09/11/25 23:39:16
>>561
レスありがとうございます。
>六年と八年以降の黄幢、同じものと考えるのが自然でしょ?
そう考える人をあまり見かけたことがありませんよ。むしろ斬新に感じました。
救援の要請に応えた、という意見が多いですね。
>旗を下賜するというのは渡す側の集兵作戦
「ときどき突飛なことを言い出す」(ドン来い60 >300)とか言われてますよ。
周魴の件が引かれているのは、さすがですね。
正直、最初は(いまでも少々)同意しかねましたが。
高句麗・ワイ討伐、馬韓の反乱、とあって、その後、続いて(つまり統制力が緩んだ)
「倭が狗奴国と相攻撃する状を説」いてきた。そこで黄幢(錦の御旗)を授けた。
魏が現政権支持を鮮明にしたので、利あらずと狗奴国は矛を収めた。
別に記録するほどのことはありませんでした。っていうのはどうですか?
それと、「檄を以て台与に告喻す」るのは? 招集ではないと思いますが?