09/10/18 12:28:55
>>875 >>926 縄文人さんよ
4世紀末の倭の半島侵攻っていうのは、あんたは広開土王即位碑での391年
(同王即位)のことを言ってるんだろう? これは神功とは直接は無関係だよ。
先述どおり、三国史記と日本書紀での関係記事はかなりが120年ピタリの段差が
あるわけで、紀は倍暦を知らぬため間違えて120年違う天皇らの世代にもって
行って書きこんでしまったのだ。同様に先代旧事本紀大成経の編者らもそれを
知らずに120年ズレて393年のアンタレス星近隣の超新星爆発記事を273年(みかけ
の應神四年)に記載してしまったもので(みかけの270年=應神即位)、実年代は
273+120=393年=仁徳3年
で仁徳年代のことなのだ。広開土王即位 391年 の2年後のことなのである。
だから碑は神功のことではないぜ。仁徳が高臺に登って煙雲のないという意味は、
快晴だと夜間天体が廃気ガスのない時代なので美麗に観測できるわけで、これで
仁徳は天体の観測に使ってたんだよ。つまり超新星☆を見ていたことの話だよ。