09/10/18 00:25:03
>>885
>崇神当時は朝廷の勢力は畿内までだ。それで畿内の外に四道将軍に
>よる偵察を行ったのだ。北九州は関連はうっすらあるが、当時は
>外国だから国内ではない。
九州から来た天皇家が外国?面白いですねw
>>889
ん?箸墓は台与の墓と考えた場合、徑百餘歩の卑弥呼の墓はどこでしょうか?
>>891
>もちろん「八咫鏡」です。
>先週に書き込んだように、平原古墓の超大型内行花文鏡は八咫鏡である可能性が高い。
わたしも八咫鏡=超大型内行花文鏡 という考えには賛成ですが、
日本書紀のこの神夏磯媛の場合はふつうサイズの内行花文鏡というふうには考えれないでしょうか。
現に、行橋市京都郡付近から、そのような巨大な大型内行花文鏡が出土されてませんし...。
>森浩一氏は「記紀の考古学」で、この歌はヤマトとはどのような場所かを日向に眠る先祖に報告する歌だったのではないか?と述べている。
>妥当な考えかもしれません。
この場合の「日向」は大分県海部郡より向こうの宮崎でしょう。
福岡県と宮崎県は別と思いますが・・・。