちなみにエデンを追放されたアダムは930歳で亡くな
てる。初期の天皇たちも、いまだ神としての属性を強く残してるのではないかな。

951:日本@名無史さん
09/12/01 21:58:09
>>949
出雲神話の大国主命のアマテラスへの国譲り。

952:日本@名無史さん
09/12/01 22:05:40
記紀は歴史書だから伝わったとおり書くだろ。そうじゃなければ海に棒を突っ込んでまわすとクニができたり
剣を叩き割って水を吹き付ければ女の子が生まれたり、なんていくら記紀の時代だって書くわけがない。
すこしは考えてものを書け。


953:日本@名無史さん
09/12/01 22:09:01
中国の正史である『三国志』や『後漢書』によると、邪馬台国の成り立ちは、
「倭国には代々男子王がいたが、倭国は争乱状態となった。争乱は何年も続いたが、最終的に邪馬台国の卑弥呼を倭国王とすることで争乱は収まった。」
とある。
この代々男子王がいたとされるのが出雲で、古代日本は、出雲を中心とした、
九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭=「葦原中津国」=日本であった。
出雲では年に一回、諸国の王が集まり、諸国間の諸問題を話し合いで決めていた。

何代目かの出雲の男子王大国主命は、畿内勢力のスクナビコナとともに、「葦原中津国」=日本を平定しようとし始め、
それに対し、アマテラス率いる北九州勢力が抵抗して、「葦原中津国」=日本は争乱状態となる。
↑邪馬台国の誕生。これが三国志に記された「倭国争乱」であり、この、アマテラスこそが卑弥呼。

結局、アマテラス=卑弥呼は、大国主命の息子タケミナカタを取り込み、大国主命はアマテラスに、
出雲大社の建設と引き替えに、「葦原中津国」=日本の権力を委譲することを認め、
アマテラスは孫のニニギを出雲に派遣して出雲を手中に収め、「葦原中津国」=日本の権力を握る。
↑出雲の国譲りと一大率の始まり。

アマテラス=卑弥呼の死後、次の王に、畿内勢力が男王を立てたが、北九州勢は男王の正統制のなさを提唱して、
卑弥呼の宗女、壱与を女王としたため、再び北九州勢力と畿内勢力の間で緊張が高まり、
出雲に派遣されていたニニギの二人の子も、北九州派と畿内派に分かれ、互いを牽制し出す。

このニニギの二人の子が、海幸彦と山幸彦。
結局、山幸彦で表される畿内勢力が、海神=魏に赴いて事態を告げて、魏は張政を派遣し、檄文で畿内勢力を弾圧する壱与を告諭し、
北九州勢力による畿内勢力に対しての弾圧は終止符をうつ。
海幸彦は山幸彦に服従し、その後、山幸彦は魏との関係が密になり、魏の要人の娘トヨタマビメと結婚して、ウガヤフキアエズという子をなし、
出雲は畿内勢力が実権を握るエリアとなり、「葦原中津国」=日本の中枢も次第に畿内勢が占めるようになって、
北九州勢力は一地方勢力へと衰退していく。


954:日本@名無史さん
09/12/01 22:09:09

ウガヤフキアエズを産んだ後、魏の要人の娘トヨタマビメは魏に帰ってしまい、変わりに渡来してきた妹のタマヨリビメ(玉依毘売)が育てる。
のちにウガヤフキアエズは育ての親のタマヨリビメ(玉依毘売)と結婚し、カムヤマトイワレヒコを産む。
カムヤマトイワレヒコは、畿内勢が実権を握るようになった「葦原中津国」=日本をより良くしようと、北九州勢と相談し、兄とともに畿内攻略に乗り出す。
畿内勢力が果敢に抵抗し苦戦するが、結局勝ち、畝傍橿原宮の山麓で即位し神武天皇となる。
↑神武東征・天皇の誕生

神武天皇の死後、北九州勢力は、神武天皇が北九州に来たときにアヒラヒメ(阿比良比売)との間に作った子、タギシミミを次の天皇にしようと企てたが、
この企みを、東征の際に畿内の豪族の娘との間に作った子、カムヌナカワミミ(後の綏靖天皇)が破り、
ここで、「葦原中津国」=日本の中枢は、ほぼ完全に畿内勢が占めることになった。
↑タギシミミの反逆・大和王権の始まり・日本の誕生。

955:日本@名無史さん
09/12/01 22:16:22
>>952
記起は、中国の伝統的な創世神話の影響を強く受けており、
日本が国家としての体裁を整えるに当たり、急ぎ編集する必要があった事が窺える。

956:955
09/12/01 22:18:04
記紀○



957:日本@名無史さん
09/12/01 22:19:47
>>955
kwsk

958:日本@名無史さん
09/12/01 22:25:38
アマテラス?
それはシナ歴史書にないですよ
神話を実在として持ち出すのですか?
なら、アマテラスの両親はイサナキ・イサナミですよ
彼らの実在の位置づけは?


959:日本@名無史さん
09/12/01 22:40:54
>>957
例えば、イザナギが左の目を洗うと天照大神、右の目を洗うと月読尊、、というのと、
中国の創世神盤古が死んだ時、左目が日に、右目が月となったとか。

960:日本@名無史さん
09/12/01 22:50:57
>>959

そんな話、日本の記紀にはない


961:日本@名無史さん
09/12/01 22:52:27
つうか、日本から中国に神話が伝播した可能性も考えるべきである。

962:日本@名無史さん
09/12/01 22:56:47
次スレ

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!42
スレリンク(history板)


963:日本@名無史さん
09/12/01 23:07:56
イザナギとイザナミ、フクギとジョカが、何れも柱の周りをグルグル回って結婚する点が共通。

ある一定のパターン(中国の神話)に従って神話を作った可能性が高い。

964:日本@名無史さん
09/12/01 23:07:59
>>867
>実際に、郡から洛陽まで卑弥呼の使いが、239年6月から12月までの6ヶ月かけて行ってるんですよ。
>水行6ヶ月が2400kmだということは、水行10日はわずか130kmです。
>これに陸行1月を加えても、これを現在のソウルにあった郡から邪馬台国までの距離だとすれば、
>邪馬台国は朝鮮半島の外に出られなくなってしまいますよ。

これは正論だね
二さんの反論が楽しみ♪


965:日本@名無史さん
09/12/01 23:13:23
>>899
その地図は最近のだーw


966:日本@名無史さん
09/12/01 23:14:04
記紀は慎重に扱え九州説のカス共!
アマテラスなんて神代は伝説だ
後で幾らでも作り話にしてる可能性がある
実在の根拠もなにもない。

ダブスタ変態、九州妄がw

967:日本@名無史さん
09/12/01 23:27:01
二 対 卑狗摸古(本物)やりあってるのは分かるが
レス読むのめんどいよ~w

誰か代わりに・・・ww
URLリンク(www1.atchs.jp)


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