09/10/18 17:59:45
>>817
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●藤原鎌足が百済からやってきた
[概要]
藤原不比等の以前の名前は、史(ふひと)なのです。不比等は、これ以外にも百済流の名前を持っていたはずです。
いずれにしても、この史(ふひと)という名前は、普通の名ではなく、むしろ彼の若い頃の役職名を表すものだったでしょう。
つまり歴史編纂に携わっている者という意味です。
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●藤原鎌足と六韜
[概要]
藤原鎌足が、日本的な考え方よりも、大陸的な考え方に、どっぷりと、つかって生きてきたような印象を与えます。
要するに、日本で生まれた人物と考えるよりは、百済で生まれ、大陸の影響を強く受けて育ち、百済から渡来した人物ではなかったのか?
そういう疑問が、頭をもたげてきたわけです。
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●藤原氏の祖先は朝鮮半島からやってきた
[概要]
朝鮮半島から渡ってきたと考えられるような場合にも、そうは書かない。あくまでも、日本古来の祖先から連綿と続いているかのような書き方をしている。
「ここまで書けば、もう大丈夫だろう。我われが日本古来から連綿と続いている氏族であると認めてくれるだろう。
そろそろ本当のことを書いても、我われが、百済からやってきたとは、もう誰も思うまい」そういう作為が感じ取れます。
伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、その土地で現地の女と結ばれて、子供を作った。
その子供たちがやがて成長して、日本にやってきた。その者たちがやがて中臣栗原連と名乗るようになったと。
さらりと述べています。