09/11/26 08:07:11
>>569
分かりやすく書いているつもりなのですが、すみません。
「檄告喩壹與」から張政が倭に来た時にはすでに壹與が倭王となっていたことが分かります。
これを男王が王でその失脚を待ってから壹與に告喩したと考えると、張政が未来視のできる超能力者ということになってしまいます。
その上で八年の記事をもう一度読むと、使いを使わしたのが誰かわからないようにボカして書かれていることに気がつきます。
つまり「男王か壹與か分からないが倭王卑弥呼ではない」、あるいは有名な卑弥呼の死をその後の説明文(卑彌呼以死のことです)で
ドラマチックな演出にするためにわざと避けた、そのような文章であることが分かると思います。
「以死」の読みはあまり重視していません。
>>烏越等の出発時には卑弥呼は健在だった。その後のごたごたが張政の来倭時に終わっていた
使いを5月、張政が8月に来たとしても3ヶ月しかありません。この間に卑弥呼の死から男王、内紛、壹與の共立があったとすると、
かなり劇的な展開だったでしょうが、その激動の最中に卑弥呼の冢を作っているというのは違和感がありませんか?
とはいえ私もそのように考えていたので、決してそうではないとは言い切れません。小説より奇なりとも言いますからね。