謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!39at HISTORY
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!39 - 暇つぶし2ch301:日本@名無史さん
09/10/10 13:16:58
>一大国から約400㎞、帯方郡から約4000㎞離れた末廬国って何処なんだ?
一大国とは台湾、末廬国とは中国大陸に戻って香港にあったとすれば距離的には合いそうだな。

302:日本@名無史さん
09/10/10 13:21:22
>>300
君はもしかして、一大国都はニューギニア、末廬国はオーストラリア大陸にあった。
とでも言いたいのか?

303:日本@名無史さん
09/10/10 13:21:40
本当に4000kmなら
九州説は破綻

304:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/10 13:37:46
>>296
それは間違いだね。卑弥呼が畿内の女なら、金印は天皇のほうが
もらってるぜ。むなしいのは君の願望だぜ。

305:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/10 13:39:32
あいつに同意(彼、泣いてないかい?w)。

狗邪韓國は倭の一部はもちろん、

對馬國~邪馬壹國、
諸国二十一国、
狗奴國、侏儒國、裸國、黑齒國、 全て「倭」(倭種含む)。

「倭の北岸ではない」とかいう彼等(コテ連中)は、倭人伝読めてないだけなんだから~
1:数名で議論してる日本@名無史さんくんには、「自信を持て」と言いたい。


306:日本@名無史さん
09/10/10 13:40:40
>>303
九州に限らず畿内も同じ。
全て撃沈。
「公式公式」と念仏唱えてるんだからしかたない。
皆で撃沈されましょう。
ハワイまでは無理だけど、最東端の南鳥島や小笠原ならいい具合か?

307:日本@名無史さん
09/10/10 13:43:02
>>301

香港じゃ東夷にならないから失格だろ

308:日本@名無史さん
09/10/10 13:53:57
>>302
ニューギニアかラバウルか知らないけど帯方郡から4000㎞は事実として受け止めよう。

309:日本@名無史さん
09/10/10 14:39:20
卑弥呼と言う女王は、帯方郡から5000㎞離れた都に住んでいたんだ。
卑弥呼とは、日付変更線の女王かな?

310:日本@名無史さん
09/10/10 14:42:22
島の女王として
連合国って何処なんだよwwww

311:日本@名無史さん
09/10/10 17:32:20
>>304
君は相変わらず進歩がないね。
卑弥呼の時代に畿内の天皇?誰だよそれw

312:日本@名無史さん
09/10/10 17:58:48
卑弥呼は帯方郡か約5000㎞離れたところに居たので、畿内とは
別の世界での話しです。
畿内は帯方郡からせいぜい2000㎞
全然別世界であることがこれでわかります。

313:日本@名無史さん
09/10/10 18:27:38
使者が来日したことが明らかな隋書ですら
1万2千里の記述が生き残ってるところを見ると、
中国人は距離の正確さにはさほど関心が
無かったのだろうな。

314:日本@名無史さん
09/10/10 19:22:36
萬二千とは遠方表現なだけです。

315:日本@名無史さん
09/10/10 19:26:18
>>314
違います。

萬二千餘里が遠方である意味なら、その後に名詞が続きます。

316:日本@名無史さん
09/10/10 19:35:12
>>315
遠方の意味だと、その後に名詞が続くなんてルールは無い!
あるというのなら、沢山あるはずだから、沢山紹介してくれ。

317:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/10 19:52:20
>>311
オマエの言ってることは史離滅裂で、何がなんだか分からんぞ??
もっともっと研究するんだな。ww


318:日本@名無史さん
09/10/10 19:53:43
>>315
ルールがないと言う人に説明しても水掛け論。
ルールがないとするならば、それはそれでいいのではありませんか。
くだらない水掛け論は時間の無駄ですからよしましょう。

319:日本@名無史さん
09/10/10 20:00:57
>>318
あなたが河童ならやめましょう。
河童でないなら、論拠は示せるでしょう。
水掛け論とは、ある・ないだけを繰り返すこと。
あなたが論拠を示せば、それについての議論となるので、水掛け論にはなりません。
自説を主張するなら論拠を示すことが必要な事はわかるでしょう。
論拠無しでこうだと決め付けるのは、オレ様のいうことは信じとけ、というオレ様論です。

320:日本@名無史さん
09/10/10 20:14:10
>>319
私が河童さんであろうがなかろうが、私はこう言うスタイルです。
それを貴方達がどう捉えようが、それは貴方達の勝手です。私は私のやりたいようにしているだけですから、私が水掛け論になると判断したから止めるのです。貴方が河童なら止めると判断したように。

321:日本@名無史さん
09/10/10 20:27:23
>>317
こいつアホだ(笑)
名無しは一人しかいないと思ってるwww

因みに俺は>>311ではない

322:名無す
09/10/10 20:33:15
>>321
名無しはアンタしかいないじゃん。

323:日本@名無史さん
09/10/10 20:33:28
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
URLリンク(www.athome-academy.jp)

324:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/10 20:50:38
>>321
負けたくなかったら論で来るんだな。オマエの盲象をいつでも
聞いてやるぜ。ppp

325:日本@名無史さん
09/10/10 21:40:22
>>322
名前欄に何も書かずに
書き込んでる奴が一人しかいないと思ってんのか(笑)

デブと二人でホモってろ、チンカス

326:日本@名無史さん
09/10/10 21:41:48
>>322
無知

327:日本@名無史さん
09/10/10 21:49:58
>>325
最初は誰でも無知。もう許してやれよwww

328:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/10 21:52:06
ブルってて、有コテにしたい勇気もないんだねぇ。ww

329:日本@名無史さん
09/10/10 22:11:52
米のコピペを見ると、三足土器のコピペを思い出す。

330:日本@名無史さん
09/10/10 22:20:24
鬼無里村に山大やまだい
ってところあるから、
そこがヤマダイ国だったのでは?

♪悪を限りの邪馬台王国、全滅だ!

331:唐松山 ◆V0F34EbmQA
09/10/10 22:39:54
では、米のコピペに反論しようか。
>かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
>適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった

倭国の鉄の大部分は、半島から輸入していた。
対価として一番考えられるのが「米、籾」になる。
米では、水や雨が大敵、籾での輸出が考えられるが、MR1遺伝子が半島にない。
籾の輸出は、否定されます。
では何が残るか?
任那です。
任那は、倭国(大和)の領土で、自由に「鉄」を倭国に送ることが出来た。
MR1遺伝子の不在は、任那の存在を肯定する。

どや


332:日本@名無史さん
09/10/10 23:22:13
「チンカス」と叫びながら優越感に浸っている保護者付きのガキが居ると聞いて
すっ飛んで参りました。

333:日本@名無史さん
09/10/11 01:10:41
>>331
>では、米のコピペに反論しようか

アハハ 何故か笑えてしまったw


334:日本@名無史さん
09/10/11 01:16:25
>>317
スサノヲが新羅に降りた事を、日本書記に記述がある事すら
知らなかった奴が、人の事を勉強不足などと言ってはいけないw

335:日本@名無史さん
09/10/11 01:26:44
>>328
コテは総じてバカ

336:日本@名無史さん
09/10/11 01:29:29
>>332の書き込みで名無しが複数いると証明されたな(笑)

337:日本@名無史さん
09/10/11 01:34:50
長江文明
黄河文明



 春秋時代
 戦国時代

 前漢
 新
 後漢
三国時代(魏、呉、蜀)

 西晋
 東晋
 五胡十六国時代
URLリンク(ja.wikipedia.org)

338:日本@名無史さん
09/10/11 01:38:39
いや、改め、河童が騒いでると名無しは減少し
彼等が居なくなると増殖する(笑)

皆、分かってないな

339:日本@名無史さん
09/10/11 01:45:00
もう、北岸、里、歩、墓は後回しでいいよ
卑弥呼が朝献した中国大陸でもやるか?
漢書とか、中国史もいいべよ たまにはテーマを替えようか

始皇帝陵とか行ったことある奴イネーの??

340:日本@名無史さん
09/10/11 01:47:41
向こうでは北岸。
こっちでは、漢書、中国史、始皇帝陵

テーマ替えてやろうか

341:美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI
09/10/11 02:26:11
>>339
つかさ卑弥呼が貢朝したのは中国(ちゅうごく)の朝廷じゃなく、中国(なかつくに)の朝廷じゃないの?

卑弥呼って「倭(日本)」何でしょ?
それとも卑弥呼の邪馬壹国ってのは「中国(ちゅうごく)」に属してた国なのか?





342:銀河 秋彩
09/10/11 03:29:45
2ちゃんには、賢者が居ないらしいな。(笑)

★太伯後の、共立された女王・卑弥呼(物部氏)の「邪馬壹(連合国)・筑紫平野」
但し、卑弥呼の都【卑弥呼の直接統治国「壹国(薩摩)隼人町姫城」が記載されている】・「★倭国は極南界」
URLリンク(photos.yahoo.co.jp)
=卑弥呼の「以死」・西暦247年崩壊
   別国の、
●季歴後の、臺与(蘇我氏)の「邪馬臺(連合国)」
=西暦248年成立。
  当時の臺与の都は、京都郡香春=現京都郡みやこ町御所ケ谷(神籠石あり)
URLリンク(www.yado.co.jp)

343:日本@名無史さん
09/10/11 06:59:09
>>342も賢者では無いことを理解した。

344:日本@名無史さん
09/10/11 08:38:46
>>341
中国は中華民国や、中華人民共和国の略称。

はいはい、隔離スレに帰りなさい。

もん太、ハウス!!!

345:日本@名無史さん
09/10/11 10:40:14
中国(ちゅうごく)という語は、中国の古典である『詩経』で「地理的中心部」
と言う意味で初めて用いられた。(wikiより)
倭人伝にも、渡海詣中国とあるな。


346:日本@名無史さん
09/10/11 12:13:32
日本の『九州』だけど中国の支配ゾーンていう説もあるらしいね。
『中つ国』も中国が関係あるのかな

347:日本@名無史さん
09/10/11 12:16:19
>>341
卑弥呼って「倭(日本)」何でしょ?
それとも卑弥呼の邪馬壹国ってのは「中国(ちゅうごく)」に属してた国なのか?

倭から日本へ
漢、三国から中国へ

日本人の祖先は中国人の祖先に属してましたとさっ!


348:日本@名無史さん
09/10/11 12:20:24
三国の後は 晋です。
中国なんて呼んでません

349:日本@名無史さん
09/10/11 12:29:00
日本は中国に直接は属してないが
日本人の祖先は
       中国人の祖先に当たる漢、魏(三国時代)に属していた。

350:日本@名無史さん
09/10/11 12:33:56
一部だけだろ

351:日本@名無史さん
09/10/11 12:39:45
<宋史>
倭國者 本倭奴國也

<新唐書>
日本古倭奴也

中国史ていうのは、列島の人に聞いた記録だからね。
この辺をみて王朝交代論とかいうんだろうが、我々の日本は昔から天皇家の祖先が君臨しており
1度も王朝交代なんてしてない。
しいていえば、天皇家一族内で「北」か「南」かやりありあったぐらいじゃないか



352:沖縄・北海道に住む人
09/10/11 12:41:01
>>350
私たちには関係ない

といってるようなもんだよ

353:銀河 秋彩
09/10/11 12:43:28
351 :日本@名無史さんに聞くけど、その天皇家って、どの氏族?

判るかな。(笑)


354:日本@名無史さん
09/10/11 12:44:29
少なくともアイヌ族のアテルイやモレは
天皇が長だとは思ってなかっただろうなwww

355:日本@名無史さん
09/10/11 12:47:45
>>352
そう。北海道や沖縄には何の関係もない話。
九州説論者にとっても、大王や天皇はどうでもいい話。

356:日本@名無史さん
09/10/11 12:48:18
祖先は中国人だってさ

357:日本@名無史さん
09/10/11 12:49:17
中国史を信用しすぎる日本人って・・・どうかしてるよな。
今、君らの日本列島に住んでいてどう思う?
王朝交代なんてあったか?

中国史を読んで、ではなく。
君らが住んでてどう感じるてことだ。
神社の伝承、各地に広がる云われ、方便、古書。
いずれも、王朝交代ていうより、天皇家内の交代だ。

大陸というのはだな、自分らの住む大陸については詳しいが
外国の倭(日本)に関してはさほど関心がないというか詳しくはない。
ほとんどが聞いた情報が主だったというか、日本人のなれないペキン語が
ちゃんと伝わったのか疑問に感じるところがある。
日本人って「うん、うん」てすぐうなづくところがあるし、
全ての中国倭伝を信用してしまうと、自分らの国の歴史が分からなくなってしまうぞ。

358:日本@名無史さん
09/10/11 12:55:53
祖先は中国人だってさ


359:日本@名無史さん
09/10/11 12:55:54
日本を知らない外国人が
巫女が信託をしてる間、跪いてる大王見たら誰でも
巫女が上に見える。巫女と大王の関係を聞いたら姉弟だという。
実際の政治は弟がやってた。

だからあんな書き方になったんだろ。

360:日本@名無史さん
09/10/11 13:00:53
>>353
現在の天皇は象徴天皇といわれてる。
その昔は国家元首、古代でいえば君とか大王(おほきみ)。

現在の天皇はキンジョウ天皇だが、その天皇一族の始まりは神武天皇と言われる
カンヤマトノイワレヒコでこの偉い人が氏神。
アマテラスオホミカミはこの五代前にあたり現在では神とされてる。

そして答えだが、天皇家とはこの天照大神、神武天皇を祖先にする氏が
天皇家になるかな。
途中で違う氏神を持ちその枠組みからはずれてることはあるが。

361:日本@名無史さん
09/10/11 13:07:08
>>259
現在で言うツートップ体制ではなかっただろうか?
大王のが上で巫女のが下というわけではないだろう。
同列というかだな
現在の天皇と総理大臣の関係ではなかろうか。
巫女は権威を担当し大王は権力を担当していた。

邪馬台国の時代は、
巫女であり象徴でもある卑弥呼が権威を担当し、弟が権力を握っていた。



362:日本@名無史さん
09/10/11 13:09:00
>祖先は中国人だってさ

日本人の祖先は猿だろ
中国人の祖先も猿w

363:日本@名無史さん
09/10/11 13:10:13
祖先は中国人だってさ

364:日本@名無史さん
09/10/11 13:11:34
北海道や沖縄

くそ田舎が何いうちょるのー?


365:日本@名無史さん
09/10/11 13:13:10
祖先は中国人だってさ


366:日本@名無史さん
09/10/11 13:16:41
虫氏の話では
大国主一族は北ぇーっ北ぇーーっと追いやられたらしいよw
ほとんどマンガですけどwwwwwwwwwwwww



367:日本@名無史さん
09/10/11 13:19:24
玄海難の荒波とは逆流に沿ってテク、テク、テクテク調査船が九州一周したとさw


368:日本@名無史さん
09/10/11 13:20:06
中国、建国60週年おめでとうございます

369:日本@名無史さん
09/10/11 13:23:16
日本では建国してから2600年とかいわれてるよな。
中国、建国60週年か、王朝がバカみたいに入れ替わった国だけあるわw
日本はそれにひきかえ王朝交代はなかった。
2600年とかいわれてるのが分かるだろ?


370:日本@名無史さん
09/10/11 13:23:43
>>361
それでは『女王』と書いた意味がわからない。

巫女の神託は神の言葉。
神の言葉をいかに俗世の大王だろうと、
ひざまずき、礼をして聞かねばなるまい。

無知な他の国の人間が見たら、
誰だって巫女に忠誠を誓ってるように見えるだろ。

371:日本@名無史さん
09/10/11 13:28:00
中国60年の歴史

372:日本@名無史さん
09/10/11 13:28:28
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名曰卑彌呼

あくまでも最上位は男王ではなく女王ヒミコ様
魏志倭人伝にももともとは男の王様だったが女王を共立したとかいてるだろ
君の言うことも一理あるがヒミコ様の場合はそれとは違う。

373:日本@名無史さん
09/10/11 13:29:34
一発で論破したねw


374:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/11 13:33:45
女王だから巫女ではないな。文字通り女王。大相撲の番付に女横綱が
ないということは記紀の皇籍に景初のころの天皇あたりに女天皇の
記事がないのと同様であり、これは両国国技館で大相撲をやる日本
相撲協会の力士ではないということになり、女王卑弥呼が畿内朝廷の
女王ではないことを意味する。この女横綱がいれば、これは日本相撲
協会でなく他の相撲団体の女横綱と観るべきで、卑弥呼が畿内朝廷と
無関係だという事が歴然とし、そうなると畿内でない別の地域の女王
だと考えるのが賢察であって、ならば女王国は畿内でない九州に
あったと考えるのが合理的に当然だと分かるのだ。

375:日本@名無史さん
09/10/11 13:35:35
>>373
それはどうだろう。
神託をする日巫女を国々が共立したのなら、つじつまが合う。

共立しないと一つの国が優位になり、
また大乱の引き金になるからね

376:日本@名無史さん
09/10/11 13:39:42
>>374
またそれかw
相手しねーんだから、割り込んでくるな。
空気嫁

377:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/11 13:46:59
「梁書」
彌呼無夫婿 挾鬼道 能惑衆 故國人立之

卑彌呼の「彌呼」ですが、これは「巫女」と言えるのではなかろうか?
「卑」というのは上下関係が絡んでいて太陽の意味をなす「日」は「卑しい」とされた。
卑彌呼というのは、本来は「日の巫女」であり、
卑彌呼とは『太陽を象徴する巫女』であることがわかる。
はたして、この太陽を象徴する巫女とする卑彌呼とは誰だったのか?


378:日本@名無史さん
09/10/11 13:52:08
>>377
モモソだと思います。

蛇見てビックリしてホト突いて死んだ
ただの1皇女の為に
あんな堀が二重にされている
馬鹿でかい古墳を造るとは思えません

379:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/11 14:00:20
>>374 太国さん
>女王だから巫女ではないな。

巫女ではないという証明は?
377への反論宜しく~!

>>342 銀河 秋彩さん
どっかで見覚えあるレスだな~思ってたら・・・w
なぜ、そうなるのかここに書き込み宜しく。




380:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/11 14:01:16
まぁ非巫女ではなく日巫女だということは否定し難い。だから>>374
の本論最上段の主張は冗談だと考えこれに関しては再冗談は止めに
しよう。w

となると、巫女が女王になったということなんだろうが、これが記紀
を観たとき卑弥呼らしき女王(女天皇)の皇籍が、景初相当の時代の
天皇あたりに全く見られないから、譬えて言えばこの女横綱相当の
女王卑弥呼は日本相撲協会の番付に載ってないように、同協会の
女横綱であるわけがないから当然別の相撲団体とか女相撲団体の
女横綱だということが容易に分かるのだ。

ということは女王は無籍の畿内朝廷の女ではないから当然畿内で
ない別の国の女王だということになる。当時畿内と九州は別国状態で
あり、卑弥呼が無籍の畿内ではない九州の女王だと考えるのが
賢察なのである。さらに改め氏は遣使が休憩、観光もしてはいないと
軽く嘲笑していながら遣使が女と寝るのは大陸の皇帝が肯定して
るそうでwwwww全くもって恣意的説明に終始していることが
分かるが、こういうことは彼が毎回説を【改め】~盲像の激しい男
だということを遠回しに表現していると観るべきである。www

381:日本@名無史さん
09/10/11 14:05:27
>>380
別国だという証拠を示して書け。

382:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/11 14:06:52
>>381
オマエこそ当時一国だったということの証拠を出せ。
なお逃げないように、コテハンを付けろ。

383:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/11 14:09:19
ちと、ヤフーに行ってたんだけど、ハイエナのバカが何かいってたな。
俺、あの人嫌いなんだけどw クダランことはよく知ってるwww

たとえば、周髀算經の計算によると、この古田氏のホームページでは
里=76mになるらしい。
URLリンク(www.furutasigaku.jp)

>夏至の日には、八尺の周髀の影は一尺六寸であり、冬至の日には、影は一丈三尺五寸である(一丈=十尺、一尺=十寸)。
>よって、夏至の日に太陽は観測地より南一万六千里の地の真上にあり、冬至の日には、太陽は南十三万五千里の地の真上にあることになる。

は分かるんだが、
>夏至以後、股八尺勾六尺であるから弦は十尺である。
>したがって一寸千里の法により、観測地から太陽の真下の地まで六万里、太陽の高さは八万里、観測地から斜めに十万里のかなたに太陽がある。

なんで、観測地から太陽の真下の地まで「六万里」になるんだろうね?
分かる人いる?

384:日本@名無史さん
09/10/11 14:16:40
>>382
一大率wiki

一大率は、卑弥呼の王権によって任命された派遣官である。倭国の官人である。
その官名は城郭の四方を守る将軍である大率に由来する(道教の古典とされる『墨子』の「迎敵祠」条)。
魏志倭人伝には、次のように書かれている。

自女王國以北、特置一大率、検察諸國、諸國畏揮之。
常治伊都國、於國中有如刺史。王遣使詣京都・帯方郡・諸韓國、及郡使倭國、皆臨津捜露、
傳邊文書・賜遣之物詣女王、不得差錯。
原文のおよその意味は、「女王国より北には、
特別に一人の大率(たいすい、だいそつ)を置いて諸国を監察させており、
諸国はこれを畏(おそ)れている。大率はいつも伊都国で政務を執り、
それぞれの国にとって中国の刺史(しし)のような役割をもっている。
王が帝都や帯方郡や諸韓国に使者を派遣したり、帯方郡が倭国へ使者を遺わすときは、
いつも津(しん・水上交通上の関)で、文書や賜与された物品を点検して、
伝送して女王のもとへ到着する時に、間違いがないようにする」ということである。
この地域が伝統的に朝鮮・中国との交流の拠点として重要な意味を持っていた。
そのため一大率は、伊都国に常駐して北部九州を行政的・軍事的にも統括する任務や
女王の行う外交の実務を厳格に監督し
実行する任務をもっており、女王の命を受けてすべての外交実務を伊都国で掌握していた。



385:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/11 14:26:51
なぜ、周髀算經という数学の古文が、この邪馬台国、卑彌呼に関係するかといえば、
卑彌呼の墓が倭人伝には「卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人」とあり、
この「百餘歩」の大きさだけど、九州説の人は里=76mなので百餘歩もこれにならい、
24~30mクラスではなかろうか?その証拠として「周髀算經」をあげてるというわけ。
私が学生時代、授業をふけて遊んでたせいか、上のHP内の図1~2は分かったとしても
図3の計算式は覚えてないな~谷本氏による計算では、現在の地球の大きさが分かっていて
その半径は6357kmといわれている。
ここから、計算式によると千里=76kmになるらしいが、まず、その千里というのは
実測ではないのではなかろうか?
それと、夏至の日ではなく、夏至以後の三角形が八尺、六尺、十尺になった時の「影の長さ」を
測らないと意味ないと思うんですが如何?



386:日本@名無史さん
09/10/11 14:27:40
>>384
これって、共立したという記述と矛盾するよな。
共立した国=同盟国を何故監視し、ビビらせる必要があったのか?

387:うましか
09/10/11 14:50:26
>>386

一大率は倭人伝の記述では「特置女王國以北」と書かれています。
畿内説に立って考えるとその所管域はやや実効性に欠ける広さかなと思います。
なので、一大率の所管域は、実際には玄海諸国だけなのではと。
そして、その職能の根源は伊都国王の持つものではないかと。
対馬、一支、奴、不彌等は伊都の間接支配下にあり、卑狗、卑奴母離などが直接統治する諸国。
つまり、「共立」とは、30カ国が対等の立場で行われたものでは無く、
伊都を中心とした玄海諸国グループ、投馬國グループ、邪馬台国グループ等、
大まかなブロック単位の諸勢力間で行われたのではないかと。
以上、妄想モードですが。

388:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/11 14:51:36
>>380 太国さん
>まぁ非巫女ではなく日巫女だということは否定し難い。だから>>374
>の本論最上段の主張は冗談だと考えこれに関しては再冗談は止めにしよう。w
・改めたということかな?w

>となると、巫女が女王になったということなんだろうが、これが記紀
>を観たとき卑弥呼らしき女王(女天皇)の皇籍が、景初相当の時代の
>天皇あたりに全く見られないから、譬えて言えばこの女横綱相当の
>女王卑弥呼は日本相撲協会の番付に載ってないように、同協会の
>女横綱であるわけがないから当然別の相撲団体とか女相撲団体の
>女横綱だということが容易に分かるのだ。
・文献の日本書紀は、720年成立でしょう。
その時の記憶、記録とで約500年前の事柄を全て載せることが出来たのか?
疑問とはおもいませんか?
そして、分権ばかり取り上げてるが、考古側、すなわち倭迹迹日百襲姫命の太市墓で知られる
箸墓は天皇クラスではなかろうか?ここからみて倭迹迹日百襲姫命=女王とみてとれるのではなかろうか。

>ということは女王は無籍の畿内朝廷の女ではないから当然畿内で
>ない別の国の女王だということになる。当時畿内と九州は別国状態で
>あり、卑弥呼が無籍の畿内ではない九州の女王だと考えるのが賢察なのである。
・日本書紀オンリーではなく、あらゆる角度から古代史を観てはいかがだろうか。
日本書紀だけでは補えない部分もアルと思う。
卑彌呼の献上記事を嫌がって記載しなかったという見方もできるし・・。

>さらに改め氏は遣使が休憩、観光もしてはいないと
>軽く嘲笑していながら遣使が女と寝るのは大陸の皇帝が肯定してるそうでwwwww
・人間は休憩するだろ、しなかったとか言った覚えはないなあ。

>全くもって恣意的説明に終始していることが
>分かるが、こういうことは彼が毎回説を【改め】~盲像の激しい男
>だということを遠回しに表現していると観るべきである。www
・進化して言ってると言ってほしいなw

389:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/11 14:56:05
>>387 大卒と思われる、うましかさん

周髀算經 ←これどう思いますか?

谷本計算によると千里は約76kmですがこんな計算ってありうるのでしょうか?
わたし数学苦手でして・・・・w

390:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/11 15:04:39
>>388
それはそれがしも考えを改めて訂正することは確かだが、君のは毎回
クルクル説が変わりすぎるほど替わっているではないか? 編年の時
なんぞ、卑弥呼の時代を数回も短期間に変更してこれで相手を論破
したことになるのかね? 虚勢は見事すぎるほど見事だが、変更訂正
はやるに越したことはないが、ただこれがくるくるくるくる目まぐ
るしく替わるのも信用がドカ落ちスル態度だと言えるぞ。

卑弥呼の先出は紀ではなく倭人伝だろうが。違うのか? モモソヒメ
が天皇級の墓になってるのは首肯できるが、だからといって彼女が
女天皇にはなってはいない。その文証として、彼女が記紀の天皇に
即位した記載はなく、こういう墓が国王級でその墓の埋葬者が必ず
しも国王女王だとは言えないし、例がある。たとえばタージ・マハル
も国王が后か姫だったかのために王級の建物としたのだし、かの
エジプトの古代の国王も后か姫だったか、同女のために国王級の神殿
を国王が建築させた事例があるから、箸墓もそんなところだよ。

391:日本@名無史さん
09/10/11 15:12:13
>>390
旦那も持たず、弟に大王がいて神託し、山城の反乱を鎮めてる
そして何より天皇級いや、二重掘の天皇級以上の墓を持つモモソ。
普通に考えればこの人が卑弥呼だろう

392:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/11 15:13:19
かように后、姫を可愛さあまりに大王級以上に墓、神殿をデカくして
建造してるが、それでその后、姫を女王に担ぎ上げてるわけでもない。

だから箸墓は記紀に卑弥呼女王が無籍である以上、いくだデカいから
といってそれが卑弥呼女王の墓だとはならないだろう。それに畿内の
女だと卑弥呼を考えるなら、金印は卑弥呼でなく天皇がもらうのが
当然だ。金メダルは1位優勝者がもらうべきものだ。それは
ボクシングの場合は1位のことではなくチャンピオンのことだぞ。
この場合はチャンピオン・ベルトが金印にあたり、大陸の皇帝が
審判長のようなものであり、天皇は優勝選手に相当するだろう。

393:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/11 15:13:23
>>390
>卑弥呼の時代を数回も短期間に変更して

証拠だせ、証拠を~www

>それはそれがしも考えを改めて訂正することは確か

おや、改めたのかw、このスレで証明できるなw

>国王が建築させた事例があるから、箸墓もそんなところだよ。

それは古代帝国エジプトのはなしでしょw
日本ではそんな例があるとおもってるの?ないよww
そんなのより、500年も後にでいた日本書紀を疑うべきと思う。



394:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/11 15:21:32
>>392
金印(メダル)は2位だって教えただろw
ふつうは玉だよ、「玉」。


395:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/11 15:21:55
大震国本紀がどうのとか言ってただろう? とぼけるなよ。当時論説
がそれがしのほうに接近してきて、盲象訂正を毎回毎回繰り返して
たくせに何を言う。それがしだって訂正は確かにやっている、例えば
編年も神武即位を前130年とかで主張したことがあったが、これで
相手に論破したなどと空威張りはしてないぞ。それから時を経て変更
を今1度だったかやったと思ったが、3回目からは現今通りだ。

君のはもっと短期間に変更ばっかりだな。九州説だったんだろう?
これは1回変更だが、変わるのは君の言う進化に相当するが、前例
のは毎回毎回論が間違ってたことになるから、遠回しに君は論破され
通しだったということだぞ。

396:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/11 15:22:55
>>395
証拠がありませんなw
大震国本紀?何それ??w

397:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/11 15:24:17
>>394
中国オリンピックで金メダル以上に玉はないだろ。
それは当時天皇が玉印をもらって卑弥呼が金印をもらってたとか
なら君の言い分は通るかも知れないが、君は裏を取れまいが?

398:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/11 15:28:43
旦那も持たず、弟に大王がいて神託し、山城の反乱を鎮めてる
そして何より天皇級いや、二重掘の天皇級以上の墓を持つモモソ。
普通に考えればこの人が卑弥呼だろう




399:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/11 15:34:20
失敗~!

>>391
>旦那も持たず、弟に大王がいて神託し、山城の反乱を鎮めてる
>そして何より天皇級いや、二重掘の天皇級以上の墓を持つモモソ。
>普通に考えればこの人が卑弥呼だろう

今、箸墓の二重掘が発見されたんですが、その他の古墳にも同じような
二重掘があるのいではなかろうか?
他の古墳にはなくて、箸墓だけが二重掘と言える?

>>397
当時の倭では、卑弥呼が王者なんですよ。
金印どまりで、金印以上なんてでてくるわけない。


400:日本@名無史さん
09/10/11 15:36:43
>>399
あとの古墳は堀がない(埋め立てられた?)
もしくは、広く大きな堀で水があり侵入しにくいようになっている(いた)

401:日本@名無史さん
09/10/11 15:41:31
「山海経」
青丘國在其北 其狐四足九尾 一曰在朝陽北 帝命豎亥歩 自東極至于西極 
五億十選九千八百歩 豎亥右手把算 左手指青丘北 一曰禹令豎亥 一曰五億十萬九千八百歩

歩=○○メートルになるのやら...。
チト一度オチ↓ 


402:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/11 15:44:39
>>399
当時の倭で卑弥呼が王者で、記紀のどこに大王になった皇籍が
載ってるのかね?
日本相撲協会の出す番付に女横綱があったというなら、こちらのほう
を証拠として出してもいいんんだよ。大震国本紀君!ww
それに遣使に観光はダメで女と寝るのはいいというのは、どの証拠
に基づくのかね?ppp
ついでに言うが、来年あたりまた九州説に改め丸か~?bbb www

403:縦目仮面
09/10/11 15:50:23
周髀算經の計算は簡単なもので、それ自体は合っていますが、なぜ影の長さ一寸を千里にとるのかは
よくわかりませんね。

箸墓古墳は、盛り土を取るために周濠はどうしても必要だったでしょう。ただし、内濠の堤は元々の地盤
をあえて取り残し、その上にさらに土を盛って造られているようなので、もともとの計画段階から堤を想定
して造っていったんでしょう。


404:日本@名無史さん
09/10/11 15:52:25
tombo1268 対 師匠 いい勝負(実力では互角)!

tombo1268さん、ここにいた人じぁないかな。


405:日本@名無史さん
09/10/11 15:55:21
>なぜ影の長さ一寸を千里にとるのかはよくわかりませんね。

千里離れた場所では一寸消えるから(1尺六寸→1尺五寸)になる。



406:日本@名無史さん
09/10/11 16:02:05
おれは、夏至の日:観測地より南一万六千里が太陽の真下は分かっても
三角形の角度が太陽と一致した時、六万里になるのかが分からん。
たぶん、計算式でだしたんだろうが初めっから、この時に影長を測れば・・・と思う。

407:縦目仮面
09/10/11 16:17:23
>>405
それはわかるんですが、別に単なる数学的基準だったら一寸が五百里でもいいじゃないかと思うん
ですけどね。

408:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/11 16:22:45
とぼけ野郎の 改め 逃亡~。ww

409:日本@名無史さん
09/10/11 16:23:17
>>406
角度があったときじゃなくて、
影が6尺になるときじゃないの?
考え方が逆かと。

410:日本@名無史さん
09/10/11 16:48:45
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

411:日本@名無史さん
09/10/11 17:07:45
>>398
日本書紀が伝える年代をみると、モモソ姫って紀元前の人間だね。
普通に考えたら、卑弥呼とは別人だね。


412:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/10/11 17:11:26
モモソヒメは卑彌呼ではない。
モモソヒメは大物主神の妻である。
大物主神は太陽神ではない。

まだ考えは纏まらないが、臺與=豊鍬入姫命の可能性はあると見ている。

413:日本@名無史さん
09/10/11 17:37:41
>>411
ほう!記載の年代を西暦に正確に直せるのですか。
是非、教えていただきたいものですな(笑)

414:縦目仮面
09/10/11 17:41:36
>>412  >大物主神は太陽神ではない。

箸墓古墳=倭迹迹日百襲媛命の墓とするなら、同時代の纏向遺跡に太陽信仰を思わせる遺物は
ほとんどありません。土坑等でみられるのは、農耕や共食儀礼に関わると考えられるものです。
ところで、卑弥呼の鬼道は太陽信仰ですか?


415:日本@名無史さん
09/10/11 17:42:42
>>405
逆だっつーに。
影の長さが一寸違う地点間を千里としたの。
だから緯度によって同じ千里でも距離が違ってくんの。

416:日本@名無史さん
09/10/11 17:52:05
終止符スレで議論する人へ武器の贈呈

ハイ!
【周髀算經、漢書】
URLリンク(chinese.dsturgeon.net)

ハイ!
【太平御覧、魏志倭人伝、魏略】
URLリンク(www.geocities.jp)


417:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/10/11 18:03:41
>>414
平原の八咫鏡?発掘を見ると、やはり太陽信仰かと思える。
伊都・斯馬と伊勢・志摩の類似も気になる。
ただ、方形周溝墓は魏志の卑彌呼の墓に合わない。
八咫鏡が筑紫から大和・伊勢にもたらされたとすると、誰がいつ?が問題・・・

418:縦目仮面
09/10/11 18:07:32
倭迹迹日百襲媛命を卑弥呼に比定するなら面白い説があります。それは、
百襲媛の同母弟の「彦五十狭芹彦命」(吉備津彦命)が、倭人伝の「伊声耆」とするもの。つまり「イサセリ」
が「イセキ?」になった。

それから、同じく異母弟である「稚武彦命」を「掖邪狗」とする。これはわかりにくいが、別名の若日子を赤子の
ように若々しい男子として、「ややこ(赤子)」が「エヤク?」になったとするもの。

まあ、単なる語呂合わせだと思いますが。







419:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/10/11 18:20:06
日本書紀卷第六 活目入彦五十狹茅天皇 垂仁天皇
八十七年(石上神宮の神宝管理の話)
「昔」丹波國桑田村有人。名曰甕襲。則甕襲家有犬。名曰足徃。是犬咋山獸名牟士那而殺之。
則獸腹有八尺瓊勾玉。因以獻之。是玉今有石上神宮。
この「昔」がいつかが分かりませんが、獣の腹に八尺瓊勾玉があったという話は、草薙剣が
ヤマタノオロチの体内にあったとする伝承と似ています。
時期はともかく、八咫鏡は筑紫から、草薙剣は出雲から、八尺瓊勾玉は丹波から来たようです。

420:縦目仮面
09/10/11 18:21:00
>>417
>誰がいつ?が問題・・・  これは立場によって違うんでないですかね。畿内説であれば、古墳時代前期に
ヤマト政権によって、で全然OKなんですが、もちろん東征の証左という人もいます。ただ、伊勢神宮の八咫鏡
が、現存のものが真物か後代のレプリカかは別問題として、いつ頃から世に現れたのかは疑問のあるところで
すね。


421:唐松山 ◆V0F34EbmQA
09/10/11 18:26:15
狗邪韓国は「カヤカンコク」と読める。
ならば掖邪狗 の「狗 」は「カ」が正解?


422:唐松山 ◆V0F34EbmQA
09/10/11 18:42:36
>>419
ホ37158 タニハミカソが イヱのイヌ ナはアシユキが くひころす ムジナのハラに ヤサカニの タマありをさむ
イソノカミ ヤソヤフミソカ ミコトのり

垂仁88年文月30日? これ以前の話になります、
ムジナのハラに … この「ムジナ」は人間か?例えば泥棒とか。



423:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/10/11 18:44:41
景行・仲哀・神功の九州遠征のとき、神夏磯媛・熊鰐・五十迹手は「三種の神器」を掲げて迎えている。
神夏磯媛は「八握釼、八咫鏡、八尺瓊」、熊鰐・五十迹手は「白銅鏡、八尺瓊、十握釼」である。
ただ書紀の記事によると、崇神・垂仁朝で天照大神を大和から伊勢に移したとあるが、「八咫鏡」と明記はされてない。

424:縦目仮面
09/10/11 18:50:08
ということで、俺は伊勢神宮の八咫鏡は未調査でありなんともいえないのでパス。

内向花文鏡は、一説には女性に好まれる文様ともいわれ、またこの鏡にしばしば見られる「長宜子孫」
の銘文も女性におめでたい吉祥句と考えるむきもあります。

ちなみに平原ほどの大型鏡ではありませんが、面径約37cmの倣製大型内行花文鏡が出土した、大和
古墳群の下池山古墳は、年代は4世紀初頭頃。鏡は、四葉座、八弧花文ですが、縞模様のある絹織物
などでできた袋に包まれ、さらに羅を表面貼りした鏡筐に収められていました。また、出土の状況も埋葬
主体部から独立した小石室から見つかるなどきわめて異例で、これは副葬品というより、鏡自体に特別
の価値を置いているとみることもできそうです。

425:日本@名無史さん
09/10/11 18:55:59
>>409>>415
そーとー突っ込まれてしまったなw
地球は丸いんだから影の長さも場所によって変わるてことだよね?

426:メ
09/10/11 19:05:27
>>407
>それはわかるんですが、別に単なる数学的基準だったら一寸が
>五百里でもいいじゃないかと思うんですけどね。

【南に千里の地においては影は一尺五寸、北に千里の地においては影は一尺七寸】

だから、
南に五百里の地だと影は一尺五寸五分、北に五百里の地においては影は一尺六寸五分
になるのでは?




427:縦目仮面
09/10/11 19:09:51
>>421
ところで、他スレにちょっと面白い(自分としては)説を書いたんだが全然反響がないんで、こっちにも
書きます。俺は、倭人伝は倭語を、原則一字一音で音写していて、(華奴蘇奴=カナソナとか)それか
ら外れる「一大卒」のようなのには何か意味があると考えてるんですが、「末盧国」も一字一音ではお
そらくなく、東夷伝韓伝に >その涜盧国倭と界を接す。 とある「弁辰涜盧国」と何か関係があるんで
はないかと考えてるんですが、まだちょっと形にはなってません。


428:縦目仮面
09/10/11 19:13:27
>>426
いや、周髀算経自体読んでないので間違ってるかもしれないんですが、数学的に一寸=100里と仮定
するなら、1里=約760mになりますよね。1000里としなければならない理由は何だろうということです。

429:メ
09/10/11 19:16:23
影が一寸変わるというのは、あくまでも夏至(南中時)に千里離れた地。
「夏至以後(影(勾)が六尺の時)」千里離れた地の影を測定しても一寸変わるかというのも疑問。

まあ、図3が間違いなければ、周代にこの千里離れた地を測定した人は
観測地から76.6m離れた地で影を測ったことになるのかな...。

430:日本@名無史さん
09/10/11 19:20:33
>>428
ただ単に、倭語に似せながら漢語で書かれているからですよ。

431:美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI
09/10/11 19:26:03
>>423
日本書紀って調べたらさ
田中家蔵、田中書
熱田宮蔵、熱田書
唐書、漢書、百済帝王本紀、釈日本紀、、
などの書物を元に幕末~明治頃に「日本書記」として書かれたのが日本書記だよ

暦の書き方は唐書から抜粋したり、一書にあった○○天皇と言う諱を付け加えたりとか

だから日本書記の記述や暦や文法や呼び名てのは、様々な書物から抜粋したりそれを自らの解釈にそうように組み立てたりとか、、、

えっと三種の神器の話であれば、これは多分、伊勢なんとか記とか言う書物の内容を抜粋してるんじゃないかな?
そもそも伊勢神宮てのも伊勢宮なんとかって書物を元に三重の志麻を伊勢として、明治時代に建立された神宮だけど
伊勢に天照が建立されてるのも、そういう記述から勝手に解釈して、建立されたから天照まで祀ったりされてるんでしょ?
三種の神器って鏡作連のウズメが作ったりとかそういうやつでしょ?


432:縦目仮面
09/10/11 19:32:03
>>430
ただねえ、涜盧国だって漢語ではなく古代朝鮮語だったんではないですかね。俺的には弁辰涜盧国
は巨済島、勒島あたりの島嶼部を含む地域と考えてるんで、末盧国と何か関連があっても不思議では
ない気もするんですけどね。

433:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/10/11 19:33:44
>>431
>三種の神器って鏡作連のウズメが作ったりとかそういうやつでしょ?

ウズメは踊る人で、鏡は作ってないと思うけど。

434:メ
09/10/11 19:36:18
>>428
仮定ですか・・少し考えさせて下さい...。

>>429の76.6mは76.6kmに訂正

これ読んでいる人で、何処のことか迷ってる人へ
「周髀算經 卷上8」
周髀長八尺,夏至之日晷一尺六寸。髀者,股也。正晷者,句也。正南千里,句一尺五寸。正北千里,句一尺七寸。
URLリンク(chinese.dsturgeon.net)  とか、

古田氏のホームページ
URLリンク(www.furutasigaku.jp) です。

435:縦目仮面
09/10/11 19:40:44
いやあ、もん太君の専用スレも見てるけど、

> 240 名前:美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI [] 投稿日:2009/10/11(日) 18:23:58
> 古事記がそもそも尾張の興福寺の風土記な訳だから・・・
 
このレスも凄いね。最強w


436:日本@名無史さん
09/10/11 19:46:26
>>431
>唐書、漢書、百済帝王本紀、釈日本紀、、
>などの書物を元に幕末~明治頃に「日本書記」として書かれたのが日本書記だよ

アハハ 河童君と似たようなことを言ってる。
実は兄弟だったりして。

437:美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI
09/10/11 19:52:28
>>433
いや、書や地域によって色んな呼び方されてるだけだよ

例えば西母王仙人の話とかをくぐると、彼女がサルタヒコの行く手を塞ぎマンコを剥き出して狂ったように踊り、道案内案内させる話があるけど、あれもウズメだろうし
西母王仙人てのも数十枚の鏡を持ってたしウズメにしても、鬼道の儀式の際にマンコを剥き出して踊ったりでしょ? その儀式でマガダマと鏡てのは使われてるんだよ
鏡作連とか玉作連て呼び名もあるし
一緒にいた手刀男ての調べてみ?
多分、三種の神器の剣はヤマタノオロチの時の剣じゃなく、岩戸の時に関連してる剣の事と思うよ
道案内がサルタヒコで、ニニギ、ウズメ、、、って五人がいたんじゃ無かったっけ?
つかスサノオが天つ国へ進軍した時の話にも似てるから同じ話なのかもしれないし、スサノオの後にその子孫のニニギが、、って話なのかも知れない
まあこの勢力が後の公家の天皇なんだとは思うけどね

一方の武家はニギハヤヒを祖とした物部氏達が武家なんじゃないのかな?


岩戸を開けたって事は天照に対して敵対してたって意味だと思うんだけどなあ




438:日本@名無史さん
09/10/11 20:00:23
>>437
マンガ版は面白くしてるからねえ

439:日本@名無史さん
09/10/11 20:02:26
>>437
こら!もん太、外に出ちゃダメって言ったでしょ!!ハウス!!!

すみませんでした皆さん。

440:美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI
09/10/11 20:07:27
>>435
調べてみってば
興福寺て名前は間違ってるかもだけど、尾張の寺にあった風土記が古事記だよ
古事記てか今ある古事記の原本と言うか
基本的には日本書記と古事記て、まんま原本や原本からの写本が残ってた本じゃないし
そういう書物も各地の藩や寺に沢山あったけど、日本書記以外は偽書として焼却されたりが多いんだよ

てもまあどんな書物であっても、読み手の解釈次第でそれぞれ都合よく解釈されるだろうからそんなに拘る必要も無いかもだけどさ

ただ違う側からの視点からみたら、この話はこう伝えられてる、、見たいな違いとかがよりハッキリわかるだろうから、それらの違いとかいろいろ面白い気がするよ

441:美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI
09/10/11 20:12:08
>>438
マンガなの?
てかこのサルタヒコが西王母仙人を天竺(あまのなんとか)に連れてく話をモデルとして、後に西遊記が作られたような気がするし
三國志演義なんてのも三國史からの創作だしさ


442:縦目仮面
09/10/11 20:14:05
なんか、三種の神器と周髀と倭人伝の地理と、話題があっちゃこっちゃで申し訳ないけれど、三種の神器
でいえば、九州北部では鏡と剣の副葬はポピュラーで、勾玉は平原からは出てるけどあまり一般的ではな
い気がする。

三種の神器象徴説というのもあって、これによると、天照大神…太陽神…鏡。素盞嗚尊…武神……剣。
月読尊……月神……勾玉。で、確かに勾玉は新月とみても不自然ではないかも。これは、もともと副葬
の習慣があったところに、ヤマト政権により古墳時代になって象徴化されたということらしい。

443:うましか
09/10/11 20:14:49
>>389

> 周髀算經 ←これどう思いますか?

「周髀」と題に有りますが、実際には前漢代の完成らしいですね。
当時の技術で一尺六寸の影を測るのは簡単なのですが、
第二観測点である洛陽から直線千里の地をどのように求めるのか、
こちらの方にトリックが有りそうですよ。



444:日本@名無史さん
09/10/11 20:15:28
>>441
天竺(てんじく)。インドのことな。

445:メ
09/10/11 20:20:45
三種の神器?

豊国、行橋の豪族を束ねる姫様がいて、景行天皇に歯向かわない印として
三種の神器を見せたとかいう話があったはず。
三種の神器といえばヤマトの象徴というイメージがある。

446:メ
09/10/11 20:23:17
>>443
ん?成立は後漢時代のはずですよ。
西暦220年ぐらいかかな。
その測定は周代のものを記録してあるとか・・・


447:日本@名無史さん
09/10/11 20:23:44
>>443
どこでもいいから影の長さ測って、その差を何里とするだけ。
(洛陽からなら)北に行って、影の長さが一尺五寸になったら、そこまでが千里。
一尺四寸五分になったら、そこまでが千五百里。


448:日本@名無史さん
09/10/11 20:25:36
それじゃあ東西方向が測れないよ~

449:日本@名無史さん
09/10/11 20:31:39
なんか縦目のいいたいことはわかる気がする。一寸千里の法は周髀算経で蓋天説を進めていくための本の中
だけの数学的弁法で、実際に用いられていた単位とは違うということではないかな。

450:うましか
09/10/11 20:38:36
>>446

> 成立は後漢時代のはずですよ。

あ、そうですか?
じゃ、後漢だったかもしれませんね。
ただ、一寸千里の測定が周代に行われたものかどうかは疑問ですね。
周代の話に仮託して、というのはよく有る話ですよ。

>>447

> 影の長さが一尺五寸になったら、そこまでが千里。

そう、正しくそのとおりです。
千里の距離は予め判っていなければ測定出来なかったでしょうね。

451:メ
09/10/11 20:41:03
漢代といえば「礼記」がありますね。
「禮記」
URLリンク(ja.wikipedia.org)

昨晩、違う掲示板で話した内容で申し訳ないんですが、
この「禮記」王制(71)に
自恒山至於南河,千里而近;自南河至於江,千里而近。自江至於衡山,千里而遙;自東河至於東海,千里而遙。
自東河至於西河,千里而近;自西河至於流沙,千里而遙。西不盡流沙,南不盡衡山,東不近東海,北不盡恒山,凡四海之內,斷長補短,方三千里,為田八十萬億一萬億畝。
URLリンク(chinese.dsturgeon.net)   

とあり、恒山というのは(山西省大同市)でして、
衡山というのは、(湖南省長沙市)で、約1200~1500km離れてますね。
ここからみると里=76mとはいえず、里=400m以上 と言える。

だから~周代に測ったという「周髀算經」の不可解な里は、
短里があったというよりも何か測定方法に間違いがあったのではなかろうかと思うんです。

452:縦目仮面
09/10/11 20:44:37
>>449
そこまでも言いませんが、本の中の計算が正しいことと、それが実際に制度として用いられていたこと
とでは、その間に大きなハードルがあるだろうと思うんです。


453:メ
09/10/11 20:46:33
>>447>>450
というと、周代に「短里」があったと言うことでしょうか?


454:日本@名無史さん
09/10/11 20:47:16
ググると、「魏志倭人伝の里程単位」という論文(その1から4まである)
を見る事が出来るのだけれど、皆さん、これはどう思う?
古田説への批判的検証のような内容。

455:メ
09/10/11 20:50:49
>>454
話によると古田氏のみならず、
安本氏もその根拠として「周髀算經」を持ち出してるらしいですね。


456:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/10/11 21:01:32
>>442
確かに、勾玉は縄文時代からありますし、鏡・剣ほど重要視されていない感はあります。
勾玉=新月説は面白いですね。
あと、「マガ玉」の表記は書紀の神代ではすべて「曲玉」となっていて、
垂仁紀では「勾玉」というのも注意です。

457:日本@名無史さん
09/10/11 21:06:15
>>383
ちと、ヤフーに行ってたんだけど、


ずっと行ってたらいいのに

458:メ
09/10/11 21:07:38
ん?縦目さんと愛知県民さんは
三種の神器は古墳時代から~とか考えてるんですか?

459:縦目仮面
09/10/11 21:22:38
三種の神器は伝承ではもちろん神代からのもので、天照大神の神代として天孫降臨の際に天照大神
より瓊瓊杵尊に授けられたとされてはいるんですが・・・ただ俺的には、王権が固まらなければ、その象徴
というものはできないだろうと思うし・・・難しいところですね。

460:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/10/11 21:26:35
>>458
ウィキペディア「三種の神器」に日本書紀で孝徳天皇までの即位儀礼記事が纏められていますが、
「璽・璽符・璽印という漠然とした書き方をしており、鏡と剣との名をあげているのは、継体紀と宣化紀の2つのみである。
宝物は元は2つであったのではないかという疑問が出てくる。」
これも厄介な問題のようです。

461:日本@名無史さん
09/10/11 21:30:29
檀の浦で安徳天皇が入水自殺した際に、
草薙の剣は行方不明になったね。

462:メ
09/10/11 21:33:15
>>442
>三種の神器でいえば、九州北部では鏡と剣の副葬はポピュラーで、
>勾玉は平原からは出てるけどあまり一般的ではない気がする。

ハイ、九州で出土されるのは、鏡と剣のセットまたは勾玉のみ、剣のみ、または鏡と勾玉のセットとかありますね。
わたしはこれを身分の違いにより決められたのではなかろうか?と考えてます。
ストレートに言わせてもらえば、鏡、剣、勾玉のセットというのは、いわゆる王クラスのみが持ちえたというかですね。
この福葬されたモノによってどれだけ偉いのかが分かるのではないだろうか。
たとえば、この三種の神器ですが平原遺跡以外にもスグ岡本遺跡、それから~三雲遺跡。

王墓のみ許された福葬品だったのではないだろうか?


463:うましか
09/10/11 21:33:46
>>453

> というと、周代に「短里」があったと言うことでしょうか?

私は周髀算經の「一寸千里」が周代の知見だとは信じていませんし、短里なるものの存在も信じていません。
また、一寸千里を正しく観測するには、正しく「直線千里」の地が算定される測量法が必要ですが、
>>447氏の言うように予め一寸が千里と言う定義が有って、逆算により千里の地が求められているようです。
周髀算經の世界では太陽高度は八万里と与件されています。
後は測定に使われる周髀(八尺)と髀影(尺六寸)の長さ、夏至における太陽の輻射角が判れば
千里の地は産出できる話ですから。

周里なるものが存在したとなると一里とは当時の世界観による太陽高度を基に算術的に定められた単位になります。
しかし、「里」と言う文字が使われているように、このような単位はもう少し生活に密着したものをベースに定められる
ものじゃないですかね、と私は思っています。




464:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/10/11 21:36:38
>>461
草薙剣の本体は尾張の熱田神宮にあり、行方不明になったのはレプリカです。
鏡も伊勢神宮にあるもののレプリカで、玉だけは本体が宮中にあります。
後醍醐天皇の時代にも、いくつものニセ神器が使われたらしい。

465:日本@名無史さん
09/10/11 21:45:06
>>463
>短里なるものの存在も信じていません。
それでは、倭人伝の里が普通言われる1里よりもだいぶ短いことについては
どう考えるのですか? それとも、短くはないとか?


466:日本@名無史さん
09/10/11 21:46:21
確かに後醍醐天皇は北朝に引き渡したのは
偽物だ言ったと太平記にありますね。

レプリカ…、というより予備なのでしょうね。

467:メ
09/10/11 21:47:29
462誤字

副葬→副葬 です。

468:美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI
09/10/11 21:48:34


URLリンク(www.google.co.jp)

神器の剣てのはなんか沢山あるね

あとアマテラスを移したってのは、天戸を開けた時の儀式の鏡を移したって事みたい
つかあの鏡の中にアマテラスの御霊を封じ込めた見たいな事なんかなあ?


469:日本@名無史さん
09/10/11 21:51:52
鏡は天照、剣はスサノオ、勾玉はツクヨミ


470:縦目仮面
09/10/11 21:53:40
周髀の話題は俺は自信のない分野なんですが、中国の単位が混乱していることは事実です。この間
中国語の建築史の論文を読んだんですが、漢代での官尺(城郭建築など公共物の建造に用いる)は、
一尺約42cmくらいで、民間の尺とはとがいます。また、4・5尺を1歩として、約190cmとも書かれて
いました。また、調度品などを作るときの尺も違っています。・・・だから、短里がなかったとはいいきれ
ませんが、周髀の計算から導き出され制度として確立したとは思っていません。あれはあくまで数学
ではないですかね。

471:うましか
09/10/11 21:54:05
>>465

> それでは、倭人伝の里が普通言われる1里よりもだいぶ短いことについては
> どう考えるのですか? それとも、短くはないとか?

どう考えるかと言うことについてお答えするなら、それは実測に基づかない数値なのだと、なりますね。
その根拠は「短里なるものは存在しないと信じているから」です。
つまり信仰上の問題ですw


472:縦目仮面
09/10/11 21:55:44
あらま、470の3行目。  ×とがいます。  ○違います。

473:メ
09/10/11 22:00:13
>>463
谷本氏の計算によると千里=76.3とか76.9kmという結果が出ていますね。
この計算された値に関してはどのように考えてるのでしょうか。
短りがないということは、測定した人が間違えてしまったのか?
それともこの計算式が違うのか?ということですよ。

474:うましか
09/10/11 22:02:11
>>469
> 鏡は天照、剣はスサノオ、勾玉はツクヨミ

天照と素戔嗚はイメージどおりですが、月読は存在感が希薄なので勾玉っぽいのかどうかw

475:うましか
09/10/11 22:05:04
>>473
直線千里は実測では無いと考えています。
実測では無いので、間違えとかも起きないかと。

476:メ
09/10/11 22:09:49
>>470
>漢代での官尺(城郭建築など公共物の建造に用いる)は、一尺約42cmくらいで、
>民間の尺とはとがいます。また、4・5尺を1歩として、約190cmとも書かれて
>いました。

漢代の出土物、ようは、考古的にはそのような物差は発見されてませんよね?
少し調べたのですが、一貫して23~24cmのモノが出土(墓とかから)されてるようです。
漢代の物差しというのは1尺約23cmぐらいの物差に10か所の線(ようは10寸)が刻まれてますよね。
その42cmぐらいの物差は実際にみたのでしょうか?本当に漢代の品?

477:縦目仮面
09/10/11 22:14:15
>>476
木官尺というらしいです。この基準で柱跡があるかどうか検証するというような論文でしたが、結果は
微妙と俺は感じましたね。公尺が約23cmなのはそのとおりですが、建築用はまた違うようです。
曲尺でググってみてください。

478:メ
09/10/11 22:15:15
>>475
では、お尋ねしますが・・・
どうして「短里なるものの存在も信じていません」となるのでしょうか。
古田氏HP内の図3の計算によると千里=76~77kmというのが証明されてます。

実測による間違いでもない、だけど式は正しい、ではなんなんでしょうか?

479:日本@名無史さん
09/10/11 22:27:58
>>474
月読は闇の神。影が薄いのは本望ではないでしょうかw?

480:メ
09/10/11 22:31:18
ググってませんが・・・w
曲尺というのは、一尺四寸を一尺とし、古文献により自己流に竹木に示してるようですね。
1.4倍・・・ややこしいですねw

481:うましか
09/10/11 22:37:15
>>478

> どうして「短里なるものの存在も信じていません」となるのでしょうか。
> 古田氏HP内の図3の計算によると千里=76~77kmというのが証明されてます。
>
> 実測による間違いでもない、だけど式は正しい、ではなんなんでしょうか?

計算は正しいでしょう。

丁度、髀影が尺5寸となる地を選んで、そこを洛陽から直線千里とすればいいのですから。
ただ、それが正しく千里離れた地かどうかは実測されていないでしょう、と申し上げています。
つまり計算によって求められた「千里の地」です。

当時の一里が、この一寸千里の計算を基にその千分の一と定められていたならともかく、
周髀算經の計算が合っているからと言って、実際にそこが千里の地かどうかは判らないわけです。
生活に密着した単位を定めるのに天文学的距離をベースにするなんて、まるで現代のメートル法並のセンスでしょう。



482:メ
09/10/11 22:41:57
>>481
>つまり計算によって求められた「千里の地」です。

ですから、短里「も」あった ということでしょ?



483:日本@名無史さん
09/10/11 22:44:51
>>432

>涜盧国だって漢語ではなく古代朝鮮語だったんではないですかね


「涜盧国]というのは漢字ですから文字からの表現は漢語表現でしょう。

484:日本@名無史さん
09/10/11 22:45:41
>>471
>それは実測に基づかない数値なのだと、なりますね。
倭人伝の資料は使者らの報告でしょう。使者らは、どうして実測に基づかない
数値を書いたのか、どのように考えるのですか?


485:縦目仮面
09/10/11 22:48:10
>生活に密着した単位を定めるのに天文学的距離をベースにするなんて・・・

俺も うましかさんに基本的に同意です。短里の存在はおいとくとしても、周代に周髀の計算をもとに
1里=約76mが採用され、公的に用いられたとするにはやはり論拠が薄いですよ。

486:縦目仮面
09/10/11 22:57:26
>>483
もちろんそうですが、末盧国も倭語の漢語表記ですよね。俺は半島南部の古代朝鮮語と倭語の共通
性を考えてます。で、前に書いたとおり東夷伝韓伝には、涜盧国は倭と界を接するとあり、九州本土の
倭の記述が末盧国から始まってる。何かあるかもと考えたってそれほどおかしくはないと思いますが。
ま、楽浪土器や三韓土器、半島の弥生土器の流れを少し調べてみます。何かわかったら書き込みま
しょう。

487:日本@名無史さん
09/10/11 23:17:53
>>486

>涜盧国は倭と界を接するとあり、九州本土の
倭の記述が末盧国から始まってる。何かあるかもと考えたってそれほどおかしくはないと思いますが。


涜盧国は倭と接しているのではなく、界を接している。
大変面白い表現ですね
界だったら日本とオランダでも接する事が出来ますから

この界が文化なのか?地理的な界なのか? 先ずはそれからですね。

488:日本@名無史さん
09/10/11 23:21:18
>>487

一つだけ申し上げておけば「界」という文字は、決して混ざり合った曖昧な世界は表現しないとする
文字の構成になっています。

489:メ
09/10/11 23:27:44
>俺も うましかさんに基本的に同意です。

縦目さんは同意ですか。
では、貴方も短里なるものを認めてしまうのでしょうか。

490:日本@名無史さん
09/10/11 23:32:37
>>489
貴方は認めないのですか?

491:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
09/10/11 23:32:43
>>464 補足
草薙剣については諸説あるようですね。
名前についても、ナギはウナギに通じ蛇を表すとか、奇稲田姫に通じるとか・・・

492:うましか
09/10/11 23:39:56
>>482

> ですから、短里「も」あった ということでしょ?

「有った」と言ってるように読めましたか?
「髀影尺5寸の地」が実際に一里の千倍の地であったかどうかは、当時実証されていないのですよ。
単に算術上の例によりその地が「千里の地」とされていただけで、現実の千里が何メートルだったかは判らないこと。
実証されたのは、現代の測量において髀影一寸の差が約76キロだということだけ。
貴方が紀元前の人だとして、正南北76キロの直線距離をどうやって測りますか?


493:縦目仮面
09/10/11 23:43:07
>>488
河童さんですか?w 俺は細かい字義にこだわるほうではないので、「界」の解釈はなんとも。考古資料を
追って何も出なければそれまでです。・・・この字は田んぼが畦ではっきり分かれるというような意味ですか
ね。で、「介」が形声の音を表す?

>>489
三国志全体に関しては短里ということはないでしょう。東夷伝が短里だったとしても、その理由がわからない
んで、俺はこの手のことは守備範囲にしません。



494:うましか
09/10/11 23:45:48
>>484

> 倭人伝の資料は使者らの報告でしょう。使者らは、どうして実測に基づかない
> 数値を書いたのか、どのように考えるのですか?

貴方の言う「使者」が何を指しているのか判りませんが、
その人たちは「実測に基づかない数値」を書いてはいけないのですか?
知らなかったな。
あー、きっとそれも信仰上の問題なんでしょうね。


495:日本@名無史さん
09/10/11 23:50:02
>>493
字義にこだわる気は全然ありません。あくまでも補足程度に受け止めて下さい。
私が今興味あるのは>>487の方です。

496:日本@名無史さん
09/10/11 23:51:54
>>453
実際に棒を持って回って測量していたかどうかは、
資料的な裏付けを検討しないとわかりませんね。
また、一寸千里の法が広く一般に認知されたか、
あるいは公的に採択されたか、これも検討課題でしょう。
誰かが既にそれを証明しているのかどうかは知りません。


497:日本@名無史さん
09/10/11 23:53:08
>>489
だんまりなら短里の存在を認めるんだな?

498:縦目仮面
09/10/11 23:59:00
うーん、文化ねえ。ただ、界を接すると見るのは中国人であって、倭人や半島南部の人々もそうだったか
疑問はありますね。

499:縦目仮面
09/10/12 00:00:48
>>497
493の下に書いてありますが、俺は守備範囲にしない。つまり結論は出ないだろうと考えてる。

500:日本@名無史さん
09/10/12 00:06:44
>>498

>界を接すると見るのは中国人であって、倭人や半島南部の人々もそうだったか
疑問はありますね。

それは関係のない話でしょう。倭人や半島南部の人がどう疑問に感じようが
扱っている書物は古代の漢人が書いた書物を扱っているから
現在の視点での歴史は、漢人から見た歴史です。

もし、倭人や半島南部の視点からを捉えた歴史を考えたいのであれば、そのような視点から描いた
書物にて検討すべきかと考えます。

「倭接界]と記載したのは漢人です。

501:メ
09/10/12 00:06:46
>>489
ん?何がだんまりなの?ワケ分からんww


502:メ
09/10/12 00:10:00
>489ではなく>490か・・・。

>>490
>貴方は認めないのですか?

何を?おめーさんはどうなの??

>>497
>だんまりなら短里の存在を認めるんだな?

もう一ぺん、勉強してこいw


503:日本@名無史さん
09/10/12 00:15:34
>>502
>もう一ぺん、勉強してこいw

勉強してこいと指示するのであるなら、どこをどのように勉強するのか
指示項目を書かなければ勉強する側は何も手につけることができないだろう?


>>502

>何を?おめーさんはどうなの??

千里は千里だろう。

504:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/12 00:20:53
>>492
>> ですから、短里「も」あった ということでしょ?

>「有った」と言ってるように読めましたか?

読めますよ。

「つまり計算によって求められた「千里の地」です。」

無かったとは読めませんね。

>「髀影尺5寸の地」が実際に一里の千倍の地であったかどうかは、当時実証されていないのですよ。
>単に算術上の例によりその地が「千里の地」とされていただけで、現実の千里が何メートルだったかは判らないこと。
>実証されたのは、現代の測量において髀影一寸の差が約76キロだということだけ。

え?うましかさん~そうなの?
私が所有しているモノには、唐代に「実測によって確かめた」とありますが、
どっちがウソツキで、どっちが正しいのでしょうか。

>貴方が紀元前の人だとして、正南北76キロの直線距離をどうやって測りますか?

そんなもの決まってるでしょ。
答えは一つナリ~ 処で、貴方の場合は、どうやって測ると思いますか?w

505:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/12 00:28:04
「当時」実証でしたね~しつれい


506:縦目仮面
09/10/12 00:28:26
>>500
上の方のレスを読んでもらえればえわかると思うが、俺は倭人伝の記述は考察のきっかけにしてる
だけで、そこに書いてることが真か偽かは、考古学や人類学等の他学問を用いて(たいしたことはない
が)裏付けたいと考えてる。だから、わからないままのことは多い。しかし、そこは魚がいなかったと考え
て次に進む。そんな方法論だからね。

507:うましか
09/10/12 00:29:14
>>496

> 実際に棒を持って回って測量していたかどうかは、
> 資料的な裏付けを検討しないとわかりませんね。

観測器具として「圭表」と言うものが有ります。
↓このサイトにやや詳しい説明があります。
URLリンク(www2.nkfust.edu.tw)

単純な機械ですので、周髀算經の時代にも同じようなものが有ったかと思います。
太陽を主とした天文観測のための機械であって、距離測定のためのものではありません。
また、二点間の距離を求める方法として、周髀算經(もしかしたら「九章算術」かもしれませんが)では、
「三角測量」のような事例も挙げられていますが、算術書と言う体裁から判断して、
計算上の例題のようなもので、実測に基づくものでは無いと考えています。

508:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/12 00:33:53
>>506 よこですが
北岸ですか?
貴方が考察のきっかけにしてるだけの古文にはしっかりと明記されてますよね?


509:縦目仮面
09/10/12 00:41:08
>>508
狗邪韓国ではなくて、韓伝の涜盧国のことですよ。

510:うましか
09/10/12 00:43:37
>>504

> 「つまり計算によって求められた「千里の地」です。」
> ↑
> 無かったとは読めませんね。

実測に基づく千里では無いと言うことです。
当時の一里が540mなら540km先と認識するだけです。
それも算術計算上の話としてですがね。

> 答えは一つナリ~ 処で、貴方の場合は、どうやって測ると思いますか?w

私なら測ったりしようとも思いません。
それは、算数の問題で10桁の足し算を解くのに正の字を積み重ねるような作業です。

511:日本@名無史さん
09/10/12 00:47:58
>>507
ありがとうございます。ご紹介のサイトについて検討させてもらいます。
周髀算經によると、方角を八方向に定めて(東南、南東とかに限定して)
ピタゴラスの定理で距離を算定するらしいですね。

512:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/12 00:49:39
>>509
しかし北岸がらみですよね?
半島の一部が倭かどうかの。

現在ですね、竹島の領土をめぐって、日本と韓国が言い合いをしていますよね。

その昔、竹島のみならず、半島の一部分は、倭の領土だったんですよ。
これは、古文にも明記されてることでして、疑いのよちはないですね。
わたしもですね、初めは対馬=倭という考えでいたんですよ。
結局は、それは間違いで、半島の一部分という事実があります。

513:美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI
09/10/12 00:50:44
>>500
古代漢人と今の漢人ってのは言葉も文化も違う民族だよ


つか他の24史とかも見てみれば?
URLリンク(www.google.co.jp)

邪馬壹国も卑弥呼も、別に書いてある通りの場所を探せば簡単に見つかるよ

あと卑弥呼の貢朝の話なんかもどう読んだら中国の皇帝に貢いだ話となるのかが良く解らないけど、中国の皇帝とかって言う何処にも書いてない人物とかをもちださなけりゃ、記紀にもある話だって解りそうなもんだけどなあ



514:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/12 01:05:51
>>510
>実測に基づく千里では無いと言うことです。
>当時の一里が540mなら540km先と認識するだけです。
>それも算術計算上の話としてですがね。

では、わたしと同じく、「間違った里」という考えでしょうか?

>私なら測ったりしようとも思いません。
>それは、算数の問題で10桁の足し算を解くのに正の字を積み重ねるような作業です。

「里」というのはですね、「歩」が基準になっているんです。
その「歩」というのもですね、「尺」が基準ですね。

漢志
古者建歩立畝 六尺為歩 歩百為畝 畝百為丈 丈三為屋 屋三為井 井方一里

というのがありまして、いわゆる、里は1800尺というてるわけです。
この「里は1800尺」
というのは、歴代変わっていません。
ですから、漢代とか古代においてもこの定義が使われてるということです。

何を言ってるかというと、
天文上における「里」などありえないわけですよ。

太陽までの距離を知るために「周髀算經」の計算を用いて割り出したのはいいですが
76km地点で千里としてしまった、ようは間違えたということですよ。
「里」を使うときは、尺が基準ですから徒歩でしょう。
短里など無かったのではなかろうか。


515:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/12 01:12:31
周髀算経 ←これが原因だろうな~ たぶんw


516:日本@名無史さん
09/10/12 01:24:43
銀河 秋彩 さん
ここでもスルーされとるwww
かわされてるやん

517:うましか
09/10/12 01:34:07
>>514

> では、わたしと同じく、「間違った里」という考えでしょうか?

「間違った」と言う意味がよくわかりませんが、もともとの与件である太陽高度8万里が間違いなわけです。

> 短里など無かったのではなかろうか。

そうです。


518:改め ◆qexCkQtLcY
09/10/12 01:50:39
>「間違った」と言う意味がよくわかりませんが、もともとの与件である太陽高度8万里が間違いなわけです。

そうです、8万里のみならず、6万里もデタラメ。
しかし、当人はそう思い込んでいた(間違えてしまった)ということ。

では、おちます~zzz・・・・・

519:ローガン
09/10/13 00:08:31
下がったのであげときましょう。

隋書志十四天文上に「蓋天之説即周ヒ是也」とあるので蓋天説なんでしょう。
であれば、大地3万里。当然地中は万5千里。 万5千里で高度8万里と、尺5寸の影に8尺の棒との△の相似でしょう。
尺5寸が万5千里なら一寸は千里と云うだけの事では?ただこの千里、どこからどこまでか書いてない。つまり実際に測った訳では無いでしょう。
隋書には、開皇年間に洛陽で影を測った記述があります。
「夏至影一寸四寸五分周官以土圭之法正日影日之影尺有五寸…短於旧影五分」
周ヒが周公に基づくものなら、地中は陽城でしょう。北にある洛陽の影が短いと云うのはおかしい。
まあどちらが正しいのか知りませんが、測った地点を明記していない周ヒが机上の計算の産物と考え良いのでは?
いずれにせよそのようなものと、実際の地球の半径を使った計算で出た数字に意味は無いでしょう。

520:日本@名無史さん
09/10/13 00:51:30
まあ、太陽の直径なんて計っている時点で変ではある。
季節によって地上から見える直径が変化するなんて聞いた事がない。
ということは、少なくとも他の時点での計測を行っていないことをうかがわせる。
これは実際に計測したかどうか自体を疑わせる話だ。
前提の間違った思考実験に過ぎなかったと考えられるな。

521:日本@名無史さん
09/10/13 12:20:42
だめだ、師匠の書き込み読んでるとどうしても吹き出してしまう。
河童氏もよく真面目な顔して聞けるもんだね。
おれだったら実際お会いしたと仮定して、新聞紙丸めて叩いてしまいそう。
そのままトンズラして逃げるけどね(笑)


522:日本@名無史さん
09/10/13 12:32:55
後漢書で愛想尽かされた「周髀」なんて
よく取り上げるよ。
時間の無駄無駄
末廬は、帯方郡から約4000㎞の所にある事は、動かす事の出来ない公式なんだぜ。
そして卑弥呼は、帯方郡から約5000㎞離れた所に住んでいたのも公式なんだぜ。

523:日本@名無史さん
09/10/13 12:40:00
邪馬台国はオーストラリアだった。

524:日本@名無史さん
09/10/13 12:49:14
宣伝すみませんm(__)m

兄弟スレのこちらも宜しく
邪馬台国、大和朝廷成立前夜の日本について
スレリンク(archeology板)l50x
日本人どこから来たんだ?9
スレリンク(archeology板)
邪馬台国は奈良県に存在した!!!!
スレリンク(archeology板)
『親魏倭王』の金印は福岡県?奈良県?
スレリンク(archeology板)

525:日本@名無史さん
09/10/13 12:51:46
兄弟スレ×
姉妹スレ○

526:日本@名無史さん
09/10/13 12:59:11
>>523
ソウルからシドニーまで直行便出てるだろうから、邪馬台国がオーストラリアだって
不便じゃないな
仮に直行便なくても、関空や成田経由すればいいし

527:日本@名無史さん
09/10/13 13:03:31
>>526
水行十日でオーストラリア着
陸行一月はオーストラリア内をひたすら歩く
邪馬台国はシドニー・キャンベラ辺りか?


528:日本@名無史さん
09/10/13 13:08:56
マジレスすれば
手漕ぎの船で10日でオーストラリアは無理過ぎる。

529:日本@名無史さん
09/10/13 13:15:03
>>528
連続式なら問題なし
狗邪韓國はフィリピン
對馬國・一大國はどこと思う?

530:日本@名無史さん
09/10/13 13:30:40
百歩譲って、卑弥呼が畿内にいたとしても
中国の書物に書いてあるにもかかわらず、
金印の存在を知らない記紀を書いた勢力は
卑弥呼とは繋がっていないのは確実。

存在を知っていれば、今持ってないとしても
無くしたとか返したとか何か書くはずだが
そもそも、そんなモノの記述がない。

531:日本@名無史さん
09/10/13 15:14:36
>>528
皇帝が十日で行けと言えば行くんじゃない?
なにしろ中国四千年の歴史と言われているくらいだから
強靭な肉体の持ち主ぐらいは出てくるよ

だからオーストラリアで決定だな
中国人だって、コアラと戯れ、グレートバリアリーフ辺りでサメと格闘しながらダイブしたいじゃん。

532:日本@名無史さん
09/10/13 15:17:33
卑弥呼の墓って、あのエアーズロックだろ?
1700年ほったらかしだったから、砂漠の土砂や岩が張り付いてあそこまで成長してしまった。

533:日本@名無史さん
09/10/13 15:35:42
>>530
当時の日本には紙がない。
あって木簡だろう。
木は湿度の高い日本では朽ちてしまう。埋まってればなおさら。
さらに大化の改新時に書物や木簡が燃やされている

中国は砂漠地帯の木簡は結構残っていたりするし、
なにより、故事を書き写す
仕事があったから、書物が残っている。

534:日本@名無史さん
09/10/13 16:14:23
>>533
そういうことじゃなく、
日本書紀を書いた王朝は、その祖先伝承の中に卑弥呼がいないってことだろ。
卑弥呼の王朝と近畿天皇家とはつながってないってこと

535:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/13 16:26:11
だから、こういうことは以下の譬えを考えて判断の参考してほしい。

卑弥呼の記事は伝からの借り物以外独立した記事は記紀にはない。要
するに当時のころの皇籍には女天皇(女王)がいないということだ。

これは日本相撲協会の番付の横綱の名に女横綱の記載が無いことを
思えばよい。これだと誰でも両国国技館で相撲をとる同協会の横綱に
女横綱はいないですよと言うだろう。この皇籍が番付に相当するわけ
であり、当時のころの皇籍に女天皇(女王)がいないんだから、
女王卑弥呼は畿内朝廷の女だとは言えない。現今で女横綱がいたと
すれば、同女は日本相撲協会の女横綱ではなく、別の相撲団体の
女横綱だということになる。これと同様なわけであり、女王卑弥呼は
畿内の女王ではなく、畿内とは別の九州の女王だということが明快
、合理的に考察できうる。

536:日本@名無史さん
09/10/13 16:46:46

日本相撲協会の番付・・・・などと、卑近なものを出してくるのは
素人ゴマカシが常套手段の香具師、詐欺師の手口。

そんなことで「ナルホド」なんて思うようでは、古代の真実は何も判らない。


537:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/13 17:09:21
>>536
オマエの書きこみには具体的反論がなく、中傷に終始している。
これはオマエが余の説に対抗できないから、そんな口うをたたいて
いるわけさ。じゃ~いつの日本相撲協会の番付に女横綱がいたのか、
できるなら例示してみるんだな。pp

538:日本@名無史さん
09/10/13 17:18:01
>>535
大体理屈になってないw
畿内じゃなければ九州という事にはならないでしょ?
2~3世紀なら出雲に吉備や丹波にだって
それなりの王権はあるからね。

539:日本@名無史さん
09/10/13 17:19:30

日本相撲協会は女子の入門を認めていないので
横綱はもちろんのこと、過去に女性力士が掲載された例は皆無。

そんな譬えでは、古代の歴史を考察する材料にはならない、ということだ。


540:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/13 17:31:13
>>538
オマエの言う出雲等では畿内に近く、女王国の情報が畿内に入り
やすい位置にあるから、そこに卑弥呼の女王国があるんなら、これは
畿内に情報が入りやすい地域ということになり、また
大陸から金印を受けた女王なんだから、当然記紀にその
情報が載るはずだ。だからそんな畿内に近距離の地域には女王国は
ない。九州でも北九州では大陸半島からの遣使により畿内に途中
卑弥呼の国があったよ~との遣使の情報が畿内に入るから、記紀に
載ってない以上、そこでもない。だから遣使らのあまり通ることの
ない九州のある地域に女王国があったことになる。ただ北九州でも
遣使のあまり通行してない所はあろうから、そういう所なら女王国が
あった可能性はいささかあろうがね・・・。
とにかく皇籍にないという厳然とした事実に目をそむけると、盲象の
畿内説がまかり通る。オマエもそれに脳内が冒されている。ww

>>539
卑弥呼は皇籍に入文した形跡が記紀にないから、これは畿内朝廷に
入文した女王ではない。ww

541:遊び心
09/10/13 19:35:58
名探偵コナンの黒装束のやつで何人名前を上げれるか。
スタート!
ジンだろ、ベルモット、うおっか、カルバトス、
ライフルを持ってる2人ってなんていうんだろーねw


542:日本@名無史さん
09/10/13 20:02:49
ゲンコ虫のレスみとったらやる気なくしたwww


543:日本@名無史さん
09/10/13 20:20:23
見てやる気なくすのなら、見なければいいだけじゃないの?

544:日本@名無史さん
09/10/13 20:28:33
何故かみてしまう~ww もう癖になってるよ はははw


545:日本@名無史さん
09/10/13 20:42:57
おい、河童さん 尺が何故「人の歩幅」になるのか答えろよwww


546:日本@名無史さん
09/10/13 20:54:35
畿内、伊勢、出雲、越後、鹿児島、沖縄、台湾、フィリピン、ニューギニア、オーストラリア、メキシコと
あらゆる可能性を検討したのですが、やはりいずれの候補地も無理があるようです。
結局、邪馬台国の候補地は、松浦半島から熊本の菊池の間ということになりそうです。
有明海沿岸から筑紫川の河岸に幾つもの国があって、その中の一つが当時「邪馬台国」
と呼ばれていたとみてまず間違いないでしょう。
現在の唐津線のルートを通って佐賀平野に抜けた。問題はそこからです。


547:日本@名無史さん
09/10/13 20:58:43
どんと来いさんごめんね。
ぼくは「北岸」とか「伊都国」とかさんざんやってるし
いまさら、そんな課題にはついていけぬ、
おれ一人でもここに居させてもらうわwwwwww


548:日本@名無史さん
09/10/13 21:00:49
>>546
じゃぁ早い話、魏志倭人伝の行程記事は、
間違っているということですよね?

549:日本@名無史さん
09/10/13 21:04:36
>>546
長崎本線のルートということもありますね。


550:日本@名無史さん
09/10/13 21:04:45
「尺」とか「歩」をやりたいんだけど河童氏ぐらいしかいないんだよね・・・。



551:日本@名無史さん
09/10/13 21:09:26
距離についてはスレで議論されているように諸説あるが、
方向については当時どんなにでたらめな地図を見ていたとしても
現地での東西南北を間違える可能性は低い。

基本的に東南にしか行かない。

552:日本@名無史さん
09/10/13 21:09:36
>>548全部が間違っているというのではなく、一部に間違いがあるため、そのまま解釈するとコースを外れてしまうと考えてください。
一部が間違っているだけで、魏志倭人伝は全部嘘だと決め付けるのは物事の本質を見誤ることになります。

553:日本@名無史さん
09/10/13 21:13:17
東南に出発しても曲がりくねった道を進むと方向が分からなくなってしまうものです。
現在のようにコンパスがあるわけではないし、いつも晴れているわけではないので、
使者の感触だけで書けば、方向も間違って記述される場合もあると思います。
道案内の倭人の言葉がわからなければ、方向を聞くこともできません。

554:日本@名無史さん
09/10/13 21:15:19
むしろ日数が問題になりますが、これも潮待ち、険しい山、川止め・・など不確定要因は多いと思います。

555:日本@名無史さん
09/10/13 21:15:36
>>551
福岡県前原市が地元の原田氏は、
魏志倭人伝の使者は夏の暑い時期に倭の地へ訪れただろうと考えて
夏至のちょうど東から45ドずれるのを指摘してますね。
しかも雨の日は太陽の位置が正確にはつかめず方向感覚も見失う可能性もある。
この辺の指摘についてどのように考えてるのでしょうか。

556:日本@名無史さん
09/10/13 21:16:32
それより、松浦半島から菊池の間として、邪馬台国にふさわしい場所を特定し、
発掘してみる以外にありません。

557:日本@名無史さん
09/10/13 21:20:03
>>552
又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國 ですが、
正確にいうとま南ではなく少し東にむいてるのではなかろうか?
一部というよりも全体としてみたほうがいいかと思うのですが。



558:日本@名無史さん
09/10/13 21:23:11
太陽による方角は正午の太陽の方向をみるだけで良いのでは?
見づらければ棒の一本も立てて影みればいい。

いくらなんでも季節によって日の出日の入りの方向がずれるのを
中国人が知らないとは思えない。

559:日本@名無史さん
09/10/13 21:28:21
水行二十日 そして、水行十日 陸行一月 ですが、
水行及び陸行では、同じ日数で表記されてる為、
SPEEDは同じような扱いではなかろうか。

たとえば、一日でどれだけ進むのかを検討する必要があると思う。
私が実際に歩いた経験で言わせてもらえば、休日の朝に9kmぐらいは余裕で歩いたり、走ったりしてる。
一日にどれだけ歩けるかを考えると18kmぐらいが適当ではなかろうか。
魏使の行程ルートがどこを通ったのか知りませんが、現在のアスファルトで整備された道路と違い、
当時の道と言えば道無きところを進み山や川や、急な坂道を登ったりしたのかもしれない。


560:日本@名無史さん
09/10/13 21:33:01
重い荷物を背負って進まないといけない魏使は、一日でどれだけの距離を進んだのだろうか?
雨の日もあるし、台風だって来たかもしれない。
これらを考えると12kmないし、上限は18kmぐらいではなかろうか。


561:日本@名無史さん
09/10/13 21:34:11
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
URLリンク(www.athome-academy.jp)

562:日本@名無史さん
09/10/13 21:35:04
二 ◆.L.MXSPOgc さんは銀河にバカにされてるってことに、まだ気付いてないようだw


563:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/13 21:35:40
遣使をロボットと勘違いしてる奴がうんといるようだ。
ロボットはほぼ単純計算で距離を進む。wwwww

564:日本@名無史さん
09/10/13 21:40:57
>遣使をロボットと勘違いしてる奴がうんといるようだ。
>ロボットはほぼ単純計算で距離を進む。wwwww

同意、一人で進むのと団体で進むのとでは差が歴然。
下限は12km、上限は18kmぐらいではなかろうか。
それにしても「遣使」という呼び方いいね。
魏使だと違和感があるw


565:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/13 21:43:45
だから陸行一月とかを言い張って南の海中に沈むとか言い出す考え
が浅い連中が多いという意味だ。歩くロボットは休まず進行して
行けるから一月後はノンストップで海の中だ。www

566:日本@名無史さん
09/10/13 21:45:30
いえ、18kmと言ったのは一日でどれだけ進むかを計算したのです。
結果:九州ではおさまらずw


567:日本@名無史さん
09/10/13 21:46:47
九州の南海上に飛び出てしまうとしても
東北はあり得ない。

568:日本@名無史さん
09/10/13 21:57:18
俺の計算では愛知か静岡あたりがふさわしいように思える。

569:日本@名無史さん
09/10/13 21:58:08
>>550

>「尺」とか「歩」をやりたいんだけど河童氏ぐらいしかいないんだよね・・・。

やってもつまんないぞ

「歩」=動  

「尺」=静

570:日本@名無史さん
09/10/13 22:06:21
>>569
いえ、それだけだと分かりません。
あの師匠の説明だけで理解できるの?w

571:日本@名無史さん
09/10/13 22:08:21
>>569
美濃もん太くん
君とおなじこと言ってるやんw


572:日本@名無史さん
09/10/13 22:11:38
「歩」は動によって生まれる一瞬の長さ

その一瞬の長さを永久的に残したのが「尺」

573:日本@名無史さん
09/10/13 22:13:01
∑(ノ ̄┏Д┓ ̄)ノ ウオオォォォォォォォー!! 俺と同じだ!!

今の心境を表した顔文字w


574:日本@名無史さん
09/10/13 22:13:14
>>570
十分すぎるほど

575:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/13 22:15:41
唐松山は論述において、一手で一マスしか前進できない将棋の歩を~
一手で数マスも進ませる手を打つようなことを平気の兵で強行する。

576:日本@名無史さん
09/10/13 22:15:54
えええーー 驚いた!
おめーさん、ある意味すごいわww

んじゃ、あのもん太くんが言ってることも君には理解出来るでしょ?w


577:日本@名無史さん
09/10/13 22:18:54
ぬぬぬぬ 太国も参戦か
1:2じゃ分が悪い、誰かきておくれ


578:日本@名無史さん
09/10/13 22:24:30
>>576

>んじゃ、あのもん太くんが言ってることも君には理解出来るでしょ?w

言ってることがめちゃくちゃな時も多々あるけど
彼いい感性しているよ

579:日本@名無史さん
09/10/13 22:31:12
誰か来てもついてこれないだろうし、一人で反論するかw

>>>575
>将棋の歩を~

将棋は日本だけだろう。
それとも象棋にも「歩」があるのかな?

>>572
>「歩」は動によって生まれる一瞬の長さ
>その一瞬の長さを永久的に残したのが「尺」

歩の由来は身体尺で言う「足幅」 尺は「手(他:腕説あり)」というのをご存じではないのかな?


580:日本@名無史さん
09/10/13 22:37:09
>>572
ちなみに「尺」 という字を解体するとどうなるのでしょうか?
どこがどう「足」とつながるのでしょうか。



581:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/13 22:37:49
チャトランガとか言ったかな?

582:日本@名無史さん
09/10/13 22:38:59
>言ってることがめちゃくちゃな時も多々あるけど
彼いい感性しているよ <

どこが~ たんなる無知だろうw


583:日本@名無史さん
09/10/13 22:40:27
>>581
どうして「歩」が一歩になるのですか?とお聞きしたんですよ。
この考えは、日本だけであり、中国にそんなもんあるのか?と聞いてるんです。


584:日本@名無史さん
09/10/13 22:40:57
将棋の歩も成金になって活躍することもあるのです。

585:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/13 22:46:19
どうしてだと? それがしは将棋の専門家ではないぞ。通常の日本
将棋の指し手を譬えて言ってるんだ。唐松山の盲象を折伏するため
だ。チャトランガには歩兵があることがWikiに解説がある。中国
将棋のことは本で読んだことがあるが、もう忘れた。ググれ。

あ、そうそうチャトランガには象の駒があるそうだ。日本将棋の銀と
同じ動きだとある。w 盲象唐松山は、論で象もヨコに動かすよう
な手を打つ。

586:日本@名無史さん
09/10/13 22:51:48
>>579

>歩の由来は身体尺で言う「足幅」

だから「歩」は動によって生まれる一瞬の長さ その一瞬の長さを永久的に残したのが「尺」
とかいたろう

尺は「“尸”象人卧的形象」と書いてあるわな

587:日本@名無史さん
09/10/13 22:52:18
>583の一歩は一足に訂正

>>585
わたしはインドの国のゲームの話をしているのではない。
魏志倭人伝に記載される「徑百餘歩」この「歩」についてお尋ねしている。

わたしが知るところによると「将棋」というのは日本のゲームでしょう。
中国の単位である「歩」について説明してください。

588:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/13 22:54:39
歩の話は関連でしているが、オマエと直接論の対戦をしてるんではない。美濃
もん太にでも聞け。

589:日本@名無史さん
09/10/13 22:56:49
>>580

>ちなみに「尺」 という字を解体するとどうなるのでしょうか?
どこがどう「足」とつながるのでしょうか。

尺は人の体そのものだよ だったらわかるよね?

590:日本@名無史さん
09/10/13 23:00:10
>>586
>だから「歩」は動によって生まれる一瞬の長さ その一瞬の長さを永久的に残したのが「尺」
>とかいたろう

尺がどうして「足」と関係するのか説明して下さい。

>尺は「“尸”象人卧的形象」と書いてあるわな

どこからの引用でしょうか。
“尸”というのは人ですよね?これにノを逆にしたのを加えて「尺」ですよね?
これは、肘~動脈の距離といわれていますよね?

591:日本@名無史さん
09/10/13 23:02:23
そうやって一生言葉遊び文献いじりで過ごすのですか?

592:日本@名無史さん
09/10/13 23:03:34
>>589
>尺は人の体そのものだよ だったらわかるよね?

意味分かりません
人の体がなぜ足になるのか説明をお願いします。

>>588
>美濃もん太にでも聞け。

逃げると言えww




593:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/13 23:08:01
>>592
オマエと論戦してないのに、なんで逃げになるのか?
なんで余に矛先を向けるのか? 余は唐松山の盲象をどうのこうの
言ってるんだよ。オマエと直接対戦してないぞ。した野郎に噛み
つけよ。それともこの前、余にやりこめられたんか?pp

オマエ改めか~?ww

594:日本@名無史さん
09/10/13 23:10:33
>>593
素晴らしい逃げ方だなwww


595:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/13 23:13:08
なるほど~どうやら改めらしいな。bb
先日逃亡したから絡んで来たようだな。ww

596:日本@名無史さん
09/10/13 23:14:08
>>590

>肘~動脈の距離といわれていますよね?

それは寸口
『人手却十分动脉为寸口。十寸为尺』 
十寸を尺とする。尺を十等分したのが寸じゃなく、手の中心から十分下がったところを基準として
十寸目が尺だよと言ってるだけです。
決してうでの一部を尺としたわけではありません。


>どこからの引用でしょうか

辞書からの引用です。一般の辞書に掲載されています。

『“尸”象人卧的形象。“乙”是个标识』= 人のからだ(尸)からこうせいされ、乙はしるし



597:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/10/13 23:14:55
改め丸こと大震国本紀君よ~。とぼけるのはもうやめにしようぜ~。

598:日本@名無史さん
09/10/13 23:18:52
>>591

>そうやって一生言葉遊び文献いじりで過ごすのですか?

他人の生き方に対して口をはさむののか?


599:日本@名無史さん
09/10/13 23:21:42
>>596
>それは寸口『人手却十分动脉为寸口。十寸为尺』 
>十寸を尺とする。尺を十等分したのが寸じゃなく、手の中心から十分下がったところを基準として
>十寸目が尺だよと言ってるだけです。
>決してうでの一部を尺としたわけではありません。

ほう、太国よりはマシなことを言う。
しかし、「寸」を調べてるんでしょうね?
「寸」というのは、「手首から動脈」というのはご存じだろう。
「十寸为尺」ですので、それだと「尺」は約10倍の「肘~動脈」の長さになりますね?
これを測ると、18cmぐらいになるのではなかろうか?
そして、歩は6尺ですので、かなり長い距離となってしまいますよ?

>辞書からの引用です。一般の辞書に掲載されています。
>『“尸”象人卧的形象。“乙”是个标识』= 人のからだ(尸)からこうせいされ、乙はしるし

はいはい~よく調べてますねw


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